碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
暗闇。
その中に、十二枚の石板だけが浮かんでいた。
光はない。
人の顔もない。
声だけが響く。
SEELE01「報告を」
短い沈黙。
表示が一つ開く。
『HUMAN INSTRUMENTALITY』
『BOUNDARY COLLAPSE』
『FAILED』
誰も言葉を挟まなかった。
さらに下。
『INDIVIDUAL PATTERN RECONSTRUCTION』
『COMPLETED』
石板の一つが僅かに明滅する。
SEELE04「誤作動ではないのか」
SEELE07「MAGI三系統で再検証済みだ」
SEELE04「ならば解析系そのものが汚染された可能性を──」
SEELE01「違う」
低い声だった。
即座に。
全ての発言が止まる。
SEELE01「これは失敗ではない」
一拍。
SEELE01「否定だ」
また沈黙。
モニターに別の記録が開く。
初号機。
ゼルエル戦。
A.T.フィールド。
二つの人格パターン。
重なっている。
交差している。
本来なら。
ここから先。
境界は溶ける。
区別は失われる。
個体認識は薄れ。
一つへ寄る。
それが。
想定だった。
だが。
波形は途中で反転していた。
片方が。
二つへ。
二つが。
それぞれへ。
戻っている。
SEELE03「理解できぬ」
SEELE08「A.T.フィールドは心の壁だ」
SEELE03「だからこそだ」
声に。
苛立ちが混じる。
SEELE03「これほど深く混線した人格が、なぜ自己境界を再形成できる」
SEELE06「しかも相互認識を維持したまま」
SEELE09「通常なら、いずれかが他方を侵食する」
SEELE05「あるいは統合される」
SEELE02「どちらでもない」
再び。
記録が再生される。
『僕は、碇シンジだ』
少年の声。
『僕の身体を返して』
別の声。
『そのつもり』
表示。
二つの人格識別。
完全分離。
だが。
接続の痕跡は残っている。
SEELE04「……愚かな」
吐き捨てるような声。
SEELE07「何がだ」
SEELE04「痛みを残した」
SEELE04「孤独を残した」
SEELE04「拒絶を残した」
SEELE04「その全てを理解した上で、なお個体へ戻ることを選んだ」
声が少し強くなる。
SEELE04「なぜだ」
答えは。
すぐには出なかった。
SEELE01「それが問題なのだ」
表示が切り替わる。
最上イズモ。
人格構造。
既知の人類データベースに存在しない識別情報。
異常なまでに明確な自己境界。
高い適応性。
他者認識。
そして。
『境界保持状態での相互接続』
SEELE01「我々は長く、一つの前提を置いてきた」
誰も口を挟まない。
SEELE01「人は他者を理解できない」
SEELE01「理解できぬから傷つく」
SEELE01「傷つくから壁を作る」
SEELE01「ならば壁をなくせばよい」
暗闇に。
言葉が落ちる。
SEELE01「だが」
モニター上。
二つの人格波形。
離れている。
完全に。
それでも。
接触履歴だけが。
細い線のように残っている。
SEELE01「彼らは壁を残した」
SEELE02「そして、理解した」
SEELE06「完全ではない」
SEELE02「完全である必要がないと証明した」
石板の一つが。
強く光る。
SEELE04「証明などではない!」
初めて。
怒声が響いた。
SEELE04「二個体の特殊事例だ!」
SEELE04「異世界由来の異常人格と、EVA適格者!」
SEELE04「人類全体へ一般化できるものではない!」
SEELE07「その通りだ」
SEELE04「ならば──」
SEELE07「だが」
一拍。
SEELE07「一般化できないことと」
SEELE07「可能性が存在しないことは違う」
空気が。
沈む。
SEELE09「一例でも成立した時点で」
SEELE09「我々の前提は絶対ではなくなった」
誰も。
否定しなかった。
できなかった。
それが。
一番重かった。
*
別画面。
碇ゲンドウ。
発令所の記録。
『補完計画の方が、この街より優先なんですね』
最上イズモの声。
数秒。
ゲンドウは答えていない。
SEELE03「碇は何をしていた」
SEELE08「制止を試みた」
SEELE03「失敗した」
SEELE08「葛城一尉が出撃を強行」
SEELE05「初号機も応じた」
SEELE06「そして、ユイもだ」
また。
沈黙。
その名だけは。
今までとは違う温度を持っていた。
SEELE01「碇の私情が計画を歪めた」
SEELE02「以前からだ」
SEELE01「だが今回」
一枚。
資料が開く。
『初号機ダミーシステム拒絶』
『パイロット意思復帰』
『自己境界再構築』
『補完関連プロトコル拒否』
SEELE01「初号機そのものが我々の想定から離れた」
SEELE03「凍結するべきだ」
SEELE07「不可能だ」
SEELE03「なぜ」
SEELE07「初号機を失えば補完計画そのものが成立しない」
SEELE03「ならば奪還を」
SEELE02「何を奪還する」
静かな声。
SEELE03「初号機だ」
SEELE02「違う」
モニターに。
初号機。
紫の巨体。
だが。
その周囲に。
複数の境界表示。
碇シンジ。
碇ユイ。
そして。
一時的に接続していた最上イズモ。
SEELE02「我々は兵器だと思っていた」
SEELE02「だがあれは」
言葉が。
一度止まる。
SEELE02「選ぶ」
その二文字。
誰も好まなかった。
*
会議は続いた。
再構築手段の解析。
代替素体。
量産型。
ロンギヌス。
アダム。
リリス。
あらゆる可能性が並ぶ。
しかし。
どの案も。
以前ほど確実には見えなかった。
SEELE05「最上イズモを排除すればよい」
唐突だった。
SEELE08「既にこの世界に存在しない」
SEELE05「再接続の可能性は」
SEELE08「不明」
SEELE05「ならば碇シンジを」
その瞬間。
複数の石板が。
同時に沈黙した。
SEELE05「……何だ」
SEELE07「排除してどうする」
SEELE05「不確定要素を」
SEELE07「彼一人を消したところで、現象は記録済みだ」
SEELE02「さらに」
画面。
バルディエル戦。
アスカ。
レイ。
ミサト。
トウジ。
それぞれの行動記録。
SEELE02「影響は既に一人ではない」
SEELE06「葛城一尉は命令系統よりパイロット保護を優先した」
SEELE09「惣流・アスカ・ラングレーは共同判断を経験した」
SEELE08「綾波レイも同様」
SEELE03「綾波は代替可能だ」
SEELE01「以前ならばな」
短い。
それで。
誰も続けなかった。
変わっている。
ネルフが。
パイロットが。
初号機が。
そして。
計画を進める側だけが。
以前と同じ場所へ残されている。
*
最後に。
一枚の記録が表示された。
再構築直前。
最上イズモ。
『人は一つにならなくてもつながれます』
無音。
『だから』
『あなたたちの補完は必要ありません』
停止。
SEELE04「傲慢だ」
SEELE09「そうかもしれない」
SEELE04「たった一人が人類の救済を否定するなど」
SEELE09「否定したのは一人ではない」
映像。
碇シンジ。
『僕は、碇シンジだ』
別映像。
最上イズモ。
『僕は最上イズモ』
SEELE09「二人だ」
SEELE02「いや」
さらに。
初号機の拒絶記録。
SEELE02「三者だ」
SEELE06「そして今後」
一拍。
SEELE06「増える可能性がある」
その言葉が。
暗闇へ落ちた。
補完計画にとって。
最も危険なのは。
兵器ではない。
反乱でもない。
計画を知った人間が。
自分で選ぶことだった。
SEELE01「計画は継続する」
全ての石板が。
静かに光る。
SEELE01「死海文書の記述は変わらない」
SEELE01「人類は次の段階へ進まねばならない」
SEELE07「拒否された場合は」
問い。
SEELE01は。
少しだけ。
答えるまで時間を置いた。
SEELE01「拒否という選択そのものを」
一拍。
SEELE01「成立させなければよい」
誰も。
それに同意しなかった。
反対もしなかった。
以前なら。
必要のない沈黙だった。
SEELE01「……何だ」
返事はない。
一枚。
石板が消える。
SEELE01「戻れ」
戻らない。
もう一枚。
消える。
SEELE04「何をしている」
さらに。
一枚。
SEELE07「確認しているだけだ」
SEELE04「何を」
SEELE07「我々自身の選択を」
その言葉を最後に。
石板が消えた。
残った光が。
一つずつ。
減っていく。
誰かが裏切ったわけではない。
誰かが改心したわけでもない。
ただ。
これまで。
選択肢だと思っていなかったものが。
選択肢になった。
計画を続ける。
止める。
疑う。
離れる。
それぞれが。
初めて。
別々の方向を持ち始めた。
最後に。
SEELE01だけが残る。
暗闇。
モニター。
『HUMAN INSTRUMENTALITY』
その下。
『FAILED』
さらに。
小さな記録。
『CAUSE』
『INDIVIDUAL BOUNDARY REAFFIRMATION』
老人は。
長く。
その文字を見ていた。
人類を一つにするための組織が。
最後に。
自分たち自身の境界によって。
一つではなくなっていた。
画面が消える。
暗闇だけが残った。