「……十万の……家畜。……帝国という名の……人間牧場」
孔明の呟きは、夜の風に乗って廃観跡に冷たく響いた。
軍略の天才である彼の脳内では、曹操がこれまでに行ってきた不可解な施策の数々が、おぞましい合理性を持って再構築されていた。
二人は馬を返し、再び隆中へと向かう。道中、徐庶は自らの血液を巡らせ、波紋の熱で夜の冷気を撥ね退けながら、孔明の分析に耳を傾けた。
「徐庶よ、貴殿の話とあの森を開墾して以降の曹操の行状を重ねると……徐州での虐殺の理由や官渡の役における、あの異常な戦勝の正体が見えてくる。曹操は、兵站という軍学の根幹を、石仮面によって破壊したのだ」
孔明は手綱を捌きながら、官渡における不自然な記録を紐解いていく。
「袁紹軍は七十万という圧倒的な兵数を誇り、曹軍はわずか数万。本来ならば、物量の差で曹軍は押し潰されるはずであった。また当時、曹操の領地はひどい飢饉に見舞われ、軍の食糧も乏しく、戦域では『人相食む』とすら囁かれる極限状態であった。だが、曹操は笑っていたという。……なぜか?奴にとって、飢えに喘ぐ民や兵、果ては捕らえた袁紹軍の捕虜は、不足を補う糧(かて)に過ぎぬからだッ!」
「……『食事』をしながら進軍した、というのか」
「然り。曹操は飢えた兵に自らの『死血』を注ぎ、五体が砕けぬ限り進撃を止めぬ屍生人(アンデッド)へと作り替えた。……さらに恐るべきはその補給だ。侵略し、敵を喰らえば、それは敵軍の殲滅であると同時に、自軍への完全なる『血の補充』となる。……曹操は、戦争そのものを『捕食の儀式』へと変質させたのだッ!」
孔明の声が、馬上の闇に低く響く。
「その証左は他にもある。曹操の直属精鋭――『虎豹騎』だ。この部隊の強さと進撃速度は、もはや兵法の常識を逸脱している。一晩に数百里を駆け抜け、休息も取らずに敵を蹂躙するその姿は、血肉を持った人間とは思えぬ。……恐らくは、適合した半吸血鬼の将軍たちが率いる、屍生人の精鋭部隊と見て間違いない」
徐庶は沈痛な面持ちで、その推測を肯定するように頷いた。孔明は続ける。
「……更に、曹操が始めた『屯田制』。あれもまた、慈悲などではないな」
孔明の羽扇が、虚空を冷徹に薙いだ。
「表向きは荒廃した土地を耕し、民を養うための開墾政策だが……その実態は、いかなる時であっても『新鮮な供物』を常に一定数確保しておくための肥育場。……捕食者が飢えた時、いつでも手を伸ばせる距離に、健康な人間を繋ぎ止めておくための檻に過ぎぬのだッ!」
「……許せん」
徐庶の肺が、激しく、深く波打った。
「……だが徐庶よ、相手はすでに『国』という巨大な機構をその手に収めている。我々二人が刃向かったところで何も変えられまい」
「これを…これを黙って見ていろ、というのか!?」
「そうではない。相手が国なら、こちらも国で対抗するまで…一対一の戦いとなれば、私は門外漢だ。だが、国と国とが相対する戦略においては、学んできた兵法と政の理(ことわり)がある。……それらが通じぬ道理はなかろう?」
孔明は羽扇を静かに扇いだ。
「もっとも、相手が人の理から外れた存在であるならば……その理を打ち破る術もまた、人の側に用意せねばならぬ。貴殿の言う波紋という功夫、それが鍵となるのなら――私はそれを理解し、戦の算段に組み込もう」
そして徐庶を静かに見た。
「勝ちを望むのではない。……勝てる形を作る。そのための一手だ」
二人の馬は、再び隆中の庵の門を潜った。
月光の下、静まり返った庵の庭。移動の沈黙は終わり、ここからは「闇」に対抗するための「黄金」の伝承が始まる。