【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

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新野の軍議、孤独なる軍師

建安十三年(二〇八年)、六月。

 

新野を包む陽光は、もはや春の柔和さを脱ぎ捨て、地表を焼き焦がすような苛烈さを帯び始めていた。練兵場に舞い上がる砂埃は白く乾き、兵たちの流す汗を瞬時に吸い込んでは、不気味な静寂を際立たせていた。

関羽、張飛、趙雲ら諸将は、この数ヶ月、新しく加わった軍師・諸葛孔明の指示により、奇妙な調練を繰り返していた。

「……吸(スゥ)ッ! 吐(ハァ)ッ!」

兵たちは、ただ一糸乱れぬリズムで深い呼吸を整え、盾を構える。関羽や張飛にとって、それはかつてこの地を去った徐庶が残した「風変わりな日課」の延長に過ぎなかった。

 

「……軍師殿は、本の読み過ぎで少々頭が固いらしいな。戦は呼吸でするもんじゃねえ、腕っぷしでするもんだ」

張飛が蛇矛を肩に担ぎ、鼻で笑う。彼らにとって孔明は、二十代そこそこの、実戦を知らぬ「理屈好きの若造」に過ぎなかったのである。

 

だが、その平穏を、北から届いた一報が引き裂いた。

「……報告! 曹軍の先鋒、夏侯惇! 副将に于禁、李典を従え、その数、十万! 既に許都を発し、怒濤の勢いで南下中ッ!」

伝令の絶叫が、新野城の静寂を打ち砕いた。

十万。それは、小城に過ぎぬ新野を文字通り踏み潰すに十分な、黒い津波の如き物量であった。かつて曹軍が北方を平定した折、その軍が通った後には煙も上げずに村々が消えたという、不気味な噂。……曹仁を退けた後も、新野の兵たちの心の奥底に澱んでいた『あの得体の知れぬ曹軍の本隊』が、より強大で逃れられぬ質量となって、再び眼前に迫りつつあった。

 

新野城、軍議の席。

室内に満ちているのは、新軍師に対する露骨な「不信」と、触れれば斬れそうなほどの「殺気」であった。

孔明は、諸将の刺すような視線を背に受けながら、一幅の地図を広げ、羽扇で一点を指し示した。

「……博望坡。……ここより九十里離れた狭隘(きょうあい)なるこの地形こそが、十万の牙を折るための、我らの『剣』となります。敵が境界を越え、この平原に溢れ出す前に、博望の入り口で迎え撃ちます」

「……剣だと? 地形だけで十万を斬れるとでも言うのか、軍師殿。……あまりに机上の空論が過ぎるのではないか」

関羽が細い眼差しをさらに険しくし、低く、地を這うような声で言った。彼にとって、戦とは武人の誇りと刃が交錯する聖域であり、地形に頼るなど卑怯者の振る舞いに見えた。

「……ふん、おめえの言う通りにしてたら、全滅しちまうぜ」

張飛が吐き捨てるように言い、椅子を蹴って立ち上がる。だが、孔明は眉一つ動かさず、静かに言葉を継いだ。

 

「……敵の夏侯惇は、曹操の最も信頼する猛将。奴が傲慢であればあるほど、この博望の蛇の如き道は、奴自身の首を絞める縄となります。博望坡は左に山あり予山といい、右に林ありて安林という……まず関将軍は千五百の兵を率いて予山に潜み、敵軍が通過して半ばなるとき襲撃を開始。曹軍の後陣を叩き、軍事物資に火を放っていただきたい」

孔明の羽扇が、地図の上を冷徹に滑る。

 

「張将軍も同じく千五百の兵を率いて安林に潜み、南に火の手が上がったら真っ直ぐ突き進み、中軍を粉砕してください。また関平と劉封は五百ずつ引き連れ、火薬を携え博望坡の両面から火を放ち、敵を火中に包み込むこと。……一刻の猶予もありません。今すぐ出陣し、伏兵の準備を」

孔明は矢継ぎ早に、それでいて的確に各将への指示を下していく。その淀みない口調は、既に戦場の結末を視ているかのようであった。

「……火計、だと? 水も火も、所詮は自然の悪戯。そんなもので十万が防げると思うか」

関羽は依然として不満を隠そうともしなかった。だが、孔明はさらに、最前列に立つ趙雲へと冷徹な命を下した。

 

「……趙将軍。貴殿には先鋒を命じます。……ただし、勝ってはなりませぬ」

趙雲の眉が、ピクリと跳ねた。

「……勝ってはならぬ、とは……?」

「……敵の夏侯惇を、博望の奥底へと誘い出すのが貴殿の役目。……果敢に挑み、そして『衆寡敵せず』と踵(きびす)を返して逃げなさい。……勇名に傷がつくことを恐れず、無様に、かつ執拗に、奴をこの死地へと引き摺り込むのです」

趙雲の槍の穂先が、微かに震えた。

常勝を誇る武人にとって、戦わずして逃げることは死よりも辛い屈辱である。だが、彼は劉備の顔を一度仰ぎ、その瞳にある揺るぎない信頼を読み取ると、深く、静かに頭を垂れた。

 

「……承知いたしました。……この命、新野のために」

「……兄者! 本当にこんな若造の言うことに、命を預けるつもりかッ!」

張飛が激昂し、劉備の前に身を乗り出す。

劉備は黙って腰の剣を引き寄せた。それは、かつて徐庶が「常に共にある」と託してくれた剣。それに触れると、何故だか心の奥底から勇気が湧いてくる。徐庶のぬくもりが残るその柄の感触を確かめると、劉備は静かに口を開いた。

「……翼徳。先生は、この新野を守るための策を授けてくださった。……私は、先生を信じる。……皆も、今は先生の軍配に従ってくれ」

劉備の静かなる信頼が、室内の不協和音を強引に調律していく。

 

孔明は表情を崩さぬまま、羽扇を一振りした。

「……出陣です。……これより先、一里ごとに命の重みが増していくことを、忘れないでいただきたい」

 

建安十三年、六月の夕暮れ。

新野の門が開き、趙雲率いる少数の先遣隊が、地平線を埋め尽くす十万の黒い影へと向かって、静かに出陣を開始した。

歴史という名の大きなうねりが、博望の谷間に向かって、冷たく、そして苛烈に流れ始めた。

 

誰も知らぬ。その戦場で、吸血鬼の魔眼という「人外の理」が待ち受けていることを。誰も知らぬ。この軍師が、その理をさらに凌駕する「禁忌の回答」を用意していることを。

 

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