【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

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江東の舌戦、孤立無援の勝機

江東の覇者、孫権が居を構える呉の広間。そこは、外の穏やかな水面の輝きとは対照的に、鉛を流し込んだような重苦しい暗雲が支配していた。

広間に居並ぶのは、名門の誉れ高い呉の重臣たち二十余名。だがその顔ぶれは、かつて孫策と共に天下を夢見た勇猛さは影を潜め、曹操が擁する「百万」の大軍に対する恐怖と、保身のための「降伏論」に塗りつぶされていた。

その中央の上座にあって、冷ややかな視線の標的となっているのが、江夏から単身、小舟で乗り込んできた諸葛孔明であった。

「……ほう、これが劉備軍の誇る伏龍か。聞けば長坂では、民を盾にしてようやく逃げ延びたとか。随分と無様な龍もいたものだ」

「敗軍の軍師が、何の用で我が江東を汚しに来られた」

あえて孔明の耳に届くような音量での、あからさまな皮肉や嘲笑が浴びせられる。孔明は、これら罵詈雑言の嵐を、羽扇を静かに胸元に引き寄せながら、微動だにせず受け止めていた。その瞳は、眼前の小役人たちを見てはいない。もっと先にある、この大陸のすべての人間の命脈と、孫権の心の奥底にある覇気だけを見据えていた。

 

孔明との舌戦の口火を切ったのは、呉の文官筆頭、張昭であった。

「さて……本日はご高名なる孔明先生がはるばる呉国に参られたと聞き、そのご高説をお伺いしたく一同お待ちしておりました。……孔明先生、あなたは玄徳殿に三度も請われて軍師になられたと聞き及んでおります。ですが、そこまで見込まれて軍師に就かれた先生の働きが、我らにはよくわかりませぬ」

「と言いますと?」

「玄徳殿はあなたを得られた時、まるで魚が水を得たように喜ばれたと聞く。それはさながら虎に翼が生えたように感じられたのでございましょう。世間もそう思っていたはずです。玄徳殿の手で曹操を滅ぼし、漢室を再興するものと……。ところが結果はどうです? 玄徳殿は荊州を奪えず、曹操に奪われ、曹軍に追われて逃げ回り、江夏にその身を隠すありさま。先生がこれを知りながらそうさせたとあらば、先生も智者とは言えますまい。諸公はどう思われる?」

「……ではお答えいたそう。わが主、劉豫州が荊州を奪わんとすればいとも簡単に奪えたでございましょう。だが故・劉表殿とわが主は同族……。その死を待っていたかのように領地を奪うなど、わが主にはできませんでした」

「ほう……これはおかしなことを承る」

「何か?」

「先生は常に言っておられる。『天下万民の利益のためなら小さな私情を捨て、大義によらねばならぬ』と。……それが姻戚だ同族だのと私情に囚われ、何もせずに曹操に追われて逃げ回り、先生のおっしゃられる大義とやらは成し遂げられるのですか?」

「燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや……。はははっ、貴殿の眼にはそう映りますか。……例えば重病人を治すに、まず粥を与え、穏やかな薬を与えて五臓が整い、体が回復するのを待って肉食を以て元気をつけると共に、強い薬を与えれば病も治りましょう。だが、体のことも考えずいきなり劇薬を用いれば、治る病気も治りませぬ」

孔明は続ける。

「わが主は汝南の戦で敗れ、劉表殿のもとに身を寄せたが、その兵力はわずか数千。将と言っても関羽、張飛、趙雲くらいのもの。さらに新野は小さな城で食糧の蓄えもなければ武器も乏しい。これぞまさしく重病人。この状態で曹軍とまともにぶつかるは、自ら死にに行くようなもの。これを避けるは兵家の常。また身を隠すは、体の回復を待つためのもの。これだけの重病人でありながら、わが主は博望坡の火攻め、新野の焼き討ちなど、健全な曹軍と互角以上の戦いをしながら身を引いている。……昔、楚の項羽はたびたびの戦に勝ったが、垓下の一戦に敗れて高祖に滅ぼされた。それに比べ、高祖の部下たる韓信は殆ど勝ったためしのない大将であったが、最後の勝利を高祖劉邦に導いた。……国家の大計は、目の付け所というものがある。局部的な勝敗ですべてを論じるのは、あまりに軽率が過ぎるというもの」

「……」

 

張昭は反論できず、押し黙った。群雀のごとく居並ぶ呉の文官たちの中で、ひときわ若く、才気を漲らせた男が立ち上がった。陸績である。彼は諸葛亮を鋭い眼光で射貫くと、鼻で笑って言い放った。

「曹公は、かつて漢の相国を務めた曹参閣下の末裔であられる。今や天子を奉じて天下の過半を制し、その威光に抗える者などおらぬ。翻って貴殿の主、劉備殿はどうだ。中山靖王の末裔と自称してはいるが、その証拠はどこにある? 世に聞こえたるは『筵売り、草鞋作りの卑しき徒』という評判のみ。そのような者が、どうして天命を帯びた曹公と覇を競えようか。笑止千万なり!」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、諸葛亮は扇を緩やかに動かし、大笑いした。その笑いは、まるで赤子をあやす大人のような、余裕に満ちたものであった。

「はて。貴殿は、かつて袁術の宴席で蜜柑を盗み、懐に隠して持ち帰ろうとした、あの陸績殿でおられるか?」

陸績の顔が、一瞬にして羞恥に赤らんだ。幼少期の「懐橘(かいきつ)」の逸話は孝行の美談として知られていたが、この緊迫した場では、単なる「行儀の悪い子供」の過去として揶揄されたに過ぎなかった。諸葛亮の舌鋒は、休む間もなく続く。

「曹操が相国の末裔であるというのなら、それこそが漢朝の禄を食む臣下の端くれとしての証左。ならば、その身を挺して漢室に報いるのが臣たる道というもの。しかるに曹操は、天子を傀儡とし、己が欲望のままに天下を簒奪せんと企てている。これのどこに正当性があるというのか!」

一歩、諸葛亮が踏み出す。

「対してわが主、劉豫州は、当代の天子より直々に系図を検められ、『皇叔』の宣旨を賜った高貴なる御方。かつて漢の始祖、高祖もまた亭長の身から大業を成し遂げられた。筵を売っていたことが、なぜ恥となろうか? 貴殿の理屈は、身分のみを重んじて大義を忘れた、まさに『小人の見識』。蜜柑を懐に入れるような童(わらし)の理屈を、この神聖なる議の場で振りかざすとは。学問の徒として、恥を知られよ!」

 

陸績は顔を真っ赤にし、一言も返せずにその場に崩れるように座り込んだ。陸績が黙り込んだ隙を逃さず、虞翻が身を乗り出した。

「曹軍百万。それはまさに天をひと呑みにせんする勢いだが、先生には何か対策はあられるのか?」

「百万と号しているが、実数は八十万くらいのもの。それも袁紹を滅ぼした際の北方兵や、近頃併呑した荊州兵を合わせてのもので、いわゆる烏合の衆、恐るるに足らず」

「はははっ!……これはおかしい」

虞翻の口元には、相手の論理の破綻を確信した者の冷笑が浮かんでいる。

「諸葛亮殿、貴殿は今、曹操の軍を『百万と号してはいるが、その実は袁紹の敗残兵や荊州の降兵をかき集めただけの烏合の衆に過ぎぬ』と断じられたな。ならば問いたい。その『烏合の衆』を相手に、貴殿の主である劉備殿は、新野を追われ、長坂で妻子を捨てて逃げ惑い、今や江夏に首の皮一枚で繋がっている有様ではないか。恐れるに足りぬと言い放つその敵に、無様に敗れ去ったのはどこの誰か? 負け犬が吠えるにしては、少々威勢が良すぎはせぬか!」

 

堂内に、文官たちの嘲笑がさざ波のように広がった。しかし、諸葛亮の表情は微塵も動かない。彼はゆっくりと羽扇を動かし、むしろ憐れみを含んだ眼差しで虞翻を見据えた。

「貴殿は兵法に『信兵は実に戦う』というのをご存じないのか? わが主劉豫州の兵は仁義の兵なれど、わずか数千。曹軍百万には衆寡敵せず」

諸葛亮は声を一段と張り上げ、虞翻の顔を指した。

「長坂での敗走は、行く手を阻む敵の多勢に対して民を見捨てず、十万の領民を連れて進んだがゆえの苦難。これは『敗北』ではなく、天下に示した『大義』である。それに比べてこなたの兵は精鋭、食糧も十分、その上長江の要害があり、戦う力も十分にありながら、主君に対しておめおめと降伏をすすめるとは卑怯千万」

諸葛亮の言葉が、鋭い刃となって虞翻に突き刺さる。

「数千の兵で百万に抗ったわが主を笑うなど、片腹痛い。戦う前から膝を屈し、己の保身を『現実的判断』と言い換えるような臆病な者に、英雄の志を語る資格はない。わが主の、敗れてなお天を仰ぐその態度、曹操恐るるに足らずと申してもおかしくはなかろう」

 

虞翻は反論の言葉を喉に詰まらせ、顔を真っ赤にして座り込むしかなかった。諸葛亮の放つ正論の炎は、呉の文官たちの心にある「恐れ」という名の弱さを容赦なく焼き尽くしていった。

虞翻が屈辱に震えながら引き下がると、間髪入れずに歩騭が立ち上がった。彼は諸葛亮を値踏みするように眺め、慇懃無礼な態度で口を開いた。

「諸葛亮殿。貴殿の弁舌、なるほど見事なものだ。だが、歴史を紐解けば、かつての戦国時代にも蘇秦や張儀といった遊説の徒がおった。彼らは巧みな言辞を以て諸国を奔走し、己の利のために大国を動かした。今の貴殿の姿は、まさに彼らの再来に見える。口先三寸でわが江東を戦火に巻き込み、劉備殿の窮地を救おうという魂胆ではないか?」

諸葛亮は歩騭を静かに見返し、ふっと鼻で笑った。

「歩騭殿は、蘇秦や張儀の弁の立つ一面だけを知り、両人まことの豪傑であることを知らないと見える。彼らは秦という強国を相手に、あるいは六国を合従させ、あるいは連衡させて天下の均衡を保った、命を懸けて大局を動かした傑物である。蘇秦は六国の宰相の印を持ち、張儀は二度まで秦の宰相となった、国家を支える大丈夫。決して脅しに乗るような人物ではない」

諸葛亮は一歩、歩騭の眼前にまで歩み寄り、その羽扇をぴたりと止めた。

「……だが貴殿らは、曹操が誇大な書状を寄こしたくらいで揃いも揃って降参しようと考えておられる。そんな意気地で蘇秦、張儀を語る資格が果たしてあろうか?」

 

歩騭は顔を伏せ、もはや一言も発することができなかった。薛綜が色をなして立ち上がった。

「では曹操とは何者ぞッ!」

「漢の賊臣ッ!」

孔明も薛綜に負けじと大音量で反駁した。

「それは誤りであろう、諸葛亮殿。古人も言っている、『天下は一人の天下にあらず、天下の人の天下なり』と。されば、堯は天下を舜に譲り、舜は天下を禹に譲り、その後、成湯は桀王を退け、武王は紂王を討ち、漢は秦を滅ぼして今日に至った。漢朝はすでに力を失い、曹公は天下の三分の二を治め、人心も曹公に心を寄せ始めている。これが天命が曹公にある証左ではないか? そもそも、天下を取るものを賊と言うならば、舜も禹も武王も始皇帝も高祖ですらも賊ではないかッ!」

「黙らっしゃいッ!!」

孔明の咆哮が、広間の柱を震わせた。

「貴殿の言葉は父母なく、君もいない人間の言う言葉だ。人として生まれながら忠孝の道を弁えぬのか? 曹操は代々漢に禄を食みながら、いま漢室が衰えたと見るや漢室を滅ぼし、天下を簒奪しようとしている。これが臣たる道であろうか? 人として歩む道であろうか?」

孔明の怒りは冷めることなく、さらに畳み掛ける。

「ならば貴殿に問おう。貴殿の主君の力が衰えたなら、曹操のように、たちまち主君孫権殿をないがしろにするつもりなのか!?」

 

薛綜は孔明の気迫に圧倒され、顔を真っ赤にして座り込んだ。この凄まじい舌鋒を前に、名だたる文官たちはみな項垂れ、広間には重苦しい静寂が漂った。

その時、広間の奥から一人の老将が足音も荒々しく踏み込んできた。呉の宿将、黄蓋である。

「諸葛亮殿は、当代随一の才覚を以てここへ来られた賓客である。それを寄ってたかって口先で難癖をつけるとは、江東の恥晒しめ! 曹操を退ける策を論じるならいざ知らず、つまらぬ舌戦に時を費やすなど、愚の骨頂なりッ!」

黄蓋の怒声が響き渡り、文官たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。こうして、命を懸けた論戦は幕を閉じた。

 

それはさながら、武器を持たぬ戦いであった。もしここで一人でも論破できず、呉を動かすことができなければ、劉備軍に待つのは滅亡という名の死のみであった。孔明の孤独な、そして苛烈な舌戦は、劉備軍とこの大陸に生きる人々の命脈を繋ぐための、最初の楔(くさび)を打ち込んだのである。

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