戦場に、奇妙な軍隊が現れていた。
銃を構えたドイツ帝国軍の兵士たち。
軍服を着込み、軍靴で泥を踏みしめ、命令に従って前進する。そこまでは、どこにでもいる普通の兵士だった。
問題は、その身体能力である。
「くそったれ! なんなんだ、あいつらは!?」
ジルが叫んだ。
兵士の一人が、塹壕を飛び越えた。
跳躍というより、砲弾のような勢いだった。
別の兵士が銃剣を構え、地面を蹴る。その速度は到底人間のものではない。
それでいて、連中は隊列を維持していた。
命令を理解し、戦術的に行動し、互いを援護する。
化け物の身体能力を持った、訓練済みの軍人。
最悪の組み合わせだった。
「ジル! こちらへ!」
「言われなくても逃げてる!」
ジャンヌが旗槍を掲げた。
風を受け、白い旗が翻る。
「我が旗の下に!」
その瞬間、旗から放たれた光がジルを包み込んだ。
足が軽い。
肺が苦しくない。
泥に足を取られても、身体が驚くほど素早く反応する。
ジャンヌの宝具による加護だった。
「おおっ!?」
ジルは思わず声を上げた。
「すげえな、これ! 今なら百メートル走の世界記録でも狙えそうだ!」
「そのようなことを言っている場合ですか!」
「走ってるだろうが!」
背後で銃声が響く。
弾丸が土を跳ね上げた。
ジルは身をかがめ、走り続けた。
もはや、どちらがどちらを追いかけているのかさえわからない。
ただ一つ確かなのは、立ち止まれば死ぬということだった。
ジャンヌが不意に顔を上げた。
「……待ってください」
「待てるか!」
「前方に、強大な気配があります」
「だったら方向を変えろ!」
「ですが、数は少ない」
ジャンヌは一瞬だけ考え込んだ。
そして、決断した。
「このまま進みます!」
「はあ!?」
「強い存在がふたつあるのであれば! 数の少ない方がましです!!」
「なんでだ!?」
ジルは叫んだ。
しかし、考えてみれば道理だった。
背後には何十人もの化け物じみた兵士たち。
前方には、強大だが少数の敵。
突破できる可能性があるとすれば、後者だろう。
「くそ! 普通に納得できるのが腹立つ!!」
二人は走った。
泥を蹴散らし、砲弾の穴を飛び越え、崩れた有刺鉄線の脇を抜ける。
そして。
その騎士が現れた。
甲冑に身を包んだ、一人の男。
戦場には似つかわしくない、古い時代の騎士だった。
騎士は静かに剣を構えていた。
その刀身に、光が集まっていく。
「……おい」
ジルが呟いた。
剣が光っている。
いや、光っているなどという生易しいものではない。
太陽を押し込めたような輝きが、刀身からあふれ出していた。
「ジャンヌ」
「はい」
「あれ、やばくねえか?」
「非常に危険です!」
「だよな!」
ジルはジャンヌの腕をつかんだ。
「失礼するぞ!」
「えっ?」
そのまま彼女を抱え込む。
そして、すぐ脇にあった塹壕へ飛び込んだ。
「きゃあっ!?」
泥水が跳ねた。
次の瞬間。
世界が、光に呑まれた。
轟音。
大地が震えた。
塹壕の縁から土砂が降り注ぎ、ジルはジャンヌを抱えたまま身を伏せた。
光が過ぎ去る。
耳鳴りが残った。
ジルは恐る恐る顔を上げた。
「……生きてる?」
「はい。生きています」
「よかった」
「ですが、そろそろ離していただけますか?」
「ああ、悪い」
ジルは腕をほどいた。
ジャンヌが身を起こし、泥に汚れた服を払う。
二人が塹壕の外をうかがうと、そこには信じ難い光景が広がっていた。
大地が焼け焦げていた。
先ほどまでドイツ兵たちがいた場所には、聖剣の一撃によって刻まれた破壊の痕跡が残っている。
だが。
兵士たちは、まだ動いていた。
倒れていた者が立ち上がる。
吹き飛ばされた者が、何事もなかったかのように武器を拾う。
彼らは再び隊列を組み始めた。
騎士は、その様子を静かに見つめていた。
「……出力は落としたとはいえ」
剣を下ろす。
「聖剣の力でも倒せない疑似サーヴァント化した兵士たち。厄介ですね……」
騎士は少し考え込んだ。
「バーサーカー陛下に報告ですね」
そう呟くと、騎士はその場から姿を消した。
残されたドイツ兵たちは、再び動き始めていた。
だが、先ほどの攻撃によって隊列は乱れ、追撃の勢いも失われている。
ジルは塹壕の底に座り込んだ。
「……助かった、のか?」
「今のところは」
「今のところ、ねえ」
ジルはポケットを探った。
煙草があった。
少し湿っている。
一本を取り出し、口にくわえる。
マッチを擦った。
一度目は失敗した。
二度目で火がついた。
煙を吸い込み、ゆっくり吐き出す。
周囲には泥。
湿った土の匂い。
崩れかけた塹壕の壁。
頭上には砲煙の漂う空。
見慣れた景色だった。
ジルは思わず笑った。
「……塹壕の癖に落ち着く」
ジャンヌが隣に腰を下ろした。
「落ち着く、のですか?」
「ああ」
ジルは煙草をくわえ直した。
「戦友共はブスな娼婦としかやれねーのに、こっちは面の良すぎる女と映画みたいな冒険活劇。最悪だな」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
「そのまんまの意味だよ」
「私の容姿についてはともかく、女性に対する言い方があまりにも失礼です!」
「はいはい」
「はいは一度です!」
「はい」
ジルは煙を吐いた。
しばらく、二人は何も言わなかった。
遠くで砲声が響いていた。
いつもの戦場の音だった。
この場所では、今日も誰かが死んでいる。
昨日も死んだ。
明日も死ぬだろう。
ジルの戦友たちは、今もどこかの塹壕で泥にまみれているはずだった。
自分だけが、妙な戦争に巻き込まれている。
聖杯。
英霊。
宝具。
魔術。
そんなものを知る前は、世界はもう少し単純だった。
敵が撃ってきたら伏せる。
砲撃が始まったら塹壕に潜る。
命令が出たら前進する。
そして、運がよければ明日も生きている。
ジルは煙草を最後まで吸った。
短くなった吸い殻を指先でつまむ。
そして、塹壕の泥に向かって投げ捨てた。
小さな火が、泥水の中で消えた。
*
その光景を、遠くから見つめる者たちがいた。
二つの影。
一人は、忍び装束に身を包んだ女。
もう一人は、アサシンのサーヴァントだった。
彼女たちは戦闘に介入することなく、一部始終を観察していた。
ドイツ帝国軍の異常な兵士たち。
聖剣を振るった謎の騎士。
そして、かろうじて生き延びたフランス陣営。
「……妙なものですね」
くノ一が呟いた。
「何がだ?」
アサシンが尋ねる。
「この戦場です」
女は遠くを見つめた。
「フランスとドイツは敵同士です。英国もまた、ドイツと戦っています。ですが、この聖杯戦争では、その関係が必ずしも意味を持ちません」
「そうだな」
「昨日まで敵だった者が、明日には味方になるかもしれない。逆もまた然り」
アサシンは黙って聞いていた。
「田中将軍が仰った通りですね」
くノ一は静かに言った。
「これは戦争ではありません。博打です」
アサシンが小さく頷いた。
「……違いない」
そして二人は、戦場の闇へと消えていった。
【小ネタ】マスターステータス情報更新!
偽名:カーラ・マルクス(願望)
所属:ドイツ帝国
クラス:キャスターのマスター
保有スキル:精神汚染 A
スキル名:マルクス主義万歳
マルクス主義に対する極めて強固な信奉によって、本人の思想と現実の間に生じる矛盾を、独自の理論によって解消する精神スキル。
本スキルの保有者は、自らの思想に反する状況に置かれた場合でも、精神的な動揺をほとんど生じさせない。
例えば、社会主義革命を志す者でありながら、ドイツ帝国政府の命令に従い、帝国の戦争遂行に積極的に協力する場合であっても、本人は特に矛盾を感じない。
「革命のためにがんばりまーす!」
「カーラ君。帝国のためだ」
「ていこくのためにがんばりまーす!」
なお、これは洗脳ではない。
素である。
また、本スキルは知性や判断能力の低下を意味しない。
本人は自身の思想体系の内部において、極めて合理的な判断を行うことができる。
ただし、その思想体系そのものを疑うという発想が存在しない。
備考:本人は精神汚染を受けているという自覚がない。
当然ながら、指摘しても認めない。
「私は極めて正常です! マルクス主義は科学ですから!」
追記:ドイツ帝国政府は現在のところ、当該スキルを問題視していない。
理由:命令には従うため。