第四章:新野の風、死血を払う波紋
建安八年(西暦二〇三年)、新野。
凍てつく冬が明け、芽吹き始めた早春の風の中に、大陸の運命を左右する「黄金の律動」が響き始めていた。
「……遅いッ! 呼吸が乱れているぞ! 足並みを揃え、隣の者の鼓動を感じろッ!」
演武場に、徐庶の鋭い怒号が飛ぶ。
劉備に仕官して数ヶ月。彼が最初に着手したのは、新野軍の徹底的な『再編と調練』であった。関羽や張飛といった万人の敵と謳われる猛将を擁しながらも、その配下の兵たちは連戦連敗の傷を負い、士気は低迷し、呼吸は浅く乱れていた。
「徐庶殿、いささか厳しすぎはしまいか? 我ら新野の兵は、皆、死線を潜り抜けてきた者たちだ。……だが、この調練はまるで……」
見守る劉備が、心痛な面持ちで口を開く。徐庶は手を休めず、主君に向き直った。
「主公。……我らがこれから相対するのは、単なる兵士ではありません。奴らは恐怖を知らず、死を恐れぬ異様な規律を持った軍勢です。……兵一人ひとりが個として戦えば、一瞬でその気圧(けお)され、呑まれる。……必要なのは、数千の兵を一つの巨大な『肺』へと変える、一糸乱れぬ共鳴なのですッ!」
(……ここで徐庶が狙ったのは、波紋の『集団励起』であったッ!
修行を積まぬ一般兵であっても、生きている限り、その体内には微弱な生命エネルギー――すなわち波紋の萌芽が常に漏出している。
個々の力は灯火にも満たぬが、数千人が同じリズムで呼吸し、同じ歩調で大地を踏みしめることで、その微弱な波動は巨大な共鳴へと変わる。
それは、司空府の放つ『負の圧迫』を撥ね退け、兵たちの精神を鋼の如く守る、見えざる黄金の城壁となるのであるッ!!)
徐庶は、自らも兵たちと共に泥にまみれ、その肺に波紋の熱を送り込んで回った。
「……いいか、絶望するな。……隣にいる戦友の呼吸を聴け。それが重なったとき、お前たちの血は太陽の輝きを帯びる。……我らが最も恐れるべきは、己の心の乱れだ。黄金の団結こそが、闇を払う唯一の道だッ!」
四年後。この奇妙な調練の噂は、近隣の樊城へと伝わった。
そこには、曹操の従弟であり、司空府の最精鋭を預かる猛将・曹仁が駐屯していた。
「……新野のネズミどもが、妙な踊りを調教されているようだな」
樊城の司令室。月の光を浴びる曹仁の肌は、人間離れした青白さを帯び、その血管には曹操から分け与えられた不浄な『死血』が脈打っていた。彼は適合した「半吸血鬼」として、常人の数倍の筋力と、斬られても即座に塞がる再生能力を手に入れていたのである。
「……軍師・徐庶か。……面白い。わが『闇の戦法』の前に、その規律と団結とやらがどこまで耐えられるか、試してやろうではないか」
曹仁の口角が、鋭い牙を覗かせて歪んだ。
二〇七年、臘月(ろうげつ/十二月)。新野の小さな風が、ついに巨大な帝国の「捕食の理」と、正面から激突する刻が迫っていた。