【悪役と人外の戦記】 - 悪役貴族に転生した僕には、神秘の滅びを謳う戦乱の大陸で人外を視る眼があり、ゆえに成り上がる 作:所羅門ヒトリモン
原作知識がまるで役に立たない。
原作が始まってないから仕方ないかもだけど。
西部軍監であるエルマントン家の本城、
当主であるアルベリク・エルマントンと、挨拶もそこそこに協力の件を話題に出したら、返ってきたのは激渋なリアクションだった。
天を
城というよりかは、物見の
天井付近には天秤を模した石像装飾があしらわれ、ビュゥビュゥと風の吹き込む大きな窓からは、アルトゥスや他の都市のランドマークがよく見えた。
いや、よく見え過ぎている。
理由は分からないけど、窓付近の床にはガラスの破片が散らばっていて、風を遮るものが無い。
寒い。
そんななか、
マリセアが寒さのせいか、苛立ちを噛み殺すような笑顔で「エルマントン卿?」と、もう一度呼びかけた。
「裁判には参加する。でもそれは、
「申し開きのしようもございません」
「……父から西部軍監の地位を賜っておきながら、肝心のときに“統制”の役割を果たさないのなら、その首落とすわよ」
「落とされても仕方がないと理解しております。こんな老骨の首でマリセア様のご機嫌が癒せるのでしたら、むしろ幸甚」
「ダリアス。殺して」
「マリセア」
エルマントン卿はさっぱりと非を認めていて、まったく理由を話そうとしない。
僕は埒が明かないので、仕方なしに間に割って入る。
そして、先ほどからエルマントン卿の周囲の席で、老人と対照的な雰囲気を漂わせているご婦人がたをチラリと観察した。
エルマントン卿の奥方と、その生家であるオルトシャー家の面々。
特に目立っているのは奥方だけど。
蒼い眼をした女性陣──なかでも騎士のような男装をしている麗人は、明らかにマリセアを見て顔を
彼女たちは八芒星のロケットや指輪を身につけ、かなり若々しい。
男と女で、対照的すぎると感じた。
エルマントン家の男たちは、当主を筆頭に年嵩な者が多くて人数が少ないのに。
オルトシャー家の女たちは、非常に若々しくて人数が男たちの倍。
旗印はとても優雅で、銀地に青百合と金の剣の交差。
標語は〝剣は誓約のために〟
エルマントン卿は年老いてからこの家の娘と結婚し、弟たちも同じくオルトシャー家から妻を迎えている。
いつだったか、叔父は言っていた。
──楡の樹言葉は「高貴」「尊厳」「信頼」「誠実」の四つだ。
巨木に成長すれば大いなる威容を成し、建材として利用すれば多くの人を助ける優れた建屋となるコトから、楡は人々に愛されている。
──エルマントンは常に公明正大を尊び、大陸でも有数の高潔さを持つ。
ゆえに。
(現在の当主にして西部軍監、アルベリク・エルマントンは妻とその一族に負い目があるんだってね)
年老いた男が若い娘を妻とするコトに、深い罪悪感を抱えているのは当然だ。
貴族の義務として、血筋を残す必要性。
若い頃には婚約者を暴王に奪われ、その後は暴王と戦い。
子どもを生すには若い女が必要で。
ふたりが結婚するのは、政略結婚以上の理由が無かった。
それは弟たちも同じ。
老いた男たちは、だからこそ、オルトシャー家の女性陣に“公正”であろうと努めているのかもしれない。
自分たちのような老いぼれと、夫婦になるしかなかった若い娘たちに。
せめて〝最低限の責務〟以上を求めないようにと。
カツン、と靴音を鳴らして一歩前へ出て。
突き刺さる蒼い眼差しと茶色い楡色を見比べながら、僕は質問した。
「オルトシャー家はずいぶんと、信心深くなられたようだ」
エルマントンが薄く息を呑んだ。
「恐れながら誤解なきようお願い申し上げます。これはあくまで、当主である私の決定であり……」
「ああ、そちらこそ誤解せずに。いまのはべつに、そういう意味で言ったんじゃなくて。ただの事実確認だ」
言外に、ダイアニーシアス家がオルトシャー家に隔意を持ったワケではないと、老人たちに伝える。
すると、男たちは静かに、そして微かに緊張を緩めるが。
一方で、女たちは肩をこわばらせて、落ち着かない様子で手首や肘などをさすった。
しかし、誰もがその緊張に耐えられたワケではなかった。
女性用にこしらえさせた、特別な騎士服に身を包む男装の麗人。
僕とあまり年頃の変わらなそうな令嬢が、勇敢なのか世間知らずなのか、突然声を発したのだ。
「当家への脅しはやめていただきたい!」
口調もまるで男のようなそれだった。
僕が何かを反駁するよりも早く、楡の老主がすかさず厳しい叱責をあげる。
「控えろ、シェリエル」
「しかし叔父上! いまのは脅しです! 我々は貴族であり、〈貴人〉の名のもとに高潔であるべきでしょう! なのに──」
「黙れ! 我が家の旗手であり、家格は騎士団長家に過ぎないオルトシャーが、傲岸にも四方総督家に貴族の在り方を問うなど言語道断。控えろ、姪よ」
「っ……」
シェリエル・オルトシャーは、頭ごなしに怒鳴られたのが納得できないんだろう。
歯を軋ませるように僕を睨み、次いでマリセアを長く睨んだ。
うん、ただの生真面目委員長タイプじゃないね。
小声で従姉に訊ねる。
「王都で彼女の友人でもイジメましたか?」
「……妹よ。でも、あっちが悪いわ。妙に突っかかってくるんですもの」
「やったんですね」
「服の趣味が
ぷい、と顔を逸らすマリセアに溜め息を堪える。
どうあれ、やったことは変えられない。
恐らく、シェリエル・オルトシャーの妹は姉と似てかなりの堅物なんだろう。
正教の教えに忠実で、貴族は〈貴人〉のごとく在れと考えている。
喉の調子を直して、声を張った。
「正教の教えでは、人は八神を通して正しい在り方を学ぶよう言われる。けれど、往々にして現実というのは、理想論ばかりでは
「まさしく、仰るとおりです」
「とはいえ、日頃の行いが多少よろしくないにしても」
不当な罪に問われて、罰を科されるのは悪人ながらに納得がいかないもの。
「どうだろう? 従姉もこれを機会に過去の行いを省みると思うので、我が家としてもエルマントンとオルトシャーには、これまでと変わらない尽力を望みたい」
なので。
「裁判では正教側に立つなどと言わず、僕ら側に立ってくれないかな?」
必要ならマリセアから謝罪を送らせるし、迷惑をかける詫びとして何らかの誠意も見せると伝える。
エルマントン卿はまたしても、「うぅむ……」と唸った。
弟たちと視線を合わせて、チラリとオルトシャーをうかがい。
けれども。
「……若い頃、私も罪を重ね過ぎました。ダンタリアス様はご存知ないでしょうが、暴王の時代の人間は、皆、罪に塗れているのです」
「それは、旧王朝を火炙りにしたコト? 若造が知ったような口を叩くのを不快に思うかもしれないけど、貴方は暴王に最初の婚約者を奪われたんでしょう? 正当な復讐だ」
「だとしても、あの残虐行為に手を染めた事実は変わらないのです」
「だったら、僕も言わせてもらおう。
チラリとシェリエル・オルトシャーに首を向け、すぐに向きを戻す。
老人は歳だからだろうか。
叔父から伝え聞く人物像とは、多少の差異があった。
ああ、涙なんか浮かべてしまって。
ちょっとだけ感傷的になりやすいらしい。
「っ……過分なお言葉ですな。まるでヴァルドリック様のようだ。しかし……」
「なるほど、逆接か」
どんな言葉も「だが」だとか「しかし」だとかの前にあるのなら、意味は無い。
僕の言葉はアルベリク・エルマントンの胸を打った。
弟たちの胸にも、少なからず感動を与えた手応えがある。
それでも、返答は変わらないようだ。
「天秤の傾きは予想以上に大きいなぁ。純粋に理由を訊ねても?」
信心深いオルトシャー家に気を遣うだけが、エルマントン家が正教側についている理由じゃない。
公明正大で高潔。
主君への忠誠心も忘れたワケじゃない男たちが、それでも主家の求めに応じないなら。
「──金ね」
「!」
「オマエたち、あの司祭に借金をしているんでしょう」
「ど、どうしてそれを……」
「私を淫らで高慢なだけのクズ女だと思っているなら、その認識を正しいものに塗り替えるがいいわ。城の様子やオマエたちの身なり、正教のシンボル。見比べてみれば簡単よ」
「う、うぅむ……」
マリセアが指摘した通り、エルマントン家には借金がある様子だった。
オルトシャー家の女性陣が身につけている八芒星のロケットや八角形の指輪は、いずれも極めて高価なものとして近年の王国で知れ渡っている。
特権階級は正教から、寄進金を代価にこの手のシンボルを受け取り。
一種の社会的ステータスとして扱ったりや、死後の冥福を約束されて超安心って論法の流行品だね。
貴族の城や屋敷には、ガラス窓があるのが一般的だ。
だからここでも、風は本来、ガラス製の大窓によって遮られていたはずだし。
エルマントン家の税収を思えば、仮に老朽化だとかで取り替え工事が必要なのだとしても、すぐに人足を雇えるはず。
床の端にガラス片が散らばっているなんて、まるで慌てて質にでも入れたみたいじゃないか。
僕はレディ・オルトシャーをじっと見た。
歳は二十の後半か、ちょうど三十くらい。
人生のピーク。
顔にはまだまだ現役の雰囲気。
足元には指を咥えた男の子。
取り憑いている人外は、珍しいコトに特にいないけど。
でも、少しだけ夫の寛大さに甘えすぎかな。
それとも、これもあのモルヴァートの巧みな戦術か。
「エルマントンならびにオルトシャーに忠告ですが、西部軍艦の任を負うにあたって力が不足しているようなら……」
「はい。重々、承知しております」
「ですよね。まぁ、とりあえず分かりましたよ」
「は? 分かったって……まさかすんなり引き下がるつもり?」
「ここはアルトゥスの隣です。モルヴァートのほうが距離も近くて、行動も早かった」
借金がどれだけの額かはさておき。
それを減額か、帳消しにするとか言われて交渉が終わっているなら。
エルマントンは味方にできない。
オルトシャーも言わずもがな。
「誓って申し上げますが、裁判では必ず公正な判断をいたしますと約束いたします」
「頼みます」
「ちょっと!」
マリセアは僕の肩を叩き、容赦なく腕をつねってくる。
内出血確定の痛み!
でも、これ以上はエスメラルダに黄金を用意させる以外に、手が思いつかない。
僕がここで借金を肩代わりすると申し出れば、ではその金はどこから? と叔父が後で必ず問い糺してくるだろうし。
ヴェルデミア家に贈ったプレゼントと違って、これはコッソリとは行かない。
「いいの? この人たちの問題も、私がどうにかしてあげられるよ?」
僕が「助けてくれ」と言わないので、エスメラルダはアルトゥスからずっと疑問符を浮かべていた。
顎に指を当てて、鋭く尖った爪を斜めにズラしながら耳をヒョコリヒョコリ。
尻尾も揺らして、「あー、なるほどね?」とやがて呟く。
「ダンはそうやって、敢えて難しい道を選ぶんだね? 今までの契約者はすぐに飛びついたのに。ダンはそうやって探し続けるんだ。もしかして人間の幸せも、同じだったりする?」
人前なので反応は返せない。
そうしていると、楡の玉座からこんな申し出があった。
「せめてもの詫びとして……裁判までの世話は、我が姪にお任せいただければ」
「なっ、叔父上!?」
「へぇ?」
依然として僕の腕をつねったまま、マリセアが途端に嗜虐的な笑みを浮かべた。
エルマントン卿は先ほどのオイタを、どうやらしっかりと罰するつもりだったらしい。
これも叔父への忠誠の証かな。
課題は増えてしまったけれど、せっかくの謝意を受け取らないのも礼儀に反する。
「そうですか。では、ありがたくよろしくお願いします。シェリエル・オルトシャー嬢」
「っ……!」
「私たちの世話、しっかり見なさい?」
◇◆◇◆◇◆◇
アテにしていた協力者が、すでに敵に取り込まれた後だった。
そうなるとタイムリミット的に、僕らが用意できる他の裁判参加者はいない。
エルマントン家は公正な投票をするだろうから、それだけは不幸中の幸いと言えるね。
マリセアはそんなの、まるで信用できないとご立腹だったが。
僕が公開裁判の本番で「どうにかする」と断言すると、思いのほか簡単に機嫌を直した。
「じゃあ、信じるわ」
「……何を根拠に」
「シェリーには分からないでしょうね? 我が家はダイアニーシアスなの」
その元正嫡が、ハッキリと明言するのなら。
公開裁判では間違っても敗北しない。
従姉は信じられないほど、期待とプレッシャーをかけてくる。
「〝ダイアニーシアスは常に備えを怠らない〟と?」
「あら、よく分かってるじゃない! そうよ、シェリー!」
「貴様にシェリーと呼ばれる筋合いは無い!」
「あるわよ。だって私は西部総督家。オマエは
言葉遣いには気をつけなさい、と。
マリセアはさっそくオルトシャー嬢をいびりながら、「湯浴みの準備をしなさい」と侍女扱いを始めた。
まだ妹さんをイジメた件で謝ってもいない。
当然ながら、オルトシャー嬢は肩を怒らせた。
「ここでもし私が帯剣していたら、貴様は同じことを言えたか?」
「あ、それ。気になっていたのだけど、どうしてそんな格好をしているの?」
時代遅れなオールド・ファッションに比べたら、遥かにマシなチョイスだけどと。
マリセアは女性特有の審美眼を発揮して、オルトシャー嬢の出で立ちを評価する。
僕も気になっていた。
楡の玉座の間では、オルトシャー家の男がひとりもいなかった件も含めて。
男装の麗人は憮然とした表情で答える。
「……
「え? そうなの?」
マリセアが僕に訊ねた。
この世界でそんな騎士団があるのが、信じられないからだ。
記憶を探ると、うっすらと
たしか。
「思い出しました。聖少女騎士団ですね」
「なにそれ? キモイ名前」
「我が騎士団を愚弄するな!」
「マリセア」
「分かったわよ。それで?」
「要は、〝死兵作り〟ですよ」
戦の最前線に、清らかな処女でのみ構成された騎士団を送る。
すると、戦場にいる味方の男たちは、必死になって女たちを守ろうとする。
「〈鋼父〉への誓いですね。貴族の男は騎士に叙任されるとき、〝女の陰に隠れて自分はのうのうと命を
農民や町人から徴兵された男たちにも、貴族から宣誓の言葉は教えられる。
そして、これは男の本能を非常にうまく刺激するのだ。
普段は女性を嫌厭して、煙たがるように遠ざけようとする者でも。
動物学的な本能が働くのか、戦場で異性が窮地に陥っていると認識すると、カラダが勝手に獅子奮迅の戦いを始める。
どんな臆病者も、気づけば狂戦士がごとく。
そして狂気は伝播する。
最初は前線に女性がいれば、敵も本気を出せずに怯むだろうという目論見から始まったらしいんだけど。
結果はある意味で逆効果になり、かえって自軍の戦力に多大な犠牲を要する作戦になってしまった。
それが、聖少女騎士団。
「未通の処女だけで構成された戦場の花たちです」
「へぇ? 処女なの」
「っ!」
オルトシャー嬢が顔を赤らめる。
キッ! と僕は睨まれてしまった。
だが残念。
僕はこの手の話題で、特に羞恥心とかを感じない。
歴史の事実──時として小説よりも奇なり──を語っている気分になってるからね。
「オルトシャー家は先の戦争で、男手が今でも少ないんですね」
「……そうだっ。だから私が、少しでもその代わりをと務めているっ」
「あっそ。自分から凌辱されに行くなんて、見た目通り変わってるのね」
「貴様……」
「どうでもいいから、早く湯浴みの手伝いをしてくれる?」
マリセアは興味を失ったのか、ドレスを脱ぎ始めた。
慌てたのはオルトシャー嬢だ。
「なっ、ちょ、まだここにっ、え!?」
同じ部屋に僕がいるのに、どうして脱ぐんだと驚愕&動揺する少女騎士。
僕はマリセアに苦言を
「すいませんがマリセア。今夜のオルトシャー嬢は僕が借り受けたく」
「あら、そう?」
「はぁ!? ななな、貴様いったい何を考えている!」
「処女を奪うコトでしょう」
「横暴だ! 圧政だ! やはり西部総督家は悪の一族だ!」
「……単に少し、このあたりを案内して欲しいだけですよ」
マリセアが「アハハハハハ!」と素っ裸で笑う。
エスメラルダも同じように笑った。
「アハハっ! そういえば、初夜権ってもう無くなったの?」
「勝つために必要なのね?」
「ええ」
ふたりからの質問に同時に首肯する。
「ならいいわ。代わりの侍女を呼んで来て」
「分かりました。では、そういうコトなので、いいですね?」
「くっ……どうせ私に拒否権は無い。好きにしろ! なんてヤツらだ……」
「くすくす」
僕は部屋を出て、ちょうど近くを通りかかった使用人に湯浴みの旨を伝える。
従姉が優雅なバスタイムに興じている間、いままさに身内の女を窮地に晒されている男である僕は、獅子のように戦わなければならない。
(本物のセラフィオンを横にして、格好がつくとは思わないけどね)
夜は昼間には見られないモノが動き出す。
それを確かめるため、僕は依然として頬を赤く染めたままのオルトシャー嬢を連れ立って、都市の下層へ足を向ける。
今夜は中層から下層で、色気に欠けたデートだ。
◇◆◇◆◇◆◇
オルトシャー嬢は鎧を着込んだ。
ほんとうに色気が無くなってしまった。
「夜は不埒な輩も多くなる。貴様は『赤き翼獅子』と比べて弱いのだろう?」
「驚きました。従兄の新しい通り名をご存知なんですね」
「私は騎士団長だ。西部の武辺者には詳しい」
「でも、僕との差別化も兼ねてエヴァンドルがそう呼ばれるようになったのは、割と最近ですよ?」
「赤き翼獅子だけなら、噂はこんなにも素早く回らなかっただろう。西部総督家には妖術師がいると、巷では囁く者もいるからな」
「へ〜」
「……貴様のことだ」
「そうですか。だから弱っちい僕を、護衛してくださると?」
「女に守られる気分はどうだ?」
「奮い立ちます」
「……みょ、妙な意味じゃ無いだろうな……」
「妙って?」
「なんでもない! ところで、どうして私には敬語なんだっ」
「今はエルマントン卿もいませんからね」
「?」
「男にもしがらみがあるんですよ」
マリセアからしてみれば、心底〝くだらない〟だろうしがらみがね。
けど、世界はそういう心の綾模様で案外成り立っている。
気疲れするコトも何かと多いしがらみは、男も女もそれぞれ背負っているのだ。
男装をしていても、オルトシャー嬢にそれを理解してもらうのは難しいかもしれない。
鎧で自らの身体を覆うのも、この令嬢はどこまで自分を理解しているのか。
夜は不埒者が多くなる。
強盗、人殺し、暴漢、強姦魔。
戦場の最前線に立つのも、都市の下層に降りるのも。
女性にとっては、等しく恐怖に違いない。
だけど、オルトシャー嬢には案内してもらわないと困る。
ここはアルトゥスの隣の街だけど。
エルマントンとオルトシャーの本領だ。
一見は同じように見えても、そこには明確な違いが存在する。
存在しなければ困る。
「それで? 今夜はどこを案内して欲しいんだ?」
「なるべく人が多いところを。特に、三十の後半から四十代以上の者がいる場所で、噂が一夜にして広まるような場所です」
「なんだそれは……」
「できれば男のほうが多いと助かりますが、性別にはこだわりません。女は家族を持っていると嬉しいですけどね」
「余計に意味が分からないんだが……」
「まぁ、とりあえず案内をよろしくお願いしますよ」
「貴様の望みに沿うなら、酒場か広場かしか思いつかん」
「お。いいですね。なら、行ける限りの酒場と広場に」
「なにをするつもりなんだ?」
「〝夜は暗くて冷たく、暴王の恐怖は未だに満てり〟」
人口の密集した都市部では。
夜になると、不埒者だけではなく“暗闇”も多くなる。
暴王が広げた迷信妄言。
それは人々に〝神秘なんて
神秘なんて存在しないのに。
人外なんて存在しないのに。
魔法なんてとっくに失われたのに。
あるところでは精霊を召喚するため、次々に村娘が湖に投げ込まれ。
あるところでは吸血鬼を復活させるため、町中の人間が生き血を抜かれ。
あるところでは
ある者は悲しみに耐えかね、後を追って祟りに縋り。
ある者は窮状に喘ぐあまり、家畜や猛獣の死骸を継ぎ接ぎして神秘の証明と
そしてある者は義憤に総身を蝕まれて。
我こそは聖剣を抜いた者なりと、神秘を献上するフリをして暴王の殺害を目論んだ。
魔法の血脈。
レストロヴァン王朝への反旗は、そこから次々に
最初に立ち上がったのは、実は民衆なんだ。
人々は暴王を否定するため。
暴王が信じている
言い換えれば。
大陸は神秘の滅びを
人間の世界におかしなモノは要らない。
そんなモノ、存在しないで欲しい。
なのに実際は?
(人々の希望を嘲笑うかのようにして)
この世は
「ダン。いい夜だねっ? 今夜はとっても月が綺麗。私のお願いごと、決まったよ? 私ともデートしよっ!」
月光に濡れる淫らな黄金。
孔雀の翼は月暈の虹のように幽かで。
骨が軋むほどに、不意打ちだ。
「……うん。なにをするつもりかですって? そんなの決まってる」
暴王の軍勢と戦ったのは、貴族だけじゃない。
時には彼らと、彼らの亡くしたモノたちに。
西部総督家は感謝と安堵を与えてやる必要がある。
「酒場と広場に足を運ぶなら、もちろん酒と食事を奢るんです」
ついでに墓地も回ろうか。
恐怖がまだ、そこにいるコトを。
僕は彼らに思い出させる。