ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
やるだけのことはやったのだ。
ルノワール男爵家の病院に集っている大学の教師や学徒を集めてだ。
もうこの際だから、現王ヴィルヘルム様に許可を事前にとって。
この国の未来を支える人材を登用するため、教育改革を行おうと。
それぞれの官僚たちから若手の生え抜きを集めて喧々囂々の会議を行ったのだ。
それこそ聖職者達だって、どうせ識字率を高めるのならば神学・論理学・修辞学についても教えたいと。
病院内でガヤガヤと、ああだこうだと言い合いながらに真剣な教科書作りを進めていたのだが。
官僚の一人がこう述べた。
「教科書作りはこちらで行いますが。せっかく計画を立てても、実行されねば意味がないのですが? 我々の会議を無駄にしないようにお願いしますよ?」
「わかっている。まかせておけ」
それはそう。
結局のところ、私には立場からの役割が求められる。
ルノワール男爵家の仕事として、どうにかして現王様と枢機卿の電撃的和解を実現しなければならなかった。
教科書作りに日夜明け暮れている、騒がしい研究病棟から出て。
自分の執務室で溜め息を吐く。
「どうしたものか。今から計画しなければならない」
計画を練る必要がある。
ぶっつけ本番でどうにかするのは、苦手なのだ。
物事は常に論理的に実行しなければならない。
事前準備を進めよう。
「現王ヴィルヘルム様が求める、教育改革の実施。それ自体については枢機卿も開明的な御方だし、理解と賛意を示すだろう」
独り言。
ぶつぶつと呟きながら、脳内で説得材料を組み立てる。
問題はだ。
これは取引なのだ。
枢機卿猊下も、それに対して代償を求める権利があった。
だが、枢機卿はハッキリ言って現王様が大嫌いである。
先王よりはマシってだけで、普通に嫌いなのである。
お互いに煽りの言葉を繰り返し、平気で中指をおっ立てあう関係だ。
「何か――見返りを」
材料は少なかった。
あまり思い浮かばないのだ。
まあ、現王様はどうしても世の中の不平等を可能な限り根絶したい少年で、そのためなら自分の名誉などいかほどの価値があるものかと考える御人。
大衆の面前で頭を下げるぐらいならばやってくれるだろう。
だが、枢機卿は別にそんなことを望んでいないだろうし。
仮に望んでいることがあるとすれば。
「本人に聞くか」
そうだよ、もう本人に聞けばいいんだよ。
二十五年も関係を構築してきて、そりゃあお互いに立場もあるが。
腹を割って話し合いの出来る関係だった。
すぐさまに馬車を走らせて、枢機卿の職場にして住まいである司教館へと出向く。
突然の来訪だが、快く出迎えて貰えた。
いつものように手土産を渡しながらも、事情を説明し、正直に尋ねる。
「実際、ジョバンニ枢機卿としては王家に何か要求したいことがありますか?」
「さて――」
高身長の老体を少し曲げて、首を傾げる。
「欲しい物はありません。地位も名誉も沢山頂きました。ルノワール男爵、貴方からです。そして、教育改革の実施についても賛同したいところです。急激な社会変革を好まず、あくまでこの国での実験としてはですが」
「では」
「和解してもよいとは思っています。あの畜生少年王が私にちゃんと頭を下げればですが。もちろん王の立場としてでは無く、ヴィルヘルムという個人的な人物からの謝罪で結構です」
私はほっとした。
それぐらいならば、余裕で条件を飲むだろう。
それはいいが。
「それはそれとして」
枢機卿は、私をじっと見る。
「男爵。貴方に言っておかねばならないことが」
「というと?」
「教皇が辞任の意図を示されました。このまま自分の死によって混乱を招くよりも、来年にはコンクラーベを実施したいと」
ほう。
まあ、その噂は聞いていた。
もちろん、次代は眼前におられる枢機卿だろう。
「私はその教皇の座に、男爵こそふさわしいと考えていました。その根回しもすでに行っていました」
「初耳ですが?」
勝手に何してくれてんねん。
いや、私は病院運営のために、一応聖職者兼任という振りをしているけど。
なんちゃって聖職者だからね?
それこそ、来年には結婚予定だからね?
「もっと早くにお願いするつもりでしたが、油断をしていました」
油断というか普通に嫌である。
嫌だよ、教皇なんて。
というか、普通に眼前にいるジョバンニ枢機卿の方が断然ふさわしい。
「もちろん、男爵が結婚をされる以上は、さすがに教皇にするには難しい。これについては諦めました」
「はあ」
まあ、諦めてくれたのならばいいが。
「仕方がありません。代役として、私がこれから教皇の地位に就くことになります」
「はい、そうなりますね。他に相応しい人もいないでしょうし。もちろん、選挙のバックアップはさせて頂く予定ですが」
それが条件だろうか?
それならば、別に頼まれなくてもやるつもりではあるが。
「で、このままヴィルマイア王国の司教区を担当する枢機卿ですが、代替わりをすることになります。これについて。相応しい人間が男爵以外にいません」
「あの、私は先ほども枢機卿が仰いましたとおり、結婚する予定なのですが――」
「この際、聖職者独身制については目を瞑ります。私が教皇になるわけで、さらに男爵の功績を考えれば一代ぐらいは許されるでしょう」
まあ、可能か不可能かならば、可能と言わざるを得ないが。
枢機卿か。
「他に相応しい人物は? 例えば、ルノワール病院の本来の修道院長である司祭は?」
「彼が貴方に遠慮していますし、そもそも貴方の補佐で手一杯ですよ。これ以上の負担は……」
まあ無理か。
誰にでも能力の限界というものがあるし、司祭が責務で潰れるのは目に見えている。
だからといって、私だって普通に嫌なのだが?
「はっきり申し上げますが、ルノワール男爵。私は貴方に協力的ですが、それは二十五年もの長い関係があってのことです。何処か別な区域から枢機卿を呼び寄せて、貴方の教育改革に協力せよと命じたところで。本当にちゃんと理解を得られるかどうかは――」
「難しいと」
「不可能と言って良いでしょう。貴方自らが教育改革を、兼任聖職者として実施する以外に他ありません」
言われたらわかるんだよ、言われたら。
でも普通に嫌だよ。
今以上に忙しくなるのは――と思うが。
正直、私以外に出来るかというと、多分無理だろう。
ここは頷くしか無かった。
「承知しました。枢機卿の責務を背負うことにします」
嫌だけど。
嫌だ嫌だと、子供のように拗ねていても何も解決しないのだ。
ここは大人になるしかなかった。
「ありがとうございます。これで肩の荷が下りました」
ほっと、本当に納得したようにジョバンニ枢機卿は笑顔を見せて。
「――あと二年後にはお別れです。男爵。出来れば、貴方の子が生まれるのを見てから、旅立ちたいところなのですが。子は授かり物ですからね。結婚したところで、すぐにとはいかないでしょう。いつか、顔を見せに教皇区までいらしてください」
まるで幼い頃に失った、自分の父のように微笑んだ。
そうか、後二年で、もう枢機卿ともお別れになるのか。
私は少しだけセンチメンタルな気分になりながらも。
「ところで、教皇になられたのならば、もっと聖職者の数を増やせませんか? 具体的には教師の数が足りず――」
実務の話をして、自分の感情をごまかした。
私は貴方を自分の父のように思っていると。
そんな本音を口には出さずに。