一九一七年。
ドイツ帝国、西部戦線。
砲声が聞こえる。
遠くで大地が震え、黒煙が空へと昇っていた。
その空を。
一頭の馬が駆けていた。
「いやあ、便利だなあ!」
ピョートルは上機嫌だった。
「鉄道代もかからない! 国境も関係ない! 最高じゃないか!」
「お前は少し黙っていろ」
ライダーが呆れたように言った。
「そもそも、なぜドイツ側へ来た?」
「近かったから」
「近かったから!?」
「いや、空を飛んでると国境なんか分からんだろ」
「地図を見ろ!」
「持ってない」
「買え!」
「金がもったいない」
「銀行から盗んだ金だろうが!」
そのときだった。
地上の街道を、一台の荷車が疾走していた。
馬はついていない。
にもかかわらず、荷車は猛烈な速度で走っている。
その上には、鎧を纏った一人の騎士が立っていた。
「…………」
「…………」
ピョートルとライダーは、揃って下を見た。
「なあ」
「なんだ」
「あれ、何?」
「……分からん」
騎士は荷車の上で仁王立ちしていた。
荷車は揺れる。
跳ねる。
石畳を砕く。
それでも騎士は微動だにしない。
やがて荷車は、恐ろしい速度で西へと消えていった。
「…………」
「…………」
「変な奴もいるもんだな」
「お前が言うな」
そのとき。
馬が口を開いた。
「――あれは正規のサーヴァントではない」
「…………」
ライダーが眉をひそめる。
「分かるのか」
「うむ。霊基の在り方が異なる。だが、英雄であることに偽りはない」
「……どういうことだ?」
「偽りのクラスに英霊を押し込んでいる。尋常な術ではないぞ」
ピョートルはしばらく黙っていた。
そして。
「お前……」
「なんだ、人間よ」
「いざってときに食えなくなるから、喋るのやめてよ」
「…………」
「…………」
「余を食うつもりだったのか!?」
「いざってときだよ!」
「いざというときでも食うな!」
ライダーは頭を抱えた。
「お前は馬に何を期待しているんだ!」
「食料と移動手段」
「後者だけにしろ!!」
馬は深々と溜息を吐いた。
「……我が主ライダーよ」
「なんだ」
「余は、主を選べぬのであったな」
「……そうだな」
二人は、しばらく黙っていた。
ピョートルだけが笑っていた。
「まあまあ。仲良くやろうぜ!」
「「お前が言うな!」」
空を駆ける馬は、西へと向かっていった。
◇
同じ頃。
ドイツ帝国軍の野営地。
「革命!」
少女が叫んだ。
「その前に!」
拳を振り上げる。
「粛☆清!!」
「…………」
「…………」
「…………」
居並ぶ帝国軍将校たちは、誰一人として拍手しなかった。
カーラ・マルクス。
ドイツ帝国代表のマスターである。
「……カーラ嬢」
「はい!」
「今、何と?」
「ていこくのために、がんばりまーす!」
「その前だ」
「気のせいです!」
将校は額を押さえた。
隣では、キャスターが楽しそうに笑っていた。
「元気な子ね」
「当然よ! 革命には情熱が必要なの!」
「革命?」
「ていこく!」
「ふふっ」
キャスターは笑った。
その前には、数十人のドイツ兵が整列していた。
歩兵。
砲兵。
騎兵。
いずれも戦場を生き延びてきた兵士たちである。
カーラは彼らを見渡した。
「さて! みんな!」
「はっ!」
「英雄になりたい人!」
「…………」
兵士たちは顔を見合わせた。
「何を言っているんだ、この子は」
誰かが小さく呟いた。
カーラは胸を張った。
「大丈夫! 今日は全員、英雄にしてあげるから!」
キャスターが静かに前へ出た。
「……人は、変わるものよ」
その声は、不思議なほど優しかった。
「獣のように生きていた者も、誰かと出会い、言葉を知り、愛を知り、己の運命を知る」
彼女は、一人の兵士の頬に触れた。
「かつて私は、一人の獣を人へと導いた」
兵士の身体が震えた。
「その人は、英雄になった」
魔力が満ちる。
「ならば」
キャスターは微笑んだ。
「人として生まれたあなたたちが、英雄になれない道理はないでしょう?」
光が広がった。
兵士たちの身体を包み込む。
骨が軋む。
筋肉が膨張する。
魂の奥底へ、何かが刻まれていく。
それは単なる強化ではなかった。
人間という存在の可能性を。
英雄という概念へ。
強引に押し上げる奇跡だった。
「…………!」
一人の兵士が、足元の石を拾った。
握る。
石が砕けた。
「…………」
別の兵士が、軍用車両を片手で持ち上げた。
「…………」
さらに別の兵士が、地面を蹴った。
その姿が消えた。
次の瞬間。
数十メートル先の木が、轟音とともにへし折れた。
「…………」
将校たちは絶句した。
カーラは両手を広げた。
「同志諸君!!」
「カーラ嬢!」
「ていこくの勇士諸君!!」
「よろしい!」
「進撃よ!!」
兵士たちが、一斉に敬礼した。
キャスターは、その光景を眺めていた。
かつて。
彼女が触れたのは、たった一人だった。
その一人が、英雄となった。
そして今。
彼女の前には、数十人の英雄が立っている。
「……不思議ね」
キャスターは小さく呟いた。
「人を人にしただけなのに」
誰も、その言葉を聞いていなかった。
◇
フランス側、西部戦線。
一台の自動車が、荒れた街道を走っていた。
運転席にはフランス兵。
後部座席には、一人の少女が座っている。
ジャンヌ・ダルク。
ランサーとして召喚された、フランスの聖処女と謳われる英雄である。
「……静かですね」
「そうか?」
隣に座る青年が答えた。
ジル・ド・レイ。
もちろん偽名である。
「砲声は聞こえているぞ」
「そうではありません」
ジャンヌは窓の外を見た。
「何かが……近づいています」
「ドイツ軍か?」
「分かりません。ただ――」
その瞬間。
前方の地面が爆ぜた。
「うわっ!?」
運転手が急ブレーキを踏む。
車体が横滑りした。
土煙。
砕けた石。
そして。
街道の真ん中に、一人の男が立っていた。
軍服を着ている。
ドイツ帝国軍の兵士だった。
「……何だ、あいつ」
ジルが呟く。
男は笑っていた。
そして。
拳を握った。
「伏せてください!」
ジャンヌが叫ぶ。
次の瞬間。
男の姿が消えた。
轟音。
自動車の前部が、拳の一撃で吹き飛んだ。
鉄板がひしゃげる。
車輪が宙を舞う。
ジャンヌはジルを抱えて飛び退いた。
地面を転がる。
そして立ち上がる。
「……サーヴァント?」
彼女は旗槍を構えた。
だが、目の前の男は首を傾げた。
「違う」
男は笑った。
「俺は、ただのドイツ兵だ」
「…………」
「だがな」
その背後。
土煙の向こうから。
一人。
二人。
三人。
次々と軍服姿の男たちが現れた。
誰もが、尋常ではない魔力を纏っている。
「今日から俺たちは――」
男が拳を鳴らした。
「英雄なんだそうだ」
ジャンヌは息を呑んだ。
ジルは呟いた。
「……冗談だろ」
遠くから、少女の声が響いた。
「革命のため――!」
間。
「ていこくのためーに!!」
ジャンヌは旗槍を握り直した。
そして、静かに言った。
「……ジル」
「なんだ」
「どうやら」
聖女は、眼前に並ぶ兵士たちを見据えた。
「この聖杯戦争は、私の知っている戦争とは少し違うようです」
ジルは顔を引きつらせた。
「少し?」
男たちが、一斉に地面を蹴った。
「だいぶ違うだろ!!」