『異世界で屋台を始めたら魔王・皇帝・竜皇が常連になりました』   作:綾鷹大好きクラブ

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第9話「若様、神に目を付けられています」

その頃、ダイチは里を離れていた。

 場所は隠里から少し離れた山間部。木々に囲まれ、清らかな水が流れる静かな場所――のはずだった。

 だが、その空気は穏やかとは言い難い。

 張り詰めている。

 理由は単純。

 行われているのが、戦闘ではないにもかかわらず――戦闘以上に過酷な修行だからだ。

 すなわち。

 料理修行である。

「火が強いと言っておろうが!」

 怒号が飛ぶ。

 振り向く間もなく、ダイチの頭上に木の杓子が振り下ろされた。

「いってぇ!?」

「“いってぇ”ではない! 加減も分からぬのか、小僧!」

 声の主は山姥。

 つい最近、縁あって知り合った妖怪である。

 だが、その指導は容赦がない。

 実践主義。

 そして、妥協なし。

「焦がせば台無しじゃ。食えぬ物を作ってどうする」

「わ、分かってるけど……!」

「分かっておらぬからこうなる!」

 ぴしゃりと言い切られる。

 反論の余地はない。

 実際、鍋の中身は見事に焦げていた。

 煙が立ち上り、香ばしいを通り越して苦い匂いが漂っている。

「……ダイチ様、こちらも駄目です」

 静かに告げたのは雪女。

 久方ぶりに再会した妖怪である。

 その声音に感情は薄い。

 だが、だからこそ誤魔化しが効かない。

「味が、まとまっていません」

「うっ……」

「塩味が浮いています。甘味との調和が取れていません」

「ぐっ……!」

「再現性がありません」

 淡々と告げる。

「同じ手順でも、結果が揺れています」

「そ、それは……」

「偶然で当てても意味はありません」

 冷静な一撃。

「狙って出せるようになってください」

「……はい」

 的確すぎる指摘が突き刺さる。

 逃げ場はない。

「ほら、こっちも見なさい」

 今度は産女が手招きする。

 こちらは世話焼きな性格だが――

「包丁の持ち方が甘いわね」

 やはり厳しい。

「指、ちゃんと引いて。ほら、こう」

「あ、はい……」

「力任せに切らない。刃を滑らせるの」

「こ、こうか……?」

「違うわね」

 即答だった。

「全然違う」

「うぐっ……!」

「ほら、味見」

 差し出される。

 恐る恐る口に運ぶ。

「……あ」

 さっきと違う。

 少しだけ、まとまっている。

「分かる?」

「……ちょっとだけ」

「それでいいのよ」

 優しく言う。

「その“ちょっと”を積み重ねるの」

 優しさはある。

 だが、妥協はない。

 三方向からの指導。

 逃げ場は完全に塞がれている。

「もう一度最初からやり直しじゃ!」

「材料はまだあるわ。大丈夫、大丈夫」

「……今度は、ちゃんと見てます」

「ひぇ……」

 思わず情けない声が漏れる。

 戦闘の修行とは違う。

 相手をどう倒すかではない。

 どうすれば“食えるもの”になるか。

 その一点のみを求められる。

 だが――

 それが、想像以上に難しい。

「くそっ……なんでこんなに上手くいかねぇんだ……」

 思わず呟く。

 剣なら、まだ分かる。

 殴る、避ける、受ける。

 結果が分かりやすい。

 だが料理は違う。

 正解が見えない。

 同じようにやったつもりでも、結果が変わる。

「考えながらやれ」

 山姥が低く言う。

「見て覚えるだけでは足りぬ」

「……考えるって言われてもな……」

「何故そうなるのか、じゃ」

 短い言葉。

 だが、その意味は重い。

「火が強ければどうなる」

「焦げる……」

「弱ければ」

「……火が通らねぇ」

「なら、どうする」

「……調整、する」

「そうじゃ」

 頷く。

「それを“感覚”でやるな。理解してやれ。料理も戦いと同じじゃ」

 山姥が続ける。

「違うのは、相手が“人”か“食材”か、それだけよ」

「……同じ?」

「そうじゃ。相手を知らねば勝てぬ」

 鍋を指差す。

「火の入り方、油の回り方、水の抜け方……すべて理由がある」

「理由……」

「それを知らずにやれば、外す。知っておれば、外しても修正できる」

 正論だった。

「……っ」

 言葉が詰まる。

 理解は出来る。

 だが、身体が追いつかない。

 理屈。

 原因と結果。

 それを繋げろということだ。

「……っ」

 言葉に詰まる。

 分かっている。

 分かっているが――出来ない。

「ほら、手が止まってる」

 産女が促す。

「次、いきましょう」

「……ああ」

 小さく息を吐く。

 諦めるわけにはいかない。

 ここで投げたら終わりだ。

 包丁を握り直す。

 材料を整える。

 火を入れる。

 今度こそ。

「……集中しろ」

 自分に言い聞かせる。

 余計なことは考えない。

 今やるべきことだけに集中する。

 その時だった。

 ふと。

 何かを感じた気がした。

「……?」

 手が止まる。

 顔を上げる。

 周囲を見る。

 木々。

 風。

 変わらない景色。

 だが――

「……今、なんか……」

「どうした」

 山姥が眉をひそめる。

「いや……」

 言葉に出来ない。

 何かがあった。

 そんな気がする。

 だが、それだけだ。

 掴めない。

 形にならない。

「気のせい、か……」

 小さく呟く。

「なら手を動かせ」

 即座に返される。

「止まる理由にはならぬ」

「……だな」

 苦笑する。

 その通りだ。

 今は修行中だ。

 余計なことに気を取られる余裕はない。

「……よし」

 気持ちを切り替える。

 再び手を動かす。

 今度は、さっきよりも意識して。

 火加減。

 切り方。

 味のバランス。

 一つ一つを確認しながら。

「……少しはマシになったか」

 山姥がぼそりと呟く。

「……ほんの少し、ですが」

 雪女も頷く。

「いいわ、その調子よ」

 産女が微笑む。

 わずかだが、前進している。

 それが分かるだけで、少しだけ救われる。

「……まだまだだな」

 自分でも分かる。

 足りない。

 全然足りない。

 だが――

簡単じゃない。

 戦うより、よほど難しい。

 だが。

 だからこそ、意味がある。

 誰かに食わせるものだ。

 適当では済まされない。

「……だったら」

 握る手に、力が入る。

「やるしかねぇか」

 諦める理由はない。

 むしろ、ここからだ。

 再び鍋に向き直る。

 火を入れる。

 そして――

 その頃。

 隠里では。

 別の“何か”が、静かに動き始めていた。

 

隠里は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。

 深い森に囲まれたこの地は、人の世から隔絶されている。外界の騒がしさが届くことはなく、流れる時間もどこか緩やかだ。

 風が木々を揺らし、葉擦れの音がかすかに響く。妖たちはそれぞれの場所で、いつも通りに過ごしている。

 その中心にあるのが、大天狗の居であった。

「……最近のダイチ、どう見ておる」

 低く、重い声が響く。

 問いを発したのは大天狗。

 その視線の先、ゆるやかに扇を揺らしていたのは玉藻前だった。

「そうだな……一言で言えば、“妙”か」

 軽く息を吐くように言う。

 声音は柔らかいが、その中身は軽くない。

「妙、か」

 酒呑童子が口元を歪める。

「まぁ、最初から妙だったがな、あいつは」

「違う」

 玉藻前はゆるく首を振る。

「前は“異物”だった」

「今は?」

 短く問う大天狗。

「……馴染み始めている」

 その言葉に、わずかな沈黙が落ちた。

「……なるほどな」

 大天狗が目を細める。

「確かに、破綻せぬ」

「ああ」

 玉藻前が頷く。

「あれだけ雑にやっておいて、崩れない」

「普通は逆だろ」

 酒呑童子が鼻で笑う。

「雑なら崩れる。崩れねぇなら、最初から整ってるって話だ」

「理屈はそうだな」

 玉藻前は扇を軽く閉じる。

「だが、ダイチは違う」

「あれはな、“積み上げ”が見えない」

 玉藻前が続ける。

「普通は、出来ることが増えるほど形になる」

「順序があるってことか」

 酒呑童子が腕を組む。

「ああ」

 玉藻前は頷く。

「だがダイチは違う。途中を飛ばして結果だけ掴んでいる」

「……それってよ」

 酒呑童子が眉をひそめる。

「ズルじゃねぇのか」

「ズルで済むなら話は簡単だ」

 即答だった。

「問題は、それで破綻しないことだ」

 一拍置く。

「あれは、“雑なまま成立している”」

「……歪だな」

 大天狗が短く言い切る。

 それが、最も的確な表現だった。

「だが、嫌いじゃねぇな」

 酒呑童子がにやりと笑う。

「面白ぇじゃねぇか。ああいうの」

「面白いで済ませる話じゃない」

 玉藻前が即座に返す。

「放置すれば、どう転ぶか分からん」

「転んだら、その時だろ」

「……相変わらずだな」

 小さく息を吐く。

 だが、完全に否定はしない。

 それもまた一つの真理ではある。

「だが、放っておけばいいものでもない」

 玉藻前の声が、わずかに低くなる。

「ダイチは“収まる器”が決まっていない」

「器?」

 酒呑童子が眉をひそめる。

「力の話だ」

 扇で空を軽くなぞる。

「本来、力というものは枠の中で使われる」

「外れたら?」

「壊れる」

 即答だった。

「使う側がな」

「……あいつは?」

「壊れていない」

 玉藻前の目が細まる。

「それどころか、馴染み始めている」

「……気に入らねぇな、それ」

 酒呑童子が低く呟く。

「普通じゃねぇ」

「最初から普通ではない」

 大天狗が言う。

「だが――」

 言葉を切る。

 その時だった。

「……?」

 酒呑童子の動きが止まる。

 わずかに、眉が寄る。

「どうした」

「いや……今、何か――」

 言いかけて、止まる。

 説明が出来ない。

 だが、確かに“何か”があった。

「……感じたか」

 玉藻前が低く問う。

「ああ」

 短く返す。

「お前もか」

「同じだ」

 扇が止まる。

 わずかな変化。

 それだけで、空気が変わる。

「……妙な気配ではない」

 玉藻前が言う。

「じゃあ何だ」

「分からん」

 即答だった。

 だが、その“分からなさ”が異常だった。

「……大天狗」

 呼びかける。

 視線が向く。

「どう見る」

「……」

 大天狗は答えない。

 ゆっくりと目を閉じる。

 意識を研ぎ澄ます。

 風の流れ。

 気配の揺らぎ。

 この場に存在するすべてを捉えようとする。

 だが――

「……何もない」

 目を開く。

 静かに告げる。

「だが、“何もなさすぎる”」

「……ああ」

 酒呑童子が低く唸る。

「それだ」

 普段なら、何かしら引っかかる。

 だが今回は違う。

 何も引っかからない。

 すべてが滑り落ちる。

「……上だな」

 大天狗が呟く。

「は?」

「我らの感知の外にある」

 その一言で、空気が変わる。

「……冗談だろ」

 酒呑童子の声から軽さが消える。

「冗談で言うか」

 短い返答。

 否定の余地はない。

「……“それ”は、何だ」

 玉藻前が静かに問う。

「分からぬ」

 大天狗は即答する。

「だが――関わるべきではない」

 断言だった。

 迷いはない。

「……珍しいな」

 酒呑童子が目を細める。

「お前がそこまで言うの」

「危険だ」

「勝てねぇ相手か?」

「その次元ではない」

 静かに言い切る。

 場の空気が、さらに沈む。

「……ははっ」

 酒呑童子が乾いた笑いを漏らす。

「そりゃあ、面白くねぇな」

「面白さの問題ではない」

 玉藻前が低く言う。

「これは――」

 言葉を続けようとして。

 止まる。

「……来る」

 小さく、だが確かに告げる。

風が、止まる。

 木々のざわめきが、不自然に途切れる。

 音が消えたわけではない。

 だが、確かに“薄くなった”。

 何かに上書きされるように。

 空間そのものが、別の規則に塗り替えられていく。

 誰もが、それを理解する。

 理解してしまう。

「……ああ」

 大天狗も頷く。

 もはや隠れていない。

 隠れられていない。

 何かが、こちらを“認識した”。

 その瞬間。

 空気が変わる。

 圧ではない。

 威圧でもない。

 ただそこに在るだけで、すべてが書き換わるような感覚。

「……おい」

 酒呑童子が呟く。

「これ、マジで何だ」

 誰も答えない。

 答えられない。

 だが。

 一つだけ、確かなことがある。

 これは――

 今までとは、明らかに違う。

 そして。

 逃げ場は、ない。

 

風が止まった。

 いや、正確には“止まったように感じた”だけかもしれない。

 だが、その場にいた誰もが同じ違和感を覚えていた。

 流れていたものが、途切れた。

 連続していたはずの何かが、不自然に断ち切られた。

 音はある。

 空気も動いている。

 それでも――

「……来る」

 玉藻前の声が、わずかに低くなる。

 それは予測ではない。

 確信だ。

 そして。

 次の瞬間。

 “そこにいた”。

認識が、追いつかない。

 いつ現れたのか分からない。

 そもそも“現れた”のかどうかすら曖昧だ。

 最初からいたと言われれば、それで納得してしまいそうになる。

 だが、それは明らかにおかしい。

 つい今しがたまで、そこには何もなかった。

 それを全員が確認している。

 にもかかわらず――

 “いる”。

 その事実だけが、強制的に上書きされる。

 何の前触れもない。

 気配も、兆しも、痕跡もない。

 ただ、当たり前のように。

 初めから存在していたかのように。

 その場に、“在った”。

「……っ」

 酒呑童子の呼吸が、一瞬だけ止まる。

 反射的に構えかける。

 だが――

 動けない。

 身体が拒否する。

 いや、違う。

 動くという選択肢そのものが、消えている。

 理解している。

 これは、そういう存在ではない。

「……」

 大天狗は無言のまま、その存在を見据える。

 視線を逸らさない。

 だが、敵意も見せない。

 ただ、事実として受け入れている。

 そして。

 ゆっくりと。

 膝を折った。

 片膝ではない。

 両膝。

 完全な平伏。

 それは、戦う意思の放棄ではない。

 “格”への応答だった。

「……そうか」

 小さく、酒呑童子が呟く。

 次の瞬間には、同じように膝をついていた。

「……なるほどな」

 苦笑混じりに言う。

「これは、無理だ……ああ、クソ」

 小さく吐き捨てる。

「勝てるとか、そういう話じゃねぇな、これ」

 乾いた笑いが漏れる。

「土俵にすら立ってねぇ」

 それが本音だった。

 戦うという前提自体が成立していない。

 だからこそ、抵抗しない。

 それが“正解”だと本能が理解している。

 そして。

 最後に残った玉藻前もまた。

 静かに、頭を垂れた。

理解している。

 逆らえばどうなるか。

 想像する必要すらない。

 消える。

 それだけだ。

 戦いにもならない。

 痕跡も残らない。

 “無かったことになる”。

 それが、この存在の領域。

 

「……」

 言葉はない。

 必要がない。

 この場において、最も正しい選択を取っただけだ。

 その様子を。

 “それ”は、ただ見ていた。

 評価するようでもなく。

 見下すでもなく。

 ただ、確認するように。

「……面を上げよ」

 声が落ちる。

 強くはない。

 威圧もない。

 だが。

 逆らえない。

「……」

 誰もが、ゆっくりと顔を上げる。

 視線の先。

 そこに立っているのは――

 男。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 特別な装いでもなければ、異様な気配を放っているわけでもない。

 だが。

 理解してしまう。

 この存在が、“それではない”ことを。

「……」

 大天狗が、わずかに目を細める。

 言葉を選ぶ。

 慎重に。

 最大限に。

「……その御姿」

 喉がわずかに震える。

 だが、止めない。

「まさかとは思うが――」

 問いを、最後まで言わせることはなかった。

「そう身構えるな」

 男が、静かに言う。

「此度は、争いに来たわけではない」

 その一言で。

 場の緊張が、わずかに緩む。

 完全ではない。

 だが、確かに。

「……失礼を」

 大天狗が頭を下げる。

「名を伺ってもよろしいか」

 本来なら、不要な問い。

 だが、それでも確認せずにはいられない。

 それほどの存在だった。

 男は、わずかに視線を巡らせる。

 森。

 空気。

 この場所そのものを、ひと撫でするように。

 そして。

「……大国主命」

その名は。

 この国に生きる者であれば、知らぬはずがない。

 国造りの神。

 縁を結び、運命を繋ぐ存在。

 人の世のみならず、妖の世においても例外ではない。

 その頂点の一柱。

 それが、目の前にいる。

 それだけで、十分だった。

 

「……」

 言葉が消える。

 理解する。

 完全に。

 格が違う。

 存在の位が違う。

 比べることすら無意味なほどに。

「……これはまた、とんでもねぇのが来たな」

 酒呑童子が小さく笑う。

 だが、その声に軽さはない。

 むしろ、緊張を紛らわせるためのものだ。

「……何用だ」

 大天狗が問う。

 失礼はない。

 だが、へりくだりすぎてもいない。

 この場で取れる、最大限に正しい距離。

「簡単なことだ」

 大国主命は答える。

「一つ、確認に来ただけよ」

「確認……」

何を確認する。

 問うまでもない。

 だが、問わずにはいられない。

 そんな矛盾が胸に残る。

 そして。

 答えは、すぐに提示された。

 嫌な予感がする。

 だが。

 逃げ場はない。

その名が出る前。

 一瞬だけ。

 間があった。

 意図したものかどうかは分からない。

 だが。

 その“わずかな空白”が、異様に長く感じられる。

 視線が、向けられる。

 順に。

 大天狗へ。

 玉藻前へ。

 酒呑童子へ。

 ただ、それだけ。

 ただ見ただけ。

 それだけで――

 理解させられる。

 誤魔化しは通じない。

 隠し事も意味を持たない。

 この場において。

 全ては“見えている”。

「……ダイチのことだ」

 その名が出た瞬間。

 空気が、さらに一段重くなった。

誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 返す必要がないと、理解してしまったからだ。

その名が落ちた瞬間、場の空気がわずかに沈む。

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 返す必要がないと、理解してしまったからだ。

 問われている。

 誤魔化しは通じない。

 そして――誤魔化す意味もない。

「どう扱っている」

 静かな声だった。

 だが、その一言に含まれる圧は、先程までとは質が違う。

 確認。

 ただそれだけのはずの問いが、逃げ道を完全に塞いでいる。

「……鍛えている」

 答えたのは大天狗だった。

 余計な装飾はつけない。

 事実だけを、正確に。

「戦いの基礎。身体の使い方。力の制御」

 一拍。

「未熟ではあるが、破綻はしておらぬ」

「……ほう」

 大国主命が、わずかに目を細める。

 その反応一つで、空気がさらに張り詰める。

「崩れておらぬ、か」

 繰り返す。

 確認ではない。

 “既に知っている事実”のなぞり直し。

「本来ならば」

 静かに言葉が落ちる。

「とうに壊れておる」

 断言だった。

 可能性ではない。

 仮定でもない。

 結果として、そうなると分かりきっている事柄。

「扱いきれぬ力を持てば、器が先に砕ける」

 それが、この世界の理。

 例外はない。

「だが、ダイチは違う」

 その一言で、前提が覆る。

「壊れぬ」

 短く、しかし確実に。

「……理由は」

 玉藻前が問う。

 声は低い。

 だが、その奥にあるのは純粋な疑問ではない。

 “確かめなければならない”という本能だ。

「簡単な話だ」

 大国主命は答える。

「壊れぬように“されている”」

 その言葉は、あまりにも自然に告げられた。

 だが。

 意味は、全く自然ではない。

「……されている、だと」

 酒呑童子の声がわずかに低くなる。

「どういう意味だ」

「そのままの意味よ」

 淡々とした返答。

「ダイチの持つ言霊は、単なる力ではない」

 一拍。

「偶然でもなければ、異質な才でもない」

 さらに続ける。

「最初から“そう在るように”組まれている」

 空気が揺らぐ。

 理解が、追いつかない。

「……誰がだ」

 大天狗が問う。

 短く。

 だが核心を突く。

 その問いに対し――

 大国主命は、ほんの僅かに笑った。

「一柱ではない」

 その時点で、異常だった。

「複数の神が関与している」

「……神、だと」

 酒呑童子の声が掠れる。

「そうだ」

 否定の余地はない。

「ダイチはな」

 ゆっくりと告げる。

「“調整されている側”だ」

 その言葉は、静かに落ちた。

 だが。

 理解した瞬間、背筋が冷える。

「力を与えられているのではない」

 続ける。

「力に耐え得るよう、“在り方そのもの”を整えられている」

「……っ」

 玉藻前の視線がわずかに揺れる。

 それは恐怖ではない。

 理解してしまったことへの、純粋な驚愕だ。

「だから崩れぬ」

「……なるほどな」

 大天狗が低く呟く。

 ようやく、全てが繋がる。

「歪んで見えたのは、そのせいか」

「歪みではない」

 大国主命が訂正する。

「最初から“そういう形”だ」

 断言。

 逃げ道はない。

「……上の仕業か」

 酒呑童子が吐き捨てるように言う。

「どこまで手ぇ入れてやがる」

「さてな」

 わずかに肩をすくめる。

 だが、その曖昧さが逆に重い。

 把握しきれていない。

 それほどの規模ということだ。

「一つ、言っておく」

 大国主命の声が、僅かに低くなる。

 空気が変わる。

「ダイチの事は良しなに頼む」

 静かに。

 だが、明確に。

「……あやつは、儂ら神々も注目している」

 その一言で、全員の意識が引き寄せられる。

「特に――」

 間。

 意図的なものだ。

「天之御中主神」

 最初の名が落ちる。

 それだけで、空気が震える。

「天照大御神を筆頭に――月読尊、素戔嗚尊の三貴神」

 続けて告げられる名。

 一つ一つが、重い。

「宇迦之御魂大神」

 最後に、静かに落とされる。

 並べられた名前の意味。

 それを理解できない者は、この場にはいない。

「……お気に入り、だからな」

軽い調子の言葉だった。

 だが、その内実は軽くなどない。

 名を連ねた神々。

 そのいずれか一柱でも、世界の理を左右し得る存在だ。

 それが複数。

 しかも“同時に”。

 同じ一人へと視線を向けている。

 その意味を。

 理解してしまえば――

 もはや、笑い話では済まされない。

 だがあまりにも軽く。

 しかしながら決定的な一言。

「……は?」

 酒呑童子の口から、間の抜けた声が漏れる。

 理解が追いつかない。

 追いつきたくない。

「ぞんざいに扱うな」

 大国主命の声が、僅かに温度を持つ。

 初めての変化。

「仮に」

 一拍。

「それがなされた場合――」

 その先は。

 言葉にしなくとも、分かるはずだった。

 だが。

「里どころか」

 あえて、言う。

「この世界ごと、消える可能性もある」

 静かに。

 あまりにも静かに。

 告げられた。

 冗談ではない。

 誇張でもない。

 ただの事実。

「……」

 沈黙が落ちる。

 重い。

 息が詰まるほどに。

 逃げ場はない。

 だが――

 その沈黙を、破ったのは。

「……ははっ」

 酒呑童子だった。

 

「やっぱり若様じゃねぇか」

 肩を揺らしながら笑う。

 だが、その笑いは軽いものではない。

 むしろ、腑に落ちた者のそれだ。

「最初からおかしいと思ってたんだよ」

 視線を上げる。

 そこにいるのは、依然として“神”だ。

「妙だの何だの言ってたが、話は単純じゃねぇか」

 一歩踏み込む。

「最初から“そういうもん”だったってだけだろ」

「……貴様は」

 大天狗が呆れたように言う。

「随分とあっさり受け入れる」

「受け入れるも何も」

 酒呑童子は肩をすくめる。

「説明ついたんだ。納得するしかねぇだろ」

 その言葉は、乱暴に見えて筋が通っている。

「……確かにな」

 大天狗が低く呟く。

 否定はしない。

 できない。

 事実として、全てが繋がったのだから。

「……」

 玉藻前は、何も言わない。

 ただ、静かに考えている。

 与えられた情報を咀嚼し、整理し、組み直す。

 そして――

「……厄介だな」

 ぽつりと呟く。

「今さら“知らなかった”では済まん」

「当然だ」

 大天狗が応じる。

「知った以上、対応を変える必要がある」

「変えるって、どうすんだ?」

 酒呑童子が問う。

「今まで通りじゃ駄目なのかよ」

「駄目ではない」

 大天狗は首を振る。

「だが、“今まで通りのつもり”で扱うのは危うい」

 一拍。

「我らの認識が変わった以上、同じではいられぬ」

「……面倒くせぇな」

 酒呑童子が苦笑する。

「結局、気ぃ遣えって話か?」

「そうではない」

 玉藻前が口を開く。

「気を遣うのではない。“理解して扱う”のだ」

「違いあんのか、それ」

「大いにある」

 即答だった。

「恐れて遠ざけるのは愚策だ」

 一歩、前に出る。

「だが、軽んじるのは論外」

「……」

「ならばどうする」

 自問するように言う。

 そして。

「“そのまま”だ」

 結論を出す。

「変える必要はない。ただ――」

 一瞬だけ、視線が鋭くなる。

「“何を相手にしているか”を忘れるな」

 それだけで、十分だった。

「……なるほどな」

 大天狗が頷く。

「最も現実的だ」

「だろう?」

 玉藻前がわずかに笑う。

 だが、その余裕は長くは続かなかった。

 なぜなら。

 その場にいる“もう一人”が、まだ動いていなかったからだ。

「……」

 大国主命は、何も言わない。

 ただ、三者のやり取りを見ている。

 評価するようでもなく。

 干渉するでもなく。

 ただ、確認するように。

 そして。

「……まあ、よい」

 小さく呟く。

 それだけで。

 空気が、わずかに緩む。

「理解しているなら、それでよい」

 続ける。

「余計な手出しはせぬ」

 その言葉は、許しに近い。

 だが同時に。

 監視が続くことの宣言でもあった。

「……一つだけ」

 大国主命が言う。

 再び、視線が向けられる。

「ダイチを“特別扱い”する必要はない」

「……」

「だが、“軽く扱うな”」

 それだけ。

 それだけで、十分だった。

「……承知した」

 大天狗が応じる。

 短く。

 だが、確実に。

 その意志を示す。

「……了解だ」

 玉藻前も続く。

 その声に、迷いはない。

「おう」

 酒呑童子が軽く手を上げる。

「任せとけ」

 その返答に。

 大国主命は、わずかに目を細めた。

 そして――

 次の瞬間。

 “いなかった”。

「……は?」

 酒呑童子が間の抜けた声を漏らす。

「消えた……?」

「違う」

 大天狗が首を振る。

「最初から“そういうもの”だ」

「……気配が、残っていない」

 玉藻前が静かに言う。

 痕跡すらない。

 本当に、最初からいなかったかのように。

「……ははっ」

 酒呑童子が小さく笑う。

「とことん規格外だな」

「……当然だ」

 大天狗が応じる。

「神だぞ」

 短い言葉。

 だが、それ以上の説明は不要だった。

 しばしの沈黙。

 誰もが、それぞれに考えている。

 先ほどまでの会話。

 与えられた情報。

 そして――ダイチという存在。

「……とんでもないものを預かっているな」

 大天狗が呟く。

「今さら手放すことも出来ぬ」

「手放す気なんてねぇだろ」

 酒呑童子が笑う。

「今更だ」

 大天狗も否定しない。

「……ああ」

 玉藻前が静かに頷く。

「今更だ」

 繰り返す。

 その意味は、三者全員が理解している。

 もう戻れない。

 もう“ただの異物”ではない。

 それを知ってしまった。

「……だからか」

 酒呑童子が空を見上げる。

「“若様”って呼んでんのは」

 ぽつりと呟く。

 その言葉に。

 誰も、すぐには答えなかった。

 だが。

「……そういうことだ」

 その一言で。

 全てが、定まった。

 




(おまけ)
大国主命「ああ、そうそう帰る前にひとつ」
大天狗・酒呑童子「?」
大国主命「天狗と鬼。お主らに対してだが――ダイチのシゴキが過ぎると、天照大御神と月読尊がご立腹でな」
大天狗・酒呑童子「ええっ!?」
大国主命「終いには素戔嗚尊が“ちとシバいてくる”と下界しかけたのだ」
酒呑童子「なんで俺まで!?ほとんど大天狗だったじゃねぇか!」
大天狗「貴様!儂一人に罪を被せるな!」
大国主命「それを天之御中主神が止めておった。感謝するがよい」
大天狗・酒呑童子「ははぁっ!!(土下座)」
大国主命「……と思ったら、その天之御中主神が“面倒だ、まとめて消すか”と言い出してな」
大天狗・酒呑童子「!?」
大国主命「流石に神々総出で止めたが」
大天狗・酒呑童子「誠に申し訳ございませんでした!!(土下座)」
大国主命「まあ、程度を誤らねばよい。気をつけよ」
 すっと視線が動く。
玉藻前「……」
大国主命「玉藻前」
玉藻前「ははっ」
大国主命「その際、“何故強く止めぬのだ”と宇迦之御魂大神が随分と怒っておってな」
玉藻前「……ははぁ〜(土下座)」
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