碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
警報が鳴るより先に、最上イズモは立ち上がった。
発令所の大型モニターには、まだ警戒表示しか出ていない。
伊吹マヤ「パターン青! 強力な反応を確認、直上です!」
画面が切り替わる。
ジオフロントへ侵入する巨大な影。
装甲。
異様に発達した腕部。
既存の使徒とは明らかに違う密度。
イズモは、その姿を見た瞬間に名前を思い出した。
ゼルエル。
使徒の中でも、正面戦闘能力だけなら最上位。
そして。
待っていた相手だった。
葛城ミサト「零号機、弐号機を迎撃準備! 初号機も──」
最上イズモ「ミサトさん」
声を遮った。
ミサトが振り向く。
最上イズモ「その前に話があります」
葛城ミサト「今!?」
最上イズモ「今じゃないと意味がありません」
赤木リツコがこちらを見る。
その目が、すぐに変わった。
赤木リツコ「あなた」
一拍。
赤木リツコ「この使徒が来ることを知ってたの?」
最上イズモ「はい」
発令所から音が消えたように感じた。
警報は鳴り続けている。
オペレーターも動いている。
だが、こちらを見た人間だけが一瞬止まった。
葛城ミサト「……どこまで?」
最上イズモ「かなり」
赤木リツコ「だったらなぜ今まで黙ってたの」
最上イズモ「来ることと、同じ展開になることは別だからです」
リツコの眉が動く。
イズモは正面モニターを見る。
ゼルエルが装甲板を突破する。
一枚。
二枚。
速い。
時間はない。
だからこそ。
最上イズモ「この戦闘を利用します」
葛城ミサト「……利用?」
最上イズモ「僕と碇シンジを戻します」
今度こそ。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
赤木リツコ「何ですって?」
最上イズモ「正確には、再構築です」
伊吹マヤが振り返る。
最上イズモ「今起きているのは、単純な肉体交換じゃない」
最上イズモ「人格の位置が入れ替わって、それでも完全には切れていない」
リツコの顔から、戦術担当としての色が一瞬だけ薄れる。
研究者の目になった。
赤木リツコ「根拠は?」
最上イズモ「僕がシンジの身体から情報を拾うことがある」
最上イズモ「向こうのシンジも、こちらの痛みや感情を拾い始めている」
葛城ミサト「向こうって……」
最上イズモ「僕の世界です」
冬月コウゾウ「やはり、そういうことか」
冬月の声だけが静かだった。
ゲンドウは何も言わない。
ただ。
眼鏡の奥からこちらを見る。
最上イズモ「今までは接続が細すぎた」
最上イズモ「でも初号機との同期が深くなるたび、向こうとの接続も強くなっています」
赤木リツコ「初号機を中継点にしているというの?」
最上イズモ「可能性が高い」
赤木リツコ「そんな馬鹿な」
最上イズモ「僕もそう思います」
それでも。
起きている。
それだけだった。
正面モニターで、ゼルエルの光線が防壁を焼き切る。
伊吹マヤ「第二十八装甲板突破!」
葛城ミサト「時間がないわ!」
最上イズモ「だから、この使徒です」
ミサトがこちらを見る。
最上イズモ「通常の同期では足りない」
最上イズモ「初号機が自己保存とパイロット保護を最優先するほどの状況が必要になる」
赤木リツコ「……まさか」
理解した。
顔がはっきり変わった。
赤木リツコ「あなた、初号機の暴走を使うつもり?」
最上イズモ「暴走は目的じゃありません」
赤木リツコ「同じよ!」
珍しく声が上がる。
最上イズモ「違います」
イズモは首を振った。
最上イズモ「暴走したら失敗です」
赤木リツコ「じゃあ何をするの」
息を吸う。
自分でも。
かなりひどい計画だと思う。
最上イズモ「僕とシンジが同時に、自分を選び直します」
沈黙。
葛城ミサト「……何?」
最上イズモ「僕はここで、最上イズモとして自分を固定する」
最上イズモ「向こうでは、碇シンジが碇シンジとして自分を固定する」
最上イズモ「身体じゃない」
最上イズモ「役割でもない」
最上イズモ「記憶だけでもない」
最上イズモ「何を選ぶかで」
リツコの目が細くなる。
理解しようとしている。
最上イズモ「A.T.フィールドは、自分と他人を分ける境界でしょう」
赤木リツコ「一般化しすぎよ」
最上イズモ「でも、大きくは外してない」
返答がない。
最上イズモ「だったら」
イズモは初号機の表示を見る。
最上イズモ「二人分の境界を、同時に作り直せる」
冬月が初めて明確に表情を変えた。
冬月コウゾウ「再構築……」
最上イズモ「はい」
冬月コウゾウ「人格を戻すのではない」
最上イズモ「戻すだけなら、また崩れる可能性があります」
最上イズモ「だから」
一度。
目を閉じる。
最上イズモ「僕は僕」
開く。
最上イズモ「シンジはシンジ」
最上イズモ「それを一度、世界側へ通します」
ゲンドウの指が。
わずかに動いた。
小さかった。
だが。
イズモは見逃さなかった。
最上イズモ「……そして」
ゲンドウを見る。
最上イズモ「これが成功した場合」
一拍。
最上イズモ「人類補完計画は失敗します」
空気が止まった。
今までとは違う。
本当の意味で。
碇ゲンドウ「……何を知っている」
低い声。
初めて。
問いではなく警戒だった。
葛城ミサト「補完……計画?」
伊吹マヤ「人類、補完……?」
リツコだけが。
顔を青くした。
最上イズモ「ある程度」
碇ゲンドウ「答えろ」
最上イズモ「人間から境界をなくして、一つへ寄せる計画」
誰かが息を呑んだ。
最上イズモ「個体として生きることで生まれる痛みを、個体そのものをなくすことで解消する」
赤木リツコ「やめなさい」
最上イズモ「間違ってますか?」
リツコは答えない。
答えられない。
ミサトが彼女を見る。
葛城ミサト「リツコ」
赤木リツコ「……今は使徒が先よ」
最上イズモ「そうですね」
視線をゲンドウへ戻す。
最上イズモ「だから詳細は後で」
碇ゲンドウ「出撃は許可しない」
即答だった。
ミサトが振り向く。
葛城ミサト「は?」
碇ゲンドウ「初号機を凍結する」
葛城ミサト「何言ってるの!? もう防壁が──」
碇ゲンドウ「零号機と弐号機で迎撃しろ」
最上イズモ「無理です」
碇ゲンドウ「命令だ」
最上イズモ「ゼルエルは止まりません」
碇ゲンドウ「初号機は出さん」
その言葉で。
はっきりした。
この人は。
使徒より。
今、自分の方を危険だと判断した。
計画を壊す可能性のある存在として。
最上イズモ「……なるほど」
葛城ミサト「納得してる場合じゃない!」
最上イズモ「納得じゃありません」
モニターを見る。
また一枚。
防壁が消える。
最上イズモ「確認できただけです」
碇ゲンドウ「何をだ」
最上イズモ「補完計画の方が、この街より優先なんですね」
ゲンドウは答えなかった。
それで十分だった。
葛城ミサトの顔が変わる。
ゆっくり。
司令席を見る。
葛城ミサト「……司令」
碇ゲンドウ「命令は変わらん」
葛城ミサト「そう」
短い。
それだけ。
そして。
葛城ミサト「初号機、出します」
伊吹マヤ「えっ」
赤木リツコ「ミサト!」
葛城ミサト「戦術作戦部長として判断する」
碇ゲンドウ「葛城一尉」
葛城ミサト「現在、敵性体は本部へ直接侵攻中」
葛城ミサト「零号機、弐号機だけでの阻止成功率は?」
マヤが反射的に端末を見る。
伊吹マヤ「……十四・八パーセント」
葛城ミサト「初号機を追加した場合」
伊吹マヤ「五十七……いえ、パイロット特性を含めると算定不能です」
葛城ミサト「十分」
赤木リツコ「十分じゃないわよ!」
葛城ミサト「じゃあ代案!」
リツコが止まる。
ない。
その数秒で。
また防壁が破られる。
葛城ミサト「シンジ君」
最上イズモ「はい」
葛城ミサト「あなたの計画」
一拍。
葛城ミサト「成功率は?」
最上イズモ「分かりません」
葛城ミサト「でしょうね」
苦く笑う。
葛城ミサト「失敗したら?」
最上イズモ「最悪、僕とシンジの境界がさらに混ざります」
葛城ミサト「死ぬ可能性」
最上イズモ「あります」
葛城ミサト「却下したいわね」
最上イズモ「僕もです」
葛城ミサト「でもやるの?」
イズモは少しだけ考えた。
いつもの答えが出そうになる。
必要だから。
それを。
一度止めた。
最上イズモ「……シンジに帰ってきてほしいので」
ミサトの目が止まる。
最上イズモ「僕も帰りたい」
それだけだった。
使命でも。
世界のためでも。
補完計画を止めるためでもない。
最上イズモ「だからやります」
ミサトは数秒だけ黙った。
そして。
葛城ミサト「了解」
*
遠い世界。
碇シンジは、突然胸を押さえた。
熱い。
痛い。
でも。
今までとは違う。
呼ばれている。
名前ではない。
もっと深いところ。
KAEDEが即座に現れる。
KAEDE「接続強度上昇」
碇シンジ「イズモ?」
KAEDE「可能性が高い」
壁面表示が一斉に開く。
生体情報。
人格安定度。
外部接続。
そして。
今まで存在しなかった値。
『境界同期率』
数字が上がっている。
碇シンジ「……これ、何」
KAEDE「仮称です」
碇シンジ「何が起きてるの」
KAEDEは一拍だけ止まる。
KAEDE「最上イズモが意図的に接続を拡大しています」
碇シンジ「なんで!?」
KAEDE「推定」
一拍。
KAEDE「あなたを戻すためです」
シンジの呼吸が止まる。
碇シンジ「……そんな」
視界が揺れる。
遠く。
巨大な何かが吠える。
初号機。
見えないはずなのに。
分かる。
碇シンジ「また乗ってる」
KAEDE「はい」
碇シンジ「やめさせて」
即座に出た。
KAEDE「通信経路がありません」
碇シンジ「じゃあ何か!」
声が上がる。
碇シンジ「僕を戻すために、あの人が壊れたら意味ないだろ!」
部屋に響く。
自分でも驚くほど。
強い声だった。
KAEDEは止めない。
ただ。
聞く。
碇シンジ「僕の身体だからとかじゃない」
碇シンジ「イズモだって」
胸が痛い。
でも言う。
碇シンジ「イズモの身体は、イズモのものだ」
その瞬間。
表示が跳ねた。
KAEDE「……境界反応上昇」
碇シンジ「え」
KAEDEがこちらを見る。
KAEDE「続けてください」
碇シンジ「何を」
KAEDE「今のあなたの判断を」
分からない。
でも。
胸の奥に。
誰かがいる。
自分ではない。
なのに。
知っている。
碇シンジ「僕は」
喉が詰まる。
父さん。
エヴァ。
ネルフ。
期待。
逃げること。
戻ったこと。
ずっと。
誰かに決められてきた。
でも。
今。
これは。
自分で言える。
碇シンジ「僕は、碇シンジだ」
表示がさらに上がる。
碇シンジ「エヴァに乗るからじゃない」
碇シンジ「父さんの息子だからでもない」
声が震える。
それでも。
碇シンジ「怖くても」
碇シンジ「逃げても」
碇シンジ「それでも僕が選んだことは」
胸へ手を置く。
碇シンジ「僕のものだ」
世界が。
白くなった。
*
初号機の内部。
ゼルエルの腕が装甲を裂いた。
痛み。
衝撃。
視界が赤く染まる。
伊吹マヤ『左腕損失!』
葛城ミサト『シンジ君!』
最上イズモ「聞こえてます」
痛い。
身体が拒絶する。
初号機も怒っている。
ユイの気配が。
以前より近い。
でも。
今日は。
そこへ沈まない。
最上イズモ「ユイさん」
返事はない。
最上イズモ「少しだけ」
呼吸。
最上イズモ「手伝ってください」
初号機の目が。
光る。
ゼルエルが迫る。
その向こうで。
別の声。
聞こえた。
『僕は、碇シンジだ』
イズモの目が開く。
最上イズモ「……やっと聞こえた」
遠い。
でも。
確かに。
いる。
最上イズモ「シンジ」
『僕の身体を返して』
少しだけ。
笑った。
最上イズモ「そのつもり」
『でも』
一拍。
『イズモも、自分の身体に戻って』
胸の奥が。
熱くなる。
最上イズモ「……了解」
ゼルエルが腕を振り上げる。
初号機が立つ。
痛みも。
恐怖も。
全部残っている。
それでも。
最上イズモ「僕は最上イズモ」
A.T.フィールドが広がる。
今までとは違う。
尖らせない。
押し潰さない。
ただ。
輪郭を作る。
最上イズモ「これはシンジの身体」
もう一枚。
境界が生まれる。
最上イズモ「向こうにいるのが碇シンジ」
さらに。
初号機そのものの境界。
ユイ。
最上イズモ「あなたはあなた」
初号機が吠えた。
ゼルエルのA.T.フィールドと衝突する。
光。
だが。
今回は破壊ではない。
世界の中に。
線が走る。
自分。
他人。
重なっても。
消えない。
触れても。
一つにならない。
理解しても。
同じにならない。
その構造が。
初号機の奥。
さらに深く。
何かへ届いた。
碇ゲンドウ「……何だ」
発令所で。
誰にも見えない場所で。
人類補完計画の前提が。
ひとつ。
崩れた。
魂は。
境界を失えば一つになる。
個は。
孤独から逃れるために統合を受け入れる。
その前提。
だが。
そこへ。
二つの人格が。
互いを認識したまま。
互いの境界を肯定した。
混ざった状態から。
自分で。
分かれることを選んだ。
A.T.フィールドは。
壁ではなかった。
拒絶だけでもなかった。
他人を他人のまま残すためのものでもあった。
その答えが。
初号機へ。
刻まれた。
冬月コウゾウ「碇」
ゲンドウは答えない。
画面を見る。
初号機。
そのコア。
予定されていたものとは違う波形。
赤木リツコ「……あり得ない」
葛城ミサト「何が?」
リツコは画面を見たまま。
動かなかった。
赤木リツコ「A.T.フィールドが」
一拍。
赤木リツコ「自分を閉じる方向じゃない」
伊吹マヤ「え?」
赤木リツコ「相手を消さずに、境界を維持してる」
理解できない。
だが。
記録は残っている。
最上イズモの声が。
回線へ流れる。
最上イズモ『人は』
息が荒い。
痛みで声も震えている。
それでも。
最上イズモ『一つにならなくても』
初号機がゼルエルへ踏み込む。
最上イズモ『つながれます』
ゲンドウの手が。
初めて。
強く握られた。
最上イズモ『だから』
ゼルエルの境界を押し返す。
最上イズモ『あなたたちの補完は』
初号機の手が。
敵の核へ届く。
最上イズモ『必要ありません』
光が。
弾けた。
*
後に。
ゼーレは理解することになる。
人類補完計画は。
この瞬間。
すでに失敗していた。
装置が壊れたわけではない。
槍が失われたからでもない。
初号機が奪われたからでもない。
もっと根本だった。
補完される側が。
別の答えを知ってしまった。
孤独をなくすために。
個をなくす必要はない。
痛みを避けるために。
他人を自分へ溶かす必要もない。
境界を残したまま。
触れることができる。
離れることもできる。
戻ることもできる。
そして。
拒否することもできる。
最上イズモと碇シンジ。
本来なら。
互いの存在を侵食し。
どちらが誰か分からなくなるはずだった二人が。
最後に選んだのは。
一つになることではなかった。
互いを。
互いのまま。
返すことだった。