碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ   作:最上 イズモ

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日常という違和感

朝の教室は、戦場よりも曖昧だった。

 

最上イズモは碇シンジの席に座ったまま、黒板と窓と扉の位置を順番に見て、それから自分で小さく目を伏せた。

 

やめた方がいい。

 

そう思っても、最初に視線が行く場所はなかなか変わらない。入口。窓。人の流れ。逃げ道。遮蔽物。教室でそんなものを確認したところで意味は薄い。薄いのに、身体の方が先にやる。

 

昨日まで海の上で使徒を見ていた。

加持に真実の一部を渡した。

夜は遅くなった。

 

なのに今は、机と椅子と黒板に囲まれている。

 

平時。

その単語が、エヴァに乗る時よりずっと扱いづらい。

 

「おーい、シンジ」

 

横から声が飛ぶ。

 

鈴原トウジだった。

その向こうに相田ケンスケもいる。

 

鈴原トウジ「なんや、朝からぼーっとしとるな」

相田ケンスケ「昨日なんかあったのか?」

 

イズモは二人を見て、返答を一拍だけ選ぶ。

 

最上イズモ「少し寝不足です」

 

嘘ではない。

全部でもない。

 

トウジが眉を上げる。

 

鈴原トウジ「珍しいな」

相田ケンスケ「顔色はそこまで悪くないけど、なんか緊張してないか?」

 

鋭い。

というより、学校での変化はこういう相手の方が早く拾うのだろう。軍人や研究者は行動の理由を探す。クラスメイトは温度のズレを先に見る。

 

最上イズモ「平時の方が難しい時があります」

 

二人が同時に黙る。

 

鈴原トウジ「……何言うとるんお前」

相田ケンスケ「なんか昨日より変な方向に進化してない?」

 

自分でもそう思う。

 

授業中はたぶん問題ない。

教師の話を聞き、板書を写し、必要なら答える。それは構造がある。始まりと終わりがあって、何をすればいいか明確だ。

 

困るのはその間だ。

休み時間。

雑談。

視線の置き場。

沈黙の長さ。

“何もしないでいる”という行為。

 

平時の方が危なっかしい。

 

ミサトの言葉が頭の中で少しだけ蘇る。

 

ホームルームが始まる。

担任が入ってくる。

起立、礼、着席。

 

そこまではいい。

 

教師の声。

配布物。

今日の予定。

全部が整っている。

イズモはそれをきちんと受け取る。ノートの取り方も、返事のタイミングも、授業だけ切り取れば十分“問題のない生徒”に見えるはずだった。

 

けれど、たぶん少しだけ整いすぎている。

 

隣の席の気配が変わる。

視線が流れる。

小さな違和感が教室の中にある。

 

授業が終わる。

チャイム。

教師が出ていく。

 

そこから急に難しくなる。

 

周囲が一斉に崩れる。

立つ。

喋る。

笑う。

次の授業の準備をしながら別の話をする。

その混ざり方がまだ掴めない。

 

イズモはノートを閉じて、それから一秒ほど動きを失う。

休み時間に何をしていれば自然か。

その判断だけが遅れる。

 

ケンスケがすぐにそこへ来る。

 

相田ケンスケ「ほらやっぱり」

鈴原トウジ「授業終わった途端止まるやんけ」

最上イズモ「……少しだけ、切り替えに時間が」

鈴原トウジ「少しちゃうやろ今のは」

 

トウジは呆れているようでいて、責めてはいない。

ただ単純に不思議そうだ。

 

鈴原トウジ「お前、授業中は普通やのに、休み時間なったらなんでそんな“次の指示待ち”みたいになるんや」

相田ケンスケ「分かる」

相田ケンスケ「なんか、教室にいるのに野営地っぽいんだよな」

 

表現が妙に正確で、イズモは少しだけ目を伏せる。

 

その時、教室の空気が変わる。

 

入口側から、はっきりした足音が近づいてくる。

ためらいがない。

周囲に見られていることを最初から前提にした歩き方。

 

惣流・アスカ・ラングレー。

 

教室の視線がそこへ集まる。

男子も女子も、教師がいない休み時間特有の無遠慮さで新しい中心を見ている。

それを受け止める側の少女は、少しも揺れない。

 

アスカが教室をひと目で見渡し、その視線がイズモのところで止まる。

 

一瞬。

 

その一瞬で、イズモの中の“何をしていいか分からない平時”が少しだけ薄くなる。

 

対応方法が明確な相手だ。

 

惣流・アスカ・ラングレー「あんた、また変な顔してるわね」

 

トウジとケンスケが同時にイズモを見る。

 

鈴原トウジ「また?」

相田ケンスケ「え、昨日の時点でもう何かあったの?」

 

最上イズモ「大したことでは」

惣流・アスカ・ラングレー「あるわよ」

アスカは机の横で腕を組む。

惣流・アスカ・ラングレー「海の上でも妙に落ち着いてるくせに、学校だと処理落ちしてるじゃない」

 

トウジが吹き出しかける。

 

鈴原トウジ「処理落ちて」

相田ケンスケ「言い方がゲームみたいでぴったりすぎる」

 

イズモは少しだけ咳払いをしたい気分になる。

否定がしづらい。

 

惣流・アスカ・ラングレー「授業の方が楽なんでしょ」

最上イズモ「はい」

惣流・アスカ・ラングレー「で、休み時間になると急に“何していいか分からない”」

最上イズモ「……はい」

 

アスカがそこでふっと鼻を鳴らす。

 

惣流・アスカ・ラングレー「変なの」

 

その言い方が妙に自然で、イズモは少しだけ呼吸が戻る。

責めているのではない。

ただ、見たまま言っている。

 

トウジとケンスケは完全に置いていかれていた。

 

鈴原トウジ「おい待て待て」

鈴原トウジ「なんで転校初日みたいなやつと、昨日来たばっかのあんたがそんな会話噛み合っとるんや」

相田ケンスケ「それ」

相田ケンスケ「なんか初対面の距離感じゃなくない?」

 

アスカはそちらを見る。

 

惣流・アスカ・ラングレー「何よ」

鈴原トウジ「いや、何よちゃうやろ」

相田ケンスケ「シンジ、さっきまでぼんやりしてたのに、惣流さん来た瞬間だけ妙に普通じゃん」

 

それもまた、かなり正しい。

 

アスカ相手だと、少なくとも“どう応じるべきか”がはっきりしている。

能力を認める。

子ども扱いしない。

でも全部を譲らない。

そういう枠組みが最初からある。

 

休み時間の雑談の方が、よほど難しい。

 

最上イズモ「対応方法が明確なので」

 

また、三人が黙る。

 

鈴原トウジ「お前ほんま時々何言うとるか分からん」

相田ケンスケ「でもなんか分かるのが嫌だな」

 

アスカが机に軽く腰を預ける。

 

惣流・アスカ・ラングレー「で、休み時間ってそんなに苦手なわけ?」

最上イズモ「授業は構造があります」

惣流・アスカ・ラングレー「うん」

最上イズモ「休み時間は曖昧です」

惣流・アスカ・ラングレー「うん」

最上イズモ「曖昧な場の方が、優先順位が少なくて困ります」

 

アスカが少しだけ目を細める。

そこに、昨日までの戦場で見たのと近い理解の光があった。

 

惣流・アスカ・ラングレー「……ああ、なるほど」

 

トウジがその反応に目を剥く。

 

鈴原トウジ「分かるんかい」

惣流・アスカ・ラングレー「分かるでしょ、これくらい」

相田ケンスケ「いや、そっちもそっちでなんでそんなに自然なんだよ」

 

周囲の席でも、ちらちらと視線が飛んでいるのが分かる。

転校生と碇シンジ。

しかも、妙に空気が出来上がっている。

見られるのは分かる。

でも今は、さっきまでよりその視線が少しだけ扱いやすい。

 

アスカが唐突に言う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「じゃあ、休み時間の課題あげる」

最上イズモ「課題」

惣流・アスカ・ラングレー「そう」

惣流・アスカ・ラングレー「何もしないで固まるくらいなら、購買行って飲み物買ってきなさいよ」

鈴原トウジ「なんやその指導」

相田ケンスケ「でも妙に実践的だな」

 

イズモは少しだけ考える。

 

たしかに、明確な目的があれば動ける。

“休み時間を自然に過ごす”は難しい。

でも“飲み物を買いに行く”なら処理できる。

 

最上イズモ「合理的ですね」

 

アスカが得意げに顎を上げる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「でしょ?」

 

トウジが頭を抱える。

 

鈴原トウジ「なんでそっちで納得するんや!」

相田ケンスケ「しかも惣流さんも、それで満足するんだ……」

 

アスカはトウジたちの反応を気にせず続ける。

 

惣流・アスカ・ラングレー「あと、買ってくるなら私の分も」

最上イズモ「何を」

惣流・アスカ・ラングレー「そこから?」

少し考えてから、

惣流・アスカ・ラングレー「甘い炭酸」

最上イズモ「了解しました」

惣流・アスカ・ラングレー「はい、それ学校でやる返事じゃない」

 

でも、その言い方は笑っていた。

 

トウジとケンスケはもう半分呆れている。

 

鈴原トウジ「なんやろなあ」

鈴原トウジ「お前、普段より変やのに、惣流相手だけ妙にやりやすそうで腹立つわ」

相田ケンスケ「分かる」

相田ケンスケ「昨日までのシンジと別人みたいなのに、そこだけ噛み合ってるの気持ち悪い」

 

その“別人みたい”の一言が、ほんの少しだけ胸へ引っかかる。

けれど表には出さない。

 

最上イズモ「購買へ行ってきます」

 

立ち上がる。

その動作だけは妙に迷いがない。

 

アスカがそれを見て、ふっと鼻を鳴らす。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ほら」

惣流・アスカ・ラングレー「やっぱり“やること”あると普通」

 

トウジが後ろから言う。

 

鈴原トウジ「普通ちゃうけどな」

相田ケンスケ「うん、全然普通じゃないけど、さっきよりマシ」

 

教室を出る廊下も、学校特有のざわつきに満ちている。

だが、目的がはっきりした途端、さっきまでの処理落ちが少しだけ消える。

購買へ行く。

飲み物を選ぶ。

戻る。

構造がある。

 

その単純さがありがたい。

 

購買は混んでいた。

人の流れ。

小銭の音。

パンの匂い。

飲み物の棚。

ここでもやはり、イズモは一瞬だけ止まる。

ただ、その止まり方は教室より短い。

 

アスカは甘い炭酸。

自分は――少し迷って、水に近いものを選ぶ。

 

戻る途中、ふと窓の外が目に入る。

平和な学校だ。

チャイムが鳴って、誰かが走って、笑い声が混ざっている。

その平和さが、戦場のあとにはどうしても少し薄く見える。

 

けれど、だからこそ守る意味もあるのだろうと、いまのイズモなら少しだけ思う。

 

教室へ戻ると、アスカは当然のようにこちらを見る。

 

惣流・アスカ・ラングレー「遅い」

最上イズモ「混んでいました」

惣流・アスカ・ラングレー「まあいいわ」

 

飲み物を渡す。

アスカは受け取って、ラベルを見て、少しだけ口元を上げた。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ちゃんと甘いやつ選んでるじゃない」

最上イズモ「指定通りです」

惣流・アスカ・ラングレー「そういうとこよね」

 

トウジがそのやり取りをじっと見ている。

ケンスケも同じ顔だ。

 

相田ケンスケ「……なあ」

鈴原トウジ「うん」

相田ケンスケ「やっぱりこの二人、変な噛み合い方してるよな」

鈴原トウジ「せやな」

惣流・アスカ・ラングレー「何よ」

鈴原トウジ「いや、なんでお前らだけ妙に“任務共有済み”みたいな空気出しとるんやって話や」

 

危うい言葉の選び方だった。

イズモは反応を出さないように、手の中の飲み物へ少しだけ視線を落とす。

 

アスカはそんなことを気にせず、ふんと笑う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「そりゃあんたたちより話が通じるからでしょ」

鈴原トウジ「ひど」

相田ケンスケ「でも否定しづらいな……」

 

その返しで、また教室の空気が少しだけ軽くなる。

 

チャイムが鳴る。

 

次の授業だ。

席へ戻る流れが始まる。

その“次に何をするか”が決まっているだけで、イズモの中の処理も少しだけ整う。

 

席へ座る前、アスカが小さく言う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「休み時間、少しはマシになった?」

 

イズモは少しだけ考える。

 

最上イズモ「はい」

最上イズモ「明確な指示があったので」

 

アスカは一瞬だけ黙って、それから呆れたように笑う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ほんと、面倒な人」

 

その言い方が妙に悪くなくて、イズモはほんの少しだけ目を細めた。

 

授業が始まる。

教師の声が教室に落ちる。

また構造のある時間が来る。

 

けれど今日の学校は、ただ苦手な平時というだけではなかった。

アスカがいて、トウジとケンスケがいて、自分のズレにちゃんと反応する人間がいて、それでも教室の一日は進む。

 

そのこと自体が、少しだけ救いだった。

 

次の休み時間は、さっきより少しだけましだった。

 

授業が終わる。

チャイムが鳴る。

教師が出る。

 

そのあとに来る曖昧さは相変わらず苦手だ。

けれど、さっき一度“購買へ行く”という形で切り抜けたせいか、完全に止まるところまではいかない。机の上を少し整えて、次の授業の教科書を出して、それから呼吸を一つ置く。その手順だけでも、何もしないで固まるよりはいい。

 

鈴原トウジ「お、今日はちょっと進歩しとるやん」

 

横から声が飛ぶ。

トウジだった。

 

相田ケンスケもすぐ後ろに立っている。

 

相田ケンスケ「確かに」

相田ケンスケ「まだちょっと処理遅いけど、さっきよりは“停止”してない」

 

最上イズモ「改善はしています」

 

その返しに、トウジが机へ肘をつきながら笑う。

 

鈴原トウジ「なんやその業務報告みたいな言い方」

相田ケンスケ「でもこいつ、最近ほんとそういう喋り方多いよな」

 

そこへ、少し早足の気配が近づく。

 

洞木ヒカリだった。

 

委員長らしく、手にはプリントの束を持っている。歩き方にも声のかけ方にも、“ちゃんと回す側”の空気がある。教室という曖昧な場所で、曖昧じゃない仕事を拾うのに慣れている人の動きだ。

 

洞木ヒカリ「ちょっと、男子」

鈴原トウジ「うわ、委員長や」

相田ケンスケ「何?」

洞木ヒカリ「何、じゃないの。次の提出物、まだ出してないでしょ」

 

トウジとケンスケが同時に目を逸らす。

その反応があまりに分かりやすくて、イズモは少しだけ目を細める。

 

洞木ヒカリ「ほら」

鈴原トウジ「いや、今出そうと思っててやな」

洞木ヒカリ「毎回それ言ってる」

 

ヒカリの視線がそこでイズモへ向いた。

 

洞木ヒカリ「碇君はもう出してるわよね?」

 

最上イズモ「はい」

 

ヒカリが少しだけ頷く。

 

洞木ヒカリ「ならいいの」

 

そのやり取りだけで、トウジが大げさに肩を落とした。

 

鈴原トウジ「なんやねんその信頼の差は」

洞木ヒカリ「当たり前でしょ」

相田ケンスケ「でも最近のシンジ、妙にちゃんとしすぎて逆に怖いんだよな」

洞木ヒカリ「何それ」

 

そこへ、教室の入口側からアスカが来る。

今日も迷いがない。

休み時間の教室で、誰の許可もなく中心へ入ってこられる人間の歩き方だ。

 

惣流・アスカ・ラングレー「また固まってないでしょうね」

 

ヒカリが一瞬だけ目を丸くする。

トウジとケンスケはすぐにニヤついた。

 

鈴原トウジ「ほら来た」

相田ケンスケ「保護者その2」

惣流・アスカ・ラングレー「誰がよ」

 

アスカはそう言いながらも、イズモの机の横へ自然に立つ。

その距離感に、ヒカリの視線が少しだけ揺れた。

 

洞木ヒカリ「……あれ」

惣流・アスカ・ラングレー「何よ」

洞木ヒカリ「いえ、何というか」

少しだけ言葉を探してから、

洞木ヒカリ「もう少しぎくしゃくするかと思ってた」

 

アスカが腕を組む。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ぎくしゃく?」

洞木ヒカリ「だって、転校してきたばっかりでしょ」

洞木ヒカリ「なのに、碇君相手だけ妙に会話が速いっていうか……」

 

トウジがすぐ乗る。

 

鈴原トウジ「せやろ!?」

相田ケンスケ「そうなんだよ」

相田ケンスケ「シンジ、普段は休み時間になるとちょっと処理落ちしてるのに、惣流さん相手だけ妙に噛み合うんだよな」

 

ヒカリがそこでイズモを見る。

 

洞木ヒカリ「碇君、本当に大丈夫?」

最上イズモ「何がでしょう」

洞木ヒカリ「何が、じゃなくて」

ヒカリは少しだけ眉を寄せる。

洞木ヒカリ「この二日くらい、ちゃんとしてるのに、なんか変」

鈴原トウジ「それな」

相田ケンスケ「委員長の語彙でもそこなんだ」

 

ヒカリは二人を軽く睨んでから、またイズモを見る。

 

洞木ヒカリ「授業中は普通なのよ」

洞木ヒカリ「でも休み時間になると、たまに“次どうしたらいいか分からない”みたいな顔してる」

 

イズモは少しだけ答えに詰まる。

 

ミサトに言われたことと、ほとんど同じだ。

ただ、それを学校で委員長に言われると、少しだけ別の重さがある。

 

最上イズモ「……平時の方が、判断材料が少ないので」

 

ヒカリが黙る。

トウジとケンスケも一瞬だけ止まる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「でしょ?」

 

その返しに、ヒカリがそちらを見る。

 

洞木ヒカリ「何で惣流さんが納得してるの」

惣流・アスカ・ラングレー「分かるもの」

鈴原トウジ「なんでやねん」

相田ケンスケ「そこが一番分からない」

 

ヒカリは少しだけ考え込むように、アスカとイズモを見比べた。

 

洞木ヒカリ「……なんか変な感じ」

惣流・アスカ・ラングレー「だから何が」

洞木ヒカリ「うーん」

少し迷ってから、

洞木ヒカリ「初対面なのに、“前から知ってる人同士”みたいな間があるのよね」

 

かなり危ないところを突かれて、イズモは一瞬だけ視線を落とす。

表には出さない。

でも、トウジやケンスケより、ヒカリのこういう観察の方が時々鋭い。

 

アスカはそれを深く受けず、ふっと鼻を鳴らした。

 

惣流・アスカ・ラングレー「話が通じるだけよ」

洞木ヒカリ「そういうものかな」

鈴原トウジ「いや、ちゃうと思う」

相田ケンスケ「俺もそう思う」

 

そこでケンスケが、ふと何かに気づいたみたいにイズモの横顔を見る。

 

相田ケンスケ「……あ」

 

全員の視線がそちらへ向く。

 

鈴原トウジ「何や」

洞木ヒカリ「どうしたの」

惣流・アスカ・ラングレー「何よ急に」

 

ケンスケは少しだけ首をひねったまま、イズモを見る。

 

相田ケンスケ「いや」

相田ケンスケ「なんか今、ちょっとだけ分かったかも」

 

イズモの胸の奥で、ほんの少しだけ嫌な予感がする。

 

鈴原トウジ「何がや」

相田ケンスケ「シンジが最近変って言われる理由」

洞木ヒカリ「え、何?」

相田ケンスケ「……綾波に似てるんだ」

 

空気が、一瞬だけ静かになる。

 

イズモは動かない。

動かないようにする。

 

アスカの目が少しだけ細くなる。

ヒカリは意味を測るような顔をする。

トウジは露骨に首を傾げた。

 

鈴原トウジ「は?」

洞木ヒカリ「綾波さん?」

相田ケンスケ「うん、いや、顔とかじゃなくて」

ケンスケは言葉を探す。

相田ケンスケ「なんていうか……静かで、反応薄そうで、でも急に本質だけ返してくる感じ」

相田ケンスケ「前のシンジって、もっとこう、普通に困って普通に引いてたじゃん」

相田ケンスケ「今はなんか、“綾波がシンジの顔で喋ってる”みたいな時がある」

 

トウジがすぐさま反応する。

 

鈴原トウジ「それは言いすぎやろ」

でも少し考えて、

鈴原トウジ「……いや、でも分からんでもないな」

 

ヒカリも少しだけ目を伏せる。

 

洞木ヒカリ「静かな感じは、たしかに近い時あるかも」

 

その評価が、妙に刺さる。

 

向こうの綾波。

今ここにいる綾波。

どちらとも違うはずなのに、“似てる”という言葉が学校の雑談の中で不意に出ると、境界が少しだけ揺れる。

 

アスカがそこで、少しだけ不機嫌そうに口を開く。

 

惣流・アスカ・ラングレー「一緒にしないで」

相田ケンスケ「え」

惣流・アスカ・ラングレー「こいつはもっと面倒」

鈴原トウジ「そっち?」

洞木ヒカリ「フォローになってないわよ、それ」

 

アスカは腕を組んだまま、イズモを見る。

 

惣流・アスカ・ラングレー「綾波みたいに静かでも、こいつ平時だと妙に処理落ちするし」

惣流・アスカ・ラングレー「変なところだけ異常に具体的だし」

惣流・アスカ・ラングレー「あと、分かってるくせにいちいち“はい”って返してくるのが地味に腹立つ」

鈴原トウジ「細か」

相田ケンスケ「観察が進んでる……」

洞木ヒカリ「何だかんだ、見てるのね」

 

その言葉に、アスカが少しだけ言葉を詰まらせる。

でもすぐに顎を上げる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「当たり前でしょ」

惣流・アスカ・ラングレー「同じクラスで、しかも使えそうなら見るわよ」

 

“使えそう”。

その言い方がいかにもアスカらしくて、イズモはほんの少しだけ呼吸を楽にする。

 

トウジがイズモをじっと見てくる。

 

鈴原トウジ「で、実際どうなんや」

最上イズモ「何がですか」

鈴原トウジ「だから、その……綾波っぽいって話や」

相田ケンスケ「自覚ある?」

洞木ヒカリ「難しい聞き方しないでよ……」

 

イズモは少しだけ考える。

 

下手に否定しすぎると不自然だ。

肯定もできない。

なら、少しだけずらす。

 

最上イズモ「静かな相手の方が、対応はしやすいかもしれません」

 

ケンスケがすぐ反応する。

 

相田ケンスケ「あー」

鈴原トウジ「何やその納得」

相田ケンスケ「いや、分かる」

相田ケンスケ「感情で押してこない相手の方が、今のシンジは処理しやすいんだろ」

洞木ヒカリ「……それはあるかも」

 

アスカがそこで眉を上げる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「ちょっと待って」

惣流・アスカ・ラングレー「じゃあ私が話しやすいのって何で?」

鈴原トウジ「そこ聞くんや」

相田ケンスケ「自分で行くの強いな」

 

イズモはアスカを見る。

 

これも、下手な言い方をすると面倒になる。

でも誤魔化しすぎると不自然だ。

 

最上イズモ「惣流さんは」

少しだけ言葉を選んで、

最上イズモ「反応が明確なので」

 

一秒、沈黙。

 

それからトウジが吹き出す。

 

鈴原トウジ「めっちゃそれっぽい!」

相田ケンスケ「うわ、納得した」

洞木ヒカリ「たしかに……曖昧じゃないものね」

惣流・アスカ・ラングレー「何よそれ!」

 

アスカは不満そうに言うが、完全に怒ってはいない。

むしろ少しだけ図星を踏まれた顔だ。

 

惣流・アスカ・ラングレー「もっと他に言い方あるでしょ」

最上イズモ「頼もしい、とか」

惣流・アスカ・ラングレー「それは前に聞いた」

鈴原トウジ「前に聞いたんかい」

相田ケンスケ「やっぱり進んでるだろこの二人」

 

ヒカリがそこで、少しだけ呆れたように笑う。

 

洞木ヒカリ「なんかもう、転校生と碇君が変に噛み合ってるのは分かった」

鈴原トウジ「せやな」

相田ケンスケ「で、シンジは綾波みたいな静かさがある時もある」

惣流・アスカ・ラングレー「でも綾波ほど安定してない」

洞木ヒカリ「そこまで分析するの?」

 

イズモは机の上の飲み物を見下ろす。

平時の学校。

雑談。

クラスメイト。

転校生。

綾波の名前。

アスカの距離感。

 

かなり危うい材料が並んでいるはずなのに、今のところ致命傷にはなっていない。

むしろ、こういう他愛ない会話の中にいる方が、少しだけ“碇シンジとしてここにいる”感じが出る。

 

ヒカリがプリントの束を持ち直す。

 

洞木ヒカリ「それより、次の授業の準備しなさいよ」

鈴原トウジ「うわ、出た委員長」

相田ケンスケ「話広がりかけたのに」

洞木ヒカリ「広げなくていいの」

 

アスカが自分の席へ戻る前に、イズモを見て小さく言う。

 

惣流・アスカ・ラングレー「綾波に似てるって言われても、あんまり気にしなくていいわよ」

 

その一言が少し意外で、イズモは顔を上げる。

 

惣流・アスカ・ラングレー「似てるっていうより、たぶん“静かな時の方向”が近いだけ」

惣流・アスカ・ラングレー「でも、こっちはもっと面倒だから」

 

それだけ言って、アスカは自分の席へ戻る。

 

トウジがそれを聞いて、半笑いで言う。

 

鈴原トウジ「フォローのつもりなんか?」

相田ケンスケ「独特すぎるだろ」

洞木ヒカリ「でも、ちょっと優しいわね」

 

チャイムが鳴る。

 

次の授業が始まる。

クラスの空気がまた少しずつ整っていく。

 

イズモは席につきながら、さっきの“綾波に似てる”という言葉を完全には追い出せずにいた。

けれど、アスカの最後の一言で、それが少しだけ丸く収まった気もする。

 

似ているのかもしれない。

似ていないのかもしれない。

たぶんそのどちらでもない。

 

ただ、静かな時の方向が近い。

 

それくらいの曖昧さで、今は十分だった。

 

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