アークナイツの短い話   作:十羽せろん

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現在を望み続ける事、未来を望む事。


【光儀】

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 あなた、名前は? 

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 仲良くしてくれると嬉しいわ

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 なんだか不思議ね、初めて会った気がしないわ。

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 あなたの事はとてもよく知っているの。

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 あたし達はもう友達でしょう? 

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 こんにちは、ミュルジス。

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 ミュルジス、調子はどうかしら? 

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 あなたは私でしょう? 

 

 

 

「……ずっと、傍にいてくれる?」

 

 

 

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『水は人の心を映す』と誰かが言った。

『水は人の言葉に応えてくれる』と誰かが言った。

 

 優しさには、優しさを。

 愛情には、愛情を。

 

『水は何処にでもいる友人だ』と誰か言った。

『水は人の悩みに寄り添ってくれる』と誰かが言った。

 

 悩みには、助言を。

 悲しみには、寄り添いを。

 

 では……水には誰が……寄り添ってくれるのだろう? 

 水の悩みや苦しみを……誰が理解してくれるのだろう? 

 

 果たして人は、水に寄り添った事があったのだろうか? 

 そして水は本当に、人に寄り添ってくれていたのだろうか? 

 

 

 

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 ──ライン生命研究職員

 

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 ミュルジス主任ですか? そりゃもう、何度もお世話になっていますよ。困った時に、ふらっと現れて的確な助言をくれますから。主任のお世話になった事のない人を探す方が、難しいんじゃないですかね。研究で困った事とか、プライベートのちょっとした悩みとか、そんな話でも喜んで聞いてくれますし……もしかしたら、人の話を聞くのが好きなのかもしれませんね。本人に直接聞いてみた事はないですけど。

 

 ミュルジス主任は、確かに親身になって話を聞いてくれます。でも、時々、距離感……は違うか……疎外感? そんな感じの印象を持つ時がありますね。あぁ、いや、違いますよ。私がそう感じるのではなく、ミュルジス主任がそう感じているという話です。ほんの一瞬ですけどね。理由については分かりません。これだけ長い間、ライン生命で働いているのにどうして、そう感じるのでしょうね? 

 

 だってミュルジス主任は、クルビアの学界で近年注目を集めている天才科学者ですよ? 齢三十にも満たないうちから、すでにライン生命を代表する十人に名を連ねていて、生態課主任を務めるほか、トリマウンツのいくつもの大学で客員講師として教鞭をとっている……文字通りのスーパーエリートじゃないですか。貴方だって、ここ十年の間に、ミュルジスとその科学研究チームが生態学、遺伝学、植物生化学、植物生理学など複数の領域であげた研究成果は、クルビアの生命科学と環境科学の発展に大きく貢献したって話を知らない筈がないでしょう? 

 

 そんな私が望んだって手が届かない様な場所にいるのに、一体何に疎外感を感じているのでしょうね? 

 

 もしも立場を変わってくれるって言うなら、喜んで変わって貰いたいですよ。

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 ──ロドス職員

 

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 ミュルジスさんですか? 頻繁に話す間柄ではありませんが、勿論存じていますよ。彼女はコミュニケーションを積極的に取ってくれますし、周囲に馴染もうという努力を欠かさない人ですからね。多くの人から、ミュルジスさんについてのお話を聞く機会は多いです。仕事の相談に乗って貰ったとか、流行りの映画について教えて貰ったとか、ちょっとした生活を豊かにしてくれる話題が多いみたいですね。要するに……ファッションやゲーム、撮影など複数のトピックについて、確かな審美眼をお持ちのようです。

 

 忙しい日々の中でも、運動も習慣として続けていらっしゃるようですし、身体的にはかなり健康であろうとしているようですね。最も、運動をしているのが本人であるのかどうかについては……周囲の人間が気にする事ではないでしょう。別の誰かの評を借りるならば、『ミュルジスさんが毎日の色んなことにすごく真面目に取り組んでるのは確かだ』という事になります。

 

 ただ……そうですね。彼女の積極的なコミュニケーションについては、幾つか疑問があります。まず、複数の分身体を操り、複数の場所にて、それぞれ違った動作を同時に行う事が出来ます。それはそれで、凄まじい事であるのは間違いないのですが、その際に生じる些細なズレについて、彼女自身が認識できていない所があるのが気になりますね。それぞれ個別に……独立しているのであれば、最終的な主導権は、どの個体が取るのでしょうか? 目の前に立つミュルジスさんは、果たして以前のミュルジスさんと同じなのでしょうか? 

 

 勿論これは、私が勝手に心配しているだけであり、彼女の能力については、彼女自身が最も詳しいのでしょう。今言った様な私の心配事は……きっと起こりえないのでしょうね。ですが、私は思うのです。ある意味過剰とも言える、他者との交流や複数個所での活動……それはある種の『孤独感』や『孤立感』と言った心理的ストレスを軽減する為の、無意識的な防衛行動ではないのかと。誰かと話していないと安心できない、誰かと一緒でなければ落ち着かない……ふとした拍子に掴んでしまった、『何か』を手放す事が出来なくなってしまったのかもしれません。

 

 沢山の肩書を持ち、沢山の発見と貢献を続けてきた『優秀』なミュルジスさん。

 

 ですが……私には、迷子になっている幼い子供の様に感じる事があります。

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 ──オペレーター:■■■■■

 

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 ……彼女はとても愛らしくて、健気で、可哀想ね。

 

 とても羨ましく感じる事もあるし、とても苛立たしく感じる事もあるわ。

 

 過去にばかり答えを求めていると……泥沼から引き返せなくなっちゃうわよ

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 ──ロドス搬入口

 

 多くの車両が待機し、同じく多くの人が行きかう場所を、その人物は駆け足気味で突き進んでいた。本来であればとっくに車両に乗り込み、待機している筈だったのだが、打ち合わせとちょっとしたトラブルによって大幅に遅れてしまっている。打ち合わせの後、大急ぎで宿舎に戻り、予め用意していた荷物とお気に入りの傘を引っ掴み、待ち合わせの場所に向かった。勿論目的の車両は、自身を置いて出発してしまう心配はないのだが、人を待たせてしまっている以上は急ぐ必要がある。

 

「ごめんなさい。ちょっとそこを通してちょうだい」

 

「大きな荷物が通るわ、気を付けて」

 

「そんな運び方をしていると危ないわ」

 

 そんな言葉を何度も繰り返しながら、ようやっと目的の場所に辿り着いた。とっくに乗り込み出発している筈だった車両は、しっかりとそこに存在しており、ロドス職員はこちらの姿を確認すると手を振りながら近づいて来る。人の波にもまれたであろうミュルジスを見るなり、労いの言葉をかける。

 

「いや~災難でしたね、ミュルジスさん」

「ごめんなさい。予定よりも四十分も遅れてしまったわ」

「仕方がありませんよ。重要な会議の打ち合わせと言うのは、どうしても時間が掛かるものですからね」

「大したものじゃないけれど、お詫びとして受け取って欲しいわ」

「あ、『ピョートルフルーツキャンディー』じゃないですか。ありがとうございます」

「それにしても……」

 

 ミュルジスは改めて周囲の様子を見る。

 ひっきりなしに車両が出入りし、様々な荷物を抱えた人々で溢れ返っている。

 必要な手続きを行う場所は、人の流れの誘導を行っていても間に合っていない。

 

「話には聞いていたけど、凄い混雑具合ね」

「ロドスが新造艦になってからは、ほぼずっとこの様子ですね。元々あったものが丸ごとなくなってしまったので、機材やら資材やらの積み込み作業で……この有様ですよ」

「詳しくは聞いていないけれど、大変だったんでしょう?」

「──ただ一言に『大変だった』と言うには、少々生温いかもしれませんね。ともあれ、またこうして活動出来るようになってるだけでも……良かったってもんですよ。これもロドスが日々努力して、各方面に繋がりを持っていたおかげなんですかね」

 

 ロドス職員はそう言って、溢れかえっている人々を見る。

 前ロドスが廃棄される事件の当時、彼が何を見たのかをミュルジスは知らない。

 あらゆる物を食い潰した源石を、迫りくる源石の怪物達を。

 一瞬目を細める様に周囲を見た時、どんな感情があったのか分からない。

 

「さて、と……大急ぎで来て頂いた所に申し訳ないですが、この有様なので出発はもう少し後になります。本当はこうなる前に出ておきたかったのですが……もう暫く場所が空くまで車両内で待機していて下さい」

「原因を作ったのはあたしだもの。当然、不満なんてないわよ」

「ありがとうございます。あと三十分もすれば出発できる筈なので、ちょっと確認してきますね」

「分かったわ」

「お連れ様の方は、既に中で待機されていますよ」

「彼女、何か言っていた?」

「いいえ、特には。静かに待機してくれています。では、この混雑具合にうんざりして、事務室で寝ているあいつを叩き起こしてきますね」

 

 そう言うとロドス職員は確認の為に、人の波の中へと消えて行く。

 ミュルジスはその姿を見送ると、荷物を抱えて車両の中へと乗り込んだ。

 

 

 

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 小さくはない荷物を抱えて乗り込んだ時、ふと抱えていた荷物が軽くなったのを彼女は感じた。微かな風の様なものによって包まれ、一時的に宙に浮いている様な形になっている。それにより、当初の想定よりも苦労する事なく、荷物を固定しミュルジスは座席に座る事が出来た。お気に入りの傘を手に持ち、座席に深く腰掛け、息を吐き出す。ほんの僅かな時間だけ目を閉じ、心を落ち着けると通路を挟んだ先の座席に座った人物に声をかける。

 

「さっさは、手を貸してくれて助かったわ。ありがとう」

 

 ミュルジスの言葉に対して、その人物は微かに肩を竦めてみせた。それ以外の反応を見せる事なく、手に持った本に視線を向けたままだ。黙々と頁に刻まれた文字を指でなぞり、最後まで読み終えると次の頁へと捲る。声を掛けてきたミュルジスに対して、関心も興味もない様子だった。

 

「……」

 

 ミュルジスは続けて何か言おうとしたが、微かに口を開いただけに終わり、結局そのまま言葉が発せられる事はなかった。

 

 それから暫く、二人は無言で座席に座ったまま、時間が過ぎるのを待っていた。

 一人は本以外には目もくれず、一人は窓の向こうに映る人の入り乱れる様を見る。

 

 やがて、沈黙に耐えられなくなったのか、ミュルジスは再び声を掛けた。

 

「……あなた、最近何かあった?」

「──どういう意味で聞いているの?」

 

 その問いに対し、本から視線を動かす事こそしなかったが言葉が返される。

 

「だって……ここ暫くはあなたが、何かトラブルを起こしたって聞かないもの」

「心外ね。私は普段から……誠心誠意、働いているわ」

「……どうかしら。あたしが知っている限りでは、三日に一回はトラブルを起こしていたと思うけど」

「私がトラブルを起こしていたんじゃなくて、私がトラブルに巻き込まれていたの」

 

 そう言って本を読んでいた人物──ホルハイヤは初めてミュルジスの方を見た。

 しかし、それも一瞬の事に過ぎず、再び本を読む作業に戻る。

 

「あなたがそうやって、夢中で本を読んでいるの……なんだか久し振りな気がするわ」

「ようやく持ち出しの許可が下りた本だもの、当然でしょう?」

「驚いたわ。ロドスの情報処理室にある蔵書は、もう全部読み終えていると思っていたのに」

「これはドクターの個人的な蔵書なの」

「……ドクターの?」

 

 ホルハイヤは手に持つ本を軽く振ってミュルジスに見せる。それは正式に発行されたものではなく、表紙には走り書きの題のみが記されている。中の頁もそれぞれ手書きのメモや研究ノートを集めたもので、言わばドクター手製の本と呼ぶべきものだ。

 

「あの騒ぎの前に持ち出していて……本当に良かったと思っているの。これらの貴重な蔵書が失われていたと思うと、とても恐ろしいわ」

「随分、ドクターと仲良くなったみたいね」

「何を勘違いしているのか知らないけど、これはロドスの上級顧問として……働いた結果の報酬なの」

「その言い方……やっぱり、何かあったんでしょう?」

「ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど、あなたが想像する様な事は何も起きていないの。ただゆっくりと時間を取って、話し合う時間があっただけ」

「……何を話したの?」

「ひどく個人的な……つまらない話に過ぎないわ。お互いにね」

 

 

 ホルハイヤは、それ以上の質問を拒否するように本をぱたりと閉じた。

 腕を組み、目を閉じて彼女は沈黙する。

 

 

 ミュルジスの問いをホルハイヤが拒否した事で、再び車内に居心地の悪い空気が漂い始める。彼女は、この様な空気感がずっと苦手だった。誰かが近くにいるにも拘わらず、壁を感じ、ただ一人取り残された様な気分になってしまう。自分以外の誰かが話をしているなら、他者の存在を感じ取れるから問題ない。しかし、今の様な狭い空間で誰もが口を閉ざし、沈黙の中に過ごす事は彼女にとって耐えがたい苦痛となる。それはまるで、呼吸が出来ず水に溺れてしまうような感覚だった。

 

 我慢が限界を迎え、耐え切れずに喉からか掠れた音が漏れる。

 次の瞬間、今この場においての救世主がやって来る。

 

「やっと、順番回ってきましたよ。お待たせしました」

 

 運転席の扉を開けるなり、ロドス職員はそう言った。

 

「ミュルジスさん、ホルハイヤさん、両者揃っていますね。忘れものとかありませんか? 出発すると戻ってくる事は難しいですから、荷物の確認はしっかりお願いしますよ」

「問題ないわ。それよりも待ちくたびれちゃったから、早く出発して欲しいところね」

「まぁ、ホルハイヤさんは普段の装備と追加でケース一個だけですもんね。それについては、本当に申し訳ない」

 

 ミュルジスは努めて明るい雰囲気を作り出すと、ほっとした様に話す。

 そんな彼女を、一瞬だけ憐れみの眼で見たホルハイヤに気が付く事はない。

 

「あたしの方も大丈夫よ。元はと言えば、あたしの会議が長引いちゃった事が原因だから、あまり謝らないで」

「そう言って頂けると助かります。ミュルジスさんは、相変わらず大荷物ですね」

「向こうにいるライン生命のお友達に、色々と渡すものもあるから……どうしても量が増えちゃうの」

「構いませんよ、慣れましたからね」

 

 そう言って、ロドス職員は端末にデータを入力して行く。

 

「搭乗者二名、良し。荷物も申告数と一致、良し。各種申請、良し」

 

 入力し終えた端末を、車外にいる別の職員へと手渡すと、エンジンを始動させる。

 

「お待たせしました。それじゃあ、出発しましょう……イェラグへ」

 

 ミュルジスとホルハイヤ、二人を乗せた車両はロドスを発つ。

 

 

 

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 ロドス職員は車両を運転しながら、色々な話題を話していた。ホルハイヤには外勤時に見聞きした、古い伝承や遺跡についての話を。ミュルジスには最近公開された映画、ロドスの植物庭園の話を。ホルハイヤは左程興味なさげに軽く返事をする程度だったが、ミュルジスは一つ一つの話題に大きく反応し、熱心に会話をしている。

 

「──という感じだったのが、あの映画で残念だなと思いましたね」

「分かるわ、テーマは良かったけれど……結末がちょっと安直だったわ。折角話を広げたのだから、もう少し捻りを加えていたら今よりも話題になっていた筈よ」

「ニ年前のあの出来事から、もう『外側』を題材にした映画が出来るって考えると、人の想像力って凄いですよね」

「人が想像出来る事は、往々にして現実に起こりえるって言うもの。新しい事が分かれば、それも映画の題材に取り込まれて行くのかしら?」

「かもしれませんね。ミュルジスさん的にはどうなんですか? 研究とか発明したものが、映画とかに取り込まれるのって」

「うーん、難しい話題ね。正式に発表された内容が、ちゃんと取り込まれているなら喜べるわ。けど、歪曲して解釈されているとか、間違った内容のまま映画に出て来て、その印象が広がってしまうのは困るわ。ほら、一度広がった印象を正すのって、凄く大変でしょう?」

「印象か……例えば、ライン生命がやばい人達の集まりって印象とかです?」

「それは……ちょっと否定し辛いわ。個性的……そう、個性的な人達の集まりよ」

「ふっ……字面が違うだけで、大差ないわね」

「ちょっと!! そんな事ないわ」

 

 唐突に口を挟んで来たホルハイヤに、ミュルジスは怒りを露わにする。

 その怒りをホルハイヤは軽く受け流した。

 

「あ、そうだ……忘れる所だった。ホルハイヤさん、これ頼まれていたものです」

 

 そう言って助手席に置いてあった箱の中から、封筒を取り出し後ろに向かって差し出す。後部座席に座っているホルハイヤに届く筈もないのだが、気にする様子もない。それは何度もやっている様な気やすさで行われていた。ホルハイヤが微かに指を動かすと、アーツの力によって封筒は浮き上がり、静かに彼女の手の中に渡った。中から紙の束を取り出すと、内容を確認しながら捲って行く。

 

「ふぅん……あなた、相変わらずいい仕事するわね。このリストに載ってるものは全部貰っておくわ」

「それはどうも。支払いと受け取りは、前と同じでお願いします」

「なぁに? あなた達、怪しい取引する様な関係だったの?」

「失礼ね。仕事を依頼して、報酬を払っているだけよ」

「仕事を依頼されて、報酬を貰っているだけですね。誤解しないで下さいね、ちゃんとドクターからも許可貰っていますよ」

「元々あなたに任せろって言い出したのは、ドクターでしょう」

「そうでしたね、急に言われて困りましたよ。今は……結構面白いから良いですけど」

「あなた達、なんだか楽しそうね。ちょっと羨ましいわ、そんな風にドクターから直接お仕事を任されて、秘密の取引みたいな事をするの」

 

 ミュルジスは正直にそう漏らす。書面に残らない仕事というのは、映画や小説の題材でもよく登場し、それらは信用と信頼で成り立つものが多いからだ。

 

「ドクターにあなた達がやってるような仕事、あたしにも何かないか聞いてみようかしら」

「あなたには無理だと思うわ、エルフさん」

「なんでよ」

「ロドスじゃなくて『ライン生命の主任』相手に、こそこそとした仕事を依頼しているなんて話が流出したら、きっと大問題になるわ」

「あなただって、マイレンダーの所属でしょ。そっちの方が遥かに問題ありそうじゃない」

「……『元』マイレンダー所属よ。私は今、ロドス上級顧問の肩書を持っているのは知っているでしょう?」

「そうだったわね、自由に動けるみたいで羨ましい」

「あら、嫌味?」

「知らない」

 

 若干拗ねた様にミュルジスは返し、ホルハイヤは少しだけ楽しそうに笑う。

 

「そう言えば自分、ドクターと一緒にホルハイヤさんの元上司も乗せた事ありますよ」

「上司ですって?」

「ええ、ブリキさんですよ」

「……あいつの話はしないで」

「ドクターに、あなたがロドスで上手くやれているか聞いていましたよ」

 

 ホルハイヤはブリキの名を聞くなり、忌々しそうに舌打ちした。

 

「……相変わらず大した余裕の持ち主ね。もう一回首を落としてやろうかしら」

「そりゃ結構ですけど、やる時はロドスに辞表出してからにしてくださいね」

「私も聞いた事あるわ。でも確か最終的にあなたは、ブリキさんに捕縛されたんじゃなかったかしら?」

「──あの時は、あいつがレヴァナントだったって知らなかったからよ。本質が分かった以上、前とは違うやり方があるわ」

「それって、結局ただの負け惜しみじゃないの?」

「へぇ……あなたも言うようになったのね。今度はスーツケースにでも詰め込んであげようかしら」

「怖いわ~。けど……簡単にやれるといいわね」

 

 売り言葉に買い言葉で、車両内の緊張感が高まっていく。クルビアで何度か行った衝突、または喧嘩の様な形で行った小競り合い。この狭い空間でもう一度『やるかやらないか』で言えば、間違いなく『やる』だろう。お互い指先に力が集まり、視線が交差する。

 

 そして──

 

「……防水座席に変えてありますし、車内の装備も『お陰様』で丈夫な物に変えてあります。だから、ご自由にやってくれて結構ですよ。けど……それが終わったら、イェラグの鉄道駅まで二人仲良く歩いて行ってもらいますからね」

「……」

「……」

 

 黙ったまま、ホルハイヤとミュルジスはお互いの出方を待つかのように停止する。

 

「この感じも、なんだか懐かしいですね」

 

 どこまで本気か分からないロドス職員の呑気な言葉に、二人は何も言わなかった。

 

 

 

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 車両内の緊張感が収まったのを見計らって、ミュルジスはずっと気になっていた事を尋ねる事にした。以前は存在していなかった、助手席に散らばった写真と写真機、ボードに留められた人々の写真。この二年の間に、何か心境の変化があったのだろうかと気になったのだ。 

 

「随分写真が散らかっているけど、写真機の趣味に目覚めたの?」

「趣味って程に入れ込んでいる訳でもないですし、目覚めたというよりかは『怖くなった』ってのが正しいですかね」

「……怖くなった?」

 

 ロドス職員の言葉に、ミュルジスは強く反応した。

『怖い』、その言葉は未だに彼女の中に深く刺さっている。

 

「少し前、久し振りに生まれ故郷に戻ったんです。両親にも暫く会ってなかったですしね。そうして故郷に戻った時に、目の前の風景が自分の生まれ育った所だって、信じられなかったんです」

「どうして……?」

「都市の再開発計画ってやつですよ。使われてない土地やらに建物増やして住めるようにしたり、工業団地にしたりってよくある話でしょう?」

「あぁ……」

 

「自分が子供の頃に走り回った森は、跡形もなく消えてビル群になっていましたし、釣りをしたり泳いだりした川は干上がっていました。生まれ育った家はとっくに取り壊されて、不快な煙を立ち上げる工場になっていた訳です」

「……」

「確かに自分の生まれ故郷の筈なのに、自分が知っているものが何も残っていない。この場所にあった筈の思い出が、急に塗りつぶされた様に思い出せなくなるんです。立ち退き先の集合住宅に住んでいる両親は、電話や手紙のやり取りをしていたのに……記憶の中の姿よりも、ずっと年老いて見えました。時間にしてみれば、十年ちょっとになるのかもしれない」

 

 ロドス職員は散らかった写真をちらりと見た。

 映っているものは様々で統一性はない。

 

 ロドスの同僚、任務先で出会った人、自然溢れる風景。

 一面に広がる源石、偶然見かけた獣、何気なく見上げた空。

 足元にあった花、廃墟になった家、遠くに見える天災。

 

「これまで十年って、あっと言う間で変化も少ない……短い時間だと思っていました。でも、故郷のあまりの変化を目にして、考えを改めざるを得なかった訳です。十年と言うのは、多くのものを失うには十分過ぎる時間だったのだと。自分はもう、生まれ育った故郷の姿だって思い出せやしない」

「──だから、怖くなったって事?」

「自分が覚えていられる事には限界があるって話で、人に話すには少々恥ずかしい内容ですよね。今迄写真なんて全く興味もなかったし、撮られるのだってあまり好きじゃなかったのに……今じゃこうして、何かに怯える様に行く先々で色々な写真を撮っている。風景だったり、同僚だったり、そこに住んでいる人だったり……こうでもしないと、『確かにそこにあったんだ』って事すら……信じられなくなりそうですからね」

 

『怖い』という感情から始まった彼の話は、もしかしたらミュルジスよりもホルハイヤの方が、より深く理解出来たのかもしれない。ある日当然、『消失』と言う名の恐怖に遭遇する瞬間。ある種の認識が……一瞬にして変わり果てるその時、『人が何を考え、何を思うのか』という事について、彼女が知らぬ筈がないのだから。

 

「ま、それでも記録が残っていたら……懐かしむ事も出来るでしょう。『あぁ、懐かしいなぁ』、『こんな場所があったなぁ』ってね」

「でも──」

 

 ミュルジスが次の言葉を発するよりも早く、ロドス職員が話題を変えた。

 きっと彼にとっても、他人からあまり触れられたくない事だったのだろう。

 

「あ、そうだ。もしもイェラグで『ジョン・スミス』作のブラインドボックスが売っていたら、幾つか買っておいてもらえますか?」

「ジョン・スミス? 普通のブラインドボックスじゃ駄目なの?」

「一時期話題になっていた、ブラインドボックス・アーティストなんですよ。暫くの間は作品が出ていたんですが、最近は全然名前を聞かないんですよね。もう止めちゃったのかな……」

「分かったわ。もし見つけたら、あるだけ買っておいてあげるわよ」

「ミュルジスさん、全部は駄目ですよ。多くても三箱位ですかね」

「あら、どうして?」

「同じ様に欲しがっている人がいるかもしれないでしょう? どんな物でも独占は争いの元ですから」

「忘れていたわ、あなたって『誰に対しても』そう言う気配りが出来る人だったわね」

「……積み荷の事をよく確認しておくのは、運転手の義務ですよ」

 

 ミュルジスとロドス職員のやり取りを聞きながら、ホルハイヤもかつて、同じ様な事を言われた事を思い出していた。あの時はドクターも一緒だったが、同じ様に受け答えしていたと。あの日に起きた事は様々な意味で大きな転換点となり、今現在の立場と仕事へと繋がっている。

 

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『生まれて来た命は、その持ち主の為にある。過去からどれだけの思いを託されていたとしても、その命の使い道は持ち主が決めるべきだ』

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(……この可哀そうなエルフさんにも、同じような言葉が必要なのかもね)

 

 ホルハイヤは雪が降りつつある空を、車両内から見ながらそう思った。

 

 

 

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 ロドス職員はイェラグの鉄道駅まで二人を無事に送り届けると、いつの間に撮っていたのか『記念にどうぞ』と言って、ミュルジスとホルハイヤが後部座席に座っている写真を渡して来た。それには……撮られている事に気が付いているホルハイヤ、撮られている事に全く気が付いていないミュルジスが映っている。意識していない瞬間を撮影された事で、普段のミュルジスからは想像も出来ない程の真顔の彼女が映っている。その表情は『笑顔と親しみ』を心掛けているミュルジスにとって、受け入れられるものではない。

 

 抗議の声を上げ、受け取りを拒否するミュルジスの横から、ホルハイヤがそれを掠め取り懐へとしまう。

 

「ちょっとなんで、あなたが受け取るのよ!!」

「可愛いエルフさん、あなたがいらないって言ったからよ」

「あたしが処分しておくから渡しなさい」

「お断りするわ。あなたもナスティから同じ様な事を言われて、拒否したんでしょう?」

「待ちなさい、どうしてそれを知ってるの!?」

「さぁ、どうしてかしらね?」

「ホルハイヤ!!」

 

 ミュルジスの怒りの叫び声を無視して、ホルハイヤはさっさと歩き出す。

 ロドス職員はただ一人、車両の前に残って立っている。

 

「やっぱりドクターの言った通り……本人達が否定しても、あの二人って結構相性良いな」

 

 駅の中へと消えて行く二人を写真に収めつつ見送り、そう呟くとロドス職員は次の仕事に向けて出発した。『積み荷』を目的に届けたら、次の『積み荷』の回収へと向かう。それが運転手の仕事なのだから。

 

 

 

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 ──銀心湖鉄道、個室

 

 銀心湖鉄道に無事に乗り込んだ二人は、切符に記載されている個室車両の方へ移動していた。ロドスが事前に手配していた上質で広さも十分にある個室だった。これならば誰であろうとも、目的地に着くまでの短くない時間をゆったりと過ごす事が出来るだろう。荷物を片側に押し込み、窓側の席に座って外に広がる銀世界を見る。

 

「個室を取ってくれているなんて、気が利くわね」

「本当に助かるわ。沢山の人がいる自由席も好きだけど、流石にこの荷物を抱えていると大変だもの」

「あぁ、そう意味で言ったんじゃないわ。今、人の出入りが激しいイェラグで、多くの目に晒されない事に対してよ」

「そっちの話? 私は何度も乗った事があるし、今更気にする事でもないと思うけど」

「あなた一人だったらの話ね。仮にも元マイレンダー所属のエージェントとライン生命生態課主任、二人が並んで歩いていたら……何処でもいる諜報員さん達はどう思うかしらね?」

「考えすぎよ。それに並んで歩いていたとしても、聞かれて困る様な話はないでしょう?」

「頭が半端に回る人間は、勝手に『ないもの』を作り出して暴こうとするものよ」

「なんだか含みのある言い方ね。心当たりでもあったのかしら」

「それに……他人が大勢いる所は好きじゃないの」

「なぁんだ、結局そっちが本音だったのね。素直に言えば良いのに。それじゃあ……少し車内販売の方を見てくるから、荷物番は任せたわよ」

 

 それだけ言い残し、ミュルジスは個室を後にした。雑に手を振って見送るとホルハイヤは、再び本を読む作業に戻る。

 

 

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「ホルハイヤ、開けて頂戴。両手が塞がってるの」

 

 暫くしてから、ミュルジスの声が扉の向こうから聞こえた。読書の邪魔をされた事に対し、僅かながらの苛立ちを覚えつつもホルハイヤは素直に扉を開ける。

 

「ありがとう。買いすぎちゃって腕が疲れちゃったわ」

「お得意の分身を使いなさいよ」

「こんなに人が多くて入り乱れている場所で、急に同じ人物が増えたら騒ぎになっちゃうわ。それに折角同行者がいるんだもの、手伝って貰える所は手伝って貰わないと」

「……たかだか車内販売で、こんなに買うような物があるの?」

「あるわよ。車内販売でしか売ってないお土産だって沢山あるんだから。そういうのを買って、一つずつレビューを投稿するのが私の楽しみでもあるの」

「……へぇ、そう」

「相変わらず興味なさそうね。まぁいいわ……はい、お水。何も感じていなくても、少し位は水分補給した方が良いわよ」

 

 差し出された水のボトルを黙って受け取る。

 ミュルジスは買って来た商品を分類別に並べ始める。

 

「やっぱり、『ジョン・スミス』作のブラインドボックスは売ってなかったわ。聞いてみたけど、暫く新作も出てないみたい。彼が言っていたように止めちゃったのかしら」

「……『ジョン・スミス』、今頃変な帽子を被って何処かを走り回っているかもね」

「変な帽子? 何か知っているの?」

「いいえ。ただの独り言よ」

「またそれ? あなた独り言ばっかりね」

「……」

 

 ミュルジスは買って来た水のボトルを開けグラスへと注ぐ。よく冷やされたそれを少しだけ観察すると、一気に飲み干した。

 

「よく冷えていて美味しいわ。あなたもそう思うでしょ?」

「クルビアのよりは、そうかもしれないわね」

「イェラグの水は好きよ。清潔で、透明……きっと綺麗な結晶を作れるわ」

「結晶?」

「知らないの? 綺麗な水は、綺麗な氷の結晶を作れるのよ」

「……」

「綺麗な水に、綺麗な言葉を囁いてあげると、特別に綺麗な氷の結晶が生まれるの。逆に酷い言葉を囁くと、水は歪んだ結晶を生み出す……言葉に触れている時間が長ければ長い程、特徴的な形に変わっていく。つまり、水は人の言葉を理解して寄り添ってくれるの。これは純度の高い方が──」

「その話、嘘だった筈よ。一瞬だけ話題になったけれど、結局何の根拠もないただの与太話に過ぎない」

 

 ホルハイヤのその指摘を聞いた瞬間、楽しそうに語っていたミュルジスから表情が抜け落ちる。

 

「何だ……知ってるのね」

「あなたがこんなつまらない話を信じている方が驚きだわ」

「……本当に信じている訳じゃないわ。ただその発想がとても素敵だと思っただけよ」

「……」

「水が誰かに寄り添ってくれる。水が人の言葉を理解している。優しさには、優しさを。愛情には、愛情を。悩みには、助言を。悲しみには、寄り添いを。そうやって、通じ合える何があるって思える。何の根拠がなかったとしても、信じていたいの。ホルハイヤ、あなたにも信じたいものってあるでしょう?」

 

 ──────────────────────────────────────

『水は人の心を映す』と誰かが言った。

『水は人の言葉に応えてくれる』と誰かが言った。

 

 優しさには、優しさを。愛情には、愛情を。

 

『水は何処にでもいる友人だ』と誰か言った。

『水は人の悩みに寄り添ってくれる』と誰かが言った。

 

 悩みには、助言を。悲しみには、寄り添いを。

 ──────────────────────────────────────

 

「──嘘つきね」

 

 彼女の、ミュルジスの言葉を聞いて……ホルハイヤはただそう言った。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「……嘘つき?」

「以前から思っていたけれど、あなたって本当に嘘が上手よね」

「あたしがいつ、嘘をついたって言うの?」

「自覚はあるんでしょう? それとも……そんな事も分からない位に混乱しているのかしら?」

「根拠のない、勝手な言い掛かりは止めてくれるかしら」

「中途半端な狡猾さで、騙すのは得意なようね。可哀想に、あなたの大好きな『お友達』は誰も教えてくれなかったのね」

「あたしの事を気に入らないのは知っているけど、今日のあなたは特に感じが悪いわよ。それにこれ以上、誰かの事を悪く言うなら……あたしだって本気で怒るから」

「……何に対して怒るって言うの?」

「何って……」

 

 ミュルジスは自問する。

 

 今、自分は何に対して怒ろうとしているのだろう? 

 嘘つき呼ばわりされた事? 

 友達を悪く言われた事? 

 友達……? 

 

 友達って、誰の事? 

 

「可愛いエルフさん、あなたが嘘をついて騙している相手はあなた自身よ」

「ホルハイヤ……何を、言っているの?」

「今迄にたったの一度でも、自分自身を疑った事はない? 誰かから指摘された事は? それを無意識に心の奥底へとしまい込んだりしていない? それとも、分かっていてこの先ずっと……このまま生きて行くつもり?」

「あなたに何が──」

「■■■■■■■」

 

『あなたに何が分かるのよ!!』、ミュルジスの口から放たれる筈だった言葉はホルハイヤに遮られる。

 

「■■■、■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■、■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■?」

 

 ミュルジスは反論しようとしたが、結局何も言えなかった。急に全身の力が抜けてしまったかのように、壁に凭れ掛かると無表情で窓の外を見る。美しく輝く銀心湖、雄大な雪の大地、本来であれば今回の鉄道旅を楽しく彩る筈だったそれらは、何の記憶にも残らない風景として流れ去っていくだけだった。

 

「──あたしは嘘つきなんかじゃない」

 

 誰にも聞かれない様に小さくそう零して、ミュルジスは疲れた様に眼を閉じた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ──暫く前、ロドスにて

 

『君の同僚が来ている』とドクターから連絡を受け、ロドス艦内の廊下をミュルジスは軽い足取りで進んでいる。予めロドスに来ていたら教えて欲しいと頼んでいた相手は、それほど多くはない。つまり、今回の『同僚』が誰であるかの凡その検討はついている。物事には常にちょっとした驚き(サプライズ)が必要だ。だから彼女は、その部屋に一体誰が来ているのか、分からないフリをして勢いよく扉を開く。

 

「ハロ~、ご機嫌いかが?」

 

 ミュルジスが部屋の扉を開けると、やはりそこには見知った顔がいた。

 

「あら、ナスティじゃない~。あなたも来ているなんて知らなかったわ」

「君には伝えていないからな」

「お互い忙しい身の上なんだから、会える時があるなら教えて欲しいって言ったでしょう?」

「必要であるなら、そうすると伝えた筈だ」

「じゃあ、今回は必要なかったって事?」

「伝えるまでもなく、何処かのタイミングで会う事になると分かっているからだ」

「全く、素直じゃないんだから……今回はロドスに何の用があったの?」

 

 この時になって、ドクターがようやく口を挟んだ。

 

「ライン生命エンジニア課とロドのスエンジニア部、協力関係の共同プロジェクトの確認だよ」

「共同プロジェクト?」

「近い内にイェラグで行う予定の物について、色々と話を固めておこうと思ってね」

「ふ~ん」

「ドクター、一度持ち帰り詳細が固まり次第、また打ち合わせを行うとしよう」

「そうしよう。君からの提案については、私の方からエンジニア部の方に話を持っていこう。どれを選ぶかは……次回の打ち合わせのお楽しみとしておこうか」

「そうか。では彼らがどれを選ぶのか、楽しみにしておくとしよう」

「それともう一つ、君がまだロドスに滞在するつもりなら、エンジニア部の方に顔を出してあげて欲しい。君の意見を聞きたいと、来訪を心待ちにしているスタッフが多くてね。今日はMechanistもいるから、個人的な意見交換も出来るだろう?」

「君との打ち合わせが変わらず円滑に進んだおかげで、時間に余裕はある。後で顔を出すとしよう」

「ではまた、ナスティ」

「有意義な時間だった、ドクター」

 

 ナスティはそう言うと、書類を抱えて部屋を出た。

 暫く廊下を歩いた後、背後に向かって声をかける。

 

「何故ついて来る」

「時間があるって言ってたから、一緒にお茶でもどうかしら?」

「ドクターに用があった訳ではないのか?」

「今は特にないわよ」

「ならば、何故あの部屋に来た?」

「あぁ、それは……」

 

 ミュルジスは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。

 

「もしも、あなたがロドスに来ていたら、教えて欲しいってドクターにお願いしていたからよ」

「……成程。元々知っていた上で、知らない風に装っていた訳か」

「そういうこと」

「……」

 

 多少呆れた様子を見せつつも、ナスティは邪険にする事なく彼女の提案に乗った。二人は揃ってロドスの食堂に入り、飲み物を注文した後で席に着く。幾つかの世間話を繰り出し、少し落ち着いた所で、ミュルジスは次の話を切りだした。

 

「ナスティもここ、ロドスで上手くやれているみたいで安心したわ」

「ライン生命で働けている以上、ここで問題なく働く事は造作もないだろう」

「それもそうね。ここにいる人達は癖の強い人達が何人かいるけれど……ライン生命程に尖ってる人達は殆どいないから」

「一貫して組織全体が、共通の方向に向いている点もあるだろうな」

「──クリステンは途中から放任になっちゃったし、各部署はそれぞれ好き勝手にやるようになっていたものね」

「クリステンが行った事は……科学としては大きな転換点にはなっただろうが、結果としてあれはライン生命に大きな制限を齎す事にもなった。最も彼女に協力していた私が、今となって何かを言える立場ではないが」

「それはあたしも同じよ。彼女と一緒に向こう側に行った、あたしの植物達が『最終的にどうなってしまったのか』を知る手段はないし……」

「──いずれ向こう側を漂う彼女を見つけて、聞いてみればいい」

「フフッ……確かにそうね。あなたの言う通りだわ、ナスティ」

 

 ミュルジスの言葉に対し、大きな反応を返す事なく、ナスティは飲み物が入ったグラスを手に取った。透明な水をじっと見つめた後で、口に含む。

 

「そうそう、ナスティに聞きたい事があったの」

「私に?」

「ええ。ライン生命はあなたにとって、最適化された環境になっているけれど、ロドスは違うでしょう?」

「当然だ。他所の企業の部屋を勝手に改造する程、非常識ではない」

「だから、困ってる事とか変えて欲しい所があったら言ってみて。あたしはロドスに関しても先輩だから、綺麗に解決してあげるわよ」

「──特にはない」

「そんな……本当に何もないの?」

「ない」

「……なんだかつまらないわ。人間関係も?」

 

 少しばかり考える様子を見せた後、ナスティは滔々と話し出す。

 

「ロドのスエンジニア部に所属している人々は、皆熱意に溢れている。未知なる技術についても、情報収集する事に余念がない。自らの発明品に対する、様々な評論を受け入れる度量がある。Mechanist氏についても、サリアからも聞いていた通り、素晴らしい技術者だ。当時のクルビアの企業には、適正な価値を見定める審美眼はなく、彼の発明品を軽く扱ったという話も聞いている」

「……ナスティ?」

「その点は残念であると言わざるを得ないが、今こうしてロドスで適正に……その技術と能力が発揮されている点については、同じ技術者として喜ばしく思う。また彼の仕事の邪魔をしなければ、真摯な意見交換が可能と言う点で見れば、私と共通する部分もあるだろう。ロドスの他のスタッフについても──」

 

 ミュルジスはそこまで聞いて、諦めた様に手を挙げて制止する。

 

「分かった、分かったわ。何も問題ないって言いたいのね」

「ようやく、理解してくれたようで何よりだ」

「河谷のお友達とはどうだったの? お話したんでしょう?」

「──彼は、そうだな……更に輪をかけて『愉快な』人物へと成長した様だ」

「待って、それで終わり?」

「そうだ」

 

 その言葉に彼女は、少々不服そうな様子を見せた。

 手元のティーカップの中身をスプーンで混ぜながら、次の質問をぶつける。

 

「ナスティは、ドクターにどういった印象を持ったのかしら?」

 

 ミュルジスの問いに対し、ナスティは微かに眉を動かした。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

『ドクターにどの様な印象を持ったのか?』、この問いに答えるには様々な前提が必要になる。質問者がどの程度ドクターと言う『存在』を理解しているが重要なのだ。だが今回の場合、彼女……ミュルジスが正しく理解しているとは思えなかった。そして同じく、ナスティも正しく理解しているとは言い難い。これらの『互いに深く理解していない』という前提を立て、ナスティドクターと行った『ある会話』を思い出していた。

 

 ──────────────────────────────────────

『ナスティ、君の持つ能力については素晴らしいとは思う。……が、呪文の記し手の持つ筆一本が紛失するだけで、機能を喪失し崩壊するならば、それを技術と呼べるかどうかについては、疑問が残るな』

『ドクター、君の指摘については理解できる。『星の庭』後続プロジェクトで起きた件を指摘している事もな。同時に、あの一件の木の根系に使用された物について、君は目を通している筈だ』

『──勿論』

『ならば、私の持つ『技術』がどの様な方針に変化するかについても……既に理解し想定している事になる』

『……』

『これはただの、『確認』なのだろう? ドクター』

『そうとも言える。だが私達の間には必要な事だろう? 既に理解している事、把握している事を改めて口頭で確認しておく事は重要だ。無知で無能な人間が口を挟む事はないと、技術者兼科学者である君に示しておくのは、最初にやるべき事なのさ』

 

『ドクター、君の意図は理解した。これは言わば、今後会議や打ち合わせを円滑に行う為の先行投資の様なものか』

『その認識で問題ないよ』

『しかし……君の印象は、人伝に聞いたものとは随分異なる』

『誰から私の事を聞いたのか、凡その予想はつくよ』

『……』

『ただまぁ……どの様な印象を持ち、どの様に取り扱うかはそれぞれの自由さ。勿論、君もね』

『サリアが嫌いそうな言い分だな』

『彼女の場合は、当然彼女に合わせるよ。誰だって……ある程度は同じだろう?』

 ──────────────────────────────────────

 

「──『君』から聞かされていた印象からは……随分と違っていたな」

「あら、そうなの? どんな風に違ったのか聞きたいわ」

「多くの分野にて優秀なのは疑いようがないが、同時に多く問題も抱えていると感じた」

「また随分と尖った印象をもったのね」

「そうだろうか? 私からすれば、君の持つドクターへの印象の方が疑問に感じる」

「もしかして、ドクターに意地悪されちゃったの?」

「そうではない、が……あの人物は──」

 

 ナスティは何かを言いかけたが、結局その先を言う事はなかった。この先を話した所で、ミュルジスの『問題』を解決する事にはならないのだから。ドクターはミュルジスの抱える『問題』の解決に役立つだろうが、同時に悪化させる原因にもなり得る。それ故にナスティは、今回ミュルジスの『問題』に目を向けさせる事を『友人』として選んだ。

 

「ミュルジス、君は多くの人々と交流を持ち、友人を名乗っているな」

「急にどうしたの? ええ、そうよ。友達は沢山いる方が楽しいもの」

「……」

「もしかして心配なのかしら? 友達が増えてもナスティの事を忘れたりしないわよ?」

「そうではない。多くの交流を行い、友人を自称している」

「ちょっと、自称じゃないわ」

「──その『友人』達の中で、一番初めに思い浮かぶ顔は一体誰だ?」

「急に何~? あたしが誰と一番仲良しなのか知りたくなったのかしら?」

 

 ミュルジスは、ナスティの問いを聞き、友人の顔を思い浮かべようとした。

 これまでの人生の中であった、数多くの友人達。

 

「え──」

 

 その中から、一番初めに思い浮かべる友人は……

 

「なんで……?」

 

『それら』は自分と同じ顔をしていた。ミュルジスが何を思い浮かべたのかを分かっているかのように、ナスティは言葉を続ける。

 

「恐らく、それは誰の顔もしていないだろう。いや、少し違うかもしれないな」

「……ナスティ?」

「すまない、混乱させてしまったようだ。だが、君の精神的な問題は依然として……深く根付いている。あの一件以降、意識的に回避しているこの問題について、君は一度ちゃんと向き合うべきだろう」

「……」

「これは君の『友人』としての、細やかな助言だ」

 

 それだけ言うと、ナスティは立ち上がりその場を去った。

 食堂には茫然とした様子のミュルジスだけが残されている。

 

 

「……あなたはどうして、あたしと同じ顔をしているの?」

 

 

 彼女は独り、一番初めに思い浮かべた友人にそう問いかけた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ──銀心湖鉄道、個室

 

「……ん」

 

 微かな揺れを感じてミュルジスは目を覚ました。意識が完全に回復すよりも早く、当たりを見渡すと既に列車は駅内部で停止している。窓の外には荷物を抱えた大勢の人々が忙しそうに動き回っている。

 

『銀心湖鉄道をご利用頂き、誠にありがとうございました。お客様各位におかれましては、お忘れ物のないようにご注意くださいませ。土産物の取り扱いは、車内販売及び駅内部の売店をご利用ください。次の出発時刻は──』

 

 微かに聞こえてくる声が、やがてはっきりと聞き取れる様になった頃になって、ようやく彼女は自身が眠っていた事に気が付いたのだ。

 

「──あたし、眠ってたの?」

「そうね。起きたなら、早く降りる準備をして欲しいわ」

 

 既に下車の準備を終えているホルハイヤが、ミュルジスを見下ろしている。眠りに落ちる前のやり取りなど、最初から無かったかのように平然としていた。彼女自身もまた、あのやり取りが実際にあったのかどうかの判断が付かなった。もしかしたら、鉄道に乗り込んでから、ずっと夢を見ていたのかもしれない。

 

 確認する勇気もなく、ミュルジスは平静を装って答えた。

 

「……気が付いてたなら、早く起こしてくれてもいいでしょう?」

「私は駅に到着した時点で、あなたをここに置いて行っても良かったのよ? そうしないで起こしてあげた事に、まずは感謝するべきじゃないかしら?」

「起こしてくれてありがとう」

「……じゃあ、さっさと行きましょう。これ以上、仕事相手を待たせる訳にはいかないもの」

 

 ホルハイヤは微かに笑うと、荷物を抱えてさっさと列車を降りて行った。ミュルジスはぼんやりとしていて最後まで聞き取る事ができていない。その姿を数秒間見送っていたが、意識がはっきりしだすと同時に荷物を掴むと慌てて後を追う。

 

「ちょっと、待ちなさいよ!!」

 

 後ろから聞こえる声を無視して、彼女は駅に降り立った。多くの荷物を抱えて、追いかけてくるミュルジスの姿をちらりと見る。

 

「あなたの夢見は悪そうね。可愛いエルフさん」

 

 ホルハイヤが零した言葉が、ミュルジスの耳に届く事はない。

 

 駅の外の少し離れた場所にあるボトル回収箱を見つけると、ホルハイヤは手に持った水のボトルを投げ捨てた。彼女は結果を確認するまでもないとばかりに歩き去る。その無造作に投げ捨てられたボトルは人々の間をすり抜け、誰の邪魔をする事もないまま回収箱の中に落下したのだった。

 

 

 ボトルの中には、歪んだ氷の結晶が残っている。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 一瞬目を離した隙にホルハイヤの姿を見失い、ミュルジスは困った様にあたりを見渡した。そう言えば、彼女がどうしてイェラグに用事があったのか聞いていなかったと、この時ふと思った。元々彼女は、自分の仕事を他者に話す事はあまりない。ドクターの指示で何度か行動を共にした時でさえ、共通目標以外の分野について一切話す事はなかったのだ。自分と同じ様に休暇とちょっとした仕事をしに来たのだろうか? それとも何かしら任された仕事があるのだろうか? 

 

 このまま放っておいていいのか悩んでいると、少し離れた場所に見慣れた顔を見つけた。荷物を引き摺りながら、駆け足で近づく。

 

「あれ、ミュルジス主任?」

「エレナ、どうしてここに? もしかして迎えに来てくれたの?」

「残念ですが……例の飛来物に対しての調査協力に、ロドスから上級顧問の方が来ると聞いていたので待っていました。もしかして、ミュルジス主任と一緒に来られたりしていますか?」

「あら、それって今日だったかしら? ロドスからの上級顧問……? それってまさか」

 

 ミュルジスは、なんだか嫌な予感がしてくる。

 その時、ふらりと何処かに行っていたホルハイヤの声が横から聞こえた。

 

「ライン生命エネルギー課のエレナ・ウビカ博士、会えて嬉しいわ」

「あ、はい。えーっと……あなたは?」

「あなたに名乗った事はなかったわね。ロドス上級顧問のホルハイヤよ」

「ロドス上級顧問のホルハイヤさん……うん? ホルハイヤ?」

「私の名前がどうかした?」

「あはは~、なんもでないです。えっと、お噂は予々……じゃなくて、ミュルジス主任ちょっといいですか?」

 

 エレナはミュルジスの袖を掴むと顔を寄せ、こそこそと話し合う。

 

(ミュルジス主任、本当にこの人で大丈夫なんですか!?)

(あたしもまさかホルハイヤが、ロドスから正式な協力者として派遣されてくるなんて聞いてないわよ。元々専門家を送るって聞いてたから、考えてみれば彼女が来ても全くおかしくないわ)

(元とは言え、あのマイレンダーですよ? カロリン先輩や天空エキスポの件もあって、その名前に皆ピリピリしているのに)

(でも、ロドスから正式に派遣されているのだから、今更突き返すってわけにはいかないでしょう?)

(そうですけど……)

(こうなったら、彼女を信じるしかないわ)

 

 何を話しているのか分かっているのか、ホルハイヤは急かす様に声を掛ける。

 

「その無意味な密談、まだ時間かかるかしら?」

「いえ、大丈夫です。終わりました」

「ふぅん、そう? じゃあこれを渡しておくわ。ドクターがあなたの助けになるだろうからって」

「ドクターが?」

「ご存じないのかしら? 今回の調査協力は、ドクターの推薦で私が来ているの」

「……あなたイェラグに仕事をしに来てたのね」

「当たり前でしょう? わざわざ嫌味を言う為だけに、ロドスから一緒に来たとでも思っているの?」

 

 ホルハイヤはそれ以上ミュルジスの相手をする事なく、自分の仕事に取り掛かり始めた。

 

「事前に伝えていた通り、ライン生命の研究所だけじゃなくて、イェラグの山々を直接見て回りたいの。お願いしていた優秀なガイド、ちゃんと用意しておいてくれたかしら?」

「それは勿論、私が一番信頼している子にガイドを頼んであります。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、コミュニケーションに問題があるかもしれませんが……悪い子じゃないので大丈夫です」

「実力が保証されていれば、それ以外はどうでもいいわ。ガイドはどこ?」

「あそこで座っている子がそうです」

 

 エレナ・ウビカが示した先に、イェラグの狩人装束に身を包んだウルサス人が待っていた。

 

「私は先に、彼女と現地調査に行ってくるわ。既に仮説は幾つかあるけど、裏付けが欲しいの。エレナ・ウビカ博士、あなた達はドクターから渡された資料内容を読み解いて、これまでに所得したデータと組み合わせて『あれ』を調べておいて。きっと苦労するわよ、渡した資料は……ドクターの仮説やら走り書きの寄せ集めだもの」

「えぇ……あ、はい。立ち入り禁止区域もありますが、彼女の方が詳しいので、その都度従って下さい」

「分かってるわ。雪山ではガイドに従わない奴から死ぬもの」

 

 ホルハイヤはそう言うと、ガイドの方に歩いてゆく。少しの時間、話をした後で二人はイェラグの山へと出発して行った。コミュニケーション能力に長けている彼女であれば、イェラグの狩人相手であっても間違った選択をする事はないだろう。

 

「……色々と噂のある人ですけど、優秀なのは本当なんですね」

「だから、皆が困ってるのよ」

「クルビア占星術研究協会の名誉会長でもあるみたいだし、この件の適任者と言えばそうなのかな……」

「考えても仕方がないわ。彼女はもう仕事を始めていて、ロドスのドクターからの推薦なんだから……」

「この分厚い資料も解読しないといけないですし、私は研究所に戻りますね。ミュルジス主任はどうされます?」

「あたしはこれから巫女様に会って来るわ」

「エンヤに?」

「ええ、一度ゆっくり時間を取って話してみたかったの。その後で研究所の方に顔を出すわ」

「分かりました。では、また後で会いましょう」

 

 ミュルジスは別れの前に、幾つかの荷物をエレナ・ウビカに預ける。沢山の荷物の一部は、ここで働くライン生命職員への差し入れなのだ。彼女は大きなケースを引き摺って、ライン生命研究所の方に小走りで向かって行った。

 

 手を振って見送った後、曼珠院を目指して歩き出す。

 今日のイェラグは良い天気で、青空が良く見えた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ミュルジスは山を登り曼珠院へと辿り着いた。これまでのイェラグにおけるライン生命の活動の中でも、何度もその名前が登場しているが、自らこうして直接足を運ぶのは今回が初めての事になる。イェラグの宗教組織が有する寺院と呼ぶべきそこは、外からやってきた異邦人に対しても、確かな荘厳さを感じさせたのだった。門をくぐり、中に足を踏み入れると直近の騒動などまるで感じさせない静かな空間が広がっている。ある意味で国家の中枢に足を踏み入れている事実に、ミュルジスは微かな緊張を持ちながら、目的の人物が現れるのを待っていた。

 

 あらかじめ決められた時間になると、年若い侍女が現れミュルジスを迎える。短い会話にて確認を済ませると、二人は揃って曼珠院本殿の中へと入って行った。幾つかの廊下を歩き、幾つかの部屋を抜けた所で、侍女は戸を叩き中へ静かに声を掛けた。

 

「巫女様、お客様をお連れしました」

「ありがとうございます。中へ通して頂けますか?」

「はい。どうぞ、お入りください」

「ありがとう」

 

 部屋の扉を開け、頭を下げる侍女に礼を言うとミュルジスは中へと足を踏み入れた。

 巫女が頷くと、案内をした侍女は奥へと下がっていく。

 

「ごきげんよう、巫女様。また会えて嬉しいわ」

「お久しぶりです、ミュルジス主任。こうして直接お会いするのは、空からの落下物を調べた時以来ですね」

「あれから……なんだかとっても時間が過ぎた様に感じるけれど、実はそうでもないから不思議よね」

 

 イェラグ、曼珠院の巫女……エンヤ・シルバーアッシュは何かを書き記していた書物を閉じた。

 

「事前のお話によれば、身共に問いたい事があると伺っています」

「……そんな深刻な話でも、あの飛来物に関する話でもないの。ただ……酷く個人的な質問をしたいのだけれど、許してくれるかしら?」

「勿論、身共に答えられるのであれば、どの様な内容であろうとも構いません。ですが……」

「ですが?」

 

 エンヤ・シルバーアッシュは少しだけ悪戯っぽく笑う。

 

「この時間だけは巫女の務めを終了しておりますので、もう少し楽にしてもらえると助かります」

「──フフ、分かったわ。私もその方が話しやすいものね」

「この場の出来事や話の内容は、あくまでも個人的なものとし、イェラグ及びライン生命との公式的関りがない事を誓いましょう」

「あたしもこの話を外部に持ち出すつもりは、これっぽっちもないわ」

「我らのイェラガンドに」

「我らのイェラガンドに」

 

 二人は揃ってそう口にすると、微かに笑いあった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 二人は暫くイェラグの山で見つかった、例の飛来物について調査の件を軽く振り返り、巫女としての立場の変化に伴う苦労話を聞き、ちょっとした愚痴等を言い合った。話をしていく中で、ミュルジスはエンヤ・シルバーアッシュが以前とは変わったと確かに感じる。彼女は初めて会った時はもっとこう……幼い印象を持っていた。ただ巫女として信仰に殉じ、今あるイェラガンドを守ろうとしている、より大きな存在に守られている子供の様だった。

 

 だが、今はどうだろうか? 

 

 二人きりで話し始めてから、大した時間は過ぎていない。この短い時間の中で、既にミュルジスが持つエンヤ・シルバーアッシュへの印象はすっかりと変わっていた。彼女は既に巫女としての責務を背負い、自分で考え、何を成すべきかを見定めている。この大地の上に自らの足で、誰にも守られる事なく一人で立っている。怒りと悲しみを乗り越え、周りを取り巻く誰とでも向き合う事の出来る大人だった。

 

 人は一瞬の内に、子供から大人へと変わっていく。

 精神的な成長を迎えて変わっていくのだ。

 

 それを少しだけミュルジスは羨ましいと感じる。

 同時に……どうして羨ましいと感じたのか分からなかった。

 

 色々な話をしていく内に、話題はイェラグに存在していた神……即ちイェラガンドの話になる。

 

「イェラガンドは、本当にいなくなってしまったの?」

「いなくなったと言うのは、正確ではありません。今はただ……休んでおられるのです」

「休んでいる……じゃあ、いつかは目覚めるという事かしら?」

「私はそう信じています。ただ……それがいつになるのかは分かりません。十年先かもしれませんし、百年先かもしれません。もしかしたら、もっと……遥か未来の事になったとしても不思議ではないです」

「……分からないのね」

「ええ、その通り……分からないのです。ですが、悲しむ事はありません。私達イェラグの民は、先の出来事を得て……改めてこのイェラグの大地の上で、生きて行く決意をしたのですから」

「眠ってしまったイェラガンドに対して、『寂しい』と思った事はあったりする?」

「寂しい……ですか?」

 

 ミュルジスの問いに、エンヤ・シルバーアッシュは少し考える様な仕草を見せる。

 

 彼女は思い出している、ここで共に過ごした日々を。

 心の内を躊躇わず打ち明けて、頼る事の出来る人がいる事に慣れていった事を。

 そしてある日突然、ずっと続くと思っていた日々が消えてしまった事を

 

 ──────────────────────────────────────

『……いつまでもそばにいるって、約束してくれたじゃないですか』

 

『どんな物事も、怒るべき時に起こるものよ』

 

『私が理想を失わない限り、いつまでも私の侍女長であり続けてくれるって』

 

『あなたは、私を呼び探し求めていたあの子たちとは違う。無力に翻弄され、私の返事を待つことしかできない少女ではないでしょう』

 ──────────────────────────────────────

 

「先程の侍女を覚えていらっしゃいますか?」

「あたしを案内して、お茶を持って来てくれた子の事かしら?」

「ええ、そうです」

「会ったばかりだもの、勿論覚えているわ。若い子だけれど、落ち着いていて、物事をよく見ている様な眼をしていたわ」

「あの子は、先日の騒動の後で私が選んだ……巫女の新たな侍女長です」

 

 ミュルジスは『新たな』という言い回しが引っ掛かった。

 

「その言い方だと、前の侍女長さんがいたのね」

「……確かにいました」

「ごめんなさい、聞かない方がいい話だったかしら?」

「いいえ、むしろこれからの話に関わる所なのです」

「先代の侍女長は、確かに……確かに私の側いたのです。ですが、その事を思い出せる人は、もう私以外にはおりません」

「……」

 

 何かを感じ取ったミュルジスは、話の続きを待つ。

 

「新たな侍女長を選ぶ際……始めは、侍女長の仕事など誰がやっても同じだと思っていました。というのは、結局誰も前侍女長ほど上手には務められないからです。そこで私は、聡明そうな少女を選べばいいと考えました。最初のうちは服の片付けや、伝言などの軽い仕事しか任せられないでしょうし、他の侍女の管理方法や、他部門と協力する方法については、その後私がゆっくり教えていけばいい、と思ったのです」

「侍女長と言うのは、巫女の秘書みたいな立場なのね」

「確かに、秘書と呼ぶ方があなた方には分かり易いのかもしれません。けれど、あの子は私が思うよりずっと聡明でした。まだ年若い子ですが、感覚が鋭く、少しヒントを与えただけで多くの道理を悟ってくれるのです。あのくらいの歳の頃、私はまだ怒りに任せて山を登っていたものです」

「……」

「新たな侍女長を選んだ事で……あの子の聡明さと働きを見る事で……私は、私の考えを一部改めました。一つの物事、一つの役職、それら全てが『特定の誰かにしか出来ない』といった事はないのだと」

「誰にでも代わりが出来るってこと?」

 

 エンヤ・シルバーアッシュは首を振って否定する。

 

「そうではありません。誰かに『誰かと同じである事』を求めるのが間違いであるという話です」

「誰かと同じである事……」

「この事に気が付くまで、私は前任の侍女長の事ばかりを考え、新たに選出した侍女長の事を全く見ていなかったのです。過去にばかり囚われ、現在を見ていない。最初から『誰でもいい』と責任を放棄して、何もかもを諦めているのは……あまりにも傲慢だと思いませんか?」

「確かに、そうかもしれないわね。目の前に実在する人物を……ちゃんと見てあげられていないんだもの。誰かの代わりばかりを追い求めていたら、今を頑張っている人達が可哀そうだわ」

 

 ミュルジスは、すらすらと流れ出た言葉に違和感を覚える。自分が発した言葉は間違いではない筈なのに、まるで最初から決まっていた台本の様に読み上げたのだ。しかし、彼女が違和感の正体を捕まえるよりも早く、それは霧散してしまったのだった。

 

 ──────────────────────────────────────

『──嘘つきね』

 ──────────────────────────────────────

 

 ホルハイヤの言葉が、再び頭の中に響いた気がした。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ミュルジスの微かな動揺を気にする事なく、エンヤ・シルバーアッシュは話を続ける。

 

「我らイェラグの民は、イェラガンドの庇護の元から旅立ち、自らの脚でこの大地を踏みしめねばなりません。妄信的に警句を唱えるだけでは駄目なのです。もしも……この先、イェラガンドが再び人々の前に現れ、何か仰ったとしても、我らはそれの真意を考え、正しいかどうかを判断していかねばなりません。何も考えずに、信仰する神の御言葉に従う……その様な行いは今の──」

 

 再び言葉を選ぶように、雪の降る外へと視線を向ける。

 

「流れ……世論……時代……そうですね。『時代の流れ』と言うべきでしょうか。ただ只管に信仰する神の御言葉を信じるのは、今の時代には合っていないのでしょう。守るべき所は守り、変わるべき所は変わる。そうしていかなければ、私達は……イェラグはこの先も大地の上に残って行く事が出来ないのです。この転換点に適応出来なければ、我らは書物の中に名を遺すのみになるのかもしれない」

「──『時代の流れ』、分かる気がするわ。絶対に何かが起こり、これからの事を決める重大な分岐点となる予感がするのよね。二年前のあの大事件、そしてつい最近の天空エキスポでの出来事……何か一つでも間違えていたら、今こうして話をしている事もなかったかもしれないわね」

「仰る通りです。こうした瞬間は、我々が思っている以上にあちこちで頻発しているのかもしれません。それらが複雑に絡まり合い、今の私達が過ごしている時間を生み出しているのです」

 

 ミュルジスは同意を示す様に、その言葉に頷いた。

 

「イェラグの分岐点……兄は、エンシオディス・シルバーアッシュは、他の誰よりもその事に早く気が付き、他の誰よりも早く行動を起こしました。時間を掛ければ、より多くの人々の理解を得られたのでしょう。しかし、その時間がない程に『時代の流れ』は目の前に迫っていたのです」

「どれだけ今が満ち足りていても、変わらなければいけなかった。イェラグの分岐点は差し迫っていたのね。なんだか以外だわ。イェラグは長い間、天災に襲われる事もなかったから、国全体として不変的な安定を望んでいるのかと」

「ミュルジスさんの仰った部分が、ないわけではありません。事実、イェラグは国の中でも長い派閥争いがあったのですから。もしも、兄が行動を起こしていなかったら、私達はいずれヴィクトリアの手に落ちていたでしょう。もしも、イェラグの民が変わる事を認めなかったら……イェラガンドは本当にいなくなっていたのかもしれません。だからこそ、イェラガンドが休んでおられる現在が最も良い結果を掴んだのだと思っています……思う様にしています」

「……」

「つまり、寂しいと感じる事はありますが……それを後悔はしていません」

 

 エンヤ・シルバーアッシュはそう言い切ると、微かに笑って見せる。見る者が見れば、それは多分に強がりが含まれている事が分かっただろう。しかし残念ながら、ミュルジスにそれを見破る事は出来なかった。

 

「ねぇ、失礼を承知で聞かせて欲しいの。今の時間が、ずっと続く事を願う事って駄目なのかしら? 最も満たされていると感じる瞬間が、永遠になる事を望むのは欲張りになってしまうの?」

「願う事、望む事は否定されるべきだとは思いません。ですが今のこの世に、永遠に同じ形を留めるものは存在しません。夢は必ず終わる様に、日が沈み再び日が昇る様に、何事であろうと終わりは来るものです」

「どれだけ望んだとしても、必ず終わりが来るって事?」

「ミュルジスさん、あなたが何を望んでおられるのかは……私には分かりません。しかし、既にご自身も気づいておられるのではありませんか?」

「それは……」

「永遠不変なものはなく、望んだとしても決して手に入らないのだと」

「……」

「満ち足りた時間が『ずっと続けばいい』と思わなかったわけではありません。比較的安定した時期を見て、満足していた事もあります。ですがそれは、子供だから許されていただけに過ぎません。私もかつて子供でした。兄の事も、イェラグの事もちゃんと分かろうともしない……愚かで幼い子供だったのです。そんな私も今では大人になりました。大人に成らざるを得ませんでした。出会いと別れを経験し、自らが何をすべきなのかを自分で決める様になったのです」

 

 何かを思い出す様に、エンヤ・シルバーアッシュは一度目を閉じる。

 

 ──────────────────────────────────────

『だけど今では、自分の意志で旅に出たじゃない』

 

『今のあなたは、柵を飛び越える力を持った小さな駄獣。縛られない自由な心を持ち、賢く機転が利いていて、そのうえ初めて口惜しさと憤りを胸に巡礼に来た巫女なのよ』

 

『さあ、行きなさい』

 

『暗い影を取り払い、新たな明日を切り拓きに行くのよ』

 ──────────────────────────────────────

 

「今が生きている中で、『最も素晴らしい瞬間である』と決めつけるのは、あまりにも早いと思いませんか? よりよい明日を目指し、歩みを進める人々を信じなければ、どうしてそれが実現されるのでしょう? これからやって来る筈の未来が、今よりも劣るものだと決めてしまうのは……あなたと今を共に生きる人々に対し、あまりにも無礼ではないでしょうか?」

「……あなたの言う通りかもね。未来の事を信じてあげないと──」

 

 その時、部屋の扉が叩かれ、侍女の声が聞こえた。

 

「お話し中、失礼します。巫女様、そろそろお時間になります」

「もうそんな時間でしたか。分かりました、準備をします。申し訳ありませんミュルジスさん、次の約束の時間が来てしまったようです」

「気にしないで、個人にこれだけの時間を割いてくれた事だけでも十分過ぎるもの。あたしの個人的な話に付き合ってくれて、感謝してもしきれないわ」

「身共の言葉が、あなたの悩みの解決に役立ったのなら喜ばしい事です」

「今日は本当にありがとう。また機会があれば、もっと楽しい場になるようにするわね」

「その日が訪れる事を、楽しみにしています。身共も曼珠院の出口までお送りしましょう」

 

 イェラグの巫女と侍女に案内されて、ミュルジスは曼珠院の出口までやって来た。手土産として小さな包みを渡され、門の所で振り返り、頭を下げる。見送りの二人も同じ様に頭を下げていた。

 

 最後にもう一度だけ、ミュルジスは曼珠院を振り返った。

 こちらの姿が見えなくなるまで、立っているであろう巫女と侍女。

 

 イェラグの巫女、エンヤ・シルバーアッシュ。

 この大地の上で自分の半分も生きていない若い命。

 

 こちらを真っ直ぐに見つめ、堂々と立つ巫女。

 彼女の姿は何故か、自分よりも遥かに大人に見えたのだ。

 

 山を降りるミュルジスの後ろから、山々に響く見送りの鐘の音が聞こえた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 エンヤ・シルバーアッシュは、ミュルジスの姿が見えなくなるまで見送りを続けた。一度だけ振り返った彼女の瞳には、微かな羨望と悲しみ、そして怯えが宿っていた様に見える。かつて自分がそうだっだように、いずれ自分で答えを出して解決しなければいけないものだ。誰かからの言葉で納得できる筈もない、誰かからの説得で理解出来る筈もない。

 

 遅かれ早かれ、その瞬間はやって来る。

 彼女の場合は……もう少しだけ時間が掛かるのかもしれない。

 

 曼珠院からもよく見える、銀心湖の側に立つ巨大なイェラガンドの像。

 何が気に入らないのか、彼女は最後まで不満を言っていた。

 

 ──────────────────────────────────────

『やっぱりおかしいわよね。イェラガンドには全然似てないわ!』

 

『せめて顔をもう少し細くして、スタイルも……』

 

『ねぇ巫女様、あなたの侍女のささやかなお願いを聞き入れてくださらない?』

 

『エンヤ、ねぇエンヤってば~』

 ──────────────────────────────────────

 

 既に遥か遠くに感じる思い出の日々。

 彼女は巫女になってから、ずっと私の傍にいてくれた。

 

「ミュルジスさんの前なので強がりましたが……やっぱりあなたのいない日々は寂しいですね」

 

 大した話があるわけでもない。

 特別な何かを伝えたいわけでもない。

 

 ただ、全てが突然過ぎて……心の準備ができていなかった。

 その事をもう一度会って、文句を言いたい。

 

 ──────────────────────────────────────

『永遠に時間を共にすることなんて、できないものよ。別れはいずれ誰にでも訪れるものだから』

 ──────────────────────────────────────

 

 ふとした瞬間に、ヤエルの事を思い出している。

 イェラグが変わり、自らの力で歩み始めたからこそ、無性に会いたい日がある。

 

 

「ヤエル……また、あなたに会えますよね」

 

 

 小さくそう呟き、手元の鐘を鳴らす。

 澄んだ鐘の音は全てに聞こえる事はなくとも、イェラグの山々に響いたのだった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 曼珠院を去り、山を降りたミュルジスはライン生命の研究所には行かず、予約した宿泊所の部屋にいた。荷物を放り出して、何をするでもなくベッドの上に寝転がって天井を眺めている。本来であれば、直ぐにライン生命の研究所に向かう方が良かったのだが、どうしてもそこに行こうという気力が湧いてこなかったのだ。沈黙に包まれた部屋の中で、無気力な目をしたまま携帯端末に保存された写真を眺めている。写真の中にいる自分は、どれも笑顔で楽しそうだった。

 

(──あなたはどうやって笑っていたの?)

 

 やがて沈黙に耐えられなくなったミュルジスは、現状を最も打破してくれそうな人物に連絡を取る事にした。幾らかの期待を込めて、番号を押し発信する。何回かの呼び出し音の後で、向こう側から元気一杯の声が聞こえた。

 

『こちらロドスアイランド製薬、ドクターの執務室だ!! ……じゃなかった、です』

「……イフ?」

『あ? ミューか? 久しぶりだな、どうしたんだ?』

「イフこそ、どうして電話番なんかしているの?」

『電話番をしてたわけじゃねぇんだ。偶々オレサマが執務室の中にいたってだけだぜ』

「ドクターは今いないの?」

『いや、向こうでロスモンティスの報告を受けてる。オレサマは付き添い。前回はオレサマもドクターに直接報告したぜ』

 

 聞こえてくるイフリータの声は、明るく元気に溢れている。

 先程迄感じていた、暗い気持ちが晴れて行く様に感じた。

 

「報告書を焦がしちゃったりしてない?」

『いつの話してんだよ。オレサマはもうそんなヘマしたりしないぜ。あ、そうだ。聞いてくれよ、ミュー』

「なぁに? 随分嬉しそうね」

『なんとオレサマ、先輩オペレーターになったんだぜ。新しく入った奴らの訓練に付き合ったり指導したりする様になったんだ』

「凄いじゃない!! 頑張ってるのね~」

『フフ、ロスモンティスと一緒に色々な任務に参加しているし、エリートオペレーターになる為に日々成長中ってやつさ』

「昇進申請が出せそうだって言ってたものね」

『まぁ、結構時間掛かっちまったけど……戦うだけじゃなくて色々な事が出来ないと駄目だからな。手が空いてたら、今みたいに事務的な事もやるようにしてんだ』

「偉いわ~」

『他には……おっと、ドクターに用があったんだよな。ちょっと待っててくれ、もう終わるか聞いて来る』

「分かったわ。続きはまた今度聞かせて」

「おう、オレサマも話したい事が沢山あるんだ」

 

 イフリータの言葉を聞いて、ミュルジスは知らず知らずの内に笑顔になっていた。

 

『ドクター!! ミューから電話が来てる!! なんか用事があるみたいだぞ!!』

 

 突然聞こえてきた大声に、ミュルジスは慌てて端末を耳から離した。

 少しばかり、事務的業務をするには詰めが甘い所があるようだ。

 

『間違えた。確か、先にこれ押せって言ってたな』

 

 小さくそう聞こえたと思ったら、保留音が鳴り出した。

 端末をスピーカー状態に切り替えると傍に置く。

 

「あたしの耳が丈夫で良かったわ……」

 

 ミュルジスは微かな笑いを漏らす。嬉しそうに話すイフリータの言葉が蘇る。かつて実験体であった彼女が、満たされた生活を送れている事はとても喜ばしい事だ。自分でやりたい事を見つけ、周囲もそれを見守ってくれている。以前からは考えられない程に、彼女は変わった。

 

 ──────────────────────────────────────

『フフ、ロスモンティスと一緒に色々な任務に参加しているし、エリートオペレーターになる為に日々成長中ってやつさ』

 ──────────────────────────────────────

 

「──日々成長中、か……」

 

 しかし、そう呟いた時には彼女の顔から笑顔は消えていたのだった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

『随分待たせてしまった、ミュルジス。何か用事があると聞いたが』

 

 ぼんやりとしていたミュルジスの耳に新しい声が届いた。勢いよく起き上がり、慌てて端末を手に取る。彼女は挨拶の言葉を発する前に、微かに緊張している事に気が付いた。現状を打破してくれるという期待、そして何かを容赦なく指摘されるかもしれないという緊張。僅かな間をおいて心を落ち着かせ、勇気を出して挨拶をする。

 

「こんにちは、ドクター。お仕事の方はもういいの? 忙しいんじゃないかしら?」

『いや、案外そうでもないんだ。皆優秀だから、私も随分と暇をしている』

「本当に?」

『と言いたい所だが、相変わらず忙しくしているよ。やる事が次から次へと湧き出して来て、尽きる事がない』

「じゃあ別の機会にした方がいいわね。また時期を見て連絡するわ」

 

『……ミュルジス』

「何かしら?」

『何か相談したい事、あるいは悩みがあるんだろう?』

「……」

『仕事をしながらでもよければ、君の話を聞く事はできるよ。仕事は進む、君の悩みも解決できるし一石二鳥だ』

「あたし、そんなに分かり易かった?」

『直接でもなく、分身体でもなく、こうして通話している時点でかなり分かり易いね。君は自分に何かしらの問題があると自覚出来ている時、直接会う事を避けようとする傾向がある』

「やっぱりお見通しだったのね。ロドスに潜ませている分身を使えば良かったわ」

 

 自らが悩みと相談を抱えている事を見破られても、ミュルジスは落ち着きを保ち、努めて楽しそうに話す努力をした。

 

『分身と言えば……過去複数回にも及ぶ、無断でのロドス侵入を不問している点は感謝して欲しいね。バレていないと思っているのかもしれないが、イフリータは隠し事は下手だし、君は思ってる以上に目立つんだ』

「やっぱり気が付いていた? ロドスとライン生命は協力関係にあるのだから、堅苦しい手続きはなしに気軽に会いたいわ」

『協力関係だからこそ、必要な手続きはあるんだよ』

「仕方がないわね。次からはきちんと手順を踏んでから訪問するわ」

『是非そうしてくれ』

 

 ドクターは既にミュルジスが無意識に、相談や悩みといった題材から話題を逸らしている事に気が付いている。分かってはいるが、いずれ必要な局面で容赦なく指摘するつもりでいるからこそ、今はそれを指摘する事はしない。暫くはミュルジスの気が済むまで雑談に付き合う事にしていた。

 

「そう言えば、ロドスから調査協力で派遣されるのがホルハイヤだって、どうして教えてくれなかったの?」

『ちょっとしたサプライズさ。そっちの方が面白いかと思って』

「面白くないわよ……今のライン生命が『マイレンダー』という名前に敏感になっているのは知ってるでしょう」

『ライン生命だって、ある程度は協力関係にあるじゃないか。それにホルハイヤは、今の彼女はロドス所属だよ。その点については間違いなく保証する』

「随分、彼女を信頼しているのね」

『信頼……? 私は彼女を『信用』しているが、まだ『信頼』はしていないよ』

 

「あたしからすれば……彼女にロドスの看板を預けて、仕事を任させている時点で十分に信頼している様に思うけど」

『全く違うな。信用は過去の実績の評価、信頼は未来への期待だよ』

「過去の実績の評価って、実績内容に問題が多過ぎない?」

『分かってるじゃないか。良くも悪くも実績は十分過ぎる。ホルハイヤはクリステンとも協力関係にあったし、君ともそれなりに交流がある。更にライン生命のやり方をよく知っているという点と、『星』に関する事なら今の所は一番の適任者さ』

「う~ん……ドクターが大丈夫だって保証してくれてるなら、心配ないって思いたいけど不安が勝りそうよ」

 

 ミュルジスがそう言うと、ドクターの微かな笑い声が聞こえた。

 

「何よ、あたしが不安になってるのが面白いの?」

『いいや、違う。不安と文句を述べつつも、彼女の自由行動を容認しているのが君らしいなって』

「別に容認しているつもりはないけど」

『だって君は今一人だろう? 本当に心配なら、君が一日中傍で見張っていればいい。ロドスで初めて二人一緒に任務に出た時の様にね。複数回にも及ぶ交流で……君は彼女を信用し認めているのさ。特に仕事に関する正確性と力量についてはね』

「ドクター風に言うなら、『信用』って事?」

『その通りだが、君の場合は……いや、今はやめておこう』

「?」

 

 信用。

 

 ──────────────────────────────────────

(こうなったら、彼女を信じるしかないわ)

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 もしも、ホルハイヤの事を信じていないのなら、ロドスに突き返すべきだった。突き返すまでは行かなくても、監視という名目で単独行動を許さずに一緒に行くべきだっただろう。だがミュルジスはそれをせず、あの場で不安を呈するエレナの前でホルハイヤを信じる事を選んだのだ。ミュルジスは……誰かを『信じる』事でこれまで歩みを進めてきたのかもしれない。

 

 ミュルジスはホルハイヤを……一応は信用しているのかもしれない。

 ではホルハイヤは、ミュルジスを信用しているのだろうか? 

 ドクターはミュルジスの事を、ホルハイヤと同じ様に信用している。

 

 ミュルジスはホルハイヤを信頼しているのだろうか? 

 ホルハイヤはミュルジスを信頼しているのだろうか? 

 そしてドクターはミュルジスを信頼しているのだろうか? 

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「ドクター、前からあなたに聞きたい事があったの」

『答えられる範囲でなら、答えよう』

「ドクターはクリステンの事、どう評価しているのかしら?」

『クリステン……? クリステン・ライトの事か?』

「そうよ。あの日、空の帳を突き破った彼女の事」

『優秀な科学者で技術者だったのは、間違いないと思うね』

「たった、それだけなの?」

『……また、様々な人物を勧誘する能力も優秀だったかもしれないな』

「……なんだか、はっきりしない物言いね」

 

 ミュルジスの指摘に対し、ドクターの考える様な呻き声が聞こえる。

 

『うーん……君の『偉大』な友人について、部外者の私があれこれ評論するのは……良い気分のするものではないだろう?』

「その言い方だと、色々と含む所がありそうね」

『私がクリステンに対して、好き勝手に語って良いなら話をしよう。第三者に好き勝手評価される事が嫌ならば、この話はここで終わりにするのが良いだろうな』

「本人はもういないし、あたしも他の誰かに話したりしない。それに元々、彼女は誰かからの評価を気にするタイプじゃないわ。だから、あなたのクリステンに対する評価……あるいは考えを聞かせて欲しいわ」

『分かった。君が構わないなら……話そうか』

 

 仕事をこなしながらミュルジスと話をするドクターには、停滞と呼ぶ様な要素は存在していなかった。ミュルジスは決して知る事はないが、これまで話を続けながらもドクターは仕事を進める手を休めていない。何かを考える様な声が聞こえていたとしても、実際に何かを考えている訳ではないのだ。それらは単純な思考整理の時間でしかなく、既に出ている結論をどう分かり易く伝えるかという点にのみ思考を割いていた。

 

 ミュルジスはドクターとの会話でクリステンの話題を重要視しているのかもしれないが、ドクターはミュルジスとの会話でクリステンの話題を重要視していない。言ってしまえば、晴れの日に『今日はいい天気ですね』と話すのと同じ位、ドクターにとって本来どうでもいい事だった。ただ話を進める上で……必要だと判断したから続けているに過ぎない。

 

『まず、クリステン・ライトが優秀な科学者だったのは……誰にも否定の出来ない事実だろう。『偽りの空』の存在証明、その先にある未知の領域について、この大地の上に存在する全ての存在に示したのだから。目的を達成する為に必要な技術を用意し、その全てを間違う事なく使いこなした点も素晴らしい。ミュルジス、君も含めた優秀な科学者や技術者の協力があったとは言え、クリステン・ライト以外には絶対に出来なかった筈だ。それに同じ様な条件が揃っていたとしても、当時の誰もやろうと思わなかっただろうし、やり遂げる事も出来なかっただろうな。だが……それ以外の彼女については、正直あまり良い印象を持っていない』

「そうなの? 意外、あなたは彼女の事を理解して、もっと褒めるかと思っていたわ。あなたって、特定の目標に対して全てを投げ出して突き進む人の事、好きでしょう?」

『ミュルジス、君の指摘について……好きか嫌いかで言えば、好きなのは認めよう。彼女の経歴・来歴からも目標と目的は理解出来る。過程はさておき、結果を示した事には一先ず尊敬しよう。だが一つの、ライン生命と言う企業の統括……代表とも呼べる立場で、あれ程の事をやったのは批判せざるを得ないな」

 

「企業の代表者としての看板と責任を背負ったまま、あれだけの事を実行するべきじゃなかったって事かしら? でも、ライン生命の看板を背負っていたからこそ、沢山の人々から注目を浴びて企業・組織からの興味と協力を取り付けられる様になったとは考えないの? もしも、ドクターの言う通りクリステンがライン生命の立場を捨てていて……一個人として行動を起こしていたら、握り潰されて罪人として処理されて終わってたかもしれないわよ」

『上手く行っていなかったら、そうなっていただろうな。そして、上手く行っていたとしても今と同じ様に彼女を称賛していただろうさ』

 

 ──────────────────────────────────────

 これより百年、あるいは千年の後に、星々のそばを歩む者があれば、人々は彼女の名を称えねばならないだろう。

 ──────────────────────────────────────

 

「だったら、今と同じじゃない?」

『違うな。今回と言うか、彼女の最後の行動は成功に終わった。ライン生命も存続し、人々は星の向こう側を知覚したわけだからね。しかし、少しでも間違えれば、ライン生命に在籍する全ての職員は……その職を失っていただろう。場合によっては、クルビア政府に拘束され歴史から抹消されたかもしれない』

「仮にそうなったとしても、そんな事はさせないわよ」

『ミュルジス、君に国と戦える力があるか? サリアに国と正面切ってやり合える力があるのか? ライン生命に所属する全ての人達の生活を保障する事が出来るのか? クルビアの大統領が本気になったら、一企業など容易く踏み潰せるだろう』

「それは……」

 

『君達には無理だろうな。政治家、或いは政治屋と呼ぶべき存在は、一度牙を向けば容赦がない。あの時、クリステンが君達を残し、向こう側に飛び立ったのは……君達への『信頼』の証だったのかもしれない。が、それは一種の無責任と甘えでもある』

「──ドクターは彼女が企業の代表としての責任を放棄した事が……一番気に入らないのね」

『簡単に言ってしまえばそうだ。世の中、最終的な結果が良ければ、過程を無視して良いとは限らないからね。世の中と言うのは、一握りの天才によって大きく動くのは過去の歴史が証明している。しかしながらその点は、一握りの天才達の行いを『万人に還元しようとする人がいた』から成立しているとも言えるだろう。偉大なる発明が、発明した本人にしか扱えないのであれば、それは偉大な発明としての価値を持たないだろう。新たな法則の発見が、発見した本人にしか理解出来ないのであれば、それは未発見の法則と大差ない』

 

「驚いた、あなたってフェルディナンドと似た様な事を言うのね」

「ライン生命エネルギー課の主任、フェルディナンド・クルーニーか。彼とは直接会った事はないが、色々な所で話は聞いているよ。一度荒野送りになった事が、彼には良い意味で転換点になったのかもしれないな」

「ライン生命の一般的な職員は、彼が最も接点の多い主任だったかもしれないものね。……科学者として研究は勿論大切だけれど、会社である以上は、そこにいる人々の生活を守る義務があるって言っていたわ」

「その主張は正しいな。彼と言う人間が、クリステンの側にいたのは実に幸運だった。『ライン生命』と言う企業に夢を見て、その理念に共感し、同じ道を進む事を選んだ人々を投げ出すのは……一番やってはいけない事だ。勿論、ロドスも同じだよ。ロドスの企業理念に共感してくれた人々を、戦場に送り出さなければならない事には、今でも申し訳ないと思っている。だがそれでも、彼らが出来うる限り戻ってこれる様、手を尽くす事を忘れた事はない」

 

 ミュルジスは溜息交じりに、言葉を絞り出す。

 

「──クリステンも設立当初は、そういう風に考えていたのかしら……」

『どうだろうな。そればかりは……本人に聞いてみないと分からないだろう。しかし、その点については私よりも君の方が理解出来ているんじゃないのか?』

「どうかしら……長い間一緒にいたのに、あたしは彼女の事を殆ど理解してなかったかもしれない。時々、そう思う事があるの。クリステンはあたしとの約束を守ってくれたわ。けど、本当の彼女の姿は……あの時、あの瞬間になって初めて見せてくれたのかもしれないの」

『……』

「あたしの知っているクリステンは、あたしの望んだクリステンでしかなくて……彼女にあたしが勝手に夢を見ていたのかもしれない。自分にとって、都合の良い所しか知ろうとしていなかったんじゃないかって……」

 

 ドクターはミュルジスの言葉を聞いて、ようやく彼女が本来話したい事について近づいて来たのを感じた。長い長い前置きやクリステン・ライトの話は、現在彼女が直面している問題への道案内に過ぎない。

 

 

(そろそろ良い頃合いだろう)

 

 

 確信を得たドクターは、遂に本題に踏み込む事にした。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「それで、君は何を悩んでいるんだ?」

 

 突如として切り出された言葉に対し、ミュルジスは即座に反応出来なかった。随分と遠回りになってしまっていたが、元々悩みや相談がある事はドクターに最初から見破られているは分かっていた事だ。だがそれでも、この様に急に踏み込まれるとは思っていなかった。もしかしたら、ドクターはこれ以上話に付き合うつもりはないのかもしれない……そんな不安が胸を過る。彼女は精一杯、それらを押し込んで本題に入る事にした。

 

「──ドクター、あたしって嘘つきかしら?」

『嘘つき? 君が? 一体誰に、そんな事を言われたんだ?』

「……」

『凡その予想は付いているが、それが誰かは些細な問題か。ふむ……』

 

 今迄続いた会話の中で、初めてドクターは仕事の手を止める。幾つかの前提を考え、どの様に伝えるべきか、どの様な方向に進めていくかを考えた。実を言えば、ミュルジスが抱える問題については随分前から気付いていた。

 

『嘘つきか否か。既に答えは出ているが、少しだけ補足をしておこうか』

「補足?」

『誰に対して嘘つきかって事さ。まず一つ目、他人に対して嘘をつく場合だ。実はこれは大きな問題ではない。勿論、他人に嘘をつく事はよくないのは当たり前だが、他人に対する嘘は発覚した時点で結末がある程度決まって来る。罰を受ける、あるいは誰からも信用されなくなる……そう言った感じの分かり易い結末があるものさ』

「……」

『二つ目、自分に対して嘘をつく場合だ。他人に対して嘘をつく場合よりも、こちらの方が遥かに厄介で始末が悪い。何故なら、犠牲となる人物が誰もいないからだ。自分自身に嘘をつき続ける限り、本人はあらゆる問題を回避する事が出来て、その上更に自分を犠牲にし続ける限り何の問題も起きない。嘘をつくのを止めるという方法以外の結末もない』

 

 この時、既にミュルジスはドクターが何を言うかを理解していた。何故なら、既にホルハイヤにも、ナスティにも指摘されている事だからだ。それでも尚、ミュルジスはドクターの次の言葉を一種の判決の様に待っている。

 

『ミュルジス、君はもう自覚出来ているんだろう?』

「……」

 

 ──────────────────────────────────────

『可愛いエルフさん、あなたが嘘をついて騙している相手はあなた自身よ』

 

『──その『友人』達の中で、一番初めに思い浮かぶ顔は一体誰だ?』

 ──────────────────────────────────────

 

『優しい『誰か』が指摘してくれた通り、君は間違いなく嘘つきだ。自分に対して……どうしようもない程に』

「……そうね、あたしは嘘つきだわ」

『ああ、君は嘘つきだよ。出会ってからずっとね』

 

 ミュルジスは全ての音が遠くなるのを感じる。今迄うっすらと感じていた事に対して、遂に真正面から向き合わなくてはいけない。目を逸らし続けてきた、自分の本音を吐き出さなければならない。

 

「──また一人ぼっちになりたくないの」

『……』

「クリステンとサリア出会って……ナスティ、フェルディナンド、パルヴィス、ドロシー、マリアムと一緒にライン生命で働いて……本当に楽しかった。生きてきた中で一番の充実を感じていたの。素晴らしい友達、偉大な仲間達とずっと一緒にいたかった、ずっと一緒だと思ってた」

『……』

「クリステンは独りで飛び出して行ってもういない。パルヴィスは病に侵され、老いと衰えに恐怖を感じながら死んでしまったわ。あの一瞬であたしは二人もの友人を失ったのよ。誰も、誰も分かってくれないわ。皆、先に進む事ばっかり考えて、今の一瞬一瞬をどれだけ大事にするべきか分かっていないの」

 

 いつだってそうだ。

 サリアは危ない事ばかりやって、周りがどれだけ心配しているかなんて考えない。

 その癖、自分の正しさを信じて疑わず、意見や主張を曲げない。

 

 フェルディナンドもライン生命の事を、誰よりも大事に思っているのに口にしない。

 どうにか解決しようとして、守ろうとしてあの騒ぎになった。

 

 ナスティ、ドロシー、マリアム、誰も彼も同じだ。

 これまで全て運が良かっただけ。

 次はどうなる? その次は? 

 もしかしたら、もう二度と会えなくなるのかもしれない。

 

「未来の事ばっかりじゃなくて、もっと周りの事を見てよ!! 今ある時間を、一緒にいられる時間を大切にしてよ……」

 

 ミュルジスは叫ばずにはいられなかった。

 

「皆、皆……あたしを置いて行って、いなくなってしまうんだから……」

 

 笑顔を貼り付けながら、出張から戻ったサリアが無事な事に安堵する。

 嫌味を言いながら、フェルディナンドが出社している事に安心する。

 からかいながら、ナスティが本当にそこにいるか確かめる。

 メールの返信を入力しながら、ドロシーが現実を生きている事を確認する。

 蹄鉄の音が聞こえると、マリアムの冒険が無事に終わったと喜ぶ。

 

「──あたしの気持ちも分かって欲しいの」

 

 吐き出した感情は行き場を失い、徐々に力を失っていく。もしも、第三者が今のミュルジスの姿を見れば、恐らく彼女だとは認識出来なかっただろう。余裕もなく、余りにも弱弱しいその姿は、余りにも普段の立ち振る舞いからは程遠いのだから。

 

「……ごめんなさい、ドクター。ちょっと取り乱しちゃったわね」

 

 ドクターからの返事はない

 

「ドクター?」

 

 ミュルジスは通話が既に切れているのかと不安になった。

 やや間を置いて声が聞こえる。

 

『……ミュルジス』

「何かしら?」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

『君の事は……君の気持ちは誰も分からないだろう』

 

「──え」

 

『分かる筈もない』

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ドクターの言葉にミュルジスの呼吸は乱れる。彼女は自らが抱えて来たこの感情を、ドクターだけは理解してくれると思っていたからだ。過去からやって来て、過去に全てを置いて来たこの例外的な人物だけが、この孤独と恐怖を分かってくれると信じ切っていたのだ。結局それはただの願望に過ぎず、ドクターは彼女を否定する。

 

『……ミュルジス、君は何も言わない。深い心の内に隠していて、本当の事を何も話さない。一番大事な部分で一線を引いて、選択肢を相手に任せてしまう。それなのに、『自分の事を分かって欲しい』と主張するのは……無理があると思わないか?』

「……」

『もし、君が本当に自分の事を分かって欲しいと思っていたなら……クリステンを無理矢理にでも追いかけていた筈だ。サリアに放り出される前に、君の方が彼女を締め出していただろう。本当にライン生命の事を気にかけていたなら、フェルディナンドと相談して方針を練っていた筈なんだ』

「それは──」

『だが、君はそれをしなかった。サリアを即座に排除する事も出来ず目的の一部を打ち明けて、彼女の次の手を待ってしまった。フェルディナンドの時も、ドロシーの時も、君は自ら選択する事もなく、主張する事もなく、相手の選択を待ってしまっている』

「……」

 

 ミュルジスは否定の言葉も口にする事が出来ない。

 

『君が望んでいるのは『停滞』だよ。未来を切り開く技術と知恵を持つ科学者から、程遠い場所にいる』

 

 ドクターは彼女の嘘を全て破壊していく。

 

『君はクリステンとサリアに出会い。人生の中で最も満ち足りた時間を過ごしてしまった。結果、君はその喪失を恐れて停滞を望み、現状維持という選択を取る様になってしまったんだ。それが最も大事な友人たちが、望まないものであると分かっているからこそ、矛盾を抱え自分の願いを嘘で隠してしまった。本当の事を話せば、失望されて今の時点で置いて行かれてしまうと思っている。……だから本当の事を言わない、大事な場面で相手に選択を譲り、相手の答えを待ってしまう。そして進んで行く周囲に取り残されて、嘆く事しか出来ない』

 

 ──────────────────────────────────────

『確かに、そうかもしれないわね。目の前に実在する人物を……ちゃんと見てあげられていないんだもの。誰かの代わりばかりを追い求めていたら、今を頑張っている人達が可哀そうだわ』

 

 何故あの時、違和感を覚えたのか。その答えがこれだ。

 都合の良い言葉を繋げて誤魔化した。

 目の前にいる相手の事すら……ちゃんと見ていない。

 ──────────────────────────────────────

 

『これが今の君だ、ミュルジス。嘘を嘘で固めて、自分の願いにすら向き合う事が出来なくなってしまった』

 

『君が分身を使い様々な場所に現れるのも、一人が怖いからだろう? 常に誰かの側にいなければ、誰かの存在を感じられないと不安で仕方がないんだ。だから、誰とでも友人になろうとする……友人になった事にする。全ては自分の為だからこそ、君は誰とでも親しくなれる』

 

 ──────────────────────────────────────

『フフ、ロスモンティスと一緒に色々な任務に参加しているし、エリートオペレーターになる為に日々成長中ってやつさ』

 

 成長・変化、自分が今最も望まないもの。

 変わらないでいて欲しい。

 変わる事なく、そのままであって欲しい。

 ひたむきに毎日前に進み続ける事への……憧れと恐怖。

 ──────────────────────────────────────

 

『今の君にとっての本当の友人は、決して裏切る事のない……君を置き去りにしない分身だけさ』

 

 ──────────────────────────────────────

『はじめまして、あたしはミュルジス』

 

 これをまた繰り返さないといけないの? 

 ──────────────────────────────────────

 

『君の水は随分と濁ってしまったな』

「──あたしは……」

 

 もうミュルジスを守る嘘は一つを残して消えてしまった。

 自分を守る為の嘘、自分を誤魔化す為の嘘。

 諦めと寂しさを埋める為の、口先ばかりの『お友達』。

 

「あたしは友人を名乗っておきながら、もう自分の分身しか信じられなくなっていたのね。分かっていた……分かっていたわ。分身は全部あたしだもの。多少の違いがあっても、結局あたし自身。あたしにとって都合の良い、優しい答えしか出してくれない。自分で自分を騙している内に、他の誰に対しても都合の良い『ミュルジス』ばかり作り上げて……友達になった気でいるの。結局、作り上げた偽物でしかないのに……」

『……それは誰だって同じさ』

「同じ? ドクター、何が同じなの?」

『誰かの前で作り上げた自分でいる事さ。親の前、友達の前、仲間の前、同僚の前、恋人の前、家族の前、取引相手の前、すれ違う他人の前……幾つもの自分を使い分けて日々を生きている。無意識的に幾つもの自分を作り分け、間違いがあれば修正し、周りに順応する。必要なくなった自分は処分して、必要になった新しい自分を作り上げる』

 

 増えすぎた自分を整理するのに苦労している、少し疲れた声音が聞こえてくる。

 

『そうやって幾つもの自分を並べて、演じ分け、使いこなし、他人と共に生きている。その中で本当の自分がどれなのか、悩む事もある。理想としていた姿を見失い、自己嫌悪と自問自答を繰り返すものさ」

「ドクター、あなたも同じなの? ロドスの仲間の前のあなたと、あたしの前にいる今のドクターは違うの?」

『違うだろうな』

「……今のあなたは、あたしにとって『都合の良い』ドクターだって事?」

『言い方次第では……そうかもね』

「……そう」

『失望しないでくれ、ミュルジス。誰かに会わせる事、相手に合わせる事、これは別に悪い事ではない。君程頻度が多くないってだけ……あるいは深刻に捉えていないだけで、誰もが自然とやっている事なんだから』

 

 ドクターはゆっくりと、諭す様に語る。

 

『時間を過ごして、成長し、大人なるにつれて、本当の自分と言うのは、ひどく曖昧なものになっていくのさ。誰だってね』

「ドクター、あなたはそれをどうやって受け入れたの?」

『ただ、『こんなものか』って納得しただけさ。それに、もしも自分自身と話し合う機会があったとして、それを自分だと受け入れられるかどうかなんて……人によるとしか言いようがない。誰だって見たくない事はあるし、認めたくない事だってあるんだ。それらを全部まとめて、『個人』が成立する』

「自分に嘘をついても良いって事? こんな酷い結果になってしまったのに?」

『君はエルフとして、自分自身と向き合う機会が多かったのかもしれない。分身と会話する事で……使い分ける事を否定したのかもしれない。全ての人の前で本当の自分でいるのは大変な事だ、でもそれは君だろう? その時自分が選んだ事だ。結果として上手く行かなかったかもしれない。だが……好きな自分も嫌いな自分も……全て『ミュルジス』を構成する大事なものだ』

「でも、あたしは今の自分が嫌いよ」

『嫌いな自分もいずれ好きなる事が出来るよ』

 

 最後の嘘、その答えはすぐそこまで来ている。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

『ミュルジス、君はどうしたい? エルフとして生きて行きたいのか? それともミュルジスとして生きて行きたいのか?』

 

 ミュルジスは答えられない。

 その答えを言う事は、つまり認める事になるからだ。

 

『以前話してくれた集落に住むエルフ達を前にした時の様に、君はコミュニケーションを諦めてしまうのかい? 君の種族的分類はエルフなのは間違いないし、否定出来ない事実だ。でも君は森を抜けだし、都会の中で生きて行く術を身に着けた。今はちょっと上手く行っていないが、気の合う友人だって作れる様になったのに……また独りぼっちの『エルフ』に戻るつもりか? 君は確かに嘘をついていた、でもそれが何だって言うんだ? 誰だって嘘はつく。自分にも他人にも』

 

「この大地の上に生きる命である限り、永遠に一緒にはいられない。私達は君よりも短命で、君よりも早く記憶や記録になるだろう。でも、それは悪い事じゃないんだ。友人として、誰かをおいて行ってしまう事に悲しみがない訳でない。だが、そうやっていつまでも……過ぎ去った日々に囚われていて欲しくもない。ライン生命の世代が全て変わった後も、君はクリステンやサリアの名を呼び……既に存在しない彼女達の姿を探し続けるのか?』

 

『今よりも、もっと楽しい事があるかもしれない。私達が夢にまで見た未来を、君はその場で感じられるかもしれない。私達が共に作った道の先を、君はもっと先まで繋げられる。私達が遺した道を……君はさらに発展させる事だって出来るだろう。過去を懐かしみ、昔の友人の話を新しい友人とする。もしかしたら、昔の友人の孫とだって友達になれるかもしれない。それって素晴らしい事だろう?』

 

『今日までの君は、停滞を望んだのかもしれない。だが、君の友人達は君に停滞を望んでいるのか? 奥底に隠した君は本当に停滞を望んでいるのか? 過去の君は長い時間を過ごして、孤独を抜け出した。クリステンやサリアと言う素晴らしい友人に会えた。その事を思い出にして、次に歩き出す事は決して悪い事ではない』

 

 ドクターの話し方、話す内容。

 それは多くの経験を積んだ大人が、子供に語り聞かせる様だった。

 

『以前君は言ったな。エルフという種族には未来がないから、過去が答えを与えてくれるのを願うしかない、と』

「言ったわ」

『今でもそう思うか?』

「……分からないの」

『過去は答えしか与えてくれないよ。そしてその答えとは……未来には通用しない。未来とは常に新しいものであるからね』

「未来とは常に新しいものである?」

『そうとも、未来とは歩み続ける者にのみ与えられる』

「……」

『君は置いて行かれるのを恐れているんじゃない。皆を置いて行く事を恐れているんだ』

 

 長い長い回り道の先で、ドクターとミュルジスはようやく答えに辿り着いた。

 停滞を望み、自分に嘘をつき始めた理由。

 目を背けて、隠し続けてきた最後の答え。

 

「あたしは……」

 

 ミュルジスは、彼女は今を過去にしたくない。

 この素晴らしい友人達を、思い出として失いたくないのだろう。

 優しすぎるが故に、全部を抱えていこうとする。

 そんな事は出来ないと分かっているのに。

 

 誰よりも今を大切に思っている。

 同時に、誰よりも未来を切望していた。

 

『──ミュルジス、君は泣くべきだ』

「……あたしは泣いても良いの?」

『勿論』

「……あたしはあなた達を置いて、先に進んで良いの?」

『当然だ。先に君を置いて行くのは私達だが……君は更に先まで進み、私達を過去へと置いて行くだろう。羨ましいよ、君は私達の見れない未来を直接見る事が出来る』

「あたしはまた……独りに戻ったりしない?」

『その時が来る前に、出来る限り多くのものを遺して行こう。君一人では解決出来ない課題をあげよう。大丈夫、君は優しい『人間』だ。数え切れない友人に恵まれるよ』

「……ずっと傍にいてくれる?」

『ずっとは難しいな。だが、君が望めば……誰だって時間を作って話を聞いてくれるさ。勿論、私もね。その時は君自身の話をしてあげて欲しい』

 

『何度でも言おう。君は置いて行かれる側じゃない。君は置いて行く側だ』

「……」

 

『大丈夫、嘘なんかじゃない。私達は間違いなく君の友人だよ』

「……」

 

『そして私達にはまだ……別れの挨拶は早すぎるだろう?』

「そうね。その通りだわ」

 

 ずっと呼吸が出来ず水に溺れてしまうような感覚だった。

 それが今、ゆっくりと流れ出していく。

 

『さぁ……ミュルジス。声を出して、勇気を振り絞って小さな一歩を踏み出す時だ』

「……」

『よし、そうだな。改めて……はじめまして、ミュルジス。私はドクター、君の友人さ』

「──フフッ、こんな時にやめてよね。あたし、あたしは……」

 

 彼女はゆっくりと喉を振るわせると、微かな音が漏れ出す。

 それは徐々に大きくなり、確かな声となった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ミュルジスは声を出して泣いた。

 様々な感情がごちゃ混ぜになったまま、ようやく泣いた。

 

 全てに永遠はない。

 この先に停滞はない。

 今いる友人は、いつか必ず去ってしまう。

 自分を置いて、遠くへと行ってしまう。

 どれだけ願っても、終わりは必ず来るのだから。

 

 自分はいつか、友人達を追い越してしまうだろう。

 その事を寂しいと感じるかもしれない。

 ふとした瞬間に、孤独を感じるかもしれない。

 

 でも……友人達が信じる未来を、自分もまた信じなければ。

 出会いと別れを繰り返し、夢見た未来を繋がなければ。

 新たな友人たちとの出会いを……迎えなければならない。

 

 これまで(過去)これから(未来)

 

 ミュルジスは泣く。

 全てを吐き出して。

 

 直接会っていなくてよかった。

 分身を使って会っていなくてよかった。

 こんなみっともない姿は誰にも見せられない。

 

 長い時間を生きてきて、この日、この瞬間。

 エルフとしてのミュルジスではなく、一人の『人間』としてのミュルジスは……

 全てを吐き出した事で、ようやっと息を吸えたのかもしれない。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ミュルジスの泣き声を聞いて、ドクターは通話ボタンを切る。

 今の彼女には一人になる時間が必要だ。

 

「命が消えるまでに経験する事には全て、必ず意味がある」

 

「すまない、ミュルジス。優し過ぎる君には……辛かっただろう」

 

 誰にも聞こえないドクターの言葉。

 

 それは未来への期待でもあり、同時に友人を傷つけてしまった事への謝罪だった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 同じ道を、異なるほうへ。

 同じ目標を、異なる手段で。

 

 人は忘れた時にこそ、真の意味で死ぬ事になる。

 君が覚えていてくれる限り、私達は生き続けだろう。

 

 植物が枝葉を伸ばし、生きる様に。

 今こそ、成長する時だ。

 

 今は彼方、遠くにある思い出の日々。

 それら全てを抱えて、歩き続ける。

 

 光儀──ミュルジス、君は美しく立派に生きている。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「う……」

 

 微かな呻き声と共にミュルジスは体を起こした。あれから泣き続け、泣き疲れて眠りに落ちてしまった。全身に感じる疲労感、泣き続けた事による水分不足を感じる。窓の外はすっかり暗くなっていて、月明かりに照らされたイェラグの山々が見えた。とっくの前に通話が切れていたであろう携帯端末を触れば、幾つものメッセージが届ている。失念していたが、本来であればライン生命の研究所に顔を出す予定だった。

 

 ──────────────────────────────────────

 ロドスに戻ったら、また話をしよう

 ──────────────────────────────────────

 

 そう短く表示されたメッセージを確認し画面を切る。端末に反射され映った自分の顔は、泣き腫らした結果随分と酷い有様だった。これ程までに泣いたのは、両親を失った時以来かもしれない。

 

「酷い顔……これじゃ人前に出れないわ」

 

 掠れた声で呟き、再び倒れ込む。ライン生命の研究所のエレナ達にメッセージを送らなければいけないとか、仕事を含め行く予定だった所が他にもあったとか、色々な事が頭の中を過るものの、結局何もする気力が湧かない。ミュルジスは明日の自分に全てを丸投げし、エレナにだけ心配いらないとメッセージを送って、今日はもう何もしない事を決めた。

 

「明日になったら、心配をかけた皆にメッセージを送って謝りましょう……」

 

 無気力状態のままじっとしていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。今更になって声が外に漏れていた可能性に彼女は気が付いた。ずっと五月蠅かった部屋が急に静かになったので、宿泊所のスタッフが注意か生存確認に来たのかもしれない。

 

(今は人前に出たくないけど、これ以上問題も増やすわけにもいかないわ)

 

 ミュルジスはタオルで顔の半分を覆いながら、応対すべく扉を開けた。

 

「ごめんなさい、もしかして五月蠅かったかし……ら?」

「こんばんは、良い夜ね。調子はどう?」

 

 ホルハイヤはにっこりと笑って、想像もしていなかった相手の来訪に呆然とするミュルジスを見下ろす。彼女は反射的に扉を閉めようとしたが、それよりも早くホルハイヤが片足を扉の間に差し込んだ。ミュルジスは構わずそのまま扉を押し込もうとするものの、ホルハイヤの足をどうする事も出来ず、ただ扉をガタガタと揺らしただけに終わる。

 

「思ったよりも元気そうね」

「何しに来たの? 部屋には入れないわよ」

「仕事に穴を開けた主任さんにそんな権利があると思ってるの? それとも扉を壊すまで続けるつもり? その気なら満足するまで付き合ってあげても良いわよ」

「……どうしてここを知ってるの?」

「さぁ、どうしてかしら? そう言えば、イェラグの人ってずいぶん親切なのね。一緒に映ってる写真を見せて、『友人だ』って言うだけで部屋の場所を教えてくれるなんて……クルビアのホテルでは考えられないわ」

「写真?」

「これよ」

 

 懐から写真を取り出し、軽く振って見せる。それはイェラグの鉄道駅でロドス職員が渡したものだった。写真を含めた文句を加え、扉を押しながら問答をしても埒が明かず、結局ミュルジスは諦めてホルハイヤを部屋の中に入れた。

 

「用が済んだら、さっさと出て行ってよ」

「用が済んだら……ね。それにしても暗いわね、照明つけるわよ」

「駄目、灯りはつけないで!!」

 

 静止よりも早く、彼女は照明を点灯させていた。薄暗かった部屋の照明によって一気に明るくなり、これまで以上にはっきりとミュルジスの顔が見える様になってしまう。見られたくない相手に隠すよりも早く、ホルハイヤがミュルジスの方を振り返る。

 

「あぁ……部屋が暗かったのは、これが理由だったのね。ふっ、随分と可愛い顔になってるじゃない」

「放っておいてよ」

 

 恥ずかしさと怒りが混じり、ミュルジスの顔がさっと赤くなる。

 ホルハイヤはそれを見て楽しそうに笑った。

 

「あらら、もっと可愛くなっちゃった」

 

 その言葉にミュルジスは手に持ったタオルをホルハイヤの顔に叩きつける。ホルハイヤの視線から隠れる様に、再びベッドに飛び込み布団を被り枕に見えない様に顔を押し付けた。

 

「……随分と暴力的になったじゃない」

「──知らない。全部あなたが悪いのよ」

「横暴過ぎない? まぁ良いけど……あいつも面倒な役を押し付けてくれるわ」

「……」

 

 ホルハイヤは身に着けたケースの中から、幾つかの資料を取り出すと机の上に並べる。これらはホルハイヤが行った仕事の成果であり、ライン生命の研究所にて得られた新しいデータでもある。エレナと職員達がドクターの資料を悪戦苦闘しながら解読した成果もあり、『あれ』に対して幾つかの発見があったのだ。大喜びで成果をミュルジスに報告しようと待ち構えていたものの、当の本人がいつまでたってもやってこなかった。何かあったのかと不安に思った一同の元に第三者からの連絡を受けた結果、ホルハイヤが様子を見に来る事になったのだが……その一連の流れをミュルジス本人が知る事はなかった。

 

「あなたの同僚の今日の仕事の成果をおいておくから、立ち直ったら目を通しておきなさい。その様子だと本命の問題は解決した様だし、明日の午後には研究所に顔が出せる程度には回復してるでしょう? 私は午前中はエレナ・ウビカ博士と現地調査に出ているけど、研究所の方は誰かしら残ってる筈だから連絡はいつでも出来る筈よ」

「……」

「聞いてる? 不貞腐れているのも結構だけど、私は『仕事』の話をしているの」

「……聞いてるわ」

「結構。明日の午前中に詫びの連絡は入れておきなさい」

「そうするつもりよ」

 

 布団にくるまり丸くなっているミュルジスを見ていると微かな苛立ちを覚えなくもないが、これ以上ちょっかいを出す程にホルハイヤは子供ではない。多くの感情が混じった溜息を吐き出すに留め、依頼された仕事を完了とした。

 

「これで私の仕事はおしまい。精々ゆっくり休んでおく事ね」

「待って」

 

 照明を消し、部屋から出ていこうとするホルハイヤをミュルジスは呼び止める。

 

「何?」

「もうちょっとだけ、ここにいて」

「早く出ていけって言ったり、一緒にいろって言ったり……心変わりが激しいわね」

「五月蠅いわよ、放っておいて。黙ってそこにいてくれたらいいの」

 

 ミュルジスからの要求を無視して立ち去る事も出来ただろうが、ホルハイヤは何も言わずに部屋の中に留まる。窓の外に視線を向ければ、月の光に照らされた雪がゆっくりと優しく降り注いでいた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「──ねぇ、そこにいるわよね?」

「……いないわ」

「いるじゃない」

 

 無言のまましばらく過ぎた頃、唐突にミュルジスは布団の中から確かめる様に言う。微かな月明かりを頼りに本を読んでいたホルハイヤは、少しだけ考える様に視線を泳がせると立ち上がる。窓の側に立ち、ガラスに手を当ててイェラグの山々を見た。

 

 この雄大な大地に比べれば、自分達はなんと小さな存在であろうか。

 この大地の上を過ぎ去った時間に比べれば、自分達の命は一瞬の瞬きにも満たない。

 

 無限の命があれば……きっとこの大地の全てを知る事が出来るだろう。

 無限の命があったなら……きっとこの大地の殆どに興味を持たなかっただろう。

 

 五十年にも満たない命では、あまりにも短すぎる。

 数千年の命では、きっと自分には長すぎる。

 ただもう少しだけでいいから、余裕が欲しかった。

 

「愛らしいエルフさん。私はあなたが……とても羨ましいわ」

「どういう意味?」

「言葉通りの意味よ。数百年と生きてきて、まだそんな事を悩める余裕があるなんて……とても贅沢だもの」

「……あなたはあたしと同じ事を悩んだ事はないの?」

「これまであなたが生きて来た……半分の時間すらも生きられない私に対し、『生きる事』についての悩みを問う事が……どれだけ馬鹿らしいか考えた事はある? 『この先どう生きるか?』を一瞬の内に決めるしかなかった私にとって、あなたの問いや悩みがどれだけ贅沢に感じるか分かるかしら?」

「あたしは──」

 

『分かる』とは言えない。言えるはずもない。もしも同時期に生まれ、生きていたならば、こうして会う事もなかったからだ。ミュルジスもホルハイヤの種族的制限、即ち寿命についての問題は知っている。ロドスの医療チームが専門医療プログラムを推進し、彼女が大人しくそれを受けている事も知っている。根本的な問題を解決できるのかは分からない、彼女が生きている内に解決できるのかも分からない。だが、それでも彼女は『あるかもしれない』未来に向かって歩き始めていた。

 

『知っている』事と『理解している』事には大きな差がある。

 

「ほら、自分の事で精一杯なお子様は想像した事もないでしょう?」

「……一応、あたしの方が年上よ」

「面白い事言うのね。私から見たら、あなたはただの長い時間生きて来ただけの子供よ」

「あたしが子供なら……あなたは、一体何をもって『大人』だと判断しているの?」

 

 ミュルジスは起き上がり、背負向けたままのホルハイヤ見る。

 月明かりに照らされていても、髪と羽で隠され表情を読み取る事は出来ない。

 

「無邪気に見ていた夢から覚め、理想と現実の違いを受け入れる事が始まり。この先はどうやって生きて行くのかを決めて、自分の力で立って、自ら決めた新しい理想に向かって……足掻きながら現実の中を歩いている人間を『大人』と呼ぶのよ。今がずっと続けばいいとか、未来が不安で仕方がないのか、忘れるのも忘れられるのも嫌とか、そんな泣き言ばかりで周りが見えてない人間は『大人』って言わないのよ。分かったかしら……お嬢さん」

 

(あなたの場合は、その瞬間が生まれた時から目の前にあったのね)

 

 ホルハイヤの言葉の中に感じたそれを、ミュルジスは直接口に出さなかった。ククルカンとして生まれた彼女には夢を見る時間も、別の生き方を考える時間もありはしなかったのだから。普通の人間の場合、ある程度の時間を過ごしてから向き合うはずの分岐点。それが生まれた瞬間から目の前にある恐怖を……分かるとは誰も口に出来ない。

 

「だったら……あなたの理屈に従うと、世の中の多くの人は子供扱いなんでしょうね。あなたが要求する条件って、精神的に自立して自己を確立できている……といった感じだもの。ただ生きているだけでは認めて貰えなさそうね」

「当然よ。もしかして適当に年齢を重ねて、体が大きくなったら勝手に大人になるって勘違いしてるの? 何の進歩もなく一年区切りで誕生を祝い続け、図体ばかり無駄に育った人間をあなたも沢山知っているんじゃないのかしら? 現実から目をそらしたまま、特別な何者かになれるのだと勘違いしたままの連中をね」

「……残念ながら、よく知ってるわよ」

 

 成長……人は成長する生き物だ。

 多種多様に分岐点を迎え、現実を知り、夢を諦めて大人に成る。

 子供の頃にみた夢諦める事は、挫折でも逃亡でもない。

 ただ少しだけ……現実への向き合い方が変わるだけだ。

 

「まだ皆に置いて行かれるのが怖い? 皆を置いて行って一人になるのが怖い? 時代の証言者として取り残されるのが怖いかしら?」

「怖い……いいえ、怖かったわ。でも、もういいの。あたしは皆に待って欲しかったけど、皆はあたしの事を待ってくれないって分かったもの。当然よね、皆は今よりもより良い未来を目指しているんだもの」

「……」

「そしてあたしも、自分が望む未来に進むべきだって教えて貰ったわ」

 

 かつて他者に感じた、羨ましいという感情。

 その理由は自分が成長を止めてしまっていたからだろう。

 現実と向き合って、受け入れて、全てを次の糧にする。

 停滞を望み、長らく向き合ってこなかった自分だからこそ『羨ましい』と感じた。

 

 長く生きているが、ようやく自分も成長する事、変わる事を受ける入れる時が来た。

 

 ──────────────────────────────────────

『そうだな。私はひとしきり泣き、吹っ切れ、意思を固めた。これを変化と呼ぶなら認めよう』

 

『つまり、寂しいと感じる事はありますが……それを後悔はしていません』

 

『フフ、ロスモンティスと一緒に色々な任務に参加しているし、エリートオペレーターになる為に日々成長中ってやつさ』

 

『全く違うな。信用は過去の実績の評価、信頼は未来への期待だよ』

 ──────────────────────────────────────

 

「──ミュルジス、あなたが孤独を恐れる理由も理解できるわ。独りぼっちって怖いものね。でも、私もあなたもこのテラの大地の上では、とても恵まれた方だって気が付いた方が良いわ」

「あたしが恵まれている……そうかもね、そうかもしれないわ。こんな簡単な事に、どうして気が付かなかったのかしら」

「理解とは……ふとした拍子に得るものよ。最近はこの私ですら、運が良い方だって気がついたばかりだもの。それに安心して良いわよ、ククルカンの記憶の中に、あなたの情けない泣き顔は永遠に残るみたいだから」

「ありがとう、ホルハイヤ。でもあなたは、もう少し慰めの言葉を上手になるべきだわ」

「慰めの言葉だなんて……一体どれの事かしら? 幻聴が聴こえるなんて憐れね」

「あら、照れ隠し?」

 

 ホルハイヤは指を動かしてアーツを操り、ミュルジスの額を強く弾く。

 威力と不意打ちが合わさり、勢いよく後ろに倒れ込む。

 

「痛っ!! 何するのよ」

「くだらない話は終わりよ。帰るわ」

「……」

「残業代とカウンセリング代はあいつ(ドクター)に出させるから、安心して良いわよ」

「そんな心配していないわ」

 

 微かに笑うとホルハイヤは荷物をまとめ、部屋の扉へと向かう。

 

 ──────────────────────────────────────

『ミュルジス、君はどうしたい? エルフとして生きて行きたいのか? それともミュルジスとして生きて行きたいのか?』

 ──────────────────────────────────────

 

「──ねぇ、ホルハイヤ。私と友達になってくれる?」

 

 ミュルジスは窓の外を見ながら、小さくそう呟く。

 彼女の方を見ないのは、まだ自信が無いからだ。

 

 現状を打破し、変わる事を決めた。

 でもまだミュルジスは……少しだけ、ほんの少しだけ怖かった。

 

 

 ホルハイヤは扉の前に立ったまま、固まっている。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ホルハイヤからの返事はない。

 暫く彼女の答えをを待ったが、変わらず沈黙したままだった。

 

 やがて諦めがついたのか、ミュルジスは静かに息を吐く。

 その時、声が聞こえた。

 

「……嫌よ」

「……」

 

 分かっていた事だ。どんな理由があっても、どれだけの経緯があろうとも……ミュルジスの悩みや相談は、ホルハイヤにとって侮辱や傲慢でしかないのだから。それでも落胆を隠す事は出来なかった。

 

「そうよね、ごめんなさい。勝手な事を言ったわ」

「なろうって言って、なるものでもないでしょう……子供じゃないんだから」

「──え」

「そろそろ『ちゃんとした大人』になりなさい、可愛いエルフさん。そうしたら考えてあげてもいいわよ」

 

 その言葉を聞いて、ミュルジスは部屋の扉の方を見た。ホルハイヤの姿は既にそこにはなく、ゆっくりと閉まっていく扉の隙間から彼女の尻尾が過ぎ去っていくのだけが見えた。やがて小さな音を立てて、扉は完全に閉じる。

 

 ミュルジスの半分も生きられないかもしれないホルハイヤ。

 一瞬の時間も無駄にできない、一分一秒にしがみついて生きているククルカン。

 

 偏屈で嫌味、問題児で天邪鬼。

 けれども、自分よりも遥かに人として成長している。

 限りある時間の中を、出来うる限り足掻いて生きる事を決めた孤高な生き物。

 ホルハイヤによって記憶は残り、次へと続いて行く。

 そしてミュルジスの記憶に、ホルハイヤは刻まれて行くのだろう。

 

「ありがとう、ホルハイヤ」

 

 小さくそう呟くと、ミュルジスは窓を開けて夜の風を浴びる。

 冷たい風が吹き抜け、全身を冷やしていく。

 

「……あたしは今日という日を絶対に忘れないわ」

 

 彼女は明日沢山の人々に囲まれて、きっと忙しくなる。

 

 そして改めて知るだろう。

 ミュルジスと言う『人間』が多くの人々の輪の中に存在しているかを。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 あなたの言う通り、ここがあたしに一番ふさわしい場所よ。だけどあたしってば、いけないことを覚えちゃったから、本当にひとりぼっちでここに住むことになったら、きっと息が詰まって枯れちゃうわ。エルフたちは大丈夫かもしれないけど、でも……あたしには無理。つまるところ、あたしもただの普通の女の子だったってことよ

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ミュルジスとホルハイヤ、二人がロドスに帰還する日。迎えが来る遥か前の時間に、二人は開けた雪の大地の上で向かい合っていた。ゆっくりと時間を潰して過ごす予定だったホルハイヤは、予定を崩された苛立ちを隠す事なく問い詰めている。

 

「こんな所に呼び出して、何?」

「ホルハイヤ、あなたに大事な用事があるの」

「誰もいない、こんな雪の大地で大事な用事ですって? 怖いわね、決闘でも挑まれるのかしら?」

「よく分かってるじゃない、その通りよ」

「は?」

 

 ホルハイヤは気味悪そうにミュルジスを見る。

 

「……泣き過ぎて、気でも狂ったの?」

「いいえ、あたしは正気で大真面目よ」

「一応、理由を聞いておいても良いかしら?」

「勿論、遠慮なく効いて頂戴!!」

 

 ミュルジスは胸を張り元気一杯に答えた。

 ますます気味悪そうにホルハイヤは問う。

 

「……何故、私があなたと決闘しないといけないの?」

「遠慮なく喧嘩できる相手が、あなたしかいないからよ」

「私の事、馬鹿にしてる?」

「いいえ。これはあなたの事を『信頼』しているからこそよ」

「あら、そう……信頼してくれて嬉しいわ。でもお断りよ。ロドスに帰る日に余計な労力を使いたくないわ」

「つれないわね。もしかして、私に負けるのが怖い?」

「随分と安い挑発ね。私がその手に乗るとでも思っているの?」

「思ってるわ、あなただもの」

「呆れて話にならないわ、決闘ごっこなら一人で分身とでもやって頂戴」

 

 心底呆れた様子でホルハイヤはそう言うと、背を向けて立ち去ろうとした。

 

「待ちなさい、ホルハイヤ!!」

「可愛いエルフさん、今日のあなたはちょっとしつこいわ──」

 

 振り向いたホルハイヤの顔に雪玉が直撃した。

 

「羽根が濡れるのは嫌いだって、言ってたわよね?」

 

 ミュルジスはしたり顔でそう言う。

 大きく息を吐き出し、ホルハイヤは顔についた雪を払い落とす。

 

「本当に、良い度胸しているわね……後悔させてやるわ」

「やっと、その気になってくれた?」

「ええ、子供の喧嘩に付き合ってあげる」

「その通り、これは子供の喧嘩よ。因みに立ち上がれなくなった方の負けだからね」

「直ぐにその顔を地面に叩きつけてやるから」

 

 イェラグの大地の上で、水と嵐が激突した。

 

 ライン生命生態課主任、ロドス上級顧問。

 長命のエルフと短命のククルカン。

 正反対でよく似た二人は、全力でぶつかったのだった。

 

 決闘でもなんでもない、これはミュルジスが言った様に子供の喧嘩。

 言ってしまえば……ただの友人同士のじゃれつきなのだろう。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 長く続いたミュルジスとホルハイヤの大喧嘩は遂に決着を迎えた。

 

 片方は全身で息をしながら、雪の上に倒れていた。

 もう片方も同じく全身で息をしながら、辛うじて雪の上に立っている。

 

「■■■■■……あなたの負けよ」

 

 ボロボロな姿でそう勝利宣言すると、力尽きた様に雪の上に倒れる。

 それから両者が起き上がれるようになるまで、更に時間が必要だった。

 

 暫くして、二人はようやっと起き上がる。

 

「あ~、楽しかった。偶にはこう言うのも良いわね」

「こんな事に、二度と私を巻き込まないで」

「ホルハイヤ、あなたも結構楽しかったでしょう?」

「……どうかしらね」

「悩みも吹き飛んじゃったし、いい気分。ありがとう、付き合ってくれて」

 

 ホルハイヤは返事をせず、微かに鼻を鳴らすにとどめた。

 

「お礼にロドスに帰ったら、何か奢ってあげるわ」

「随分と気前がいいのね……けど結構よ」

「遠慮しなくていいのよ? これから長い付き合いになるんだから」

「は……」

 

 短く笑うと立ち上がり全身の雪を払い落とし、防ぎ切れなかった水によって濡れていた部位は風によって水気を飛ばす。一連の作業を終えた後、ホルハイヤはミュルジスの方を見た。

 

「ふぅん、あなた本当に吹っ切れたみたいね。濁ってる姿よりも、今の方がお似合いよ」

「でしょう? やっと私も……大人になる事にしたの」

「そうみたいね」

「だから、もうあなたとも友達よ。嫌味が言えて、本気の喧嘩が出来る唯一のね」

「……なにそれ、凄く嫌なんだけど」

「さぁ、もう迎えの時間まで余裕がないわ。急ぎましょう」

 

 一方的に話を切り上げると、ミュルジスは立ち上がると退避させておいた荷物を掴み、小走りで合流地点へと向かって行く。

 

「本当に手間のかかるお嬢さんね」

 

 ホルハイヤは諦めと困惑、期待と好感の混じった息を吐き出す。

 一瞬だけ空に視線を向け、荷物を手に取ると静かに彼女の後を追いかけた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「うわ、どうして二人共そんなボロボロなんですか?」

 

 迎えに来たロドス職員は、待ち合わせ場所に現れた二人を思わずそう聞いた。

 

「ちょっとね、ホルハイヤと親睦を深めていたの」

「このお馬鹿さんに喧嘩を吹っ掛けられただけよ」

「はぁ……そうですか。世の中には、まだまだ知らない親睦の深め方があるんですねぇ。ホルハイヤさん、何かご感想とかあります?」

「あなた最近、私に対して遠慮がなくなってきたわね」

「気の所為ですよ。自分が喧嘩したら、ホルハイヤさんに勝てるわけないじゃないですか」

「もしも本当に……あなたとホルハイヤが喧嘩になったらどうするの?」

「ミュルジスさん、面白い事を聞きますね」

 

 ミュルジスの問いかけに、ロドス職員は一瞬だけ考える。

 

「……大人しくボコボコにされるか、『ブリキさんとドクターに言いつけてやる!!』って捨て台詞吐いて逃げますかね」

「ふっ……三下らしい、情けなくて良い台詞ね」

「意外ね、ホルハイヤに抵抗しないの? あなたは確か──」

 

 ロドス職員は荷物を詰め込みながら笑う。

 

「自分、こう見えて平和主義なので」

 

 嘘か真かも分からない言葉を聞いて、ミュルジスもつられて笑った。

 そして思い出した様に、手を叩く。

 

「あ、そうだ。あたしとホルハイヤの写真を撮ってくれない?」

「構いませんけど、その状態で良いんですか?」

「勿論、これが良いのよ。ホルハイヤもこっちに来て」

「勝手に話を進めないでくれる?」

 

 イェラグの山々を背景に、ミュルジスとホルハイヤは並んで立つ。

 二人共、喧嘩の影響で服装はボロボロ。

 顔のあちこちに微かな傷が残っている。

 

 そんな二人に対して、ロドス職員は写真機を向けた。

 

 ミュルジスはホルハイヤの腕を掴んで誇らしげに。

 ホルハイヤは心底嫌そうな顔をしていた。

 

 小さな音と共に、二人の姿は確かな記録として残される。

 その場で現像された写真を、両者正反対の反応と共に受け取った。

 

「お待たせしました。それじゃあ、帰りましょうか……ロドスへ」

 

 車両が道を進む、帰るべき場所……ロドス・アイランドに向かって。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ロドス、ドクターの執務室──

 

「やぁ、ミュルジス。今回の旅はどうだった?」

「お陰様で笑いあり、涙ありで有意義な時間だったわよ。新しい発見もあったし」

「充実した時間を過ごせたようで何よりだよ。是非とも旅の話を聞かせて欲しいな」

「勿論いいわよ。でもその前に……」

「前に?」

「改めて、もう一度やっておきたい事があるの。あなたは先に済ませちゃったけどね」

「やっておきたい事って?」

 

 ミュルジスはドクターの前に立ち、その顔をしっかりと見る。

 

「はじめまして、あたしはミュルジスよ。そしてあなたの良き友人でもあるわ」

 

 彼女は手を差し出し、ドクターはその手を取った。

 

「よろしく、ミュルジス」

「よろしくね、ドクター」

 

「さて……旅と仕事の話の前に、まずは私自身の話を聞いて欲しいわ。それが終わったら、あなたの話を聞かせて貰ってもいいかしら? あたしの知らない、あなた自身の話を」

「勿論構わないよ。君が望むなら、可能な範囲で話すとしよう」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 あたしの種族には未来がないから、過去が答えを与えてくれるのを願うしかないわ。あなたは過去から来たのよね、ドクター。あなたはあたし、そしてあたしたちの希望よ。でも、こういう繋がりがなかったとしても、あなたはあたしを泡沫から引っ張り出してくれた人なの。まだ繋がれているっていうのに、どうしてこの手を離せるかしら? 

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 後日──

 

 イェラグの山からライン生命とロドス・アイランド製薬が共同で開発した、研究用小型浮島が打ち上げられようとしていた。クルビアで得た『木』の実験結果を踏まえて、超高高度における活動領域のデータ収集用の浮島だった。各国及び各機関を刺激しない様に、浮島には植物育成プラントと『最低限』の記録装置のみが搭載される。天空エキスポの浮島よりもさらに上空を目指す為、観測員は搭乗しない。今後上空で取得される観測データ、植物の育成データの全記録は自動で送られる手筈となっていた。

 

 ライン生命、ロドス・アイランド製薬、イェラグの代表者達。

 各組織の代表者及び計画参加者、その全員が打ち上げを見守っている。

 全機器の最終確認が行われ、チェックランプが点灯する。

 

 打ち上げの瞬間がやって来る。

 

「打ち上げ秒読み開始に入ります」

 

『11…………』

『10……』

『9……』

『8……』

『7……』

『6……』

『5……』

『4……』

『3……2……1……』

We have a lift-off(離陸しました)

 

 この場にいる全ての人間の視線が集中する。

 ありとあらゆるモニターに映るそれに釘付けになっていた。

 

 息を呑みながら見守り、最後の信号を待つ。

 

「予定高度に到達、浮島の起動信号を確認」

「観測用機器起動確認、『植物』及び『木』も問題なし」

「全動作問題なし、観測記録の受信……確認」

「……打ち上げ成功です。ライン生命とロドス・アイランド製薬共同プロジェクトが実行されました」

 

 拍手と共に大歓声が巻き起こる。

 その様子をミュルジスはドクターと共に、少し離れた所から見守っていた。

 二人は悪戯っぽく笑うと、成功を讃えて握手をしたのだった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 轟音を上げながら、様々な思いを乗せた物体が空へと飛んでいく。

 国家が絡む計画に比べたら、非常に小さいものだろう。

 大地の上で見れば、決して大きくはない組織達による小さな一歩。

 

 野心も野望もなく、ただ純粋な人の思い。

 即ち、未来への希望と期待を込めて。

 

 この小さな浮島は阻隔層を超える事は出来ない。

 今はまだ……それで良い。

 

 阻隔層の下を漂っているだけでいいのだから。

 未来を望み、よりよい明日を望む者達に記録を届けてくれるだけで十分だ。

 

 様々な部品を切り離し、徐々に小さくなりながら駆け上がる。

 やがて、目標の高度に到達すると最後の部品を切り離す。

 

 決して大きくはない浮島は、計画通り漂い始める。

 雲の上、宇宙の下。

 

 浮島に乗せられた植物達を保護する防護壁が解除された。

 ミュルジスによって選定された植物達は、強い日の光を浴びて目を覚ます。

 

 新しい空間、新しい環境。

 驚きと好奇心、期待と不安。

 これから続く、長い旅。

 

 木と植物は枝葉を伸ばし、背伸びをする。

 そして新しい居場所に元気よく挨拶をした。

 

Hello New World!!(こんにちは、新世界!! )

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ■■日後──

 

 観測機は休む事なく、周囲の環境データと植物の生態データを記録し続ける。蓄積されたデータ一定量に到達すると、地上に向けて投下される。植物管理システムは、常に植物達と木の状態を確認しそれぞれに合わせた対処を行っていた。誰も居ない浮島で、黙々と指定された任務をこなし続ける日々。

 

「ハロ~。ご機嫌いかが?」

 

 誰もいない筈の浮島に、突如として人の声が響く。

 人、正しく言えば人ではない。

 現れたのはうっすらと透けた、ミュルジスの分身だった。

 

「皆、元気そうで安心したわ。空気が薄いから、成長がゆっくりになると思ったけど……意外とそうでもない子もいるのね。興味深いデータだわ」

 

 ミュルジスは一つ一つの植物の様子を確認して回る。

 

「最初の頃は体調を崩しちゃった子もいたけど、今ではすっかり元気ね。大地に根を張っていた生活が、ちょっと懐かしく感じるかしら? そうでもないの? あなた達は随分と逞しいのね」

 

 声を掛け、話を聞いて植物達の中に腰を下ろす。

 

「ドクターも本当に無茶ばっかり言うんだから……」

 

「全面的に乗っかったんだから、文句は言えないけど」

 

 彼女は打ち上げ前にドクターと話した事を思い出していた。

 

 ──────────────────────────────────────

 

『本気で言ってるの?』

『勿論』

『あの浮島は不要なトラブルを避ける為に、人が立ち入らない完全無人にするって決まったでしょう?』

『その通りだ』

『じゃあ、どうして……』

『だって誰も、『分身を乗せてはいけない』とは言っていないだろう? 方々に提出した書類にも、人間の立ち入りを禁ずるとしか書かれていない。つまり、だ……ミュルジス。君が一緒に行くのは許可できないが、分身については対象外って事さ』

 

 ドクターは平然とそんな事を言う。

 

『それってただの屁理屈じゃない!!』

『だが事実だ。別に君がやりたくないって言うなら、この話は聞かなかった事にして構わないよ。ミュルジス、これはあくまでも提案だからね』

『……』

『君だって、観測機から送られてくる情報だけでは不安に思う所もあるだろう? それに超高高度の環境についても興味がある筈だ』

『それはそうだけど……』

『普段から君がよくやっている、あちこちに分身を潜ませて監視カメラ代わりに使ってるのと同じだよ』

『ちょっと!! まるで私が盗撮してるみたいに言わないで!!』

『実際無許可なんだから、盗撮と変わらないだろう? プライバシー保護の為に見つけ次第、理由を付けて乾燥機を起動するのも面倒なんだよ……』

『時々分身の水分が消えているのは、そう言う理由だったのね……知りたくなかったわ』

『私も君が、無断侵入及び盗撮常習犯だなんて知りたくなかったよ』

『その言い方はやめてちょうだい』

 

 ミュルジスは何とか表現を改めさせようとしたが、結局徒労に終わった。

 

『ま、こっそりと分身を植物管理システムの水循環機に潜ませるだけさ。誰にも迷惑も掛からない』

『発覚したらどうするつもり?』

『不要な心配だな。万が一、君の分身がうっかり足を滑らせて、クルビア領土内にでも落下した上に、更に自白でもしない限りは問題にもならないさ。それにね、ミュルジス』

『何よ』

『一体何の為に……わざわざ録画機能のある機器を乗せなかったと思う?』

『それはクルビア政府やその他の組織と……余計な争いを生まない為でしょう? 超高高度からの記録映像は争いの種になるからって……打ち上げの前提条件に政府が口を出して来た時から、そうだったじゃない』

『うんうん、君の言う通りだ。今だから白状するけど、その条件は実はこっちが言い出した事なんだ』

『……?』

『最初から下手に出ていると、ちょっと怪しい文面でも見逃して貰える上、余計な交渉をしなくて済むからありがたいよ』

 

 ドクターの告白を聞き、驚きの声を上げる。

 

『つまりドクターは最初から、私の分身を乗せるつもりだったって事?』

『その通りさ。でも、君にとっても悪い話じゃないだろう? 超高高度における植物の生態を直接見られるし、何より君自身の適性も調べる事が出来る。この先の事を見据えるならば……やっておくべきだと私は思っている』

『……呆れて言葉も出ないわ』

『で、どうする?』

『勿論、やるわよ』

『そうこなくては。やるだけやって、駄目そうだったら潔く諦めよう』

『不安もあるけど、なんだか楽しみになって来たわ』

『時々、上で見たり感じた事を教えてくれ。それが君だけに依頼する秘密の任務さ』

 

 ──────────────────────────────────────

 

 ドクターとミュルジスはこっそりと計画を練り、準備を進め、誰にも知られる事なく分身を潜ませる事に成功した。打ち上げ成功後、少しずつ慣らしていった結果、こうして分身体で問題なく行動出来るようになったのだ。自由に動けるようになっても、彼女は植物達に手を加える事はしない。ただ様子を見て、話を聞いて、そっと寄り添うだけだ。ミュルジスが選定した植物達は、彼女の手を借りなければ生きていけない程弱くはないのだから。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 ミュルジスは植物達の間から立ち上がり、手すりに寄りかかり風を感じる。

 浮島から見る景色は地上と違い、全く別世界の様だといつも思う。

 

 浮島の下。

 覆いつくす雲、切れ目から見える大地。

 渦巻く天災の影、広がり続ける海。

 

 浮島の上。

 薄く広がる雲、広がる幾層にも彩られた暗闇。

 固定化された星々、大地を照らし続ける太陽。

 

「人の悩みってちっぽけだって感じ位……『世界』って広いのね」

 

 あの日見た、阻隔層の向こうを再び思い描く。

 

「そこで見ていなさい、クリステン・ライト」

 

「いつか私が……ううん、違うわね」

 

「私達が、あなたの立つ場所に追いつき……追い越す所を」

 

「この『始まり』はあなただったけれど、私達は更に向こう側へ飛び出して行くのよ」

 

「あなたが想像も出来ない所まで辿り着いてみせる」

 

 ミュルジスは天に手を掲げる。

 

 そして、銃のハンドサインを作り、星の海にいるであろう人物に狙いを付けた。

 

「あなたと言う天才が届かなった領域を切り開く未来を……」

 

「想像も出来なかった明日を……」

 

「私達は……きっと手にするのよ」

 

「そして私が必ず、あなたを見つけ出すの」

 

 

 ミュルジスの指先から、一滴の水が放たれる。

 水は光を反射しながら煌めくと、空の向こうへと飛んで行った。

 

 

「──願いよどうか、形を成して」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 こんな風に長くて終わりの見えない探索の旅は、あたしにとって簡単じゃないわ。

 けど、その道の歩き方を教えてくれた人達がいたのよ。

 今度、その人達の話を聞かせてあげるわ。

 

 答えを得られるか分からない旅って、想像よりも大変よね。

 でもあなたはもう……慣れちゃったんじゃないかしら? 

 

 未知への探求は楽しくて、進む心が止められない? 

 気持ちはわかるけど、時には休憩して周りの人と話すのも大事にしなさい。

 

 ……はぁ、あんまり頑張りすぎないでね。

 偶には、一緒に散歩でも行きましょう。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 はじめまして、あたしはミュルジス。

 

 未知へと踏み込むのが怖いかしら? 

 

 大丈夫、安心して良いわよ。

 

 私がずっと、あなた達の側にいるもの。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 

「お疲れ様~日差しが強いわね。傘を差してあげましょうか?」

 

「それと……キャンディはいかが?」

 

 

 

【光儀:これまで(過去)これから(未来)】 終

 

 

 

 

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