扉が静かに開いた。
私はいつもの姿勢で椅子の上に膝を抱えながら、その音を聞いた。だが耳ではなく、もっと別の感覚でそれを感じ取っていた。空気の密度が変わる。部屋の重力がほんのわずかに歪む。
そして、そこに立っていた。
髪の毛が伸び、以前よりわずかにやつれた顔。だが、その瞳だけは以前と同じだった。いや――以前よりも、さらに澄んでいるようにすら見える。
夜神月君。
監禁から解放されたばかりの青年が、ゆっくりと室内に入ってくる。
「久しぶりだな、竜崎」
声は落ち着いていた。
不思議なほどに。
まるで、長い旅から帰ってきた友人にでも語りかけるような声音だった。
「久しぶりです、月君」
私は首を少し傾けて答える。
そのやり取りを、後ろで夜神さん、相沢さん、松田さんが息を潜めて見守っていた。
空気が張り詰めている。
だが、妙だった。
この部屋にいる全員が、何かを理解している。
今から始まる会話が――
終局だということを。
「竜崎、分かっていると思うが、この話し合いで全てが終わる」
月君はそう言った。
その言葉は静かだったが、どこか鋭利だった。
「僕は竜崎がキラだと思っている。L=キラで今までのことをしてきていると確信している」
私は少しだけ目を細めた。
(やはり……そう来ましたか、月君)
「分かっていますよ」
私はゆっくりと言った。
「さぁ、クライマックスですね」
その言葉を口にした瞬間、自分の胸の奥がわずかに震えるのを感じた。
奇妙な感覚だった。
追い詰めているのは、私のはずだった。
だが同時に、私もまた追い詰められているような錯覚を覚えていた。
「お互い準備をしていると思います。手札は出し惜しみなく、どちらがキラであるか決めましょうか」
私は月君を見上げる。
「私は月君がキラだと確信しています」
ほんの一瞬。
月君の口元が、微かに動いた。
笑ったのか。
それともただの筋肉の動きか。
判断がつかない。
(……読めませんね、月君)
この男の思考だけは、最後まで霧の中にある。
「まずは竜崎」
月君は言った。
「僕がキラであると考える理由について話してくれないか」
挑発。
いや――違う。
これは儀式だ。
互いの論理を、すべて白日の下に晒すための。
私は指先を唇に当て、少し考えるふりをした。
だが本当は、すでに話す順序は決めてある。
「はい」
私はゆっくりと言った。
「月君はまず、新宿の通り魔事件を殺しの実験台として使いました」
室内の空気が、さらに重くなる。
「能力で人を殺せることを理解した。その後、正義感から悪人を裁き始めた」
私は月君の表情を観察する。
まばたきの回数。
呼吸のリズム。
どれも変わらない。
(やはり……)
「最初、月君は捕まるとは思っていなかったのでしょう。能力による殺しですからね」
私は続ける。
「それゆえ、殺しの時間が日本時間の夕方から深夜帯に集中しました」
夜神さんの肩がわずかに動く。
松田さんは、息を飲む。
相沢さんは、腕を組んでいる。
だが私の視線は、ずっと月君に固定されていた。
「つまり、日本の学生の可能性が高いと判断できました」
私は言葉を止めない。
止めれば、思考が揺らぐ。
「そして私は、日本の関東……さらに言えば都内にキラがいると予測しました」
私の替え玉――
「リンド・L・テイラー」
その名前を口にした瞬間、室内の空気がさらに沈んだ。
「あれは挑発でした。世界同時中継でキラを誘い出すための」
私は静かに言った。
「結果、月君は挑発に乗り、彼を殺した」
沈黙。
重い沈黙。
「しかし彼は、すでに死刑が確定していた死刑囚でした」
私は続ける。
「その時私は確信しました。キラは、日本の関東にいる」
私は指を組む。
「さらに、警察内部のデータベースにアクセスできる程度の能力を持つ人物だとも考えました」
私は月君を見上げた。
「52人の死者のデータを見れば分かります。キラの殺しには、顔と名前が必要です」
私は言った。
「そこで私は試しました」
ほんの少しだけ笑う。
「――私を殺してみろ、と」
沈黙。
「しかし殺されなかった」
私は続ける。
「そして私は、あるヒントを得たのです」
ゆっくりと。
ゆっくりと。
この物語の中心へ近づいていく。
「私が“日本の関東に住んでいる”と公言した後、裁きは日本の犯罪者に集中しました」
私は月君を見る。
「つまり、キラは挑発に乗る性格だと分かった」
さらに一歩、論理を進める。
「そして学生の可能性が高いと結論付けた後、月君は実験しました」
「1時間ごとに23人を殺すことを」
「その結果、死の時間が操れるというヒントまで得られました」
私は静かに言った。
「この時点で、警察内部から情報が漏れていると判断しました」
部屋の全員が固まる。
「警視庁の中でも、キラ関連の情報を知る者は約150名」
私はゆっくりと結論へ近づく。
「つまり、その150人――あるいは、その家族」
私は言った。
「そこまで絞り込めたわけです」
そして。
私は月君を見上げる。
その瞳を、まっすぐ見た。
(……さぁ、月君)
(ここからが本当の最終局面です)
***
捜査本部の空気は、先ほどよりさらに重くなっていた。
机の上のコーヒーカップからは、もう湯気が出ていない。
時間が経っている証拠だ。だが誰も、それに気付こうともしない。
全員の視線が、私と月君の間に落ちている。
静かな戦場だった。
銃声も刃物もない。
だが今ここで交わされている言葉は、どんな凶器よりも鋭い。
私はゆっくりと続けた。
「そして、夜神家と北村家にはFBIのレイ=ペンバーをつけさせました」
あの時の判断は正しかった。
少なくとも、あの時点では。
「その後、十二人のFBIはキラに殺されました」
その瞬間だった。
「L、それはL=キラなら名前と顔を把握しているから可能だが、息子の月には不可能だ」
夜神さんの声が入った。
私は少しだけ視線を横に動かした。
父親の顔だった。
警察官の顔ではなく。
「僕も局長に賛成です。月君にはFBIの殺しはできないです」
松田さんも続く。
(……予想通りですね)
私は沈黙した。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……いえ。可能です」
部屋の空気がわずかに揺れた。
「私は、レイ=ペンバーの婚約者だった美空ナオミさんとお話をしました」
その名前を出した瞬間、月君の瞳がほんの一瞬だけ動いた。
ほんの一瞬。
だが私には十分だった。
「その時、彼女はこう言っていました。誰とは言いませんが――」
私は言葉を区切る。
「バスジャックの際、レイ=ペンバーが調査対象者にFBIの身分証を見せた、と」
室内がざわつく。
「この時の音声データがあります。聞いてください」
私は音声を流した。
スピーカーから流れる声。
美空ナオミの、落ち着いた声。
そして――
レイ=ペンバーの身分証。
音声が終わると、室内は静まり返った。
「そして、このバスジャックに遭遇していた人物がいます」
私はゆっくり言う。
「月君です」
そのまま、視線を向ける。
「つまり、レイ=ペンバーの顔と名前はこの時に入手できました」
私は静かに言った。
「違いますか? 月君」
一瞬の沈黙。
そして月君は、あっさり答えた。
「ああ。そうだ。確かに彼のことを知っていた」
夜神さんが息を呑む。
「月……なぜそのことを話さなかったんだ……」
「父さん、彼が内密にしたいと言っていたので黙ってました」
ざわめきが広がる。
私はその様子を観察する。
(揺れていますね……)
だが、月君は揺れない。
私は続けた。
「どうでしょうか?」
私は静かに言う。
「私以外にも可能な人物が出てきました」
そして話を進める。
「弥 海砂さんの証言によれば、キラはデスノートを使って殺害しています」
私は指を組む。
「そして、そのノートは誰が書いても効果がある」
「さらに、ノートは切り離しても使える」
ここで私は、山手線の資料を机に置いた。
「レイ=ペンバーが死亡した山手線。彼は一周六十分の路線を九十分乗っていました」
「不可解な点1です」
私は資料を指で叩く。
「さらに、乗車時に持っていた茶封筒が、死体発見時にはありませんでした」
「不可解な点2です」
私は続ける。
「茶封筒の名前の欄に穴を開け、その下にデスノートの紙を仕込む」
「そしてレイ=ペンバーに、FBI全員の顔と名前の入ったファイルを確認させながら、名前だけを書かせる」
私は言った。
「そうすれば、他の十一人の顔を知らなくても殺害できます」
沈黙。
夜神さんが口を開いた。
「L、しかしFBI全員の顔と名前のファイルを送っているか分からないじゃないか?」
鋭い質問だった。
だが、想定内。
「いいえ」
私はすぐに答える。
「FBIの指揮官をデスノートで操ればいい」
「“FBI全員の顔と名前のファイルを送った後に死亡する”と書けばいいのです」
私は続ける。
「キラが死の前の行動を操れることは、すでに証明済みです」
私は椅子の上で姿勢を変える。
「この結果、私はFBIを使った捜査ができなくなりました」
「さらに警察からも不信を持たれ、結果的に顔を出す必要が出ました」
私は言った。
「私がキラなら、明らかな悪手です」
「確かにそうだ。キラならやらない」
松田さんが頷く。
だが――
月君が口を開いた。
「いや、竜崎」
その声は、落ち着いていた。
「FBIの前からLを信用していない存在はいた」
私は視線を向ける。
月君は続ける。
「それなら信用してくれる人だけに絞る意味がある」
「そして疑いを僕に向けるためにやったと考える方が自然だ」
わずかに微笑む。
「むしろ好手とも考えられる」
「実際、秘密裏にキラ捜査を続けられていたのだから」
私は少し黙った。
(……やはり)
思考の速度が速い。
「なるほど」
私は小さく頷いた。
「そういう考えもできますね」
そして話を進める。
「その後、私はFBI事件を受けて監視カメラと盗聴器を仕掛けました」
一瞬だけ、言葉を止める。
「……殺人と監視のどちらを取るか」
「その天秤の結果です」
そして私は、月君を見た。
(分かっていますよね、月君)
(決定的な証拠がない限り、私はいくらでも逃げられる)
(そして――)
(あなたの返しは、これだけですか?)
その時だった。
月君が言った。
「その結果、僕がキラである証拠は出なかった」
そして続ける。
「なぜなら僕がキラではないからだ」
私は首を振った。
「いいえ」
静かに言う。
「キラなら証拠は出さずに、あの状況でも殺しを行う」
「つまり、月君がキラではないと判断する材料にはなりませんでした」
私は机の資料を指す。
「監視カメラには死角もあります」
そして言った。
「ポテトチップスの袋の中に小型テレビ」
室内が静まる。
「右手で方程式を解きながら」
「左手で切り離したノートに名前を書く」
私は続ける。
「その日、月君は驚くほど白でした」
「しかし裁かれたのは軽犯罪者」
「つまり、音声ではなく文字情報を見て書いた可能性がある」
私は肩をすくめた。
「ゴミ箱は調べていません」
「ですので、この話はいたちごっこです」
「推論にすぎません」
その時だった。
月君が笑った。
「面白い発想をするね」
そして言う。
「ポテチの中に小型テレビ?」
首を振る。
「母さんがゴミをまとめる」
「さらにゴミ収集員はプロだ」
「袋の重さで異物が分かる」
「もし小型テレビが見つかれば、その時点でキラだ」
そして、静かに言った。
「そんな浅はかな作戦」
「僕がキラでも絶対にしない」
そして続ける。
「それこそ死の前の行動を操れる」
「僕が勉強中に犯罪をさせて」
「その後、僕が勉強中に殺せばいい」
私は――
一瞬、黙った。
そして。
「なるほど」
私は小さく言った。
「その手がありましたか」
だがその瞬間、胸の奥で小さな違和感が動く。
(……おかしい)
(私は追い詰めている)
(そう思っているのに)
なぜか。
なぜか――
盤面を支配しているのは、
月君の方ではないかという感覚が、
消えない。
***
捜査本部――白い蛍光灯の下に、静かな緊張が沈殿していた。
それは音ではない。気配でもない。もっと粘性を帯びた、思考そのものの重さである。
私は、砂糖を角砂糖のまま口に放り込みながら、机の上に指を組んだ。
甘味は脳を活性化させる。だがこの場において必要なのは、甘さではなく、冷徹な切断力だ。
目の前には、夜神月。
整った顔立ち、無駄のない姿勢。まるで完成された数式のような男である。
――だからこそ、誤差があれば、際立つ。
「月君、さらに話を進めていきます」
私は淡々と語り始めた。
だがその言葉の一つ一つは、針のように彼へと向けて放たれている。
「監視カメラと盗聴器による監視……この状況下において、キラであれば尻尾は出さない。これは結論です」
事実の提示。揺るがぬ前提。
ここまでは誰もが理解できる、表層の論理。
「しかし、第二のキラが現れたことで、状況は一変しました」
空気が、わずかに軋む。
私はそれを感じ取りながら、言葉を続けた。
「私は月君がキラである証拠を直接掴むよりも、この第二のキラを捕らえ、そこから辿る方が早いと判断しました」
推理とは、最短距離を選ぶ行為ではない。
最も“確実に詰む道”を選ぶことである。
「第二のキラのビデオテープは粗雑でした。送り方にも痕跡が残る……つまり捕まえられる存在だった」
ここで私は、わずかに視線を上げる。
月の瞳が、こちらを真っ直ぐに射抜いていた。
美しいほどの静止。
――だが、静止は完全ではない。
「そして、第二のキラが“Lを差し出せ”と言った時……私は焦りました」
本来、Lは焦らない。
それをあえて言語化すること自体が、罠である。
「このビデオの主が第二のキラであると、私は確信しました。しかし、捜査本部の皆さんは気付かなかった」
愚かさではない。
人間とは、そういうものだ。
「だからこそ、“もう一人”、気付く者が必要だった」
私は、わずかに笑った。
「月君、あなたです」
沈黙。
だがその沈黙は、ただの空白ではない。思考の奔流が、そこに渦巻いている。
「もし月君がキラならば……第二のキラの存在を伏せ、私を殺しに来るはずです」
これは賭けではない。
必然である。
「しかし私は、月君なら“第二のキラの存在に気付く”と確信していました。つまり、それを伏せた場合……月君がキラであると確定する」
論理は閉じている。逃げ場はない。
――はずだった。
「逆に、月君が第二のキラの存在を指摘すれば、それはそれで別の意味を持つ」
私は、あの瞬間を思い出す。
ビデオを見せた時。
ほんのわずか、筋肉が動いた。視線が揺れた。呼吸が変わった。
「私は確信しました。月君がキラである、と」
だが――
「その後、月君は考え込んだ」
そこが、美しい。
「このまま黙っていれば、Lを殺せる……そう思ったのでしょう。しかし同時に、こうも考えたはずです。“Lが気付かないはずがない”と」
私は指を組み直す。
「つまり、沈黙は逆に疑いを強める。だからこそ月君は、第二のキラの可能性を示した」
論理は、円環を描いて閉じる。
そしてその中心にいるのが――彼だ。
月が口を開いた。
「竜崎、よく観察しているな……」
静かな声。だがその奥には、鋼のような意思がある。
「確かに早期に第二のキラの存在には気付いた。そして、Lが気付かないはずがないとも考えた」
彼は否定しない。
だが、肯定もしない。
「その意味について考察していただけだ」
――見事である。
私は、わずかに目を細めた。
この男は、論理そのものを遊んでいる。
「その後、第二のキラは“キラに会いたい”と言った」
私は言葉を重ねる。
一歩ずつ、詰めていく。
「そしてその場所に向かったのは、月君……あなたです」
事実。動かぬ記録。
逃げ場のない配置。
「結果として、弥海砂と月君は交際関係になった。そして弥海砂は、第二のキラだった」
ここで、私はほんのわずかに間を置く。
「私は、月君の友人や家族にも話を聞きました。結論は一つです」
静寂。
「月君が、弥海砂のような人物に恋をするとは考えられない」
それは人格の否定ではない。
整合性の否定である。
「つまり――利用した」
私は、ゆっくりと結論を口にした。
「私の結論はこうです。キラは月君。そして、第二のキラは弥海砂です」
沈黙が落ちる。
だがその沈黙は、終わりではない。
むしろ、ここからが始まりである。
――夜神月という完全な存在を、崩すための。
Lがデスノートを拾ったらという発想は興味を引くものだったか
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かなりひく
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すこしひく
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あまりひかない
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ひかない