碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
最初に異常を知らせたのは、通信ではなかった。
空だった。
第三新東京市から離れた山間部。
輸送ルート上に積乱雲が広がり、遠雷が何度も低く鳴っている。
作戦指揮所の大型モニターには、松代第二実験場から送られてくる映像が並んでいた。
参号機。
黒い装甲。
初号機とも弐号機とも違う、重い輪郭。
最上イズモはその映像を見たまま、指を止めていた。
嫌な感じがする。
以前、模擬エントリープラグの前で感じたものとは違う。
あの時は身体が先に拒絶した。
今回は。
知識が先に警告している。
知っている展開。
だが。
最上イズモ「……一致する保証はない」
伊吹マヤ「何か言いました?」
最上イズモ「独り言です」
赤木リツコが横目で見る。
最近。
こういう時だけ、彼女の視線が妙に早い。
赤木リツコ「また何か引っかかってる?」
最上イズモ「今回は勘じゃない」
赤木リツコ「なら?」
最上イズモ「確認したいだけです」
モニターへ視線を戻す。
最上イズモ「参号機のパイロット、誰ですか」
空気が。
ほんの少しだけ止まった。
それだけで十分だった。
最上イズモ「……なるほど」
葛城ミサト「シンジ君」
最上イズモ「言えないんですね」
葛城ミサト「まだ正式には」
最上イズモ「学校の誰か?」
ミサトが黙る。
リツコも。
イズモは目を閉じた。
トウジ。
頭に浮かんだ名前を。
すぐには口にしなかった。
確認できない。
まだ。
その時。
警告音。
短い。
続いて。
モニターの一つが白く潰れた。
伊吹マヤ「松代からの信号途絶!」
葛城ミサト「何!?」
別画面。
ノイズ。
地震波。
気圧変動。
そして。
爆発。
山の向こうから巨大な土煙が立ち上がる。
最上イズモの背中が冷えた。
伊吹マヤ「実験場地下ブロック、壊滅!」
赤木リツコ「参号機は!」
画面が切り替わる。
煙の中。
黒い巨体が。
立っていた。
首が。
ゆっくり。
不自然な角度でこちらを向く。
伊吹マヤ「パターン……」
声が止まる。
もう分かっている。
それでも。
確認しなければならない。
伊吹マヤ「パターン青!」
発令所の空気が一変した。
伊吹マヤ「参号機を中心に使徒反応!」
最上イズモ「……バルディエル」
赤木リツコ「何?」
イズモは立ち上がる。
最上イズモ「出ます」
葛城ミサト「待って!」
最上イズモ「パイロットが中にいる」
葛城ミサト「まだ生存確認が――」
最上イズモ「だから確認しに行く」
ミサトが息を詰める。
最上イズモ「ミサトさん」
視線を合わせる。
最上イズモ「誰ですか」
今度は。
逃げられない聞き方だった。
数秒。
ミサトの口が動く。
葛城ミサト「……鈴原トウジ君」
胸の奥。
何かが落ちた。
大きな音はしなかった。
ただ。
冷えた。
最上イズモ「了解」
それだけ言った。
*
エントリープラグが閉じる。
LCL。
神経接続。
いつもの痛み。
今日は。
それどころではなかった。
最上イズモ「初号機、出します」
葛城ミサト『零号機、弐号機も先行してる。シンジ君、いい?』
最上イズモ「はい」
惣流・アスカ・ラングレー『あいつの中、本当にトウジなの?』
誰も答えない。
惣流・アスカ・ラングレー『ミサト!』
葛城ミサト『……そうよ』
通信の向こう。
アスカが息を呑む。
綾波レイは。
何も言わなかった。
最上イズモ「二人とも」
惣流・アスカ・ラングレー『何』
最上イズモ「参号機本体に直接触れるな」
惣流・アスカ・ラングレー『は?』
最上イズモ「侵食型なら接触経路になる可能性がある」
赤木リツコ『同意するわ。A.T.フィールド主体。近接接触は最小限』
惣流・アスカ・ラングレー『じゃあどう止めるのよ!』
最上イズモ「止める方法を探す」
惣流・アスカ・ラングレー『答えになってない!』
最上イズモ「まだ答えがないから」
沈黙。
そして。
初号機が地上へ射出された。
*
山道が。
抉れている。
木々が倒れている。
その中央を。
参号機が歩いてきた。
いや。
歩くというより。
運ばれているようだった。
身体の使い方がおかしい。
関節の限界を無視している。
人間が乗っているエヴァの動きではない。
最上イズモ「トウジ」
返事はない。
最上イズモ「聞こえてるなら返事してくれ」
ノイズ。
それだけ。
伊吹マヤ『エントリープラグ生命反応あります!』
イズモの目が開く。
最上イズモ「生きてる」
赤木リツコ『ただし信号が使徒パターンと混線してる。状態は分からない』
最上イズモ「生きてるなら十分」
碇ゲンドウ『目標を殲滅しろ』
その声。
低い。
いつもと同じ。
イズモは少しだけ目を伏せた。
最上イズモ「拒否します」
発令所。
空気が止まった。
碇ゲンドウ『何だと』
最上イズモ「参号機の破壊を拒否します」
碇ゲンドウ『目標は使徒だ』
最上イズモ「中に人がいる」
碇ゲンドウ『作戦目的は使徒の殲滅だ』
最上イズモ「なら使徒だけ剥がします」
赤木リツコ『簡単に言わないで』
最上イズモ「簡単だとは言ってない」
参号機が動いた。
速い。
予備動作がない。
最上イズモ「来る!」
弐号機が横へ跳ぶ。
零号機も散開。
参号機の腕が。
伸びた。
あり得ない長さ。
関節構造そのものを無視して。
惣流・アスカ・ラングレー『何よそれ!』
弐号機の肩を掠める。
装甲が飛ぶ。
最上イズモ「アスカ、距離取って!」
惣流・アスカ・ラングレー『分かってる!』
零号機がA.T.フィールドを展開。
参号機の進路を押し返す。
一瞬。
止まる。
最上イズモ「レイ、そのまま!」
初号機もフィールドを展開する。
広く。
ではない。
狭く。
参号機の右肩。
左膝。
腰。
三点。
押さえる。
最上イズモ「動く場所だけ止める」
赤木リツコ『局所展開!?』
最上イズモ「全身で押し合う必要ない!」
参号機の身体が。
歪む。
止まった。
伊吹マヤ『拘束確認!』
惣流・アスカ・ラングレー『いける!』
イズモは息を詰める。
最上イズモ「エントリープラグ射出!」
赤木リツコ『信号が通らない!』
最上イズモ「外から強制射出は?」
赤木リツコ『プラグ周辺まで侵食されてる可能性がある。誤作動すればパイロットごと――』
最上イズモ「なら切り離せる位置を探す」
碇ゲンドウ『時間の無駄だ』
最上イズモ「人命救助を時間の無駄って言うな」
今度こそ。
発令所の誰も動かなかった。
ミサトが。
目を見開く。
ゲンドウの眼鏡だけが光を返す。
碇ゲンドウ『命令に従え』
最上イズモ「目的には従ってます」
参号機が。
動いた。
最上イズモ「っ!」
三点拘束の一つ。
左膝。
あり得ない方向へ折れる。
拘束から逃げた。
痛覚を無視している。
いや。
そもそも。
自分の身体として扱っていない。
最上イズモ「……そういうことか」
参号機が自身の腕を犠牲にして前へ出る。
A.T.フィールドを。
身体ごと突き抜ける。
初号機の首へ。
手が伸びた。
掴まれる。
最上イズモ「ぐっ……!」
首が締まる。
神経接続。
圧迫感。
呼吸まで引っ張られる。
伊吹マヤ『初号機、頸部圧迫!』
惣流・アスカ・ラングレー『シンジ!』
弐号機が動こうとする。
最上イズモ「来るな!」
惣流・アスカ・ラングレー『でも!』
最上イズモ「接触するな!」
参号機の指。
首。
そして。
装甲の隙間。
黒い何かが。
伸びてきた。
最上イズモ「侵食……!」
赤木リツコ『初号機との接触部分、切って!』
最上イズモ「やってる!」
右手。
プログレッシブナイフ。
抜く。
だが。
相手の腕を切れば。
中のトウジへどこまで負荷が返る。
分からない。
一瞬。
止まった。
その一瞬を。
参号機は逃さなかった。
初号機が地面へ叩きつけられる。
視界が白くなる。
最上イズモ「っ……!」
伊吹マヤ『同期率低下!』
碇ゲンドウ『パイロットとの神経接続を遮断』
最上イズモ「待て」
嫌な予感。
知っている。
この流れを。
碇ゲンドウ『ダミープラグへ切り替えろ』
最上イズモ「やめろ!」
システム表示が変わる。
操縦権限。
切断。
最上イズモ「待て! まだトウジは生きてる!」
赤い表示。
『DUMMY SYSTEM』
最上イズモ「俺の接続を勝手に――」
感覚が。
途切れた。
手。
脚。
初号機の身体が。
遠くなる。
最上イズモ「……っ」
それでも。
意識だけはつながっている。
自分の身体を。
他人に奪われる。
正確には。
初号機の制御を。
だが。
神経接続の中にいると。
区別がつかない。
最上イズモ「やめろ……」
碇ゲンドウ『攻撃開始』
ダミーシステムが起動する。
初号機の指が。
動く。
はずだった。
動かない。
伊吹マヤ「……え?」
碇ゲンドウ『どうした』
伊吹マヤ「ダミープラグ、接続正常!」
赤木リツコ「ならなぜ動かないの!」
伊吹マヤ「分かりません! 駆動系正常、神経系正常、命令信号も――」
初号機は。
地面に押さえつけられたまま。
動かない。
参号機の手だけが首を締め続ける。
最上イズモ「……ユイさん?」
小さく。
誰にも聞こえない声。
返事はない。
ただ。
深い場所から。
明確な。
拒絶。
それだけが伝わった。
最上イズモ「……そうか」
口元が。
ほんの少しだけ動く。
最上イズモ「あなたも嫌なんですね」
碇ゲンドウ『出力を上げろ』
伊吹マヤ「これ以上はパイロット側への逆流が!」
碇ゲンドウ『構わん』
最上イズモ「構うよ」
声。
今度は。
回線へ乗った。
最上イズモ「この身体はシンジのものだ」
ゲンドウが黙る。
最上イズモ「初号機だって」
一拍。
最上イズモ「ネルフの所有物じゃない」
赤木リツコの指が止まった。
最上イズモ「参号機の中にいるトウジも」
首が締まる。
苦しい。
それでも。
最上イズモ「誰かの目的のために勝手に壊していいものじゃない」
碇ゲンドウ『理想論だ』
最上イズモ「違う」
目を開く。
最上イズモ「運用条件です」
その瞬間。
初号機の奥。
何かが。
接続を変えた。
ダミーシステム。
切断。
表示が一斉に消える。
伊吹マヤ「ダミーシステム、強制排除!」
赤木リツコ「誰が!?」
伊吹マヤ「初号機側からです!」
そして。
操縦感覚が。
戻った。
指。
腕。
脚。
首を締める圧迫。
痛み。
全部。
最上イズモ「……返ってきた」
呼吸を一つ。
最上イズモ「ありがとうございます」
参号機を見る。
最上イズモ「じゃあ」
A.T.フィールド。
展開。
今回は。
刃ではない。
薄い面。
初号機と参号機の間。
首を掴む腕と。
初号機の装甲の隙間へ。
滑り込ませる。
最上イズモ「切るんじゃない」
押す。
参号機の指が。
一本ずつ開く。
最上イズモ「剥がす」
首が自由になる。
初号機が転がる。
立つ。
参号機も向き直る。
最上イズモ「レイ!」
綾波レイ『はい』
最上イズモ「右脚固定!」
零号機のフィールド。
右脚。
止まる。
最上イズモ「アスカ、左側から圧かけて! 触らずに!」
惣流・アスカ・ラングレー『命令しないで!』
弐号機のA.T.フィールドが展開。
左肩。
押す。
惣流・アスカ・ラングレー『でもやる!』
最上イズモ「助かる!」
三方向。
参号機の動きが。
止まる。
暴れる。
関節を壊してでも抜けようとする。
最上イズモ「トウジ!」
返事なし。
最上イズモ「聞こえてなくてもいい!」
初号機が前へ出る。
最上イズモ「今出す!」
参号機の背中。
エントリープラグ位置。
装甲。
使徒組織。
その境界を。
見る。
完全には分からない。
でも。
構造はある。
全てが一体になっているわけではない。
どこかに。
切れる線がある。
最上イズモ「リツコさん!」
赤木リツコ『何!』
最上イズモ「エントリープラグ周辺の侵食が一番薄い位置!」
赤木リツコ『今出す!』
数値。
画像。
三次元断面。
伊吹マヤ『背面左側、第三固定具周辺! 侵食密度が低いです!』
最上イズモ「了解!」
初号機の右手。
A.T.フィールド。
細く。
薄く。
刃より。
さらに細く。
最上イズモ「……頼む」
自分に。
初号機に。
あるいは。
中の誰かに。
誰へ言ったのか分からない。
最上イズモ「ここだけ」
差し込む。
参号機が暴れる。
弐号機が押す。
零号機が止める。
最上イズモ「動くな!」
固定具。
一つ。
切断。
二つ。
切断。
三つ目。
黒い使徒組織が。
こちらへ伸びる。
最上イズモ「来るな!」
A.T.フィールドで押し返す。
さらに。
固定具。
切れる。
赤木リツコ『射出機構、今なら通る!』
最上イズモ「やって!」
葛城ミサト『エントリープラグ緊急射出!』
一秒。
二秒。
動かない。
最上イズモ「頼む!」
爆発音。
参号機の背中から。
円筒。
エントリープラグが。
飛び出した。
惣流・アスカ・ラングレー『出た!』
最上イズモ「レイ!」
綾波レイ『回収します』
零号機がフィールドで進路を逸らす。
直接触れない。
エントリープラグが。
地面へ。
転がる。
止まる。
伊吹マヤ『生命反応!』
最上イズモ「トウジ!」
伊吹マヤ『あります! 弱いですが、生きてます!』
それだけで。
肺に。
空気が戻った。
だが。
参号機。
いや。
バルディエルが。
まだ動く。
中身を失った身体が。
こちらを見る。
もう。
迷う理由はなかった。
最上イズモ「……よし」
プログレッシブナイフを抜く。
惣流・アスカ・ラングレー『今度はいいのね』
最上イズモ「今度は」
一歩。
初号機が踏み込む。
最上イズモ「中に誰もいない」
A.T.フィールドを。
刃先へ。
細く。
収束。
参号機が腕を伸ばす。
避ける。
懐へ。
入る。
最上イズモ「返してもらう」
刃。
使徒の核へ。
押し込む。
抵抗。
A.T.フィールド。
ぶつかる。
最上イズモ「その身体」
さらに。
押す。
境界が。
割れる。
最上イズモ「トウジのだったんだよ」
刃が。
通った。
光。
衝撃。
バルディエルの身体が。
大きく反る。
伊吹マヤ『パターン青、急速減衰!』
最上イズモ「終われ」
もう一度。
深く。
使徒反応。
消失。
参号機が。
ゆっくり。
膝をついた。
そして。
動かなくなった。
*
誰も。
しばらく喋らなかった。
初号機。
零号機。
弐号機。
三機が。
壊れた参号機を囲んでいる。
少し離れた場所。
エントリープラグ。
救助班が走っている。
最上イズモ「トウジは」
伊吹マヤ『現在回収中!』
最上イズモ「状態」
伊吹マヤ『意識なし。多発外傷。神経負荷大……でも』
一拍。
伊吹マヤ『生きています』
イズモは。
目を閉じた。
最上イズモ「……了解」
惣流・アスカ・ラングレー『シンジ』
最上イズモ「何」
惣流・アスカ・ラングレー『今回は』
少しだけ。
間。
惣流・アスカ・ラングレー『勝手に一人で決めなかったわね』
イズモは。
一瞬。
黙った。
最上イズモ「二人がいたから」
綾波レイ『はい』
惣流・アスカ・ラングレー『そこはもうちょっと格好つけなさいよ』
最上イズモ「三人で止めた方が楽だった」
惣流・アスカ・ラングレー『……ほんっと、あんた』
そこで。
声が少しだけ笑った。
発令所では。
ゲンドウだけが。
笑っていなかった。
主モニター。
そこに表示されている。
『DUMMY SYSTEM』
『REJECTED』
赤い文字。
初号機自身から。
切断された記録。
その隣。
パイロット入力。
復帰。
碇ゲンドウは。
何も言わない。
冬月コウゾウが。
横目で見る。
冬月コウゾウ「……拒まれたな」
ゲンドウの指が。
机の上で組まれる。
碇ゲンドウ「…………」
冬月コウゾウ「ユイ君は」
ほんの少し。
言葉を置く。
冬月コウゾウ「誰の身体か、よく分かっているらしい」
ゲンドウは。
答えなかった。