久藤律はいいやつだ。それは知っている。
営業前のスターリーでノートPCに向かう私の打鍵音だけが響く。
(ここ急だがなんとかして埋めないとか......ノルマ軽くしてやれば、この前のあいつらでも来るかな)
幾分慣れてきたライブハウスの店長業、それでもやはり気苦労は絶えない。
ふと集中が途切れ、やめやめ、とレジ袋に手を突っ込みリンゴジュースのストローを突っ込みながらスマホに手を伸ばす。
見慣れた、虹夏の笑顔がまぶしいロック画面。その端っこに律がいたたまれない表情で映り込んでいる。
小さく笑いが漏れる。あんまり情けない表情をしているから。
私としては複雑な感情を向ける男だ。なにせ今や、私の唯一の家族といっていい妹と付き合っているらしいのだから。
世間的に見てもおそらく悪いほうであろう、私たち姉妹の境遇。
いや、私もそこに一緒になって、姉妹の、なんて考えるのはどう考えても間違っているだろう。
どう考えたって虹夏のほうが大変な立場にいるのは明らかだ。
虹夏が9歳のとき、母親が死んだ。交通事故だった。
居眠り運転のタクシーが歩道に突っ込んだんだかなんだか、とにかく突然死んじまった。
どっちかといえば鈍くさく、人を疑うことを知らない人だった。
私はバンド活動もあり、反抗期をこじらせたようなバカで、母と向き合うことは終ぞなかった。
だけど虹夏は違った。母によく懐いていた。
私にも懐いてくれてはいたが、私はバンド第一で構ってやることは少なかったと思う。
たまにねだられるままに虹夏のリクエストする歌やギターを聴かせてやったとき、目をキラキラさせていたことを、妙に覚えている。
虹夏は母さんが死んだあと、ひどく落ち込んだ。
虹夏は私と違って賢かった。9歳だった虹夏は『死』というものを、唯一自分に正面からの愛を注いでくれた肉親を失ったことを正しく理解していた。
それを知っていてなお、私はバンド活動にさらにのめりこんだ。
母の死。私もさすがに堪えていた。
うっとうしいくらいに心配してきて、たまに家にいればやれ最近バンドのほうはどうなのとか、メンバーの子たちとはうまくやってるのとか、たまには虹夏と遊んであげてだの、面倒だった。
それがいざ母さんが死んでみればこれだ。
干しっぱなしにしてしまった洗濯物、切れたシャンプー、ストックがなくなったリンゴジュース。
私の生活のいたるところに母という存在が欠けてしまった証拠が転がっている。
私は自分という存在がひどく滑稽に思えた。後悔を嗤う歌詞などこの世にごまんとある。
無くしてから気づく、とかなんとか。私たちもさんざんそんな歌を演ってきた。
そしてそんな自分を振り返り、向き合うことが怖くてたまらなかった。
12歳も離れた妹に、合わせる顔が無かった。
バンドメンバーは当然参加頻度が急に増えてさらに様子のおかしくなった私を訝しんだが、当然家の事情なんか話す気にはならなかった。
特に一人、そんなことをいえば真っ先に私を怒って窘めてくるような奴に心当たりがあったからというのもあった。
それから一か月くらいたってからだろうか。
虹夏は学校にいかなくなり、部屋からあまり出てこなくなった。
「店長~?おはようございまーす。」
「うおぁっ!?......なんだよ驚かせやがって。」
机の向かいにPAの顔がいきなり表れた。いつ入ってきたんだこいつ。
「何回か声掛けましたよぉ~?考え事ですか?」
そんなとこだよ、と適当に返しまたPCに目を向ける。
ま、結局のところ、虹夏を本当の意味で救い上げたのはあいつだ。
私があいつにこんな醜い感情を向けるのはお門違いにもほどがある。そんな資格はない。
私はバカな姉で、バカな娘だった。
それに引き換えあいつは、久藤律はいいやつだ。