【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

52 / 54
鳳雛の飛来、連環の計

蒋幹に伴われ、夜明け前の煙る長江を北へと渡った龐統は、ついに曹操軍の巨大な前線基地である烏林の地へと足を踏み入れた。

しかし、到着したのは未だ朝の光が差し込み始めたばかりの刻限。総大将である曹操への謁見はすぐには叶わず、蒋幹の案内によって、前線の片隅に設けられた簡素な宿舎へと通され、そこで待機を命じられることとなった。

「先生、丞相へのお目通りは日没後になりましょう。それまでここで旅の疲れを癒やしておいでくだされ。私は先に謁見の準備を整えて参ります」

功名心に顔を綻ばせた蒋幹が、浮き足立った様子で宿舎を辞していった。

 

一人残された龐統が、薄暗い部屋の中で息を潜めていた、その時である。

開け放たれた扉の外、宿舎の物陰から、低く鋭い男の声が響き渡り、室内の空気を一瞬にして凍り付かせた。

「……蒋幹に導かれたフリをしてわが軍に接触し、丞相に何の偽計を献策するつもりだ、 龐統士元よ。貴様が周郎の回し者であることくらい、見抜ける者がいないとでも思うたか!」

その言葉は、完璧に隠し通していたはずの腹の底を、一撃で抉り出すような容赦のなさであった。

さしもの龐統も総毛立ち、愕然として声を失った。己の深謀遠慮が、北岸に上がった初日にして完全に露見したという絶望が、背筋を駆け抜ける。

 

しかし、立ち尽くす龐統の耳に、物陰の男はどこか呆れたような、しかし懐かしさを孕んだ含み笑いを漏らした。

「……この声をお忘れか? 少し冗談が過ぎましたかな?」

暗がりからゆっくりと姿を現したのは、戦装束に身を包んだ一人の偉丈夫であった。その顔付きを凝視した瞬間、龐統の目が見開かれた。

「そ……そなたは元直!」

「やあ、士元。久しいな」

物陰から歩み出てきたのは、かつて水鏡先生の門下で、共に明日の天下を論じ、寝食を共にした同学の士――かつては単福と呼ばれ、いまは石仮面を討つために徐庶と名を変えた男であった。

驚愕に震える龐統を前に、徐庶は戦装束の襟を静かに正した。その姿を見つめながら、龐統は絞り出すように問いかけた。

「元直、そなたのような道理のわかる人間が、まさか本気で丞相府に仕官していたというのか……?」

「仕官などと、とんでもない」

徐庶の口元に、自嘲気味な、しかし氷のように冷たい笑みが浮かんだ。

「母が捕らえられたので、やむなく帰順するフリをしているだけに過ぎぬ。……士元、実は私は以前、劉備玄徳殿と主従の契りを交わしていてな。今も、この心は玄徳殿とともにある。曹操にこの魂を売った覚えは一刻たりともない」

「そうであったか……」

親友が背負わされた非情な運命の重さに、龐統は小さく息を吐き、その無事を確かめるように深く頷いた。徐庶は宿舎の扉の向こうを一度だけ警戒するように見据え、さらに声を低めて本題へと切り出した。

「お前がここへ来た理由はおおよそ察しがついている。曹操をつまずかせるか、呉軍に付け入る隙を与える、何かの策を献じるために来たのだろう? それならば連環の計を献じよ。慣れない水上生活と船の揺れが流行り病の元凶だと断じて、船という船を余さず鎖でつなぎ、船の揺れが少なくなれば病は自ずと消えようと説くのだ」

その淀みない提案に、龐統の不気味なほど鋭い眼光が、驚きと共に細められた。

「おお元直。考えることは一緒だな。実はその連環計を曹操に献じんがため、ここにやって来たのだ」

「それならば話は早い」

徐庶は満足げに小さく頷くと、さらに声を低めて親友の顔を見据えた。

「それに加えて呉軍に悟られる前に軍を立て直すため、『昼夜突貫で膨大な人手と物資を投入せよ』と説くのだ」

龐統は、親友の鋭い眼光の奥に、かつて水鏡門下で天下の正義を論じていた頃の面影を残しつつも、それを遥かに凌駕する凄絶な「曹操への激しい復讐の炎」が静かに燃えたぎっているのを見た。

しかし、だからこそ龐統は、この策が成った先に訪れる地獄の規模を思い、思わず問い返した。

「承知した。だが、元直……お前も火に焼かれることになるのだが、大丈夫なのか?」

船を繋ぐということは、退路を断つということだ。南岸の周瑜が狙う火計が発動すれば、曹軍の懐深くで牙を研ぐ徐庶自身も、炎の海に呑まれる。だが、徐庶の表情は微塵も揺らがなかった。

「俺には俺のなすべきことがある。それに、前もって火攻めだとわかっていれば、避けようもある」

その静かな声音には、人外の王を討つためなら、己の肉体すらも盤面の駒として使い潰す覚悟が宿っていた。

「……分かった。貴殿のその背中、わが知略で押し通してみせよう」

二人は互いの掌を強く握り合わせ、言葉なき誓いを交わした。徐庶は風のように宿舎の影へと消え去り、龐統は再び、一人で静かに時を待った。

 

日が昇るにつれ、陣中の騒音は高まっていった。

夕刻になり、再び蒋幹が迎えに来るまでの間、龐統は宿舎の隙間から、あるいは与えられた僅かな移動の最中に、曹操軍の陣中をその鋭い眼で観察し続けた。

そこで目にした光景は、あまりに異常であった。

百万と号する大軍の足元を支えているのは、生気のない、うつろな目をした膨大な数の生身の人間たちであった。彼らは南方特有のねっとりとした湿気と、長江の激しい天候に痛めつけられ、何よりも水戦という慣れぬ過酷さに激しい船酔いを起こしていた。それだけではない。北岸の空気にどんよりと混じる、得体の知れない瘴気に当てられたのか、とんでもない数の人間が病にかかり、泥にまみれた天幕の至る所で呻き声を上げていた。

(……これは軍ではない。曹操という怪物が、人間をただの道具として、極限まで使い潰している地獄絵図だ)

故国荊州を蹂躙し、豊かな土地をこのような死地へと変えた曹操への、静かで、しかし烈火のごとき怨嗟が龐統の胸中で牙を研ぎ始める。

 

夜の帳が降りる頃、蒋幹が嬉々として戻ってきた。

「龐統先生、お待たせいたしました! 丞相との謁見の刻限にございます。さあ、こちらへ!」

龐統は衣の袖を整え、その顔に世を捨てた隠者の穏やかな微笑みを貼り付けると、不浄の王が待つ大幕舎へと歩みを進めた。

広間に入ると、蒋幹が同席し、誇らしげに口上を述べた。

「主公、ご案じ召さるな。周瑜の口説き落としには失敗いたしましたが、代わりに江東の山中に隠棲しておりました、天下の鳳雛こと龐統先生を、こうして連れ帰って参りました!」

絶対の闇を孕んだ奥座から、曹操の冷徹な眼光が二人を射抜いたが、やがて満足げな声を響かせた。

「よくやった。子翼、褒美を取らす。……さて、龐統先生。これより、わが水軍をご案内しよう」

日没後の冷気の中、龐統は曹操に伴われ、不気味に静まり返った夜の水軍陣内を視察した。やがて視察を終え、幕舎に戻って天下の趨勢に関する談議が始まる。冷え込む夜気に、龐統はあえて体調を崩すふりをして、激しく咳き込んでみせた。

「不才の身には、この江の揺れと寒気は堪えます。……私ですらこうなのだから、北方から来られた兵の皆様の苦しみは、いかばかりでしょうか」

これに対し、曹操は人間という存在を完全に見下した口調で、傲然と漏らした。

「人間はやわで困る。少し水に揺られただけで使い物にならぬ」

龐統はその「人間はやわ」という異様な言い回しに、一瞬の、しかし強烈な違和感を覚えた。だがそれをおくびにも出さず、徐庶と交わした策を静かに差し出した。

「失礼ながら、流行り病が貴軍を蝕んでおり、今呉軍に攻められたら、負けることはないにせよ、かなりの損害となりましょう。……なれば、船を波の静かな入り江に入れ、全ての船を縦横に鉄の鎖で繋いでしまうのです。そうすれば揺れが抑えられ、地上を歩くのと変わらない環境となるので、病に罹る者も自ずと少なくなりましょう。問題は呉に悟られぬことです。周瑜に現状が漏れたなら、たちどころに行動を起こすこと必定です。従軍している鍛冶師だけでなく、できうる限り近郷から鍛冶師を集め、昼夜突貫でことを進めて一刻も早く軍を立て直すべきです」

曹操の目が細められた。

「百万の船団だ。どれほどの日数と人手がかかる?」

龐統は、瞬時にその天才的な頭脳で計算の解を弾き出し、逆算の数値を淀みなく言い放った。

「繋ぐべき船は二千隻。これを縦横に緊縛するには、最低でも四千条の鉄鎖が必要です。船間を三丈とすれば、鎖一条につき太き鉄環が五十個。全軍で二十万個の鉄環を鍛造せねばなりませぬ。熟練の鍛冶師が叩いて繋ぐは一日二十個が限界。すなわち、純粋な鎖の鍛造だけで一万人日の労力がかかります。さらに、鎖の両端を船体に固定するための留め金が八千個必要。これを鋳造で量産するとしても二千人日。総計、一万二千人日の労力が必要です。これだけの突貫作業、鍛冶師に一昼夜に及ぶ連続労働を強いるのは現実的ではありませぬ。従軍の鍛冶師と近隣の郡から、合わせて二千人は鍛冶師をかき集め、これを昼組と夜組に分けて昼夜兼行の突貫作業を命じれば、最終的に十二日間で全艦隊を緊縛できます。もし千人しか集まらねば二十四日。一刻の猶予もございませぬ」

その理路整然とした数字の羅列に、曹操は深く感服した。

「……素晴らしい。すぐに着手させよう」

 

龐統が宿舎に戻ると、曹操は即座に程昱らの側近を集めて軍議を開いた。

「船を繋ぐこととした」

その宣言に、程昱が眉をひそめて進み出た。

「丞相、火計を用いられたら何となさいます!」

「余もそれは考えたが、今は北風しか吹かぬ。呉のやつらもそれがわからぬほど道理に暗い者ばかりではあるまい」

曹操は傲然と言い放ち、取り合おうとしない。程昱は、この冷酷な主君が一度下した決断、そして「冬の気候」という確固たる自然の理を前にしては、これ以上異議を唱える言葉を持たず、ただ口を噤むしかなかった。

曹操はそのまま言葉を継いだ。

「今から鍛冶師を集めるだけ集め、昼夜兼行、突貫作業する。総監督は……昼間も動ける徐庶、お前がやれ」

跪いていた徐庶は、その言葉を聞いた瞬間、内心で激しくほくそ笑んだ。

(……しめた)

しかし表向きはどこまでも神妙に、深く頭を垂れて拝命した。

「ははッ。粉骨砕身、役目を果たします」

 

続いて程昱が、衣服を整えて別の非道な進言を行った。

「それから丞相、病で死んだ者の処分ですが。土に埋めるとその土から更に蔓延しますし、かといって火で焼けば目立ちます。何しろかなりの数なので。そこで、大量の筏に死体を乗せて、呉軍に送り付けるというのは如何でしょうか? 埋葬の手間も省け、呉軍に疫病を送り付けるという一石二鳥でございます」

曹操の口元に、不気味な笑みが浮かんだ。

「ふふふ、それは面白い。すぐにやれ」

「では、夜通しで筏を作らせましょう」

 

軍議が解かれ、総監督となった徐庶の差配により、北岸の大鉄工所が凄まじい音を立てて稼働し始めた。徐庶はこの立場を最大限に利用し、集められた二千人の鍛冶師たちに対して、厳格な熱意を以て指導を始めた。

「夜組はひたすら鎖を打て。そして昼組は、留め金の製作に注力せよ」

昼間、徐庶は人間の職人たちを指揮し、襄陽に伝わる「失蝋法(しつろうほう)」を用いた留め金の製作を徹底させた。蝋で精密な原型を作り、それを粘土で包んで焼き固め、熱で蝋が溶け出すことによってできた空洞に鉄を流し込む鋳造の技。

半吸血鬼たちが陣内をうろつき出す夜間には、徐庶は彼らの目の前でただ熱心に鉄鎖を繋ぐフリに切り替え、吸血鬼の監視が届かぬ白日の下、人間の職人たちが忙しなく働く影で、ある水面下の工作を誰にも気づかれぬよう着実に進めていった。

 

曹操軍の喉元に、静かに、しかし確実に、破滅の罠が仕掛けられていく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。