マネモブドクターがケルシーに「ヤらせろ」と言ったら説教で夜が明けたんスけど……いいんスかこれ   作:異常長文構築者

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投下予定だったスレが落ちてたけどケルドクSSはどないする?まぁ全体を改変し直してここに投下すればええやろ

というわけで投稿しました今回も相変わらずケルシー先生の超絶長い話が始まります
ではどうぞ


徹夜で仕事続きのドクターにもケルシー先生は容赦ないんだよね怖くない?

 時計の針が、深夜零時をとうに回り、すでに翌日の午前三時を示そうとしている頃。

 ロドス・アイランド本艦の深部にある作戦指揮官の執務室は、まるでそこだけ時間が凍りついたかのような静寂と、それに相反するような異常な熱気に包まれていた。

 

 無秩序に積み上げられた書類の山。数枚並んだモニターが放つ無機質なブルーライト。そして、カフェインと各種の強力な栄養剤の過剰摂取により、神経が完全に摩耗しきった男――ドクターの、荒く浅い呼吸音だけが微かに響いている。

 

 直近の数日間に勃発した、ヴィクトリア郊外の局地紛争における後方支援の差配。それに伴う膨大な人員配置の調整、物資調達のタイムライン管理。極めつけは、アーミヤから直々に頼まれて回されてきた、各部隊の作戦報告書の徹底的な添削作業。

 本来であれば専門の部署に振り分け、各セクションの担当者とPRTSを介して分散処理すべきこれらの一切を、彼は自分一人で抱え込んでいた。結果として、ドクターの脳機能の限界はとうに臨界点を二つか三つほど越えていた。

 

「ハァ……ハァ……ッ。ヴィクトリアからの補給物資ラインがストライキで遅延してるだと? なんだよこのクソ展開……。前線部隊の防具消耗率が想定の倍!? うあーっ! 人生の悲哀を感じますね、ホントに……」

 

 カラカラに乾ききった唇から漏れるのは、完全に限界点を超えたランナーズ・ハイ特有の、空虚で狂気的な独り言だった。

 人の大脳というものは、疲労が物理的かつ精神的なデッドラインを突破した際、自己崩壊を防ぐために意図的に生存本能のリミッターを解除し、ドーパミンやエンドルフィンを大量放出することで、無理やり躁状態――疑似的な超人モードを作り出すことがある。

 今の彼が、まさにその悪性のバグの中心にいた。

 

「俺はコンプリートファイターだから立ち技はもちろん、寝技――じゃなくてデスクワークも得意なのさ! この輸送ルートに裏取引のダミー会社を挟んでバイオレイヤ技術の物資を混載すれば、税関の目視を誤魔化せる……! 俺ってマジで天才かもしれないね。最強の頭脳を持ったマネモブだぜ、フハハハ……!! これを思いつくなんて、この力に一番戸惑っているのは俺なんだよね、凄くない!?」

 

 理性という重しを喪失し、純粋な演算能力と原始的な本能だけで駆動する狂った自動人形。それが今のドクターの姿だった。充血した両眼をひん剥き、端末を狂ったような速度でタップし続ける。

 

 その時。

 

 

 密室に、気密扉が静かにスライドして開く、無機質な電子音が響いた。

 

「……ドクター」

 

 背後から不意に掛けられたその一声は、熱に浮かされ腐臭すら漂いそうな部屋の空気を、瞬時に絶対零度で凍結させるほど冷徹で、かつ底知れぬほどに透き通っていた。

 緑がかった銀色の髪、感情の波を一切表面に映し出さない、静謐なエメラルドのような瞳。パリッとした清潔な白衣を纏っているのは、ロドス・アイランド医療事業の統括者であり、この組織の最高幹部の一角を担う存在――ケルシーであった。

 

「うぁぁぁっ!? け、ケルシーが廊下を練り歩いてるッ!」

 

 不意の訪問者にびくつきながら振り返ったドクター。しかし、自らの疲労に霞む視界に現れたその存在を『助け舟』だと認識した瞬間、限界を突破していた彼の大脳新皮質はブレーキという概念を文字通り宇宙空間へ放り投げた。

 代わりに機能したのは、最も原始的な『安堵』と、救済者へ向かう『歓喜』の信号だけであった。

 

「定期的なバイタルサインの統合モニタリング結果から、君の生体機能が深刻な医学的デッドラインを超過していることを確認しに来た。交感神経の異常な持続的興奮、それに伴う不規則な不整脈および徐脈化の兆候。いかなるホモ・サピエンス的知的生命体においても、この身体状況での継続的な軍事演算および高度な意思決定は、戦術的自殺行為に等しい。……君が何らかの重篤な器質性せん妄、あるいは幻覚的ハイ・ステートに入り込んでいることは、廊下にまで漏れ聞こえていた今の意味不明な奇声から明白だ。直ちに端末から手を離し、自らを速やかに休止状態へ移行さ――」

 

「おおおおおおッ!! あざーっス! ケルシーィィィッ!!」

 

「――なっ」

 

 長命者たるケルシーが医療者として、そして冷徹な同僚としての正当かつ完璧な勧告を口に終えるよりも早く。

 ドクターは座っていた高価なキャスター付きの椅子を無造作に後ろに蹴り飛ばし、立ち上がった勢いそのままに真正面から突進。ケルシーの華奢な身体に跳びつき、思い切りその両腕で彼女をがっちりとホールドしたのだ。

 

「あざーっす!わざわざこんな深夜三時回る時間帯に、この俺の事務仕事を手伝いに来てくれたんだな!? 君って人はホントに、なんて最高なんだ! 大好きだ、愛してるよパパ!!」

 

 深夜の執務室という閉鎖空間に木霊する、あまりにも直截的で、赤面必至の無防備な愛の告白。

 ドクターはケルシーの細い肩に自身の重たい頭をぐりぐりと擦り付けながら、普段の思慮深く陰のある指揮官の面影など微塵も残さない、完全に幼児退行した口調でとめどなく賞賛と甘えの言葉を浴びせ続けた。

 

「君という最強無敵の助っ人が俺のもとに来てくれたなんて! まるで地獄に降る慈雨……ッというより特効薬ッと言う感覚! もうホント、俺はこの処理を終えないと、このヴィクトリアの書類の山に圧殺されて孤独に死ぬと思ってたんだよね。怖くない!?」

 

 もはや自分が何を言っているのかすらまともに言語統制できていない、暴言じみた感謝のシャワー。

 ドクターの狂態に、ケルシーは声を上げることもなく無言のままである。

 

 ───しかし、既に思考の箍が外れている男は、相手の沈黙の意図を察するほどの知性すらとうに摩耗させていた。自重という概念などない。

 

「これでお互いの負担を軽くできる。やっぱりロドスを動かすのは俺たち三人がアーミヤを支える……ある意味“最強”だ! いや、一緒に徹夜してくれる君となら、俺たちの手で処理の道を作るから尊いんだ、絆が深まるんだ!ケルシー! これが全部片付いたらさ君の何でもお願いを一つ聞いてあげるよ!ただし俺個人にできる範囲には限るけどね!」

 

 無防備の極致、あるいは自意識過剰なピエロの絶頂劇。

 一組織の最高軍事権力を持つ指揮官が、深夜の密室において最高位の女性幹部に飛びつき、挙句に「なんでも一つ言うことを聞く」という己の全権限に対する最大の『白紙委任』を、ただのお礼のジョーク感覚であっさりと宣言してしまったのだ。

 

 しかし、彼がどれほど無邪気な熱意を纏っていようとも、その腕の中に抱え込んだ相手が誰であるかを忘れるべきではなかった。

 彼女こそ、あの大地の摂理すら容赦なく解剖し、愚者の甘えを言語化して完膚なきまでにへし折る『氷の賢者』であることを。

 

「…………」

 

 絶対の沈黙。

 ケルシーはドクターを強引に振り払いもしなければ、「何をしている!」と声を荒げることもなかった。無論、Mon3trを即座に召喚して彼の胴体を真っ二つに引き裂くこともしない。

 彼女はただ、白衣のポケットに両手を入れた完全に脱力した直立姿勢のまま。自分に縋り付いて喚く『悪臭を放つ疲労の塊』を、ペトリ皿の奥底で意味不明な変異を起こした致死性バクテリアを観察するような、無機質で氷点下の瞳でひたすらに見下ろしていた。

 

「……終わったか? 君の、己の前頭葉の不可逆的な機能不全を世界に向けて恥ずかしげもなく喧伝し、サルのような発情を伴う接触を図るだけの、低俗極まりない儀式は」

 

「――ッ!?」

 

 低い。極低温の、底の見えない淵から這い上がってきたようなアルトボイス。

 熱に浮かされていたドクターの脊髄に、文字通り冷ややかな刃物で下から撫で上げられたような猛烈な悪寒が走り抜けた。

 

「 ま、待てよ! せ、せっかくの熱い抱擁なんだから、少しは『バカだなドクター』って笑ってくれても……」

 

 ドクターが恐る恐る顔を上げると、ケルシーの澄んだ瞳の中には、怒りや戸惑いといった安っぽい人間的感情は一ミリたりとも存在せず、ただ『完全なる論理による断罪』の処刑許可書だけが浮かび上がっていた。

 

「あ、いや……ケルシー、その。怒らないでくださいね。強いだけの女って……じゃなくて、俺は純粋に君が手伝いに来てくれたことにハッピーハッピーやんケと思って……」

 

「……離れろとは言わないでおこう」

 

 ケルシーの赤いルージュが僅かに動いた。

 

「なぜなら、現状の君の認知機能――すなわち、致死レベルの睡眠負債とドーパミンによる慢性的なせん妄状態下においては、私が単に『物理的に離れろ』という制止命令を音声として出力したところで、その言語情報が君の網膜および聴覚神経を経由して大脳の論理回路にまで正確に到達・処理されることは無いと推計しているからだ。私が今あえてこの愚かなホールドを放置しているのは、君が自身に行った『他者への無思慮な物理接触の不可逆的リスクと、指揮官としての組織倫理の崩壊』を余すところなく君自身に自覚・証明させるための、標本としての証拠保存に過ぎない」

 

「な……なにっ!?」

 

 危険信号が鳴り響いたドクターの大脳が、本能的に「この女から離れなければ論破されて死ぬ」と判断し、慌てて身体を引こうとしたが――遅かった。

 ドクターが気づいたときには、白衣のポケットから静かに引き抜かれたケルシーの右手が彼の着ている厚手のコートの背中側、その肩甲骨の合間をまるでチタン合金の万力のようにピンポイントで捉え、完璧に縫い付けるように逃げ道を塞いでいたのだ。

 

「 しゃ……しゃあけどケルシー、これは単なる深い親愛の情のハグというか、俺のフルコンタクトな挨拶みたいなもんで……!」

 

「『フルコンタクトな親愛の情』。なるほど、その表層的で都合の良い形容詞の羅列を隠れ蓑にするのは勝手だが。事の次第の悪質さが、君の摩耗した前頭葉には未だ一切理解できていないようだな、ドクター」

 

 逃がさない。一切の抵抗も許さないという無言の宣告。

 ケルシーの静かな、しかし確実に対象の精神の臓腑を抉り出す恐怖の『講義』が、深夜の密室で静かに幕を開けた。

 

「まず、第一の過誤から順を追って説明しよう。君がたった今私に対して無自覚に強行したこの一方的な物理的密着、すなわち『抱擁』と呼ばれる行為が内包している、公衆衛生学的かつ微生物学的なリスクについてだ」

 

「え、ハグのリスク? は、ハッキリ言って、俺はただ感謝を伝えたかっただけで、お前を傷つける気なんか……」

 

「君のちっぽけな意志などウイルスの増殖速度の前では何の意味も成さない」

 

 ピシャリと冷たく切り捨てるケルシー。

 

「ヒト、および我々先民の表皮というものは、外部環境の汚染から内部の器官を守るための物理的な防護壁であると同時に、その上には表皮ブドウ球菌、アクネ菌、コリネバクテリウムを中心とする数百万から数千万という細菌群が極めて緻密なマイクロバイオーム、つまり共生細菌叢の生態系を形成している。それは正常な状態であればホメオスタシスの維持に寄与する。……さて、翻って考えよう。私はつい十分前、ロドスの医務局における最高レベルの減菌プロセスを通過し、重症感染者の処置室からクリーンルームでの除染を終えてここへ到達した。私の衣服表面の汚染係数は現在、艦内でも限りなくゼロに近い」

 

「そ、それがどうしたって言うんスか? 別に俺は泥まみれで外から帰ってきたわけじゃ……」

 

「これに対し、君だ。君はここ九十六時間という常識を疑うべき異常な期間において、この執務室の不十分な換気能力と劣化し乾燥した空調設備の真下に据え置かれたまま、自律神経の不調からくる異常な冷や汗、脂汗、および不感蒸泄を止めどなく繰り返し続けていた。わかるか? 今の君の着ているコートと、その下のシャツ、そして首元の表皮は、皮脂と角質という極上の養分を与えられ、あらゆる嫌気性バクテリアや病原性真菌が爆発的に増殖を開始している、巨大な生物培養プラントそのものだ」

 

「な、なにっ!?」

 

「その『悪臭を放つ糞にたかり、この世で最も汚く蔑まれる蛆虫』とも形容すべき不潔の極みである君の有機的な塊が、減菌状態の私に対して自ら勢いよく摩擦と広範囲の圧着を試みたのだ。君は『感謝のハグ』だという。だが、医学的エビデンスに基づいて描写すれば、これは完全に愛情の表現などという美辞麗句で粉飾された『悪意なき無自覚なバイオテロリズム』だ」

 

「バ……バイオテロ!? ハグしただけでバイオテロ扱いなんて酷すぎじゃねぇかよえーーーーっ!?」

 

「事実だ。君から付着した多種多様なブドウ球菌群は、私の白衣を通じて、私がこれから赴くであろうロドスの深部……免疫能力が極限まで低下している重症な鉱石病患者たちのもとへと直に移植されることになる。すなわち君のハグとは、抵抗力のない患者のベッドに致死の病原菌をバラ撒き、ロドス全体をパンデミックに陥れるかもしれない死の媒介へのトリガーなのだ。……ドクター、この圧倒的生物災害クラスターを引き起こしかねないテロル的無思慮について、作戦指揮官として申し開きがあるなら一言だけ聞いてやろう」

 

「ううああああああ!またケルシー先生の長文を超えた長文ッのお説教が始まったッ!!」

 

 まさかの反論不能の生物学的完全包囲網。ドクターは己が純粋だと思っていた感謝の行動が、間接的に病人を殺しかねないウイルス兵器投下だと解釈され、絶叫とともに顔を引きつらせた。

 

「は……はっきり言ってそれって病気レベルの潔癖だから! そこまで細菌塗れってのは妄想に近いと思う……それがボクです。なめるなっメスブタァッ!……とは流石に口が裂けても言えないけど俺だって毎朝ウェットシートで首筋とか顔は拭いて……」

 

「その簡易的なアルコール・ティッシュ程度の清拭が、ロドス全体のリスクヘッジとしての『十分な殺菌処置』だと本気で強弁するのであれば、次からはオペレーターの前へ出る前に濃度の高いホルマリンプールへ全裸で三時間漬かってから出直してくることだな。ドクター」

 

「だ、だけど接触ってのは心の距離を近づけるもんやんケ!シバくやんけ! このドクターとケルシーの間にある長年の信頼の証明……」

 

「それが十分な免罪符だと本気で思っているのか?」

 

 ケルシーは一切の情を切り捨てるような薄ら笑いを浮かべる。それがドクターにとって更なる地獄の入り口への扉であるとは知る由もない。

 

「その君のくだらない『第二の過誤』についてだ」

 

「ま、まだあるんスか……!」

 

「私の顔色をうかがう暇があるなら傾聴しろ。君は先ほど、私に対して大きな声で『最高だ』『大好きだ』『愛しているよ』と吠え散らしたな。……ドクター、人間の内にあるというその不確かな情動を過剰に美化し、自己の脆弱な理性を覆い隠すための絶対の盾として使用するのは、裏路地で二束三文で売られる詩人のパルプ小説の中にだけにしておけ」

 

「なにっ」

 

「君が私に投げつけたその『愛している』という言語コード。私がわざわざその浅薄な修辞の化けの皮を剥がしてやろう」

 

 背中を捉える手の力が一切弱まらぬまま、ケルシーの透徹とした、メスのように冷たく尖った声音が彼の耳元へ侵入していく。

 

「君が今、『愛』と呼び、私の持つ“手伝いという労働力”と等価交換のカードにしようとしたその抽象概念。これを内分泌学、そして脳科学的メカニズムの観点から完全解体・再定義すれば、現在君の前頭葉および辺縁系で発生している現象は、自己修復機能の破綻が生んだただの器質的なバグ反応に過ぎない。わかるか? ホモ・サピエンス的生物における『愛』や『熱狂的な好意』という感情プロトコルは、進化の過程で『脆弱な子孫を外的から守り、番いを強制的に一定期間繋ぎ留めるための、視床下部から脳下垂体後葉を経由して分泌されるオキシトシンの連鎖』ならびに、側座核を中心とした『ドーパミンとノルアドレナリンの異常放出』という単なる脳内の電気的エラーと物質的なドラッグ作用だ。歴史ある高次な魂の交流でもなんでもなく、化学方程式に還元可能な物質現象だ。それ以上でも以下でもないのだ」

 

「ケ、ケルシー……そんな身も蓋もない事を言うのはルールで禁止っスよね!なんでテラの歴史に残る長命の知識人が俺の深夜のセンチメンタルを内分泌科のカルテみたいに刻み刻んでるのか教えてくれよ!」

 

「私が求めているのは、感情というノイズを排除した正確無比な事実関係の整理だけだ。現在の君は、ヴィクトリアと各国のパワーゲームの中で血中のコルチゾール値、ストレスホルモンを致死量ギリギリまで引き上げている。その殺人的なストレスの蓄積に耐えかね、君の防衛機構が発狂した。その極限状態の網膜に『面倒な労働タスクを全て丸投げして片付けてくれるかもしれない極めて有能な代替要員=私』という報酬オブジェクトが出現した。君の疲弊した報酬系回路はパブロフの犬と全く同じ構造で反応し、そのタスク処理に対する快感を『私を観測したことに対するドーパミンの過剰分泌』として錯覚的に先借りしたのだ。……理解できたか、ドクター? 君の放ったその熱き愛の告白と抱擁は、決して私という『何万年も生き、共に戦線を作り上げてきた複雑な個人』へ向けられたロマンティシズムではない。目の前に転がってきた都合の良い代行ロボットに対して発した、脳内麻薬に狂ったサルの快感の反芻行動……単なる電気信号のスパークだと言っているのだ」

 

(うっ……ウアーッ!! “愛の言葉”という最も人間的な感情の結晶を、「重労働から逃避したいサルがバグでドーパミン出してるだけの現象」へと完全翻訳されてぶち壊されたッ! ケルシー凄ぇ……反論先まで潰してくるし )

 

「しゃ、しゃあけど……オレの心が君を頼りにしてるっていうのは本当なんや……これ以上は危険や………」

 

「頼りにしてる? 甘ったれるのも大概にしろ」

 

 言い訳など完全に無駄。許しの光など射し込みはしない。

 ケルシーは静かに視線を滑らせ、執務机の上にある混沌としたデータのジャングルへと目を向けた。

 

「私への好意が偽りであることを論証したのならば。次は、君の作戦指導者としての致命的な破滅的欠陥について、軍事的組織論の見地から解体せざるを得ない。『手伝ってほしい』というタスクの委譲……労働力の安易な外部依存。これこそが、君の『第三の過誤』だ」

 

「な……なめてんじゃねぇぞ!コラッ! 俺の激務まで否定する気かッ!」

 

 たまらずドクターが反抗の声を上げる。

 

「俺だって……好きで休まず起きてるわけじゃないんだ苦労が深まるんだ……でも俺が限界まで起きて仕事を早く終わらせれば、被害は少なくなるんだ平和が深まるんだ!」

 

「……自己陶酔の安い演説だな」

 

 ケルシーの絶対零度の視線がドクターの網膜に突き刺さる。

 

「『自分ひとりが身を削ればいい』。なるほど。……ドクター、それは、産業革命期の悪徳な労働搾取の現場や、あるいは宗教的な殉教を是とする狂信者と同じ、極めて有害で退行的なパラダイムだ。私から言わせれば、君は己の孤独な戦いを美化しているだけの『機能不全の象徴』だ」

 

「何を言うとるんじゃあ!俺が全部チェックするからこそ、防げる事態がある!」

 

「君のそれは、軍隊における組織論を崩壊させる『単一ゲートキーパー問題』の完全な体現に過ぎない。……そもそもだ。この机の上の書類の山や人員配置プログラムは、突如現れた星の天災か? 否だろう。君が手にしている諜報データからヴィクトリア情勢を演繹すれば、これだけの波状的な情報トラフィックが発生することは少なくとも五十七時間前には予測が完了していたはずだ」

 

「えっ」

 

「有能な指導者の行動とは、『自分が二十四時間無限に稼働すること』ではなく、自分が睡眠を取り一時的な完全停止状態に移行している最中であっても組織の防衛と決裁機能が自動で自律循環する『強固な階層システムと冗長性』を構築することだ。PRTSへのオート・プロトコルの委譲や、エリートオペレーターたちへの条件付き裁量権の下方分配を行わず、すべてを自らの単一大脳皮質の中へ集約させる傲慢。……ドクター。君は、自分の処理能力の上限というものを客観視することを放棄しているのだ」

 

 理知のメスが、ドクターの脳に突き刺さる。言い逃れを試みるドクターを追い詰めるように、ケルシーの声は静かで冷徹な圧力を増していった。

 

「その無謀な権力集中の結果がどうなった? 米国ペンシルベニア大が算出した客観的臨床データによれば、ホモ・サピエンスが連続して二十四時間以上の覚醒状態を維持した場合、大脳の前頭葉の活動低下に伴う状況判断力とワーキングメモリのスコアは、血中アルコール濃度にしておよそ0.10%……つまり法律上で完全に処罰対象となる『泥酔・酩酊状態』に該当するのだ。理解しているか? 君は今、安直で偽善的な大義名分を振りかざしながら、泥酔してハンドルも握れない脳みそで、数千人ものロドスの作戦要員の『生命線』を強引に右へ左へ振り回そうとしている。もし仮にその『泥酔による操作エラー』によってオペレーターの防衛陣形に数秒の遅滞が生じ、百名以上の命が文字通り死地へと溶かされたとしても、君は遺族の前に出て『自分は彼らを愛して疲れていたから仕方がないのだ』と言い訳するつもりなのか?」

 

(ヒロイズム満載の徹夜仕事が、ただの『酒酔い無免許運転による部隊皆殺しへの誘発』へと置き換えられたんですけどいいんスかこれ……!?もうケルシーに何を言っても論破される気がするんだよね怖くない?)

 

「……それにしてもだ。過労によって大脳辺縁系における判断を他者に依存しやすくなる現象自体は、ホモ・サピエンス的知的生命体のエラーとして許容の範囲内としても。私が何よりも危惧し、君という存在の設計上の致命的欠落を疑わざるを得ない点がある。それは、君の前頭葉がいかなる『過去の過誤』からも有意義な学習プロセスを経由しないという、その破滅的な記憶領域の揮発性だ」

 

「え……? が、学習機能……って、何の話っスか?」

 

 完全に萎縮したドクターだったが、ケルシーから突きつけられた「過去」という単語に、大脳の奥底に封印されていた嫌な汗が吹き出すのを感じていた。

 

「忘れたとは言わせないぞ、ドクター。この密室における深夜という閉鎖環境、限界を超えた過労、そして私の登場に対して君が見せた突発的かつ知性を欠いた衝動の発露。この諸条件の合致による『再演』は、これが初めてではないという事実だ」

 

(ヒッ!? も、もしかして……!)

 

「思い出したようだな。先日のことだ。ヴィクトリアにおける小規模な騒乱の事後処理で君のフラストレーションが今回と同じく限界を迎えていたあの夜。君は己の身体内に蓄積された鬱屈したストレスと安直な発情を持て余した結果、部屋へ入ってきた私をどのように形容し、そしてどのような無教養な手段を用いて自らのリビドーを正当化しようと試みたのだったか? もし短期記憶から長期記憶への変換機能が完全に破壊されていないのであれば、自らの声帯を用いてもう一度その記録ログを再生してみせろ」

 

 ドクターの顔から、完全に血の気が引いた。それは彼のタフな精神という名の逃避においてすら、できれば永久に猿空間送りにしたかった漆黒のトラウマ記憶であったからだ。

 

「え、えーと……あの時は……たしか、『君のような極上のヴィンテージものを手軽に使えれば最高なんだよねパパ』、とか言って。んで……『とりあえず手伝い抜きにボボパンさせろ!』……だった……スね」

 

「正解だ。どうやら都合の悪いキャッシュデータをゴミ箱から復元する程度の脳内アクセス権はまだ残っていたようだな」

 

 ケルシーの纏う温度が、絶対零度からさらに深層宇宙の超低温へと急降下したのが分かった。

 

「お……怒らないで下さいね。確かにあの時は、あの夜の深夜のタフカテ的なノリと『生オナホとしての好感度ダイス77』なんていう訳の分からん錯覚に陥ってて、強いだけのバカやるのも大変なんやで、もちっとリスペクトしてくれやってくらいの緩い精神状態だったのは認めるスよ! いやハッキリ言って、女みたいなもんオ◯コするだけの道具やんけ、なにムキになっとんねん……とか心の底から本気で思ってたわけじゃないんだって!」

 

「黙れ。自己弁護のために他者の知能レベルまで退行し、架空のパラメーターやネットスラングに責任を押し付けて言い逃れようとする。その自己正当化の浅ましさこそが、蛆虫以下の自己評価の現れだと言っているのだ」

 

 彼女の指がドクターの肩をギリリ、とわずかに強く掴んだ。逃走は絶対に許されない。

 

「君は前回、私という固有の歴史と自我を持つ肉体を『生』という接頭辞で飾った工業的な排泄処理具と同等に扱い、加虐的な支配欲と相互理解の放棄によって私を消費しようと試みた。その果てに私は、夜明けに至る三時間と三十七分を費やして、『テラにおける性倫理観念の形成および発達と宗教的制約の影響』、並びに『オピオイド系受容体とドーパミン異常放出による自己欺瞞の病理』について、君の目が開いている限りの時間を尽くして集中講義を行なったはずだ」

 

「 わ、忘れるわけないだろうがッ! 夜明けまでみっちりテラ人類の解剖学と文化史について強制リスニングさせられ、行為どころか勃起不全になるくらいのダメージを受けたんやからな! 『試してみたいか?』なんて煽られてもMon3tr出てきちゃってるし!……ウ、ウソやろ、こ…こんなことが許されていいのか! なんで今回はただ純粋に手伝いに感謝する純愛フルコンタクトの『親睦のハグ』から入ったのに、またしても同じ地獄の再放送みたいに言葉のガトリングガンを喰らってるのか……オレを騙したのか!?」

 

「私が君を騙しただと? 笑止千万だな。事実の推移すら捏造する君の脳の自己防衛には吐き気すら催す」

 

 ケルシーは一切の哀れみを見せず、淡々と切り捨てた。

 

「いいか、ドクター。私が前回と今回で君に行っている説教のベクトルには何ら差異は存在しない。私が問うているのは常に、君の『認識の解像度の低さ』と『組織における責任逃避のグロテスクさ』だ。前回、君は私という生命体をオナホールとして換言するという言語的レイプ、つまり自己本位なモノ化を通じて、私との他者理解というコストから逃亡し、ひいては自分の劣情だけを低リスクに解消しようと試みた。……そして今回だ。君は『手伝ってくれてありがとう、君は最高だ、愛してる』という表面上は善意や親愛を装ったポジティブなオブラートに包み込んでいるが、本質的にやっていることは何ら変わらない。自分が本来単独で処理解決すべきオーバーワークの果ての限界を、『偶然目の前に現れた代用品』に対して無思慮な感謝とともに投げつけ、『これだけ純粋な情があれば君も許容してくれるだろう』という安直な甘えで私のリソースを無意識に搾取・略奪しようとしている。君が用いる言い回しが『ボボパンしろ』から『手伝ってくれ』に変わっただけで、そこに通底する【己の衝動的利益のために相手の歴史的・軍事的役割を軽視して消費する】という略奪者の行動ロジックは完全な自己相似性を保ったままだ。進歩がないどころの話ではない、悪質にコーティングされている分、より一層タチが悪いと言えよう」

 

「はうっ……!」

 

 ドクターの頭を雷が打ったような衝撃が貫いた。己の無邪気な愛情や感謝というオブラートが、「自分の欲求を通すためなら形を変えた生オナホ扱い=他者消費と根本構造が一緒である」という冷酷な数学的解析によって完全に結びつけられ、完膚なきまでにへし折られたのである。

 

「君は、己が行動を変容させたと自己申告したようだがな。君のように自覚無き依存と搾取のループを抜け出せない者を観測するのはこれが初めてではない。……あえて君の言葉を借りて言うなら、どの世界にも通じることだが……中身のないヤツが数を誇り、薄っぺらい動機を持つ者ほど自身の『善意』や『タフさ』を隠れ蓑にするものだ」

 

「ケルシーがタフ語録使いこなすのはルールで禁止っスよね!?しゃ……しゃあけどケルシー! 男っていうのはそう簡単に進化なんかできねえんだ! 弱き者から狩る……それが人間という悲哀を感じるサガなんだ!」

 

「だからと言って、知性を持った存在が自己研鑽と認識のアップデートを怠り、それをただ環境のせいにするならば、いよいよただの『野獣』へと成り下がるだけだと言っているのだ。サルカズの軍事委員会ですら長き迫害の中で生存戦術の変異を遂げているというのに、ただ部屋の中で座して指揮する君の前頭葉は過去数週間にわたり完全に硬直している。その事実から目を逸らしている限り、君のその薄ら寒い『純愛への路線変更』などという言い訳は一切の担保として機能しない……それにだ、ドクター。君は自らの無軌道な発情と責任放棄が、私という個体に対する無礼にとどまらず、ロドスという組織の中枢、とりわけアーミヤの精神衛生に対してどれほどの致命的ノイズを発生させたか、あの『事後』の朝に痛感したはずだろう?」

 

「え……? ア、アーミヤ……?」

 

 ケルシーの口から放たれたその名前に、ドクターの心臓が物理的に跳ね上がった。限界まで摩耗していたはずの前頭葉に、強烈なアドレナリン――否、純粋な『恐怖』による冷や汗がドッと噴き出した。

 

「忘却したとは言わせない。前回のあの夜、君が私に対して下劣な要求を突きつけ、結果として私が君の無教養な脳髄を朝まで歴史と内分泌学の講義で徹底的に蹂躙した、あの一夜の翌朝のことだ。……君は、自らの軽率な行動のツケを、最も直視したくない形で支払わされたのではなかったか?」

 

「待てよ……よくよく考えたら、俺が今こんなにも精神的に追い詰められ、深夜のオフィスでケルシーの恐怖政治に完全に屈している根本的な原因……その遠因を作ったのは、他でもないケルシー自身の『情報伝達のバグ』だろうがよえーーー!!」

 

 ――そして、ドクターの脳裏には、ケルシーの冷酷な言葉の弾幕を受けながらも、別の「致命的なトラウマ」が鮮明にフラッシュバックしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 ケルシーが容赦なく立ち去り、窓から朝日が差し込む執務室。

 徹夜の説教により一睡もできず、精根尽き果ててデスクに突っ伏していたドクターの元に、静かな足音とともに一人の少女が訪れた。

 

「ドクター、おはようございます。お仕事、お疲れ様です」

 

 ロドス・アイランドの公表リーダーであり、ドクターの最愛の保護対象でもあるアーミヤだった。手には温かいコーヒーが注がれたマグカップが握られている。

 いつものように可憐で優しいウサギの後輩――そう思って顔を上げたドクターだったが、直後、背筋に冷たいものが走った。

 彼女の笑顔が、どこか不自然に固定されていたからだ。そして、その長い耳はピンと張り詰め、周囲の空気を鋭く探るような警戒の色を帯びていた。

 

「ア、アーミヤ……おはよう。どうしたんだ、朝早くから」

 

「はい。ドクターが徹夜で『特別講義』を受けていらっしゃったと聞いて、少し心配になりまして」

 

 ドクン、とドクターの心臓が跳ねた。

 

「と、特別講義……? ああ、うん、まぁ、ヴィクトリアの情勢とか、歴史的なアレコレをな……」

 

「ええ。ケルシー先生から伺いましたよ」

 

 アーミヤはマグカップをデスクにことり、と置いた。その動作は極めて静かだったが、ドクターには処刑台のギロチンが落ちる音のように聞こえた。

 

「昨晩はずっと、ドクターの部屋で二人きりだったそうですね。ドクターが先生に対して、とても『直接的』で『動物的』なご要望をされたため、夜明けまで生物学と組織論について、マンツーマンで指導されていたと」

 

(ウ……ウソやろ、こ…こんなことが許されていいのか!? あのババァ、事の顛末を全部アーミヤにチクりやがったのか!? 悪魔を超えた悪魔! 自分のプライバシーも俺の尊厳も一緒に猿空間送りにする気かッ!)

 

「ち、違うんスよアーミヤ! あれは言葉のあやというか、深夜のノリのバグで……俺は別にケルシー先生に卑猥な要求をしたわけじゃ……」

「『生オナホ的に俺の溜まりに溜まったものを抜いてほしいというか……ボボパンさせろ』……ですよね?」

「ウアアア全部バラられてるーッ! 助ケテクレーッ!!」

 

 一言一句違わぬ正確な復唱。ドクターは頭を抱えて机に突っ伏した。ロドスのCEOたる清廉潔白な少女の口から、己の最低最悪な性欲のテキストが出力されるという精神的拷問。

 

 しかし、アーミヤの追及は「軽蔑」や「怒り」のベクトルへは向かわなかった。

 彼女はゆっくりとドクターの側に歩み寄り、その小さな手で、ドクターの袖をぎゅっと掴んだ。

 

「……ドクター。どうして、私には言ってくださらないんですか?」

 

 ドクターが恐る恐る顔を上げると、アーミヤの瞳からは普段のハイライトが失われ、深淵のように昏く沈んだ色が渦巻いていた。彼女の持つ魔王の因子、アーツによる感情の共鳴が、室内の重力を数倍に跳ね上げているかのようだった。

 

「ううんどういうことだアーミヤ……?」

 

「私は、ドクターのそういう対象には出来ないんですか?」

 

 しんと静まり返る執務室。アーミヤの問いは、あまりにも重く、そして痛切だった。

 

「私が……ドクターの欲求を満たす相手として、不足しているからですか? それは、私のこの鉱石病が問題なんですか?」

 

 アーミヤは自らの右手をドクターの前に差し出した。そこには、彼女の命を確実に削り続けている、黒く鋭い源石の結晶が痛々しく隆起している。

 

「私の身体は、先生のように綺麗じゃないから……だから、嫌なんですか?大人のケルシー先生の方が、魅力的なんですか? 私では……ドクターの心を、身体を癒やすことはできませんか? ドクターが苦しんでいるのに、私には……頼ってくださらないんですか?」

 

 アーミヤの声がわずかに震えていた。単なる嫉妬という言葉では片付けられない、ロドスという組織の重圧を背負う少女の唯一の精神的支柱に対する強烈な依存と独占欲の露見だった。他人の感情を読み取るアーツを持つ彼女にとって、ドクターが自分以外の女性に「本能のままに甘えた」という事実は、自己の存在意義を根底から揺るがすほどの衝撃らしい。

 ドクターは滝のような冷や汗を流しながら、必死に弁明の言葉を紡ぎ出した。

 

「アーミヤ、よく聞いてくれ! お前のことが嫌いとか、魅力がないとか、そういうんじゃないんだ! むしろ逆! アーミヤをいけない目で見るなんて無理です! 絶対に無理なんだよ!」

「どうしてですか……?」

「色々と罪悪感が湧いてくるし、何よりそんなことしたら、間違いなくケルシー先生に物理的に『はいっクズ確定。ぶっ殺します』ってやられて、背中からMon3trのバルディッシュの斬撃で一太刀で切断されかねないんだよね怖くない!?」

 

 ドクターは身振りを交えて必死に説得を試みる。

 

「それに……アーミヤはまだ歳も子供だし、ロドスのCEOとしてみんなを引っ張る立派なリーダーだけど……俺から見たら、どうしても愛しい『娘感覚』と思うのが俺なんだよね!」

「娘……ですか」

 

 アーミヤはぽつりと呟いた。その言葉を反芻するように、目を伏せる。

 

「ドクターは、私のことを……そう思って……」

「あ、ああ! だから俺にとってアーミヤは、絶対に汚しちゃいけない聖域みたいなもんなんだ!まぁ安心して、俺にとって君は家族みたいな存在で尊い存在なんだ安心感が深まるんだ!」

 

 必死の弁明。

 沈黙が落ちる。アーミヤはしばらく俯いたままだったが、やがて顔を上げると、いつもの可憐で優しい笑顔――しかし、どこか影を落としたような微笑みを浮かべた。

 

「……遅かれ早かれ、ドクターは私の選択を理解してくれる……そうですよね」

 

「えっ」

 

「わかりました。ドクターが私を『娘』として大切に思ってくださっていること、心に刻んでおきます。でも……」

 

 アーミヤはドクターの耳元にそっと顔を近づけ、吐息がかかる距離で囁いた。

 

「私も、いつまでも子供のままではありませんから。ドクターがこれ以上、他の方に……『そういうこと』をお願いするくらいなら、私が全部、受け止めますからね。……私を、許してください」

 

 魔王としての底知れぬ器の大きさと、純粋すぎるがゆえの重い執着が入り混じった、逃れられない呪詛のような言葉。

 アーミヤはそれだけ言うと、「お仕事、頑張ってくださいね」と一礼し、静かに執務室を去っていったのだった。

 

 

(――あの時のアーミヤの目……あれはマジでヤバかった。完全に『自分以外の女に逃げるなら私が全部管理する』っていう暗黒メガコーポのトップみたいな包囲網を敷かれてるって感覚!そのうちドクターを監禁部屋へご案内だGOーーー!されそうでリラックス出来ませんね……)

 

 

 あの数日間のアーミヤからの『完全なる氷の対応』。それはどんな激務よりも、どんな拷問よりも恐ろしい地獄だった。 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「思い出したようだな。……あの朝、君がアーミヤの『承認欲求』と『一人の女性としての自尊心』を不用意な言語選択によって完膚なきまでにへし折り、結果としてロドスの中枢指揮系統に致命的な精神的ノイズを発生させたという事実を」

 

「や、やめてくれケルシー……! あの時のことは俺も死ぬほど反省した! だからその後、俺が土下座せんばかりに謝り倒して、なんとか機嫌を直してもらったんやないか……!そもそもケルシーがアーミヤに話さなければよかったヤンケ!」

 

「私が言いたいのは、君のその場しのぎの謝罪の有無ではない。君の『軽率な発情と依存』が、周囲の人間関係という極めて繊細な生態系にどれほどの破壊的波及効果をもたらすかという、リスク管理能力の決定的な欠如についてだ。そもそも私が報告せずとも、君のその衣服に付着した私の微かな薬品の匂いや、君自身の異常なドーパミン分泌の痕跡を、彼女の持つ特異な感情感知アーツが見逃すと思っているのか? 君は自覚していないだろうが、君の愚行は常に、アーミヤという少女の心を無自覚に切り裂く刃として機能しているのだ」

 

( 俺の『甘え』が、巡り巡って一番大切にしたいアーミヤを傷つける凶器になっていたというのかッ……! 禁断の精神的ダメージ“二度打ち”や……!)

 

「だからこそ、私は君のこの行動を『悪意なきテロリズム』だと断じている」

 

 ケルシーは一切の容赦なく、完全にドクターの退路を断った。

 

「君は、自身が背負う『ドクター』という記号の重さを理解していない。君が誰かに甘え、誰かに依存するということは、それを取り巻くすべての関係性を歪めるということだ。アーミヤは君を光だと信じている。その光が、深夜の密室で私に対して『処理の手伝い』という名目のもとに安易な性的・精神的依存を求めていると知れば、彼女の信じる世界そのものが崩壊する。君は、自分の疲労を言い訳にして、彼女の心を殺そうとしているのだ」

 

「う……ああ……っ」

 

 ドクターの目から、本物の涙が滲んだ。

 自分がただ「疲れた、助けて」とすがりついた行為が、細菌感染のリスクから組織論の崩壊、果ては最も愛するアーミヤの心を粉砕する裏切り行為へと、完璧な論理の鎖で結び付けられてしまったのだ。

 

「……そもそも。君は本当に前回の説教の内容を正確にインストールしていると本気で信じているのか? 先日の三十時間以上に及ぶ作戦評価の際に、私が一度『君にそのような指示を与えた記憶はない』と叱責した事案があるはずだ。大脳皮質において長期記憶へと結びつくエンコーディングが、度重なる睡眠不足によって海馬内で完全に揮発し続けている。お前変なクスリでもやってるのかと疑わざるを得ないほどに、君の情報の蓄積・保存のプロトコルは破綻している。……そのようなポンコツめいた状態で、どうやって君はこの先、テラの大地において歴史的連続性を持った思考実験や、過去数万年を巡る私の話に随伴できるというのだ?」

 

(ぐ、ぐうぅ……っ!! ケルシー先生、一つだけ貴方に言いたい事があるんです。あなたは容赦がなさすぎる悪魔を超えた悪魔だ……ッ!)

 

 反論は完全に底を突いた。「変わった……? 進化したと言うてくれや」と縋りたいところだったが、自尊心の欠片もないことを再確認させられ、ドクターの精神における『反抗心』はすでに死骸と化していた。

 

「理解したか、ドクター。君が自分の愚かさを認められないがために繰り広げる『自己防衛のタフ語録』なる記号的な防壁も、そして純愛でコーティングした欺瞞も、テラの論理力学においては無効だと」

 

( 待てよ、俺は今回はただ二人で寄り添いながら「尊い絆」を確認し合う純愛ラブコメをしたかっただけなのに……嘘やろこんなことが許されていいのか……!!)

 

「……ま、待てよ! ならせめて情報の機密性は!? 一部の中核作戦の情報はPRTSでも自動化できない。国家の闇に関する機密データの扱いは、責任を持てる最上層……俺が一人で閲覧して握り潰すべき性質のものであるはずだ! 他のオペレーターに投げたらそこがスパイのハッキングへの入り口になる! 忌憚のない意見って奴っス!」

 

 渾身の意地。情報の安全性を盾に取る、マネモブらしからぬ詭弁の抵抗である。

 

 しかし。

 そんなものは、ケルシーの思考領域においては、取るに足らない路傍の石に過ぎなかった。

 

「……インテリジェンス・リスクの保全。なるほど、次はその言い訳に逃げるか。では、心理史学的な国家解体例と、現代のセキュリティ要件における最大の『バックドア』の話をしてやろう。歴史的な大敗北の記録を紐解けば、数百年単位で繁栄した大帝国……かつてのガリアがなぜ脆くも解体へと追いやられ、初期リターニアの選帝侯がどのように腐敗したか。それらは外敵の軍備によってのみ打ち倒されたわけではない。最高権力者が情報秘匿という名のパラノイアに囚われ、全ての決裁権と真実へのアクセスを自身の一つの中央制御盤に独占し続けた結果発生した、『意思決定機構と現場との凄惨な情報のラグ』こそが自壊の第一要因だった。自分という人間以外は全て情報流出の穴であるという被害妄想が、最終的にシステムそのものを硬直死させたのだ」

 

「それが今の俺だっていいたいスか!?」

 

「その通りだ。さらに付け加えようか。現在の君が言う『完璧なファイアウォールとしての俺自身』が、一体どれほど滑稽なジョークなのかを。睡眠という記憶の長期固定プロセス、レム睡眠・ノンレム睡眠サイクルを著しく奪われた大脳の海馬は、高次機密の秘匿パスと日常的な無関係の一時記憶との弁別が一切つかなくなる深刻なエラーを引き起こす。機密漏洩を防ぐと言いながら、まさに今この数分前の行動で君は自らどう動いた? 『機密』と言いながら私へ抱き着き、私が何らかの確認コードも出す前に、『このクソみたいな処理をやってくれるならなんだってする』と最高機密の委譲を勝手にもちかけてきたのだぞ」

 

「あ……」

 

「君が情報漏洩を防波堤で止めていると信じ込んでいるのなら。……残念ながら、今、この部屋の中で最大の歩くセキュリティ・ホールはドクター、君自身だ。私に変装したリターニアのスパイや、サルカズの『変形者』がこの部屋の扉を開けて君に抱きしめ返していたら、数分後にはロドスの本質的な中核パスワードも各国の王との直通連絡コードもすべてハッキングされ、朝を待たずにアーミヤの命は摘み取られていた。これが、自己愛に浸り自虐的に残業しているマゾヒスト男の防備の現実だ」

 

(つまり『はっきり言ってそれは病気だから、放置すれば組織が死ぬよ』ってことやん! あらゆる理屈が「お前の睡眠不足のせいで俺たちロドスが危機に晒される」っていう因果に結びつけられてフルボッコにされるゥ! 言葉のミサイル……と言うより言葉の絨毯爆撃ッて感覚!!)

 

 力なく膝の崩れそうになるドクター。ドーパミンの効き目は既にゼロになりつつある。冷徹で巨大すぎる論理の前に立つ一介の「ヒト」は、その限界を否応なく突き付けられた。

 

「まだ終わらないぞ、ドクター」

 

 だが。ケルシーの追い討ちは、ドクターという男の無能を最も決定的に切り裂く最後のポイントへ到達しようとしていた。

 

「君という男が口にした最大の、そして組織論上絶対に許されざる発言について、だ。この言葉に対する君自身の認識の甘さを問いたださなければ、ロドスの上層管理者として君を生かしておく価値を見直さざるを得ない」

 

「え、ちょ……俺、もう致命傷を超えたダメージ喰らってるんスけどオーバーキルはルールで禁止っスよね……」

 

「聞け。『終わったら、あくまで私個人にできる範囲には限るけど……何でもお願いを一つ聞いてあげる』……君は私に、確かにそう放言したな」

 

 その言葉のリプライ。ケルシーのエメラルドの瞳が細められ、室内の空気がこれまで以上に凍り付いたような錯覚に陥った。背中を捉える万力の力が少しだけ深々と食い込む。

 

「いやちょっと待てよ……それはただの善意で、ご機嫌とりのサービス文句っていうか個人にできること限定で一緒にご飯食べに行くとか、個人的に欲しいものをプレゼントするとか……なんで真顔で『国家反逆』みたいな目つきしてんだよえーーーーっ!!」

 

「『ご機嫌取り』? ドクター。それはただの自己保身のための脆弱な弁解であり、戦場に生きる指揮官が用いる言語の強度としてはあまりにも紙装甲だ」

 

 淡々とケルシーは冷たく突き放す。

 

「『私個人の範囲』という言い回しが保険になるとでも信じていたか。笑えるな、その言葉遊びこそが最たる致命傷だ。君は自身の存在そのものを矮小化しているが、現状において君とロドスの境界線など既に完全に融解し癒着している。君が個人的に有するサイン一つ、承認パスワード一つは、この大地の数万人という規模の人間を直接的に救うか、あるいは殺すだけの強大なトリガーとなっている。……いいか? もし私がこの言葉に便乗し、ドクター、君『個人』に対して『私の個人的な趣味として、ケルシー個人の要請でとある兵器企業の工場のバックアップをダウンさせてほしい。もちろん軍務ではなくドクターのお手伝い感覚で』と命令を下した場合、君はそれを『ロドスの方針に背くからできません』と論理矛盾を起こさずに否定する回路を有しているのか?」

 

「ククク……酷い言われようだな……!」

 

「『ケルシーになら無条件で丸投げしても安全だろう』という、これまでの時間に基づく単なる主観的な属人評価、いわば感情的な自己洗脳、オキシトシンの錯誤によって、君は絶対に行ってはならない『自己の権限の白紙委任』を切って見せたのだ。自分一人で抱える重圧に耐えかねた脳の劣化が生み出したのは、『考えるのをやめたい、全責任から逃げ出したい』という赤子の依存への後退。つまり退行だ」

 

「俺が……責任から逃亡してるだと!?」

 

「それ以外に、全軍事権を握る者が深夜の密室で第三者へ『何でも命令を聞く』と言ってすがりつく姿を説明できる病名があるのならば教えてもらおうか。君は徹夜仕事というハードワークを行って責任を果たしているのではなく、思考というもっともカロリーを使う自己責任の城郭から脱走し、脳髄の権限を私へ投げただけだ。私から言えば、君の徹夜は立派に頑張る男の背中ではなく、『決断ができずにウジウジとその場を彷徨い歩くだけの知的機能の廃人』だ」

 

(ぐあああああッ!! 男の最後の最後のプライドだった『頑張り』すらも、責任逃れだと真っ向から両断されたッ!! ケルシー……恐ろしい女……!)

 

「け……ケルシー。お見事です……あなたがにらんだ通り、俺は愚かな無責任男だったっス……もう勘弁してください……ワシに温かい休息とベッドを……お願いしやす……」

 

「白旗を上げるのが二千秒遅かったな」

 

 急速な絶望感と精神的制裁のフルコースにより、ドクターの体内におけるあらゆるエネルギー生成経路は限界を迎えていた。血中のブドウ糖が脳に行き届かず、両膝の震えがもう止まらない。アドレナリンやドーパミンはすでに枯れ果て、視界は急激に暗闇へと染まっていく。

 

「もう反論の声帯は稼働しないならば口を開くことは許可しない。君の前頭葉の活動リソースは私の『精神的かつ情報過密な暴力的論理』の注入によって限界を超過し、自己シャットダウン――強制休眠スタンへと陥るしかなかったというわけだ。私が見込んだ通りの最速最短の『気絶プロトコル』だった。身体に一切外傷を与えずに脳を強制シャットダウンするには、これ以上の手法はないからな」

 

「し、催眠モノへの……滑り……見事やな……」

 

「黙って寝ろ、馬鹿者が」

 

 彼の中に残っていたタフへの執着さえ、かすかな寝息と共に空へ溶けていく。ケルシーの腕の中で完全にドクターの身体の緊張は消え、彼から放たれるのは、疲労困憊して力尽きた者特有の深く泥のような静寂な呼吸の音だけになった。

 

 

 

 

 

     ▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 

 ――――しばらくの後。

 

 

 

 ケルシーは一切の無駄な力を使うことなく、人間工学的に洗練された体重移動だけで、男の躯のように重い肉体を持ち上げ、部屋の脇に設えられていた休息用のロングソファへそっと寝かせた。クローゼットから抗菌処理された専用のウール・ブランケットを引き出すと、それを手際よくドクターの肩からつま先まですっぽりと覆い隠す。

 

「これほどの無知で傲慢で、自意識だけが膨れ上がった無様な指揮官など、歴史を見渡せばただ暗殺されて砂漠に打ち捨てられるべき存在なのだがな。どうして君はまだ生き長らえ、そして私がこのように処置を施しているのか……それ自体が大地の論理に反した最大のバグだと、つくづく思わざるを得ない」

 

 誰も聞く者のいない暗闇の部屋で、冷ややかな声音がただ反響する。

 

 彼女は一歩ドクターの寝顔から離れると、振り返って――男が抱え込んで破滅を迎えようとしていた膨大な書類の山と、数枚の電子データモニターの列へと歩み寄った。

 

「『一つ何でも願いを聞く』と」

 

 ポケットから冷え切った自らの手袋を引き上げ、彼女は慣れた手つきで指揮官席に座る。画面を起動するキーを素早く叩きながら、彼女の唇はかすかに、だが決定的にこれまで見せなかった温もりを孕んで言葉を漏らした。

 

「そんな脆弱で法的な実態を持たない言語プロトコルに、何の価値があると本気で思ったのだ? 私が数万年を掛けてでも為し得たかったこと……あるいは今こうして、私が自分の意志で背負っているものに対する対価として到底支払える重さなど存在しない」

 

 小気味良く響き渡るタイピング音。それは軍隊が正確に一糸乱れず行進するような完璧なデータ整理と承認作業のリズムだった。

 

「私の願いなど。……明日も、明後日も、そして何年経っても……君がただこうして生き延び、この理不尽な泥だらけの大地の中でアーミヤと一日でも長く笑ってくれること。ただ、それだけだ。それが叶うなら他のことはどうでもいい」

 

 眠りこけた彼の耳には、その言葉は一生届かないだろう。

 

「まったく。……私らしくもなく、論理破綻した非効率な愛憎だ」

 

 彼女はふと窓のブラインドの奥、ロドス本艦の装甲を越えて微かに覗く星空へと一瞬だけ目を向け。誰も知らない、凍結されたエメラルドの奥でほんの僅かな微睡みのように優しく弧を描く微笑みを残した。

 

 ケルシーは一切の感情を挟まぬような顔をして、しかし誰も居ない空間で一人。その愛しき彼の残務を朝日が昇る直前までただ静かに肩代わりし続けていた。

 

 

 

 

 

 

「やっぱりケルシー先生もドクターの事が好きだったんですね……」

 

────なお、この後彼女がドクターの部屋から出た瞬間を目撃されアーミヤに再び詰め寄られるマネモブドクターの運命や如何に。

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