***数時間後――バスの車内***
長い時間だった。
それほど激しい出来事が起きたわけではない。
だが、緊張というものは人間の精神を静かに削っていく。
まるで鈍い刃物で、少しずつ肉を削がれていくように。
車内には沈黙が漂っていた。
犯人は前方に立ったまま、落ち着きなく窓の外を見ている。
乗客たちは息を潜めている。
誰も動かない。
誰も声を出さない。
ただ、バスのエンジン音だけが低く響いていた。
その時だった。
ガクン――
突然バスが大きく揺れた。
急停車。
その衝撃で、どこからか一枚の紙が床へ滑り落ちた。
――ガソリン切れか
カサッ。
小さな音。
しかし、その小さな音がこの密室ではやけに大きく聞こえた。
「おい……」
犯人の声。
「なんだその紙は……」
男は拳銃を構えたまま、ゆっくりと後方へ歩き始める。
床を踏む靴音がやけに重く響く。
「動くなよ……」
銃口が乗客たちを順に舐める。
「てめぇら……」
男は低く唸った。
「乗客同士でメモ回して相談でもしてたのか?」
その瞬間、後ろの席のレイ=ペンバーがわずかに顔色を変えた。
――まずい。
彼の表情が一瞬だけ強張る。
――もしや……あのメモ……
――隙を見て犯人に飛びかかる計画が書かれていたとしたら……
その思考が一瞬で彼の脳裏を走る。
天井近くで、リュークがくつくつと笑っていた。
――人間ってのは面白いな。
――みんなビビってる。
――さてどうなる?
犯人は紙を拾い上げた。
しばらくそれを見つめる。
そして。
眉をひそめた。
紙にはこう書いてあった。
アイスまんじゅう 二個
沈黙。
そして。
「けっ……」
男は舌打ちした。
「買い物メモかよ」
紙をぐしゃりと握り潰す。
「くだらねぇ」
そして乗客たちを睨みつけた。
「いいか……」
「今度妙な動きをしたら――」
その時だった。
男の目が、何かを捉えた。
視線が後方へ固定される。
瞳孔が開く。
「な……」
声が震える。
「なんだてめぇは!!」
突然叫んだ。
「そこの一番後ろの奴!!」
レイはビクリと肩を震わせた。
――見られた?
彼はコートの内側に拳銃を隠している。
いつでも撃てるようにしていた。
それが見破られたのか。
撃つべきか。
撃つべきではないか。
その判断をする瞬間――
犯人の指は。
レイとは別の方向を指していた。
「ふざけやがって……!」
男は後ずさる。
「い……いつからそこにいたァァ!!」
車内の全員が凍りついた。
だが。
そこには――
誰もいない。
いや。
人間は。
「あん?」
後ろの席で、リュークが首を傾げた。
「俺のことか?」
死神は肩をすくめた。
「お前……俺が見えるのか?」
犯人の顔が蒼白になる。
拳銃を震わせながら距離を取る。
「動くんじゃねぇ……」
「う……撃つぞ……化け物……」
――化け物?
僕は冷静に状況を観察していた。
幻覚。
麻薬中毒者特有の症状。
そう結論付けた。
「伏せろ」
レイが叫ぶ。
「まずい!」
「麻薬中毒者の幻覚だ!」
「みんな伏せろ!」
その頃。
リュークは犯人の顔を覗き込んでいた。
「あー……」
「なるほどな」
死神は笑う。
「Lの奴、あらかじめメモを落としてたのか」
「この状況ならこいつが触る」
「そこまで計算してたってわけか」
犯人が引き金を引いた。
パンッ!!
銃声。
弾丸が飛ぶ。
しかし。
弾はリュークの体をすり抜けた。
「悪いな」
リュークが笑う。
「俺は死神だからよ」
「そんなもんじゃ死なない」
犯人は狂ったように撃ち続けた。
パン!パン!パン!
弾丸が消えていく。
リュークは肩をすくめる。
「Lが聞いてきたんだよ」
「俺からどこまで離れられるか」
「ノートに触った人間は俺が見えるのか」
「拳銃で死ぬのか」
「不可能そうなことでも可能なことなら実現するのか」
そして笑った。
「一人殺して四つの実験」
「頭いいよなぁ」
やがて。
カチッ。
弾切れ。
犯人の顔が歪む。
彼は前方へ走った。
運転席へ。
「ドアを開けろ!」
そして男は飛び降りた。
――その瞬間。
遠くでタイヤの悲鳴。
鈍い衝撃音。
数秒後。
誰かが呟いた。
「……事故だ」
犯人は。
道路に飛び出し。
車にはねられて死んだ。
沈黙。
そして。
車内にいた全員が、ようやく息を吐いた。
助かった。
誰も死ななかった。
その事実が、じわじわと胸に広がっていく。
僕はゆっくり起き上がった。
安心の涙。
僕は小さく息を吐く。
――よかった。
本当に。
乗客は誰も死ななかった。
それが、今はただ嬉しかった。
ドクン……ズキン……
犯人は……いいのか……
その時だった。
後ろから声がした。
「月君」
振り返る。
レイ=ペンバー。
彼は少し間を置いて言った。
この「間」は経験で分かる。
言いにくい話が続く時の間だ。
僕は軽く返事をした。
「はい?」
レイは言う。
「実は私は……極秘調査で日本に来ていて」
「日本警察には……」
言い淀む。
僕はすぐ理解した。
だから先に言った。
「分かりました」
「あなたに会ったことは誰にも言いません」
レイはまだ少し不安そうだった。
だから僕は続けた。
「もちろん――父にも」
それでも。
まだ何か足りない顔。
僕は一瞬考えた。
そして気付く。
――L。
レイは、Lの捜査をしている。
僕は静かに言った。
「警察にも言いません」
レイは少し驚いた顔をした。
そして小さく頷いた。
「じゃあ私はここで……」
警察が来る前に消えるつもりだ。
僕は思った。
――当然だ。
FBIがここにいたと知られれば問題になる。
そして。
僕も同じだ。
FBI捜査官と接触したと父に知られれば。
父は必ずLへ報告する。
Lは――
僕を疑っていない。
それが今の状況だ。
この事件は。
ただの事故として処理される。
犯人は死亡。
バスジャック終了。
そして。
レイ=ペンバーは静かに去った。
だが。
僕の胸には、奇妙な感覚が残っていた。
――本当に偶然か?
FBI。
尾行。
バスジャック。
死神。
そしてL。
すべてが、まるで見えない糸で結ばれているような。
そんな不気味な感覚。
僕は窓の外を見た。
遠くでサイレンの音が近づいてくる。
僕は小さく呟いた。
――レイ=ペンバー。
あなたは。
何を調べているんだ?
そして。
その疑問は。
静かに。
しかし確実に。
僕の心の奥へ沈んでいった。
月とLどちらに勝って欲しいか
-
月
-
L
-
勝者なし
-
引き分け
-
月L以外