英雄になりたいおっさんの聖杯戦争   作:笑嘲嗤

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第8話 戦争ではなく、博打

 

 戦場に、奇妙な軍隊が現れていた。

 

 銃を構えたドイツ帝国軍の兵士たち。

 

 軍服を着込み、軍靴で泥を踏みしめ、命令に従って前進する。そこまでは、どこにでもいる普通の兵士だった。

 

 問題は、その身体能力である。

 

「くそったれ! なんなんだ、あいつらは!?」

 

 ジルが叫んだ。

 

 兵士の一人が、塹壕を飛び越えた。

 

 跳躍というより、砲弾のような勢いだった。

 

 別の兵士が銃剣を構え、地面を蹴る。その速度は到底人間のものではない。

 

 それでいて、連中は隊列を維持していた。

 

 命令を理解し、戦術的に行動し、互いを援護する。

 

 化け物の身体能力を持った、訓練済みの軍人。

 

 最悪の組み合わせだった。

 

「ジル! こちらへ!」

 

「言われなくても逃げてる!」

 

 ジャンヌが旗槍を掲げた。

 

 風を受け、白い旗が翻る。

 

「我が旗の下に!」

 

 その瞬間、旗から放たれた光がジルを包み込んだ。

 

 足が軽い。

 

 肺が苦しくない。

 

 泥に足を取られても、身体が驚くほど素早く反応する。

 

 ジャンヌの宝具による加護だった。

 

「おおっ!?」

 

 ジルは思わず声を上げた。

 

「すげえな、これ! 今なら百メートル走の世界記録でも狙えそうだ!」

 

「そのようなことを言っている場合ですか!」

 

「走ってるだろうが!」

 

 背後で銃声が響く。

 

 弾丸が土を跳ね上げた。

 

 ジルは身をかがめ、走り続けた。

 

 もはや、どちらがどちらを追いかけているのかさえわからない。

 

 ただ一つ確かなのは、立ち止まれば死ぬということだった。

 

 ジャンヌが不意に顔を上げた。

 

「……待ってください」

 

「待てるか!」

 

「前方に、強大な気配があります」

 

「だったら方向を変えろ!」

 

「ですが、数は少ない」

 

 ジャンヌは一瞬だけ考え込んだ。

 

 そして、決断した。

 

「このまま進みます!」

 

「はあ!?」

 

「強い存在がふたつあるのであれば! 数の少ない方がましです!!」

 

「なんでだ!?」

 

 ジルは叫んだ。

 

 しかし、考えてみれば道理だった。

 

 背後には何十人もの化け物じみた兵士たち。

 

 前方には、強大だが少数の敵。

 

 突破できる可能性があるとすれば、後者だろう。

 

「くそ! 普通に納得できるのが腹立つ!!」

 

 二人は走った。

 

 泥を蹴散らし、砲弾の穴を飛び越え、崩れた有刺鉄線の脇を抜ける。

 

 そして。

 

 その騎士が現れた。

 

 甲冑に身を包んだ、一人の男。

 

 戦場には似つかわしくない、古い時代の騎士だった。

 

 騎士は静かに剣を構えていた。

 

 その刀身に、光が集まっていく。

 

「……おい」

 

 ジルが呟いた。

 

 剣が光っている。

 

 いや、光っているなどという生易しいものではない。

 

 太陽を押し込めたような輝きが、刀身からあふれ出していた。

 

「ジャンヌ」

 

「はい」

 

「あれ、やばくねえか?」

 

「非常に危険です!」

 

「だよな!」

 

 ジルはジャンヌの腕をつかんだ。

 

「失礼するぞ!」

 

「えっ?」

 

 そのまま彼女を抱え込む。

 

 そして、すぐ脇にあった塹壕へ飛び込んだ。

 

「きゃあっ!?」

 

 泥水が跳ねた。

 

 次の瞬間。

 

 世界が、光に呑まれた。

 

 轟音。

 

 大地が震えた。

 

 塹壕の縁から土砂が降り注ぎ、ジルはジャンヌを抱えたまま身を伏せた。

 

 光が過ぎ去る。

 

 耳鳴りが残った。

 

 ジルは恐る恐る顔を上げた。

 

「……生きてる?」

 

「はい。生きています」

 

「よかった」

 

「ですが、そろそろ離していただけますか?」

 

「ああ、悪い」

 

 ジルは腕をほどいた。

 

 ジャンヌが身を起こし、泥に汚れた服を払う。

 

 二人が塹壕の外をうかがうと、そこには信じ難い光景が広がっていた。

 

 大地が焼け焦げていた。

 

 先ほどまでドイツ兵たちがいた場所には、聖剣の一撃によって刻まれた破壊の痕跡が残っている。

 

 だが。

 

 兵士たちは、まだ動いていた。

 

 倒れていた者が立ち上がる。

 

 吹き飛ばされた者が、何事もなかったかのように武器を拾う。

 

 彼らは再び隊列を組み始めた。

 

 騎士は、その様子を静かに見つめていた。

 

「……出力は落としたとはいえ」

 

 剣を下ろす。

 

「聖剣の力でも倒せない疑似サーヴァント化した兵士たち。厄介ですね……」

 

 騎士は少し考え込んだ。

 

「バーサーカー陛下に報告ですね」

 

 そう呟くと、騎士はその場から姿を消した。

 

 残されたドイツ兵たちは、再び動き始めていた。

 

 だが、先ほどの攻撃によって隊列は乱れ、追撃の勢いも失われている。

 

 ジルは塹壕の底に座り込んだ。

 

「……助かった、のか?」

 

「今のところは」

 

「今のところ、ねえ」

 

 ジルはポケットを探った。

 

 煙草があった。

 

 少し湿っている。

 

 一本を取り出し、口にくわえる。

 

 マッチを擦った。

 

 一度目は失敗した。

 

 二度目で火がついた。

 

 煙を吸い込み、ゆっくり吐き出す。

 

 周囲には泥。

 

 湿った土の匂い。

 

 崩れかけた塹壕の壁。

 

 頭上には砲煙の漂う空。

 

 見慣れた景色だった。

 

 ジルは思わず笑った。

 

「……塹壕の癖に落ち着く」

 

 ジャンヌが隣に腰を下ろした。

 

「落ち着く、のですか?」

 

「ああ」

 

 ジルは煙草をくわえ直した。

 

「戦友共はブスな娼婦としかやれねーのに、こっちは面の良すぎる女と映画みたいな冒険活劇。最悪だな」

 

「……それは、どういう意味でしょうか?」

 

「そのまんまの意味だよ」

 

「私の容姿についてはともかく、女性に対する言い方があまりにも失礼です!」

 

「はいはい」

 

「はいは一度です!」

 

「はい」

 

 ジルは煙を吐いた。

 

 しばらく、二人は何も言わなかった。

 

 遠くで砲声が響いていた。

 

 いつもの戦場の音だった。

 

 この場所では、今日も誰かが死んでいる。

 

 昨日も死んだ。

 

 明日も死ぬだろう。

 

 ジルの戦友たちは、今もどこかの塹壕で泥にまみれているはずだった。

 

 自分だけが、妙な戦争に巻き込まれている。

 

 聖杯。

 

 英霊。

 

 宝具。

 

 魔術。

 

 そんなものを知る前は、世界はもう少し単純だった。

 

 敵が撃ってきたら伏せる。

 

 砲撃が始まったら塹壕に潜る。

 

 命令が出たら前進する。

 

 そして、運がよければ明日も生きている。

 

 ジルは煙草を最後まで吸った。

 

 短くなった吸い殻を指先でつまむ。

 

 そして、塹壕の泥に向かって投げ捨てた。

 

 小さな火が、泥水の中で消えた。

 

     *

 

 その光景を、遠くから見つめる者たちがいた。

 

 二つの影。

 

 一人は、忍び装束に身を包んだ女。

 

 もう一人は、アサシンのサーヴァントだった。

 

 彼女たちは戦闘に介入することなく、一部始終を観察していた。

 

 ドイツ帝国軍の異常な兵士たち。

 

 聖剣を振るった謎の騎士。

 

 そして、かろうじて生き延びたフランス陣営。

 

「……妙なものですね」

 

 くノ一が呟いた。

 

「何がだ?」

 

 アサシンが尋ねる。

 

「この戦場です」

 

 女は遠くを見つめた。

 

「フランスとドイツは敵同士です。英国もまた、ドイツと戦っています。ですが、この聖杯戦争では、その関係が必ずしも意味を持ちません」

 

「そうだな」

 

「昨日まで敵だった者が、明日には味方になるかもしれない。逆もまた然り」

 

 アサシンは黙って聞いていた。

 

「田中将軍が仰った通りですね」

 

 くノ一は静かに言った。

 

「これは戦争ではありません。博打です」

 

 アサシンが小さく頷いた。

 

「……違いない」

 

 そして二人は、戦場の闇へと消えていった。

 

 

 

【小ネタ】マスターステータス情報更新!

 

偽名:カーラ・マルクス(願望)

 

所属:ドイツ帝国

 

クラス:キャスターのマスター

 

保有スキル:精神汚染 A

 

スキル名:マルクス主義万歳

 

マルクス主義に対する極めて強固な信奉によって、本人の思想と現実の間に生じる矛盾を、独自の理論によって解消する精神スキル。

 

本スキルの保有者は、自らの思想に反する状況に置かれた場合でも、精神的な動揺をほとんど生じさせない。

 

例えば、社会主義革命を志す者でありながら、ドイツ帝国政府の命令に従い、帝国の戦争遂行に積極的に協力する場合であっても、本人は特に矛盾を感じない。

 

「革命のためにがんばりまーす!」

 

「カーラ君。帝国のためだ」

 

「ていこくのためにがんばりまーす!」

 

なお、これは洗脳ではない。

 

素である。

 

また、本スキルは知性や判断能力の低下を意味しない。

 

本人は自身の思想体系の内部において、極めて合理的な判断を行うことができる。

 

ただし、その思想体系そのものを疑うという発想が存在しない。

 

備考:本人は精神汚染を受けているという自覚がない。

 

当然ながら、指摘しても認めない。

 

「私は極めて正常です! マルクス主義は科学ですから!」

 

追記:ドイツ帝国政府は現在のところ、当該スキルを問題視していない。

 

理由:命令には従うため。

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