■Lの家■
窓の外には、曇った硝子越しに都市の灰色が広がっていた。
高層の建物が立ち並び、そこを流れる無数の人間たちは、遠目にはまるで砂粒のようである。
私は窓辺にしゃがみ込んでいた。
例の、膝を抱え込む奇妙な姿勢――世間の人間が見れば少しばかり気味悪がるだろう姿勢で。
膝の上に顎を乗せ、ぼんやりと外の景色を眺める。
しかし実際には、何も見ていない。
私の頭の中には、もっと面白いものがある。
――人間の思考という迷路だ。
背後で、骨の軋むような声がした。
「ずいぶん気の抜けた顔だな、L……」
振り向かなくても分かる。
死神リュークだ。
私は小さく答えた。
「小休止ってところですね」
声はいつものように眠たげだ。
「まあ、警察の働きぶりを見たいのが理由です」
私は机からポンデリングを一つ取ると、それを口にくわえた。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
人間の脳は糖分を欲しがる。
特に推理をする時には。
「それに、ちょっと疲れました」
ドーナツをもぐもぐ噛みながら言う。
「もし私がキラでなければ」
少しだけ口元が歪んだ。
「結構楽しいのかもしれませんが」
「はは」
リュークはくくっと笑った。
私はゆっくり立ち上がる。
そして残っていたポンデリングを――
ぺろり。
まるで蛇が獲物を飲み込むように丸呑みした。
机の上にあった週刊誌を一冊つまみ上げる。
指先で角をつまむと、雑誌はだらりと垂れ下がった。
表紙には派手な見出しが踊っている。
私はそれを眺めながら言った。
「ICPOも動かせる名探偵L」
ページをめくる。
「超能力で人を殺せるキラ」
さらにめくる。
「そうかと思えば」
「Lもキラも実在しない」
「犯罪者を抹殺している警察の作り物」
私は雑誌をひらひら揺らした。
「外でもテレビでもラジオでも」
「こんなのばかりです」
机に放り投げる。
「キラ本人がこんなのに振り回されていたら」
「気疲れするだけでしょう」
少し間を置く。
「大切なことは」
「たまにはのんびり精神を休めることです」
リュークが肩をすくめた。
「のんびりか……」
「俺から見ると、お前はいつも結構のんびりしてるけどな」
「そんなことで振り回される性格じゃないだろ」
私は答えなかった。
その時だった。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「ワタリです」
モニターを見る。
ロングコートの老人。
白い髭、深い皺。
間違いなくワタリ本人だ。
「ワタリか……」
私はぼそりと言う。
「なんですか?」
その瞬間。
リュークが突然顔を近づけてきた。
骨ばった顔が、すぐ目の前に来る。
「気をつけろよL……」
私は一瞥する。
「今机の中にあるデスノート」
「触られたら」
「触った人間には俺の姿が見える」
私は目を細めた。
――そういう重要なことを。
――今頃言うのですか。
――この死神は。
その時。
ぴぴぴ。
ワタリのスマートフォンが鳴った。
「はい、ワタリです」
「……はい」
「分かりました」
「Lに繋げます」
ワタリの声が落ち着いている。
「L」
「なんだ、ワタリ?」
「捜査本部の報告が始まります」
私は小さく頷いた。
■凶悪犯連続殺人特別捜査本部■
モニター越しに捜査会議を眺める。
「では次」
椅子が鳴った。
七三分けの大柄な男が立ち上がる。
「はいっ」
「今までに明らかになった被害者と思われる心臓麻痺死者は」
「すべて日本で情報を得ることが可能だった者と裏付けが取れました」
その後も統計の報告が続く。
私は黙って聞いていた。
松田が嬉しそうに言う。
「また少し犯人に近づけましたね」
別の刑事が笑う。
「はは。Lの手も借りずとも解決できそうですね」
松田がガッツポーズを作る。
宇生田が続いた。
「僕、実はもうすぐ結婚するんです」
部屋の空気が少し和む。
私はモニターを見つめながら思った。
――なぜ。
――誰も気づかない。
答えは簡単だ。
私は静かに口を開く。
「また注文で申し訳ないのですが」
「犠牲になった犯罪者の写真や映像」
「もう一度調べていただきたい」
私は考える。
――私が殺されなかった理由。
――顔も本名も出していないから。
――そして心臓麻痺で死んだ者は。
――全員、顔と名前が分かっていた。
普通なら気づく。
だが警察は気づかない。
――仕方ありません。
――今回は誘導しておきましょう。
そして思う。
――さて。
――ここらで次のコマを進めましょう。
■三日後■
「何っ!?」
総一郎の声が響いた。
「また昨日も心臓麻痺の犠牲者が23人!?」
「は、はい」
刑事が答える。
「しかも刑務所内の犯罪者が」
「一時間おきに一人ずつ……」
総一郎の額から汗が流れる。
「平日に二日続くとなると……」
「犯人が学生という線も怪しいな」
誰かが言う。
「いや、学校を二日くらい休むのは……」
「じゃあ二日休んだ人がキラですね」
私はモニター越しにそれを聞きながら、
胸の奥がむずむずした。
そして言ってしまった。
「違います」
部屋が静まる。
「キラが伝えたいのは」
「死の時間を自由に操れること」
「そして」
「警察の情報を知る手段を持っていることです」
言った後、私は少しだけ苦笑した。
――ヒントのつもりが。
――答えを言ってしまいましたね。
■廃工場跡地■
鉄骨が風に鳴っている。
私は廃工場の中に立っていた。
リュークが羽をばたつかせる。
「へー」
「L、お前そんなことしてたのか」
私は言う。
「予定通りです」
「次の計画のために」
「わざと残してある50人の犯罪者を使います」
リュークが地面に降りた。
「しかし」
私は続ける。
「一つ問題があります」
「問題?」
リュークは木材の山に座り、体育座りをした。
私は言う。
「このノート」
「触ればリュークが見える」
「だからと言って」
「肌身離さず持つのは好ましくありません」
私はリュークをじっと見た。
「ですが」
少し間を置く。
私は静かに言った。
「私は今」
「かなり危うい綱渡りをしています」
***
私はモニターを一瞥した。
ただそれだけの動作であるのに、そこに映る光景は妙に重苦しい。
ガラスの向こうにもう一つの世界があるようで、その世界では人間たちが奇妙な儀式でもしているように見えるのだ。
画面の中央。
白い蛍光灯に照らされた無機質な部屋。
壁には、やけに仰々しい文字が掲げられていた。
凶悪犯連続殺人特別捜査班。
その部屋の中央で、三人の長身の男が並んで立っている。
三人とも妙に背が高く、そして妙にうなだれている。
まるで首を垂れた三本の電柱のようだ。
彼らの正面には、夜神局長が座っていた。
そして――
三人は同時に、机の上へ紙を置いた。
まるで示し合わせたように。
いや、ほとんど儀式のような動作で。
封筒ほどの大きさの紙。
そこには、太い二文字。
辞表。
辞表。
つまり、仕事を辞めるという宣言である。
私はモニターを見つめながら思う。
――人間は本当に面白い。
命の危険が近づいた瞬間、
それまで守っていた義務や誇りを、驚くほど簡単に手放してしまう。
夜神局長は明らかに疲れていた。
モニター越しでも分かる。
頬はこけ、目の下には影が落ちている。
無理もない。
キラ事件が始まって以来、
彼はほとんど休んでいないのだろう。
警察という組織は慢性的な人手不足である。
しかも今は、世界規模の連続殺人事件だ。
つい最近も、人事部に採用枠を増やしてほしいと相談していたらしい。
そんな時に。
この三枚の紙。
局長の顔が歪んだ。
「なんだこれは!?」
机を叩く勢いで叫ぶ。
「辞表!」
当然である。
叫ばずにはいられない。
三人のうちの一人が静かに言った。
「見ての通り辞表です」
私は思わず口元を歪めた。
――そんなことは分かっている。
夜神局長も同じことを考えただろう。
まるで下手なコントの台詞だ。
しかし男は続けた。
「命が欲しいからですよ」
部屋の空気が固まった。
男は机に手を置く。
「もし私がキラなら」
「自分を捕まえようとする人間は殺します」
当然の論理だ。
男はさらに言う。
「前にLはテレビで言いました」
『私を殺してみろ』
私はその言葉を思い出した。
リンド・L・テイラー。
あの短い舞台。
「しかしLは顔も出していない」
「名前も出していない」
男の声が低くなる。
「そしてLが命じた捜査」
「犠牲者が日本でどう報じられていたか」
「顔が映像で出ていたか」
男は拳を握りしめた。
そして――
机を叩いた。
「その通りだったんです!」
机が鳴る。
「犠牲者は全員、日本の報道で顔と名前が確認できた者!」
部屋の空気が凍る。
男の声は震えていた。
「つまり我々は」
「Lと違って」
「警察手帳という写真付きの身分証を持って捜査している」
「つまり」
男はゆっくり言った。
「いつキラに殺されてもおかしくない」
「それが辞表の理由です」
沈黙。
そして三人は踵を返した。
部屋を出ていく。
夜神局長が慌てて声を上げた。
「お、おい……」
「君たち!」
「待ちたまえ……!」
しかし。
その声は、すでに届かなかった。
ドアが閉まる。
モニターの中で、静かな絶望だけが残った。
私はその光景を見ながら思った。
――なるほど。
――人間の恐怖は、想像以上に伝染する。
■Lの家■
私は机の前に座っていた。
机の表面を指先で軽く叩きながら言う。
「割と簡単にできました」
リュークが首を傾げる。
「ん?ノートを隠せたってことか?」
私は机を指さした。
「この引き出しの中です」
リュークが眉を上げる。
「……そこって隠したことになるのか?」
私は引き出しを開けた。
中には一冊の日記帳。
表紙には丸い字で書いてある。
駄菓子日記
リュークが笑った。
「デスノートじゃなくて日記帳じゃないか」
私は静かに言う。
「ほとんどの人間は」
「この私が一生懸命食べ比べしたお菓子の評価を読むことで満足するでしょう」
「でも」
私はペン立てから一本のボールペンを取り出した。
「本当の鍵はこっちです」
透明なボールペン。
私は芯を抜いた。
「机の周辺に転がっていても不思議ではない」
「ボールペンの芯」
私は引き出しの裏側を覗き込む。
「ここです」
小さな穴。
ほとんど見えない。
そこに芯を差し込む。
カチ。
薄い板が持ち上がった。
その中から現れたのは――
黒いノート。
デスノート。
リュークが感心したように言う。
「なるほど」
「二重底か」
「だからホームセンターで板を選んでたのか」
私は頷いた。
「それだけではありません」
私は薄い板の裏を指差す。
そこには細い配線。
そして小さなビニール袋。
「ここに電気を通さない芯を入れないと」
「電流が流れます」
私は説明する。
「その瞬間」
「ガソリンに点火」
「ノートは燃えます」
リュークが目を丸くした。
「危険な細工だな」
「手順間違えたら自分が火傷するぞ」
私は静かに言った。
「私は最初から危険を冒しています」
そして少しだけ笑った。
「そしてその危険は」
「逆に私を安全にしてくれる」
私は窓の外を見る。
遠くの街。
人間たちの世界。
「家から小火が出るのと」
「死刑になるの」
私は呟いた。
「どちらがいいか」
「考えなくても分かります」
***
薄暗い部屋の中で、私は椅子の上にいつものように膝を抱えて座っていた。
世界中のどこにも属していないようなこの部屋は、窓も少なく、外界の時間の流れをほとんど感じさせない。だが机の上のパソコンだけは、無数の情報を絶え間なく吐き出し続けていた。
その光が、私の顔をぼんやりと照らしている。
「ワタリ。FBIが調べ始めた警察関係者リスト、確かに受け取った」
私は静かにそう言った。
返事はない。だがワタリは必ず聞いている。あの老人は、世界のどこにいても私の言葉を逃さない。
画面に表示されている数字を見て、私はわずかに首を傾げた。
――警察の中だけで、捜査本部の情報を得られた者が……141人。
想像していたよりも多い。
私はテーブルの上に積まれた分厚い冊子を手に取った。
それは141人分の警察関係者の資料である。顔写真、家族構成、生活圏、勤務履歴、性格傾向――あらゆる情報が整然と並んでいる。
私はページをめくりながら、もう片方の手でアイスまんじゅうを食べていた。
冷たいアイスの中に、ぎっしりと詰まった粒あん。
甘味が舌の上でゆっくり溶ける。
私はこういう甘いものが好きだ。
考え事をする時、糖分は実に都合がいい。
――この141人の中にいるか。
あるいは。
――この141人の身近な場所に。
必ずいる。
私はそう確信していた。
生贄羊用のキラ役。
まだ名も顔も分からない、キラ。
だがこの世界のどこかに、確実に存在している。
冊子のページをめくりながら、私はぼんやりと考えていた。
――しかし。
キラ事件の捜査をしながら、私は別のことも考えていた。
私の机の上には、一冊の黒いノートがある。
デスノート。
人間の名前を書けば死ぬ。
そんな荒唐無稽な道具を、私はすでに手に入れていた。
だが私は、その性能をすべて試しているわけではない。
「……念のため、このデスノートの性能を試してみましょうか」
私は小さくつぶやいた。
「『死因を書くと、更に6分40秒、詳しい死の状況を記載する時間が与えられる』……まず、この“死の詳しい状況”というものが、どの範囲まで自由にできるのか」
その時、後ろから声がした。
「L、お前のことだから色々試してるのかと思ってたぞ」
振り向くと、リュークが椅子の背に腰かけてリンゴをかじっている。
死神。
常識的に考えれば、この状況そのものが狂っている。
しかし私はすでに慣れていた。
私はアイスまんじゅうを食べ終え、その棒を口にくわえながら答えた。
「本来なら、隅々まで調べておくべきでしょう」
少し考えてから、続ける。
「ですが……Lという地位を持ちながらキラであるというのは、なかなか退屈なんですよ」
リュークが笑う。
「退屈?」
「ええ」
私は椅子の上で体を丸めながら言った。
「私はおそらく死ぬことはないでしょう」
「追い詰められる状況にもならない」
「だからでしょうね。必要になった時に初めて試す、という気持ちになってしまう」
私は画面の向こうの世界を見つめた。
犯罪。
殺人。
陰謀。
世界は混沌としている。
だが私の人生は、あまりにも退屈だった。
もし私がこのノートを拾わず、別の誰かが手にしていたなら。
きっと私は。
――もっと面白い人生を送れていたかもしれない。
だが。
私は密かに期待している。
L=キラ
そう考え、私と同じ土俵に立ち、命を懸けて勝負する人間が現れることを。
そんな相手が、この世界のどこかにいることを。
私はそう思うだけで、少しだけ心が躍るのだった。
その頃。
警視庁。
『悪犯罪特別捜査班』の部屋で、一人の男が電話を取っていた。
夜神総一郎。
キラ事件捜査本部の中心人物。
「……ああ私だ」
受話器の向こうからの報告を聞き、彼の表情が変わる。
「また刑務所内の犯罪者が六人……」
「心臓麻痺か……キラだな……」
そして。
「何!?」
電話の向こうの声が続く。
『いえ、死因は心臓麻痺なのですが……その直前の行動が妙で……』
総一郎は眉をひそめた。
『一人は壁に絵を描いていました』
『一人は遺書のようなものを書いていて……』
「待ってくれ」
総一郎はパソコンを開いた。
「その状況は詳しくデータに入れておきたい。ゆっくり頼む」
メールが届く。
添付ファイルは三枚の写真。
一枚目。
刑務所の壁に、血で描かれた図形。
○の中に☆。
二枚目。
紙に書かれた文章。
かんがえ
ると
いずれしけいになるか
てまねきしているあい
つにころされるだけだ。
しってい
る。おれは、キラのそんざいを
えものにされる。
三枚目。
男子トイレ。
五つ並ぶ小便器の前で、男がうつ伏せに倒れている。
牢から脱走し、なぜか職員用トイレで死亡していた。
その頃。
別の場所で、夜神月が父のパソコンを覗いていた。
――キラに怯えた文章。
いや。
すべてひらがなで、不自然な改行。
上の文字だけ拾えば。
えるしっているか
月は目を細めた。
――ただの犯罪者の行動とも取れる。
だが。
キラは死の時間を操れる。
もし。
死ぬ直前の行動も操れるとしたら?
犯罪者で実験している。
何をするつもりだ……。
その頃。
私はその情報をすでに見ていた。
警察の極秘データ。
すべて。
「見てください、リューク」
私はパソコン画面を指差した。
「すでに六人のテスト結果が入力されています」
リュークが三個目のリンゴをかじる。
「どういう結果だ?」
私は淡々と説明した。
「一人は脱走し、指定したトイレへ行きました」
「一人は壁に、私が書いた通りの図形を描いた」
「もう一人は、ノートに書いた文章をそのまま書いた」
私は続ける。
「この三人は、ノートの指示通り行動しています」
「死亡時刻も、おそらく一致している」
少し間を置いた。
「残り三人は、無理な条件を書いてみました」
リュークが面白そうに身を乗り出す。
「例えば?」
「“今日の午後六時、フランスのエッフェル塔前で死ぬ”」
私は肩をすくめた。
「当然ですが、日本の刑務所にいる人間が三十分でフランスには行けません」
「結果は、六時にただ心臓麻痺」
「次は、刑務所の壁にXの似顔絵を描く」
「ですが知らない人間の顔は描けないようです」
私はさらに続けた。
「最後に、“俺はLが日本警察を疑っていることを知っている”と書かせようとしました」
私は指を組んだ。
「ですが、これは書かれなかった」
「つまり」
「本人の知らない情報や、考えもしないことは書けない」
リュークが感心したように言う。
「ほう」
私は小さく笑った。
「デスノートでも、ありえないことはできない」
「ですが」
「その人間がやってもおかしくない範囲なら、いくらでも操れる」
私はモニターを見つめた。
「まあ……これはテストのテストですが」
リュークが聞く。
「次は?」
私は静かに言った。
「次のテストで決まります」
そして付け加えた。
「結果は明日の朝刊で十分でしょう」
「警察も、これをキラとは結びつけない」
夜は過ぎ。
世界が静かに朝へ向かう。
次の日。
窓の外から。
すずめの声が、ちゅんちゅんと聞こえてきた。
***
次の日。
土曜日の朝だった。
世界中の都市が、まだ半分眠っているような時間である。
だが私はすでに起きていた。
いや、正確には――
ほとんど眠っていないと言うべきだろう。
私の生活には、昼も夜もあまり意味がない。
人間というものは太陽の昇り沈みに合わせて生活するらしいが、私はそういう習慣からかなり遠い場所にいる。
薄暗い部屋。
カーテンは半分だけ閉じられている。
机の上にはパソコン、資料の山、空になったお菓子の箱、そしていくつものコーヒーカップ。
その中央で、私はいつものように椅子の上にしゃがみ込み、奇妙な姿勢で新聞を読んでいた。
朝刊。
世界の出来事が、紙の上に小さな活字となって並んでいる。
私は新聞の端をつまんだ。
右端と左端を同時につまみ、ぱたりと広げる。
そしてそのまま、背後にいるリュークへ見せた。
「テスト結果発表か」
リュークが興味深そうに覗き込む。
新聞の見出しには、大きな文字が踊っていた。
『コンビニ強盗 逆に店員に刺され死亡』
私はその見出しをじっと眺めた。
数秒。
ほんのわずかな沈黙。
そして私は小さく呟いた。
「すごいですね……デスノート」
机の上には、一冊の黒いノートが置かれている。
世界のどんな兵器よりも、
どんな毒薬よりも、
恐ろしい道具。
そのページには、昨日私が書いた文字が残っていた。
中岡字 松四郎 出血多量死
その下には、さらに細かい記述が続いている。
セブンイレブンにナイフを持って押し入り、その日の売り上げを要求。
警察に連絡しようとしたコンビニ店員に対して即座にナイフで切りつけようとするが揉みあいになる。
持っていたナイフが自分の腹部に刺さり、1時30分死亡。
私は新聞とノートを見比べた。
結果。
完全一致。
新聞には当然、デスノートの存在など書かれていない。
ただの不運な事件として処理されている。
だが私には分かる。
これは偶然ではない。
完全な再現。
人間の行動をここまで操れるとは、正直、予想以上だった。
私は何も言わず、机の横に置いてあった箱を持ち上げた。
そしてそれをリュークの前に差し出す。
箱の中には――
リンゴ。
しかも大量に。
赤く艶のある、いかにも美味そうなリンゴが山のように詰まっている。
リュークの目が光った。
「何だよ」
私は淡々と言った。
「すみませんが、リュークに少しお手伝いしてもらうことがあります」
「その前払いです」
リュークはリンゴを一つ取り、かじった。
シャクッ。
心地よい音が部屋に響く。
「どういうことだ?」
私は答える代わりに、パソコンの画面を開いた。
警察データベース。
犯罪者リスト。
その中のNEWの欄をクリックする。
画面に一枚の写真が表示された。
男の顔。
どこか荒んだ、神経質そうな顔。
名前。
恐田奇一郎。
私はその顔を眺めながら、昨日のニュースを思い出していた。
銀行強盗未遂。
金は奪えず、銀行員と一般人を撃って逃走。
麻薬常習犯。
社会の底辺を這いずり回るような人生。
私は少しだけ首を傾けた。
人間という生き物は、実に不思議だ。
こういう男は世界中に無数にいる。
しかし、その中のたった一人が、
私の実験材料になる。
それだけで、この男の人生は、ほんの少しだけ意味を持つ。
私はパソコンの画面を見つめたまま言った。
「今回の実験には、死神であるリュークが必要です」
リュークが眉を上げる。
「ほう?」
私はさらに続けた。
「場所はすぐそこです」
指で画面の地図を示す。
「目の前のスペースランド行きのバス停」
「ここで行います」
私は窓の外をちらりと見た。
確かに、そこは目と鼻の先だった。
人通りの多い通り。
バス停。
週末の街。
人間が無数に集まる場所。
実験には、ちょうどいい。
リュークはリンゴをもう一つ手に取った。
「ふーん」
そして大きくかじる。
シャクッ。
果汁が飛び散る。
リュークがニヤニヤ笑った。
「分かったよ」
「別にお前の為じゃない」
もう一口かじる。
「リンゴの為だからな」
私はそれを見て、小さく笑った。
死神。
人間。
デスノート。
そして、これから起こる実験。
すべてが静かに動き始めている。
私の胸の奥で、久しぶりに――
ほんの少しだけ、退屈が消えかけていた。
月とLどちらに勝って欲しいか
-
月
-
L
-
勝者なし
-
引き分け
-
月L以外