『異世界で屋台を始めたら魔王・皇帝・竜皇が常連になりました』   作:綾鷹大好きクラブ

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修行編
第7話「若様、しごかれています」


 静けさが、里を包んでいた。

 あの戦いから一夜が明けても、空気はどこか重く、張り詰めたままだった。

 何事もなかったかのように日常は動き始めているが、その裏に潜む違和感を、誰もが無意識に感じ取っている。

 結界は保たれている。外見上は問題ない。

 だが、あの“ズレ”を目の当たりにした者にとって、それが完全な安全を意味しないことは明白だった。

 ダイチは、里の外れに立っていた。

 人の気配から少し離れた場所。木々に囲まれたその一角で、ただ無言のまま立ち尽くしている。

 視線は落ちていた。

 地面を見ているわけでも、何かを探しているわけでもない。

 ただ、焦点の合わないまま、ぼんやりと一点を見つめているだけだった。

 頭の中には、昨夜の光景が繰り返されている。

 歪む空間。

 捉えられない敵。

 届かない攻撃。

 

 そして

 

 ──倒れる福丸。

 

「・・・何も、出来なかった」

 ぽつりと零れた言葉は、自分でも驚くほど乾いていた。

 悔しさはある。怒りもある。だがそれ以上に、強く残っているのは“空白”だった。

 

 どうすればよかったのか。

 何が足りなかったのか。

 それを考えようとしても、途中で思考が止まる。

 分かっているつもりで、何も分かっていなかった。

 見えていたはずなのに、届かなかった。

 その事実だけが、何度も何度も頭の中で反響する。

 

「・・・チッ」

 無意識に舌打ちが漏れる。

 自分への苛立ちが、形になって出ている。

 爪が食い込むほど拳を強く握りしめても、その痛みすらどこか遠く感じた。

 

 あの時と同じだ。

 “ズレ”の中にいた時の感覚が、まだ身体の奥に残っている。

 足を踏み出す。 だが、その一歩にわずかな違和感が混じる。

 地面を踏んだはずなのに、ほんの一瞬、感触が遅れる。

 

「・・・まだ、残ってんのかよ」

 低く呟く。

 完全には戻っていない。

 

 自分の“定着”が、まだ不安定なままだと理解する。

 それだけで、胸の奥がざわついた。

 あのまま戦いが続いていたら。

 

 福丸と同じように

 

 自分も──

 

「・・・クソ」

 思考を振り払うように頭を振る。

 考えるな。

 今は、そんなことを考えている場合じゃない。

 やるべきことは分かっている。

 強くなる。

 それしかない。

 

 だが──

 

「・・・どうやってだよ」

 その方法が、分からない。

 

 大天狗たちは強い。圧倒的だ。だが、その強さの“中身”が、自分にはまだ理解しきれていない。

 ただ見ているだけでは足りない。

 ただ真似するだけでも足りない。

 もっと根本的な何かが、決定的に欠けている。

 

「・・・くそっ」

 再び拳を握る。

 

 その時だった。

 

 ──風が、動いた。

 

 音はない。

 だが確かに、空気の流れが変わった。

 反射的に顔を上げる。

 視界の端に、人影。

 いつからそこにいたのか分からない。

 気配がなかった。

 ただ、そこに“いる”。

 大天狗だった。

 

「・・・」

 言葉はない。

 ただ、こちらを見ている。

 その視線は静かで、だが逃げ場を許さない鋭さを持っていた。

「・・・何だよ」

 思わず口を開く。

「何か用か」

 返答はない。

 大天狗は一歩、前に出た。

 それだけで、空気が変わる。

 圧がかかる。

 目に見えない何かに押さえつけられるような感覚。

 

「・・・っ」

 息が詰まる。

 だが視線は逸らさない。

 逸らした瞬間、何かが終わる気がした。

 

「・・・鍛えてくれるんじゃねぇのかよ」

 挑発ではない。

 確認でもない。

 ただ、言葉が出ただけだった。

 その瞬間。

 大天狗の姿が、消えた。

 

「──は?」

 認識が追いつかない。

 次の瞬間には、目の前。

 風が、遅れて鳴った。

 

「がっ・・・!?」

 衝撃。

 何が起きたのか理解する前に、身体が宙を舞う。

 背中から地面に叩きつけられる。

 呼吸が、一瞬で奪われた。

 

「っ、は・・・!」

 息が吸えない。

 肺が空気を求めて軋む。

 視界が揺れる。

 

「・・・なに、しやがる・・・!」

 ようやく声を絞り出す。

 だが、大天狗は答えない。

 ゆっくりと、こちらへ歩いてくるだけだ。

 

「何のつもりだよ・・・!」

 怒鳴る。

 その声に、ようやく返答が返る。

 

「立て」

 短い言葉。

 それだけだった。

 

「・・・は?」

「立て」

 繰り返される。

 命令だった。

 理由も説明もない。

 

「・・・ふざけんな」

 歯を食いしばる。

 だが、体は動く。

 条件反射のように、立ち上がろうとする。

 足に力を込めて立つ。

 

 その瞬間。

 また、消えた。

 

「──っ!?」

 今度は構える暇すらない。

 横からの一撃。

 視界が弾ける。

 地面が迫る。

 再び叩きつけられる。

 

「が・・・ッ!」

 痛みが走る。

 だが、それ以上に理解が追いつかない。

 

「・・・何だよ、これ・・・」

 呟きが漏れる。

 見えなかった。

 全く反応できなかった。

 

「立て」

 再び。

 同じ言葉。

 冷たい声。

 

「・・・説明ぐらいしろよ・・・!」

 叫ぶ。

 だが返ってくるのは、やはり同じ言葉だった。

 

「立て」

 それだけ。

 ダイチは、歯を食いしばった。

 理解した。

 

 これは──

 

 問答無用の修行だ。

 理由も、理屈も、後回し。

 まずは体に叩き込む。

 そういうやり方だ。

 

「・・・上等だよ」

 ゆっくりと、立ち上がる。

 足は震えている。

 だが、逃げる気はなかった。

 

 むしろ──

 

「やってやるよ・・・!」

 その目には、確かな火が灯っていた。

 だが、その火は決して穏やかなものではなかった。

 静かに燃えるものではない。

 焦りと、苛立ちと、悔しさが混ざり合った、荒々しい炎だ。

 消えかけていた自分を、無理やり奮い立たせるような、不格好な熱。

 

「・・・全部、足りねぇんだよ」

 小さく吐き捨てる。

 技術も、判断も、覚悟も。

 何一つ満足に届いていない。

 だから負けた。

 だから守れなかった。

 その現実を、今度は逃げずに噛み締める。

 

「だったら──」

 顔を上げる。

 視線の先には、大天狗。

 揺るがない存在。

 越えなければならない壁。

 

「叩き込んでもらうしかねぇだろ」

 低く言い切る。

 選択肢はない。

 甘えるつもりもない。

 ただ、強くなるために。

 そのためだけに、ここに立っている。

 

 風が鳴る。

 いや、正確には

 

 ──遅れて聞こえる。

 目の前から大天狗の姿が消えた瞬間、ダイチの視界には何も映らなかった。

 だが次の瞬間、身体が勝手に反応する。

 

 ──来る。

 

 そう感じた時には、もう遅い。

 

「がっ・・・!」

 横からの衝撃。

 反応しようとした腕ごと弾き飛ばされ、身体が宙に浮く。

 そのまま地面に叩きつけられ、肺の空気が強制的に吐き出された。

 

「・・・っ、は・・・!」

 呼吸が詰まる。

 視界が白く弾け、遅れて痛みが全身に広がる。

 

 だが、それ以上に強いのは──

 

 “何も出来なかった”という事実だった。

 

「・・・今の、見えてた・・・」

 かすれた声で呟く。

 確かに感じた。

 来る方向も、タイミングも。

 それなのに、身体が追いつかなかった。

 

「・・・分かってる、だけかよ」

 自嘲が漏れる。

 その瞬間。

 

「立て」

 冷たい声。

 見上げると、大天狗がそこに立っていた。

 距離は、さっきまで数歩あったはずだ。

 だが今は、手を伸ばせば届く位置。

 移動した気配は、やはりない。

 

「・・・ふざけんな」

 歯を食いしばる。

 痛みを無視して、立ち上がる。

 足がわずかにふらつくが、構わず踏み込む。

 

「今度は──」

 言い終わる前に、また消えた。

 

「──っ!」

 今度は、正面。

 来る、と分かる。

 拳を構える。

 

 迎え撃つつもりで──

 

 間に合わない。

 

 視界から消えた瞬間には、もう懐に入られている。

 

「がっ・・・!」

 腹に衝撃。

 息が止まる。

 身体がくの字に折れ、そのまま吹き飛ばされる。

 地面を転がり、ようやく止まる。

 

「・・・ぐ、ぅ・・・」

 喉から掠れた声が漏れる。

 痛い。

 だが、それ以上に理解が追いつかない。

 

「なんでだよ・・・! 分かってんだよ! 来るのは!」

 だが、大天狗は答えない。

 ただ、こちらを見下ろしている。

 その視線に、わずかな苛立ちが混じる。

 

「・・・立て」

 また、それだけ。

 

「だから・・・!」

 怒鳴り返そうとして、言葉が詰まる。

 分かっている。

 これは問答じゃない。

 出来るか、出来ないか。

 それだけだ。

 

「・・・チッ」

 足に力を込める。

 今度は意識する。

 見るだけじゃない。

 “動く”準備をする。

 

「来いよ・・・!」

 挑むように言う。

 その瞬間。

 空気が歪む。

 消える。

 

「──右!」

 直感。

 振り向きながら腕を振る。

 

 だが──

 

 空を切る。

 

「なっ・・・!?」

 いない。

 そこには、何もない。

 次の瞬間。

 

「遅い」

「──がっ!」

 首元に衝撃。

 視界が回る。

 地面と空が逆転し、背中から叩きつけられる。

 

「ぐ、あ・・・!」

 呼吸が乱れる。

 肺が痛い。

 頭が揺れる。

 

「・・・なんでだよ・・・」

 呟く。

 確かに“感じた”。

 右から来ると。

 それなのに、外れた。

 

「それは“予測”だ」

 初めて、大天狗が説明した。

 

「確定ではない」

「・・・は?」

「貴様は、見えているものと感じたものを“決めつけている”」

 淡々とした声。

「だから外す」

「・・・じゃあどうしろってんだよ!」

「見るな」

「は?」

「感じろ」

「・・・っ」

 言葉が出ない。

 だが、無視するわけにもいかない。

 見るな、感じろ。

 それはつまり、“目に頼るな”ということだ。

 だが現実には、視界に頼らずに位置を捉えるなど、そう簡単に出来ることではない。

 

「・・・どうやってだよ」

 思わず漏れる。

 視線を外す。

 あえて、目を細める。

 輪郭をぼかす。

 その状態で、周囲の空気に意識を向ける。

 風の流れ。

 音の歪み。

 わずかな圧の変化。

 

 ──微かに、何かが触れる。

 

「・・・これか?」

 だが確信はない。

 掴みきれていない。

 その曖昧さが、そのまま不安になる。

 

「意味分かんねぇよ!」

 思わず叫ぶ。

 だが、大天狗は動じない。

「見えているものは既に過去だ」

「・・・!」

「貴様が認識した時点で、それはもう“そこにはない”」

 言葉が、刺さる。

 理解は出来る。

 

 だが──

 

「だったらどうすんだよ!」

「だから言っている」

 一歩、踏み込む。

 圧が増す。

「感じろ」

「・・・っ」

 言葉が出ない。

 抽象的すぎる。

 だが、嘘ではないと分かる。

 現に、自分は“見て”負けている。

 

「・・・クソが」

 吐き捨てる。

 やるしかない。

 分からなくても。

 

「来い・・・!」

 再び構える。

 今度は、目に頼らない。

 全身の感覚を研ぎ澄ます。

 空気の流れ。

 地面の振動。

 わずかな違和感。

 全てを拾う。

 その瞬間。

 

 ──来た。

 

 集中する。

 呼吸を整える。

 視界ではなく、感覚に意識を沈める。

 だが、すぐに分かる。

 安定しない。

 さっき感じたはずの“何か”が、次の瞬間には消えている。

 

「・・・くそ、掴めねぇ」

 焦りが滲む。

 感覚が揺れる。

 どれが正しいのか分からない。

 全部がノイズのように混ざる。

 

 その中で──

 

 一瞬だけ、はっきりとした“違和感”が走る。

 右でも左でもない。

 “上”。

 

「──っ!」

 反射的に上へ腕を上げる。

 その瞬間。

 衝撃。

 

 だが──

 

「・・・止めた?」

 自分でも信じられない。

 確かに受けた。

 

 だが──

 

「・・・今の、もう一回やれって言われても無理だぞ」

 小さく呟く。

 再現できる感覚じゃない。

 偶然に近い。

 いや、偶然だ。

 そう認めざるを得ない。

 

「・・・チッ」

 歯を食いしばる。

 一度出来ただけでは意味がない。

 戦いの中で使えなければ、何も変わらない。

 完全ではない。

 だが、受けた。

 直撃ではない。

 衝撃を流した。

 

「・・・やれば出来るじゃねぇか」

 酒呑童子の声が、どこからか響いた。

 

「だが、まだ甘ぇな」

 次の瞬間。

 さらに重い一撃が、横から叩き込まれた。

 

「がっ・・・!」

 再び吹き飛ぶ。

 今度は地面を何度も転がる。

 

「・・・ぐ、ぅ・・・!」

 止まった時には、息も絶え絶えだった。

 

「今のは“反応”だ」

 大天狗の声。

「だが、それでは足りん」

「・・・っ」

「戦いは連続だ。一度受けた程度で止まるな」

 言葉は冷たい。

 だが、的確だった。

 

「・・・分かってるよ」

 かすれた声で返す。

 立ち上がる。

 足が震える。

 だが、止まらない。

 

「もう一回だ」

 自分から言う。

 大天狗は、わずかに目を細めた。

 

「当然だ」

 次の瞬間。

 

 また、風が消えた。

 

 そして──

 

 地獄が、続いた。

 

 ◆

 

 息が荒い。

 肩で呼吸を繰り返しながら、ダイチは何度目か分からない立ち上がりを果たした。

 全身が痛む。打撃の蓄積が、確実に動きを鈍らせている。

 だが、止まるという選択肢は最初から存在しなかった。

 

「・・・まだだ」

 小さく呟く。

 視界は揺れている。だが、目に頼らないと決めた以上、それは大きな問題ではない。

 問題は──

 

 安定しないことだ。

 

 さっき一度だけ成功した“感覚”。

 あれを再現できない。

 掴みかけては、すぐに消える。

 

「・・・来い」

 構える。

 呼吸を整え、意識を沈める。

 風の流れを感じる。

 空気の密度を読む。

 その中に紛れる“違和感”を探す。

 

 ──来る。

 

 そう感じた瞬間。

 反応する。

 だが。

 外れる。

 

「がっ・・・!」

 横からの一撃。

 受け損ねる。

 身体が吹き飛び、地面を転がる。

 

「・・・っ、くそ・・・!」

 痛みに顔を歪めながら、すぐに起き上がろうとする。

 だが、立ち上がる前に。

 

「遅ぇ」

 低い声。

 その瞬間、さらに重い衝撃が叩き込まれた。

 

「がぁっ!?」

 息が完全に止まる。

 さっきまでの攻撃とは、質が違う。

 重い。

 単純な破壊力が段違いだった。

 視界が揺れる。

 身体が地面にめり込むように沈む。

 

「・・・なに、が・・・」

 声が出ない。

 誰だ、と思う前に、理解する。

 酒呑童子だ。

 

「見てらんねぇな」

 肩を回しながら、酒呑童子が立っていた。

 

「せっかく形になりかけてんのに、グダグダやってんじゃねぇよ」

「・・・うるせぇ・・・」

 かろうじて返す。

 だが、立てない。

 さっきの一撃で、完全に動きが止まった。

 

「ほら、立て」

 軽く言う。

 だが、その声音には圧があった。

 

「寝てる暇なんざねぇだろ?」

「・・・分かってる、っつってんだろ・・・!」

 歯を食いしばる。

 腕に力を込める。

 なんとか身体を起こす。

 立つ。

 ふらつく。

 だが、倒れない。

 

「・・・いい目してんな」

 酒呑童子がニヤリと笑う。

 

「だがな」

 一歩踏み込む。

 空気が変わる。

 大天狗とは違う圧。

 重く、粘つくような気配。

 

「戦いは“分かる”前に終わることもあんだよ」

「・・・っ!」

 意味は分からない。

 だが、嫌な予感が走る。

 その瞬間。

 消えた。

 

 いや──

 

 見えないだけだ。

 

「──どこだ!」

 思わず叫ぶ。

 感覚を研ぎ澄ます。

 だが。

 来ない。

 何も感じない。

 静寂。

 それが逆に、異様だった。

 

「・・・は?」

 違和感。

 さっきまで確かにあった“圧”が、消えている。

 完全に。

 その瞬間。

 

「遅ぇって言ってんだろ」

「──がっ!?」

 叩きつけられる。

 今度は防御すら間に合わない。

 完全な不意打ち。

 身体が浮き、そのまま地面に叩きつけられる。

 

「ぐ、ぁ・・・!」

 痛みが走る。

 だが、それ以上に理解が追いつかない。

 

「・・・なんで、感じねぇ・・・」

 呟く。

 さっきまで、あれほど“感じろ”と言われていた。

 実際、少しは掴めていた。

 

 なのに──

 

 今は何も感じられない。

 

「簡単な話だ、“消してる”からな」

「・・・は?」

「気配も、圧も、全部な」

 軽く言う。

 だが、その内容は重かった。

 

「・・・そんなの、どうしろってんだよ・・・」

 思わず呟く。

 見えない。

 感じられない。

 それでどう戦えというのか。

 

「だから言ってんだろ。考えてる間に死ぬってな」

「・・・っ」

 言葉が出ない。

 正論だった。

 考えている時点で遅い。

 理解しようとしている間に、終わる。

 

「じゃあどうすんだよ・・・!」

 苛立ちが混じる。

 だが、酒呑童子は楽しそうに笑うだけだった。

 

「身体で覚えろ」

「・・・!」

「考えるな。反応しろ」

 

 大天狗とは違うアプローチ。

 だが、言っていることは同じだった。

 “頭”では足りない。

 

「・・・クソが」

 吐き捨てる。

 だが、やるしかない。

 考えるな。

 感じろ。

 そして、反応しろ。

 

「来いよ・・・!」

 構える。

 だが。

 次の瞬間。

 何も感じないまま、衝撃が走る。

 

「がっ・・・!」

 まただ。

 何も出来ない。

 

「ほら、次」

 間髪入れず、さらに一撃。

 

「ぐぁっ!」

「次」

「がっ!」

「次だ」

「・・・っ!」

 連続。

 間がない。

 考える余裕を与えない。

 ただ叩き込まれる。

 防げない。

 避けられない。

 反応すら間に合わない。

 

「・・・っ、くそ・・・!」

 歯を食いしばる。

 だが、身体は正直だった。

 限界が近い。

 動きが鈍る。

 反応が遅れる。

 

「終わりか?」

「・・・まだ、だ・・・!」

 声を振り絞る。

 だが。

 次の一撃。

 完全に捉えられなかった。

 衝撃。

 

 そして──

 

 身体が、動かなくなった。

 地面に倒れ込む。

 起き上がれない。

 指一本、動かせない。

 

「・・・は、ぁ・・・」

 呼吸だけが、荒く続く。

 視界が霞む。

 だが、意識はある。

 そして。

 はっきりと理解していた。

 

 ──戦いになっていない。

 

「・・・クソが」

 小さく呟く。

 悔しさが、胸の奥で燃える。

 だが現実は変わらない。

 何も出来なかった。

 さっきから、ずっと。

 

「・・・これが、今の俺かよ・・・」

 認めるしかなかった。

 これが現実だ。

 これが、自分の限界。

 その時。

 

「まだ終わっておらん」

 大天狗の声が響いた。

 視界の端に、その姿が映る。

 

「・・・は・・・?」

「立て」

 また、それだ。

 だが。

 

「・・・無理、だろ・・・」

 力が入らない。

 本当に、動けない。

 その事実を、初めて認めた。

 

「動けぬのなら──」

 一瞬の静寂。

 次の言葉が、落ちる。

「動けるようになるまで、叩き込むだけだ」

「・・・は?」

 理解が追いつかない。

 だが。

 次の瞬間。

 また、風が消えた。

 

 そして──

 

 地面に倒れたままのダイチに、容赦なく一撃が叩き込まれた。

 

「がっ・・・!」

 声にならない声が漏れる。

 逃げ場はない。

 防げない。

 

 それでも──

 

 終わりは、来なかった。

 衝撃が、何度も身体を打ち抜く。

 受け身も取れない。

 防ぐことも出来ない。

 ただ一方的に叩きつけられるだけの時間が、どれほど続いたのか分からなかった。

 

「・・・は、ぁ・・・は・・・」

 荒い呼吸だけが、かろうじて意識を繋いでいる。

 視界は霞み、音も遠い。

 それでも、意識だけは落ちない。

 落とさせてもらえない。

 

「・・・まだだ」

 どこからか聞こえる声。

 自分のものか、大天狗のものか、もう判別もつかない。

 だが、その言葉に反応するように、身体がわずかに動いた。

 

「・・・立て・・・」

 自分に言い聞かせる。

 腕に力を込める。

 地面を押す。

 だが、上がらない。

 力が入らない。

 

「・・・くそ・・・」

 歯を食いしばる。

 それでも、やめるという選択肢は浮かばなかった。

 やめた瞬間、全部が終わる気がした。

 ここで折れたら、もう二度と立てなくなる。

 

「・・・立てよ・・・!」

 叫びに近い声。

 その瞬間。

 ほんのわずかに、身体が浮いた。

 

「・・・っ」

 腕が震える。

 だが、上がる。

 膝が地面から離れる。

 そのまま──

 

 立つ。

 

「・・・は、ぁ・・・」

 立てた。

 それだけで、奇跡みたいだった。

 だが。

 次の瞬間。

 風が動く。

 

「──っ!」

 反射。

 考える余裕はない。

 身体が勝手に動く。

 腕が上がる。

 その瞬間。

 衝撃。

 

 だが──

 

「・・・防いだ?」

 完全ではない。

 だが、直撃ではない。

 確かに“間に合った”。

 

「・・・今の・・・」

 何が違った。

 頭で考えようとした瞬間、さっきの感覚が指の隙間から零れ落ちるように消えていく。

 

「・・・違う」

 小さく首を振る。

 考えるな。

 さっき言われたばかりだ。

 だが、何も考えなければ再現できない。

 その矛盾が、もどかしい。

 

「・・・でも、確かにあった」

 身体は覚えている。

 ほんの一瞬だけ、確実に“噛み合った”感覚。

 世界とのズレが消えたような、あの一瞬。

 あれを──

 

「・・・もう一回、だ」

 何が違ったのか。

 考えようとする。

 だが、その前に。

 

「考えるな」

「・・・!」

「今の感覚を逃すな」

「・・・ああ」

 小さく頷く。

 考えるな。

 さっきも言われた。

 頭で整理しようとした瞬間、それは消える。

 

「・・・来い」

 構える。

 身体は限界に近い。

 だが、意識はむしろ冴えていた。

 余計な思考が削ぎ落ちている。

 ただ、感じることだけに集中できる。

 風。

 空気。

 圧。

 わずかな歪み。

 その中に、“違和感”が混ざる。

 ──来る。

 

 今度は、迷わない。

 身体が動く。

 腕を上げる。

 衝撃。

 だが、受ける。

 流す。

 完全ではないが、崩れない。

 

「・・・もう一回!」

 自分から叫ぶ。

 その瞬間。

 さらに速い一撃。

 だが──

 

 動ける。

 反応する。

 受ける。

 

「・・・っ!」

 ギリギリ。

 だが、確実に“さっきよりは出来ている”。

 

「・・・は、はは・・・」

 思わず笑いが漏れる。

 出来ている。

 ほんの少しだが、確実に前に進んでいる。

 

「調子に乗るな」

 冷たい声。

 次の瞬間。

 全く別の軌道。

 

「──っ!?」

 対応が遅れる。

 横からの一撃が直撃する。

 

「がっ・・・!」

 吹き飛ぶ。

 地面に叩きつけられる。

 さっきまでの感覚が、一瞬で崩れる。

 

「・・・あ、ぁ・・・」

 息が乱れる。

 視界が揺れる。

 さっきまで出来ていたはずのものが、もう掴めない。

 

「・・・なんでだよ・・・」

 さっきまで出来ていた。

 ほんの一瞬だが、確かに通用していた。

 それなのに、今はもう掴めない。

 同じように構えている。

 同じように感じているつもりだ。

 なのに、何かが違う。

 

「・・・ズレてんのか」

 自分で呟く。

 今の自分が、また世界と噛み合っていない。

 さっきの一瞬だけ、偶然“合っていた”だけだとしたら──

 

「・・・安定してねぇ」

 それが答えだった。

 分からない。

 出来たはずなのに。

 次は出来ない。

 

「それが“未熟”だ。再現できぬものは、出来ているとは言わん」

「・・・っ」

 言葉が刺さる。

 正論だった。

 たまたま出来ただけでは意味がない。

 

「・・・じゃあ、どうすんだよ・・・」

「繰り返すだけだ」

 即答。

 

「身体に刻め」

「・・・簡単に言うなよ・・・」

「簡単な話だ」

 一歩、近づく。

 圧がかかる。

 

「死なぬ程度に叩き込む。それだけだ」

「・・・それを簡単って言うな・・・」

 苦笑が漏れる。

 だが、その顔にはわずかな余裕があった。

 さっきまでとは違う。

 絶望だけではない。

 ほんの僅かだが、光が見えている。

 

「・・・もう一回だ」

 自分から言う。

 立ち上がる。

 足は震えている。

 だが、さっきよりも安定している。

 地面を踏む感覚が、わずかに戻っている。

 

「・・・来い」

 構える。

 今度は、少しだけ分かる。

 何をすればいいのか。

 何を感じればいいのか。

 それでも、まだ足りない。

 圧倒的に足りない。

 だが──

 

 ゼロじゃない。

 それは確かだ。

 だが同時に、それがどれだけ不安定なものかも理解している。

 一瞬出来ても、次に出来なければ意味がない。

 戦いの中で使えなければ、それは“出来ていない”のと同じだ。

 

「・・・まだ、全然足りねぇ」

 はっきりと口にする。

 さっきまでの自分なら、ここで少しは満足していたかもしれない。

 だが今は違う。

 この程度では、何も守れないと分かっている。

 福丸を思い出す。

 倒れた姿。

 動かなくなった身体。

 

「・・・あれを、もう一回見る気はねぇ」

 低く呟く。

 その瞬間、意識がさらに研ぎ澄まされる。

 

「・・・やってやる」

 小さく呟く。

 その目には、確かな変化があった。

 迷いが、少しだけ消えている。

 そして。

 次の瞬間。

 再び、風が消えた。

 だが今度は──

 

 ほんの僅かに、“見えた気がした”。

 

 ◆

 

 地面に仰向けに倒れ込んだまま、ダイチはしばらく動けなかった。

 全身が熱を持ち、鈍く痛む。呼吸をするたびに胸が軋み、肺が焼けるように苦しい。

 

「・・・は、ぁ・・・っ・・・」

 空を見上げる。

 いつの間にか、日が傾いていた。

 どれだけの時間、叩きのめされ続けたのか分からない。

 だが、それだけの時間をかけてもなお、自分は“足りていない”という事実だけは、嫌というほど理解できた。

 

「・・・終わりか?」

 酒呑童子の声が降ってくる。

 

「・・・まだ、だ・・・」

 かすれた声で返す。

 身体は動かない。

 だが、意識だけはまだ折れていなかった。

 

「はっ、いいねぇ。その顔、嫌いじゃねぇ」

「・・・うるせぇ・・・」

 小さく返す。

 そのやり取りすら、今は重い。

 だが。

 それでも。

 

「・・・まだ、足りねぇ」

 はっきりと口にする。

 自分で分かる。

 さっきの感覚。

 一瞬だけ掴めた“あれ”。

 あれを安定させなければ、意味がない。

 

「当然だ」

 大天狗の声。

 視界の端に、その姿が映る。

 

「今の貴様は、ようやく入口に立っただけに過ぎん」

「・・・入口、ね」

 苦笑が漏れる。

 あれだけやって、まだ入口。

 だが、否定する気にはなれなかった。

 むしろ、納得している。

 

「・・・じゃあ、その先はどうすんだよ」

 問いかける。

 今度は、逃げではない。

 本気で知りたい。

 どうすればいいのか。

 その答えを。

「繰り返しだ」

 即答だった。

 

「身体に刻み、無意識で出来るようになるまでな」

「・・・結局、それかよ」

「それ以外にあると思うか?」

「・・・ねぇな」

 小さく息を吐く。

 分かっている。

 結局は、それしかない。

 だが。

 それだけでは、何かが足りない気がした。

 

「・・・理屈は?」

 ふと、口に出る。

「今の“ズレ”とか、“感じる”とか・・・その辺の話だよ」

 自分でも驚くほど、冷静な声だった。

 さっきまでとは違う。

 ただ殴られているだけではない。

 理解しようとしている。

 

「・・・ふむ」

 その声に応じたのは、玉藻前だった。

 いつの間にか、すぐ近くに立っている。

 

「ようやく“聞く余裕”が出てきたようね」

「・・・ああ」

 短く返す。

 否定はしない。

 

「いいでしょう。少しだけ教えてあげるわ」

 玉藻前は、静かに言葉を紡ぐ。

 

「貴方が感じている“ズレ”はね、簡単に言えば──世界との接続の問題よ」

「・・・接続?」

「ええ。貴方は今、自分という存在を“正しく固定できていない”の」

「・・・は?」

 意味が分からない。

 だが、黙って聞く。

 

「普通の存在はね、意識しなくても世界に固定されている。そこに“いる”ことが当たり前だから。でも貴方は違う」

「・・・何がだよ」

「貴方は、余計なものを持ちすぎているのよ」

「・・・余計?」

「ええ。視る力、言葉の力、理解する力──どれも本来なら段階を踏んで得るもの。それを最初から持っているから、“どこに立っているのか”が曖昧になっている」

「・・・なんだよそれ」

 眉をひそめる。

「つまり、足場が不安定ってことよ」

 あっさりと言い切る。

「地面に立っているつもりでも、実際には少し浮いているようなもの」

「・・・だから、ズレるのか」

「そういうこと」

 ようやく繋がる。

 さっきの感覚。

 合った時と、ズレた時。

 あれは──

 

「・・・じゃあ、それをどうにかすりゃいいんだな」

「簡単に言えばね」

 玉藻前は微笑む。

 

「ただし、それが一番難しい」

「・・・だろうな」

 苦笑する。

 そんな簡単に出来るなら、苦労はしない。

 

「だからこそ、叩き込むのよ。身体に覚えさせて、ズレない状態を“当たり前”にするの」

「・・・なるほどな」

 口ではそう言ったが、完全に理解できたわけではない。

 ただ、感覚としては分かる。

 さっきの“噛み合った瞬間”。

 あれは偶然じゃない。

 自分が“そこにいた”瞬間だ。

 

「・・・浮いてる、ってことか」

 自分で言葉にする。

 地面に立っているつもりで、実際にはズレている。

 だから届かない。

 だから外す。

 だから──

 

「・・・当たらねぇ」

 小さく呟く。

 だが同時に、それをどうすればいいのかも見えている。

 叩き込む。

 身体に覚えさせる。

 それしかない。

 理屈と実践が、ようやく繋がった。

「・・・じゃあ」

 ゆっくりと、身体を起こす。

 痛みが走る。

 だが、さっきよりは動く。

 

「やることは変わんねぇな」

 そう言いながらも、さっきまでとは感覚が違う。

 ただ闇雲にやるわけじゃない。

 何をすればいいのかが、少しだけ見えている。

 ズレをなくす。

 噛み合わせる。

 そのために、動く。

 

「・・・無駄じゃねぇって分かっただけ、マシか」

 小さく笑う。

 今までは、何をしているのか分からなかった。

 だが今は違う。

 意味があると分かっている。

 立ち上がる。

 足はまだ不安定だ。

 だが、立てる。

 

「当然だ、貴様はまだ始まったばかりだ」

「・・・ああ」

 頷く。

 分かっている。

 これが“始まり”だ。

 終わりじゃない。

 

「・・・もう一回だ」

 構える。

 ボロボロの身体。

 限界に近い。

 それでも。

 

「・・・強くなる」

 小さく呟く。

 その言葉には、さっきまでとは違う重みがあった。

 ただの意地ではない。

 理解した上での覚悟。

 

「来い」

 視線を上げる。

 大天狗を見据える。

 逃げはしない。

 もう、逃げる理由がない。

 その瞬間。

 風が、再び消えた。

 

 福丸の顔が、脳裏に浮かぶ。

 倒れていた姿。

 動かなくなった身体。

 あの時の、どうしようもない無力感。

 

「・・・二度と、あんなのは御免だ」

 低く呟く。

 守れなかった現実。

 それを、次は変える。

 そのために──

 

「・・・止まるわけにはいかねぇだろ」

 はっきりと口にする。

 疲労も、痛みも関係ない。

 そんなもので止まるなら、最初から立っていない。

 そして──

 

 修行は、終わらない。

 

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