準備をしている間に11月になっていた。
この間まで暑い暑いと言っていたような気がするのに今では朝晩の冷え込みが日に日に厳しくなってきている。
長野の秋は短いという話を聞いたことがあるがこうして暮らしていると本当に短いんじゃないか?も思うことさえある。
学校の窓から見える山々にも少しずつ秋の色が広がり始めていた。緑一色だった木々の間に黄色や赤色が混ざり場所によっては随分と色づいている。
まだ紅葉の盛りというわけではないが季節が確実に進んでいることを感じさせる景色だった。
そんな学校では行事に向けて準備が進められていた。
文化祭である。
俺達のクラスの出し物は射的。
候補にはいくつかの案があったものの準備に必要なものや予算、教室の広さなどを考えた結果比較的実現しやすい射的に落ち着いた。
景品についても話し合いが行われ、最終的にはお菓子を用意することになった。
駄菓子や小袋のお菓子なら値段も手頃で種類も豊富だし景品として持ち帰ってもらいやすい。
文化祭に来る小さな子供でも楽しめるという意見もあった。
出し物が決まれば当然ながら準備が必要だ。
射的に使う台や的、教室の飾り付け、景品の用意、当日の接客など、やることはいくらでもある。
クラス全員で分担することになり俺は射的台や的を作る工作担当になった。
一方の早苗は景品の準備や教室の飾り付けそれから当日の接客担当になった。
何となく俺達にはそれぞれ向いている仕事が割り振られたような気がした。
早苗も工作ができないわけではない。
むしろ細かな作業は俺より得意かもしれない。
ただせっかくの文化祭なのだから普段あまり話す機会のないクラスメイトとも関われる仕事をしてみたいと本人が言っていた。
それを聞いて俺は嬉しくなった。
まあ本人には言っていないけれど。
文化祭の準備が本格的に始まったのは11月に入ってからだった。
授業が終わった放課後に生徒達がそれぞれの担当に分かれて作業を進める。
もちろん教室だけでは場所が足りないので大きな工作物などは先生の許可をもらって技術室や美術室を使わせてもらうことになっていた。
作りかけのものも邪魔にならないようにそれらの教室で保管する。
そういうわけで俺は今、技術室へ向かう廊下を歩いていた。
手には必要な資材を書き出した紙が一枚。 射的台を組み立てるために必要な板の大きさを確認し使えそうなものが残っていないか調べるためだ。
工作担当になったからにはきちんとしたものを作らないといけない。
せっかく遊びに来てくれた人が、的を倒した途端に台まで壊れてしまったなんてことになったら笑い話にもならないからな。
そんなことを考えながら廊下の角を曲がろうとした、その時だった。
「あれ、書本」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると向こうから一条優が歩いてきていた。
片手には何枚かの紙を持っている。
どうやら彼女も文化祭の準備をしているらしい。
「一条。準備のやつか?」
「ああこれ?そうそう。ちょっと先生に用事があってさ。そっちもだよね?」
「似たようなもんだな。工作に使う材料を取りに行くところ」
「へえ工作、何か作るの?」
「まあな」
一条は俺の持っている紙にちらりと目を向けた。
そしてふと思い出したように尋ねてきた。
「そういや今日彼女は?」
「早苗は教室で手伝っているよ」
「ふうん。相変わらず一緒にいるんだね」
「同じクラスだからな」
「そういうことにしといてあげるよ」
何が言いたいのかよく分からない。
もっとも一条は特に答えを求めていたわけでもないらしくそれ以上追及してくることはなかった。
「っていうかそっちのクラスって何やることになったの?」
「射的をすることになったんだ。お菓子とかを景品にして的を倒したらもらえるってやつ」
「あー、いいじゃん。普通に楽しそう」
「そっちは?」
何気なく聞き返したところ一条の表情が何とも言えないものに変わった。
「メイド喫茶」
「メイド喫茶?」
思わず聞き返した。
「そう。メイド喫茶。誰が言い出したのか忘れたけどさ男子がやたら盛り上がって多数決で勢いのまま決まってた」
文化祭では定番の出し物という話も聞くしそれほど珍しいものではないのだろう。
しかし一条は不満そうだった。
「なんで私らがメイド服着なきゃいけないのか……。あれ露出もあるじゃん」
「そんなに嫌なのか?」
「そりゃそうでしょうよ。別に全員が着たいわけじゃないし。そもそもなんで文化祭でメイド服なのよ」
「まあ…文化祭だからじゃないかな?」
「答えになってないからね、それ」
そう言われても困る。
俺だってメイド喫茶について詳しいわけではない。
せいぜいフリルのついた服を着て飲み物や食べ物を運ぶ店という程度の知識しかない。
「でもメイド服っていっても色々あるんじゃないのか?露出の少ないやつとか」
「それはそうなんだけどね。今、衣装をどうするかで揉めてるところ」
「大変だな」
「ひとごとだなあ」
一条は大きなため息をついた。
そういえば気になったことが一つある。
「メイド喫茶って、男子はどうするんだ?」
純粋な疑問だった。
女子がメイド服を着るというのは何となく想像できたが男子の仕事はどうなるんだ。
調理担当なのか…それとも裏方なのか。
「は?男子もメイドになるに決まってんじゃん」
「…………え?」
「じゃ私そろそろ戻るから。またねー」
「あ、ああ…?」
それだけ言い残すと一条は手をひらひらと振りながら廊下の向こうへ歩いていった。
俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
男子もメイドになる。
つまり男子もあのフリルのついた服を着るということなのだろうか。
いや、待て。
メイド喫茶なのだから男子は執事の格好をするという可能性だってあるはず。
そういう話なら聞いたことがある。
しかし一条は確かに男子もメイドになると言っていた。
……本当に?
だとしたら恐ろしい。
俺達のクラスが射的で本当に良かった。
そんなことを考えながら再び技術室へ向かって歩き始める。
もっとも一条の話がどこまで本当なのかは分からない。
そしてこれは余談、風の噂というやつだ。
その真偽は、文化祭当日になれば分かるらしい。
技術室で必要な資材を確認して使えそうな板や工具を借りてから教室へ戻ってきた。
教室の中からは何やら賑やかな声が聞こえてくる。
文化祭の準備をしているのだから当然なのだがどうにもいつもより騒がしいような気がした。
何かあったのだろうか。
そんなことを思いながら扉を開ける。
「ですから、お祭りで一番大切なのは、来てくださった方が楽しめることなんです!」
聞き慣れた声が教室に響いていた。
……何をやっているんだあいつは。
視線を向けると教室の中央に置かれた机の周りに何人かのクラスメイトが集まっていた。
その真ん中にいるのは早苗だった。
机の上には景品用のお菓子の一覧表や、飾り付けの案を描いた紙が広げられている。
どうやら景品の配置について話し合っていたらしい。
それはいいんだ。
問題は早苗が何やら熱心に説明していることだった。
「例えばですね、射的の景品をただ並べるだけでは少しもったいないと思うんです!」
「もったいない?」
「はい!お祭りの屋台って遠くから見ても何をやっているのか分かるようになっていますよね?それに景品がたくさん並んでいると何だか挑戦してみたくなりませんか?」
「あー、分かるかも」
「大きいお菓子とかあると欲しくなるよね」
「そうなんです!」
早苗は嬉しそうに頷いた。
「だから景品は種類ごとに分けてなるべく見やすい高さに並べるといいと思うんです。それから難しい的には少し特別なお菓子を用意するとか!」
「なるほどねえ」
「でもさそれだと上手い人ばっかり景品持っていかない?」
「そこも大切なところですね!」
早苗は待っていましたと言わんばかりに人差し指を立てた。
「小さなお子さんや射的が苦手な方でも楽しめるように簡単な的も用意した方がいいと思います。難しい的ばかりだと景品が取れなくてがっかりしちゃいますから」
「たしかに」
「それに的に当たらなくても参加した記念に小さなお菓子を一つ渡すというのもいいかもしれません。ただしこれは予算と相談ですけど」
そこまで言って早苗は机の上にある予算表を指さした。
どうやらただ思いつきで話しているわけではないらしい。
景品の数や予算を考えながらどうすれば多くの人に楽しんでもらえるかを考えているようだった。
「あと飾り付けも大切ですよ。射的といったらやっぱりお祭りの雰囲気が欲しいですから!」
「提灯とか?」
「はい!もちろん本物の提灯でなくても大丈夫です。紙で作った飾りを吊るしたり、色画用紙で看板を作ったりするだけでも雰囲気が変わると思います」
「東風谷さん、すごい詳しいね」
「お祭りには少しだけ自信がありますので!」
少しだけという言葉には疑問がある。
早苗の家は守矢神社なのだから祭りについてずっと詳しいはずだ。
それにしても随分と楽しそうだ。
俺は持っていた資材を邪魔にならないところへ置きその様子を眺めていた。
「でもさ、お祭りってそんなに色々考えてやるものなの?」
クラスメイトの一人が尋ねた。
早苗は少し考えるように顎に手を当てた。
「そうですね……お祭りにも色々ありますから一概には言えませんけど」
それからゆっくりと話し始める。
「神社のお祭りなら神様に感謝を伝えたりこれからも見守っていただけるようにお願いしたりする、大切な意味があります。でもそれだけではないと思うんです」
「それだけじゃない?」
「はい。お祭りの日って普段はあまり顔を合わせない人も集まりますよね。家族や友達と一緒に来たり屋台で遊んだりお話をしたり。そういう時間もお祭りの大切なところだと思うんです」
そう話す早苗の声はいつもより少しだけ穏やかだった。
「神社のお祭りと学校の文化祭は、もちろん違います。でもみんなで準備をして来てくださった方を迎えて一緒に楽しむところは似ていると思います。だからせっかくなら来てくださった方にも私達にも、楽しい思い出が残るようにしたいんです」
「おおー」
「なんか本格的だね」
「東風谷さんのお祭り理論だ」
「お祭り理論…ですか?」
早苗はきょとんとした顔をした後、少し照れくさそうに笑った。
「そ、そんな大げさなものではないですよ?」
「いや、でも説得力あるよ」
「そういえば東風谷さんの家って神社関係だっけ?」
「私、守矢神社行ったことあるー」
「えっ、本当ですか?」
早苗がぱっと顔を明るくした。
「あそこって山の方にある神社だよね?」
「はい!守矢神社です!少し遠いですけど、景色も綺麗ですし、空気も気持ちがいいんですよ」
「また行ってみようかな」
「ぜひいらしてください!お待ちしています!」
……ああ、いつもの早苗だ。
隙あらば守矢神社に人を呼び込もうとするところは相変わらずである。
もちろん本人としては純粋に神社へ来てほしいだけなのだろう。
しかしいつの間にか文化祭の話から守矢神社の話に変わりそうになっている。
このままだと境内の案内や神社の由来まで説明し始めるかもしれない。
そんなことを考えているとちょうど教室の扉が開いた。
「おーい、みんな。作業進んでるかー?」
担任の先生だった。
その声で集まっていた生徒達が一斉に振り返る。
「先生、景品の並べ方決まりそうです!」
「飾り付けも今考えてまーす」
「工作班は?」
「今、材料を持ってきたところです」
俺もそう答えた。
「お、書本。ちょうど良かった。射的台の方はどうだ?」
「必要な材料は揃いそうです。今日中に仮組みまでは進めたいと思っています」
「そうか。怪我だけはしないようにな。工具を使う時は気をつけろよ」
「分かりました」
先生は頷くとほかの生徒にも進捗を確認し始めた。
その間に早苗を囲んでいたクラスメイト達もそれぞれの作業へ戻っていく。
どうやらお祭り理論の発表会はこれで終わりらしい。
俺もそろそろ仕事をしなければ。
作業台のある場所へ向かおうとすると早苗がこちらに気づいた。
「あ、護くん。お帰りなさい」
「ただいま。随分と賑やかだったな」
「聞いていたんですか?」
「途中からだけどな。何だかお祭りについて随分と熱心に話していたみたいだけど」
「あはは……ちょっと話が盛り上がってしまいまして」
早苗は少し恥ずかしそうに頬をかいた。
「でも色々な意見が出て良かったです。せっかくの文化祭ですから、楽しいものにしたいですし」
「そうだな」
「護くんの方はどうですか?」
「材料は揃ったからあとは組み立てるだけだな」
「私にも何か手伝えることがあれば言ってくださいね」
「ありがとう。その時は頼むよ」
そう答えると早苗は嬉しそうに頷いた。
それから俺達は、それぞれの仕事へ戻ることにした。
放課後の教室は普段とは少し違った雰囲気に包まれていた。
机を寄せて看板を作っている生徒。
色画用紙を切って飾り付けを考えている生徒。
景品の一覧表を見ながらどのお菓子をどれくらい用意するか相談している生徒。
あちらこちらから話し声が聞こえて時折笑い声も混ざる。
俺も工作担当の生徒達と一緒に射的台の製作を進めていた。
用意した板を組み合わせ倒れにくいように固定する。
的を置く場所や高さについても確認しながら何度か位置を調整した。
実際に遊ぶ人のことを考えると台が高すぎても低すぎてもいけない。
それに教室内で行う以上は安全にも気を配らなければならない。
「書本、ここの板ってもう少し短い方がいいか?」
「あーー…長すぎると横の通路が狭くなる。あと少し切った方がいいと思う」
「了解。じゃあ印つけとくわ」
そんなやり取りをしながら作業を続けているといつの間にか時間が過ぎていった。
まだ完成には遠いものの射的台らしい形が少しずつ見え始めている。
自分達で一から作っているせいだろうか。
こうして形になってくるとなかなか面白い。
普段なら授業が終わればすぐに帰る生徒達も今日はそれぞれの仕事に夢中になっている。
文化祭というのはこういうところも楽しいのかもしれない。
ふと窓の方へ目を向けた。
外には秋の山々が広がっている。
でもまだ緑色の木々も多い。
黄色や赤色に染まった部分が混ざり合い少しずつ山全体の色が変わってきていた。
ただその中に一箇所だけ妙に鮮やかな紅色が見えている。
この間から気になっていた場所だ。
ほかの木々とは明らかに色づき方が違っている。
まるであそこだけ季節が先に進んでいるような。
……何なんだろうな、あれ。
単に紅葉が早く進んでいるだけなのかもしれない。
山の斜面によって日当たりも違えば、植わっている木の種類だって違う。
場所によって紅葉の時期が多少ずれることくらい、珍しくはないはずだ。
それにしては赤すぎる。
紅と言ってもいいくらいだろうか。
俺はしばらく窓の外を眺めていた。
今のところ特に何かが起きているわけではない。
怪しい気配がこちらまで漂ってくるわけでもなく学校で妙な噂が広がっている様子もなかった。
だから今すぐどうこうする必要はないだろう。
それに文化祭の準備もある。
さすがに今からあの山へ行けるほどの時間はない。
そう考えて視線を戻そうとしたところ窓際にいた早苗が目に入った。
早苗もまた外を眺めていた。
その視線の先にあるのはどうやら俺が気にしていた山の一角らしい。
しばらくすると早苗がこちらを見た。
目が合うと何かを言いたそうな顔だった。
俺も声をかけようとしたその時だった。
『校内に残っている図書委員の皆さんに連絡します。図書委員の皆さんは、図書室へ集合してください。繰り返します――』
突然、校内放送が流れた。
早苗は一度天井のスピーカーを見上げそれから俺の方へ視線を戻した。
「あ、図書委員です」
「今日何かあるのか?」
「いえ…うーん……何でしょう。特に聞いていませんけど文化祭についてでしょうか?」
「この時期だし、かもしれないな」
「すみません、護くん。ちょっと行ってきますね」
「ああ、行ってらっしゃい」
「はい!」
早苗は机の上にあった紙を片づけると近くにいたクラスメイトへ一声かけてから教室を出ていった。
その後ろ姿を見送り俺は再び作業台へ向き直る。
結局紅い山のことは聞きそびれてしまった。
まあまた後で聞けばいいかな。
そんなことを思いながら俺は続きを始めた。
早苗が戻ってきた頃には今日の準備もそろそろ終わろうとしていた。
外はすでに夕方になっていた。
窓から差し込む光は随分と赤みを帯びていて教室の中には長い影が伸びていた。
工作担当の俺達も今日の作業を切り上げることにした。
作りかけの射的台は先生の許可をもらって技術室へ運び、細かな道具や材料も所定の場所に片づけておく。
明日になればまた続きから始められるだろう。
教室へ戻ると早苗が自分の席の近くで荷物をまとめていた。
「お帰り早苗。図書委員は何かあったのか?」
「あ、護くん。お疲れさまです」
早苗は鞄を持ち上げながらこちらを向いた。
「実は文化祭のことで少しお話がありまして」
「やっぱり文化祭か」
「はい。図書委員でも何か催しをすることになったんです」
「へえ。何するんだ?」
「絵本の読み聞かせですね。文化祭には小さなお子さんもいらっしゃるでしょうから図書室で絵本を読んであげることになったんです」
図書室らしい催しだと思う。
学校の文化祭には生徒の家族や地域の人も来ると聞いている。
小さな子供が楽しめる場所があってもいいだろう。
「早苗も読むことになったのか?」
「そうなんです。図書委員の中で担当を決めたんですけど私も読み聞かせをすることになりまして」
「そうか。何の絵本を読むんだ?」
「それはまだ決まっていないんですよね。これから候補を出してみんなで選ぶことになっています」
「なるほどな」
早苗ならきっと上手く読めるだろう。
普段から図書室で本を読んでいるし子供相手でも優しく接することができそうだ。
「でもクラスの接客もあるな」
「はい」
「それに図書委員の仕事もあるとなると忙しくなりそうか?」
「そうですね。クラスの準備もありますし図書委員のお仕事もありますから」
早苗は少し困ったように笑った。
文化祭当日の担当時間についてはこれから調整するらしい。
クラスの射的も図書室の読み聞かせもどちらも放っておくわけにはいかない。
早苗一人だけが忙しくならないように上手く時間を分けられるといいのだが。
「大丈夫か?」
「はい。図書委員の先生もクラスの出し物と重ならないように調整してくださるそうです」
「なら良かったが」
「それに……」
早苗はそこで一度言葉を切った。
そして少し嬉しそうに微笑んだ。
「楽しみなんです」
「読み聞かせが?」
「それもですけど……文化祭そのものがですかね」
そう言って早苗は窓の外へ視線を向ける。
夕日に照らされた教室は昼間とは違って随分と静かになっていた。
つい先ほどまで賑やかだったクラスメイト達もほとんど帰ってしまっている。
机の上には作りかけの飾り付けが残り黒板には文化祭までの予定が書かれていた。
今日一日、みんなで準備していたことを思い出す。
「中学の頃の私だったら多分引き受けませんでした。誰かと関わるのが怖くて学校にも行けなくなって……ずっと一人でいましたから」
俺は黙ってその話を聞いていた。
早苗が中学時代に学校へ通えていなかったことは知っている。
神様が見えることや守矢神社のことを周囲に話してもなかなか理解してもらえなかったことも。
俺達にとっては当たり前のように存在しているものがほかの人には見えていない。
それだけで周囲から奇妙な目で見られてしまうことがあるのだから。
俺自身、幼い頃から普通の人には見えないものを見てきた。
だから早苗が経験してきたことを完全に理解できるとは言えなくても多少は分かるつもりだった。
そして今の早苗が以前とは違っていることも。
「今は違います。クラスのみんなと準備をしたり図書委員のお仕事をしたり……こんなふうに毎日を過ごせるなんて、あの頃は思ってもいませんでした」
早苗は俺の方を見る。
「護くんのおかげでもあるんです。あの日、桜が咲いていたあの時に護くんと出会えて良かったです」
そう言って微笑んだ。
「一人じゃないって安心するんです」
何と返したらいいのか少し迷った。
俺はただ早苗と出会って同じものを見ることができて一緒に過ごしてきただけだ。
神社へ行ったり学校で昼飯を食べたり時には怪異に巻き込まれたり。
そうした毎日の中で早苗が少しずつ周囲と関わるようになっていった。
今日だってそうだ。
クラスメイトに囲まれて楽しそうにお祭りの話をしていた。
神社について尋ねられれば嬉しそうに答え、守矢神社へ来てほしいと笑っていた。
あの光景を見ていて俺は嬉しくなった。
けれどそれをわざわざ言葉にするのは何となく照れくさい。
本当は言葉にするべきなのだろう。
だから代わりに聞いてみた。
「……文化祭、楽しみか?」
「はい」
早苗は迷うことなく頷いた。
「とても楽しみです!」
その笑顔を見て俺も自然と笑みがこぼれた。
そうか。
楽しみなのか。
それならきっといい文化祭になるだろう。
少なくともそうなってほしいと思った。
窓の外では夕日が山々を赤く染めていた。
黄色く色づき始めた木々もまだ緑色を残している山肌も夕暮れの光を浴びて柔らかく輝いている。
そしてその中にある一箇所だけ。
異様なほど鮮やかな紅葉がひときわ強く目に映った。
夕日を浴びたその場所はまるで山の一部が燃えているかのようだった。
美しいほど綺麗だった。
「護くん?」
早苗の声で我に返る。
「ああ、何でもない」
「そうですか?」
早苗もちらりと窓の外を眺めた。
気づいてはいるのだろう。
少し気にはなったが今はもう時間が遅い。
あの山の様子についてはまた時間のある時に早苗と話してみよう。
「そろそろ帰ろうか」
「はい。そうしましょう」
俺達は鞄を持ち誰もいなくなった教室を後にした。
廊下にはほかの教室から聞こえてくる文化祭の準備の音がまだ微かに響いていた。
どこかで笑い声が上がり別の教室からは何かを運ぶような物音がする。
文化祭までもう少し。
きっと明日もその次の日もこんな賑やかな放課後が続くのだろう。
早苗はそんな廊下を歩きながら当日の読み聞かせではどんな絵本を読もうかと楽しそうに話していた。
俺はその話を聞きながらゆっくりと隣を歩く。
窓の向こうでは秋の山が静かに暮れようとしていた。
あの一箇所だけ紅く染まった山のことは少し気になってしまっているが…けれど今はもう少しだけ。
こうした何でもない放課後が続いてくれればいいと思った。