【三国志×ジョジョ】徐庶(ジョショ)の奇妙な冒険   作:券王

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虎狼擬態、陰陽の盾

長江の赤壁における大敗北から、許都に星霜が流れて三年の月日が経過していた。

建安十六年(西暦二一一年)の秋、天下の覇権を巡る動乱の火花は、西方の涼州、東方の合肥の地へと移り、許都の地には一時の重苦しい静寂が立ち込めていた。

だが、その静寂の裏で、徐庶はあの程昱が仕掛けた「見えぬ檻」の底で、終わりのない地獄を生き続けていた。

 

徐庶の肉体は、三年前の赤壁の夜と比べ、痛々しいほどに摩耗し、その横顔からはかつての英気たる光が完全に消え失せていた。毎日みずからの全生命力である太陽の波長――波紋の律動を、幽閉された母の肉体へと注ぎ込み、その延命と引き換えに己を削り落とし続ける日々。それはまさに、徐庶から反逆の牙をもぎ取り、生殺しのまま曹操の陣営へと搾取し尽くそうとする、程昱の悪魔的な計算通りの光景であった。

だが、徐庶のその目だけは、未だ死んでいなかった。

 

ある朝、朝霧が深く立ち込める丞相府の回廊を、一人の若い官吏が冷徹な足取りで歩いていた。

曹操がその才を執拗に求めたにもかかわらず、「風痺」と称して寝たきりを装う命がけの仮病で出仕を拒み続けた男――新任の文学掾、司馬懿である。彼は曹操の脅迫によってやむなく出仕していたが、その胸中には、人外の暴君に対する冷めた反骨心が静かに燃えていた。

司馬懿の耳に、朝霧の向こうから「ジャラリ、ジャラリ」という不快で重たい金属の音が届く。

視線の先、数人の官吏や兵たちに乱暴に追い立てられながら、地下の闇から地上の中庭へと引きずり出されていく、鉄鎖に繋がれた囚人の姿があった。徐庶であった。

司馬懿は、通りすがる周囲の低級官吏に、極めて平静を装った声音で尋ねた。

「……あれは、誰だ?」

官吏は声を潜め、忌々しげに答えた。

「あれは、先の赤壁において我が軍を欺いた大逆の囚人、徐庶にございます。程昱様の命により、生かすも殺さぬ檻に繋がれ、地上の隔離施設にいる母親の元へ毎日通わされているのです」

司馬懿の瞳の奥に、底知れぬ理知の光が灯った。

(そうか……噂には聞いていたが、あれが徐庶……。あの赤壁で、人外の王の肉体を文字通り灼き、敗走せしめた男か)

徐庶や孔明は、徐庶自身が吸血鬼と対峙し、命を失いかけた経験と、その元凶となった石仮面の行方が分からなくなっていることから、曹操の正体にたどり着いた。だが、司馬懿は違った。彼は十七年前の徐州事件以来、中原で起きている不自然な人間の消失と死体の数という、純粋な状況証拠の積み重ねだけで、曹操が人間の境界を越えた吸血の怪物であることを独力で看破していた。だからこそ仕官を拒んだのだ。

うつむきながらも、その奥で未だ絶望に屈していない徐庶の鋭い目。司馬懿はその光を捉え、直感した。

(こいつは、まだ諦めていない。いずれまた、あの怪物に牙を剥く災いの種だ……)

だが、曹操にこの男の危険性を教えてやる義理など、人間である自分には微塵もない。司馬懿は徐庶を冷徹な眼差しで見送った。

 

翌朝、司馬懿は昨日と全く同じ、まだ誰も登庁していない刻限の回廊に、木簡を抱えたまま一人で佇み、徐庶が地下から引き立てられるのを待ち構えていた。

兵に連れられ、地下から上がってきた徐庶の前に、司馬懿が静かに立ち塞がる。

司馬懿は、徐庶の生気を失った顔を覗き込むようにして、低く問いかけた。

「貴様は昨日も、地下からあそこに向かっていたな。毎日あそこで何をしている?」

徐庶は足を止め、目の前の若い官吏が、曹操らの持つ不浄の気配を一切持たぬ純粋な人間であることを見抜きながらも、掠れた声で淡々と答えた。

「……母の、治療だ」

司馬懿はそれ以上追及せず、ただ冷たく一瞥をくれ、「そうか……」とだけ残して歩き去った。

 

そして三日目の朝、司馬懿は文学掾の権限で徐庶に関する程昱の記録を完璧に調べ上げた上で、再び徐庶の前に立った。

司馬懿は、周囲の看守や兵たちにあえて聞かせるように、堂々とした声音で切り出した。

「『波紋功』という肉体鍛錬法の、免許皆伝らしいな」

徐庶は一瞬、鋭い視線を司馬懿に向けたが、何も語らず沈黙を貫いた。

司馬懿はその沈黙を気にも留めず、周囲への表向きの理由として、しかし徐庶にとっては決定的な脅迫となる言葉を突きつけた。

「俺の息子が、少し喘息気味で病弱でな。……その呼吸の理をもって、息子を鍛えてやってはくれまいか?」

徐庶は即座に、冷たく言い放った。

「……断る」

司馬懿の口元に、残虐とも言える冷酷な笑みが浮かんだ。声を潜め、徐庶だけに聞こえる冷徹さで囁く。

「そうか……ならば、貴様が毎日行っているその母の治療とやらを、今すぐ全面的に禁止するよう、丞相へ奏上しよう」

徐庶の全身に、激しい戦慄と、怒りの波紋の火花が走りかけた。だが、ここで拒めば、明朝には母は知性のない屍生人へと堕ちる。

司馬懿は、徐庶の絶望を見透かしたように、蛇のような声音で追い詰めた。

「構わぬな?」

長い沈黙の果てに、徐庶は拳を血がにじるほど固く握り締め、うつむいた。

「……わかった。引き受けよう」

 

こうして、誰も知らぬ奇妙な教育が始まった。

徐庶は毎日、母への凄絶な治療を終えた後、司馬懿が業務上処理した特殊な詰問との名目のもと、許都にある司馬懿の邸宅へと秘密裏に連れて行かれることとなった。

そこで徐庶を待っていたのは、幼き二人の息子たちであった。

長男の司馬師は、数えで四つ。少し呼吸が浅く、病弱な気配を残す幼子であった。

次男の司馬昭は、数えで一つ。まだ母の張春華の腕に抱かれる乳児であった。

幼すぎる我が子らを前に、徐庶は冷徹に見つめる司馬懿を振り返り、掠れた声で言った。

「……まだ早い」

だが、司馬懿の瞳には一片の揺らぎもなかった。

「構わん。呼吸だけでいい」

その真意を悟った徐庶は、自らを縛る鉄鎖の音を響かせながら、幼い司馬師の小さな胸に手を当て、優しく、しかし正確に、正しい呼吸の律動を教え込み始めた。小さな胸が規則正しく波打ち、微かな熱を帯びていくのを感じながら、徐庶は部屋の陰で佇む司馬懿の凍てついた横顔を、じっと見つめた。

(司馬懿……。この男もまた、曹操の魔手に対抗しようとしているのか?)

純粋な人間の身でありながら、人外の暴君の足元で牙を隠し、血脈の未来を守ろうとする男の、底知れぬ凄味。徐庶は無言のまま、司馬師の小さな肉体へ、未来への盾となる呼吸を刻み込んでいった。

 

徐庶を送り出した後、司馬懿は自身の執務室へと戻り、机の上に置かれた木簡に目を落とした。それは、西方で馬超の猛攻と戦う曹操の本隊、その軍師である程昱から届いたばかりの極秘の軍事決済報告であった。

司馬懿が木簡の紐を解き、文面の一行目を追ったその瞬間、その眉が大きく跳ね上がった。

「渭水にて馬超軍二千、凍死」

(何だと……!?)

季節は九月。凍死などあり得ぬ秋の入り口において、二千もの軍勢が一夜にして凍りついたという異常極まる凶報。司馬懿は息を呑み、驚愕を押し殺しながら、貪るように詳細を読み進めた。そこには、戦局を覆したあまりにも不条理な戦果が記されていた。

 

程昱は、徐庶から奪い取った『万象転生陣』の伝導回路に、恐るべき細工を施していた。

それは、孔明や徐庶が赤壁で行った、熱の律動を増幅・伝播させる陽の理ではない。真逆に極性を歪め、陣内空間のあらゆる熱を爆発的に気化熱として奪い去ることで、周囲のもの全てを凍りつかせるという、陰の絶望の陣へと改造されていたのである。

凍るはずのない渭水の地において、程昱がこの反転陣を起動した瞬間、大地と大気からすべての熱が奪い去られた。吐く息は一瞬で氷結し、草木は硝子のように砕け散り、砂地へ注がれた水は瞬く間に巨大な大氷壁へと変わり果て、馬超の騎兵を完全に拒絶する「氷の一夜城」が完成した、と報告書は結ばれていた。

木簡を静かに閉じ、冷酷な笑みを浮かべる司馬懿。

(程昱め、熱を奪い去る冬の極致の兵器に変えたか。人外の智恵もここまで歪めば大したものだ)

 

自らが生き延びるため、毎日母の肉体へ生命の熱を注ぎ込み、搾取され続けている徐庶。しかし、その自らの術式が、西方の地で多くの人間の肉体を凍てつかせる大量破壊兵器へと変貌させられた事実を、当の徐庶は、司馬の邸宅で幼子の胸に手を当てている日常の中で、まだ何も知らない。

人外の王の足元で、その支配をいつか生き延び、乗り越えるための人間の牙が、徐庶の手によって密かに司馬の幼子たちへと継承されていく。地下の檻の囚人が紡ぐその恐るべき因果の行く末を、司馬懿はただ一人、木簡を静かに閉じ、書庫の奥へと仕舞い込むのであった。

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