TSした元ニート自堕落おっさん聖女はガワしか変わらない 作:オマエはいつでも善良な市民
その森に入った瞬間、頭上の陽光は幾重にも重なる巨木の葉に遮られ、視界は湿り気を帯びた薄暗がりに沈んだ。
足元には、数十年、あるいは数百年の年月をかけて積み重なった腐葉土が絨毯のように広がり、一歩踏み出すごとに沈み込むような、奇妙な弾力を持って一行を迎え入れる。立ち込める霧は、草木が吐き出す濃密な生気と、魔力が変質した澱みが混ざり合い、肺の奥をじわりと焼くような感覚を呼び起こした。
「皆様、恐れることはありません。主の光が、この薄暗い帳を優しく切り裂いてくださいます」
静寂を破るように響いたのは、鈴の鳴るような慈愛に満ちた声。
シャロンは、その重厚な法衣の裾を汚さぬよう、完璧な足取りで歩を進める。黄金の瞳には、どこか浮世離れした静謐な光が宿っていた。
だが、その神々しい「ガワ」の内側で、健一は冷徹に周囲を観察していた。
(……チッ。空気が湿気てやがるな。まあ、汚れりゃ浄化魔法で一発だし、クリーニング代の心配をしなくていいのは魔法世界の利点だな)
布団の上で窒息死した中年男の精神は、魔法の神秘を鼻で笑っていたが、その内面的な平穏は、容易く崩壊する。
「あー、もう! この森、ジメジメしててやんなっちゃう! ねえ、シャロンもそう思わない?」
不意に、背後から大きな影が覆いかぶさってきた。
格闘家のシーラだ。彼女はシャロンの背中に、まるで大型犬が甘えるような無邪気さで抱きついた。
ただ抱きつくだけではない。彼女の鍛え抜かれた、しかし女性特有の豊かな弾力に満ちた双丘が、シャロンの背中と肩甲骨の間に、容赦なく押し付けられたのだ。
(……ッ!? お、おい待て。布越しなのになんだこの、背骨を直接溶かしに来るような熱量と圧力は……!)
シャロンの脳内で、男としての本能が激しく警報を鳴らした。
布地越しに、驚くほど生々しい肉の感触が伝わってくる。シーラが動くたびに、その巨大な質量がシャロンの背中を圧迫し、逃げ場のない快楽に近い困惑を叩きつけてくる。前世で画面の中の女にしか触れてこなかった42歳の中年男にとって、この刺激は致死量を超えていた。
(……いかん。なんでこんな、人を狂わせるようなモノを平気な顔して装備してやがるんだ、コイツは!)
シャロンは必死に悟りを開こうと、視線を前方の空虚へと固定した。
もし今、少しでも油断してニヤけたり、鼻の下を伸ばしたりすれば、そこには「聖女」ではなく「おっさん」の本性が露出してしまう。それは社会的な、そして物理的な死を意味した。
ふと、健一は自分の、今はシャロンのものである白い手を見つめた。
白磁のように滑らかな肌、細く繊細な指先。法衣の下には、誰もが羨むような、完璧な曲線を備えた美少女の肢体がある。
だが、不思議なことに、彼は自分自身の体を見ても、高級な「借り物」を扱っているような、醒めた感覚しか抱けなかった。
(……皮肉なもんだ。鏡を見りゃ、そこには誰もが拝みたくなるような美少女がいる。だけどよ、内面は男だとしても自分の身体ではちっとも興奮しねえ。……だからこそ、この本物の女の体温が、余計に毒なんだよ!)
彼にとって、己の美貌は「生き残るための道具」であり、それ以上でも以下でもない。
だからこそ、シーラの、汗ばんだ、生命力の塊のような感触が、健一の煩悩を容赦なくえぐり取るのだ。
「シャロン? なーに、ぼーっとして。……もしかして、この湿気で疲れちゃった?」
シーラがシャロンの肩に顎を乗せ、耳元で囁きながらさらに密着を深める。
豊かな胸が、シャロンの背中をさらなる深みへと誘い、健一の理性はついに臨界点を迎えようとしていた。
(……召天する。俺、今ならマジで主の元へ行ける気がするわ……!)
「貴様アアアアアッ! いい加減にしろ!!」
絶妙なタイミングで、前から白銀の鎧をがちゃつかせた
彼は聖剣を激しく揺らしながら、親の仇でも見るかのような形相でシーラを指差した。
「聖女様は、神が地上に残された至高の依り代なのだぞ!にも関わらずベタベタと密着するなど、万死に値する不敬罪だ! 今すぐその不浄な腕を解放しろ、この肉ダルマめ!」
「あはは、また怒鳴ってる。カイル、あんたはシャロンを聖像か何かだとでも思ってるわけ? この娘だって血の通った、女の子だよ。ねー、シャロン?」
シーラは悪戯っぽく笑うと、さらにギュッとシャロンの背中を抱きしめた。
「というかあんたこそ、聖女様、聖女様って、暑苦しいのよ。シャロンの顔を見てなさいよ、困ってるじゃない」
「な、何だと!? 私がシャロン様を困らせているだと!? 愚かなことを言うな、私は聖女様を
二人の言い争いが、森の静寂を掻き乱す。カイルは鎧をガチャつかせ、シーラはそれを鼻で笑いながら、さらにシャロンへの密着を強める。
その中心で、シャロンは黄金の瞳に悟りを開いたような静謐な光を湛え、優雅に二人を宥めた。
「ふふ……。カイルさん、落ち着いてください。シーラさんの親愛は、主が授けてくださった慈悲の形の一つ。私にとっては、とても……そう、とても温かな安らぎなのですわ」
(……大嘘だ。安らぎどころか、俺の中の『佐藤健一』が全力でスタンディングオベーションしてやがる。)
「みんな、そこまでだ。……来たよ」
不意に、最前列を歩いていたアレンの声が鋭く響いた。
彼の手には、すでに勇者の剣が握られ、刀身から溢れる神々しい光が、周囲の湿った闇を切り裂いている。
アレンの視線の先。
巨木の影から、ゆらりと巨大な影が這い出してきた。全身を腐敗した植物に覆われ、いくつもの獣の頭部が継ぎ接ぎされたような異形の魔獣――フォレスト・キメラだ。
「シャロン、後方に! カイル、僕の左を! シーラは遊撃だ!」
アレンの的確な指示が飛ぶ。
シャロンは、背中に残るシーラの柔らかな余韻を強引に脳の隅へ追いやり、聖杖を高く掲げた。
黄金の瞳から卑俗な欲望を消し去り、再び「世界を救う聖女」としての、冷徹で神々しい輝きを宿して。
「グォォォォオオオッ!!」
いくつもの獣の喉を無理やり繋ぎ合わせたような、不快な咆哮が森の木々を震わせた。フォレスト・キメラが、腐敗した蔦を鞭のように振り回しながら突進してくる。
「散れっ!」
アレンの号令と同時に、パーティが鮮やかに展開する。
アレンの振るう勇者の剣が、空間を切り裂くような白光を放ち、正面から迫る巨大な前足を真っ向から受け止めた。金属音と衝撃波が周囲の草木をなぎ倒す。
「カイル、右を抑えろ! シーラは心臓を狙って!」
「よし、聖剣サンクトゥスよ、我が忠義に応えよ!」
カイルが眩い光を纏い、咆哮する獅子の頭部へと斬りかかる。その立ち居振る舞いは、まさに物語から抜け出した騎士そのものだ。だが、彼は一撃を加えるたびに、チラチラと後方のシャロンを振り返る。
(……おい聖犬、こっち見んな。目の前の化け物に集中しろよ。お前が負傷したら、誰が回復させると思ってるんだよ)
シャロンは、後方で聖杖を優雅に構えながら、内心で舌打ちをした。
表面上の彼女は、今まさに天の啓示を受け取っているかのような、神々しいまでの「静」を保っている。彼女の周囲には、黄金の魔力が粒子となって舞い、その美しさを一層引き立てていた。
「『主の慈悲は、絶えることなき盾となりて……。
彼女が囁くように詠唱を行うと、一行を包み込むように巨大な光のドームが展開された。キメラが吐き出す腐食毒のブレスが、結界に触れた瞬間に清らかな光の粒へと浄化されていく。
(……ふぅ。これでよし。あとは勇者様一行が適当に片付けてくれるのを待つだけだ。……しかし、この杖、地味に重てえんだよな。腕の筋肉がプルプルしてきやがった。)
シャロンは自分の身体が発する僅かな疲労感に文句を垂れながらも、視線はある一点に固定されていた。
遊撃として森を縦横無尽に駆け抜ける、シーラの肉体だ。
長身をしならせ、岩をも砕く一撃をキメラの脇腹に叩き込むシーラ。彼女が跳躍し、回し蹴りを放つたびに、その逞しい太腿と、道着の下で激しく躍動する豊かな胸が、視界の中で暴力的なまでの存在感を放つ。
(……うおお。やっぱり凄いな、あの揺れ。……あんなもんを背中に押し付けられてたのか、俺は。……神様、俺をこの世界に放り込んだのは嫌がらせだと思ってたが、今のこの光景だけは感謝してやるぜ)
「バカイル、何後ろの様子をチラチラ伺ってんの! 次、来るわよ!」
「余計なお世話だ肉ダルマ! シャロン様の前で、誤解されるようなことを言うな!」
シーラに叱咤され、カイルが顔を真っ赤にして叫ぶ。彼は必死に聖剣を振るい、シャロンへのいいところを見せようと躍起になっていた。
(……いいぞ、聖犬。もっと頑張れ。お前の忠誠心で、魔獣の注意を逸らしてくれてるおかげで、俺はこうして特等席でシーラの躍動を鑑賞できてんだからな。……あ、今、横乳がこぼれそうに……!)
「シャロン! 結界を維持したまま、俺に『筋力増強』を! 畳み掛けるぞ!」
アレンの叫び声に、健一は現実に引き戻された。
「……承知いたしました。アレン様、勝利の栄光をその手に」
シャロンは完璧な援護魔法を飛ばす。アレンの身体が爆発的な光に包まれ、その一撃がキメラの巨大な胴体を真っ二つに両断した。
断末魔の叫びと共に、魔獣が泥のように崩れ落ちていく。
静寂が戻った森の中で、アレンが剣を収め、爽やかな笑みをシャロンに向けた。
「助かったよ、シャロン。君の支援がなければ、もう少し手こずっていただろうね」
「いいえ、アレン様。皆様の勇気こそが1番の力ですわ」
(……はいはい、お疲れ様。さあ、任務完了だ。一刻も早く街に戻るぞ。……俺の喉は、もうアルコールを受け入れる準備が万端なんだよ)
シャロンは、勝利に沸く仲間たちを慈愛に満ちた瞳で見つめながら、内心では今夜の「酒盛り」に向けた作戦会議を開始していた。まずは、カイルの「騎士としての自尊心」を絶妙にくすぐり、一番高い酒を献上させることからだ。
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宿屋の食堂で打ち上げが始まると、アレンはいつものように爽やかにグラスを掲げた。
「みんな、今日は本当にお疲れ様。乾杯!」
「乾杯!」
アレンとシーラの快活な声が響く。
カイルは一人、居住まいを正してシャロンの隣に跪かんばかりの勢いで控えていた。
「シャロン様、まずは喉を潤してください。この街で最も清らかな水源から汲まれた、妖精の涙にも似た極上の果実水です」
「……ありがとうございます、カイルさん。貴方の細やかな心遣い、主もきっとお喜びでしょう」
(……甘い。甘すぎる。なんだよ果実水って。俺が今求めてんのは、ジュースじゃなくて喉を焼くようなアルコールの焦熱と、脂ぎった塩辛いツマミなんだよ!)
シャロンは上品に唇を湿らせながら、テーブルに並んだ料理を値踏みした。
そこにあるのは、彩り鮮やかなサラダや、繊細な味付けの白身魚のソテー。聖女に相応しいとされる「清廉な食事」だ。だが、本当に求めているのは、アレンとシーラが豪快に頬張っている猪肉の岩塩焼きやもつ煮込みの方だった。
「ねえ、シャロン。あんた、さっきからその魚、つつくだけであんまり食べてないじゃない」
不意に、背後から巨大な質量がのしかかってきた。
シーラが北の森への道中のようにシャロンの背中に抱きついたのだ。
シーラの引き締まった肢体から放たれる、戦い終えた後の熱っぽい体温。そして、背中に直接押し付けられた彼女の双丘が、シャロンの肩甲骨の間で逃げ場のない熱量となって膨らんだ。
(……う、うおお。また来たよ、この破壊的な重力が! なんで背中にこんな、人を狂わせるような熱を平気な顔して押し付けてくるんだ、この格闘家は!)
「ふふ、そんなことはありませんわ、シーラさん。ただ、主の加護を降ろした後は、どうにも体が浮世離れしてしまいまして……」
「ふーん? でも、あんたのその目。……主のこと考えてるっていうよりは、アレンが食べてるあのもつ煮込みを、今にもひったくって食らいつきそうな、猛獣みたいな目をしていたわよ?」
(……ギクッ! こ、この女、やっぱり野生の勘が鋭すぎる!)
「ふふっ、からかってみただ…「な、何だと!? シーラ、貴様、シャロン様に向かって何という無礼な妄想を!」
案の定、カイルが食ってかかった。
「聖女様が脂ぎった料理に興味を示すはずがないだろう!」
「うるさいわよ、バカイル。あれだけ力を使ったあとだし、たまにはガツンとしたものが食べたいはずでしょ?ほら、これ」
シーラは、カイルの怒号を無視して、自分の皿からもつ煮込みをすくいあげ、肩越しにシャロンの口元へと運んできた。
(……あああ、暴力的なまでにいい匂いだ……!これは……絶対アルコールに合うやつだ!)
カイルが見ていられないと割って入ろうとした瞬間、シャロンは優雅に、しかし素早く、シーラの差し出した肉をパクりと口に含んだ。
「……っ!!」
(……ウマい。あの時食べた赤提灯の屋台に近い味だ……!)
「あら、本当に食べた」
シーラがニヤリと笑う。
「……ふふ。シーラさんの……その厚意を無下にするわけにはいきませんもの。主の恵みと同じくらい、友の情愛は尊いものですわ」
シャロンは完璧な微笑みを維持したまま、咀嚼したもつ煮込みを飲み込んだ。そして、その勢いでカイルの袖をそっと引く。
「カイルさん……。実は、先ほどの戦いの影響で、私の聖なる回路に僅かな乱れを生じさせてしまったようです。これを中和するには、小さな職人の情熱が凝縮された『精霊の雫』……それも、この世の不純物を焼き尽くすほど
「な、何ですと!? 聖なる回路に乱れが!? すぐに、すぐに用意いたします! この街で最も強力な、それこそ龍をも酔わせるという秘蔵の蒸留酒を! 待っていてください、シャロン様!」
カイルは文字通り脱兎の如く店を飛び出していった。
(……よし、これでパシリ完了だ。あとは適当に理由をつけて自室へ戻るだけだ……!)
健一は内心でガッツポーズを決めた。
一刻も早く酒を煽りたいシャロンは、アレンやシーラに適当な挨拶を済ませると、自室へと引きこもった。
「認識阻害」の魔法をかけ終わったころ、扉が激しく叩かれる。
「シャロン様! カイルです! 究極の『精霊の雫』、調達してまいりました!」
もう来たのか、と呆れとも関心ともいえない感情を抱きながらも、シャロンは深呼吸をし、聖女の顔を作って扉を開ける。そこには、宝物でも抱えるようにして一本のクリスタル瓶を捧げ持つ、息を切らしたカイルの姿があった。
「ありがとうございます、カイルさん。さあ、それをこちらへ。主の儀式には、静寂が必要なのです」
「はっ! 承知いたしました! ……シャロン様、ご安心ください。その雫は、貴方の高潔なお体を守るため、私がさらに手を尽くした特製品です!」
(……体を守るため、手を尽くした特製品?)
一抹の不安がシャロンの脳裏をよぎる。カイルを送り出した後、シャロンは震える手で瓶の栓を抜いた。
期待していた、鼻を突くようなアルコールの刺激臭は——一切、しなかった。
代わりに漂ってきたのは、清涼感の塊のような、鼻の奥がツンとするようなハーブの香り。
「……な、なんだこれ。……水? いや、まさか」
瓶に添えられたカイルのメモには、こう記されていた。
『最強の蒸留酒をベースに、教会の高位司祭に依頼し、
(………………あ?)
シャロンは信じられない思いで、その「精霊の雫」を一口含んだ。
喉を通るのは、燃えるような焦熱ではなく、氷のように冷たく、どこまでも「健康的」で「清廉」な、ただのハーブ入り聖水だった。
アルコール度数、0.00%。
(………………ふざけんなよ、聖犬!!!!!)
シャロンは、静寂に包まれた部屋の中で、声にならない絶叫を上げた。
せっかく手に入れた塩気が、空しく舌の上で主張を続けている。この渇いた喉を潤してくれるはずだった液体は、カイルのあまりにも過剰で、あまりにも「正しい」忠誠心によって、ただの無菌室のような水へと成り果てていた。
「……主よ。……主には嫌がらせの才能があるのでしょうか……」
月明かりの下、絶世の美少女の姿をした中年男は、手元のハーブ水を一気に飲み干し、あまりの「健康的な味」に、ひどく卑俗な、しかし悲痛な溜息を吐いた。
二日酔いの心配など微塵もない、あまりにも清らかな夜がこうして更けていく。