碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
完成披露会の空気は、戦場より嫌な種類の張り方をしていた。
最上イズモは招待客用の通路を歩きながら、壁面ガラスの向こうに見える巨大な機体を見上げた。人型。鋼鉄の塊。エヴァとも違う、兵器としての理屈を前面へ押し出した形。人間を模したというより、人間型であることに意味を与えようと無理に組まれたような輪郭。
ジェットアローン。
名前だけは軽い。だが、中に抱えているものは重すぎる。
原子炉搭載型。
無人。
長時間稼働。
エヴァに頼らない次世代主力。
説明用パネルに並ぶ文言は、どれも正しく見える。
エネルギー自立。
運用コスト低減。
人的負担の削減。
抑止力の平準化。
そこへ“安全性”まで並んでいるのを見た瞬間、イズモは視線を止めた。
安全性。
その一語だけが、この場ではいちばん信用できなかった。
葛城ミサトが横から小さく言う。
葛城ミサト「顔」
最上イズモ「何でしょう」
葛城ミサト「もうちょっと隠して」
イズモは少しだけ目を細める。
ミサトの声は軽い。
だが、その軽さの下に本気の注意がある。
ここはNERV内の発令所ではない。政治も、企業も、世論も、全部が顔を出す場所だ。イズモが正面から刺しに行けば、ただの変な子では済まない。
最上イズモ「努力はします」
葛城ミサト「その“努力します”の時、大抵もう遅いのよね」
会場は華やかだった。
照明。
壇上。
企業ロゴ。
報道関係者。
制服組。
政府関係者らしき人間。
どれも戦場の緊張とは違う。こちらの緊張は、責任の所在を曖昧にしたまま拍手できる種類のものだ。
その中心に、ジェットアローンは立っている。
無人兵器のはずなのに、何かを誇示するための立ち方をしていた。威圧感を隠していない。安全をうたう兵器ほど、こういう立たせ方をするのだと、昔の資料と現実が妙に繋がる。
最上イズモ「……嫌な立たせ方ですね」
葛城ミサト「分かるけど、今それ声に出す?」
最上イズモ「まだ小声です」
ミサトはため息を飲み込み、代わりに肩を軽く叩いた。
葛城ミサト「今日は見学」
葛城ミサト「斬るのは後」
その言い方が少しだけ可笑しくて、イズモはほんの僅かに息を抜く。
司会進行の声が響く。
JA開発責任者の挨拶。
NERVへの皮肉を遠回しに混ぜた技術礼賛。
エヴァ不要論にまでは踏み込まないが、そこへ繋がる導線だけははっきり見せる言い方。
イズモは黙って聞く。
敵意は分かりやすい方がまだ処理しやすい。嫌なのは、その敵意が“人類のため”という包装をまとっている時だ。
技術責任者が壇上で言う。
技術責任者「ジェットアローンは、暴走の危険を持つ生体兵器とは異なり、完全な制御下で運用される原子力ロボットです」
その瞬間、イズモの中で何かが切れた。
完全な制御下。
その一言だけで十分だった。
最上イズモ「確認します」
声は大きくなかった。
けれど、会場の近くにいた人間が何人か振り向くには足りた。
ミサトの横顔が少し引きつる。
止めるには半歩遅い。
技術責任者が壇上からこちらを見る。
技術責任者「何でしょう」
最上イズモ「使徒相手に、有人都市圏で、原子炉搭載機を特攻同然で使う運用ですか?」
会場が静まり返る。
一瞬前まで拍手に近い空気すらあったのに、その全部が止まる。
報道関係者がすぐ反応できない種類の言葉だった。
過激すぎる。
だが、論点が正確すぎる。
ミサトが横で小さく額を押さえる。
止めに入らない。
入れないのだろう。ここで雑に遮ると、逆に問いの正しさだけが残る。
技術責任者の顔から営業用の笑みが消える。
技術責任者「特攻、とは穏やかではありませんね」
最上イズモ「原子炉を積んだ大型機動兵器を、使徒級脅威へ有人都市圏で接触投入するなら、最悪時の挙動は核災害と大差ありません」
最上イズモ「言い方を変えますか」
ミサトが小声で言う。
葛城ミサト「変えて」
イズモは少しだけ息を整える。
最上イズモ「では訂正します」
最上イズモ「事故ではなく、予見可能な広域破綻です」
今度はもっと会場が静まった。
技術責任者が壇上で表情を固める。彼は怒っている。だが、それ以上に、この場でその論点を最初に切られたことに苛立っている顔だった。
技術責任者「ジェットアローンは厳重な安全機構を備えています」
技術責任者「冷却系、制御系、停止系は三重化され、暴走確率は理論上――」
最上イズモ「停止できない場合の話をしています」
また空気が止まる。
イズモは一歩も動かなかった。
最上イズモ「止まる前提の安全性ではなく、止まらなかった場合の被害上限です」
最上イズモ「その想定が都市圏運用に耐えないなら、思想が先に破綻しています」
ミサトが低く言う。
葛城ミサト「……怒ってるわね」
イズモは答えない。
答えなくても、たぶん今の自分の声がすべてを物語っている。怒鳴っていない。声量も上げていない。だから余計に、冷えた怒りだけがそのまま残る。
司会側が慌てて割って入る。
司会者「ご質問は後ほど技術セッションで――」
技術責任者が手を上げてそれを止める。
引けば負けだと分かっているのだろう。
技術責任者「では逆に伺いましょう」
技術責任者「あなたは、暴走の危険を持つエヴァンゲリオンの方が安全だと?」
そこへ持っていくか、とイズモは思う。
比較に逃がす。
よくある手だ。
だが、こちらもそこへは乗らない。
最上イズモ「比較の問題ではありません」
最上イズモ「危険性の種類が違う」
最上イズモ「そして、原子炉搭載型を有人都市圏で運用するなら、最悪時の避難半径と停止権限の所在が最初に議論されるべきです」
最上イズモ「今の説明には、それがなかった」
報道関係者の一部が、ようやく手元を動かし始める。
ここで“少年が企業へ噛みついた”ではなく、“論点が避難計画へ移った”と理解したのだろう。
ミサトが横で小さく息を吐く。
止めるのを諦めた時の呼吸だった。
技術責任者の口元が硬くなる。
技術責任者「机上論です」
最上イズモ「原子炉事故の机上論は、だいたい現場で血を払います」
それだけ言って、イズモは口を閉じた。
これ以上は言い合いになる。
論点を刺すのが目的で、壇上の相手を打ち負かすことが目的ではない。むしろここで引く方が、残る。
司会が慌てて進行を戻す。
拍手は起きない。
代わりにざわめきが広がる。
ミサトが隣で笑いそうな声を殺しながら言う。
葛城ミサト「今の、かなり最低」
最上イズモ「論点は正しいはずです」
葛城ミサト「そういう意味で言ってないのよ」
だが、その声色は完全な否定ではなかった。
完成披露会はそのまま続いた。
表向きには。
だが、空気のどこかに小さな亀裂が入ったまま戻らない。ジェットアローンの安全性を称える言葉が、その亀裂の上を不自然に滑っていく。
試験起動へ移る。
会場は見学エリアへ移動する。
大型モニター。
遠隔監視。
起動シークエンス。
整備員と技術者の往来。
ジェットアローンの炉が起動する。
低い振動。
唸るような駆動音。
機体各部へ走る光。
重すぎる機械が、自分の内部に熱源を持って立ち上がる時の不気味さがあった。
イズモはその起動を見ながら、嫌な確信だけを強めていく。
綺麗すぎる。
説明が。
流れが。
ここまでのデモンストレーションが、“上手くいく前提”に寄りすぎている。
最悪時の話をしたのに、それでもなお現場の空気が“成功のお披露目”に戻ろうとしている。その戻り方そのものが危ない。
モニターに異常値が一つ走った。
小さい。
見逃してもおかしくない程度。
だがイズモの視線はそこで止まる。
最上イズモ「……制御遅延」
葛城ミサト「何?」
次の瞬間、警告音が鳴る。
オペレーターの声が一気に崩れる。
オペレーター「待って、制御信号に応答が――」
別の技術者「停止命令再送!」
オペレーター「通りません! 遅延しています!」
会場の空気が一瞬で変わる。
披露会のざわめきではない。
事故直前のざわめきだ。
技術責任者が声を張り上げる。
技術責任者「落ち着け! 再送すれば――」
最上イズモ「再送で止まる系なら最初の遅延が出た時点で戻しています」
ミサトが横で低く言う。
葛城ミサト「うわ、完全にキレてる」
だがもう、そんなことを言っている段階でもなかった。
ジェットアローンの歩行が乱れる。
完全な暴走ではない。だが、停止手順へ入らないまま、自律補正だけで運動を継続し始める。こういう時が一番危ない。完全停止でも完全暴走でもなく、“中途半端に進む”。そのせいで現場の人間が、まだどうにかなると錯覚する。
イズモは一歩前へ出た。
最上イズモ「爆発半径」
誰に言うでもなく、まずそこだった。
ミサトが即座に反応する。
葛城ミサト「原子炉規模、都市圏、現位置からの避難導線――」
最上イズモ「最悪時、直近区画壊滅」
最上イズモ「中距離まで熱・破片・二次災害」
最上イズモ「披露会場を先に空にしてください」
そこまで言って、イズモは技術責任者を見る。
最上イズモ「まだデモを続ける気ですか」
技術責任者は顔色を失っていた。
先ほどの強気は消えている。
だが、消えていてなお判断が遅い。人は、自分の作ったものの失敗を、他人の失敗より遅れて理解する。
技術責任者「停止コードを――」
最上イズモ「手段を聞いているんです」
最上イズモ「止まる希望ではなく、止める手段を」
その言葉で、ようやく技術者たちの視線が一つに収束する。
夢から覚めたような顔で、現場の誰かが叫ぶ。
技術者「非常停止プログラムを直接書き換えるしか……!」
ミサトが即座に端末を奪うように受け取る。
葛城ミサト「それ、どこから!?」
技術者「内部アクセス点が炉心近くにあります!」
イズモの中で怒りが完全に輪郭を持った。
最上イズモ「……有人都市でそれをやらせるんですか」
声は低かった。
低いまま、怒りだけがはっきりしている。
葛城ミサトがその横顔を一瞬だけ見る。
たぶん、ここまで冷えた怒り方を初めて見たのだろう。
イズモはもう迷わなかった。
最上イズモ「葛城さん、避難優先」
最上イズモ「会場から報道を下げてください」
葛城ミサト「あなたは」
最上イズモ「止めに行きます」
技術責任者が息を呑む。
技術責任者「待て! 君に何が――」
最上イズモ「少なくとも、止まる前提で立っていません」
それだけ残して、イズモは走った。
会場の喧騒が背中へ遠ざかる。
JAは動き続けている。
原子炉を抱えたまま。
有人都市圏で。
まさに自分が数十分前に言った通りの最悪へ向かって。
通路を抜ける。
緊急動線へ入る。
ミサトの声が通信へ飛び込んでくる。
葛城ミサト『碇君! 無茶はしないで!』
最上イズモ「無茶の定義を」
葛城ミサト『今それ言う!?』
そのやり取りだけが、わずかに意識を繋ぐ。
ジェットアローンの内部へ入るアクセスルートは狭かった。
整備前提の構造だ。
人が命がけで潜るためには作られていない。
だからこそ余計に腹が立つ。
設計の中心に“異常時に人が死ぬ導線”が置かれている兵器を、披露会で笑顔のまま見せた。その構造そのものに、怒りが鋭くなる。
イズモは内部ハッチを抜ける。
熱い。
まだ暴走には至っていない。だが、炉の熱と制御系の負荷が通路の空気を少しずつ狂わせている。足元の振動も一定ではない。機体が“止まりきれないまま動いている”ことが、床越しに分かる。
非常停止端末へ辿り着く。
古い。
そして嫌になるほど、思想が見える。
通常運用時の効率が優先され、異常停止時の単純さが後回しにされている。
平時に美しい設計は、非常時に人を殺す。
イズモは端末へ手を伸ばした。
認証。
再送。
失敗。
予備系へ迂回。
遅延。
最悪だ。
最上イズモ「……そういう作りですか」
吐き捨てるように言う。
発令所ではなく、ここには自分一人しかいない。だからこそ、言葉が少し荒くなる。
KAEDEもいない。
綾音もいない。
ただ、碇シンジの身体で、原子炉搭載機の停止手順へ食らいつくしかない。
ミサトの回線が入る。
葛城ミサト『状況!』
最上イズモ「停止系が“正常停止”に寄りすぎています」
最上イズモ「異常遮断の優先順位が低い」
葛城ミサト『要するに!』
最上イズモ「止める思想で作ってない」
返した瞬間、自分の第一声がそのまま現実になっていることへ、妙な乾いた感覚が走る。
使徒相手に有人都市で核特攻する気ですか?
あれは煽りじゃなかった。
本当にその設計思想だったのだ。
イズモはプログラムの枝を切る。
停止系を最短へ寄せる。
認証の保護を剥がす。
通常運用ならあり得ない乱暴さだ。だが、今必要なのは美しい手順ではない。炉が黙ること、それだけだ。
ジェットアローンの振動が一度大きく跳ねる。
熱が増す。
オペレーターの悲鳴混じりの声が回線の向こうで飛ぶ。
オペレーター『出力変動上昇! まずい、まずいです!』
最上イズモ「静かに」
その一言だけで、向こうが一瞬黙る。
最上イズモ「今乱れると判断が鈍ります」
低い声。
平坦な声。
だが、その静けさの奥で怒りは消えていない。
ミサトが代わりに回線を引き取る。
葛城ミサト『碇君、あと何秒』
最上イズモ「秒単位では答えません」
葛城ミサト『今それやめて』
最上イズモ「三十から六十」
葛城ミサト『分かった』
操作を切る。
もう一段。
もう一段。
そして、最後の保護を剥がした瞬間、JA全体の振動が急に変わった。
沈む。
暴走の前兆ではない。
落ちる振動だ。
炉心出力が一気に降りる。
動力ラインの唸りが細くなる。
床の震えが鈍る。
止まった。
まだ完全停止ではない。
だが、少なくとも“核特攻同然で都市へ歩き続ける機械”ではなくなった。
最上イズモ「……停止確認」
自分で言った声が、ようやく人間の声に戻り始める。
回線の向こうで、一斉に呼吸が戻る。
ミサトの息が長く混じる。
葛城ミサト『よくやった』
最上イズモ「設計は最低です」
葛城ミサト『うん、それもあとで聞く』
イズモは端末から手を離し、その場で一度だけ壁へ背をつけた。
怒りはまだ残っている。
かなり。
でも、爆発しなかった。
まずはそれだけでいい。
数分後、外へ戻ると会場の空気は完全に死んでいた。
披露会の華やかさはどこにもない。
報道も、来賓も、技術者も、全員が自分たちの立っていた場所の危うさを薄く理解し始めている顔だ。
ミサトがこちらへ来る。
葛城ミサト「平気?」
最上イズモ「はい」
葛城ミサト「怒ってる?」
最上イズモ「はい。かなり」
その返しに、ミサトは小さく目を閉じる。
葛城ミサト「でしょうね」
技術責任者が少し離れた位置からこちらを見る。
先ほどまでの自信は消えていた。
だが、それでもまだ完全には折れていない。責任を認めるまでには時間がかかる顔だ。
イズモはその視線を正面から受けた。
最上イズモ「技術の失敗ではありません」
会場の残響みたいな静けさの中で、その声だけがはっきり落ちる。
最上イズモ「運用思想の失敗です」
最上イズモ「止まる前提でしか安全を語らないなら、有人都市圏へ出すべきではない」
誰もすぐには返さない。
返せないのだろう。
たぶん、それが事実だからだ。
ミサトが隣で小さく言う。
葛城ミサト「……完全にJA編の主役取ったわね」
最上イズモ「望んではいません」
葛城ミサト「知ってる」
その返事だけで、少しだけ肩の力が抜ける。
ジェットアローンは沈黙していた。
さっきまで未来の象徴みたいな顔で立っていた機体は、今はただ“止まり損ねた原子炉搭載機”としてそこにある。
イズモはそれを見ながら、胸の奥で静かに確かめる。
怒りの向きは正しかった。
たぶん。
少なくとも、敵より先に味方の破綻した思想へ怒ることは、ここでは必要だった。
そしてその必要を、また自分は碇シンジの顔でやった。
その事実だけが、戦闘後とも違う別の疲労として、遅れて静かに沈んでいった。