『異世界で屋台を始めたら魔王・皇帝・竜皇が常連になりました』   作:綾鷹大好きクラブ

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今日も今日とて気ままに投稿~


第6話「若様、守れませんでした」

 あれから二週間。

 隠里の朝。山間に溜まった白い霧はゆっくりと流れ、木々の合間から差し込む陽光が、まだ湿り気を残した地面を淡く照らしている。

鳥のさえずりと、どこか遠くで水の流れる音。

妖怪たちの気配も落ち着いていて、まるで世界そのものが一息ついているかのような静けさだった。

 その静寂の中で、ダイチは一人、地面に座り込んでいた。

 目の前には、小さな石が一つ置かれている。川辺にでも転がっていそうな、ごく普通の石だ。

だが今のダイチにとっては、それがどうしようもなく厄介な相手だった。

 

「・・・在れ」

 小さく、しかしはっきりとした声で呟く。

 その瞬間、石の周囲の空気が微かに揺らいだ。

ほんの一瞬だけ、石の輪郭が世界に“固定”されたように感じられる。

だが、それも刹那。すぐに元の曖昧な状態へと戻ってしまう。

 

「・・・またか」

 ダイチは肩を落とし、深く息を吐いた。

 頭では理解している。玉藻前に教えられた理屈も、言葉の意味も、曖昧ではない。

むしろ、これまでのどんな修行よりも“分かっている”という感覚はある。

 

 だが──出来ない。

 

「理屈は分かるんだよな・・・ほんとに」

 ぼそりと呟き、石を指でつつく。石は何も変わらない。

ただそこに在るだけだ。

 

『言霊とは、定義。貴方が“そう在れ”と認識し、世界がそれを受け入れることで成立する』

 玉藻前の声が、はっきりと頭の中に蘇る。

 

「つまり、俺の認識が甘いってことだろ・・・?」

 言いながら、眉間に皺が寄る。認識が甘い。

言葉にすればそれだけだが、その“甘さ”がどこにあるのかが分からない。

 見えている。ズレも感じている。なのに、決定的な一押しが足りない。

 

「くそ・・・」

 小さく舌打ちが漏れる。焦りはある。

だが同時に、どうにもならない壁にぶつかっているような感覚もあった。

 

 その時だった。

 

 ──違和感。

 

「・・・?」

 ダイチはふと顔を上げた。視線は自然と森の奥へ向かう。何かが、ほんのわずかに“ズレた”。

 風が吹いたわけではない。葉が揺れたわけでもない。

 ただ、空間のどこか一部分だけが、ほんの少し“ずれた”としか言いようのない感覚。

 

「今の・・・」

 立ち上がる。鼓動が僅かに早くなる。

 さっきまで感じていた石の“ズレ”とは違う。

 もっと広い、もっと不安定な揺らぎ。

 

「気のせい・・・じゃないよな」

 自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくりと一歩踏み出す。足は迷わずその方向へ向かっていた。

 森の奥へ進むにつれて、空気の質が変わっていくのが分かる。さっきまでの穏やかな流れが、どこか引っかかるような、滑らかでないものへと変質していた。

 

「・・・なんだこれ」

 足を止める。

 目の前の景色は変わらない。木も、地面も、何もかもがいつも通りだ。だが“繋がり”が違う。空間同士が、本来あるべき形で噛み合っていない。

 まるで無理やり繋ぎ合わせたような、不自然な感覚。

 

「やっぱり変だ」

 はっきりと確信する。

 

 その瞬間、背後から低い声がかかった。

「ダイチ、何をしている」

「うおっ!?」

 驚いて振り返ると、そこには大天狗が立っていた。腕を組み、鋭い目でこちらを見ている。

 

「い、いや・・・なんか変でさ、この辺」

 ダイチは少しだけ戸惑いながらも答える。

「変、とは?」

「空気っていうか・・・なんか、ズレてる感じ?」

 言葉を選びながら説明する。だが自分でも曖昧だと分かっていた。

 

 大天狗はしばらく無言で同じ方向を見つめる。

「・・・俺には何も見えん」

「マジかよ」

「だが」

 その一言で、空気が変わった。

 大天狗の表情がわずかに引き締まる。

「妙な気配はあるな」

「やっぱりか」

 ダイチがそう言った直後だった。

 

 空気が、軋んだ。

 ギィィ・・・と、何かが無理やり捻じ曲げられるような音が響く。目の前の空間が歪み、景色が波打つ。

「な、なんだこれ・・・!」

 思わず後ずさる。だが視線は外せない。さっきまで感じていた“ズレ”が、一気に表面化している。

 

「結界に干渉が入ったな」

 大天狗の声は低く、明確だった。

 

「結界って・・・そんな簡単に壊れるもんなのか?」

「本来ならばな」

 短く答えたその瞬間。

 

 さらに強い歪みが走る。

 空間が裂けた。

 目に見える形で、“穴”が開く。

 

「──っ」

 ダイチの喉が詰まる。

 直感が告げていた。これは、これまでとは比べ物にならない。

 その時、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。

 

「若様!」

 振り返ると、虎太郎と福丸が駆け寄ってくる。

「なんかヤバいことになってるぞこれ!」

 福丸が息を切らしながら叫ぶ。

「分かってる・・・今ちょうど見てたとこだ」

「これ、ただ事じゃねぇよな・・・?」

 虎太郎の声にも緊張が混じっている。

 その直後。

 裂け目の奥から、何かが“滲み出てきた”。

 形を持たない。輪郭が定まらない。ただ、存在してはいけない“ズレ”そのものが、現実に侵食してくる。

 

「・・・なんだよ、あれ」

 福丸の声が震える。

 ダイチは目を逸らさない。むしろ、そこにある“ズレ”がはっきりと見えてしまう。

 

 ──固定されていない。

 

 だからこそ分かる。

 あれは、止められる。

 

「・・・やるしかねぇか」

 小さく呟く。

「若様?」

「ダイチ?」

 二人の声を背に、ダイチは一歩前に出た。

 

 心臓の鼓動が早い。だが、逃げるという選択肢は最初から頭になかった。

 視線を集中させる。

 ズレを捉える。

 そして、言葉を紡ぐ。

 

「──止まれ」

 

 その声が、初めて“戦い”として世界に投げかけられた。

 

「──止まれ」

 ダイチの言葉が空間へと落ちる。

 

 瞬間、裂け目から滲み出ていた“それ”の動きが、わずかに鈍った。

流動していた輪郭が一瞬だけ引き締まり、存在が“固定”されかける。

 

「・・・よし!」

 確かな手応えがあった。完全ではない。だが、効いている。

 だが次の瞬間。

 ぐにゃり、と。

 まるで水面に落ちた影のように、“それ”は形を崩し、ダイチの言霊をすり抜けた。

 

「なっ・・・!?」

 驚愕が漏れる。

 確かに捉えたはずだった。ズレを見極め、そこに“止まれ”と定義を与えた。にもかかわらず、通じない。

 

「若様、効いてねぇ!」

 福丸の叫びが背後から飛ぶ。

 

「いや・・・一瞬は止まった・・・!」

 ダイチは食い下がるように言い返す。完全に無効化されたわけではない。

だが、“持たない”。

 固定が維持できない。

 

「甘い」

 低く、短い声。

 次の瞬間、大天狗が前に出た。

 風が唸る。彼の周囲の空気が鋭く研ぎ澄まされると同時に、一歩踏み込む。

 

「──断て」

 振り抜かれた一撃が、空間ごと裂け目へ叩き込まれる。目に見えぬ刃が“それ”を貫いた。

 だが。

 手応えは、ない。

 斬られたはずの存在は、まるで初めからそこにいなかったかのように形を崩し、すぐに元の曖昧な状態へと戻る。

 

 大天狗が舌打ちする。

「実体が定まっておらんか」

「つまりどういうことだよ!」

 虎太郎が叫ぶ。

 

「簡単に言えば──斬れる“場所”が固定されていない」

 答えたのは玉藻前だった。

いつの間にかその場に現れ、裂け目を静かに見つめている。

「流動しているのよ。常に“どこにもいない”状態を維持している」

「は・・・?」

 理解が追いつかない。

 だがダイチには分かる。

 

 ──ズレている。

 

 存在そのものが、世界に定着していない。

 

「だから固定しろってことだろ・・・!」

 ダイチは再び前に出る。

 今度はより強く、より明確に。

 

「──止まれ!」

 言葉に意志を乗せる。先ほどよりも深く、強く“定義”する。

 再び、“それ”の動きが鈍る。

 

 だが。

 今度は、より強く反発した。

 空間そのものが歪み、ダイチの言霊を弾き飛ばすように波打つ。

 

「ぐっ・・・!」

 圧力がかかる。目に見えない“何か”が押し返してくる。

 

「無理に押さえつけるな!」

 玉藻前の声が飛ぶ。

 

「相手は固定されていない。貴方の定義を受け入れる土台が無いのよ!」

「じゃあどうしろってんだよ!」

 叫び返すが、答えは返ってこない。

 

 その間にも、“それ”は広がっていく。

 裂け目がさらに拡大し、滲み出る量が増していく。

 

「・・・増えてやがる」

 酒呑童子が低く笑った。

 

「面白ぇが、笑えねぇなこりゃ」

 その言葉と同時に、彼が踏み込む。

 

「ならまとめて叩き潰すだけだ」

 豪腕が振るわれる。圧倒的な力が空間を叩きつけるように炸裂する。

 轟音。

 だが結果は同じだった。

 

 “それ”は砕けることなく、ただ形を変え、流れ、元に戻る。

「効いてねぇ・・・!」

 福丸が声を上げる。

 その声に混じるのは、明確な恐怖だった。

「若様、これヤバいって・・・!」

「分かってる!」

 ダイチも叫ぶ。

 だが、どうすればいいのかが分からない。

 見えている。ズレも分かる。だが、それをどう扱えばいいのかが分からない。

 

 その時。

 

 “それ”が動いた。

 

 これまでの曖昧な動きとは違う。明確な“意志”を持ったような挙動。

 

 一直線に

 

──福丸へ。

 

「──っ!?」

「福丸、下がれ!」

 虎太郎が叫ぶ。

 だが、遅い。

 

 “それ”が一気に距離を詰める。流れるような速度。

固定されていないがゆえの、不規則な加速。

 ダイチの視界がスローモーションのように引き伸ばされる。

 見えている。

 当たる。

 

 分かっているのに──

 

「止まれぇッ!!」

 叫ぶ。

 だが。

 間に合わない。

 

 “それ”が福丸に触れた。

 瞬間、空間が歪む。

 

「がっ・・・!?」

 福丸の身体が弾かれたように吹き飛ぶ。

地面に叩きつけられ、転がる。

 

「福丸ッ!!」

 虎太郎が駆け寄る。

 ダイチも後を追う。

 

「おい、しっかりしろ!」

 抱き起こすと、福丸の身体は異様に軽かった。

 

 いや、違う。

 “ズレている”。

 輪郭が、微かに安定していない。

 

「・・・なんだよ、これ」

 ダイチの声が震える。

 傷があるわけじゃない。血も出ていない。だが明らかにおかしい。

 存在そのものが、揺らいでいる。

 

「若様・・・」

 か細い声。

「へーき・・・だって・・・」

「全然平気じゃねぇだろ!」

 思わず怒鳴る。

 だが、その声すら届いているのか分からない。

 福丸の視線は焦点が合っていない。

 

「・・・定着を崩されたな」

 玉藻前が静かに言う。

「存在そのものが、この世界に留まれなくなりかけている」

「ふざけんなよ・・・」

 

 ダイチは歯を食いしばる。

 そんなこと、認められるわけがない。

 守れると思った。止められると思った。

 なのに。

 何もできなかった。

 

「若様・・・」

 再び呼ばれる。

 だがその声は、さっきよりもさらに弱い。

「・・・頼む・・・」

「喋んな!」

 怒鳴るように言う。

 その背後で、再び空間が軋んだ。

 

 “それ”はまだ消えていない。

 むしろ、さらに広がっている。

 戦いは、終わっていない。

 

 そして──

 ダイチは、まだ何も出来ていなかった。

 

 戦いは、終わっていない。

 

 そして──

 ダイチは、まだ何も出来ていなかった。

 

 握りしめた拳に、じわりと力がこもる。

指先が白くなるほど強く握っているのに、その力はどこにも届かない。

目の前で起きていることを止めることも、倒れる友を救うことも出来ないまま、ただ立ち尽くすしかない自分がいる。

 

 ──分かっていたはずなのに。

 

 見えている。感じている。ズレも、流れも、全部理解しているつもりだった。それでも、届かない。

 

「・・・なんでだよ」

 誰に向けた言葉かも分からない呟きが、ぽつりと落ちた。

 その声はあまりにも小さく、だが確かに震えていた。

 

 叫びながらも、ダイチの中で思考が高速で回る。

 見えているはずだ。あの存在は“ズレている”。だからこそ捉えられる。

 

だからこそ、固定すればいい──

 

そのはずだった。

 

 だが現実は違う。

 固定した瞬間に、別の場所へ流れる。

 まるで、掴んだと思った水が指の隙間から抜け落ちるように。

 

「・・・違うのか?」

 思わず口に出る。

「何が違う!」

 酒呑童子が叫ぶ。

 

「俺のやり方・・・固定するだけじゃ、足りてねぇのか・・・?」

 自問のような呟き。

 

 その瞬間、“それ”の一体が不規則に揺れ、ダイチの視界から一瞬だけ消えた。

「──っ、どこだ!?」

 次の瞬間、背後。

 反応が一拍遅れる。

 

 振り向くより先に、大天狗の風がそれを弾き飛ばした。

「よそ見をするな、ダイチ!」

「分かってる・・・!」

 だが分かっているのと、出来るのは別だ。

 視界に収めても、次の瞬間には位置が変わる。認識が追いつかない。

 固定しようとした瞬間に、もうそこにはいない。

 

「クソ・・・!」

 歯噛みする。

 それでも、やるしかない。

 もう一度、集中する。

 ズレを見る。

 流れを読む。

 “次に来る位置”を予測する。

 

 そして。

 

「──そこだ、止まれ!」

 今度は“先”を取る。

 動く先に言霊を置く。

 

 その一瞬。

 

 確かに、“それ”が引っかかった。

 

「今だッ!」

 好機と見て無意識に叫ぶ。

 

 だが──

 

 次の瞬間、“それ”は形を崩し、横へと流れた。

 完全には捉えきれていない。

 

「チッ、惜しいな」

 酒呑童子が舌打ちする。

「だが今のは悪くねぇ」

「悪くねぇじゃ足りねぇんだよ・・・!」

 

 ほんの僅かでもズレれば、すり抜ける。

 完璧に捉えなければ意味がない。

 そしてその“完璧”が、今の自分には届かない。

 

「福丸を下げろ!」

 大天狗の声が鋭く響いた。

 虎太郎は即座に反応し、ぐったりとした福丸の体を抱え上げる。

その動きは焦りを含みながらも正確だったが、足運びがどこか不安定だった。

 

「クソ・・・軽すぎるだろ・・・!」

 虎太郎が歯を食いしばる。

 軽いはずがない。むしろ福丸は体格の良い狸妖怪だ。

だが今は違う。

 “重さが定まっていない”。

 持ち上げた感覚が一定ではない。瞬間ごとに重さが変わる。

まるで存在そのものが、この世界に固定されていないかのように。

 

「早く行け!」

 酒呑童子が怒鳴る。

「こっちは持たねぇぞ!」

「分かってる!」

 虎太郎は振り返らずに走り出す。福丸を抱えたまま、必死に安全圏へと向かう。

 その背を見送りながら、ダイチは奥歯を強く噛み締めた。

 

 ──守れなかった。

 

 その現実が、胸の奥に重く沈む。

 

「よそ見をするな!」

 大天狗の怒声。

 同時に、風が唸る。

 ダイチのすぐ横を、流動する“それ”がかすめていった。

わずかに遅れていれば、今度は自分が触れられていた。

 

「・・・ッ!」

 反射的に飛び退く。

 だがその動きすら、完全ではない。足場が微妙にズレる。

踏み込んだ位置と実際の地面が一致しない。

 

「空間侵食が進んでいる!」

 玉藻前の声が飛ぶ。

「この場全体が歪み始めているわ!」

「分かってる!」

 ダイチは叫び返すが、その声には余裕はない。

 状況は最悪だった。

 敵は捉えられない。攻撃は通らない。加えて、足場すら安定しない。

 

 ──詰んでいる。

 

 その言葉が頭をよぎる。

 

「ふざけんな・・・!」

 吐き捨てる。

 認めるわけにはいかない。

 ここで止まれば、全部終わる。

 

「──止まれ!」

 再び言霊を放つ。

 だが焦りが乗ったその言葉は、先ほどよりも明らかに精度を欠いていた。

 

 “それ”の動きは一瞬すら鈍らない。

「チッ、雑になってんぞ!」

 酒呑童子が叫ぶ。

「分かってるよ!」

 だがどうしようもない。

 焦れば焦るほど、思考が乱れる。視界に映るズレが増え、どこを見ればいいのか分からなくなる。

 

 その瞬間。

 複数の“それ”が、一斉に動いた。

 

「来るぞ!」

 大天狗が踏み込む。

 風が爆ぜる。連続する斬撃が空間を切り裂く。

 

 だが──

 

 すり抜ける。

 捉えたはずの軌道から、ほんのわずかに外れる。

 

「クソが!」

 大天狗が舌打ちする。

 その一瞬の隙を、“それ”は逃さなかった。

 

 横合いから流れ込む。

 

 狙いは──

 

ダイチ。

 

「──っ!」

 気づいた時には、もう目の前だった。

 避ける、という判断が一拍遅れる。

 足を動かす。

 だがズレる。

 地面が合わない。

 

「間に合え・・・!」

 無理やり体を捻る。

 

 だが──

 触れた。

 ほんの一瞬。

 だが確実に、“それ”がダイチの肩に触れた。

 

「がっ・・・!?」

 衝撃はなかった。

 だが、違和感が走る。

 重さが消える。

 自分の身体の一部が、自分のものでなくなるような感覚。

 

「・・・なんだ、これ」

 自分の声が、自分のものじゃないみたいに遠く感じる。

 腕を動かそうとする。だが、動いているはずのそれが、ほんの僅かに“遅れて”見える。

 ズレている。

 自分の身体と、世界の位置が噛み合っていない。

 

「・・・気持ち悪ぃ」

 吐き気に似た違和感が込み上げる。立っているはずなのに、地面に触れている感覚が曖昧だ。踏みしめているのか、浮いているのかすら分からない。

 重さが消えている。

 いや、違う。

 “存在している実感”が薄れている。

 

「これ・・・福丸と同じかよ・・・」

 脳裏に、倒れた福丸の姿がよぎる。

 あれは他人事じゃなかった。

 同じ状態に、自分も踏み込みかけている。

 視界が揺れる。

 自分の腕の位置が、わずかにズレて見える。

 

「ダイチ!」

 玉藻前の声。

「触れられたわね!」

「見りゃ分かる・・・!」

 歯を食いしばる。

 まだ動ける。まだ意識ははっきりしている。

 

 だが──長くはもたない。

 

 直感がそう告げていた。

 

「下がれ!」

 大天狗が叫ぶ。

「貴様も定着を崩されるぞ!」

「まだいける!」

 反射的に言い返す。

 だがその瞬間、足元が大きくズレた。

「──っ!?」

 体勢が崩れる。

 完全にバランスを失う。

 その隙。

 “それ”が再び迫る。

「ダイチ!」

 酒呑童子が踏み込む。

 間一髪で、その一撃を弾き飛ばす。

「無茶すんじゃねぇ!」

 

「・・・っ、すまん」

 短く謝る。

 だが、もう限界だった。

 視界が安定しない。

 立っている感覚が曖昧になる。

 世界との“繋がり”が薄れていく。

 

「・・・クソ」

 膝が、落ちる。

 踏ん張ったはずの足が、まるで自分のものではないように崩れた。

 

「・・・立て」

 自分に言い聞かせる。

 力を込める。だが、応えない。

 筋肉は動いているはずなのに、地面を押し返す感覚がない。

 力が伝わらない。

 

「立てよ・・・!」

 もう一度。

 だが結果は同じだった。

 世界に“足場”がない。

 踏み込むべき場所が、存在しない。

 踏ん張れない。

 力が入らない。

 それでも、目だけは逸らさない。

 目の前で広がる“それ”から。

 守れなかった現実から。

 

「・・・なんでだよ」

 かすれた声が漏れる。

 見えていた。

 分かっていた。

 

 なのに──届かなかった。

 

「・・・力が、足りねぇ」

 それが全てだった。

 知識も、認識も、全部中途半端だった。

 だから、守れない。

 

「・・・下がれ、ダイチ」

 大天狗の声が、今度は静かに響く。

 

「ここから先は我らが受け持つ」

「・・・」

 返事は出来なかった。

 悔しさが喉に詰まる。

 だが、もう体が動かない。

 立つことすらできない。

 その現実が、何よりも重かった。

 大天狗が前に出る。

 酒呑童子も並ぶ。

 玉藻前が術を展開する。

 空気が変わる。

 

 圧が違う。

 

 ──格が違う。

 

 ──なのに。

 

 大天狗は立っている。

 

 酒呑童子は踏み込んでいる。

 

 玉藻前は術を展開している。

 

 同じ空間のはずなのに、まるで別の世界にいるかのように安定している。

 

「・・・なんでだよ」

 かすれた声が漏れる。

 同じ状況のはずだ。

 同じ“ズレ”の中にいるはずだ。

 なのに、あいつらは揺るがない。

 自分だけが、崩れていく。

 

「・・・基礎が、違うってことかよ・・・」

 理解してしまう。

 力の差ではない。

 もっと根本的な何か。

 世界との“繋がり方”が違う。

 ダイチは、それを地面に膝をついたまま見ていた。

 自分は、その中に入れない。

 同じ場所に立てない。

 

「・・・」

 言葉が出ない。

 ただ、見ているしかない。

 仲間が戦うのを。

 自分ではどうにもできない領域を。

 

 その現実を、嫌というほど突きつけられながら──

 ダイチは、何も出来なかった。

 

 ◆

 

戦いは、終わった。

 

 いや──終わらせられた、というべきだった。

 

 大天狗の風が空間を押し固め、玉藻前の術が歪みを縫い留める。

酒呑童子の一撃が最後に残っていた“それ”を叩き潰し、裂け目はゆっくりと閉じていった。

 

完全な解決ではない。

 ただ、これ以上の侵食を止めただけ。

 それでも、戦場は静寂を取り戻していた。

 重く、冷たい沈黙。

 その中で、ダイチは膝をついたまま動けずにいた。

 息が荒い。視界がまだ安定しない。

 

だが、それ以上に──心が動かなかった。

 

「・・・終わった、のか」

 自分でも驚くほど、感情の抜けた声だった。

「一応はな」

 酒呑童子が肩を回しながら答える。

 

「だが、根は残ってる。完全に消えたわけじゃねぇ」

「・・・そうかよ」

 短く返す。

 理解はしている。だが、もうそれ以上を考える余裕がなかった。

 視線が自然と向く。

 そこには、横たえられた福丸の姿。

 虎太郎がその傍で膝をつき、必死に声をかけ続けている。

 

「おい、福丸・・・起きろって・・・」

 その声は、今にも崩れそうだった。

 ダイチの胸が、強く締め付けられる。

 行かなければならない。

 分かっている。

 だが、体が動かない。

 怖かった。

 近づいて、現実を直視するのが。

 

「・・・若様」

 かすかな声。

 はっとして顔を上げる。

 福丸の目が、ほんの僅かに開いていた。

 

「福丸・・・!」

 這うように近づく。膝を引きずりながら、その傍へ。

「おい、しっかりしろ!」

「・・・へへ」

 弱々しい笑い。

 だが、その顔色は明らかに悪い。

 

「若様・・・無事、か・・・?」

「お前がその状態で何言ってんだよ!」

 思わず声を荒げる。

 だが福丸は気にした様子もなく、ゆっくりと瞬きをする。

 

「・・・よかった・・・」

「よくねぇよ・・・!」

 言葉が詰まる。

 何が良いものか。

 守れなかった。止められなかった。

 全部、自分のせいだ。

「・・・若様」

「なんだよ」

「・・・さっきの、すげぇな」

「は?」

「止めたやつ・・・あれ、かっこよかった・・・」

「・・・ふざけんな」

 低く吐き捨てる。

 

「全然止められてねぇだろ・・・!」

 悔しさが滲む。

 認めたくない現実を、無理やり言葉にするように。

 

「でも・・・一瞬、止まってた・・・」

 福丸はそう言って、目を細める。

「だから・・・あとは・・・」

「喋んなって言ってんだろ!」

 強く遮る。

 これ以上、何も言わせたくなかった。

 まるで別れの言葉みたいで。

「・・・大丈夫、だって・・・」

 掠れた声。

 だがその言葉は、途中で途切れる。

 意識が落ちた。

 

「福丸・・・?」

 反応はない。

「おい、福丸!」

 肩を揺らす。

 だが、返事は返ってこない。

「福丸ッ!!」

 叫びが響く。

 その声に、玉藻前が静かに近づいた。

 

「・・・落ち着きなさい」

「落ち着けるかよ!」

 振り向いて叫ぶ。

 だが玉藻前の表情は変わらない。

「命は繋がっているわ」

「・・・!」

「ただし、このままでは危うい」

 静かな声。

 だが、その言葉の重さは十分すぎた。

 

「存在の定着が崩れかけている。完全に戻すには時間がかかるわ」

「・・・助かるんだな」

「ええ」

 その一言で、張り詰めていた何かが、わずかに緩む。

 だが同時に、別の感情が一気に押し寄せる。

 

 ──悔しさ。

 

 ──無力感。

 

 拳を握りしめる。

 震えが止まらない。

 

「・・・俺のせいだ」

 ぽつりと呟く。

 誰に向けたわけでもない。

 ただ、事実として口にした。

 

「俺が止められてれば・・・」

「違う」

 大天狗の声が割り込む。

 

「今回の件、貴様一人の責ではない」

「でも──」

「だが」

 言葉を遮る。

「守れなかった事実は変わらん」

「・・・っ」

 その一言が、深く突き刺さる。

 否定ではない。

 現実の確認。

 

「そして、その原因は明確だ」

「・・・何だよ」

「力不足だ」

 迷いのない断言。

 ダイチは何も言い返せなかった。

 その通りだからだ。

「知っているだけでは意味がない。扱えなければ、何も変わらん」

「・・・ああ」

 小さく頷く。

 嫌というほど思い知らされた。

 見えているだけじゃダメだ。

 理解しているだけでもダメだ。

 使えなければ

 

──守れない。

 

「・・・強くなる」

 自然と、言葉が出た。

 誰に言われたわけでもない。

 自分で決めた。

 

「今のままじゃ、ダメだ」

 拳に力を込める。

 震えは、もう止まっていた。

「全部、足りねぇ」

 技術も、認識も、覚悟も。

 何もかもが中途半端だった。

 

「だから──」

 顔を上げる。

 真っ直ぐに、大天狗を見る。

 

「鍛えてくれ」

 はっきりと言い切る。

 逃げはない。

 言い訳もしない。

 ただ、前に進むために。

 

「・・・いいだろう」

 大天狗は短く頷いた。

「だが、甘くはせんぞ」

「望むところだ」

 即答だった。

 迷いはない。

 その様子を見て、酒呑童子がニヤリと笑う。

 

「いい顔になったじゃねぇか、若様」

「・・・うるせぇ」

 だが、その声にはもう迷いはなかった。

 視線を落とす。

 そこには、静かに眠る福丸の姿。

「・・・次は」

 小さく呟く。

「絶対に守る」

 その言葉は、誰に聞かせるでもなく。

 だが確かに、自分自身に刻み込まれた。

 こうして──

 ダイチの“敗北”は、終わった。

 

 静寂が、ゆっくりと戻ってくる。

 さっきまであれほど歪んでいた空間は、今は何事もなかったかのように落ち着きを取り戻していた。だが、それは表面だけの話だと、ダイチには分かっている。

 あの“ズレ”は消えていない。

 ただ、押し込められているだけだ。

「・・・また来るんだろうな」

 誰に向けるでもなく、呟く。

「来るわね」

 玉藻前が静かに応じる。

「今回のような現象は、一度きりでは終わらない。むしろ、これから増える可能性の方が高いわ」

「・・・だろうな」

 否定する理由はなかった。

 むしろ、確信に近い。

 今回で終わるような話じゃない。

 自分が何も出来なかった現実が、それを証明している。

「だからこそよ」

 玉藻前の声が、わずかに強くなる。

「貴方は強くならなければならない」

「・・・ああ」

 短く答える。

 言われるまでもない。

 それはもう、痛いほど理解している。

 守れなかった。

 届かなかった。

 その現実が、何よりも強く背中を押していた。

 そしてそれは同時に。

 “修行の始まり”でもあった。

 




本当文才なさ過ぎて笑う。
ブランクもあるが、それ以上にセンスがねぇ・・・。

でも、箸休めレベルで読む分にはいいかも()
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