――これはフリーレンとフェルンが一級魔法使い試験を受けた時のお話。
大陸魔法協会、最終試験会場。
広々とした庭園の奥。設けられた玉座に深く腰掛けた大魔法使いゼーリエは、目の前に立つ男を琥珀色の瞳で射抜くように見つめていた。
並の魔法使いならそのプレッシャーだけで呼吸を忘れる。だが二級魔法使いのビザンツは、手元の手帳に羽ペンを走らせ、室内の魔力密度を記録していた。
(……ふむ、とんでもない出力だ。貯蔵量も、変換効率も、人類の規格を数周りも超越してやがる)
ビザンツの目は、ゼーリエから漏れ出る魔力の僅かな”揺らぎ”を瞬時にスキャンし終えていた。
(このエルフ1人が暴走しただけで、北側諸国の半分は焦土だ。守りに入ろうが攻勢に入ろうが……全く見合わない損害が齎されるだろう)
しかし彼は彼女の深淵に恐れをなす事もなく、その異次元の魔力量を単なる巨大なエネルギー源として査定するだけ。
「お前は挑発に来たのか?」
重要な面接の場面で、面接官――どころか協会のトップの眼前で記録作業に勤しむなど、どう考えてもふざけてるとしか思えないだろう。もっとも、他の受験生も半分近くが不遜な態度で臨んでいたので、ビザンツに限った話ではないが。
「……まあいい、名を名乗れ。それと、好きな魔法を言ってみろ」
ゼーリエの冷徹な問いに、ビザンツは顔も上げずに答えた。
「ビザンツ。『ビザンツ・シェドリングス・ベケンプファー』と申します。好きな魔法は……強いて言うなら”対象を精巧に記録する魔法”ですね。駆除した個体の物的証拠を依頼主に提出するのに、スケッチの手間が省ける。業務効率が段違いだ」
「……効率?」
ゼーリエの眉が、不快げに跳ねた。
「一級になれば神話時代の攻撃魔法でも、不老不死の秘術でも、望むままに授けてやるというのに。貴様はそれを事務作業の軽減に使うと言うのか」
「勿論です。伝説の攻撃魔法なんて、一発の魔力消費が嵩んで仕事になりませんよ。途中で魔力切れが起きて食い殺されたら笑い話にもならない……それより、アンタに一つ確認したい」
ビザンツはそこでようやく顔を上げ、人類最高峰の魔法使いを真っ直ぐに見据えた。
「……ゼーリエ。アンタ程の膨大な出力を保持している魔法使いが、まさか魔族と”対話”なんて無駄な行為をしてないよな?」
一瞬、室内の空気が凍りついた。
「おいお前」
控えていた一級魔法使いのゼンゼが目を細め、長髪が一気に逆立つ。だが、ゼーリエは片手を挙げてそれを制し、鼻で笑った。
「対話はするが……全てが無駄なのは確かだな。奴らは言葉を話すだけの獣だ」
「――なのに、どいつもコイツも遭遇した魔族と正面からのうのうと会話を繰り広げている。魔族を化け物と理解してる筈の、アンタの教え子達までもだ。いつ喰らいついてくるか分からないのに、危な過ぎる」
ビザンツは呆れたように肩をすくめ、容赦のない指摘を続けた。
「是非ともアンタから改めて、全魔法使い向けの安全講習を開いてやって欲しい。今のままじゃ、何時かみんな食い殺されるぞ? 強大な魔力なんてのは、あくまで事故を未然に防げなかった時のバックアップでしかないのだからな?」
「既にそうならないくらい皆は強い。余計なお世話だ」
ゼーリエの声に、明確な拒絶が混じる。彼女にとって魔法は強さと矜持の証明だ。対して、この男の語るそれは単なる安全管理の延長でしかない。
「強ければリスクを冒していい――なんてのは現場を知らない素人の理屈だ。アンタそれでもプロなのか?」
「……さっきから聞いてればお前、魔法を効率良く運用する事しか頭にないな。魔法に対する情熱も、敬意も、欠片も存在せん――不合格だ、立ち去れ。貴様のような者に、私の特権を汚されてたまるものか」
(……ちっ、ケチなエルフだ)
内心で小さく毒を吐いたビザンツは、特に未練もなさそうに背を向けた。
「せっかく魔族の死体を映した高精度な記録魔法が手に入ると思ったんだが……まあいい。手書きのスケッチと証言で依頼主を説得するさ。――そろそろ業務に戻らせてもらう」
ビザンツが扉を閉め、足音が遠ざかる。静寂が戻った試験会場で、ゼーリエは玉座の背もたれに深く体重を預け、天井の一点を見つめていた。
「……あの男で最後だったな?」
漸く逆立てた髪を下ろしたゼンゼが、静かに頷く。
「はい。これにて第三次試験は全て終了です。……奴については?」
「言っただろ? 不合格だ。あんな男、魔法使いですらない」
吐き捨てるようなゼーリエの言葉。だが、その瞳には苛立ちと共に奇妙な熱が宿っていた。
「……」
「ゼーリエ様?」
「ゼンゼ。あの男、私の魔力制限を一目で見抜いていた」
その言葉に、ゼンゼの表情が微かに凍りついた。
「……え? まさか。あなたの揺らぎは並の一級ですら観測が極めて困難な筈ですが」
「ああ。しかも、私の真の魔力量が如何ほどか、概ね把握したように見えた。恐怖も、羨望も、敬意すら抱かずに……ただの出力値としてな」
ゼーリエは立ち上がると、ビザンツが立っていた場所まで歩を進めた。そこには魔力の残滓すら残っていない。徹底して気配を殺し、効率のみに特化した虚無の跡。
「奴は、あの子(フェルン)に匹敵する逸材だ……なのに魔法への敬意も、美しさの欠片も無い。ただひたすら効率を求めながら魔族を殺す事だけを考えている」
ゼーリエの口角が、蔑みと戦慄が混ざり合ったような複雑な形に歪む。
「まるで統一帝国製の魔導具が、服を着て歩いてるような人間だ。心などとうに摩耗し、冷徹な機構だけが奴の中に残っている」
「ゼーリエ様がそこまで言う程の男なのですか? お言葉ですが、奴は魔法使いの間でも”業者”と蔑まれ、二級に甘んじているような男ですよ?」
「……ゼンゼ。お前も奴の魔力制限には気付いている筈だ。奴は階級こそ二級だが、実力は正しく一級……いやそれ以上だ」
「私達……以上?」
ゼンゼは信じ難い気分だった。他の魔法使い達から鼻つまみ者にされている異端の男が、自分達一級すら超える。それを、魔法の神髄たるゼーリエが認めているという事実に。
「奴の魔力量はフリーレンとほぼ同等だ。人でありながらエルフとも肩を並べられる魔力量……ハッキリ言って異常だ」
ゼーリエの瞳に、初めて理解不能な存在への僅かな歪みが走る。
「……おそらく魔法を愛でる時間を一切排除し、ただ魔族を殺す為の出力として自分を磨き、最適化し続けた結果……なのかもしれん。私にとっても前例が無いから推測に過ぎんが、奴は人間としての情動を魔力増幅の燃料にでも変えているんじゃないかと思える程だ」
「そこまで、ですか……」
「それでいて外部に漏らす魔力を、無害な小動物程度にまで抑えていた。魔族に存在を悟らせずに屠る、ただその為だけにフリーレンをも凌駕する技術を会得している」
普通の魔法使いが1000年かけて辿り着く場所に、僅か数十年で到達している。自身の人生をどれだけ効率化に捧げれば、人間がそこまで魔力を膨張させられるのだろうか。ゼンゼは戦慄を通り越して何も感じなくなりそうだった。
「……故に、奴にとって魔法の特権は、ただの便利な道具の範疇を超えん」
ゼーリエは窓の外、遠ざかっていくであろう白コートの背中を脳裏に描く。
(……あの非人間らしからぬ人間性さえなければ、私の方から進んで、より高みへと連れていったものを)
だが、それは叶わぬ望みだ。
ビザンツという男にとって、魔法は”愛でるもの”ではなく”消費するもの”。そしてゼーリエという大魔法使いは”崇める対象”ではなく”ケチな仕入先”であり、”現場の話を聞かないワンマン経営者”でしかない。
「……ゼンゼ、覚えておけ。いつかあの子(フェルン)やフリーレンが、あの”業者”と再び鉢合わせる日が来る。その時、彼女達が奴にどれほど通用するか……見ものだな」
ゼーリエは再び椅子に座り、目を閉じた。
魔法という神秘の歴史に現れた、たった1人のバグ。それが齎した不快な余韻は、しばらく彼女の心から消えそうになかった。
ビザンツ「リスクアセスメントは大切」