碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
昼休みの教室は、戦場とは別の種類の騒がしさで満ちていた。
椅子を引く音。パンの袋を開ける音。誰かの笑い声。窓の外では風が運動場の砂を薄く撫で、陽の光が白い机の縁に細く溜まっている。
その中で、相田ケンスケの机の上だけが妙に濃かった。
軍用機の特集が表紙を飾る雑誌。別冊の小火器カタログ。使い込まれて角の柔らかくなったミリタリー年鑑。昼飯のスペースより紙の方が広い。
相田ケンスケ「見ろよこれ、今月号すごいぞ。西側小火器特集」
最上イズモは紙パックのジュースを机に置きながら、その山を見下ろした。
最上イズモ「昼飯の場所が消えてる」
相田ケンスケ「そういう細かいこと言うなって。ほら、これ。M4カービン」
ケンスケが得意げに開いたページには、黒い銃が斜めに載っていた。レール。ストック。光学機器。整った輪郭。写真の撮り方まで、いかにも雑誌向けだ。
相田ケンスケ「やっぱ現代的でかっこいいよなあ。拡張性あるし、軽いし、取り回しもいいし」
最上イズモ「雑誌の言い方そのままですね」
相田ケンスケ「うるさいな。でも実際そうだろ?」
最上イズモはページを一瞥してから、隣の比較欄へ目を滑らせた。そこにはAK系統の写真があった。木製ハンドガードではなく、近代化された樹脂パーツの個体だが、それでも輪郭の癖は残っている。
最上イズモ「M4は整ってる。AKは雑に見えて雑じゃない」
相田ケンスケ「お、そこ乗る? AKって信頼性の化け物なんだよな。泥でも砂でも撃てる、みたいな」
最上イズモ「そこだけ切り取ると雑になりますけど」
相田ケンスケ「えっ、違うのか?」
最上イズモ「違わないけど、それだけだと足りないです」
ケンスケの目が少し丸くなる。雑誌を持つ手の角度が変わる。知識を披露する側だったはずが、いつの間にか聞く側へ傾き始めていた。
相田ケンスケ「じゃあ、どう足りないんだよ」
最上イズモ「持った時の返り方です」
相田ケンスケ「返り方?」
最上イズモ「肩に入れた時、前へ出した時、振り直した時。数字より先に来るやつです」
ケンスケが一瞬だけ口を閉じた。
教室のざわめきがその間をすり抜けていく。後ろの席ではトウジが誰かと笑っている。遠くで椅子が鳴る。だがケンスケの机の周りだけ、妙に音が薄くなった。
相田ケンスケ「……なんか、言い方が経験者なんだけど」
最上イズモ「雑誌の比較だけだと、そこ抜けるので」
相田ケンスケ「いや待て待て。え、何。撃ったことあるみたいな言い方じゃん」
最上イズモ「空想です」
相田ケンスケ「今ぜったい嘘だろ」
イズモはストローを刺し、何でもない顔で一口吸った。
ケンスケは数秒じっと見ていたが、やがて諦め半分、興味半分の笑いに変わる。
相田ケンスケ「で、どっちがいいんだよ。M4とAK」
最上イズモ「用途次第です」
相田ケンスケ「出たよ、その一番面白くない答え」
最上イズモ「本当なので」
相田ケンスケ「じゃあお前は?」
イズモは雑誌のページを指先で軽く押さえた。M4のまっすぐな線。AKの少し野暮ったい輪郭。そのどちらにも似ていない別の形が、頭の中には浮かんでいた。
最上イズモ「P90」
ケンスケが目を瞬く。
相田ケンスケ「えっ、そこ行く?」
最上イズモ「行きます」
相田ケンスケ「いや、P90って独特すぎないか? 上にマガジン乗ってるし、見た目ほぼ未来銃じゃん」
最上イズモ「未来っぽいのは否定しません」
相田ケンスケ「しかも口径も変わってるし、あれ、好き嫌いかなり分かれるだろ」
最上イズモ「分かれます。でも体にはなじむ」
その言葉に、ケンスケの眉がぴくりと動いた。
相田ケンスケ「体に?」
最上イズモ「重心が変な場所にない。詰まってる感じがする。近い距離で向けて、戻して、また向ける時に、余計な修正が少ない」
相田ケンスケ「へえ……」
最上イズモ「M4は素直です。AKは太い。P90は短い」
相田ケンスケ「短いって説明、雑じゃない?」
最上イズモ「でも、そういう感覚です」
雑誌の紙をめくる音がした。ケンスケは別冊の索引を急いで辿り、少ししてからP90の掲載ページを探し当てる。写真の中の独特なシルエットを前に、さっきまでの西側対東側みたいな分かりやすい比較の顔ではなく、もっと純粋な好奇心の顔になる。
相田ケンスケ「うーわ、やっぱ異形だな」
最上イズモ「でも近い場では扱いやすいです」
相田ケンスケ「近い場」
最上イズモ「狭い通路とか、遮蔽の多いところとか」
相田ケンスケ「CQB向きってことか」
最上イズモ「はい」
ケンスケは写真を見下ろしたまま、ぽつりと呟く。
相田ケンスケ「なんかさ」
最上イズモ「はい」
相田ケンスケ「お前の話、スペックより先に動きがあるよな」
イズモは少しだけ目を細めた。
相田ケンスケ「普通こういうのって、射程とか、初速とか、貫通とか、そういう話になるじゃん。でもお前、肩に入れるとか、戻すとか、向け直すとか、そっちから来る」
最上イズモ「その方が先に死なないので」
言ってから、イズモは一瞬だけ黙った。
ケンスケも黙った。
教室の明るさだけが、その場に置き去りみたいに残る。
相田ケンスケ「……冗談?」
最上イズモ「半分くらい」
ケンスケは数秒迷ってから、吹き出した。
相田ケンスケ「何だよそれ」
最上イズモ「雑誌に書いてない方です」
相田ケンスケ「いや、でも分かる気はする。結局、道具って使う人間との相性あるもんな」
最上イズモ「あります」
相田ケンスケ「お前、P90似合いそうだし」
最上イズモ「どういう意味ですか」
相田ケンスケ「何か、すっと構えてそのまま動きそう」
最上イズモ「雑な人物評ですね」
相田ケンスケ「でも外れてない気がする」
ケンスケは笑いながら雑誌を閉じた。紙の端が擦れる音がして、その瞬間だけ会話の温度が少し戻る。
相田ケンスケ「じゃあ今度、他のも聞かせてくれよ。PDWとかSMGとか、そのへん」
最上イズモ「雑誌読んでからでいいなら」
相田ケンスケ「いや、お前の話の方が変な実感あるから面白い」
最上イズモ「変なは余計です」
相田ケンスケ「褒めてる褒めてる」
窓の外でチャイムが短く鳴る。昼休みの残りが少ない。周囲のざわめきが少しずつ席へ戻る気配に変わっていく。
イズモは立ち上がりかけ、ふと机上の雑誌へ視線を落とした。表紙の硬質な銃器写真。その冷たい光沢に、教室の陽射しが薄く映っている。
平和な場所にある兵器の紙面は、どこか遠い玩具みたいだった。
相田ケンスケ「シンジ」
最上イズモ「はい」
相田ケンスケ「お前さ、本当に何者なんだ?」
軽く言ったはずなのに、最後のところだけ少し本気が混じっていた。
イズモは振り返る。
最上イズモ「昼飯中に雑誌読んでる人に言われたくないです」
相田ケンスケ「ひどっ」
笑いが起きる。
そのまま席へ戻る途中、イズモは窓際の列へ一瞬だけ目を向けた。綾波レイはいつものように静かに座っていた。文庫本を閉じるでもなく、こちらを見るでもなく、ただそこにいる。
ただ、その白い横顔が、ほんのわずかにだけこちらへ角度を変えた気がした。
気のせいかもしれない。
それでも、見られていたような感覚だけは残った。
放課後の廊下は、昼とは違う長さをしていた。
日が傾き始めた窓から、赤みの薄い光が床を斜めに切っている。足音が遠くまで響く。教室棟の賑わいも、部活へ流れた分だけ少し薄い。
加持リョウジは、その薄い静けさに溶けるみたいに壁にもたれていた。
片手に缶コーヒー。ネクタイは少し緩い。気の抜けた顔のまま、目だけが妙に起きている。
加持リョウジ「やあ、シンジ君」
イズモは足を止めた。
最上イズモ「何か用ですか」
加持リョウジ「そんな警戒しないでくれよ。おじさん傷つくなあ」
最上イズモ「傷つく前に探ってくる人はあまり信用してません」
加持は小さく笑った。否定しない。
加持リョウジ「手厳しいね」
最上イズモ「事実なので」
窓の外では、低い雲が西の光を受けて鈍く縁取られていた。校庭の向こうを風が抜け、乾いた木の葉が一枚だけ転がっていく。
加持は缶コーヒーを軽く振り、開けずに持ち直した。
加持リョウジ「この前の件、見事だった」
最上イズモ「アスカが勝ちました」
加持リョウジ「そうだね。でも、君は止めなかった」
最上イズモ「止める必要がなかったので」
加持リョウジ「その判断ができる時点で、十分変わってると思うけどな」
イズモは何も言わなかった。
加持の口調は軽い。だが、軽くしているだけだ。問いの芯は別のところにある。ここで曖昧に返せば、次はもっと別の角度で来る。だからイズモは廊下の窓枠へ背を預け、真正面から視線を返した。
最上イズモ「加持さん」
加持リョウジ「うん?」
最上イズモ「あれ、知ってるんでしょ」
加持の目が止まる。
ほんの一瞬だった。だが、いつもの柔らかい表情の奥で、何かが静かに立ち上がるのが見えた。
加持リョウジ「あれ、って?」
最上イズモ「人を一つに寄せようとする方の話です」
風がまた吹いた。
廊下の先で誰かの話し声がしたが、近づいては来ない。二人の間だけ、空気が薄く張る。
加持リョウジ「難しいことを言うね」
最上イズモ「難しくはないです」
加持リョウジ「君みたいな年で、その輪郭まで触れる子はあまりいないと思うけど」
最上イズモ「輪郭だけなら見えます」
加持は答えない。
缶の側面に親指を当てたまま、少しだけ目を細める。その顔には笑みが残っている。だが、さっきまでの人当たりの良さとは別物だった。距離を測る顔。計る顔。どこまで踏み込んでくるか、こちらの深さを見極める顔だ。
加持リョウジ「それで?」
最上イズモ「加持さんは、その話の近くにいる」
加持リョウジ「買いかぶりじゃないかな」
最上イズモ「そうでもないです」
加持リョウジ「じゃあ、君はどこにいるんだい?」
イズモはすぐには答えなかった。
窓の外、校庭の端に立つフェンスが夕方の色に沈んでいく。その向こうには、街がある。家があり、店があり、人がいて、それぞれ違う速度で暮らしている。違うまま生きている。
その景色を見ながら、イズモは口を開いた。
最上イズモ「似た問いに、別の答えを用意してます」
加持リョウジ「別の答え」
最上イズモ「はい」
加持リョウジ「例えば?」
最上イズモ「一つに戻すんじゃなくて、つないだまま立てる方です」
加持の表情が、ごくわずかに変わる。
聞き流せない言葉だけを、ちゃんと拾った顔だった。
加持リョウジ「大きく出るなあ」
最上イズモ「規模の話はしてません」
加持リョウジ「でも計画なんだろう?」
イズモはそこで初めて、少しだけ口元を動かした。
最上イズモ「そう見えますか」
加持リョウジ「見えるね」
最上イズモ「なら、そうかもしれません」
加持は短く息を吐いた。笑ったのか、呆れたのか、外からは判別しにくい音だった。
加持リョウジ「君、本当に厄介だな」
最上イズモ「加持さんに言われると褒め言葉っぽく聞こえます」
加持リョウジ「褒めてないよ」
最上イズモ「でしょうね」
しばらく、二人とも黙った。
遠くでボールが弾む音がする。部活だろう。誰かが走る気配。校舎のどこかで窓が閉まる音。その全部がここから少し遠い。
加持は缶コーヒーをようやく開け、一口飲んだ。
加持リョウジ「君の言う別の答えってのは」
最上イズモ「はい」
加持リョウジ「今の世界を嫌って壊す類じゃないんだね」
イズモはすぐに首を横へ振った。
最上イズモ「壊して混ぜるのは雑です」
加持リョウジ「手厳しい」
最上イズモ「壊れたものを戻すのと、壊してから同じにするのは別です」
その言葉は小さかったが、妙にまっすぐだった。
加持は缶を持つ手を下ろし、イズモを見る。今度は探るというより、確かめるような目だった。この子は何を守ろうとしているのか。何を嫌っているのか。何を知った上で、そこに立っているのか。
加持リョウジ「君は、何を見てそんなこと言うんだろうね」
最上イズモ「見たくないものを見たからです」
加持の眉が、ほんの少しだけ動く。
最上イズモ「だから、同じにする方向には乗れません」
加持リョウジ「……そうか」
短い返事だった。
それ以上、無理に聞き出そうとはしない。聞けるはずがないと分かっているのか、あるいはこれ以上聞くと自分の側も何かを晒すことになると知っているのか。
たぶん、その両方だった。
加持は窓の外へ視線を投げる。
加持リョウジ「世界を何とかしようって考えるのは、たいてい大人の悪い癖だと思ってたよ」
最上イズモ「大人じゃなくても考えます」
加持リョウジ「そうだね。君みたいなのを見ると、そう思う」
その声は軽いのに、少しだけ疲れていた。
イズモは黙ったまま、廊下の先を見た。誰も来ない。夕方だけが静かに伸びている。
加持リョウジ「一つだけ忠告していいかい」
最上イズモ「どうぞ」
加持リョウジ「計画って言葉を口にする時は、相手を選んだ方がいい」
最上イズモ「選んでます」
加持リョウジ「それならいい」
最上イズモ「加持さんは?」
加持リョウジ「うん?」
最上イズモ「選んでますか」
加持は少し笑った。
だがその笑いは、いつもの飄々としたものより薄かった。
加持リョウジ「選んでるつもりだよ」
最上イズモ「なら、大丈夫です」
加持リョウジ「何が」
最上イズモ「まだ、引き返せるので」
加持はそこで言葉を失った。
ほんの数秒。だが、その沈黙は今日いちばん重かった。
窓の外の光がさらに低くなる。廊下の床に伸びた影が、二人の足元で細長く交差していた。
加持リョウジ「君さ」
最上イズモ「はい」
加持リョウジ「本当に、どこまで見えてるんだい」
イズモは答えなかった。
答える代わりに、窓の外を一度だけ見た。街の向こう、見えない場所まで続いていく空。誰のものでもない夕方。違うまま並んでいる世界。
そのまま視線を戻す。
最上イズモ「加持さん」
加持リョウジ「うん?」
最上イズモ「混ざらなくても、隣に立つ方法はあります」
声は静かだった。
大きくもなく、強くもない。ただ、揺れないだけの声だった。
加持はそれを聞いて、しばらく何も言わなかった。やがて肩の力を少しだけ抜き、缶コーヒーを持ち直す。
加持リョウジ「……覚えておくよ」
最上イズモ「そうしてください」
チャイムが鳴った。完全下校を告げる少し乾いた音が、校舎の隅々まで流れていく。
加持は壁から背を離す。
加持リョウジ「じゃあ、今日はここまでにしようか。これ以上話すと、おじさんの胃に悪い」
最上イズモ「最初からよくないと思います」
加持リョウジ「言うねえ」
最上イズモ「事実なので」
加持は苦笑し、そのまま廊下の反対側へ歩き出した。数歩進んでから、ふと思い出したように振り返る。
加持リョウジ「シンジ君」
最上イズモ「はい」
加持リョウジ「君のその答え、嫌いじゃない」
イズモは少しだけ目を細めた。
最上イズモ「加持さんのその言い方は、あまり信用してません」
加持リョウジ「ひどいなあ」
笑いながら手を振り、加持は去っていく。
足音が遠ざかるのを聞きながら、イズモはしばらくその場に残った。窓の外はもう夕方から夜へ沈み始めている。ガラスに映る自分の顔は暗く、校舎の中の灯りだけが細く浮いていた。
昼は、道具の話をした。
体になじむもの。近い距離で、無駄なく動けるもの。持った瞬間に迷いが減るもの。
そして今は、世界の話をした。
人を一つへ寄せる話。失われたものを、同じ形へ潰して戻そうとする話。違うまま隣に立つことを諦めた先にあるもの。
どちらも、結局は似ていた。
合わないものを無理に握れば、どこかがずれる。
ずれたまま使えば、いずれ誰かが壊れる。
イズモは窓に映る自分を見つめ、やがて静かに踵を返した。
廊下の先にはまだ灯りが続いている。その先に誰がいて、何を選び、どこで間違えるのかは、まだ全部は見えない。
それでも、一つだけはもう決めていた。
潰して一つにする側には立たない。
たとえそれが、救いの顔をしていたとしても。