数日後。新野の平原を埋め尽くしたのは、曹仁が率いる司空府の本隊――三万の軍勢であった。
だが、その陣容を目にした徐庶の瞳には、かつてない鋭い殺気が宿っていた。
「……あれは、単なる八門金鎖の陣ではない。……闇の門だ」
徐庶の視界には、陣の要所(生門、景門、開門など)に配置された、血の気の失せた巨躯の将軍たちが捉えられていた。彼らは曹操から直々に死血を分け与えられた「適合者」の端くれであり、その立ち位置そのものが、兵たちの恐怖を吸い上げ、陣全体に「負の波動」を巡らせる巨大な呪詛の回路として機能していたのである。
(……これこそが、司空府の生み出した戦慄の陣法であったッ!
個々の兵士は人間であっても、陣形の中枢に吸血の将を配することで、軍全体を一つの『巨大な捕食器官』へと変容させる。
一度その中に踏み込めば、兵士たちは五感を狂わされ、暗闇の中で自らの影に怯え、最後には内側から精神を喰い破られて自壊する。……後の軍学者が『八門金鎖は入れば出られぬ迷宮なり』と記したのは、この非人道的な精神支配への畏怖に他ならぬのであるッ!!)
「……徐庶殿、いかがする。……あの陣からは、身の毛もよだつ死の臭いが漂っておるぞ」
関羽が青龍偃月刀を握り直し、低く唸った。
「恐れることはありません、雲長殿。……闇が回路を成すというのなら、我らはその回路を『黄金の光』で焼き切るのみです」
徐庶は、あらかじめ調練を重ねてきた新野の兵たちに、複雑な旗信号を送った。
「趙子龍殿ッ! 貴殿が『龍の牙』となって、あの陣の『生門』から突入してくださいッ!!」
「承知仕ったッ!!」
白馬に跨り、銀の長槍を掲げた趙雲が、一条の光となって敵陣へと躍り出た。
趙雲という男は、生まれ持った生命エネルギー(波紋の素質)が常人を遥かに凌駕している。彼が駆け抜ける軌跡は、それだけで闇の結界を切り裂く「光の道」となった。
「……皆の者、呼吸を合わせろッ! 子龍殿が切り拓いた道に、我らの共鳴を流し込むのだッ!!」
徐庶が命じたのは、攻撃ではない。
長い鎖の端を持ったままの趙雲を先頭としてV字型の突撃陣形を維持し、歩兵たちが手に手に鎖の中腹を掴んで一斉に同じリズムの呼吸を刻むことで、軍全体を「巨大な波紋の伝導線」へと変えること。
趙雲が敵の中枢(適合者の将軍)を突き破る瞬間、長く伸びた鎖のもう一端を徐庶が拳で叩き、放った「黄金太陽波紋疾走」が兵たちの共鳴を媒体として、陣の回路を一気に駆け抜けた。
ドォォォォォォォンッ!!
「ぎゃあああああああああああッ!!」
断末魔の叫びを上げたのは、曹軍の将軍たちであった。
物理的な刃を通さぬはずの彼らの肉体が、徐庶の放った波紋の衝撃と激突した瞬間、内側から沸騰するように黄金の炎を上げ、崩れ落ちたのである。
陣の中枢を支えていた「柱」を失った八門金鎖の陣は、魔法が解けたかのように霧散し、ただの混乱した敗残兵の群れへと成り果てた。
「……ば、馬鹿なッ! わが陣が、これほど容易く……ッ!」
樊城の奥で、曹仁は自らの指先から不浄な冷気が蒸発し、皮膚が粟立つような戦慄に身を震わせていた。
「……徐庶……。貴様、一体何をした。……その呼吸、その異様な輝き……。……我ら『選ばれた一族』の命を、ゴミ屑のように焼き払うその力……。貴様、人間ではないのかッ!」
戦場には、新野の兵たちが上げた勝利の歓声が響き渡る。
だが、その歓喜の陰で、曹軍の老軍師・程昱だけは冷静であった。彼は砕け散った陣の残骸を見つめながら、徐庶という男の「弱点」を、冷徹に手繰り寄せていた。