西部戦線。
フランスとドイツの軍隊が、互いの命を奪うために築き上げた巨大な戦場。
地面は砲弾にえぐられ、雨水と血液が混じり合い、無数の塹壕が大地を切り裂いていた。
そこでは人間が、人間を殺すために、ありとあらゆる知恵を絞っていた。
機関銃。
毒ガス。
榴弾砲。
鉄条網。
文明が生み出した技術の粋が、人間の肉体を破壊するために惜しみなく投入されていた。
そして、その地獄のような戦場の上空。
「なあ、ライダー」
「なんだ、マスター」
「俺たち、今までちょっと目立ちすぎたと思わねえか?」
ピョートルは、空を駆ける馬の背で腕を組んでいた。
ベルリンで銀行を襲った後、彼らは西へ向かっていた。
ドイツ帝国の領土を横断し、そのまま西部戦線へ侵入するつもりだったのである。
もっとも、ピョートルにも学習能力というものはあった。
「考えてみろよ。空飛ぶ馬なんて、誰だって見るだろ?」
「そうだな」
「俺たち、今までわざわざ人間の目につく高さを飛んでたんじゃねえか?」
「そうだな」
「だったら、もっと高いところを飛べばいいんじゃねえか? 必要なときだけ降りればいい」
ライダーはしばらく沈黙した。
「……今さら気づいたのか?」
「うるせえ! 俺は騎兵じゃねえんだよ!」
「騎兵でも気づくと思うぞ」
「細けえことはいいんだよ!」
ピョートルは空を見上げた。
雲が流れている。
その上まで行ってしまえば、地上から自分たちを見つけることは難しい。
もちろん、雲が切れれば姿を見られる可能性はある。寒さも厳しくなるし、地上の様子もわかりにくくなる。
だが、街の屋根すれすれを飛んで人々を驚かせるよりは、よほど賢い。
「よし。上がろうぜ」
「承知した」
馬が空を蹴った。
彼らはぐんぐん高度を上げていく。
やがて西部戦線は、雲の切れ間から見下ろす、細く長い傷跡のようになった。
「……すげえな」
ピョートルが呟いた。
地上では数え切れないほどの人間が殺し合っている。
しかし、ここからでは、その一人一人の顔など見えなかった。
見えるのは大地に刻まれた塹壕と、時折咲く砲煙の花だけだった。
「人間ってのは、よくもまあ、こんなもんを作るよな」
ライダーは答えなかった。
二人は西へ向かった。
*
そのころ。
西部戦線の、まさしく真ん中。
砲弾が降り注ぎ、土砂が舞い、兵士たちが泥の中で死んでいく野原に、奇妙な一団がいた。
騎士たちである。
古めかしい鎧を身につけ、剣と盾を携えた騎士たちが、円を描くように立っていた。
その中央には、白いテーブルクロスのかけられた卓があった。
ティーポット。
カップ。
焼き菓子。
果物。
そして、花。
まるで貴族の庭園で開かれる午後のお茶会だった。
ただし、ここは庭園ではない。
第一次世界大戦の西部戦線である。
遠くで砲声が響いた。
やがて一発の砲弾が、彼らのいる野原へ向かって飛来した。
騎士の一人が剣を振るった。
閃光。
砲弾は空中で砕け散った。
破片が飛び散る。
別の騎士が盾を掲げ、そのすべてを防いだ。
土煙が舞い上がろうとしたところで、さらに別の騎士が前へ進み出た。
風が流れを変えた。
砂塵は円陣の外側へ押し流された。
卓の上の花は、わずかにも揺れなかった。
そして、その中心に座る女の白いドレスにも、埃一つつかなかった。
いや。
つかせなかったのである。
女は美しかった。
肩を大胆に露出した、純白のドレス。
それはまるで、結婚式に臨む花嫁の衣装のようだった。
戦場にあるはずのない白。
血にも泥にも、硝煙にも汚されない白。
女は優雅にカップを持ち上げた。
バーサーカー。
この聖杯戦争に召喚された、異質な英霊である。
「あら。今日のお茶もおいしいわね」
女は微笑んだ。
その傍らには、二人のメイドが控えていた。
バーサーカーは、ふと思いついたようにメイド1号へ顔を向けた。
「ねえ、メイド1号ちゃん」
「……なんだ」
「生前聞けなかったから、聞いちゃうけど」
バーサーカーは、何の気なしに尋ねた。
「なんであんな小さな島の王様になりたかったの?」
メイド1号の表情が固まった。
「……何?」
「ブリテンよ、ブリテン。あんな小さな島の王様になって、どうしたかったの?」
遠くで機関銃が鳴っていた。
その音を聞きながら、バーサーカーは焼き菓子を一つ手に取った。
「奢侈でもしたかったの? 今の私のように」
彼女は周囲を見渡した。
「ここはこの世の地獄にそっくり。なのに私は綺麗なままで、まだ暴風鉄花の咲き乱れるここにいられる」
砲弾が炸裂した。
大地が震えた。
しかし、彼女のカップから紅茶がこぼれることはなかった。
「騎士たちは私を愛し、無限の忠誠を誓っている」
バーサーカーは微笑んだ。
「それが羨ましかったの?」
「……貴様」
メイド1号の声が低くなった。
「私を愚弄するつもりか」
「いいえ?」
バーサーカーは首を傾げた。
「質問しているだけよ」
「貴様に、私の何がわかる」
「わからないわ。だから聞いているの」
メイド1号は唇を噛んだ。
バーサーカーは、なおも続けた。
「でも王様になんかなって、何がしたかったの?」
「それは――」
「なることが目的?」
メイド1号の言葉を遮るように、バーサーカーは尋ねた。
「王は手段? 目的?」
沈黙が落ちた。
メイド1号は答えようとした。
答えなど、いくらでもあるはずだった。
ブリテン。
王位。
妖精。
血統。
正統性。
アーサー。
自分が王になるべき理由ならば、いくらでも語れる。
だが。
王になって、何をしたかったのか。
その問いに答えようとすると、なぜか言葉が続かなかった。
「王位は、本来ならば――」
そう言いかけて、彼女は唇を強張らせた。
言葉が続かなかった。
バーサーカーは、そんな彼女をじっと見つめた。
「神秘に縋ったブリテンはアラヤが剪定した。素敵な言い訳よね。だって――」
「やめろ」
メイド1号が低く言った。
バーサーカーは止まらなかった。
「誰が王様になっても滅びることは確定したなら――」
「やめてぇ!」
悲鳴だった。
女王の命令ではなかった。
魔女の恫喝でもなかった。
ただ、これ以上聞きたくないと願う、一人の女の声だった。
バーサーカーは静かに微笑んだ。
「悲劇に酔えるもの」
メイド1号は俯いた。
返す言葉はなかった。
遠くで砲声が響いた。
騎士たちは誰一人、口を挟まなかった。
メイド2号も、珍しく沈黙していた。
バーサーカーは何事もなかったように紅茶を飲んだ。
白いドレスは、相変わらず美しいままだった。
*
「革命のためー!」
そのときだった。
遠くから、妙に元気な女の声が聞こえてきた。
「ていこくのためー!」
戦場に似つかわしくない、間延びした声だった。
だが、その声の背後には、明らかに異常な魔力の気配があった。
騎士たちが一斉に顔を上げた。
剣を持つ者が、柄を握り直す。
盾を持つ者が、バーサーカーの前に進み出る。
円陣の空気が変わった。
「……何か来るな」
騎士の一人が呟いた。
ドイツ軍の方角から、複数の強大な気配が近づいていた。
しかも、その数は一つや二つではない。
普通の兵士が持ち得ない魔力を帯びた者たちが、戦場を進んでいる。
「革命のためー!」
気合の入った叫び。そしてすぐにやる気のない叫びが続く。
「ていこくのためー!」
声はなおも響いていた。
バーサーカーは、楽しそうに笑った。
「あらあら。ずいぶん賑やかね」
その直後だった。
すぐ近くの塹壕から、二つの人影が飛び出した。
「おい! お前の予知ってどうなってるんだ!? ドイツよりも数は少ないけど、こっちもなんかサーヴァントだらけじゃねーかよ!」
泥まみれの軍服姿の男が叫んだ。
フランス陣営のマスター。
ジル・ド・レである。
その隣には、旗を携えた少女がいた。
ランサー。
ジャンヌ・ダルク。
二人はドイツ軍の追撃から逃れ、塹壕を通ってここまで辿り着いたのだった。
ジャンヌは前方に感じた強大な気配を頼りに、敵の数が少ない方へ向かった。
大勢の強化兵士に追われ続けるよりは、少数の強敵と向き合った方がまだ望みがある。
そう考えたのである。
しかし。
「……ランサー」
「はい」
「あれはなんだ?」
ジルが指差した。
騎士。
騎士。
騎士。
騎士。
どこを見ても騎士だった。
その中央には、純白のドレスを着た美しい女が座っている。
卓には紅茶と菓子。
花まで飾られていた。
しかも、ここは西部戦線のど真ん中である。
「……私にも、わかりません」
ジャンヌは正直に答えた。
「お前、強い気配が二つとか言ってなかったか?」
「はい。確かに、強大な存在が二つ……」
「じゃあ、あの騎士どもはなんだよ!」
「……申し訳ありません」
ジルは頭を抱えた。
「ドイツ軍から逃げたと思ったら、今度は騎士団かよ! なんなんだ、この戦争は!」
ジャンヌは旗を握り直した。
目の前の騎士たちは、ただの人間ではない。
それだけはわかった。
彼らの中央に座る女からは、さらに異質な魔力が感じられた。
少女は警戒を強めた。
だが、その女は敵意を見せなかった。
むしろ、突然現れた客人を歓迎するかのように、嬉しそうに微笑んだのである。
「あらぁ」
バーサーカーは、ゆっくりとカップを置いた。
そして、ジャンヌへ向かって優雅に微笑んだ。
「こんにちは。救国の聖処女ちゃん。お茶でもどうかしら?」
*
【小ネタ!】
マスターのステータス情報が開示されました。
【マスター:ジョン・ブル】
スキル
英国紳士:A+
万人を平等に皮肉り、万人を平等に搾取する紳士の称号。
なお、田舎にある別荘の害獣USAGIには勝てないことが、因果逆転により定められている。
【マスター:アンクル・サム】
スキル
モンロー主義:A++
アメリカ人は旧世界に興味はない。
放っておけ。放っておけ。
それより今日も牧場と株式操作が楽しいです。