星穹列車と豊穣の行人   作:メラニンEX

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図讖(としん)…未来の吉凶を記した書物。未来記。【後漢書 光武紀上より】
サガルマート編プロローグです。これより先、知らない奴と知らない奴の恋愛話・歴史・設定ばっかり出ます。


図讖上映PV「黄鶴楼にて」

 

景元が応接室の扉を開けると、露台の椅子からひとりの老人がサッと立ち上がって礼をした。きびきびした、歳を感じさせない動作だった。公的な用向きで使うことのない部屋なので、部屋内も露台にも格式ばった調度品は置いていない。どれも景元の好みの、素朴な造りの家具や茶器だけだ。そんな部屋の空気に、麻の簡素なスーツと刺繍の施されたストールだけを纏う老人はよく馴染んでいた。

 

「お久しゅうございます、将軍閣下。この度はお時間を頂戴し、ご尊顔を拝する栄誉にあずかりましたこと……」

「毎度言っている気がするが、堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ、◾️◾️殿。そろそろ、このやり取りを省略してもいいと思うんだが」

 

かしこまった挨拶を滔々と述べ出したので、景元が慣れた様子で遮ると、老人はにっといたずらっぽい顔で笑った。これはいつものことで、同時に意図的なものだった。きらきらと、景元よりくすんだ金の眼が、目元のそばかすと相まって少年のように何とも言えない愛嬌を持って細まっている。

 

こほん、とわざとらしい咳払いと共に相好をくずした老爺は、親し気に握手を求めた。景元が握り返すと、彼よりもすこし高い体温の、胼胝だらけの掌の感触がありありと伝わってくる。1年と少しぶりに握る、友人の手だった。

 

「それでは失礼して……景元殿、お久しぶり!お会いしない内に、また一段と精悍になられたようで何よりだ」

「こちらこそ。君は……やや老けたね」

「もう良い歳だからね。さ、待っている間に茶器をお借りして淹れたので、どうぞ召し上がれ。今年はクシナプラムの茶が珍しく豊作だった、お口に合うといいが」

 

今度こそ、景元は笑って席についた。卓の上には湯気を立てる乳白色の茶杯が──もちろん神策府の備品だ──2つ向かい合わせに置かれている。堅苦しい挨拶をするふりから始めるくせに、訪問先の備品を勝手に拝借して茶を淹れているのだから、この老人の恭しい態度ははなから取り繕う気のないおふざけなのだ。景元は彼のそう言うところがとても、気に入っている。

 

礼を言って茶杯に口を付けると、仙舟で好んで飲まれるものよりもすこし甘い、どこか乳製品や蜂蜜を思わせる風味が、茶葉の香りと共に鼻を抜ける。茶菓子にもよく合いそうな、芳醇な味覚に景元が舌鼓を打っていると、彼はひどく嬉しそうに茶を飲む景元を眺めていた。子供や孫がいっしんにものを頬張るのを眺める好好爺のようにも見えたが、彼が己をそのように見ていないのを景元はよくよく承知していた。

 

「や、いい飲みっぷり。土産にした甲斐があった」

「サガルマートの茶葉も、最近名が売れて手に入りにくくなった。こうして君が仙舟を訪れるたびに持ってきてくれるから、近頃はいつ見ても売り切れてばかりの通販サイトを眺めるのをやめてしまったよ」

「僕の訪れより、茶葉お目当てとは!将軍、ひどいことを言うな。せっかく土産に持ってきた残りの5箱が、僕の涙でしけってしまうぞ」

 

からりとした明るい笑い声で、彼は笑った。相も変わらぬ軽口を聞きながら、景元はふと、つい先ほどまで己に向かって心の底から堅苦しい挨拶を述べていた、彼の後任者のことを思った。老人と違ってまだ中年に差し掛かった年頃の後任は、隙のない目をした実直そうな男だったが、どうにもまだこの老人のような話術は身につけていないようで、景元は微笑ましい若者を見るような気分を捨て切ることができなかった。

 

 

仙舟同盟と、メガラヤ星系の惑星サガルマートとの協力関係が始まったのはつい50年程前のことになる。規模の大小はあれど同じ「豊穣の民」と敵対するもの同士として、互いの戦地への派兵や、交易での優遇措置などを通じて関係を深め、両者は友好的な関係を築いていた。その立役者であるサガルマートの最高権力者のこの老人は、年齢と病を理由に昨年末を境に政界の一線を退いて後任に後を譲ることが決まり、此度の訪問はその報告と後任の紹介を目的としたものだった。すでに他の仙舟を回り終え、最後に羅浮が選ばれての会談である。

 

景元の胸中には、「後任か」という感慨もあった。景元と彼の付き合いは長い。まだ景元が将軍の座に就くよりも前のこと、老人もまだ青年だった折からの仲だ。それから瞬く間に時が過ぎて青年は老い、景元の肉体は老いるのをやめて久しく、そうしてもう間も無くの別れとなることを景元は理解していた。

 

「チャランジットは悪くなかっただろう……あなたのお気に召すほど良くもなかったようだが」

「おや。気に入らないなど、君たちの内政や人選に口を出す気はないさ。チャランジット新議長は、真面目そうで聡明な御仁だと思ったとも」

景元の考えを呼んだように話を振られて、彼は少し苦笑いをして首を振った。嘘ではない。多分、外交よりも内政向きの為政者なのだろうと思っただけで。

 

 

「今のサガルマート諸都市連合議会の中では、あれがマシな選択肢だ。大目に見ろとは言わないが…まあ、対応に問題があれば都度言ってやって欲しい。仙舟同盟には久しく世話になっている我々だ、これまでの恩義に報い、友好関係を維持していきたいと言うのは、僕が議長の席を辞そうと変わらない、サガルマートの総意だからね」

「そう言ってもらえるのは光栄だな。君の……辞職後も、サガルマートと仙舟同盟の間に結ばれた条約が変わらぬものであり、『豊穣の民』と敵対し続けるもの同士として互いに協力し合えることを私も願っているよ」

 

ありがたいことだ、と老人は杯を軽く掲げてから飲み干した。勢いをつけて流し込んだのが良くなかったのか、彼はほんの少しだけ咽こみ、二度三度と妙な音を口の端から漏らした。いかにも、と言っては失礼かもしれないが、老いた人間そのものの仕草だった。彼が平素元軍人らしくきびきびとした、歳を感じさせない伸びた背筋の持ちぬしであるが故に、その衰えたような動作はいやに生々しくも目についた。

 

「体の調子はどうかな。昨年長らく入院していたと聞いたが……」

「見ての通り、あまり良くもなっていないが、そこまで悪くもなっていない。入院していた頃の主訴は解消したものの、その他にも体のあちこちガタが来ていてね。もってあと1年くらいだろう。あっちが治ればこっちが痛む具合だ……まあ、老いとはそういうものだ。ジジイになるのを楽しむということは、関節が軋む体を楽しむということだからね。仙舟人には関係ないかもしれないが!」

 

呵呵大笑。あんまりにもあけすけな物言いに、景元も思わず笑った。確かに仙舟人には関係のない話だ──何せ老いるよりも早く文字通りの怪物になるのが仙舟人の行く末なのだから!

 

「そうか……しかし君は本当に、憂いの一切が顔に出ない。病状にしても……議長の座を後任に譲るにしても、今後のサガルマートにとって懸念すべき点はそれなりにあるだろうに。それとも、あとは万事流れゆくままに身を任せてみよう、という境地にいるのかな」

「ふむ」景元の零したつぶやきを拾って、老人は考え込んだ。

 

この老人と景元は、付き合いの長さもさることながら、少しばかりその立場に似通ったものがある。故郷における最高権力者の座に長くあり、英雄としての功績を称えられ、そうして近しい者たちを既に失って久しい。

 

別段己や彼の過去について詳しく、抒情的に話し合ったことはない。互いに、断片的なエピソードをひとつふたつ語ったことがある程度だ。ただ、景元は直感的に、人生の重大な岐路に立たされたとき、多分自分たちは似たような選択を下すだろうな、と時折考えた。そういう、言語に先立つ仲間意識のような何かを、彼はこの老人との間に垣間見る。

 

なので、自分よりもずっと早く老いる彼が、景元がいまだに経験したことのない「後進に席と義務を譲る」という局面に立っていることに、景元は純粋な寂しさを覚えるとともに、わずかな興味があった。そのことに対して、どのように感じどのような手を打っているのか。いつか自分がそうなったとき、どうするのか。サガルマートと仙舟を取り巻く情勢は違えども、自分たちの選択のどこかには共通するささやかなものがある気がしたのだ。

 

「憂い、ねえ」

老爺は唸ってみせたが、景元はそれが大方はりぼてのものだろうと見当をつける。

「無論ないわけではないよ。僕の代でアスラたちを根絶できなかったことや、それに由来する悪影響は僕の落ち度だ……そのツケを払わされる後進たちには申し訳なく思うとも。しかしまあ、その他の予想できる問題については、打てるべき手段は全てとった。後は後任の連合議会や防衛軍、そして民衆の選択を信じるよりない」

 

ちらりと、そばかすに彩られた彼の目が景元を捉えた。為政者にしては少し軽くも聞こえる言葉に、景元が黙して続きを促すと、老人は肩をすくめる。

 

「仙舟人には無責任に聞こえるかもしれないな。しかし僕ら短命の人間の社会なんて、そんなものだ。僕らも、かつて生きた先人たちの恩恵に与るのと同じく過去の失策のツケを祓わされたし、僕らも未来に生きるサガルマート人にとって同じような存在となるだろう。我々は君らのような長命を持たず、ヌースのごとき演算能力もまた持ち合わせない。自分たちが最善だと考えた選択が行きつく先も、未来の人々の選択も……ほとんどの場合知りえないんだからね」

 

骨ばった手が、茶杯を手持無沙汰に弄んでいる。無数の傷と胼胝に覆われた、軍人らしい手だった。時間はかかれども、負った傷が完全に消える仙舟人とは違う、人間の手。

 

「だから、最善を尽くした後は信じるしかない。未来に生きるサガルマート人が、その時々の最善を選び続け──それが後世でも最善だと判断されるかはさておき──、正しい結末に辿り着けることをね」 

 

彼はそう締めくくった。楽観的で、顔も知らない後世のひとびとの善性を信じ切っているような言葉を口にしながら、老人の目は不可思議な色を帯びていた。景元よりもすこしくすんだ、茶色に近い金の瞳が日の光に透けて光っている。遥か未来に思いを馳せているような、あるいは過ぎてきた昔日をなぞるような、ひんやりとした静かな温度のまなざし。

 

彼がそのような物思いに耽ったのも、ごく短い時間のことだった。喋りすぎたと笑った老爺は、渋みが出ないように茶葉を引き上げながら、聞きたいことがあったんだ、と口にした。

 

「おや、珍しいこともあったものだ。私が君に教えられることは、まだあったかな」

「あるとも!と言っても、堅苦しい話でもないし、あなたの過去をほじくり返したりもしない……そうだな、適当な心理テストの類だと思ってくれたらいいだろう。ぱっと思いついたものを答えてくれたらいいさ。ふふ、前からいつか聞こうと思っていたんだが。将軍とお会いするのも、今回か次で最後だろうからな」

「心理テスト、ほう。何を判断するためのテストなんだい」

唐突な話題に、今度は景元が首を傾げる番だった。

 

「まあまあ、そう焦らないでくれ……今まで聞かなかった、と言っただろう。というのも、景元殿は存外、浮名とは程遠いお方だ。僕の記憶が正しければ未婚で、女遊びもせず、懇ろな関係のひとがいるとも聞かない。このつまらない質問は、まさにその類の話でね。そういう話題を、将軍のような身持ちの固いひとに振るのもどうかと思っていたんだが。まあ、相手は恋人と限定せずとも構わない」

「ああ」存外、の部分を景元は聞き流した。

 

老爺はぴんと右手の指を一本立てた。年季の入った指が天を指す。

ひとつ。一本。唯一無二……あるいは、たったひとり。

 

「──恋人、友人、家族、見知らぬひと、片思いの相手、弟子──あるいは、師。思い浮かべるのは誰でもいい。自分にとって特別な『女性』に、人生でたったひとつしか贈り物を渡せないとしたら────将軍、あなたであれば、いったい何を贈る?」

 

にやにやと、底意地の悪さが透けたような……それでいてまだ幼い少年じみた笑みが、老人の日に焼けた面差しの上に浮かんでいる。狡猾そうに細まった金眼を見返しながら、景元は考え込んだ。大切な女性……師と例を挙げたのはわざとだろう……に、たったひとつしか贈り物を渡せないとしたら、何を贈るのか?心理テストにしても、いまいち何を推し量るのか不明瞭な問いかけだ。

 

アクセサリーを渡すと答えれば支配欲のあらわれだとか、食べ物なら庇護欲のあらわれだとか、普通の心理テストならそういったものが定石だが、この世にありふれた心理テストなら、この老人がわざわざ自分に尋ねるはずもない。

 

「……おもしろい問いだ。贈り物は、誰に贈り、何を目的とするかによって無数の選択肢を持つ……が、君はそういったことを聞いているわけではないだろうね」

「もちろん。僕は贈り物についての哲学を語り合いたいわけではないからな。手っ取り早く、いちばん初めに頭に浮かんだ女性に贈るとしたら、とでも仮定すればいいんじゃないか?」

「ふむ……。ちなみに、それは形あるもの限定かな?それとも、例えば旅行のような形のないものでも構わないのかい」問いに、老人は片目を瞑っていいとも、と頷いた。

「構わない、旅行だって立派な贈り物だからね。そう聞くということは、もう答えは決まったのかな。形のないもの?」

 

いや、と景元はかぶりを振った。結局頭の中で、特定の誰か一人に贈るのなら、と仮定することが彼には憚られたので、『親しい女性たち皆に、たったひとつ贈りたいもの』を景元は考えた。意外にも、目的も贈る相手もぼんやりした問いに対する答えはあっさり浮かんだので、彼はそれを口に出した。

 

「いや……形あるものだ。私であれば家、だろうか」

「ほう、家!今まで色々聞いてきたが、家は初めてだな!その理由は?」

「そうだな、これは女性に限った話ではないだろうが……私はどの友人にも、『ここに戻ってくれば必ず安全だ』と思えるような場所があってほしいと思っているのかもしれない」

 

それを聞きながら、空になった景元の茶杯に、老人は滑らかな動作で茶を注ぐ。礼を言って受け取り、景元は自分の言葉を口の中で味わうようになぞる。熟慮の末の答えではなかったが、やはり家という回答はそれなりに、自分の信条とも外れていないように思えた。

 

「願わくばその場所が居心地のよいものであり、寒さや暑さをしのぐことができて、何に脅かされることもなく眠りにつけるものを贈れるのなら尚のこといいだろう。従って私の答えは家だ。──あとは、家に含められるものは多いからね。家具なんかも全てまとめて一軒の家、として贈るなら、『たったひとつの贈り物』を渡すにしても効率的じゃないか…………そんなに面白かったかい?」

 

茶を吹き出し、腹を抱え、顔を笑みでくしゃくしゃにして笑う老爺に、景元は苦笑した。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、相も変わらずこの友人は笑いのツボが恐ろしく浅い上によくわからない場所にあるので、こうしてそこまで面白くない冗談に対して、さも傑作のジョークでも言ったかのように笑い続けられると、多少のきまずさがあった。まあそれにも慣れたものだが。

 

老人はひとしきり笑ってから、金の目に浮かんだ涙をぬぐって、ああ面白かった、とまだ肩を震わせた。

 

「いやあ、天下の神策将軍ともなると、冗談の腕も一級品だ!いや、あなたが言うからこそ面白いのかもしれないが……ふふ、ふ、たったひとつの贈り物を家とは、実用的で、それでいて素朴な願いに満ちた素敵な答えだと思っていたのに、ふふ、お茶目な屁理屈がついてきたものだ……いや失敬、馬鹿にしているわけではないよ。僕の笑いのツボの不可解さは、あなたも良く知るところだろうしね」

「それはそうだね。君が何に面白みを感じるのか、さっぱり分からないときも多い。今のは大して面白くない部類の冗談だったと思うが……君の幸福度を上げる一助になったのであれば幸いだ。ときに、この問いについて君は心理テストのようなもの、と言っていたね。何か私について、新しく分かったことはあったかい」

「いや?家とは目新しい回答だと思ったが、考えてみれば実に、僕のよく知るあなたらしい。将軍の情は現実に足がついていて、贈られた側の役に立てるよう考えられている。まぎれもない、あなたの美徳だ」

 

老爺はにっこりした。幾分かのお世辞は混じっているようだったが、揶揄いの色は混じっていない。

 

「今まで僕は雑談の中で様々な相手にこの質問を浴びせてきたんだが、まあありとあらゆる回答が飛び交ったものだ」

アクセサリー、服、靴、寿命、ひとりの時間、子供、健康、自分の肉体の一部。貴賤も正誤もなく、大切な相手に何を贈りたいのか、何を受け取ってほしいのか……彼は歌うように指を折った。

「この問いで推察されるものなど、その人のごく僅かな部分でしかないだろうが、僕はこれが好きなんだ。愛情は目に見えないとよく言うが、この質問でそのひとの愛情がどんな形をしているのか、少しは分かるような気がするんだよ。僕の錯覚に過ぎないのかもしれないがね」

 

それを聞いて、景元はこの老人はどうだろうか、と考えた。というよりも、老人はそれを待っているんだろう、と思った。

彼の会話は時折ぎょっとするような悪質な冗談が混じりつつも、きちんとしたルールが敷かれている。自分の話はほどよいところで切り上げて、「あなたは?」と問い返すことを忘れないし、自分の話したいことがあるときは、まず初めに近い話題で相手に話させてから自分の話に移行する。よくわからないところで真面目な男なので、そういうキャッチボールの往復をやりたがるひとなのだ。なので、それをよく承知している景元は、ちゃんと聞いてやった。

 

「では、君自身はどうかな、◾️◾️殿。君が大切な女性にたったひとつ、何かを贈るとするならば──つまり、君の情はどのような形をしているんだい」

「僕か?ふむ、そうだな……」老人は白々しく考え込んで見せた。

顎に当てられた細い指を見ながら、ふと、この話題はそう言えば自分などよりも彼の方が向いている、と景元は思い至った。未婚どころか浮いた経歴のとんとない景元と違って、この老人の恋愛遍歴は、仙舟人でもサガルマートについて知っているものなら誰でも把握しているほどに有名なものなのだ。

 

そう思うと、彼の出してくる答えもおのずと予想できそうだ……と考えた景元は、今しも口を開きかけていた老爺を手で制した。

 

「失礼、遮ってしまった」

「お気になさらず。何か気になることでも?」

「いや……もしよければ君の答えを当ててみたい、と思ってね。どうだろう」

景元の言葉に、老爺の目がきらっと輝いた。言うまでもなく、それを望んでいることが良く分かる目つきだった。

「もちろん、もちろんいいとも!ぜひやってみせてくれ。僕とあなたの付き合いだ、存外すぐに当てられてしまうかもしれないな……なんだと思う?あなたの目には、僕の愛情はどんな形に映っているのだろうか」

 

景元は先ほど脳裏をよぎったものを、迷いなく口に出した。それは形あるもので、加えて言うなら景元の自室の片隅にも置いてあるものだった。

 

「──本、ではないのかな。もっと言うなら、贈る相手の伝記と言ったほうが近いだろうか」

 

紺色の表紙に題名が金箔で記され、カメオのようなタッチで描かれた女性の横顔が印象的な、一冊の単行本。題名は「栄光の手」。

サガルマートにおいて並ぶものなき英雄であり、既にこの世を去った後も信仰される対象であり──この老人のかつての恋人であったひとりのアスラ、カーラ・プラカーシュの人生や功績について緻密な筆致で彼自身が執筆した、サガルマートのベストセラー書籍である。

 

老人の目から、ほんの一瞬、すう、と笑みの色が消えて、それからにんまりと笑みの形を取った。当てられてうれしい、ともまんまと引っかかったのが面白くてたまらない、とも見える不可思議な笑い方だった。老爺の胸元で、チェーンにぶら下がった透明な指輪がちらちらと揺れては、窓から差し込む日差しに透けて淡い影を服の上に落としている。

 

「────いやあ、参った!半分当たりだ、将軍!なかなかあなたも、僕のことをよく知っているじゃないか……と言いたいところだが、そういえばあの本をあげたのも僕だったな。すっかり忘れてたよ」

「おや、半分は外れだったか。もう半分は?」

 

景元は意外に思って問い返した。貰ったその本を読んだとき、彼はこれほど自身の愛情をあらわにできるタイプなのだ、と驚いた記憶があったから。彼の情が定まった形になるのなら、きっとこれを置いてほかにないだろう、と思ったのだ。

 

「うーん、僕は別に本という形にこだわっているわけではないからね。ドラマや映画にしても良かったし、描けるなら漫画でもいいんだ。だから、より正確に言うなら、僕が選ぶたったひとつしか渡せないプレゼントは……物語、というべきかな」

「物語……」

 

鸚鵡返しにつぶやくと、老爺はうん、と頷いた。

「知的生命体は──ああ、主語が大きいな。人間はみな、物語が好きだ。あらゆるものに、ストーリー性を、ナラティブを、文脈を、伏線回収を見出そうとする。つらい過去のある悪役は同情されるし、この世に不条理が蔓延るのはある娘が禁断の箱を開けたからだという話がまかり通る」

「気持ちは僕にも良く分かる──物語というものには力があるのさ。無から意味を作り出し、まったく関係のないふたつの事象を結び付け、あるいは取り返しのつかない分断を生み出せる。どんな奇物にもできないようなことが、時々、実体のない作り話によって可能になったりもする」

 

滔々と語る熱っぽさに、老爺の幼い頃の夢が小説家か脚本家であったことを、景元は思い起こした。昔、そういうことを語りあう機会があったのだ。「栄光の手」はその夢がやっとこさ叶った作品なのだと。その割には彼の著作は一冊に留まったとも聞くが。景元は巡海レンジャーになりたかった。実際には、ふたりとも子供の憧れを生業に変えることはなく、厳しい情勢の中で軍人になり、やがて多くの人命と責任を負う立場になった。

 

「物語には、形がない。朽ちないし、誰にも完全に奪うことはできないし、どこへだって持っていける。いいことだ。だから僕は、いっとう特別なひとにあげるなら、物語にしたいんだ。そのひとの生涯をひとつの上質で感動的なストーリーとして、本でも、映画でもドラマでも、漫画でも……何かの形にして世に残す」

「そうすれば、そのひとはこの銀河である種の不滅の存在になれる。読者が内容を忘れたっていい。もう一度読んだって構わないし、完全に忘れてもいい。誰かが一度読んだという事実さえあれば、そのひと自身が、物語という強大にして不滅、不可視の肉体を得られる。思うに、あなたが大事な相手には帰る場所があって欲しいと願うのならば、僕はそのひとが不朽の大ヒットストーリーになって欲しいと願っているのかもな……いやあ、長くなった。ご清聴どうもありがとう、景元殿」

「いやいや、こちらこそ熱意溢れる演説をありがとう。流石は元小説家志望、唸らされるものがあったとも……それで、」

 

彼の巧みな言を聞きながら、景元は気になることがあったので、率直に尋ねてみることにした。彼がここまで熱意を込めて語る、贈り物は──すなわち、彼が愛する人に物語という形で永遠に記憶され、語り継がれ、その生涯を人々の心を震わせる一編のストーリーに昇華したいという願いは──

 

「君はその贈り物を、かつての恋人に渡したのかい?サガルマートの英雄、カーラ・プラカーシュは……君の著書によれば魔王ラーヴァナを討伐してからほどなくして、『長い眠りにつく』と残して行方をくらませたそうだが。果たして、君の著書を読む機会はあったのかな」

 

老人は今度こそ笑わなかった。その、どこか少年じみた面影を宿す顔が、羅浮の人工の陽を受けて赤い逆光に縁取られている。これは何の表情だろう、と景元は考えた。人懐っこい造形が鳴りを潜めて、金眼ばかりが光を帯びている。怒っているのとも、図星を疲れて気まずいという顔とも違う。見る者を威圧するようで、それでいてどうしようもない引力を宿したその目が、瞬いている。ひかめいている。ぎらぎらと、ちかちかと、あまたの野望と、策略を秘めた星のように。

 

「いいや」

「でも、いつか渡すつもりなんだ。あれはあんまり出来がよくなかったから、もっといいものを……あるいは、とんでもない駄作になるかもしれないが。今度こそ、彼女に手渡すとも」

 

 

 

その会談が終わって少しした頃、老人が死去したという一報が景元の耳に届いた。人間にとっては大往生とも呼べる年だった。景元は参列こそしなかったが、サガルマートを挙げた葬儀に向けて哀悼の文書をしたためて贈った。景元とヴィクラム・ボースの関係はそこで終わりを迎えた。

 

サガルマートの議長は順々に代を重ね、そのたびに挨拶に仙舟を訪れた。景元はその挨拶を受けて、時たま友人だった老爺の言葉について考えることもあったが、次第にその頻度は落ちていくようになった。

 

その言葉の真相が判明するのは、それから実に700年近くも経ってからのことになる。

 

 

 

 

 




ヴィクラム
カーラさんの元カレ。カーラさんとは結婚してない。ちなみにカーラさんの妹と結婚して現在子孫がいます。終焉の運命を歩む最悪男で、サガルマートにおける毛沢東みたいな人。功罪がデカすぎるため、よくスレで「ヴィクラム・ボースに粛清された人で打線組むw」とかやられている

景元将軍とはなかよし。飲月の乱以降の知り合いのため、他の五騎士メンバーは知らない。
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