武術の王『虎杖悠仁』 作:やめろ小僧、その技は俺に効く
「で、今どういう状況?」
椅子へ深く腰掛けた日下部が、死んだ魚みたいな目でそう言った。額にはじっとりと汗が浮かび、無精髭まで若干伸びている。ここ数日、東京都内各地で発生した呪霊騒動、一般人避難、死滅回游関連の処理、その全部へ駆り出され続けた結果、顔色は完全に終わっていた。普段なら軽口の一つでも飛ばす男だったが、今はその気力すら怪しい。
場所は家入硝子の隠れ家兼診療所。
都内に存在しながらも、奇跡的に死滅回游結界と呪霊被害の範囲から外れていた区域であり、外界では混乱が続いているというのに、この建物内部だけは異様なほど静かだった。無機質な白を基調とした室内には消毒液の匂いが漂い、天井照明の白光が金属棚や医療器具を冷たく照らしている。換気設備の低い駆動音だけが一定間隔で響き、その静けさが逆に外界の異常さを際立たせていた。
「最悪ね」
家入が煙草を咥えたまま答える。
紫煙がゆっくりと漂い、消毒液の匂いへ溶け込んでいく。その声音には焦りも絶望もない。ただ純粋な事実確認として“最悪”と言っているだけだった。それが逆に重い。
「やっぱりか」
日下部が項垂れる。
頭を下げ、そのまま深々と溜め息を吐いた。机へ肘をつき、顔を覆いながら完全に萎えている。実際問題、今の日本は終わっていた。渋谷事変によって呪術界の均衡は崩壊し、死滅回游によって日本全土が巨大な術式空間へ変貌し、そして今、京都には怪物共が集結している。
誰もが国を滅ぼせるレベルの怪物達。
しかも最悪なのは、それら全員が同じ思想で動いているわけではないという点だった。宿儺は愉悦で動き、五条悟は己の判断で動き、虎杖悠仁は人を助けようとしつつ戦いを楽しむ。その上で全員が同じ場所へ集まり、本気で戦い始めているのだから、もはや災害というより世界のバグに近い。
日下部が顔を覆ったまま呻く。
「なんでだよ……なんで俺らの世代でこんなもん全部お出しされてんだよ……」
「運が悪かったんじゃない?」
家入が即答する。
「軽く言うなよ……」
日下部が本気で嫌そうな顔を上げた。
その時、室内の空気を押し沈めるみたいな低い声が響く。
「まぁ仕方がない。ここまで来たらとことんだ」
夜蛾正道だった。
元東京都立呪術高専学長である夜蛾は腕を組んだまま静かに目を閉じている。その顔には疲労もあったが、それ以上に覚悟があった。つい先程まで楽巌寺嘉伸、九十九由基と共に薨星宮へ赴き、天元へ浄界解除を提言してきたばかりなのである。
ちなみに九十九由基だけは現在も薨星宮へ残っていた。
天元の監視。
そして万が一の場合、即座に介入する為だ。
「天元様がまもなく浄界を解除する。それを以って死滅回游は終わる。だが——」
夜蛾がそこで言葉を切る。
診療所内部へ重い沈黙が落ちた。
誰もが続きを理解している。
理解しているからこそ、誰も軽々しく口を開けなかった。
結局、それは日本呪術界そのものを支えていた基盤の放棄を意味している。千年以上積み上げられてきた結界術。呪力循環。霊脈制御。帳。結界。忌庫封印。その全てが不安定化する。
つまり今後の日本は、“呪いが封じ込められている国”ではなくなる。
「日本は猛獣がウジャウジャいる野生の王国になっちまうんですよね?」
日下部が顔を引き攣らせながら言った。
「そういうことだ」
夜蛾が静かに頷く。
日下部は数秒黙り込み、それから再び椅子へ深く身体を沈めた。
「はぁ……まぁそれなら我慢できるかぁ?」
投げやりみたいな言葉だった。
だが本音でもある。
少なくとも、人類そのものが天元と同化して滅茶苦茶になるよりはマシだった。化け物が増える。呪霊が増える。危険地帯が増える。それでもまだ、“人間が人間のまま生きられる”可能性が残る。
それだけで今は十分だった。
七海建人が包帯だらけのまま小さく息を吐く。
「随分とスケールの大きい妥協ですね」
「うるせぇな七海。今更だろ」
日下部が力なく返す。
その時だった。
ゴゴ、と低い振動が建物全体へ走った。
天井照明が揺れる。棚へ置かれていた器具がカタカタと震え、壁際へ立て掛けられていたモップが倒れた。
全員が無言で顔を上げる。
遠い。
だが分かる。
京都だ。
また怪物共がぶつかった。
家入が煙草を咥えたまま窓の外を見る。
「……今度は誰が暴れたんだか」
その呟きと同時に、更に遅れて爆音が届いた。まるで空そのものが割れたみたいな重い音だった。
違う部屋では、高専の一年、二年、三年組が集まっていた。
診療所内部の一室。簡易ベッドや折り畳み椅子が雑多に並べられたそこには、疲労と沈黙が重苦しく沈殿している。換気扇の低い駆動音が一定間隔で響き、窓の外では時折空気そのものが微かに震えていた。数百キロ離れた京都で発生している超高密度呪力衝突の余波である。普通なら有り得ない。だが今の日本では、もはや“普通”そのものが崩壊していた。
そして、なぜか高羽がいる。
場違い感が凄かった。
だが本人だけは全く気にしていない。
「津美紀……」
伏黒が姉の名を呼びながら頭を抱えていた。
椅子へ腰掛けたまま深く俯き、指先を髪へ食い込ませている。その姿は普段の伏黒恵からは想像しにくいほど弱々しかった。無理もない。つい昨日まで、伏黒達は津美紀を死滅回游から離脱させる為だけに動き続けていたのである。
「あんたいい加減に立ち直りなさいよ……しょうがないじゃない」
釘崎が肩をペシーンと叩きながら言った。
慰め方としてはかなり雑だった。だが釘崎野薔薇という女は元々こういうタイプである。変に気を遣って遠回しな言葉を選ぶより、とりあえず隣へ立って引っ叩く方が性に合っていた。
つい昨日の事だった。
姉を死滅回游から離脱させる為に、伏黒達は動いていた。天使を探していたのも事実だが、第一目標はあくまで津美紀を死滅回游から外へ出すこと。その為に全員が命懸けで点数を集めた。
釘崎は日車寛見という弁護士を説得し、点数譲渡の総則を追加させた。
乙骨憂太は仙台コロニーで怪物共と殺し合いながら百点以上を獲得し、それを伏黒へ譲渡した。
そして伏黒恵自身も戦い続け、累計三百点以上の得点を集めた上で、新たな総則を追加したのである。
身代わりとなる新規游者を用意し、更に百点を消費することで死滅回游から離脱可能とする総則。
普通ならそこまでやれば終わりだった。
助かるはずだった。
少なくとも伏黒はそう信じていた。
だが。
「……なんでだよ」
伏黒が低く呟く。
その声には怒りよりも困惑が強かった。理解が追い付いていないのだ。姉を助ける為に積み上げた全てが、本人と思っていた存在によって一瞬でひっくり返されたのだから。
津美紀は本性を現した。
いや、正確には“津美紀ではなかった”。
伏黒津美紀の肉体へ受肉していた平安術師、万。
あの女は伏黒達が必死に積み上げた点数を使い、自分勝手に総則を追加したのである。
コロニー間の自由移動。
それを追加した直後だった。
満面の笑み。
背中から羽を形成。
そして——
『宿儺ぁぁ!!今行くわよぉぉ!!』
叫びながら飛んでいった。
行き先は京都。現在、日本で最も終わっている場所だった。
伏黒が両手で顔を覆う。
「意味分かんねぇだろ……」
「まぁまぁ、大丈夫だよ!姉ちゃん飛んでたから元気だって!」
「慰めになってねぇよ!!」
高羽が場違いな慰めをした。
「俺なんて竹馬すら乗れねぇぜ?すごいだろぉ?」
「比較対象が終わってんのよ!!」
釘崎が即座にツッコむ。
乾いた音が部屋へ響き、高羽の頭が叩かれた。だが高羽は全く気にしていない。
「いやでも飛ぶって凄くない!?空だぜ!?俺なんて小学校の時ジャングルジムから落ちて泣いたからね!?」
「知らねぇわ!!」
再び叩かれる。
高羽が笑う。
騒がしい。
だが、その騒がしさのおかげで部屋の空気がほんの少しだけ軽くなっていた。完全な沈黙よりはマシだった。今ここにいる全員、精神的にはかなり限界へ近い。
パンダが壁へ寄り掛かりながら小さく息を吐く。
「つーかさ、京都もうどうなってんだろうな……」
誰も即答できなかった。
今の京都には宿儺がいる。
五条悟がいる。
虎杖悠仁がいる。
更に頼光、金時、鹿紫雲、万、裏梅、そのほか死滅回游で蘇った怪物共まで集結しているのである。
もはや呪術戦ではない。
怪獣災害の中心地だ。
乙骨が壁際にもたれながら静かに目を伏せる。
「……虎杖君」
小さな呟きだった。
だが、その場にいた全員が少しだけ黙る。
乙骨憂太は仙台で戦ってきた。受肉者達とも殺し合った。だからこそ分かる。今、京都に集まっている連中は次元が違う。
その中心に虎杖悠仁がいる。
しかも恐らく、誰よりも楽しそうに戦っている。
それが一番怖かった。
時は少し遡り——
五条悟は夏油傑の遺体を抱えながら薨星宮を脱した。
崩壊した結界層を抜け、地上へ姿を現した瞬間、夜風が白髪を揺らす。だが、死滅回游によって歪み切った日本に“静かな夜”など存在しなかった。遠方では帳が空を覆い、各地で呪霊反応が脈動し、結界網そのものが軋むように明滅している。その上空へ浮かぶ五条悟だけが、異様なほど静かだった。
腕の中には夏油傑がいる。
既に冷たくなった肉体だった。
長い黒髪が夜風に揺れ、力を失った腕がだらりと垂れ下がっている。羂索が抜け落ちた今、その身体にはもう悪意も呪詛も存在しない。ただ、高専時代に隣で笑っていた親友の亡骸だけが残されていた。五条は何も言わない。六眼も静かだった。獄門疆内部で死を越え、“流れ”を掴み、以前とは比較にならない領域へ到達した今の五条悟であっても、この瞬間だけは妙に静かだった。
やがて空間が歪む。
蒼。
空間圧縮。
座標短縮。
青い光が夜空へ瞬き、五条の姿が掻き消えた。
次に現れたのは家入硝子の診療所だった。結界内部へ瞬間的に侵入した五条の存在によって空気が僅かに震え、廊下へ漂っていた煙草の煙が乱れる。ソファへ腰掛けていた家入硝子が顔を上げ、そのまま数秒だけ沈黙した。
「……うわ」
思わずそんな声が漏れる。
突然現れたからではない。
抱えているものを見たからだ。
五条は何も言わず、静かに夏油傑を差し出した。家入も余計な事は聞かない。ただ静かに煙草を灰皿へ押し付け、それから夏油の顔を見下ろした。高専時代、馬鹿みたいに騒いでいた二人の姿が脳裏を過る。もう随分昔の事だった。
「……分かった」
短い返答だった。
五条は頷きもしない。ただ夏油の身体を預け、そのまま踵を返す。家入はその背中を見ながら煙草を咥え直した。
「京都?」
問い掛けに対し、五条は少しだけ止まった。
そして。
「その前に掃除」
軽い口調だった。
だが、その瞬間だけ空気が冷えた。
次の瞬間、五条の姿が消える。蒼による超高速移動。空間そのものを踏み越えるような機動で、五条悟は呪術総監部へ向かっていた。
呪術総監部。
長年、呪術界上層部が居座り続けた場所。
古臭い木造建築と幾重にも張り巡らされた結界によって守られたそこには、未だ“自分達が呪術界を管理している”と思い込んでいる老人達が残っていた。だが既に時代は変わっている。渋谷事変によって均衡は崩壊し、死滅回游によって日本そのものが巨大な術式空間へ変貌し、そして今、京都には怪物共が集結している。そんな状況にも関わらず、彼等はまだ古い椅子へしがみ付いていた。
重苦しい廊下。
警備術師。
防御結界。
呪符。
その全てを無視するように、五条悟は一直線に歩いていた。
途中で立ちはだかった術師達が顔を青褪めさせる。
「ご、五条悟——」
声を掛ける暇すら無かった。
五条が通り過ぎる。
それだけで圧力に押し潰され、術師達の身体が壁へ叩き付けられた。無下限による直接攻撃ではない。ただ漏れ出した呪力と“流れ”の圧だけで、人間の身体が耐え切れなくなっているのである。床板が軋み、空気が悲鳴を上げ、結界術式そのものがビリビリと振動していた。
やがて五条は最奥へ辿り着く。
重厚な扉。
分厚い木材。
呪符。
防御術式。
だが五条は止まらない。
掌底。
それだけだった。
直後、爆音が鳴り響く。
扉が消し飛んだ。
結界が内側から砕け散り、木片と呪符が暴風のように室内へ吹き荒れる。老人達が悲鳴を上げながら立ち上がった。
「な!?五条悟!!」
「封印されていたはずだ!」
「貴様は呪術界から追放されたのだぞ!」
「警備はどうなっている!!」
怒号。
悲鳴。
混乱。
だが、その全てが五条の耳には入っていなかった。
五条悟は静かに歩く。
一歩。
また一歩。
その度に床板が軋み、空気が震え、老人達の顔色が更に青褪めていく。六眼が蒼く輝いていた。その瞳には怒りすら薄い。あるのは徹底的な冷淡さだけだった。
五条はゆっくりと掌印を結ぶ。
帝釈天印。
金色の“流れ”が皮膚の下を奔り、全身の経絡を淡く発光させ始める。同時に無下限呪術の呪力が空間へ滲み出し、室内全域を支配していった。
老人達の顔から血の気が消える。
逃げようとした者がいた。叫んだ者がいた。
だが、遅い。
五条悟が静かに告げる。
「腐ったみかんを取り除くだけだ」
その声は異様なほど静かだった。
だからこそ怖い。
次の瞬間、五条の肉体へ呪力が収束する。無限情報。空間支配。そして“流れ”。全てが一点へ収束し、世界そのものが軋み始めた。
「——領域展開」
老人達の顔が恐怖で引き攣る。
空間が反転した。
五条悟が静かに告げる。
「『無量空処』」
五条悟から呪力と“流れ”が爆散し、上層部の部屋を丸ごと包むように閉じられた。
無下限呪術によって構築された情報空間へ、“流れ”による干渉が重なった事で領域内部の密度は従来の無量空処とは比較にならないほど増大しており、空間そのものが歪み、壁も床も天井も意味を失っていく。現実と情報の境界が曖昧になる中、上層部の老人達だけが絶叫していた。
無数の情報が脳内へ雪崩れ込む。世界の構造、空間の広がり、光の波長、音の振動、熱の流れ、時間の進行、生命活動、呪力循環、星々の運行、人間という存在そのもの——森羅万象の全てが無限という形で脳へ直接流し込まれ、老人達の神経回路を焼き潰していく。
「や、やめ——」
言葉は最後まで続かない。
脳が耐え切れない。
血管が浮き上がり、眼球が痙攣し、鼻孔、耳孔、口腔から血液が溢れ始める。情報処理能力を遥かに超えた無限が強制的に流し込まれた事で脳圧が異常上昇を起こし、顔面そのものが風船みたいに膨れ上がっていた。
そして最初の一人の頭蓋が内側から破裂する。
骨片と脳漿が周囲へ飛び散り、血液が壁一面へ叩き付けられた。だが、それで終わらない。隣の老人も、更にその隣も同じだった。目や鼻、口、耳から血を噴き出しながら脳が膨張し、次々と頭蓋が破裂していく。肉片が宙を舞い、脳漿が床へ撒き散らされ、重苦しい木造の部屋は一瞬で血と死臭に染まっていた。
逃げようとした者もいた。
助けを求めるように床を這う者もいた。
だが意味はない。
既に脳そのものが崩壊している。
無限情報によって神経回路を焼き潰された老人達は、ほぼ同時に一斉に倒れた。痙攣する肉体が血溜まりへ沈み、静まり返った部屋には肉片が滴り落ちる湿った音だけが残る。
五条悟だけが静かに立っていた。
白髪が揺れる。
六眼が蒼く輝く。
金色の“流れ”が皮膚の下を脈動し、その周囲では空間そのものが微かに震えていた。
やがて五条は掌印を解き、部屋を一瞥する。
そこに転がっているのは、かつて呪術界上層部と呼ばれていたものの残骸だった。
五条は何も言わない。
何も思っていないわけではない。
だが後悔もない。
渋谷事変。
死滅回游。
虎杖悠仁への死刑執行。
夏油傑の死体利用。
腐り切った上層部。
その全てを知った上で、五条悟は今ここへ立っている。
そして踵を返した。
血溜まりを踏み越え、肉片を避ける事もなく部屋を出る。靴裏が血液を踏み潰し、湿った音を廊下へ響かせる中、五条悟はそのまま蒼による空間圧縮を発動した。
空間が歪む。
青い光が瞬く。
次の瞬間、五条悟は京都へ飛んでいた。
そして現在——人外魔境となった京都コロニーからほんの少し離れた場所では、鹿紫雲一と河童、大道鋼が一触即発なのか、ただ騒がしいだけなのか分からない空気を形成していた。
周囲一帯は既に半壊している。道路は隆起し、割れたアスファルトの隙間からは火花を散らす電線が垂れ下がり、崩落した住宅群からは煙と粉塵が未だ立ち昇っていた。遠方では断続的に轟音が鳴り響き、時折夜空そのものが青白く発光する。宿儺、虎杖悠仁、五条悟、源頼光——あの怪物達が本気で衝突している余波が、数km離れたこの地点にまで届いているのである。
普通の術師なら近付くだけで気絶するだろう。
だが、ここにいる三人はそんな空気を全く気にしていなかった。
「おい!ガキ!そんなヘンテコな棒より刀を持て!」
大道鋼が鹿紫雲の持つ如意へ指を突き付けながら大声で言った。
筋骨隆々の肉体。裸同然の上半身。腰へ差した刀。そして何より、その全身から滲み出る“刀を振りたい”という欲求が凄まじい。大道鋼という男は、戦場の空気だろうが世界の終わりだろうが、自分の好きなものを優先する人種だった。
対する鹿紫雲は、青白い雷を皮膚の上でバチバチと迸らせながら露骨に顔を顰める。
「あのなぁ……俺はガキじゃねぇ……こう見えても江戸じゃ六十近くまで生きてたんだよ」
鹿紫雲の声音には苛立ちが混じっていた。
受肉後の肉体は若い。だが中身は江戸時代を暴れ回った戦闘狂であり、人生経験だけなら普通に老人側なのである。
大道が「ほぉ」と目を丸くする。
「カッカッカ!人は見かけによらずだな!!」
その瞬間。
「相撲だ!!」
河童が割り込んだ。
またである。
さっきからずっとこの繰り返しだった。
大道が刀の話をする。
鹿紫雲が若干付き合う。
そこへ河童が相撲を挑む。
誰かが無視する。
また大道が刀の話を始める。
永久機関みたいな会話循環が発生していた。
鹿紫雲がとうとう額を押さえる。
「お前ら何なんだよマジで……」
だが大道鋼は全く聞いていない。
「この刀を見てみろ!鹿紫雲とやら!」
大道が腰へ提げていた刀を鞘ごと抜き、誇らしげに掲げた。
月明かりを受けた刀身は、確かに異様だった。
黒い。
単なる鉄色ではない。長年の使用と呪力の染み込みによって変質したような深い黒であり、刀身そのものが夜を切り取ったみたいな色合いをしている。刃文は静かな波のように揺れ、使い込まれた柄には大量の傷と手汗染みが刻まれていた。
大道が興奮した声を上げる。
「さっき山で拾ったものでな!美しい黒刀よ!刀身に悪鬼滅殺と刻まれておるぞ!」
「へぇ……黒い刀か、珍しいな」
鹿紫雲が少しだけ興味を示す。
雷を纏った瞳が刀身へ向けられ、その瞬間だけ戦闘狂としての好奇心が表へ出ていた。
大道は嬉しそうだった。
「そうだろうそうだろう!この使い込まれた柄を見るに相当な手練れ!切れ味もよい!しかも軽い!振った瞬間に分かる!これは名刀よ!!」
大道がブンブン刀を振り回す。
風切音が鳴り、周囲の瓦礫が数個ほど真っ二つになった。
鹿紫雲が若干引く。
「拾った刀をそんな気軽に振るなよ……」
「相撲!」
河童がまた割り込む。
しかも今度は鹿紫雲の腕を掴みながら言っていた。
「いやお前話聞けよ!!」
鹿紫雲が本気でツッコむ。
その瞬間だった。
遠方。
京都コロニー中心部から、凄まじい衝撃が走る。
空気が震えた。
遅れて轟音が届く。
夜空が一瞬だけ金色へ染まり、次の瞬間には黒い斬撃みたいなものが地平線を裂いていた。
三人が同時にそちらを見る。
鹿紫雲の口元が吊り上がった。
「あぁ……やっぱ最高だな、この時代」
皮膚の上を走る雷が更に激しく脈動する。
河童は目を輝かせていた。
「ぬぉぉ……!あれほどの闘気……!やはり相撲だ!!」
「何でだよ」
鹿紫雲が即座に返す。
大道鋼だけは、黒刀を肩へ担ぎながら静かに笑っていた。
「いい殺気だ。斬りたくなる」
「そうかい。じゃあな、俺はあっち側に行くからよ」
鹿紫雲一が肩へ担いでいた如意を軽く回しながら言った。青白い雷が皮膚の上を這い、バチバチと乾いた放電音を周囲へ撒き散らす。視線の先にあるのは、夜空そのものが揺らいで見えるほど濃密な呪力渦巻く京都コロニー中心部。断続的に轟音が響き、巨大な掌波がビル群を吹き飛ばし、その直後には不可視の斬撃が地面ごと裂いていく。最早“戦闘”という言葉で括れる規模ではない。天変地異だった。
だが鹿紫雲は笑っていた。
江戸時代を生き、老衰寸前まで強者を求め続けた男にとって、あの戦場は地獄ではない。
理想郷だった。
「カカッ、何を言っておる。儂も行くぞ」
大道鋼が当然みたいな顔で言う。
腰へ提げた黒刀をポンポン叩きながら笑っており、その視線は既に戦場の中心ではなく、“誰の刀が一番凄いか”という方向へ向いていた。
「最高の相撲ができそうな雰囲気をビンビン感じる気がしたから此処にきたんだぜ」
河童も拳を握り締めながら興奮した声を上げる。
鍛え抜かれた肉体。変な禿げ方をしている頭部。どう見ても怪物達の戦場には場違いな格好だな見た目だが、その周囲には異様な圧があった。“相撲”という概念だけで存在しているみたいな濃さがある。
鹿紫雲が若干嫌そうな顔をした。
「……勝手にしろ」
そうして何故か鹿紫雲と大道鋼と河童は一緒に行動する事となった。
三人は崩壊した市街地を進む。道路は既に道路としての原型を留めておらず、割れたアスファルトがめくれ上がり、崩れた高層ビルの残骸が巨大な墓標みたいに並び立っている。遠方から伝わってくる衝撃だけで窓ガラスは割れ、電柱は歪み、空気そのものがビリビリと震えていた。
中心へ近付くにつれ、呪力濃度が上昇していく。
普通の術師なら呼吸するだけで精神を侵される。
だが三人は平然としていた。
そして崩れたビルの上へ登り、中心を見据える。
その瞬間。
鹿紫雲の口元が吊り上がった。
「ハハッ……アレが両面宿儺か」
夜空へ浮かぶ異形が、斬撃や掌波を撒き散らしていた。
四本腕。
四つの瞳。
禪院直哉の肉体へ完全受肉した呪いの王。
放たれた斬撃は大地ごと裂き、虎杖悠仁の掌波はビル群を押し流す暴風となって空間を穿つ。その中心で宿儺は、頼光、金時、万を同時に相手取りながら尚笑っていた。鹿紫雲は知らない。知らないが、それでも一目で理解できる。
“格”が違う。
あれは千年前から生きる災厄そのものだ。
鹿紫雲の全身を雷が奔った。
細胞が歓喜している。
「あの巨躯!いい相撲ができそうだなオイ!」
河童は別方向へ興奮していた。
視線の先では坂田金時が宿儺へ巨腕を振るっている。丸太みたいな筋肉が唸り、拳を振るうだけで空気が爆発したような衝撃が迸り、周囲の瓦礫がまとめて吹き飛んでいた。怪力だけで空間を制圧している。
河童の目がギラつく。
完全に“相撲取り”を見る目だった。
「うぉぉ……!あの四股!あの腰!最高だぜぇ……!」
「違ぇだろ絶対」
鹿紫雲が即座にツッコむ。
だが大道鋼もまた別方向で感動していた。
「ふむ……あの大刀……いい刀だ」
大道が静かに呟く。
視線の先では、禪院真希が釈魂刀を振るっていた。
呪力を一切持たぬ完全なるフィジカルギフテッド。その肉体から放たれる斬撃は、呪力ではなく純粋な速度と膂力によって成立しているにも関わらず、裏梅の氷塊をまとめて断ち割っていた。振るわれる釈魂刀は黒く鈍い輝きを放ち、刀身が通過した空間だけ妙に薄暗く歪む。
大道鋼の瞳が細められる。
「あの刀……斬った感触が良さそうだ」
「感想が怖ぇんだよお前」
鹿紫雲が呆れる。
ちなみに虎杖悠仁は何故か五条悟と戦っていた。
正確には殴り合いながら笑っていた。
如来神掌会得者同士で何かシンパシーがあるのか、それとも単純に戦闘狂同士で通じ合っているのか、此処にいる三人には全く分からない。ただ分かるのは、虎杖悠仁と五条悟が拳をぶつけ合う度に、金色の“流れ”が空間そのものを震わせているという事実だけだった。
そうして人外魔境へ新たな怪物達が足を踏み入れる。
江戸最強、『雷神』鹿紫雲一。
無名の天下無双の大剣豪、『刀大好き』大道鋼。
スーパーバカにスーパーバカが受肉した相撲好き河童、三代六十四。
そして更に別方向からも、同じく人外魔境へ踏み込む者達がいた。
「悠仁……兄ちゃん達がきたぞぉ!!」
日本「何が始まるというんです????」