TSした元ニート自堕落おっさん聖女はガワしか変わらない   作:オマエはいつでも善良な市民

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第2話

朝の七時。カーテンの隙間から差し込む無遠慮な陽光が、空気中に漂うおびただしい数の埃を白く浮き上がらせていた。

締め切られた室内には、清々しい朝の訪れを拒絶するかのような、()えた安酒の臭いと、時間の経過とともに変質した脂っこい何かが混じり合う、(よど)んだ異臭が充満している。

足の踏み場もない床には、ゴミが醜く累々と横たわっていた。ラベルの剥げかかった安物の酒瓶が飲み干されたまま転がり、底に残った僅かな澱が絨毯に腐ったようなシミを広げている。その傍らには、開封されたまま放置された干し肉や揚げ豆の袋。中からこぼれ出た数粒の豆は、湿気を吸って床の埃にまみれ、まるで吐瀉物の一部のようにこびりついていた。

壁際に寄せられた椅子には、脱ぎ捨てられたタイツが力なく垂れ下がり、その下には左右バラバラな方向を向いた革靴が、無造作に放り出されている。

どこからどう見ても、自身の生活すら管理できない男が、世間から背を向けて生息する、薄暗いゴミ溜めそのものであった。

その不潔極まりない空間にあるベッドのぐちゃぐちゃに丸まったシーツの中央、淀んだ空気の中に、「ソレ」は横たわっていた。

月光の残滓を溶かしたような、滑らかな白銀の髪。

透き通るほどに白く、触れれば壊れてしまいそうな繊細な四肢。

本来であれば、神殿の奥深くで香油の香りに包まれているべき、絶世の美少女。

だが、その「皮」を被った中身は、今、不快感に悶絶していた。

 

「……う゛、……あ゛ぁ……っ」

 

美しい喉から漏れたのは、ひび割れた、泥を啜るような中年男の呻き声だ。

シャロン——の中身である佐藤健一は、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。朝の光にさらされた黄金の瞳は充血し、瞳孔は眩しさに過敏な拒絶反応を示している。彼女はまず、自身の側頭部を指先でガシガシと、音が出るほど乱暴に掻き毟った。

 

「……クソ……。まだ七時かよ……。頭が……割れる……」

 

口の端から垂れていた乾いたよだれの跡を、手の甲で雑に拭い去る。健一は吐き気を堪えるように、しばらくの間、膝を抱えて丸まった。十七歳の可憐な少女の肢体が、中年男特有の気だるく、そして不潔な動作でベッドの上を(うごめ)く。

その様子は、神聖な着ぐるみを着た何かが、内側で醜悪な本性を剥き出しにしているかのような、耐え難い不気味さを孕んでいた。

彼女は、シーツに付着した昨日の愉しみの痕跡を一瞥(いちべつ)した。昨夜、己の肉体をただの道具として弄び、解放した欲求の残骸。聖女としての尊厳など、このゴミ溜めには欠片も落ちてはいない。

だが、扉の向こう側の世界には、この聖女に奇跡を期待する迷える子羊たちが待っている。

 

「……さて。……仕事の時間だ」

 

彼女は重い腰を上げ、ベッドの上に立ち上がった。ゴミの山はそのままに、まずは自分自身の「ガワ」を整える必要がある。指先を僅かに動かし、吐き気を抑えるための短い呼吸と共に、小声で詠唱を行った。

 

「……『浄化(クリーン)』」

 

瞬間、神聖な光の波動が彼女の肉体と、床に散らばっていた法衣や下着をピンポイントで包み込んだ。

その光が通り過ぎた後、劇的な変化が訪れる。

まず、頭を割るようだった二日酔いの鈍痛が嘘のように消え去った。胃の不快感も、節々の重だるさも一掃され、全身に力がみなぎる。酒でベタついていた白銀の髪は、一瞬にして絹のような滑らかさと光沢を取り戻し、体臭や、蒸れた不快感も、全てが「無かったこと」にされた。床に転がっていた法衣は、皺一つない完璧な状態で彼女の肩へと吸い寄せられ、ボタンの一つ一つが意志を持っているかのように、その肢体を恭しく包み込んでいく。

鏡の前に、一人の完璧な聖女が立っていた。

周囲のゴミ溜めとのコントラストが、その美しさをより一層、狂気的なものへと際立たせている。

健一は、鏡に映る自分を見つめた。体調は万全。見た目も「奇跡の具現」そのものだ。

 

「よし。……あー、あー」 

 

彼女は喉を整え、表情筋を動かし始めた。

まずは、頬の力を抜き、口角を数ミリだけ吊り上げる。

 

「皆様、おはようございます。主の導きにより、健やかな朝を迎えられたことに感謝を……。……いや、ちょっと慈愛が足りねえな。もうちょい……そうだな、『悟り』を開いてる感じで」 

 

健一は、鏡の中の自分に向かって、聖女としての完璧な微笑みを何度も作り直した。

目を細め、視線を僅かに落とし、慈悲深い母のような、あるいは無垢な少女のような、絶妙な境界線の表情を模索する。

 

「……主の光は、常に皆様の傍に。……ふむ。こんなもんか」

 

四十過ぎの独身男が、絶世の美少女のガワを使って「聖女としての姿」を磨き上げる。その光景は、誰に見せるためのものでもない、生存のための冷徹なリハーサルだった。

 

「……ふぅ。……これだから、魔法ってのは便利だよな。……前世の俺に教えてやりてえよ」

 

鏡の中の「聖女」は、一瞬だけひどく卑俗な笑みを浮かべた。

だが、その表情も、扉の鍵を開ける直前には、慈悲深い「主の代弁者」としての無垢な微笑みへと塗りつぶされた。

今、この瞬間から、佐藤健一は消える。

世界が待ち望む「聖女シャロン」が、再びその神々しい足を、ゴミの山を飛び越えて、外の世界へと踏み出した。

 

 

宿の重厚な扉を開け、一歩外へ踏み出す。

そこには、澱んだ空気や、安酒の残り香など微塵も存在しない。

シャロンは完璧な歩調で階段を下りていく。一歩ごとに、膝の角度、視線の落とし方、指先の揃え方を確認する。脳内の「佐藤健一」が、美少女という名の高精度のマシーンを操作している感覚だ。

宿屋のエントランス、朝の眩い光が差し込む街路の前に、既に三人の「仲間」たちが揃っていた。

 

「ああ、シャロン様! おはようございます!」

 

真っ先に声を上げ、大仰に膝を突かんばかりの勢いで駆け寄ってきたのは、聖騎士(パラディン)のカイルだ。

白銀の全身鎧と聖剣の鞘を朝陽に反射させ、彫刻のような美貌をこれでもかと輝かせているが、その瞳の奥には狂信的な熱が宿っている。

 

「おはようございます、カイルさん。今朝も貴方の清廉な鎧が、街の平和を象徴しているようですわ」

(……出たよ、聖犬。朝っぱらから騒がしいんだよ。前みたいに一晩中扉の前で立ってなかっただけマシか)

 

彼女が鈴の鳴るような声で微笑むと、カイルは感極まったように胸元で十字を切った。

この聖騎士(パラディン)は腕こそ一流だが、中身は末期の聖女依存症である。シャロンは以前、どうしても喉がアルコールを欲した際、彼にこう(ささや)いていた。

 

『カイルさん。今夜の儀式には、鍛治に長けた職人の情熱が凝縮された「精霊の雫」が必要なのです。それも、世俗の喧騒の中に隠された、素朴な瓶に入ったものを……』

 

そう言っただけで、彼は「聖なる使命を賜った!」と狂喜乱舞し、ドワーフ酒を自腹を切って大量に買い込んできた。彼は今でも、自分が聖女の深淵なる儀式を支える「聖遺物の運び屋」だと信じ込んでいる。利用価値は高いが、その曇りなき眼で見つめられると、おっさんの枯れ果てた良心が少しだけ痛むのが難点だ。

 

「シャロン、おはよう! 昨夜はよく眠れたかい?」

 

快活な声と共に、太陽のような笑顔を向けてくるのが勇者のアレンだ。

背負った勇者の剣、整った顔立ち、そして「自分たちが世界を救う」という一点の曇りもない全き善意が表出した自信。前世で読んだ少年漫画から飛び出してきたような、正真正銘の『主人公』である。

 

「ええ、アレンさん。皆様の加護のおかげで、とても安らかな瞑想の時間を過ごせました」

(……この天然記念物め。その青臭い眩しさが、おっさんの汚れた魂には一番の毒なんだよ)

 

嘘は言っていない。泥酔して死んだように眠ったのも、ある種の深い瞑想のようなものだ。アレンは「それは良かった!」と満足げに頷く。

そして、街灯に背を預け、こちらを見ているのが格闘家のシーラだ。

小麦色の肌に、引き締まった四肢、盛り上がった胸。道着から覗くその肉体は、文字通り鋼のような破壊力を秘めている。彼女はカイルのようにシャロンを神格化しておらず、友達のような関係を保っている。

 

「……おはよう、シャロン。あんた、今朝はやけに肌艶がいいわね。昨夜、何かいいことでもあったの?」

 

シーラの鋭い視線が、シャロンの全身を舐めるように走る。

 

「ええ、昨晩は主の慈愛に触れることができ、魂が洗われるような心地でした」

(……ギクッ。これだよ、このおっぱい女の直感は。女の勘ってやつか? それとも、浄化しきれなかった残り香でも嗅ぎ取ってんのか?)

 

私は、一点の曇りもない「聖女の微笑」をシーラに返した。シーラは「そう」と鼻を鳴らして視線を外したが、もしコイツにおっさんとしての不摂生な生活を見抜かれたら、友人に対する折檻として首を折られかねない。

 

「さあ、みんな揃ったね。今日はギルドからの緊急依頼、北の森の魔獣討伐だ。行こう!」

 

アレンの号令と共に、パーティが歩き出す。

カイルが私の半歩後ろに控え、まるでお付きの従者のように細心の注意を払って周囲を警戒している。

そしてシャロンは優雅な足取りで勇者の後に続いた。

眩い陽光の下、道行く人々が勇者パーティの行軍を頼もしそうな瞳で見つめるなか、彼女——もとい彼は、カイルをパシらせて、今度はつまみを「祈りの供物」として調達させようと、その高潔な微笑みの裏側で、卑俗な計画を練り始めていた。

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