碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ   作:最上 イズモ

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最善策

警報が鳴った瞬間、最上イズモはもう制服の襟に手をかけていた。

 

朝の空気はまだ冷たかった。第三新東京市の空は薄く晴れていて、だからこそ、街の中央に突き刺さるあれの異様さが余計に目立つ。

 

青白い正八面体。

 

地面へ落ちてきたというより、空間の一部だけが急に敵に変わったみたいな形だった。

 

ラミエル。

 

あの名を頭の中で転がした瞬間、喉の奥が少しだけ冷たくなる。

 

静かすぎる敵は嫌いだ。殴ってくるタイミングも、腕のしなりも、姿勢の崩れも見えない。こちらの読みより先に、あちらの射線が世界を書き換えてくる相手は、戦術の組み立て方そのものが違う。

 

葛城ミサトの車が止まる前に、イズモはすでにドアへ手をかけていた。

 

葛城ミサト「ちょっと、待ちなさい!」

 

最上イズモ「時間がありません」

 

葛城ミサト「分かってる! でも走るな!」

 

声が後ろから飛ぶ。

 

イズモは足を止めはしない。ただ、走る一歩手前まで速度を落とす。完全な無視ではない。それだけで、ミサトが少しだけ息を吐いたのが分かった。

 

発令所へ入った瞬間、空気が変わる。

 

サキエルの時とも、シャムシエルの時とも違うざわめきだった。近接戦の準備じゃない。打開策がまだ形を持っていない時のざわめきだ。情報が多いのに、指揮系統の先で誰も“これで行く”に辿り着いていない。

 

モニターの中央には、ラミエルの映像が出ていた。

 

綺麗すぎる輪郭。色も形も、兵器らしさより記号のような異様さが先に来る。だが、その中心にある一点だけが、あまりにも露骨に“砲口”の顔をしていた。

 

伊吹マヤ「高熱源反応継続、変形パターン解析中! 通常兵器での表面損傷、確認できません!」

 

赤木リツコ「A.T.フィールド出力、前回交戦記録よりさらに高いわね……」

 

葛城ミサト「自衛隊は?」

 

オペレーターが即答する。

 

オペレーター「長距離砲撃、全て無効化。接近部隊壊滅です!」

 

イズモはモニターを見ながら、答えの輪郭だけを先に掴む。

 

通常火力では抜けない。

接近戦は射線管理の問題で論外。

使徒側は高出力狙撃が可能。

こちらが攻勢に出るには、一撃でA.T.フィールドごと貫く火力が必要。

 

発令所の後方で、碇ゲンドウはいつも通りの位置にいた。だが今日は、その沈黙が“全て把握している”顔ではない。むしろ、すでにいくつかの候補を並べ、その中で何を切るかを待っている沈黙だった。

 

冬月が低く言う。

 

冬月コウゾウ「使徒の砲撃一撃で、初号機の防御姿勢は崩れるか」

 

赤木リツコ「姿勢次第では即貫通よ。少なくとも通常の前進戦術は取れない」

 

葛城ミサト「じゃあどうしろっていうのよ」

 

誰に向けたわけでもない苛立ちが、空気を少しだけ鋭くする。

 

イズモはそこで一歩前へ出た。

 

最上イズモ「意見具申があります」

 

発令所の視線が一斉にこちらへ向く。

 

ミサトが一瞬だけ目を見開く。リツコはすぐに表情を消す。マヤは言葉を止めたままこちらを見た。ゲンドウだけが、最初から待っていたみたいに動かない。

 

碇ゲンドウ「言え」

 

最上イズモ「正面突破ではなく、砲撃戦に切り替えるべきです」

 

葛城ミサト「砲撃戦?」

 

最上イズモ「はい。A.T.フィールド貫通可能な一点集中高出力砲を前提に、初号機を射手へ置く」

 

リツコの目が細くなる。

 

赤木リツコ「高出力砲を前提に、って簡単に言うけど、そんなものが今あると?」

 

最上イズモ「旧米軍衛星レーザー」

 

部屋の空気が、一拍だけ止まる。

 

リツコが即座に返す。

 

赤木リツコ「……よくそんなもの知ってるわね」

 

最上イズモ「存在だけなら」

 

嘘ではない。詳細を知っているかどうかまでは今ここで言わない。

 

最上イズモ「加えて、地上側に高出力レーザー砲を構築する」

 

葛城ミサト「衛星と地上砲、二段?」

 

最上イズモ「はい。衛星レーザーでA.T.フィールドの挙動を強制的に揺らし、その直後に主砲で一点貫通を狙う」

最上イズモ「単独火力ではなく、連結砲撃です」

 

マヤが端末を叩きながら顔を上げる。

 

伊吹マヤ「待ってください、衛星レーザー出力だけじゃラミエルのA.T.フィールドを貫ける保証が――」

 

最上イズモ「貫通しなくていいです」

 

マヤの手が止まる。

 

最上イズモ「目的は破壊ではなく、フィールド応答のタイミングをずらすことです」

最上イズモ「完全な抜きではなく、“押し返しに使わせる”」

 

赤木リツコ「その隙に主砲を通す、と」

 

最上イズモ「はい」

 

ミサトはモニターのラミエルとこちらを交互に見る。

 

葛城ミサト「そんなの、タイミングが少しでもズレたら終わりよ」

 

最上イズモ「なので、射手は初号機がいい」

 

今度は全員がそこで引っかかった。

 

ゲンドウの目がわずかに細くなる。

 

最上イズモ「人間の照準だけでは間に合わない」

最上イズモ「コンピュータでも、ラミエル側の反応変化に合わせきれない可能性が高い」

最上イズモ「なら、A.T.フィールドと相対した経験がある個体が直接撃つ方がまだ通る」

 

静かだった発令所に、別種のざわめきが走る。

 

ミサトが先に口を開いた。

 

葛城ミサト「ちょっと待って。今の話、要するに」

葛城ミサト「超高出力の狙撃砲を、初号機に撃たせるってこと?」

 

最上イズモ「はい」

 

葛城ミサト「無茶言ってる自覚ある?」

 

最上イズモ「あります」

 

即答したせいで、ミサトが一瞬だけ言葉を失う。

 

リツコはその横で、もう反論より先に現実計算へ入った顔をしていた。

 

赤木リツコ「高出力レーザー砲の建造は可能として、出力源は」

最上イズモ「日本全土の電力を一時集中」

最上イズモ「不足分は補助蓄電と緊急電源接続で補う」

 

マヤが息を呑む。

 

伊吹マヤ「国全体レベルの電力制御を、短時間で?」

 

最上イズモ「間に合わなければ負けます」

 

またその言い方だ。

 

だが今回は、その乱暴さが逆に正しい。ラミエルは待ってくれない。こちらの建造計画や政治的調整に合わせてくれる敵ではない。

 

冬月が低い声で言う。

 

冬月コウゾウ「旧米軍の衛星レーザーと、日本全土の電力を使った高出力狙撃砲」

冬月コウゾウ「壮大だな」

 

最上イズモ「それでも足りる保証はありません」

 

その返しに、冬月の目がほんの少しだけ動く。

 

壮大な作戦を出しておいて、それでなお“不足するかもしれない”を先に置く。そこがたぶん、この場の誰よりも嫌な現実感だった。

 

赤木リツコ「……理屈は分かるわ」

 

ミサトがそちらを見る。

 

葛城ミサト「え」

 

赤木リツコ「ラミエルのA.T.フィールドを一点で抜くには、単一火力より応答のズレを作る方が現実的」

赤木リツコ「しかも相手は狙撃型。近づくメリットがない」

赤木リツコ「なら、こちらも撃ち返すしかない」

 

リツコの口調にはまだ苛立ちが残っていた。だが、それは案への否定ではなく、“それが通ってしまう現実”への苛立ちに近い。

 

ゲンドウがようやく口を開く。

 

碇ゲンドウ「成功率は」

 

最上イズモ「初号機の照準維持と、初弾のタイミングが揃えば上がります」

最上イズモ「ただし、こちらの砲撃準備中に使徒の狙撃が来る」

最上イズモ「防御姿勢と射撃姿勢を両立させるため、地形利用が必要です」

 

葛城ミサト「山」

 

最上イズモ「はい。山体を遮蔽に使い、頭出しのタイミングだけを作る」

 

マヤがそこで端末へ走るように手を動かし始めた。

 

伊吹マヤ「現地地形データ、引っ張ります! 発射角、仮設計算開始!」

 

ミサトが息を吐く。

 

葛城ミサト「……本気でやるのね」

 

赤木リツコ「他にある?」

 

返されて、ミサトは黙る。

 

ない。

少なくとも今のところ、この場にあるどの作戦よりも現実的だと分かってしまったのだろう。

 

イズモはそこで一つだけ言葉を足す。

 

最上イズモ「補足します」

 

葛城ミサト「まだあるの」

 

最上イズモ「この作戦、初号機の精神負荷が高い」

 

今度はミサトの表情が少し変わる。

 

最上イズモ「待ち時間が長い」

最上イズモ「一撃で決める前提になる」

最上イズモ「使徒の砲撃を真正面で意識し続ける必要がある」

最上イズモ「だから、作戦が成立しても、成功条件の一部は“撃つ前に折れないこと”になります」

 

言葉が、部屋の温度を少しだけ下げた。

 

戦術だけでは済まない話だ。撃てるかどうか以前に、撃つまで持つかどうか。初号機を射手へ置くとはそういうことだと、今さらみたいに突きつける。

 

ミサトが低く言う。

 

葛城ミサト「それ、自分で言うのね」

 

最上イズモ「言わないと、作戦の形だけが残るので」

 

リツコはわずかに目を伏せた。

たぶんその指摘は図星だったのだろう。

 

ゲンドウは沈黙する。

その沈黙の長さだけで、この男の中で既に計画が組まれ始めているのが分かる。

 

碇ゲンドウ「採用する」

 

部屋が完全に動き出す。

 

オペレーターたちの声。

回線接続。

電力庁との連絡。

旧米軍資産の認証要求。

工廠への高出力レーザー砲建造指示。

全てが一気に流れ始める。

 

ラミエル戦は、こうして砲撃戦へ変わった。

 

ミサトが息を吐き、こちらを見る。

 

葛城ミサト「ねえ」

 

最上イズモ「はい」

 

葛城ミサト「これ、普通なら作戦参謀が何人も徹夜で出す案なのよ」

 

最上イズモ「時間がないので」

 

葛城ミサト「分かってる」

 

その返しにはもう呆れより重さがあった。

 

葛城ミサト「でも、そういうのを一人で先に出してくるから、あなた軍人でしょって言いたくなるの」

 

イズモは少しだけ視線を逸らす。

 

今の案は、たしかに“学生”の口から出るには整いすぎている。だが、整っているからこそこの場では必要だった。そういう自覚があるだけに、否定もしにくい。

 

リツコが割り込む。

 

赤木リツコ「感想戦はあと」

赤木リツコ「碇君、あなたは作戦参加続行。地形選定と射線条件の確認まで付き合ってもらうわ」

 

最上イズモ「了解しました」

 

葛城ミサト「はい、今の“了解”は許す」

 

その一言だけで、少しだけ空気が戻る。

 

ラミエルの映像がメインスクリーンで静かに光っている。

動かないくせに、圧だけは強い。

こちらの準備を見ているのか、それとも関係なく次の砲撃タイミングだけを測っているのか、顔のない相手の思考は読めない。

 

それでも今、こちらには一本の線ができた。

 

旧米軍衛星レーザー。

高出力レーザー砲。

山体遮蔽。

一撃必中。

 

そしてその中心に、初号機を射手として置く。

 

ミサトが少しだけ声を落とす。

 

葛城ミサト「……撃てるの?」

 

問いは作戦ではなく、自分に向いていた。

 

イズモは少し考える。

 

ラミエルを抜くための火力。

待ち続ける精神負荷。

一撃に全てを乗せる緊張。

失敗した時の被害。

 

どれも軽くはない。

たぶん、かなりきつい。

それでも。

 

最上イズモ「撃つしかないなら、撃ちます」

 

ミサトはそこで小さく目を閉じる。

 

葛城ミサト「やっぱりそう言うのよね」

 

最上イズモ「言い方を変えますか」

 

葛城ミサト「変えなくていい」

 

彼女はモニターへ向き直る。

 

葛城ミサト「ただ、絶対当てなさい」

葛城ミサト「二発目の余裕なんて作りたくない」

 

最上イズモ「はい」

 

それだけ返して、イズモもラミエルを見る。

 

静かな敵。

巨大な準備。

一撃で決まるか、全部が崩れるか。

 

作戦としては明快だった。

だからこそ、ここから先は技術ではなく、どれだけ“待ち”に耐えられるかの勝負になる。

 

そしてその待ち時間の長さを、発令所の誰もがまだ正確には想像していなかった。

 

山の夜は、街の夜よりずっと静かだった。

 

最上イズモはエントリープラグの内部で、薄暗いモニター光を見つめたまま呼吸を整えていた。作戦名だの電力集束だの、そういう大きな言葉は発令所に置いてきた。今ここに残っているのは、待機という、ひどく地味で神経を削る時間だけだ。

 

初号機は山体の陰に伏せるように配置されている。

 

狙撃姿勢。

最小露出。

ラミエルの射線から外れた待機位置。

 

理屈は完璧だった。完璧だからこそ、あとは人間側の消耗がじわじわ表に出る。

 

LCLの温度は一定だ。

計器類も落ち着いている。

神経接続も今のところ問題ない。

 

なのに、静かすぎる。

 

静かな相手を撃つ前の時間は嫌いだ。

殴り合いなら、痛みも動きも反応もある。やることが多いぶん、考えすぎなくて済む。だがラミエル戦は違う。やるべきことが少ない。少ないから、その少ない一点へ神経が集まり続ける。

 

回線の向こうで、オペレーターの声が時折走る。

電力網の切り替え。

衛星レーザーの軌道補正。

高出力砲の冷却状況。

どれも重要で、どれも今この瞬間の自分には触れられない項目だ。

 

待つしかない。

 

その時、別回線の接続音が短く鳴った。

 

綾波レイ『……聞こえる?』

 

イズモは少しだけ目を上げる。

 

最上イズモ「聞こえます」

 

数秒の沈黙。

 

綾波は、必要がなければ喋らない。だからこそ、この接続自体が少し珍しい。発令所の指示とは別系統の、パイロット間の低優先回線だろう。

 

綾波レイ『待機が長いから、接続負荷を落とすために会話を入れるそうよ』

 

なるほど、とイズモは思う。

 

リツコか、ミサトか、そのあたりの判断だろう。沈黙が長いほど、意識は一点へ固まりやすい。固まれば、次の一射に全てが乗る。必要な集中ではあるが、過剰になれば折れる。

 

最上イズモ「合理的ですね」

 

綾波レイ『そう』

 

また少し沈黙。

 

綾波との会話は、たいていこういう間が落ちる。気まずくはない。ただ、互いに無駄な埋め草を持っていないだけだ。

 

外では風が吹いているはずなのに、プラグ内部では何も感じない。山の匂いも、冷気も、全部装甲の外だ。人間が巨大な人造人間の中へ入り、さらにその中で山陰へ潜んでいる。構造だけ取り出せば、ひどく奇妙だ。

 

綾波レイ『昨日、司令に呼ばれていた』

 

イズモは少しだけ眉を動かす。

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ『何を言われたの』

 

最上イズモ「次も出る、と」

 

綾波レイ『そう』

 

その返しに感情はない。

ただ、彼女の中でその答えがすでに予想範囲だったのだと分かる。

 

綾波レイ『碇君は、前から乗る理由を探していた』

 

イズモは黙って聞く。

 

綾波レイ『あなたは、理由を切る』

 

その表現に、少しだけ考える。

 

最上イズモ「そう見えますか」

 

綾波レイ『見える』

 

即答だった。

 

綾波レイ『必要か、必要ではないか』

綾波レイ『今やるべきか、今ではないか』

綾波レイ『あなたはそこから先をあまり増やさない』

 

増やさない。

 

たしかにそうだ。

理由を増やすと、判断の軸がぶれる。特に死が近い場所では、感情的な大義名分ほど危ない。守りたい、救いたい、期待に応えたい、そういうものは全部あとからついてくる。最初に握るのは優先順位だけでいい。

 

綾波レイ『それは、楽なの』

 

質問に聞こえなかった。

でも、たぶん質問だった。

 

最上イズモ「楽ではありません」

 

綾波は少しだけ黙る。

 

綾波レイ『そう』

 

その一音だけで、妙に会話が成立した気がする。

 

綾波もまた、理由の少ない人間だ。司令に言われたから。必要だから。そういう細い線の上で立っている。だからこそ、こちらの“切る”を彼女は見分けられるのかもしれない。

 

最上イズモ「あなたは」

 

言葉を置いてから、少しだけ間を取る。

 

最上イズモ「待機時間は苦手ですか」

 

綾波レイ『あまり好きではない』

 

意外ではない。だが、彼女が“好きではない”と表現したことの方が少し珍しい。

 

綾波レイ『何もしていない時間は、必要性が薄くなる気がするから』

 

イズモは目を細める。

 

よく分かる、とは簡単に言えない。だが近いものはある。動いていれば役割がある。待っていれば、役割は未来へ延期される。その空白に、自分の輪郭まで薄くなる感じが出ることがある。

 

最上イズモ「必要性が薄いのではなく、先送りされているだけです」

 

綾波レイ『……碇君は、そういう言い方をしない』

 

最上イズモ「でしょうね」

 

綾波レイ『でも、少し分かる』

 

回線の向こうで、彼女もまた待機している。

零号機か、もしくは支援位置からこちらを見ているのか。

山陰に隠れた初号機と、別系統で待つ彼女。その両方が、ラミエルの一撃を前にして静かに時間を削っている。

 

綾波レイ『あなた、怖いの』

 

また直球だった。

 

イズモは一度、呼吸を浅く整える。

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ『砲撃が?』

 

最上イズモ「待つことが、です」

 

今度は綾波が少しだけ黙る番だった。

 

綾波レイ『私は、撃たれることの方が怖い』

 

最上イズモ「そうですか」

 

綾波レイ『待っている間は、まだ壊れていないから』

 

その返しが、妙に彼女らしかった。

 

綾波はたぶん、未来の破壊を具体で捉える。撃たれる。壊れる。そういう一点の方が怖い。こちらは逆に、その一点までにある“待機の濃さ”の方が嫌だ。まだ何も起きていないのに、意識だけが先に先に摩耗する。

 

最上イズモ「あなたは、こういう作戦に慣れていますか」

 

綾波レイ『慣れてはいない』

綾波レイ『でも、従うのは慣れてる』

 

その言葉に、少しだけ眉が寄る。

 

綾波の“従う”は、シンジの“従う”とも違う。もっと深く、自分を切って命令に合わせる感じがある。だからこそ危うい。

 

最上イズモ「嫌では」

 

綾波レイ『嫌という感覚が、うまく分からない時がある』

 

それは、あまりに静かな告白だった。

 

イズモはすぐには返せない。

 

発令所のざわめきが遠くで走っている。

衛星レーザーの出力調整。

地上砲の冷却系。

電圧安定。

秒単位で変わる数字。

そのどれよりも、今の綾波の一言の方が重かった。

 

最上イズモ「……では、嫌ではないのではなく」

 

言葉を選ぶ。

 

最上イズモ「判定が遅いだけかもしれません」

 

綾波はしばらく返事をしなかった。

 

沈黙が長い。

けれど回線は切れていない。

 

やがて、ほんの少しだけ息が混じる。

 

綾波レイ『あなた、時々そういうことを言う』

 

最上イズモ「困りますか」

 

綾波レイ『困る』

綾波レイ『でも、嫌ではない』

 

その返しに、イズモは少しだけ目を閉じる。

 

やはり、この少女は危ういところでこちらの言葉を受け止める。拒絶せず、肯定しすぎもせず、ただ自分の中へ落として確かめる。その速度が静かで、少し怖い。

 

外部回線が一段強く開く。

 

オペレーター『衛星レーザー照射準備、最終段階!』

オペレーター『地上高出力砲、収束安定まで残り二一〇秒!』

 

時間が急に輪郭を持つ。

 

待機の終わりが見えた瞬間、逆に心拍が一段上がる。ここから先はもう、会話で散らせる時間ではない。

 

綾波レイ『碇君』

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ『あなたは、たぶん私より“待ち”が苦手』

 

最上イズモ「否定しません」

 

綾波レイ『でも、撃つ時は外さない感じがする』

 

その言葉に、少しだけ呼吸が変わる。

 

根拠の説明はない。

励ましにしては淡白だ。

けれど、綾波なりの見え方なのだろう。昨日までの戦闘と、今の待機中の会話を並べて、その印象だけを静かに渡してくる。

 

最上イズモ「撃てるよう努力します」

 

綾波レイ『うん』

 

そこで彼女は一拍置き、少しだけ声を落とした。

 

綾波レイ『死なないで』

 

短い。

ひどく短い。

だからこそ、回線越しでも重い。

 

イズモは一瞬だけ返答を失う。

 

綾波からそういう言葉が出ること自体より、その温度の方に少しだけ意表を突かれた。命令でも、期待でも、役割でもない。ただ、個人としてそこへ置かれた言葉。

 

最上イズモ「はい」

 

返せたのは、それだけだった。

 

綾波レイ『……うん』

 

回線が静かに閉じる。

 

同時に、発令所の声が一気に近くなる。

 

葛城ミサト『最終フェーズ移行! 初号機、狙撃姿勢へ!』

赤木リツコ『衛星照射後のフィールド応答、0.8秒以内に主砲発射よ! それを過ぎたら抜けないと思いなさい!』

伊吹マヤ『照準系同期開始! 碇君、頭部角固定、誤差補正こちらで送ります!』

 

待機時間は終わった。

 

ラミエルはまだ静かだ。

だが、その静けさの中で、次の一撃がこちらを待っている。

 

イズモは初号機の狙撃姿勢へ意識を沈めながら、ほんの少しだけさっきの回線を思い出す。

 

死なないで。

 

その一言だけが、待機の中で削れかけていた輪郭を少しだけ引き戻した気がした。

 

恐怖は消えていない。

むしろ今の方が濃い。

 

それでも、待ち続けた先で撃つ理由としては十分だった。

狙撃姿勢へ移ると、初号機の世界が一気に細くなった。

 

最上イズモはLCLの中で呼吸を整えながら、照準の中心へ意識を沈める。ラミエルは遠い。遠いのに、モニター越しではなく神経の奥でこちらを見ている感じがする。正八面体の輪郭は静かだ。静かすぎて、次の変形がどの瞬間に砲口へ変わるのか、逆に想像しづらい。

 

山体の陰に伏せた初号機は、機体のほとんどを隠したまま、頭部と砲のラインだけを最小限で通している。

 

重い。

 

高出力レーザー砲は、武装というより建造物の一部を無理やり肩へ預けられているみたいな感覚だった。通常兵装の重量バランスではない。支えるだけで機体全体の関節負荷が変わる。少しでも姿勢を崩せば、照準だけでなく機体側が先に持っていかれる。

 

伊吹マヤ『照準補正、第一段階終了! 機体ブレ値、許容範囲です!』

 

赤木リツコ『衛星照射まで残り九十秒! 焦る必要はないわ、でも一回でも動揺したら終わりよ』

 

葛城ミサト『碇君、聞こえる?』

 

最上イズモ「聞こえています」

 

葛城ミサト『今からは“当てる”じゃなく、“当たる形を待つ”に切り替えなさい』

葛城ミサト『自分から撃ちに行くな。来る瞬間だけを待つの』

 

その言い方に、少しだけ口元が緩みそうになる。

 

いま必要な整理が、まさにそれだった。撃たなければならないと思うと焦る。だが、これは“撃てる瞬間を拾う”作業だと切り替えれば、待機そのものが作戦へ変わる。

 

最上イズモ「了解しました」

 

葛城ミサト『うん。その“了解”は許す』

 

短いやり取りで、胸の奥の緊張がほんの少しだけ形を変える。

 

ラミエルは動かない。

 

だが、動かない敵ほど厄介だ。変化の予兆が少ない。こちらの待ち疲れが先に表へ出る。時間はまだ一分以上あるのに、体感ではもう十分長い。神経接続の上からさらに一点照準を維持しているせいで、頭の奥だけが先に擦り減る。

 

綾波との回線は切れている。

けれど、最後の一言だけがまだ耳に残っていた。

 

死なないで。

 

余計な感傷に変えるつもりはない。

ただ、その言葉は“当てろ”よりもずっと姿勢を安定させる。失敗の先にあるのが任務失敗だけではなく、自分の死でもあると、妙に静かに思い出させるからだ。

 

オペレーター『旧米軍衛星レーザー、照射軌道確定!』

オペレーター『主砲側出力、八七%……九一%……九五%……!』

 

マヤの声が走る。

 

伊吹マヤ『初号機側照準固定! 碇君、今からは補正が少し遅れます! 細かいブレは自分で殺してください!』

 

最上イズモ「分かりました」

 

目の前のラミエルが、ほとんど彫像みたいに静かだ。

 

あの静けさの奥に、街を蒸発させる一撃が眠っている。その事実だけを必要最低限で頭へ置く。怖い。たしかに怖い。でも、怖さの輪郭がある方がまだ扱える。

 

赤木リツコ『衛星照射、三、二、一――』

 

空が落ちたみたいな光が走った。

 

衛星レーザー。

 

山陰からでも分かるほど、空の一点が白く裂け、遅れてラミエルの周囲で光が弾ける。直撃。だが貫通ではない。予想通りだ。ラミエルのA.T.フィールドが前面で受け止め、その表面が一瞬だけ揺らぐ。

 

揺らいだ。

 

ほんの僅かだ。

だが、分かる。

押し返しのために応答が“前へ”寄った。

 

マヤが叫ぶ。

 

伊吹マヤ『今です!』

 

イズモはもう動いていた。

 

初号機の頭部を最小角で起こし、砲軸をほんの僅かだけ上げる。ラミエルの中心。いや、その少し手前。フィールド応答の揺れが最も薄くなる一点へ、照準を押し込む。

 

そして、ラミエルが動く。

 

変形。

早い。

衛星レーザーの光が消えるより先に、その面の一つが砲口へ開き始める。

 

来る。

 

相手もこちらを読む。

だからこそ、今の一射は本当に一瞬しかない。

 

最上イズモ「撃つ」

 

自分に言うみたいに低く吐き、トリガーを落とした。

 

主砲が吼える。

 

光というより、世界の一部だけが真っすぐ焼けて消えるみたいな白だった。反動が初号機全体を後ろへ押す。肩。腰。脚部固定。全部が軋む。神経接続の上から、砲の出力が骨を持たない身体へ無理やり通される。

 

ラミエルのA.T.フィールドとぶつかる。

 

抵抗がある。

見えない壁。

だが、衛星照射の揺れがまだ残っている。

押し返しが一拍遅い。

 

通る。

 

ラミエルの中心へ、白い線が沈んだ。

 

同時に、向こうの砲口が完全に開く。

 

遅い。

 

いや、向こうも速い。

ただ、こちらが先だった。

 

ラミエルの中枢が光る。

亀裂のような線が内部へ走る。

次の瞬間、敵の砲撃が放たれる寸前の形で止まり、そのまま全体が崩れるように裂けた。

 

轟音は遅れてきた。

 

爆発ではない。

高出力構造が限界ごと壊れる時の、嫌に透き通った破砕音。山を揺らす衝撃。白い閃光。遅れて押し寄せる熱波。

 

初号機が姿勢を崩す。

 

主砲の反動と緊張の解放が同時に来た。山陰から完全には外れていない。だが脚の踏ん張りが一瞬遅れ、機体が横へ流れかける。

 

伊吹マヤ『初号機姿勢崩れます!』

 

最上イズモ「まだ――」

 

歯を食いしばる。

 

ここで倒れると、砲架ごと山体へ持っていかれる。二次損傷が出る。戦闘は終わっても、そこで終わりじゃない。

 

初号機の左脚へ意識を集中する。山肌。接地。重心。砲を持った側へ流れた分を、腰の回転で逆へ戻す。関節が悲鳴を上げる。神経の奥へ痛みが走る。だが、倒れ切る前に止まった。

 

ギリギリだった。

 

発令所の向こうが一瞬だけ静まる。

 

そして、マヤの声が割れる。

 

伊吹マヤ『目標……目標、崩壊! ラミエル、完全停止確認!』

 

遅れて、部屋全体が再起動するみたいに音を取り戻す。

 

葛城ミサト『全周警戒継続! 二次反応確認! 周辺温度上昇に注意!』

赤木リツコ『主砲冷却急げ! 初号機の神経接続、過負荷域手前よ、これ以上は維持させないで!』

 

イズモはLCLの中で、すぐには言葉が出なかった。

 

当たった。

 

ラミエルは落ちた。

 

それだけは分かる。分かるのに、まだ身体が“終わった”へ切り替わらない。待機の長さと、一撃の圧と、撃ち返される寸前だった事実が、神経のどこかへ残ったまま離れない。

 

葛城ミサト『碇君! 聞こえる!?』

 

最上イズモ「……聞こえています」

 

声が少し掠れる。

 

葛城ミサト『よし。そのまま。今はもう撃たなくていいわ』

 

その一言で、ようやく肩の奥に入っていた力が少しだけ抜ける。

 

撃たなくていい。

 

単純な確認なのに、待ちの中で削れていた何かをゆっくり戻してくる。

 

KAEDEの資料や、X号機のことを思い出す余裕はない。ただ一つだけ、これが“狙撃戦”だったことが遅れて身体へ落ちてくる。

 

近接戦より静かで、近接戦よりよほど怖い。

 

綾波の声が別回線で小さく入る。

 

綾波レイ『当てたのね』

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ『うん』

 

それだけだった。

 

でも、その“うん”の中に、いくつかの意味がまとめて入っていた。確認。安堵。多分、少しだけの信頼。

 

初号機のプラグ内で、イズモはゆっくりと目を閉じる。

 

目を閉じても、白い残像がまだ残っている。ラミエルの崩壊。光の線。砲口が開く瞬間。全部が焼きついている。

 

怖かった。

 

はっきりそう思う。

 

そして、もう一つ。

 

待てた。

 

それもまた、事実だった。

 

発令所の向こうで、冬月が低く言う声が混じる。

 

冬月コウゾウ『まるで最初から知っていたような案だったな』

 

ゲンドウは何も答えない。

だが、その沈黙が答えみたいなものだった。

 

イズモはそのやり取りを遠く聞きながら、まだ熱の残る神経の奥で一つだけ確かめる。

 

ラミエル戦は終わった。

だが、この一戦でまた別の前例が生まれた。

 

“待って、撃つ”

“案を出し、通し、当てる”

その全部が繋がった時、NERV側の見え方はまた一段変わる。

 

それを思うと、戦闘後の安堵と同じくらい別の疲労が胸へ沈む。

 

それでも今は、まだその先まで考えなくていい。

 

イズモはゆっくり息を吐き、熱を持ったLCLの中で、当たった一射の重さだけをしばらく静かに受け止めていた。

 

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