西部戦線。
泥と血と硝煙に覆われた大地の真ん中で、優雅なお茶会が開かれていた。
白いドレスをまとった女が、椅子に腰掛けている。
その周囲には甲冑をまとった騎士たち。少し離れた場所には、二人のメイド。
そして女の前には、呆然と立ち尽くす二人のフランス人がいた。
「こんにちは。救国の聖処女ちゃん。お茶でもどうかしら?」
バーサーカーは微笑んだ。
ランサーは旗槍を握り直した。
「……マスター。下がってください」
「言われなくてもわかってる」
ジルは、泥だらけの軍服を払いながら周囲を見回した。
騎士が多すぎる。
しかも、ただの騎士ではない。
ドイツ軍の砲撃を平然と受け止める化け物たちだ。
逃げ道を探そうにも、周囲は開けた戦場。近くの塹壕まで走ったところで、背後から斬られればそれまでだった。
「あら。そんなに警戒しなくてもいいのよ?」
バーサーカーは小首を傾げた。
「みんな、あちらのお客様を迎えてちょうだい」
騎士たちが一斉に動いた。
その向かう先では、ドイツ軍の兵士たちが不自然な速度で進撃していた。
人間離れした動き。
異様な魔力。
通常の兵士とは明らかに異なる存在だった。
騎士たちは主人の命令に従い、次々とそちらへ駆けていく。
鋼鉄の甲冑が砲煙の中へ消えた。
残されたのは、白いドレスの女と、二人のメイドだけ。
「ほら。ここには手弱女なお姫様と、メイドが二人だけ。安心したかしら?」
「……ふざけていますか?」
ランサーの声が低くなった。
「いいえ? お茶に誘っているの」
バーサーカーは空いた椅子を指さした。
ランサーは動かなかった。
しかし。
「……座るぞ」
「マスター!?」
ジルは椅子を引き、腰を下ろした。
「あら? あなたのランサーは嫌がってるみたいだけど?」
「そこに突っ立ってたら死ぬだろ。お前に気なんか許してない。だけど、こんなくだらない聖杯戦争とかいう出来事で死にたくもない」
バーサーカーは楽しそうに目を細めた。
「いい選択ね。私の色香に惑わされることもなく、ただただ冷静に生きることを選んだ。花丸あげる」
「どういたしまして」
ジルはぶっきらぼうに答えた。
ランサーは、そのやり取りを信じられない思いで見ていた。
「……あなたは」
その視線は、やがてバーサーカーへ向けられた。
「ここがどこだかわかっているのですか?」
「フランスでしょう?」
「戦場です!」
ランサーの声が響いた。
「今この瞬間にも、人が死んでいるのです! 故郷に帰れず、家族に会えず、傷つき、苦しみ、命を落としている人々がいる! それなのに、あなたは何をしているのですか!?」
バーサーカーは紅茶を一口飲んだ。
「お茶だけど?」
「ここで戦うすべての人々への愚弄ですか!!」
女は肩をすくめた。
「男の気持ちがわかってないのね」
「……なんですか?」
「男をその身に受け入れたことがないから、男の心もわからない」
「だから何だというのですか!? それが戦場で戦うことと、何か関係がありますか!!」
「あるでしょう」
バーサーカーは、ごく当たり前のことを説明するように言った。
「戦場は男たちの場所よ。あなたは生前、戦場にのこのこ出てきた。女が男の場所で出しゃばったの」
「私は戦いました!」
「たかが旗持ちでしょ。まるでアイドルみたいね」
ランサーの顔が強張った。
「あなたを崇拝しなかった、他の男たちの気持ちは考えなかったの?」
「…………」
「男が女たちだけの泉に来たら? それは鹿に変えられても仕方がないような愚行よね。逆を考えなかった?」
バーサーカーは、今度はジルに視線を向けた。
「ねえ。ランサーのマスターさん」
「聞かないでくれ」
「女が春さえ鬻ぐことなく、戦場であれこれ言ったらどう思う?」
「聞くなって言ってるだろ」
「まあ。それが答えよねぇ」
「答えてねえだろ!」
ジルの抗議など、バーサーカーには届いていない。
彼女は再びランサーを見つめた。
「救国の聖処女。あなたは男をまだ知らない」
「…………」
「男に逞しさで抱かれる悦び。男に頼ることの充実。男に従うという無謀。あなたは女に許された権利を、どれも行使していない」
ランサーの手が震えた。
「そのくせ男の世界に入って、男の仕事を奪っている。奪えるのは、あなたが美しく、その肉体が豊満で、まあ誰にも触らせない希少性ゆえにでしょう?」
バーサーカーは笑った。
「それって本当に、戦争に参加したって言えるのかしら?」
「……あなたは」
ランサーは一歩踏み出した。
「あなたは、何もわかっていない!!」
怒りがあった。
侮辱されたことへの怒り。
戦友たちを軽んじられたことへの怒り。
何より、戦場に立った人々の苦しみを、目の前の女が退屈しのぎの話題にしていることへの怒りだった。
「私は、私のなすべきことを成しただけです!」
ランサーは言い切った。
「それ以上でも、それ以下でもありません!」
バーサーカーは、しばらく彼女を見つめた。
そして。
「ああ。辛い道を選んだのねぇ」
優しく、慈しむように言った。
「それは僕のセリフ?!」
突然、メイド二号が叫んだ。
ジルは目を丸くした。
ランサーも、一瞬だけ怒りを忘れた。
「あら? あなたのセリフだったの?」
バーサーカーはメイド二号を振り返った。
「ごめんね。メイド二号ちゃん」
「いや、そういう問題じゃなくてね!?」
「代わりに面白いこと思いついちゃったから、巻き込んであげるね」
「……え?」
その瞬間。
バーサーカーの手に、剣があった。
いつ取り出したのか、誰にもわからなかった。
ただ、そこに存在していた。
眩い光を放つ、一振りの剣。
戦場の硝煙を照らし、曇天の下に白い輝きを広げていた。
「……それは」
メイド二号の表情が変わった。
「それは星の内海に返したはず?!」
「夫が死んだわけだしねぇ。相続するのは普通でしょ」
「英雄伝説に民法を持ち込むな!!」
バーサーカーは笑った。
そして、その剣を無造作に投げた。
光の剣はメイド二号の足元に落ちた。
地面に突き立つ。
まるで、遠い昔。
ひとりの少年が岩から剣を抜いた、あの瞬間を再現するかのように。
「抜きなさい」
バーサーカーの声が変わった。
柔らかな響きはそのままに、抗うことを許さない命令が宿る。
「今この瞬間だけ、あなたは戎敵を討つ勇者よ」
メイド二号が後ずさろうとした。
しかし、その身体は動かなかった。
「妖精気取るのやめて、私の命に服しなさい」
バーサーカーの肩にある王冠が輝いた。
「……っ!」
メイド二号の手が、剣の柄へ伸びる。
自分の意思ではない。
それでも、指は柄を握り締めた。
そして。
剣が抜かれた。
光が爆ぜた。
「ランサー!!」
ジルが叫ぶ。
次の瞬間、メイド二号は剣を振るっていた。
ランサーは咄嗟に槍を構える。
衝突。
凄まじい金属音が、戦場に響き渡った。
剣と槍。
二人のサーヴァントが、互いの武器をぶつけ合う。
メイド二号の表情には苦悶があった。
それでも、その剣技は容赦がなかった。
ランサーが踏み込み、槍を突き出す。
光の剣が軌道を逸らす。
返す刃が白い軌跡を描いた。
ランサーは身をひねり、辛うじてかわした。
足元の土が裂けた。
銃声が鳴る。
砲弾が落ちる。
しかし、そのすべてを押しのけるように、剣戟の音が高らかに響いた。
バーサーカーは椅子に座ったまま、紅茶を口に運ぶ。
「あらあら。素敵ねぇ」
その傍らで、メイド一号は沈黙していた。
ジルは、笑うことも怒鳴ることもできなかった。
ただひとつだけ、確信していた。
ここから逃げなければならない。
◇
同じ頃。
西部戦線の上空を、一頭の馬が駆けていた。
その背には二人の男。
ひとりはライダー。
もうひとりは、ピョートルと名乗る中年男だった。
「……おい、マスター」
「なんだ?」
「地上でサーヴァント同士が戦っている」
「ほう?」
ピョートルは雲の切れ間から地上を覗いた。
だが、何が起きているのかまではわからない。
「よし。高度を下げろ」
「偵察か?」
「ああ。せっかくだ。どんな連中が戦ってるのか見ておこう」
「待て。下手に降りると銃弾が届くぞ?」
「大丈夫、大丈夫」
「……何が大丈夫なんだ?」
「そう簡単に当たるものか」
「根拠は?」
「俺の勘だ」
ライダーは沈黙した。
そして、呆れたように息を吐いた。
「……お前は本当に、妙なところで度胸があるな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてないぞ」
「いいから降りろ。見えなきゃ偵察にならん」
馬は雲の下へと降りていった。
戦場が近づく。
塹壕。
砲煙。
そして、地上で激しくぶつかり合う二つの光。
「おお……」
ピョートルは身を乗り出した。
「こいつは、なかなか面白いことになってるじゃないか」
その下で。
ひとりの若いフランス人が、空を見上げていた。
彼の目に、雲間から降りてくる小さな光が映った。