碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ   作:最上 イズモ

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違和感

制服の襟が、首に少しだけ硬かった。

 

鏡の前で立ち止まり、最上イズモは無意識に指先で襟元を整える。シンジの身体に合わせて作られた制服は、合っている。寸分違わず合っているのに、自分のものとして馴染むかは別だった。

 

細い肩。軽い骨格。重心の低さより、抜けやすさが先に来る身体だ。

 

初号機の接続で強引に上書きしていた感覚が、平時になると逆に浮いてくる。階段一段の上がり方、振り向く速度、呼吸の置き方。どれも小さく違う。その全部を、他人から見て違和感にならない範囲へ抑え込むだけでも、神経を使う。

 

扉の外でノックが二回。

 

葛城ミサト「起きてる?」

 

最上イズモ「はい」

 

返すと、扉が開く。ミサトは昨夜より少しだけ砕けた格好だった。けれど、仕事の匂いは消えていない。緊張を緩めて見せるのがうまいだけで、完全に気を抜いているわけではない。

 

葛城ミサト「へえ。ちゃんと着たんだ」

 

最上イズモ「その方が都合がいいかと思って」

 

葛城ミサト「都合、ね」

 

彼女は少しだけ笑う。皮肉ではない。けれど、完全に安心してもいない。こちらを“碇シンジ”として扱う必要がある一方で、昨日までの行動がそのまま信頼へ繋がるわけでもない。その狭い足場を、彼女自身も測りながら立っている。

 

葛城ミサト「朝食、取る?」

 

最上イズモ「必要なら」

 

葛城ミサト「必要よ。学生なんだから」

 

学生。

 

その単語が、妙に軽く胸に落ちる。ここへ来てから一度も機能していなかった役割だ。パイロット。対象。観察対象。指揮下の駒。そういう単語ばかりが飛び交う場所で、学生という言葉だけが不釣り合いに普通だった。

 

ミサトはその反応を見て、ほんのわずかに目を細める。

 

葛城ミサト「やっぱり変ね、君」

 

最上イズモ「そうでしょうね」

 

葛城ミサト「否定しないの」

 

最上イズモ「否定しても意味がないので」

 

ミサトは肩をすくめ、そのまま廊下へ出るよう顎で促した。

 

昨夜あてがわれた部屋から食堂までの通路は長くない。だが、NERVの通路はどこも似ていて、そのくせ一つひとつ意味が違う。居住区寄りの区画は照明が少し温かく、足音がよく吸われる。医療区画は白すぎる。管制区画は音が多い。そういう差を覚えていくのは嫌いじゃない。

 

歩幅をシンジに合わせる。

 

早すぎても遅すぎても目立つ。シンジの身体は長距離走者のような足ではない。反応はいいが、踏み込みに無意識の慎重さが混じる。たぶん普段から、何かに先にぶつかるより、一拍遅れて様子を見る動き方をしてきたのだろう。

 

ミサトが横目でこちらを見る。

 

葛城ミサト「今日は学校、って話になってるんだけど」

 

最上イズモ「はい」

 

葛城ミサト「その返事、いちいち間がないのよね」

 

最上イズモ「迷う要素が少ないので」

 

葛城ミサト「普通はあるの。特に昨日あんな目にあったあとなら」

 

足が一瞬だけ止まりかける。

 

昨日の戦闘。サキエル。接続。衝撃。核を砕いた感触。思い返せば鮮明だ。鮮明すぎて、意識の手前で常に触れている。恐怖がないわけではない。ある。だが、それを表に出してどうにかなる場所でもない。

 

最上イズモ「学校に行かない方が自然ですか」

 

葛城ミサト「自然かどうかで言えば、休ませる方が自然。でもね」

 

ミサトは通路の角を曲がりながら声を落とす。

 

葛城ミサト「こっちとしては、“いつもの日常”に少しでも戻しておきたいわけ」

 

最上イズモ「監視の都合も兼ねて」

 

葛城ミサト「そういう言い方する」

 

否定しないところを見ると、図星なのだろう。

 

食堂は朝の時間にしては人が少なかった。職員用と分けられているせいか、視線が刺さりすぎないのは助かる。テーブルに置かれたトレイ。簡素な朝食。白いパン。卵。スープ。栄養優先の構成だ。

 

座ると、ミサトは向かいではなく斜めの席を選んだ。

 

正面から追い込まない位置取り。彼女が無意識にやっているのか、意識しているのかはまだ分からない。

 

葛城ミサト「で、聞くけど」

 

最上イズモ「はい」

 

葛城ミサト「昨日のあれ、再現できる?」

 

パンを持つ手がわずかに止まる。

 

直球だった。やはりそこへ来る。来ないはずがない。

 

最上イズモ「現時点では保証できません」

 

葛城ミサト「できる、じゃなくて?」

 

最上イズモ「条件が揃えば近いことは可能です。ただし、再現実験として扱うべきではない」

 

ミサトはスプーンを持ったまま、少しだけ眉を寄せた。

 

葛城ミサト「危ないから?」

 

最上イズモ「死ぬからです」

 

言葉が硬く落ちる。

 

周囲の誰かが聞いていたとしても、たぶん会話の意味までは拾えない距離だ。だが、ミサトには十分だった。彼女の表情から軽さが消える。

 

葛城ミサト「……そこまで断言するんだ」

 

最上イズモ「初号機とパイロットの境界が崩れる手前を踏んでます」

 

葛城ミサト「境界、ね」

 

その単語を彼女はまだうまく飲み込めていない。けれど、意味の輪郭だけは掴もうとしている顔だった。

 

葛城ミサト「君、ほんとに十四歳?」

 

最上イズモ「戸籍上は」

 

葛城ミサト「そこも否定しないんだ」

 

最上イズモ「便利な立場なので」

 

ミサトは吹き出しかけて、半分だけ笑い、半分だけ呆れた顔になる。

 

葛城ミサト「便利って……普通そういうの、自分で言う?」

 

最上イズモ「自覚しておいた方が使われ方を見誤りません」

 

彼女の笑いが少しだけ止まる。

 

そこに含まれる意味を、ミサトは聞き逃さない。使う側にいる人間の顔を、彼女はときどき自分でもしてしまうのだろう。その自覚がある人間の沈黙は、たいてい短い。

 

葛城ミサト「……学校では、普通にしてて」

 

最上イズモ「普通の定義を」

 

葛城ミサト「そういうとこ! そういうとこがもう普通じゃないの!」

 

珍しく語気が上がる。

 

食堂の端にいた職員が一瞬だけこちらを見る。ミサトは気づいて、手のひらで額を押さえた。

 

葛城ミサト「ごめん。ちがう、怒ってるわけじゃないの」

 

最上イズモ「理解しています」

 

葛城ミサト「理解が早いのよ」

 

それが良いことなのか悪いことなのか、自分でも分からないといった顔だった。

 

食事を終え、居住区から地上へ上がる。制服の上から風が当たる。第三新東京市の朝は晴れていた。昨日使徒が歩き、建物が崩れ、人が逃げ惑った街とは思えないくらい、空だけは何事もなかったように青い。

 

車の助手席に乗り込むと、ミサトがエンジンをかける。

 

ルノーA310の音が小さく唸る。地上へ戻ってから初めて、この車内の狭さに少しだけ救われた。閉じた空間。見慣れた計器。エヴァもNERVも入ってこない数分間。

 

葛城ミサト「学校で余計なことは言わない」

 

最上イズモ「余計の範囲は」

 

葛城ミサト「使徒とかエヴァとかNERVとか、昨日見たこと全部」

 

最上イズモ「了解しました」

 

葛城ミサト「あと、無理して“いつものシンジ君”を演じなくていい」

 

意外な言葉で、イズモは少しだけ彼女を見る。

 

ミサトは前を見たままだった。

 

葛城ミサト「元々そんなおしゃべりじゃないんだし。黙ってても不自然じゃないわ」

 

最上イズモ「助かります」

 

葛城ミサト「ただし、変な行動もなし」

 

最上イズモ「難しい条件ですね」

 

葛城ミサト「そこは頑張って」

 

車は学校前で止まる。

 

校門。朝の生徒たち。自転車。話し声。制服の色。平和というより、平時の雑音だった。緊急警報と爆発音のあとにこれを見せられると、世界のつながり方がおかしくなる。

 

ミサトが横目でこちらを見る。

 

葛城ミサト「行ける?」

 

最上イズモ「行けます」

 

葛城ミサト「そう」

 

短い返事のあと、彼女は一拍だけ言葉を探すようにした。

 

葛城ミサト「……帰ってきたら、もう少し話すわよ」

 

最上イズモ「必要なら」

 

葛城ミサト「必要なの」

 

昨日と同じ返答。同じなのに、声の温度が少し違う。監視ではなく、個人的な確かめも混ざってきている。

 

校門をくぐる。人の流れに混ざる。視線はまだ少ない。碇シンジという存在は、クラスの中心人物ではないのだろう。助かる。

 

教室へ入った瞬間、空気が変わった。

 

完全な歓迎でも、無関心でもない。ざわつき。視線。昨日来たばかりの転校生が、使徒騒ぎの翌日にまた来た。その事実だけで、十分に話題になる。

 

最初に声をかけてきたのは、短髪の少年だった。強めの目つき。だが敵意より先に好奇心がある。

 

鈴原トウジ「お前、昨日のあれん時どこおったんや」

 

いきなり核心寄りだ。

 

最上イズモ「避難していました」

 

鈴原トウジ「避難ぃ? ほんまに?」

 

横からもう一人。眼鏡の少年。こちらは観察が先に来るタイプだ。

 

相田ケンスケ「でも、君、昨日ミサトさんの車で――」

 

言いかけて止まる。

 

彼の視線は細かい。記憶している。昨日の断片を、曖昧なまま飲み込まずに繋げようとしている顔だった。

 

まずい。

 

ここで誤魔化しすぎると不自然になる。だが説明はできない。

 

最上イズモ「事情聴取です」

 

苦し紛れではあるが、完全な嘘でもない。

 

ケンスケの目が一段だけ輝く。余計な方向へ納得したらしい。

 

相田ケンスケ「やっぱり軍関係者の人だよね、あの人!」

 

鈴原トウジ「いやそこ食いつくんかい」

 

二人のやり取りを聞きながら、イズモは席へ向かう。

 

その途中、窓際の席に座る少女が目に入る。

 

綾波レイ。

 

昨日、エヴァに乗る直前にすれ違っただけの赤い視線。彼女は教室のざわめきと完全に切り離された位置にいた。こちらを見ない。けれど、見ていないわけでもないような、奇妙な焦点の外し方だ。

 

席に座る。

 

教室の椅子は軽い。机は狭い。だが、この窮屈さが逆に現実を固定する。学生。授業。日常。そういうものの形をしている。

 

担任が入り、朝の空気が一段だけ整う。名前をまだ覚えていない教師が何か言っている。昨日の騒ぎへの注意。安全確認。学業再開。形式的な慰め。どれも必要で、どれも薄い。

 

授業が始まる。

 

板書。ノート。教科書。問題。

 

驚くほど普通だった。普通すぎて、逆に危うい。さっきまで使徒と初号機のことを考えていた頭が、この狭い教室で数式や英単語へ切り替わるわけがない。だが、切り替わらないままでも時間は進む。

 

シンジは、こんな日常をどうやって維持していたのだろう。

 

授業の途中、何度か視線が刺さる。トウジ。ケンスケ。前の席の女子。遠巻きに噂したい空気。けれど誰も決定的には踏み込まない。

 

その中で、綾波だけが一度だけこちらを見た。

 

一瞬だった。だが、見たというより確認した目だった。昨日の自分と今の自分の差を、彼女はたぶん感覚で拾っている。言葉にはしない。しないまま、黙って記録しているような目。

 

休み時間。

 

トウジとケンスケが再びやってくる。

 

鈴原トウジ「お前、昨日のあと病院とか行かんかったんか」

 

最上イズモ「行っていません」

 

相田ケンスケ「でも、すごかったよな。街の被害。自衛隊も全然歯が立たなかったし」

 

最上イズモ「そうですね」

 

相田ケンスケ「なんか知ってる感じするなあ、君」

 

鈴原トウジ「言うたるなや」

 

ケンスケは笑うが、冗談半分ではない。情報に飢えている人間の目だ。趣味と好奇心が、現実の危機と結びついている。

 

ここで黙りすぎると逆に目立つ。

 

最上イズモ「知らない方がいいこともあります」

 

口にした瞬間、自分でも少し硬いと思った。

 

トウジの眉が動く。ケンスケはきょとんとする。

 

鈴原トウジ「……なんやそれ」

 

最上イズモ「すみません。言い方が悪かったです」

 

言い直そうとして、一瞬止まる。

 

咄嗟に繕うより、少しだけ正直な方がいい。

 

最上イズモ「昨日のことを、うまく処理できていないだけです」

 

それは本音だった。

 

二人の空気が少し変わる。好奇心の速度が落ちる。トウジは口を開きかけて閉じ、ケンスケも珍しく言葉を探す。

 

相田ケンスケ「……あー、そっか」

 

鈴原トウジ「まあ、そらそうやな」

 

それだけで済んだ。

 

助かった、と思う前に、少しだけ意外だった。押し込んでくるかと思ったが、この二人は境界を持たないわけではないらしい。荒っぽいだけで、踏み込みの止め方は知っている。

 

昼休み。

 

屋上は開放されていなかった。代わりに、人気の薄い階段の踊り場へ逃げる。自販機の音。遠くの校庭。昼のざわめき。ここなら少し呼吸ができる。

 

壁に背を預ける。

 

学校は疲れる。NERVとは別の意味で疲れる。ここでは誰も命令しない代わりに、誰もが“普通”を前提にしてくる。普通の学生。普通の会話。普通の反応。そこに合わせる負荷がじわじわと効く。

 

足音。

 

一つ。軽い。迷いのない歩幅。

 

視線を上げると、綾波がいた。

 

彼女は逃げるでもなく、遠慮するでもなく、そのまま踊り場の少し手前で止まる。手には本も弁当もない。用事だけを持ってきた人間の立ち方だ。

 

綾波レイ「碇君」

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ「昨日、変だった」

 

直球だった。

 

イズモは少しだけ息を吐く。

 

綾波なら回りくどい前置きはしないだろうと思っていた。実際そうだった。

 

最上イズモ「今日も、ですか」

 

綾波レイ「少し」

 

彼女は嘘をつかない。少なくとも、こういう時には。

 

綾波レイ「でも、昨日の方が違った」

 

最上イズモ「そうですか」

 

綾波はそれ以上すぐに続けない。見ている。こちらの返し方を観察している。感情を読もうとしているのではなく、事実の差を積んでいるような視線だ。

 

綾波レイ「あなたは、誰」

 

空気が静かに落ちる。

 

教室で言われるより、ずっと危うい問いだった。彼女の声には詮索の匂いがない。だからこそ、ごまかしが効きにくい。

 

最上イズモ「碇シンジです」

 

綾波レイ「そう」

 

肯定も否定もない返事。

 

綾波レイ「司令は、あなたに乗れと言った」

 

最上イズモ「はい」

 

綾波レイ「でも、あなたは言われる前に乗った」

 

最上イズモ「必要だったので」

 

綾波の赤い目が、わずかに細くなる。

 

綾波レイ「私は、必要と言われたから乗る」

 

最上イズモ「あなたはそれでいい」

 

言ってから、自分でも少し早かったと思う。

 

綾波は感情を大きく動かさない。だが、今の一言は彼女の内部でどこかに触れたらしい。沈黙が一拍伸びる。

 

綾波レイ「碇君は、前はそんな言い方をしなかった」

 

最上イズモ「そうでしょうね」

 

綾波レイ「でも、嫌ではない」

 

そこだけは、ほんのわずかに不意打ちだった。

 

彼女はまた黙る。用件は終わったらしい。あるいは、聞きたいことはまだあるが、それ以上詰めるつもりはないのかもしれない。

 

綾波レイ「また呼ばれる」

 

最上イズモ「そうですね」

 

綾波レイ「準備しておいて」

 

最上イズモ「はい」

 

彼女はそれだけ言って戻っていく。

 

去っていく背中を見送りながら、イズモは壁から少しだけ頭を離す。綾波の中では、たぶんもう違和感の存在は確定している。だがそれを即座に報告や糾弾へ繋げる人間でもない。彼女は、自分の中に置いて確かめ続けるだろう。

 

その手の相手は厄介で、同時に少しだけ救いでもある。

 

午後の授業はさらに長かった。

 

ノートを取る。教師の話を聞くふりをする。途中で呼び出しがかからないか、神経の一部をずっとNERV側へ向けたまま座る。平穏の皮を被った待機時間だ。

 

放課後、校門へ向かう途中でトウジが追いついてくる。

 

鈴原トウジ「おい」

 

最上イズモ「はい」

 

鈴原トウジ「……昨日、うちの妹が怪我したんや」

 

唐突だった。

 

いや、彼の中では唐突ではないのだろう。ずっと喉元に引っかかっていて、どのタイミングで出すか迷っていた言葉だ。

 

鈴原トウジ「お前のせいちゃうんはわかっとる。けど、なんか腹立ってしゃあないんや」

 

夕方の光が、校舎の窓に反射していた。

 

この一言を、シンジはたぶんまともに受けたのだろう。受けて、沈んで、逃げることもあったかもしれない。

 

イズモは立ち止まる。

 

鈴原の拳は握られていない。けれど、感情はそのまま剥き出しだ。怒り。行き場のなさ。八つ当たりだと自分でも知っているからこその苦さ。

 

最上イズモ「はい」

 

鈴原トウジ「はい、て何や」

 

最上イズモ「怒る相手が必要なのは理解できます」

 

トウジの顔が固まる。

 

想定していた返しではないのだろう。言い返されるか、謝られるか、その二択のどちらでもなかった。

 

鈴原トウジ「……お前、やっぱ変やわ」

 

最上イズモ「そうかもしれません」

 

鈴原トウジ「殴ったろか思ってたのに」

 

最上イズモ「今はやめてください」

 

鈴原トウジ「今は、て何やねん」

 

その言い方に、少しだけトウジの口元が崩れる。完全な笑いではない。怒りが抜けたわけでもない。だが、一本で張り詰めていた糸に少し余白ができる。

 

鈴原トウジ「……ほんま調子狂うわ」

 

最上イズモ「すみません」

 

トウジは舌打ちのように息を吐き、手を振って去っていく。完全に解決したわけではない。だが、少なくとも今日ここで殴られることはなくなった。

 

校門の外では、ミサトの車が待っていた。

 

助手席へ乗り込むと、彼女はエンジンをかける前にこちらを見る。

 

葛城ミサト「どうだった」

 

最上イズモ「学校でした」

 

葛城ミサト「感想として弱い」

 

最上イズモ「かなり疲れますね」

 

その一言で、ミサトの表情が少し和らぐ。

 

葛城ミサト「でしょ。あんた昨日の今日でよく行ったわよ」

 

最上イズモ「行くよう勧めたのはあなたです」

 

葛城ミサト「それとこれとは別」

 

車が走り出す。夕方の街は、朝よりも昨日の傷が見えやすい。仮設の規制線。補修途中の道路。人の流れのぎこちなさ。日常は戻っているのではなく、無理に再開されているだけだ。

 

葛城ミサト「で、綾波とは何話したの」

 

最上イズモ「見られてましたか」

 

葛城ミサト「まあね」

 

最上イズモ「昨日の僕は変だった、と」

 

ミサトの手が一瞬だけハンドルの上で止まる。

 

葛城ミサト「……で?」

 

最上イズモ「今日も少し変だと」

 

葛城ミサト「率直すぎるでしょ、あの子」

 

最上イズモ「ただ、嫌ではないそうです」

 

ミサトが今度こそ明確にこちらを見る。運転中にやるには長い視線だった。

 

葛城ミサト「何それ」

 

最上イズモ「そのままです」

 

葛城ミサト「なんか、あんた昨日より人間関係動かしてない?」

 

最上イズモ「望んでいません」

 

葛城ミサト「望んでなくて動くのが一番面倒なのよ」

 

まったくその通りだと思う。

 

NERVへ戻る途中、車内の通信が割り込む。短い電子音。ミサトの顔が即座に仕事のものへ戻る。

 

葛城ミサト「葛城です」

 

オペレーター『碇シンジ君を至急本部へ。パターン青、目標接近中』

 

二度目。

 

車内の空気が一瞬で切り替わる。学校、会話、夕方の光。全部が薄い膜みたいに後ろへ剥がれていく。

 

ミサトがアクセルを踏み込む。

 

葛城ミサト「来ると思ったわよ……!」

 

最上イズモは窓の外を見る。

 

空の色が、まだ完全には夜へ落ちていない。だからこそ余計に、この街が再び戦場へ変わる速度が不自然だった。

 

綾波の言葉が頭の中で静かに響く。

 

また呼ばれる。

 

その通りになった。

 

シートに背を預けたまま、イズモは一度だけ目を閉じる。

 

二度目だ。

 

初戦ではない。だが、楽になるわけでもない。むしろ次からが本当の意味で危うい。一度通った勝ち筋を、組織は“使える前例”として期待する。期待は手順を求める。手順は再現を求める。そこから先で、人は簡単に壊れる。

 

車は地下へ滑り込む。

 

警報が鳴る。光が赤へ変わる。昨日と同じなのに、もう同じではない。

 

最上イズモは静かに息を整えた。

 

次の敵より先に、まず向き合うべきはこの世界の“前例にしたがる速度”だと、はっきりわかっていた。

 

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