碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ   作:最上 イズモ

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同じ名前違う役割

兵装管理区画の閲覧室は、整備ハンガーよりも静かだった。

 

碇シンジは端末の前に座ったまま、目の前の画面を何度も見返していた。X号機を見た日のあと、しばらくは関連資料の閲覧を控えるつもりでいた。あれ以上一度に飲み込むと、自分の中で何かが変に固まりそうだったからだ。

 

けれど、控えたところで気にならなくなるわけじゃなかった。

 

知らないままの方が怖いこともある。

 

だから今日は、KAEDEに頼んで“エヴァンゲリオン関連運用資料の外縁だけ”を見せてもらっていた。主機密へ踏み込まず、運用体系の輪郭だけを確認する。そういう約束だった。

 

画面には、部隊編成や兵装カテゴリ、搭乗資格者区分が淡々と並んでいる。

 

人造人間兵装。

戦術級個体兵器。

対艦・対要塞・対超高出力個体。

運用階梯。

緊急招集条件。

搭乗者保護優先順位。

 

単語は冷たいのに、その裏で“人を兵器へ乗せること”が当たり前に制度化されているのが分かる。向こうの世界とは別の意味で、やはりエヴァはエヴァなのだと思う。

 

シンジは指先で画面を送る。

 

『搭乗者名簿 / EVA系列兵装運用資格者一覧』

 

そこまで見た時点で、少しだけ胸がざわついた。

 

名簿。

 

資料としては自然だ。

自然なのに、嫌な予感がする。

 

機体があるなら、乗る人間がいる。

イズモだけじゃない。

そう考えた瞬間、嫌な感じに現実味が増す。

 

名簿が開く。

 

最上イズモ。

その名前は予想通りあった。

主適合。

戦略個体運用資格。

X号機。

 

そこまではもう知っている。

 

その下に並ぶ他の名前を、シンジは何気なく流し見しかけて、止まった。

 

綾波レイ。

 

心臓が一瞬、変な打ち方をする。

 

見間違いかと思った。

だが違う。

表示されているのはたしかにその文字列だった。

 

綾波レイ。

EVA系列補助適合。

特殊同期系統。

限定任務運用資格。

 

シンジは画面へ少し身を乗り出す。

 

そのさらに少し下。

 

惣流・アスカ・ラングレー。

 

喉の奥がひどく乾いた。

 

碇シンジ「……何で」

 

声に出ていた。

 

知らない都市。

知らない兵装。

知らない技術体系。

そこへ突然、向こうの世界の名前が混ざる。

 

綾波。

アスカ。

 

画面の上に並ぶその文字が、こちらの世界の書式と整いすぎていて、逆に悪夢みたいだった。

 

KAEDE「気づきましたか」

 

いつの間にか、少し後ろに立っていたらしい。

 

シンジは振り向かなかった。

振り向けなかった。

 

碇シンジ「……何で、綾波とアスカの名前があるの」

 

KAEDEは沈黙しない。

 

その代わり、すぐに断定もしない。

 

KAEDE「あなたの世界の個人と、こちらの記録上の個人が、完全に同一存在であるとは限りません」

 

その言い方に、少しだけ呼吸が戻る。

でも、完全には楽にならない。

 

碇シンジ「じゃあ別人?」

 

KAEDE「可能性としては複数あります」

 

また、それだ。

曖昧に逃げているのではなく、断定が危険だからそう言っているのだと分かる。分かるけれど、今の自分には厳しい。

 

シンジはゆっくりと画面を指でなぞる。

 

綾波レイ。

惣流・アスカ・ラングレー。

 

文字列だけなら、向こうで何度も見てきた名前だ。

何度も呼ばれてきた名だ。

なのに、こうして“兵器搭乗者名簿”の中に収まっていると、途端に別の意味へ見える。

 

綾波がこっちにもいるのか。

アスカまで。

 

それとも、この世界が“そういう名を必要としている”だけなのか。

 

碇シンジ「……イズモは知ってるの」

 

KAEDE「はい」

 

その即答で、胸の奥に別の感情が落ちる。

 

自分だけが知らなかった。

そういう形の小さな置き去り感だ。

責めるほどではない。けれど、少しだけ苦い。

 

KAEDE「あなたへの開示が遅れたのは、情報の重なりが大きいためです」

 

碇シンジ「重なり」

 

KAEDE「はい。あなたの心理負荷を見ながら段階的に開示する必要がありました」

 

その理屈は分かる。

分かるけれど、今はまだ少しだけ息苦しい。

 

シンジは画面から目を離さず、小さく聞く。

 

碇シンジ「……この人たち、何に乗るの」

 

KAEDEが前へ出て、端末に別の情報を重ねる。

 

綾波レイの項目。

適合兵装欄。

補助機。

零式系統支援運用。

高危険域同期任務。

深層接続支援。

 

アスカの項目。

弐式系統高機動戦闘。

複数戦域対応。

機動打撃任務。

独立判断優先。

 

読むだけで、何となく性格まで見える気がした。

 

綾波は綾波らしい。

アスカはアスカらしい。

 

それがたまらなく変だった。

 

碇シンジ「……こっちでも、エヴァに乗るんだ」

 

KAEDE「はい」

 

シンジはようやく顔を上げる。

 

KAEDEの表情はいつも通りだ。

けれど、今日のこれは“ただ知識を渡す”だけでは済まないと分かっている目だった。

 

碇シンジ「何のために」

 

短い問い。

 

KAEDEはそのまま答える。

 

KAEDE「ピースギアの任務体系において、EVA系列兵装搭乗者は」

KAEDE「通常兵器では対処困難な高出力個体脅威、対艦・対要塞級戦闘、特殊同期を要する危険環境、そして局地的に一人の判断が戦線全体へ影響する局面へ投入されます」

 

向こうの世界より広い。

もっと制度化されていて、もっと整理されている。

そして、だからこそ逃げ場が少ない。

 

碇シンジ「……エヴァパイロット任務ってこと?」

 

KAEDE「近いです」

 

KAEDEは新しい画面を開く。

 

『EVA系列搭乗者 任務定義』

 

そこには、シンジが見たことのないほど整った文章で、ひどく重いことが書かれていた。

 

高危険域での戦略個体兵装運用。

通常部隊の損耗を抑えるための前線代替。

精神・神経同期系を用いた兵装制御。

個人適合に依存する戦局打開任務。

生還優先。ただし戦線維持不能時は遅滞任務へ移行。

 

生還優先。

 

その一語だけで、少しだけ目が止まる。

 

向こうの世界には、そこまできれいに書かれていなかった。

少なくとも、自分の目にはそう見えなかった。

“乗れ”はあった。

“必要だ”もあった。

でも、“生還優先”を最初に置く文章は、あまり記憶にない。

 

KAEDE「ピースギアのEVA搭乗者任務は、兵装との高深度接続を前提とします」

KAEDE「そのため、技能だけでなく、精神負荷管理と運用後保護が制度として組み込まれています」

 

シンジは目を細める。

 

碇シンジ「……保護されるの」

 

KAEDE「はい」

 

碇シンジ「乗った後に?」

 

KAEDE「はい」

 

シンジは一度、画面から完全に目を離した。

 

兵器に乗る。

高深度接続。

危険任務。

そこまでは向こうと同じだ。

 

でも、そのあとに“保護”がある。

制度として。

最初から。

 

その差が、思っていた以上に大きかった。

 

向こうでは、エヴァを降りた後も“次の出撃”がすぐ隣にあった。痛みも、疲労も、恐怖も、全部が次の必要に押し流される感じだった。もちろんミサトは気にかけてくれた。リツコもデータは見ていた。けれど、最初から“搭乗後保護”という枠組みが前提だったわけではない。

 

こっちは違う。

 

最初から、壊れる前提で作られている。

 

それは優しさにも見える。

でも同時に、この世界がどれだけ人を兵器へ乗せることに慣れているかの証拠にも見えて、やっぱり少し怖い。

 

碇シンジ「……それで綾波とアスカも?」

 

KAEDE「任務体系上は同様です」

 

シンジはゆっくりと息を吐く。

 

この世界の綾波。

この世界のアスカ。

もし本当に“向こうに近い誰か”なら、どうなるんだろう。

 

綾波は、こっちでもあの静かな顔で乗るのか。

アスカは、こっちでも自分で前へ出るのか。

 

想像ができるようでいて、できない。

なぜなら自分が知っている二人は、向こうの世界で、向こうの文脈の中にいたからだ。

 

碇シンジ「会えるの」

 

KAEDEは少しだけ沈黙した。

 

KAEDE「可能性はあります」

 

その答え方が、逆に現実味を増す。

 

もう単なる名簿上の偶然では済まない気がした。

 

シンジはもう一度、綾波の項目を開く。

適合階梯。

任務区分。

接続制限。

保護権限。

 

そこに小さく、運用注記がついていた。

 

『高深度接続時は個人意思の明確確認を優先すること』

 

その一文が、妙に刺さる。

 

意思の確認。

ちゃんと書かれている。

綾波に対して。

この世界では。

 

アスカ側には別の注記がある。

 

『単独判断能力を尊重すること。ただし過負荷時は強制停止権限を上位側が保持』

 

それもまた、アスカらしい気がした。

 

強い。

勝手。

先に行く。

だから止める権限も必要。

 

名簿と一緒に、こういう細かい運用思想まで置かれていることが、この世界の奇妙な誠実さだった。

 

KAEDE「質問がありますか」

 

シンジはしばらく考える。

 

いっぱいある。

でも、その全部を一度に聞くとまた整理が追いつかない。

 

だから、いちばん大きいところだけを選ぶ。

 

碇シンジ「……ピースギアの任務って、何を守るの」

 

KAEDEはその問いに、少しだけ声を落とした。

 

KAEDE「生存圏です」

 

短い。

 

だが、その言葉の意味は広い。

 

KAEDE「惑星、居住区、航路、避難民、文明基盤、接続世界」

KAEDE「ピースギアは、それらが一度に崩れる局面へ介入します」

 

シンジは黙って聞く。

 

向こうの世界では、街を守るために戦っていた。

人類を守るためとも言われた。

でも、実感としてはいつも街と、自分の目の前の人間だった。

 

こっちは違う。

守る対象の単位が大きい。

惑星。

航路。

文明基盤。

 

そこへエヴァパイロット任務が接続されている。

 

碇シンジ「じゃあ、エヴァに乗る人は」

 

KAEDE「生存圏崩壊を局地で食い止めるための、最前線個体です」

 

その言葉が、胸へ重く落ちる。

 

最前線個体。

 

兵器みたいな呼び方だ。

でも、そこに“人”を乗せる。

イズモも。

綾波も。

アスカも。

 

シンジは無意識に、自分の手を見た。

 

イズモの手。

まだ借り物の感触がある。

けれど、ここ数日でこの身体は“ただの他人の身体”から、“他人の人生ごと運んでいる身体”へ少しずつ変わってきている。

 

綾音と話したことを思い出す。

怖いと打ち明けた時のこと。

X号機を見た日のこと。

資料で魂のデータ化を見て、自分の輪郭が揺れたこと。

 

その全部が、今の名簿へ繋がっている。

 

碇シンジ「……向こうの世界のエヴァパイロットって」

 

そこで少し言葉が止まる。

 

KAEDEは待つ。

 

碇シンジ「こっちから見ると、どういう扱いになるんだろう」

 

KAEDEは少しだけ視線を和らげたように見えた。

 

KAEDE「過酷で、制度的に未成熟で、保護が不足している高危険兵装搭乗者です」

 

シンジは苦く笑いそうになる。

 

ずいぶん綺麗な言い方だ。

でも、それでいてたぶん正しい。

 

KAEDE「ただし」

 

碇シンジは顔を上げる。

 

KAEDE「その評価は、あなたたちの価値を下げるためのものではありません」

KAEDE「むしろ逆です。制度が不足した状態で、その任務を担っていたこと自体が異常に重い」

 

その言葉に、少しだけ喉が詰まる。

 

向こうの自分たちを哀れむような見方ではない。

制度の不足を切り分けた上で、それでも任務をやっていた人間の重さは別に見る。

その線引きが、ありがたかった。

 

シンジは名簿へ戻る。

 

綾波。

アスカ。

イズモ。

 

この三つの名前が同じ表の中にあることが、まだ完全には現実に見えない。

 

碇シンジ「……これ、イズモも見てたんだよね」

 

KAEDE「はい」

 

碇シンジ「何て思ったんだろう」

 

KAEDEは少しだけ考える。

 

KAEDE「記録上は、“重い再会だ”と」

 

シンジはその言い回しに目を止める。

 

再会。

 

たしかにそれが近い。

ただの同名ではない。

ただの別世界でもない。

知っている名前が、別の世界の制度の中でまた兵器搭乗者として存在している。

それは再会と呼ぶしかないのかもしれない。

 

KAEDE「続きがあります」

 

碇シンジは黙って頷く。

 

KAEDE「“だが、知っている顔へ再び兵器を背負わせるなら、今度は保護と停止の権利を先に用意すべきだ”」

 

その言葉で、シンジはしばらく動けなかった。

 

イズモらしい。

あまりにらしい。

 

向こうの世界で、自分たちはたぶん“停止の権利”をあまり持たなかった。

だから、もしこちらで同じような名前の誰かがエヴァへ乗るなら、最初から止める権利を作る。

それがイズモの答えなのだろう。

 

シンジは小さく息を吐く。

 

碇シンジ「……会いたいような、会いたくないような」

 

KAEDE「自然です」

 

今はその返しが少しだけ助かる。

 

会ったら何を思うのか分からない。

綾波の顔をした別人を前にしたら、向こうの彼女を重ねるのか。

アスカの名前を持つ別の誰かを見たら、どうしても比べてしまうのか。

 

でも、名簿で名前だけ見るよりは、いつか会った方がいい気もする。

怖いけれど、逃げたままで膨らませる方がもっと怖い。

 

KAEDE「今すぐ接触を調整する必要はありません」

 

シンジは少しだけ肩の力を抜く。

 

KAEDE「ただし、あなたが望むなら可能性は探れます」

 

その言い方は、いつも通り逃げ道と選択肢を両方置く。

 

押しつけない。

でも、閉じもしない。

 

シンジはもう一度名簿を見る。

 

綾波レイ。

惣流・アスカ・ラングレー。

 

知らない世界の中で、知っている名前だけが静かに光っていた。

 

向こうの世界では、いまイズモが自分の身体で戦っている。

こっちの世界では、自分がイズモの資料と兵器と人間関係の重さへ触れている。

そして、その途中で綾波やアスカの名まで出てくる。

 

入れ替わりは、ただ身体が入れ替わるだけじゃないのだと今さら思う。

世界同士の、重なってはいけない名前までこちらへ流れてくる。

 

シンジは端末を閉じずに、しばらく画面を見つめた。

 

兵器搭乗者名簿。

冷たい名前だ。

でも、その名簿の中に、自分の知っている誰かたちの痕跡がある。

 

それが怖くて、少しだけ救いでもあった。

 

会う前から、落ち着かないというより、感覚の置き場がなかった。

 

碇シンジは応接区画の前で立ち止まり、閉じた扉を見ていた。KAEDEは一歩前、少しだけこちらへ身体を向けている。いつもの位置だ。守るために前へ出すぎず、でも何かあればすぐ止められる距離。

 

向こう側には、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーがいる。

 

そう聞かされても、まだどこかで現実感が薄い。

名簿の文字を見た時とは違う。

今は、名前の向こうに本当に“人”がいる。

しかもたぶん、こちらの世界でエヴァに乗る人たちとして。

 

碇シンジ「……やっぱり、ちょっと変な感じ」

 

KAEDE「正常です」

 

その返しに、シンジは少しだけ息を吐く。

 

KAEDE「接触時間は短く設定しています」

KAEDE「途中で離脱も可能です」

 

碇シンジ「……うん」

 

返しながら、自分の手を見る。

イズモの手だ。

まだ借り物の感触が残っている。

その手で、綾波やアスカの名前を持つ誰かに会う。

それがひどくおかしくて、でもここまで来たらもう引き返す方がもっと気持ち悪い。

 

KAEDE「入室します」

 

扉が静かに開く。

 

最初に目へ入ったのは、白だった。

 

窓際の席に、一人。

背筋を伸ばして座っている。

白に近い色の服。

細い首筋。

静かな視線。

 

綾波だ、と思う。

そう思った瞬間に、自分で少し戸惑う。

 

顔立ちは違う。

細部も、向こうの彼女と完全に一致するわけじゃない。

けれど、空気の置き方が似ている。

喋る前から、その人の周囲だけ別の温度で時間が流れている感じ。

 

もう一人は、その正反対みたいだった。

 

ソファの肘に軽く腕を乗せ、足を組んで座っている。

赤みの強い髪。

目の強さ。

部屋へ入ってきた瞬間にこちらを測るような速い視線。

 

惣流・アスカ・ラングレー。

 

こちらも、向こうのアスカと全く同じではない。

でも、同じ名前が収まるだけの“前へ出る圧”を持っている。

 

二人とも、シンジではなくまずKAEDEを見た。

 

KAEDEが部屋の中央で立ち止まり、淡々と告げる。

 

KAEDE「本日の接触理由を先に共有します」

KAEDE「現在、最上イズモの身体・権限領域には例外事態が発生しています」

 

白い方――綾波がわずかに目を細める。

アスカは露骨に眉を上げた。

 

惣流・アスカ・ラングレー「例外事態って、また随分固い言い方ね」

 

KAEDE「必要な精度です」

 

アスカが少しだけ肩をすくめる。

その反応の速さに、やっぱり少し似ていると思う。

 

KAEDEはそのまま続けた。

 

KAEDE「最上イズモ本人ではない人物が、現在の身体と一部状況を共有しています」

KAEDE「本人意識の不在ではなく、異世界起源の入れ替わり事象と判断しています」

 

部屋の空気が、そこで明確に変わる。

 

綾波の視線が初めてシンジへ定まる。

アスカの目も、冗談半分の軽さを一瞬で捨てた。

 

惣流・アスカ・ラングレー「……は?」

 

綾波レイ「異世界」

 

KAEDE「はい」

 

惣流・アスカ・ラングレー「ちょっと待って。イズモじゃない誰かが、いまイズモの身体に入ってるってこと?」

 

KAEDE「概ね正確です」

 

アスカはソファから身体を起こした。

 

惣流・アスカ・ラングレー「概ねって何よ」

KAEDE「誤差があります」

惣流・アスカ・ラングレー「今そこ要る?」

 

綾波が静かに口を開く。

 

綾波レイ「本人は」

 

KAEDE「異世界側で生存・活動中です」

 

その説明を、二人ともすぐには飲み込めていない顔だった。

それでも混乱の出方が違う。

 

綾波は受け取った情報をそのまま自分の中へ落とし込んで整理している。

アスカは情報の異常さを先に表へ出して、そこから形を確かめようとしている。

 

シンジは喉の奥を少しだけ鳴らした。

 

碇シンジ「……はじめまして」

 

二人の視線がそろってこちらへ来る。

 

碇シンジ「僕は、碇シンジっていいます」

 

その名を口にするのは、もう何度もやっているはずなのに、この場では妙に重かった。

 

綾波の目がほんの少しだけ揺れる。

アスカは露骨に目を見開く。

 

惣流・アスカ・ラングレー「碇?」

綾波レイ「シンジ」

 

二人とも、その名前に反応した。

 

やっぱり、と思う。

こっちの世界でも、その名前はただの名前じゃないのだ。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ちょっと待って。碇って、あの碇?」

KAEDE「この文脈では、あなたが想起した対象と近い可能性が高いです」

 

アスカが額に手を当てる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「近い可能性って言い方やめてくれる?」

 

綾波はシンジを見たまま、小さく言った。

 

綾波レイ「あなたも、エヴァに乗っていたの」

 

シンジは少しだけ息を止める。

 

そこへ真っすぐ来るのが、やはり綾波らしいと思った。

 

碇シンジ「……うん」

 

惣流・アスカ・ラングレー「うわ、ほんとに?」

 

アスカの反応は早い。

驚きと興味と警戒が一気に混ざる。

 

碇シンジ「僕のいた世界でも、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーって名前のパイロットがいて」

碇シンジ「僕はその二人と一緒に、エヴァに乗ってた」

 

沈黙。

 

部屋の中の空気が、さっきまでと別の重さになる。

ただの異世界入れ替わりではない。

ここで初めて、“名前が重なっている”ことが双方へ実感として落ちたのだろう。

 

惣流・アスカ・ラングレー「……はあ」

アスカはゆっくり息を吐く。

惣流・アスカ・ラングレー「気持ち悪いくらい話が繋がるわね」

 

綾波レイ「あなたの世界の私たちは、NERVにいたの」

 

シンジは思わず顔を上げる。

 

NERV。

その単語を、ここでこの二人の口から聞くとは思わなかった。

 

碇シンジ「……うん」

 

綾波の目が、ほんの少しだけ遠くを見る。

まるで古い記録に触れるみたいに。

 

綾波レイ「そうだった」

 

アスカも、そこで変な顔になる。

驚いているようで、でも完全に初耳でもない顔だ。

 

惣流・アスカ・ラングレー「……懐かしい響き」

惣流・アスカ・ラングレー「ネルフ、ね」

 

その言い方に、シンジは目を瞬く。

 

この二人にとっても、NERVは“過去形”の響きなのだ。

こっちの世界では、もう今の所属ではないらしい。

 

綾波レイ「私たちも、いた」

 

シンジは言葉を失いかける。

 

碇シンジ「……いた?」

 

綾波レイ「NERVに」

綾波レイ「かなり前」

 

アスカが足を組み直す。

その動作の速さが、少しだけ向こうと似ていて嫌になるくらい自然だった。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ま、こっちのNERVはあなたの世界と同じじゃないわよ」

惣流・アスカ・ラングレー「でも、エヴァに乗って、あの妙に息苦しい組織の中にいたって意味では、たぶんかなり近い」

 

“息苦しい”という言い方に、シンジの胸の奥が小さく動く。

 

向こうだけじゃなかったのか。

少なくとも、この二人の記憶の中のNERVも、やっぱりそういう場所だったのか。

 

碇シンジ「……そっちも、そうだったんだ」

 

綾波は短く頷く。

 

綾波レイ「必要、適性、任務、そういう言葉が多かった」

 

アスカが鼻で小さく笑う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「あと大人が勝手に重い顔してるのに、こっちには肝心なことあんまり言わないとかね」

 

その言葉に、シンジは思わず笑いそうになる。

笑える話ではないのに、妙に分かりすぎたからだ。

 

碇シンジ「……同じだ」

 

惣流・アスカ・ラングレー「でしょ?」

 

アスカはそこで初めて、ほんの少しだけ警戒を緩めた顔になる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「なるほどね。イズモじゃない感じがするのに、変に話が噛み合うと思ったら、そっちのエヴァ乗りだったわけ」

 

“エヴァ乗り”という言い方に、シンジは少しだけ苦くなる。

でも否定できない。

結局、自分の輪郭のかなり大きな部分をそれが占めていたのだろう。

 

綾波レイ「あなたは、いまここが怖い?」

 

問いは静かだった。

でも、優しさというより確認の精度が高い。

 

シンジは少し考える。

 

怖い。

それは本当だ。

魂のデータ化も、X号機も、兵装名簿も、こっちの世界は優しい顔をしながら向こうの世界よりずっと深く兵器と人間を結びつけている。

 

でも、今はそれだけじゃない。

 

碇シンジ「……前よりは、少しだけ」

 

綾波の目がわずかにやわらぐ。

 

綾波レイ「そう」

 

アスカは机の上へ片肘をつき、興味を隠さずこちらを見る。

 

惣流・アスカ・ラングレー「で? あっちの私ってどんな感じだったの」

 

いきなりそこへ行くのが、すごくアスカらしかった。

 

シンジは一瞬だけ言葉に詰まる。

 

本人を前に“向こうの本人”の話をする。

かなり危うい。

でも、ここで変に濁す方が気持ち悪い気もした。

 

碇シンジ「……強かった」

碇シンジ「前に出るし、自分でできるって信じてて」

碇シンジ「たまにきつかったけど、でも、そのきつさがないと前へ進めない時もあった」

 

アスカが数秒黙る。

 

それから、ふっと視線を逸らした。

 

惣流・アスカ・ラングレー「……ふーん」

 

照れているのか、警戒しているのか、両方なのか。

少なくとも完全に嫌ではなさそうだった。

 

綾波が次に聞く。

 

綾波レイ「私は」

 

シンジはそちらを見る。

 

碇シンジ「……静かだった」

碇シンジ「でも、何もないんじゃなくて、ずっと奥に何か置いてる感じで」

碇シンジ「こっちの綾波も、少し似てる」

 

綾波は少しだけ目を伏せる。

 

綾波レイ「そう」

 

それだけ返したが、その一語の中で何かを確かめているのが分かった。

 

KAEDEはそれまで会話へほとんど入らなかった。

必要な時だけ枠を整えるつもりなのだろう。

 

KAEDE「補足します」

KAEDE「本接触は情報共有と相互負荷確認が目的です」

KAEDE「比較による同一視は推奨しません」

 

惣流・アスカ・ラングレー「分かってるわよ」

 

アスカは少しだけ眉を上げる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「でも、同じ名前で、エヴァに乗ってて、ネルフにもいた、ってとこまで並んだら、そりゃ比較くらいするでしょ」

 

KAEDE「はい。した上で固定しないことが重要です」

 

綾波が小さく言う。

 

綾波レイ「違う世界だから」

 

その一言で、少しだけ空気が整う。

 

シンジも頷く。

 

碇シンジ「うん」

碇シンジ「たぶん、そこを混ぜすぎると、よくない」

 

アスカが腕を組む。

 

惣流・アスカ・ラングレー「でも、少なくとも一つは分かった」

 

碇シンジ「何」

 

惣流・アスカ・ラングレー「イズモの身体に入ってるからって、ただの観光客じゃないってこと」

惣流・アスカ・ラングレー「あなた、自分の世界でも前線にいたんでしょ」

 

シンジは少しだけ息を詰める。

 

観光客じゃない。

その言い方は少しきつい。でも、ありがたかった。

ただ守られているだけの異世界人ではなく、自分もまた向こうでエヴァに乗っていた人間としてここへいる。

それを、この二人はちゃんと見ようとしている。

 

碇シンジ「……うん」

 

綾波がその返事を受けて、静かに続ける。

 

綾波レイ「じゃあ、あなたも知ってる」

綾波レイ「エヴァに乗る任務は、兵器の運用だけじゃない」

 

シンジは顔を上げる。

 

綾波レイ「乗る前に決められること」

綾波レイ「乗ったあとに残るもの」

綾波レイ「降りたあとに、まだ身体の中に残る圧」

 

その言葉は、向こうとこっちの両方に通じる感じがした。

 

碇シンジ「……知ってる」

 

惣流・アスカ・ラングレー「だったら話早いじゃない」

 

アスカはそこで少しだけ前へ身を乗り出す。

 

惣流・アスカ・ラングレー「こっちのエヴァ任務も、結局そこなのよ」

惣流・アスカ・ラングレー「機体が違っても、戦場が宇宙でも、乗る側に残るものはそんなに綺麗に変わらない」

 

シンジは黙って聞く。

 

たしかにそうかもしれない。

X号機は恐ろしい兵器だった。

宇宙戦艦を相手にする、向こうとは比較にならないスケールの戦いが前提だ。

でも“乗る側に残るもの”の話になると、急に距離が縮まる。

 

綾波レイ「NERVにいた時も、そうだった」

 

また、その言葉だ。

 

懐かしむように。

でも、美化はせずに。

 

惣流・アスカ・ラングレー「そうね」

惣流・アスカ・ラングレー「息苦しかったし、面倒だったし、あんまり思い出したい職場ではないけど」

惣流・アスカ・ラングレー「それでも、あそこでエヴァに乗ってた感覚だけは今も残ってる」

 

シンジの胸の奥に、妙な温度が落ちる。

 

この二人も、NERVを“過去”として持っている。

そして、その記憶を完全に切り離しているわけではない。

 

碇シンジ「……会えてよかったかも」

 

口にしてから、少しだけ恥ずかしくなる。

でももう遅い。

 

綾波は小さく頷いた。

 

綾波レイ「私も」

 

アスカは少しだけ肩をすくめる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「まあ、悪くはないわね」

 

その返しが妙にちょうどよくて、シンジは少しだけ息を抜く。

 

KAEDEが会話の区切りを測るように言う。

 

KAEDE「本接触は予定時間へ到達します」

 

短い時間だった。

けれど、思っていたよりずっと濃かった。

 

綾波が最後にシンジを見る。

 

綾波レイ「また必要なら話せる」

 

アスカも続ける。

 

惣流・アスカ・ラングレー「今度はもう少し、向こうの話も聞かせなさいよ」

惣流・アスカ・ラングレー「ネルフの愚痴ならたぶん噛み合うし」

 

シンジは思わず少し笑ってしまう。

 

碇シンジ「……うん」

 

立ち上がる。

去る前に、もう一度だけ二人を見る。

 

綾波。

アスカ。

 

違う。

でも、ただの別人でもない気がする。

少なくとも、“エヴァに乗って、NERVにいて、その感覚を知っている人たち”として、ちゃんとここにいた。

 

それだけで十分だった。

 

部屋を出る直前、シンジは小さく振り返る。

 

碇シンジ「……ネルフにいた時、そうだったなって思うの、変じゃない?」

 

綾波は少しだけ考えてから答える。

 

綾波レイ「変じゃない」

綾波レイ「記憶は世界が違っても、似た形で残ることがあるから」

 

アスカは鼻で笑う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「むしろ、あの手の組織にいたなら誰でも少しは同じ顔するでしょ」

 

その言い方が妙に可笑しくて、今度はちゃんと笑えた。

 

扉が閉まる。

 

外の通路は静かだった。

けれど、さっきまでとは少し違う静けさだった。

 

名簿の中の名前が、もうただの文字列ではなくなっている。

向こうの世界の綾波やアスカと同じではない。

でも、“エヴァに乗って、NERVにいて、その重さを知っている誰か”として、自分の中にちゃんと着地した。

 

KAEDE「負荷は」

 

碇シンジ「……ある」

 

正直に言う。

 

碇シンジ「でも、前みたいな怖さじゃない」

 

KAEDEは小さく頷く。

 

シンジは歩き出す。

 

借り物の身体のまま、

別世界の綾波やアスカと会って、

NERVの名を共有した。

 

そのことが何を意味するのか、まだ全部は分からない。

でも少なくとも、もう一人で名簿を見つめていた時の怖さとは違う場所に来ている気がした。

 

それだけで、今日の接触には十分な意味があった。

 

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