ジルは、必死に考えていた。
どうすれば生きて帰れるか。
それだけだった。
目の前では、二人のサーヴァントが激突している。
旗槍と剣がぶつかるたび、空気が震え、地面が抉られた。
戦場の砲声にすら負けない、異常な剣戟。
そして、そんな光景を眺めながら、バーサーカーは優雅に紅茶を飲んでいる。
頭がおかしい。
ここにいる連中は、全員頭がおかしい。
ジルはそう結論づけた。
ただし、それを口に出すほど愚かではなかった。
彼はゆっくりと周囲を見回した。
最も近い塹壕。
そこまでの距離。
遮蔽物。
砲撃の間隔。
そして、自分が持ってきた装備。
発煙筒がある。
煙幕を張ることはできる。
だが、それだけでは足りない。
サーヴァントが相手なら、煙の中でも追いつかれる。
それに、バーサーカーの傍らには、まだメイドがひとり残っている。
何者なのかは知らない。
知りたくもない。
だが、ただのメイドでないことくらいはわかる。
ならば、必要なのは隙だ。
ほんの数秒。
敵の注意が、自分から逸れるだけでいい。
「……くそ」
ジルは小さく呟いた。
こんな場所で死ぬつもりはなかった。
自分は兵士だ。
戦場で死ぬ可能性があることくらい、最初から承知している。
だが、だからといって、意味のわからない怪物たちのお茶会で殺されてたまるものか。
そのときだった。
ふと、空に何かが光った。
「……ん?」
ジルは目を細めた。
雲の下。
砲煙の向こう。
何かが動いている。
鳥ではない。
飛行機でもない。
妙な形をした、光る何か。
それが、こちらへ向かって高度を下げている。
ジルはしばらく観察した。
そして、ある考えに至った。
馬鹿げている。
成功する保証などない。
だが。
今の状況より悪くなることが、果たしてあるだろうか。
「……よし」
ジルは腰のホルスターへ手を伸ばした。
拳銃を抜く。
その動きを、バーサーカーは見逃さなかった。
「あら?」
女は楽しそうに笑った。
「何か思いついたの?」
ジルは答えなかった。
拳銃を構える。
バーサーカーは、まるで子供の悪戯を見守るように微笑んでいた。
「でも、一応言っておくけど」
紅茶のカップを置く。
「私をそれで殺すのは無理よ」
「だろうね」
ジルはあっさり認めた。
バーサーカーが目を細める。
「だけど、知らないんだろ。お前ら」
「何が?」
女は笑っていた。
目の前の人間が、何かを企んでいる。
足掻いている。
その事実そのものが、彼女には楽しくて仕方がないらしかった。
ジルは、拳銃の銃口を持ち上げた。
バーサーカーではない。
メイドでもない。
空へ。
「銃弾は――」
引き金に指をかける。
「お前たちが思っている以上に高く届く!!」
発砲。
乾いた銃声が響いた。
◇
「……ん?」
上空。
ピョートルは地上を覗き込んでいた。
白い光。
剣を振るう女。
槍を構える女。
そして、少し離れたところで優雅に座っている女。
「なんだあれ。女ばっかりじゃないか」
「油断するな、マスター。あの連中は――」
ライダーが言いかけた、そのとき。
何かが空気を切り裂いた。
「いっ――!?」
鋭い痛みが、ピョートルの膝を走った。
「痛ってええええええ!!」
「どうした!?」
「膝だ! 膝!! なんか当たったぞ!!」
ピョートルは慌てて脚を押さえた。
ズボンが裂けている。
その下には、浅く血の滲んだ傷。
銃弾がかすめたのだ。
「だから言っただろう! 銃弾が届くと!」
「なんで当たるんだよ!?」
「俺が聞きたい!」
「こんな広い空で! よりにもよって俺の膝に!?」
「運が悪かったんだろう!」
「ふざけんな!!」
ピョートルは地上を睨みつけた。
「誰だ!? 誰が撃った!?」
「知らん!」
「降りろ!」
「何?」
「降りろって言ってるんだよ!」
「マスター、待て。地上ではサーヴァント同士が――」
「知るか!! 人の膝を撃っておいて、ただで済むと思うなよ!!」
ライダーは、しばらく何も言わなかった。
そして、深々と溜息をついた。
「……本当に面倒な男だな、お前は」
「いいから降りろ!!」
馬が急降下を始めた。
◇
銃声の直後。
ジルは拳銃を下ろした。
そして、空を見上げる。
光っていた何かが、明らかに動きを変えていた。
こちらへ向かっている。
しかも、猛烈な速度で。
「……当たったのか?」
ジルは一瞬だけ驚いた。
まさか本当に当たるとは思っていなかった。
だが、今さらそんなことはどうでもいい。
問題は、あの何かがこちらへ降りてくることだ。
ジルはバーサーカーを見た。
彼女も空を見上げている。
「あらあら」
その顔には、純粋な好奇心が浮かんでいた。
「面白いことをするのねぇ」
「そうかい」
ジルは発煙筒を取り出した。
「じゃあ、もうひとつ面白いことを見せてやるよ」
点火。
煙が噴き出した。
白い煙幕が広がる。
その瞬間、ジルは椅子を蹴って立ち上がった。
近くにいたメイド一号が、彼の方を向いた。
「……何を?」
「悪いな!」
ジルは拳を振り抜いた。
メイド一号の顔を殴る。
正確には、殴ろうとした。
拳は確かに相手を捉えたが、妙に硬い感触があった。
「いってえ!?」
痛かったのはジルの方だった。
メイド一号は、わずかに顔を動かしただけ。
そして、信じられないものを見るようにジルを見つめた。
「……あなた」
「すまん! 忘れてくれ!!」
ジルは全力で駆け出した。
塹壕へ。
生き延びるために。
煙幕の中へ飛び込む。
背後から追撃が来るかもしれない。
だが、振り返らなかった。
数秒。
あと数秒あれば、塹壕へ飛び込める。
ジルは歯を食いしばって走った。
その背後で、バーサーカーの笑い声が聞こえた。
「あはははは!」
心底楽しそうだった。
「まあ! なんて元気な子なのかしら!」
メイド一号は頬に手を当てていた。
「……貴様」
「いいじゃない。逃げたいんでしょう? 逃がしてあげましょうよ」
バーサーカーは、再び空を見上げた。
「それより、面白いお客様が来るみたいよ?」
◇
ランサーは、目の前の剣を受け止めることで精一杯だった。
メイド二号の剣技は凄まじい。
その剣は光り輝き、振るわれるたびに周囲の空気を震わせた。
「……っ!」
槍で剣を弾く。
踏み込む。
だが、相手の剣はすぐに戻ってくる。
受ける。
弾く。
かわす。
わずかな隙を見つけて反撃する。
しかし、決定打には至らない。
メイド二号もまた、苦しそうな顔をしていた。
「……まったく!」
剣が閃く。
「どうして僕が、こんなことを!」
ランサーは槍を構え直した。
「あなたも、望んで戦っているわけではないのですね!」
「そうだよ! だからって手を抜かないでくれよ!」
「そのつもりはありません!」
槍と剣が再び激突する。
光が弾けた。
その瞬間。
頭上から、怒号が聞こえた。
「おおおおおおおおお!!」
「……え?」
ランサーが顔を上げた。
メイド二号も、思わず視線を動かした。
空から何かが降ってくる。
馬だった。
空を飛ぶ馬。
そして、その背には二人の男。
片方は手綱を握り、もう片方は膝を押さえながら怒鳴っていた。
「そこだ!! そこに降りろ!!」
「わかっている! 暴れるな!」
「暴れてねえよ!!」
「暴れてるだろうが!!」
馬が地面へ突っ込んでくる。
ランサーは慌てて後退した。
メイド二号も剣を引く。
轟音。
土煙が舞い上がった。
馬の蹄が大地を蹴る。
その背から、ひとりの中年男が飛び降りた。
軍服姿。
髭面。
険しい顔。
片膝のズボンは裂け、わずかに血が滲んでいる。
男は周囲を見回した。
槍を持った女。
光る剣を持った女。
どちらも武器を構えている。
そして男は、怒りに任せて叫んだ。
「俺を撃ったのはどっちだこの野郎!?」
ランサーは呆然とした。
メイド二号も呆然とした。
ライダーは額を押さえた。
遠くで、バーサーカーが腹を抱えて笑い始めた。
なお。
撃った本人は、すでに塹壕へ逃げ込んでいた。