【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

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三顧の果て、天下三分の計

建安十三年(二〇八年)、三月。

 

隆中の庵を包む春の陽光は、万物の呼吸を優しく整えていた。だが、その静謐な庭とは対照的に、室内には地図を挟んで、歴史の地殻変動が起きようとするほどの重圧が満ちていた。

 

「……左将軍。まずはこの地図を、直視していただきましょう」

諸葛孔明は羽扇で北を指した。

「……北の曹操。奴はもはや単なる逆賊ではありません。恐怖と密告、そして得体の知れぬ『呪い』のような情報網を中原の隅々にまで張り巡らせ、官僚も民もその巨大な支配系に組み込んだ。漢室は既に内側から喰い破られ、もはや曹操という意志がすべてを司る、異形なる『帝国』へと変質している。……これを討つには、貴殿が新野という小城で踏ん張るだけでは、蟷螂の斧に過ぎませぬ」

孔明の扇が、今度は東へ走る。

 

「……東の呉。孫氏が三代にわたり培ったこの地もまた、広大な領土と強固な団結を誇る一つの『国』として完成している。……翻って、貴殿はどうだ。……将軍の『徳』を慕う者は多いが、その足場となるべき国がない。……帝国に対抗するには、略奪者の牙に対し、こちらも『国』という名の盾を持たねばならぬのです」

孔明の瞳が、獲物を射抜く猛禽の如く鋭くなった。

 

「……では、我らはどこに国を築くべきか。……ここ荊州、そして西の益州です。……北の曹操、東の孫権。そして南西に貴殿が陣取る。……天下を三つの勢力に分断し、互いを牽制させ、曹操の『侵略の連鎖』を物理的に断ち切る。……これこそが、私の描く『天下三分の計』にございます」

そこで孔明は、言葉の刃を劉備の胸元へ突きつけた。

 

「……だが、左将軍。国を創るには、地の利が必要だ。……今すぐ、貴殿を信じて身を寄せさせた荊州の劉表殿を殺し、その地を奪いなさい。……次いで西へ走り、同じく同族の益州の劉璋殿を殺し、その地を奪いなさい。……友の返り血を浴び、その屍を礎にしてのみ、貴殿の国は産声を上げる。……これこそが最短、かつ唯一の『正解』です。……貴殿は、どちらを先に殺しますか?」

劉備の肺が、爆発的な吸気と共に激しく震えた。

地図の上に示された荊州と益州。そこには、自分を温かく迎え入れてくれた友の顔があり、その下で懸命に生きる何百万もの民の呼吸があった。

 

「……できない」

劉備の絞り出すような声が、庵の静寂を切り裂いた。

「……先生。……私は、そんなことはできない。……劉表殿も、劉璋殿も、同じ漢室に連なる一族であり、私を信じてくれた友だ。……彼らを殺して地を奪うことが、曹操の闇を払うための代償だというのなら、私は喜んで新野の小城で朽ち果てよう。……たとえ愚かと言われようとも、私は人の道を外れてまで、天下を掴もうとは思わぬッ!」

関羽が、張飛が、兄の背中に宿る「不動の義」に打たれ、深く頭を垂れる。

孔明は、冷徹な仮面を崩さず、さらに劉備を追い詰めた。

 

「……ならば、貴殿はここで見殺しにするのですか? ……貴殿が地を奪わねば、曹操の魔の手が南下した瞬間、荊州と益州の民は、逃げ場もなく地獄の業火に焼かれることになる。……貴殿の『仁』とやらは、友を裏切らぬ代わりに、数百万の民を絶望へ突き落とすというのかッ!」

「……ああ、そうだ! だからこそ、先生ッ!」

劉備は立ち上がり、孔明の両肩を、ひび割れた大きな手で掴んだ。

「……私は、奪うことはできぬ。だが、守りたいのだ! ……悪逆の曹操が侵略し、民を虐殺するその前に……どうか、先生の知略で、荊州の民を、益州の民を、彼らの平穏な呼吸を助けてやってはくれまいか! ……私の命など、どうなっても構わぬ。……ただ、彼らをお救い願いたいのだッ!!」

劉備の瞳から溢れ出したのは、打算なき慟哭であった。

己が王になるためではなく、ただ「目の前の人を救いたい」という一点にのみ、全生命を懸けた絶叫。

それは、理(ことわり)での統治を信じてきた孔明にとって、計算機を物理的に破壊されるほどの衝撃であった。

 

「…………」

孔明の羽扇が、手元から滑り落ち、畳の上で力なく跳ねた。

若き賢者は、呆然としたまま劉備を見上げ、やがて……その肩を震わせ始めた。

「……ふ。……ふふふ……はははははッ!!」

孔明は、腹を抱えて笑った。

「……素晴らしい。……とんでもないお人好しだ。……徐元直が惚れ込み、百人の民が熱を繋いだ理由が、今、骨の髄まで分かりましたよ」

孔明は笑いの涙を拭い、劉備の前で、これ以上ないほどに深く、膝を屈した。

 

「……合格です、左将軍。……貴殿のその『徹底した無欲』こそが、曹操のどす黒い肆(ほしいまま)なる私欲を焼き尽くす、本物の光だ。……貴殿が『奪えぬ』と言うのなら、私が『守るために預かる』理(ことわり)を、この世に顕現させてみせましょう」

孔明は顔を上げ、かつてないほどに晴れやかな、しかし苛烈な決意を宿した瞳で主君を見据えた。

 

「……わが主、劉備元徳。……今日この時を以て、私の『知略』は貴殿の『徳』に仕えるものとなります。……貴殿が守りたいと願うそのすべての民のために、不肖・孔明、死力を尽くして天下を三分し、曹操という闇に楔を打ち込みましょうッ!」

二人の魂が、今、完全に同期した。

それは、一人の天才が、一人の英雄という「空の器」の中に、自らのすべてを投じた瞬間であった。

 

建安十三年、三月。

隆中の庵から、黄金の精神を宿した二人の軍師による反撃が始まった。

北の許都で孔融が灰になり、魔王の帝国がその牙を研ぐ中、南の空には、闇を切り裂くための烈風が吹き荒れようとしていた。

 

(第五章・完)

 

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