「吸えッ! 肺胞の最後の一粒が弾けるまで、天の気を喰らい尽くせッ!!」
ストレイツォの罵声が、氷壁に反響して徐庶(じょしょ)の鼓膜を叩く。
鼻骨を砕かれたあの日から、徐庶の「人間としての時間」は止まった。代わりに始まったのは、一呼吸ごとに生と死の境界を綱渡りする、五年に及ぶ【基礎呼吸の練成】であった。
パミール高原の空気は、中原の半分ほども薄い。
普通ならば、立っているだけで意識が遠のくその極高地で、徐庶に課されたのは「一分間かけて吸い、一分間かけて吐き出す」という、生化学的な拷問に等しい呼吸法であった。
「……あ……が……はあ……ッ!!」
徐庶の肺が、内側から焼け付くような熱を発する。
地上の二倍近い膨張圧(ぼうちょうあつ)が、希薄な大気を求めて肺胞を内側から押し広げようとする。本来ならば、組織が耐えきれず破裂(気胸)し、鮮血を吹いて絶命するはずの負荷。
だが、ストレイツォはそれを「吸着の波紋」で制御することを命じた。
(……肺を……繋ぎ止めろ……。波紋の粘りで、細胞の壁を……鋼のように補強するんだッ!)
徐庶は、自らの肺の形状を意識の奥底で凝視した。
膨らもうとする空気の暴威を、波紋の微細な振動で包み込み、破裂の寸前で繋ぎ止める。すると、肺は破れる代わりに「巨大化」を始めた。
五年の歳月をかけ、徐庶の胸郭は目に見えて厚みを増し、その奥に収まる肺は、常人の数倍の表面積を持つ『大気を喰らう臓器』へと進化を遂げていた。
「……次は、吐き出せ。一滴の残滓(ざんし)も残さず、魂の澱(よどみ)を絞り出せッ!」
吐く息が、極寒の空気と触れて火花のような静電気を散らす。
一九八年。修行開始から五年。
徐庶の肉体からは、中原で蓄積された不浄な贅肉が完全に削ぎ落とされていた。
残されたのは、一呼吸ごとに黄金の輝きを血液へ送り出すための、しなやかで強靭な筋繊維の束。
「……徐庶よ。お前の『器』は、今ようやく完成した」
ストレイツォは、雪の上に胡坐(あぐら)をかく徐庶を見下ろした。
五年前は死に体の病人同然だった青年が、今や、吹雪の中でも肌から白煙(ゆげ)を立て、周囲の雪を熱量だけで溶かす「生命の発電機」と化している。
「だが、器を広げただけでは、闇の王の首には届かん。……これからは、その溢れる力を『支配』する術を学んでもらう」
ストレイツォの手には、一鉢の白い塊があった。
「……明日からは、これがお前の師であり、かつ唯一の食料だ」
徐庶の前に置かれたのは、ぷるぷると震える、純白の水豆腐(すいとうふ)であった。