よう実×都市伝説解体センター   作:Shu@cosmos

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8話 過去は追いかけてくるもの

「白波さん!?」

 

 不自然に硬直して沈み始めた白波千尋にプールサイドのクラスメイトが動揺し、一之瀬帆波が悲鳴を上げる中、廻屋渉は躊躇なくプールに飛び込んだ。

 どうやら足が攣ってしまったようで、痛みで満足に体を動かせず、パニックに陥ってしまったようだ。

 溺れる白波の位置を確認すると渉はプールの底を這うように蹴って伸び、ほどなく到達すると彼女の身体を肩に抱える。

 そのままプールの底を蹴ると、いつもより長く感じるほどの時間を経て水面から飛び出した。

 

「ッ、落ち着いて! 白波さん、落ち着いてください!」

「いや、うわあああああッ!」

 

 溺れる恐怖、そしておそらく足が攣った痛みから咳き込みながらパニックを起こして滅茶苦茶に暴れる白波。

 両手で抱えた彼女を落ち着かせるべく声を張り上げたが左程効果は表れず――。

 

「ッ、つっ……」

 

 我武者羅に腕を振り回す白波の手――指先の爪が渉の頬を掠める。

 痛みに呻くがパニックを起こしている彼女を離すわけにもいかず、立ち泳ぎでゆっくりとプールサイドに近づいていく。

 

「大丈夫か、白波、廻屋!」

「遅いですよ、東山先生。私は大丈夫なので、彼女の右腕をお願いします」

「すまんすまん……っ、お前その顔」

 

 異変に気付いたのか、すぐにジャージを脱いで飛び込んできた東山先生が白波の右腕を首に回して抱える。

 渉の頬にできた傷から血が流れており、青白い肌を鮮血に染めていた。

 息をのんだ東山に構うことなく、彼女の左腕を抱えた渉はようやく底に足をつくことができ、水の抵抗を煩わしく思いながら歩く。

 両腕を抱えられた白波は大人しくなり、ぐったりと水に身体を漂わせながら運ばれていった。

 

「白波さん、大丈夫!?」

「廻屋、お前血が……!」

「心配ありません。見た目ほど酷くないですよ」

 

 プールサイドに辿り着いた3人を迎えたのは白波と仲が良い一之瀬と渉の友人である神崎隆二の2名。

 見るからにぐったりしている白波と頬から血を流している渉に2人の顔が青くなる。

 血管が集中している顔からの出血は多く、手で傷を隠しているもののあまり意味を成しているとは言えなかった。

 渉の手から覗く血に慄く周囲をよそに渉は白波をプールから出して2人に預け、それから素早く東山が上がって彼女を抱えた。

 

「休憩室にティッシュとタオルがあるから、廻屋は一旦それで止血しろ。一之瀬と神崎は更衣室から予備のジャージを持ってきてくれ。俺は彼女を休憩室に運んだら内線で保健医の星之宮先生を呼ぶから、他の者は指示があるまで待機だ」

 

 東山がテキパキと指示を出すと休憩室に足を進め、渉もそれに続く。

 休憩室のベンチにタオルを敷いて簡易的な臨時ベッドとし、東山はその上に白波を横たえる。

 内線で星之宮に連絡を終えた東山が出ていき、椅子に座って止血を続けていると程なくして神崎を一之瀬が来た。

 

「ほら、ジャージ取ってきたぞ」

「ありがとうございます、神崎さん。一之瀬さんは白波さんを見ていてください。呼吸はしていますが水を飲んでしまったようなので、身体を横にして仰向けにならないように。それと体を冷やさないようにタオルを掛けてください」

「うん、分かったよ」

「神崎さんは皆のもとへ。こちらは大丈夫だと安心させてあげてください」

「了解した」

 

 受け取ったジャージを水着の上から着ると、渉は椅子に座り止血を続けながら一之瀬に白波の応急処置をお願いして、神崎にもクラスメイトへの報告を要請する。

 神崎が出て行くのを確認した渉は一之瀬と白波の方を見ると、ジャージを着た一之瀬の表情が沈んでいた。

 沈黙に耐え切れなくなったのか、渉の視線に気づいたのか……そのどちらかか、療法かは定かではないが、彼女は誤魔化すように笑った。

 

「……にゃはは、廻屋くんは凄いね。真っ先に助けに飛び込んで……私なんか、白波さんが溺れているのを見てもすぐには動けなかったもん」

「私は水泳部ですからね。当然の事をしたまでです」

「そっか……ごめんね」

「……何がです?」

 

 いきなりの謝罪に思い当たる節がなく、渉が尋ねると一之瀬はどこか思いつめたような表情だった。

 愛想笑いも保てない沈痛な面持ちで、短い沈黙ののち彼女は懺悔するように口を開いた。

 

「……私が白波さんを応援して緊張させちゃったから溺れちゃったんじゃないか、廻屋くんに怪我させちゃったんじゃないか……そんな風に思っちゃって」

「考えすぎですよ」

「……そうかな」

 

 渉がバッサリと断定しても、一之瀬の表所は暗いままだ。

 クラスメイトに頼られ、それに不足なく応える普段の彼女からは連想しにくい自罰的な思考だが、前にも見せた低い自己評価も併せてみればあり得ないことではない。

 そしてそれが彼女の過去の経験からきているのだろうことは容易に想像がつく。

 

「一之瀬さん」

「なに?」

「きっと貴女の自罰的な思考は、貴女の過去の経験によるものなのでしょう」

「……っ」

「安心してください。貴女の過去に何があったか、それを聞くつもりはありません」

 

 渉とて、一之瀬の過去に興味が無いわけではない。

 しかし、まだ半月の付き合いだとしても彼女が類稀な善性を持っていることに疑いはなく、そんな彼女が苦しむのは渉にとって心情的に歓迎すべき事態ではなかった。

 肩を震わせて俯く彼女に、その思いを一層強くする。

 

「白波さんとは仲が良いんでしょう? 教室で、彼女とよく話していましたから」

「……よく見てるね」

「隣の席ですから」

「そうだったね」

 

 力なく笑う一之瀬。

 そんなことに頭が回らくなっているほど、追い詰められているのだろう、と渉は考え言葉を続ける。

 

「応援がプレッシャーになってしまったと言いますが、貴女から見て白波さんは友人からの声援を迷惑に思う人でしょうか?」

「そんなことないよ。白波さんはちょっと気が弱いところはあるけど、友達想いのいい子だよ」

「ならきっと、あなたの応援に応えようとして空回ってしまっただけでしょう。私の怪我については事故以外の何物でもない。誰のせいでもありませんよ」

 

 白波が溺れたことと渉の怪我は一之瀬の責任ではない――渉がそう断じると、一之瀬は黙り込んだ。

 どこまで伝わったのかは定かではない。

 しかし、おそらく無意識なのだろうが、張りつめていた一之瀬の肩の力が抜けたように渉は感じた。

 

「廻屋くんは、優しいね。……ありがとう」

 

 礼とともに浮かべられた一之瀬の笑みにいつもの覇気はなかったが、穏やかだった。

 これで彼女が抱える全てが解決できたわけではないが、余計なものを背負わせることは防げたということだろう。

 少なくとも、渉はそう感じていた。

 

「廻屋くんは、不思議な人だね」

 

 そっと告げられた言葉に、渉は彼女と視線を交し合う。

 

「割と近くで見ていたのに、どれぐらい君のことを知れているのか、図ることもできない」

「私のことを知りたいのですか?」

「……うん。そうだと思う」

 

 静かに、一之瀬が渉の目を覗き込む。

 幾度と見た金色の瞳に拒絶の色は見えなかったが、その奥底は霧に閉ざされたように見通すことができない。

 固く閉ざされた扉を開く鍵を、一之瀬は持ち合わせていなかった。

 

「綺麗な目……」

 

 呼吸も忘れて見入る一之瀬に渉も言葉を発することはなく、濡れた髪から雫が落ちる音さえ反響するような錯覚に陥る。

 一之瀬の蒼い瞳をじっと見ているのは、渉も同じだった。

 

 時間の経過すら意識の外に行きそうな空気の中――おもむろに休憩室の扉が開かれた。

 

「廻屋くん、白波さん、大丈夫!?」

「ほ、星之宮先生!?」

 

 救急箱を手に息を切らした星之宮が現れ、渉と一之瀬、そしてベンチで眠る白波を交互に見遣る。

 渉の目をじっと見つめていた一之瀬は星之宮の入室にビクリと飛び上がった。

 

「何を驚いているんですか、一之瀬さん。星之宮先生、白波さんは水を飲んでしまったようですが、呼吸は正常です。応急処置はしましたが、お願いします」

「分かったわ。とはいっても、見た感じ応急処置がしっかりしているから、私がやることはほとんどないと思う。廻屋くんの怪我は……」

「――あ、あの……!」

 

 星之宮が渉の怪我を診ようと顔を覗き込もうとすると、不意に一之瀬が声を上げた。

 

「廻屋くんの傷の処置は私がやります。先生は白波さんを診てあげてください」

「……そうね。爪が当たっての出血ならそう酷いものではないでしょうし、消毒してから絆創膏を貼ってあげて」

 

 どこか含むような笑いを見せながら、星之宮は一之瀬に救急箱を渡すと白波の診察に入った。

 傷の処置は簡単で素人の一之瀬にもでき、彼女はテキパキと手際よく消毒敵を脱脂綿に湿らせて傷口を消毒すると、絆創膏を手に取る。

 

 

 

 そして、一之瀬帆波は廻屋渉の頬に手を添えた。

 

 

 

「――――――ッ」

 

 不意の接触に、渉は思わず息をのむ。

 幼い頃、生まれついてのギフテッド故に情報処理が飽和して参ってしまい、兄である努に訴えた事がある。

 頭の中が煩くてたまらない、と。

 頬に手を当てる動作はその時にしてもらった心が落ち着くお呪いだ。

 

 その行為は、如月渉にとって兄である努との繋がりを思い起こさせる特別な儀式でもあるのだ。

 

 もちろん、治療の一環であることは理解している。

 しかし無意識に自分でやるならいざ知らず、性根の善性を認めていたとはいえ他人の一之瀬による接触は不意打ちもいいところであり、渉の精神は端的に言ってバグってしまった。

 

「……? 廻屋くん?」

 

 もちろんそんなことを知る由もない一之瀬は絆創膏を貼りながら、見たことのない様子の渉に首を傾げた。

 普段の穏やかで冷静さを感じさせる表情はそこにはなく、遠い目で空白という表現が当てはまる表情の渉の顔を、一之瀬は気づけば見つめていた。

 金色の目を大きく見開き、椅子に座って一之瀬を見上げている渉はどこか幼さを感じさせ、一之瀬は奇妙な既視感に囚われる。

 

 それは幼き頃の思い出。

 今は病院通いの母も元気だった頃、一緒に遊んでいた妹が転んで怪我をして、私は今のように妹の手当てをしていて――。

 

「おーい、おふたりさん? いちゃつくなら他所でやってもらえないかなー?」

「にゃ!?」

 

 好奇に満ちた声に我に返った一之瀬が飛び上がるように振り返ると、面白いものを見たと言わんばかりに目を爛々と輝かせている星之宮の顔が目に入る。

 渉の頬に手を当てて、吸い込まれんばかりに見つめ合っている――ふと、そんな状況を客観視した一之瀬は、自身の顔が羞恥で熱くなるのを抑えられなかった。

 

「い、いちゃついてなんていませんよっ!」

「えぇー、ほんとにござるかぁー?」

「何ですか、その語尾!? ちょっと、星之宮先生!」

 

 チェシャ猫のような笑みを浮かべている星之宮は完全に愉しんでおり、焦る一之瀬の追求をのらりくらりと躱している。

 

 我に返ったのは渉も同じで、女二人でも姦しい空間となってしまった休憩室で疲れたように息を吐いた。

 星之宮が揶揄っているような恋愛感情は渉にはない……少なくとも、今の自分にはないと自覚している。

 心の余裕がないというと語弊があるが、誰かを想い、自分の心に住まわせるということに少なくない忌避感があるのだ。

 

 一方で、心の柔らかな部分に触れられたにも関わらず、一之瀬に対する拒絶感があまり沸いていないことに困惑していた。

 意図しての事ではないとはいえ、兄との大事な思い出の所作を他人である一之瀬が模倣したというのに、心は不思議と落ち着ていた。

 条件反射――躾をされた犬でもあるまいに、と頭を振り、浮ついた考えを追い出す。

 

 未来は誰にも分からないのだから、絶対はない。

 とはいえ、もしも自分が恋愛感情を抱き、誰かと深い関係になるのだとしたら――。

 

「(……復讐の形を変えざるを得ないのでしょうね)」

 

 そんなことになる確率は如何ほどか、とどこか自嘲しながら、ヒートアップしていく2人を宥めに近づく渉だった。

 

 

   =   =   =

 

 

 季節外れの水泳の授業が終わり、渉の周囲で変わったことは2つ。

 

 1つ目は渉が助けた白波千尋の件。

 隣席である一之瀬と仲が良い白波の姿を渉は日常的に見ていたのだが、例の水泳までは白波は渉に対して心理的な壁を貼っていた。

 壁と言っても嫌悪の視線などの目立つものではなく接触を避ける程度のもので、渉に対してだけでなく他の男子生徒にも似たような態度だったため、男性が苦手なのだろう、と判断して特に追及することはなかった。

 そんな彼女だが、水泳の授業直後は流石に学校を休んだものの、復帰してすぐに渉のところに来て感謝と謝罪をはっきりと述べ、頭を下げてきた。

 救助の際に不慮とはいえ顔に傷を付けてしまったとあっては、心境の変化があったのだろう。

 

 2つ目は一之瀬帆波の件。

 距離感が近くなったわけでも遠くなったわけでもないのだが、水泳の授業――正確に言えば休憩室での一件以降、互いを推し量るような視線が一之瀬と渉の間で時折交わされるようになったのだ。

 そのくせ普段話すときはいつも通りの態度を崩さないのだから、場の空気に敏い者は揃って首を傾げていた。

 最近渉とも普通に話すようになってきた白波は特にその空気を感じており、自分が寝ている間に何があったのかとも思っていたが、デリケートな話題だったらどうしよう、と聞くに聞けないでいた。

 

 そして1週間が経ち、4月末の放課後。

 1年Bクラスの面々は本日抜き打ちで行われた小テストについて雑談を交わしていた。

 1科目4問を5科目(英語、数学、国語、理科、社会)、計20問の小テストは殆どが中学生レベル、なんなら入試よりも簡単な問題で占められていたのだが、最後の3問は明らかに他の問題と難易度が隔絶していたのだ。

 高校1年で習う範囲ではない問題に訝しむ者が多数だったが、テスト前に星之宮から『結果は成績には反映しない』と明言されていることもあって深刻に捉えている者は少数だった。

 

「廻屋くんはどうだった? 今日の小テスト」

 

 その深刻に捉えている生徒の1人である一之瀬は、真剣な表情で隣席の渉に話しかけた。

 

「問題なく解けましたよ」

「流石だね。……やっぱり来月のポイントに関わってくると思う?」

「『成績には反映しない』なら、そういうことでしょう」

「だよねー」

 

 渉も一之瀬も、小テストが5月の支給ポイントの査定に関わってくると見ていた。

 監視カメラによる生活態度による査定を指摘してクラスで共有して以降、クラスメイト達は真剣に授業に臨んでおり、渉の見ている限りでは問題になるような行為は発見されていない。

 他のクラスについては自クラスほど詳しくないが、Aクラスは真面目な生徒が多く、Cクラスは不良が多く、Dクラスに至ってはさながら学級崩壊のような有様であることはクラスメイトや部活のメンバーから伝え聞いている。

 

「(ポイントの支給額に差が出るなら、必然的に競争が始まることになる。上のクラスは下を見下し、下のクラスは上を妬む。他のクラスが優遇されているのを目の当たりにすれば、当然の事です。3年間クラス替えがないなら、競争は卒業まで続くのでしょう。退学者が出るほど過酷な競争のモチベーションを保つためには、報酬が要る。しかし――――)」

「――――やくんっ。廻屋くんっ!」

 

 考え事に集中していたためか、一之瀬に肩を叩かれて初めて呼ばれていることに気付く渉。

 我に返ると一之瀬は教室の入り口を指さしており、見れば紫色の長い髪の女生徒が立っていた。

 

「神室さんが呼んでいるみたいだよ」

「神室さん?」

「うん。1年Aクラスの子だよ」

 

 怜悧な美貌の女生徒からの呼び出しということで好奇に満ちた視線と囁きが奔るが、当の女生徒・神室(かむろ)真澄(ますみ)の表情には億劫さが多分に含まれており、クラスメイトが想像するような甘酸っぱさは渉にも見出すことはできなかった。

 初対面の女生徒だが呼び出しに応じないわけにもいかず、渉は席を立って教室を出るのだった。

 

 

「……また頬に手を当てていた。考える時の癖なのかな……?」

 

 

   =   =   =

 

 

「あんたに用があるって子がいるの。悪いけどついてきて」

 

 有無を言わせず足を進める神室に肩をすくめつつ、渉は彼女に追従する。

 そして辿り着いたのは特別棟3階――監視カメラが設置されていないエリア。

 

「連れてきたわよ」

「ありがとうございます、真澄さん。もう下がっていいですが、くれぐれも内密に」

「分かってるわよ」

 

 廊下の角でそんな会話がされた後、神室に代わって1人の女生徒が姿を見せた。

 細い体躯で杖をつきながら、短く切りそろえた銀髪の、人形かと見紛うほど整った顔立ちの少女。

 渉はその少女に見覚えがあった。

 

「なるほど、呼び出したのは貴女ですか――坂柳(さかやなぎ)有栖(ありす)さん」

「ええ。お久しぶりです、廻屋――いいえ、如月渉くん」

 

 

 




一之瀬さんが弱体化してすぐに悩みを打ち明けているように見えますが、まだクラスのリーダーを任されておらず、決意を固めていない時期のためとさせてください。

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