碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
モニターの波形が、同じ場所で途切れていた。
命令入力。
ダミーシステム接続。
制御権移行。
そこまでは正常。
そして、その直後。
切断。
赤木リツコは映像を止めた。
発令所ではない。
戦闘終了から数時間後。技術区画の解析室には、必要最低限の人間だけが残っている。
リツコ。
伊吹マヤ。
葛城ミサト。
冬月コウゾウ。
そして、少し離れた位置に碇ゲンドウ。
画面には、初号機が参号機に押さえつけられた瞬間が映っていた。
首を締められる初号機。
ダミーシステムへの切り替え。
停止。
さらに数フレーム進める。
初号機の口元が、ほんのわずかに動く。
伊吹マヤ「……やっぱりです」
マヤの指がキーボードの上で止まる。
赤木リツコ「もう一度」
巻き戻す。
再生。
停止。
伊吹マヤ「パイロット側からの拒否信号じゃありません」
葛城ミサト「シンジ君は操縦権切られてたものね」
伊吹マヤ「はい。神経接続も制限されています」
別のグラフを表示する。
青。
赤。
黄色。
複数の信号が重なり、最後の瞬間だけ一つが逆方向へ跳ねていた。
伊吹マヤ「ダミーシステム自体は正常に起動しています。命令信号も正常。制御系にも異常なし」
葛城ミサト「じゃあ、なんで動かなかったのよ」
マヤは答えなかった。
答えられないというより、言葉にしていいのか迷っている顔だった。
リツコが代わりに画面を見る。
赤木リツコ「初号機側が接続を切った」
静かになった。
その言い方には、機械故障として処理できない重さがあった。
葛城ミサト「……そんなこと、できるの?」
赤木リツコ「できたから記録が残ってるのよ」
苛立っている。
現象そのものではない。
説明できないことに。
マヤが小さく画面を切り替える。
伊吹マヤ「その直前に、もう一つあります」
音声ログ。
再生する。
『この身体はシンジのものだ』
一拍。
『初号機だって』
イズモの声。
静かな声だった。
怒鳴っていない。
命令もしていない。
ただ、線を引いた。
『参号機の中にいるトウジも』
『ネルフの所有物じゃない』
録音が止まる。
誰もすぐには話さなかった。
碇ゲンドウ「偶然だ」
短かった。
リツコが振り向く。
碇ゲンドウ「戦闘損傷による一時的な制御障害として処理しろ」
伊吹マヤ「ですが──」
碇ゲンドウ「問題はない」
マヤの声が止まる。
ミサトの眉が動いた。
葛城ミサト「問題ないって、本気?」
碇ゲンドウ「結果として参号機は停止した。パイロットも生存している」
葛城ミサト「そういう話してるんじゃないでしょう」
ゲンドウの視線が動く。
冷たい。
いつもの目。
けれど、ミサトは退かなかった。
葛城ミサト「命令したのよね」
沈黙。
葛城ミサト「シンジ君の意思を切って、ダミーに殺させようとした」
赤木リツコ「葛城一尉」
葛城ミサト「リツコは黙ってて」
強い声ではなかった。
だから余計に重かった。
葛城ミサト「それで、その命令を初号機が拒否した」
碇ゲンドウ「兵器が命令を選ぶことはない」
伊吹マヤ「……でも」
小さな声。
全員がマヤを見る。
マヤは一瞬だけ怯んだ。
それでも、画面を指した。
伊吹マヤ「選んでます」
ゲンドウの目が細くなる。
伊吹マヤ「少なくとも記録上は」
声が震えている。
だが、引かなかった。
伊吹マヤ「ダミーシステムへの接続要求は初号機内部まで到達しています。拒絶信号が発生したあと、パイロット入力系だけが復帰しています」
赤木リツコ「つまり」
マヤが息を吸う。
伊吹マヤ「システム障害なら、こんな切れ方はしません」
また静かになる。
冬月がゆっくり目を閉じた。
冬月コウゾウ「拒否された命令、か」
誰も否定しなかった。
ゲンドウだけが画面から視線を外した。
碇ゲンドウ「解析を続けろ」
それだけ残して、部屋を出る。
扉が閉じる。
ミサトが長く息を吐いた。
葛城ミサト「……都合悪くなると帰るのね」
赤木リツコ「ミサト」
葛城ミサト「分かってる」
椅子へ身体を預ける。
しばらく誰も動かなかった。
画面には、停止した初号機が映っている。
その向こう。
参号機。
いや。
トウジの身体だったもの。
最上イズモの言葉が、まだログの中に残っている。
『誰かの目的のために勝手に壊していいものじゃない』
リツコが映像を閉じた。
赤木リツコ「……少なくとも、障害として処理するのは無理ね」
葛城ミサト「珍しく同意」
伊吹マヤ「記録分類はどうしますか?」
リツコは少し考える。
赤木リツコ「未解明の自律制御介入」
ミサトが顔をしかめる。
葛城ミサト「硬い」
赤木リツコ「報告書よ」
冬月が小さく笑った。
冬月コウゾウ「では備考に残しておけ」
リツコが見る。
冬月コウゾウ「パイロット意思と一致した、と」
*
病室は静かだった。
消毒液の匂い。
白い壁。
一定間隔で鳴るモニター音。
最上イズモはベッド脇の椅子に座っていた。
眠っている少年を見る。
鈴原トウジ。
顔色は悪い。
包帯も多い。
それでも胸は動いている。
吸う。
吐く。
それだけの動きを、さっきから何度も確認してしまう。
生きている。
分かっている。
数字にも出ている。
医師からも聞いた。
それでも見る。
扉が開いた。
葛城ミサト「まだいたの?」
最上イズモ「はい」
葛城ミサト「もう二時間よ」
最上イズモ「そうですか」
ミサトが少しだけ眉を下げた。
葛城ミサト「そうですか、じゃないでしょ」
隣の椅子へ座る。
責める声ではない。
最上イズモ「起きるかと思って」
葛城ミサト「医者は明日以降って言ってたでしょ」
最上イズモ「予定は外れるので」
葛城ミサト「そういうとこだけ妙に期待するのね」
返さなかった。
しばらくモニター音だけが続く。
ミサトがトウジを見る。
葛城ミサト「助かったわ」
最上イズモ「三人で止めました」
葛城ミサト「そういう意味じゃなくて」
最上イズモ「分かってます」
少しだけ間。
葛城ミサト「……ほんと?」
最上イズモ「たぶん」
ミサトが苦笑した。
葛城ミサト「そこは自信ないのね」
さらに扉が開く。
惣流・アスカ・ラングレー「まだいると思った」
綾波レイも後ろにいた。
葛城ミサト「あなたたちまで」
惣流・アスカ・ラングレー「見るだけよ」
アスカがベッドを見る。
ほんの一瞬、表情が止まる。
戦闘中には見せなかった顔だった。
惣流・アスカ・ラングレー「……ほんとに生きてる」
最上イズモ「はい」
惣流・アスカ・ラングレー「その返事、さっきから何回してるのよ」
最上イズモ「覚えてません」
惣流・アスカ・ラングレー「でしょうね」
レイはベッドの反対側へ立つ。
近づきすぎない。
ただ見る。
綾波レイ「良かった」
小さかった。
けれど、はっきり聞こえた。
その瞬間。
モニター音が少し変わった。
トウジの指が動く。
最上イズモが立ち上がる。
ミサトも同時に前へ出る。
アスカが息を止めた。
まぶたが震える。
ゆっくり。
開く。
鈴原トウジ「……うるさ……」
声が掠れていた。
それでも。
トウジの声だった。
葛城ミサト「先生呼んでくる!」
ミサトがすぐに出ていく。
アスカは呆れたように息を吐きながら、目元だけ少し緩んでいた。
鈴原トウジ「……なんや」
視線が動く。
レイ。
アスカ。
そして。
イズモ。
鈴原トウジ「……シンジ?」
最上イズモ「はい」
鈴原トウジ「なんで……そんな顔しとんねん」
そこで初めて、イズモは自分の表情が分からなくなった。
触れる。
頬。
濡れてはいない。
笑ってもいない。
最上イズモ「分かりません」
鈴原トウジ「なんやそれ……」
弱く笑う。
その笑いだけで、胸の奥に引っかかっていた何かが少し落ちた。
鈴原トウジ「ワイ……どうなった?」
アスカとレイがこちらを見る。
イズモは少しだけ考える。
隠す理由はない。
全部を今話す理由もない。
最上イズモ「使徒に侵食されました」
鈴原トウジ「……参号機?」
最上イズモ「はい」
鈴原トウジ「ほんで?」
最上イズモ「止めました」
鈴原トウジ「お前が?」
少し迷う。
最上イズモ「三人で」
惣流・アスカ・ラングレー「そこは絶対そう言うと思った」
鈴原トウジがゆっくりアスカを見る。
鈴原トウジ「……三人?」
惣流・アスカ・ラングレー「私と、優等生と、そいつ」
綾波レイ「三機」
鈴原トウジ「……マジか」
目を閉じる。
しばらく何も言わない。
それから。
鈴原トウジ「ワイ、生きとるんやな」
最上イズモ「はい」
今度の返事は少しだけ遅れた。
鈴原トウジ「……そっか」
天井を見る。
呼吸。
一度。
二度。
鈴原トウジ「ありがとな」
イズモは答えなかった。
言葉を選んでいるうちに、トウジがこちらを見る。
鈴原トウジ「なんや」
最上イズモ「僕だけじゃないので」
惣流・アスカ・ラングレー「はい出た」
アスカが額を押さえる。
鈴原トウジ「相変わらずめんどくさいやっちゃな」
最上イズモ「すみません」
鈴原トウジ「謝るとこちゃうわ」
また小さく笑う。
痛むのか、すぐ顔をしかめる。
その動きがあまりに普通で。
あまりにトウジだった。
イズモは少しだけ肩の力を抜いた。
鈴原トウジ「……でも」
声が変わる。
イズモを見る。
真っ直ぐ。
鈴原トウジ「お前、ほんま変わったな」
病室の空気が少しだけ止まった。
アスカは何も言わない。
レイも。
イズモも。
鈴原トウジ「前のお前やったら……なんやろな」
息を整える。
鈴原トウジ「もっと一人で全部抱えとった気ぃするわ」
胸の奥で、小さく何かが動いた。
シンジ。
本当の。
この身体の持ち主。
自分ではない少年。
最上イズモ「……そうかもしれません」
鈴原トウジ「否定せえへんのかい」
最上イズモ「できないので」
鈴原トウジ「変なとこ真面目やなぁ」
アスカが壁へ背を預ける。
惣流・アスカ・ラングレー「でも今回は違ったわよ」
イズモが見る。
惣流・アスカ・ラングレー「勝手に一人で決めなかった」
一拍。
惣流・アスカ・ラングレー「私にも、綾波にもちゃんと頼った」
綾波レイ「うん」
アスカは少しだけ目を逸らす。
惣流・アスカ・ラングレー「だから、それでいいんじゃない」
その言葉を聞きながら。
イズモは、自分の手を見る。
シンジの手。
借りている身体。
この手で初号機を動かした。
この手で参号機を止めた。
けれど。
一人ではない。
その事実だけは、自分のものとして持っていていい気がした。
鈴原トウジ「……シンジ」
最上イズモ「はい」
鈴原トウジ「また学校来いよ」
簡単な言葉だった。
何の条件もない。
パイロットでも。
救った人間でも。
異常な何かでもなく。
ただ。
クラスメイトとして。
最上イズモ「行きます」
即答。
トウジが笑う。
鈴原トウジ「そこだけは早いんやな」
*
同じ頃。
遠い場所。
碇シンジは突然、右手を押さえた。
痛い。
反射だった。
何かに切られたわけではない。
ぶつけてもいない。
それなのに掌の奥が熱い。
碇シンジ「……っ」
KAEDE「異常を検出」
すぐに姿が現れる。
シンジは右手を見る。
傷はない。
皮膚も正常。
それでも、痛みだけが残っている。
碇シンジ「手……痛い」
KAEDE「外傷なし。神経系正常」
碇シンジ「違う」
自分でも、なぜそう言ったのか分からない。
でも。
違う。
これは。
碇シンジ「僕じゃない」
KAEDEが止まった。
わずかに。
ほんの一拍。
シンジは胸へ手を当てる。
今度は別の感覚。
痛みではない。
張り詰めていた何かが、ゆっくり緩んでいく感じ。
安心。
誰のものか分からない。
けれど。
自分の中から生まれたものではない気がする。
KAEDE「発生時刻を記録」
空中にデータが開く。
KAEDEの目が高速で情報を追う。
しばらくして。
動きが止まった。
碇シンジ「……何?」
KAEDE「仮説を更新します」
シンジの背中が少し固くなる。
KAEDE「これまで人格交換後、両者は独立状態にあると仮定していました」
碇シンジ「違うの?」
KAEDE「断定はできません」
一拍。
KAEDE「ただし、完全分離していない可能性があります」
窓の外。
巨大な都市の光が静かに流れている。
シンジは右手を開く。
もう痛みは薄い。
それでも。
さっき確かにあった。
向こう側から来たような痛み。
そして。
そのあとに来た安堵。
碇シンジ「……イズモ」
名前を口にする。
返事はない。
けれど今までより。
ほんの少しだけ。
遠くない気がした。