【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

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孔明の静寂、禁忌の調合

建安十三年(二〇八年)、六月。

 

博望坡の爆炎を背に、新野の本陣へと逃げ戻った劉備軍を包んでいたのは、勝利の余韻など微塵もない、底知れぬ敗北感と「正体不明の戦慄」であった。

「……おのれ、あの若造! 勝ち戦を捨てて逃げ出すとは、何が軍師だッ!」

張飛が幕舎の外で怒号を上げ、地面を蹴り上げる。その衝撃で舞い上がった土埃が、焚き火の光に照らされて赤く澱んでいた。だが、その隣に立つ関羽の表情もまた、いつになく険しい。彼らが戦慄していたのは、孔明の采配に対してではない。炎の中から現れ、水晶を砕く音と共に兵の首を飛ばした、夏侯惇という「怪物」の存在そのものであった。

 

将や兵たちは誰しもが押し黙り、闇の中に潜む「次なるパキィィィィンという音」に怯えていた。だが、その重苦しい沈黙から切り離されたかのように、本陣の奥深く、孔明の幕舎だけは異様な活況を呈していた。

 

「……お呼びでしょうか、軍師殿」

まず従者に連れられ、幕舎に入ってきたのは場違いなほど煤(すす)に汚れた一人の老いた鍛冶屋であった。

孔明は、数本の小瓶と奇妙な植物の根が散乱する机の前で、羽扇を置き、冷徹な眼差しを鍛冶屋へと向けた。

「……急ぎ、これを打っていただけますか?」

孔明が差し出した図面を見た鍛冶屋の手が、微かに震えた。

「……軍師様、ずいぶんと細いようではありますが、所詮は鉄。これだと重すぎて飛びませぬ。せいぜい四丈(約十二メートル)が限度。……戦で使うには、使い勝手が……」

「いいのです。これを明朝の出陣までに……そうですね、三本あれば子龍殿には十分でしょう」

孔明の声には、一切の反論を許さぬ氷のような重みがあった。

 

鍛冶屋が逃げるように幕舎を去った後、次に呼ばれたのは料理番の兵士十数人であった。

「夜分に申し訳ないが、急ぎ手分けして料理を作っていただきたい。製法は、これに」

孔明は「料理」の手順書を書いた紙を兵士たちに見せた。

「まずはこの植物の根を細かく砕き、すりつぶした後、小麦粉と混ぜよ」

それは、人のかたちに似た歪(いびつ)な根を持つ、不気味な薬草であった。

「火薬少々と導火線を、混ぜた小麦粉で包んで玉とせよ。火薬の量を間違えぬように」

「丸めたら紙で包み、糊で固めよ」

兵士たちは、なぜ軍師がこのような「泥団子」のようなものを作らせるのか、その真意を測りかねていた。だが、孔明の放つ圧倒的な威圧感の前に、誰も問いを発する勇気はなかった。

全員で手分けして作業をすると、静まり返った深夜の陣中に、薬草を叩く鈍い音と、糊を塗る衣擦れの音だけが響き渡った。一刻(約二時間)ほどで「料理」が二百個余り出来上がった。

 

「ご苦労であった。下がって、もう休んでよい」

(……生身の人間に対して使うは戦の道に反する外法なれど、人外ならば容赦は要らぬ。……これで、よし)

作業を終えた孔明は、幕舎の入り口に立つ従者に静かに命じた。

「……子龍殿を呼んでもらいたい」

 

しばらくして、疲労の色を隠せぬ趙雲が姿を現した。

「……お呼びでしょうか、軍師殿」

「……子龍殿。貴殿の槍の腕前はまず天下無双。だが、果たして弓はどうでしょう?」

趙雲は意外な問いに目を見開き、僅かな逡巡の後、答えた。

「……まぁ、人並みには……。しかし、この大事に、なぜ弓を?」

「……そうですか。明日また夏侯惇との対決となった場合、私を信じて、奴の正面に立っていただけますか?」

趙雲の脳裏に、夏侯惇が眼帯を跳ね上げた際の「パキィィィィン」という音が蘇る。あの不可視の断ち切り。その死線の正面に立つことが何を意味するか。

常勝の趙雲といえど、あの得体の知れない技を思い出すと、背筋に冷たい寒気が走り、無意識に指先が震えた。

 

「……あの、得体の知れない夏侯惇の技の前に、正面切って突っ込めと仰るのですか?」

「……突っ込む必要はありません。正面から、矢を射っていただきたいのです。明日、最も強い弓を持ってお越しなさい」

孔明の瞳には、一切の揺らぎがなかった。

趙雲は、自らの内に生じた「軍師への不信」を、主公・劉備を信じるという一点で強引にねじ伏せた。

「……承知いたしました。……軍師殿を信じ、この命、正面に据えましょう」

 

趙雲を帰し、静まり返った幕舎の中で孔明はひとり、波紋の呼吸を始めた。

(……徐元直のような爆発的な波紋は、修行なき私には練れぬ。だが、時間をかけて『淀み』なく編み上げることなら、私にもできる……)

孔明は深く、静かな呼吸を繰り返した。徐庶のように一瞬で大岩を砕くような剛の波紋ではなく、糸のように細く、しかし途切れることのない微弱な波紋を、数時間をかけて練り上げていく。紛れもなく、ここが孔明の戦場であった。

 

翌朝の出陣前。

孔明は、鍛冶屋から届けられた「それ」を、趙雲に手渡した。

「これをお持ちなさい」

孔明の指先が触れた瞬間、その無機質な物体に、一晩かけて練り上げられた、ほんのちょっぴりの黄金の微動が宿った。

趙雲は、その妙に重く、細い「それ」を手に取り、複雑な表情のまま馬に跨った。

 

博望坡の戦い、第二ラウンド。

まずは曹操軍の人間部隊との戦いが、刻一刻と近づいていた。

 

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