武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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それ以上宿儺様に近づくな、痴女共……!

 

 

 

 

 「さぁ……!どこからでもかかってこい!ブラザー!」

 

 東堂が両腕を大きく広げながら言った。崩壊寸前の高層ビル屋上、その足元では無数の亀裂が走り、遠方では宿儺の斬撃が夜空を裂き、五条悟と虎杖悠仁の衝突が空間そのものを軋ませている。雷鳴のような衝撃音が断続的に響き、吹き上がる熱風が学ランの裾を激しくはためかせていたが、それでも東堂の表情から余裕は消えない。むしろ楽しそうですらあった。目の前にいる三兄弟を前にしているというのに、その瞳は獲物を前にした猛獣ではなく、久々に会った親友を歓迎する男のように輝いている。

 

 「俺達を舐めるなよ」

 

 脹相が低く告げる。

 

 「人数的に卑怯な気がするが、致し方ないな!」

 

 壊相が拳を握り締める。

 

 「本物の兄弟の力、見せてやるぜ!」

 

 血塗が飛び跳ねながら叫んだ。

 

 次の瞬間、三兄弟が同時に地面を蹴る。踏み込んだ衝撃で屋上の床面が砕け、砕石が舞い上がるよりも早く、その姿は視界から消失していた。左右と正面、三方向同時。脹相を中心として積み重ねられた連携は洗練されており、兄弟だからこそ成立する呼吸の一致があった。

 

 東堂の右側から壊相の拳が迫る。空気を裂く鋭い一撃だった。同時に左側では血塗の蹴りが鞭のようにしなりながら側頭部を狙い、正面からは脹相が全身の体重を乗せた拳を東堂の腹部目掛けて打ち込む。普通の術師なら回避どころか認識すら出来ない速度だったが、東堂は三人の動きを完全に捉えていた。

 

 「フンッ!」

 

 短い呼気と共に東堂の肉体が動く。

 

 右腕が壊相の拳を受け止める。衝突した瞬間に筋肉が膨張し、鈍い音が響いた。左腕は血塗の蹴りを掴み取り、その勢いを完全に殺す。そして正面から迫った脹相の拳に対しては、一歩も退かずに腹筋へ受け入れた。

 

 轟音。

 

 三方向から加えられた衝撃が一点で炸裂し、放射状の圧力となって周囲へ広がる。ビル全体が揺れ、崩れかけていた外壁が剥落し、コンクリート片が夜空へ散った。だが、その中心に立つ東堂は揺るがない。

 

 脹相の拳は確かに東堂へ届いていた。

 

 しかし、それだけだった。

 

 鍛え上げられた腹筋が鉄壁の如く盛り上がり、衝撃を受け止めている。

 

 「フッフッフッフ……いい」

 

 東堂が笑う。

 

 「実にいいぞブラザー」

 

 「効いていないだと?」

 

 脹相が目を見開く。

 

 東堂は楽しげに首を横へ振った。

 

 「いや、効いていたさ」

 

 「どっちだ!」

 

 脹相が思わず叫ぶ。

 

 「肉体には効いていない。だが魂には効いた。兄弟の絆が込められた拳だからな」

 

 「何を言っている?」

 

 「分からんか?」

 

 東堂が不敵に笑う。

 

 その時だった。

 

 東堂の首元で何かが揺れた。

 

 銀色のチェーン。そこへ下げられたロケットペンダント。

 

 激しい衝突によって胸元から飛び出したそれが、脹相の目の前でパカリと開く。

 

 中に収められていた写真が露わになった。

 

 そこには満面の笑みを浮かべる高田ちゃん。

 

 そして、その隣で同じように笑っている虎杖悠仁の姿。

 

 夕焼けを背景に肩を並べて立つ二人は実に楽しそうで、まるで長年連れ添った親友同士のような自然さがあった。

 

 沈黙が訪れる。

 

 遠方では依然として人外達の戦いが続いている。雷鳴も爆発も聞こえる。だが、この瞬間だけは誰も動かなかった。

 

 脹相の瞳が大きく見開かれる。

 

 壊相が絶句する。

 

 血塗は口をぽかんと開けたまま固まっていた。

 

 そして東堂だけが誇らしげだった。

 

 まるで国宝を見せる学芸員のような顔で胸を張っている。

 

 「なに……!?」

 

 脹相が驚き後退る。壊相と血塗はあの写真が未だ何だか理解できていない。いや、理解したくなかった。理解してしまえば認める事になるからだ。

 

 虎杖悠仁が自分達の知らない場所で笑い、自分達の知らない人間と時間を過ごし、自分達の知らない思い出を積み重ねていたという事実を。特に脹相にとって、それは妙な敗北感すら伴う光景だった。兄として悠仁を知っているつもりだった。だが写真の中の虎杖は自然体で、警戒も遠慮もなく笑っている。その笑顔は偽物ではない。だからこそ脹相の思考は一瞬だけ止まった。

 

 そして、その一瞬こそが東堂葵の獲物だった。

 

 東堂の口元が吊り上がる。

 

 筋肉が軋む。

 

 踏み込みと同時にコンクリートが陥没した。

 

 「隙を見せたなッ!ブラザーッ!!」

 

 振り抜かれた剛腕が空気を圧縮する。脹相が顔を上げた時には既に遅い。拳は頬へめり込み、骨を震わせながら頭部を横殴りに弾き飛ばした。衝撃は顔面だけで終わらず首、背骨、全身へ伝播し、脹相の身体が砲弾のような勢いで吹き飛ぶ。外壁へ激突する寸前、脹相は強引に体勢を捻ったが勢いまでは殺せず、コンクリートを砕きながら屋上端へ叩き付けられた。

 

 その頃には東堂は次の標的へ移っている。

 

 巨体とは思えない速度だった。

 

 壊相が反応しようとした瞬間、東堂の肘が眼前へ迫る。

 

 「な——」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 肘打ちが胸部へ突き刺さる。

 

 鈍い衝撃音。

 

 肺から空気が吐き出され、壊相の身体が折れ曲がる。そのまま数メートル吹き飛ばされ、屋上の縁を越えて夜空へ投げ出された。

 

 「やったなー!!!」

 

 血塗は兄達の危機を見て即座に飛び出した。小柄な身体を活かした突進。狙いは東堂の脇腹だったが、その判断すら東堂は読んでいる。

 

 身体を半歩だけ回転させる。

 

 そして振り抜く。

 

 巨大な脚が唸りを上げた。

 

 回し蹴り。

 

 それだけだった。

 

 だが威力は凄まじい。血塗の防御ごと身体を吹き飛ばし、弟もまた兄達を追うように虚空へ放り出される。三兄弟はほぼ同時にビルから落下していった。

 

 東堂はそこでようやく息を吐いた。

 

 胸元から飛び出していたロケットペンダントが夜風に揺れている。

 

 高田ちゃん。

 

 そしてブラザー(虎杖)

 

 東堂はそれを丁寧に閉じた。戦闘中とは思えないほど慎重な指先だった。宝物を傷付けぬよう服の内側へ収めると、軽く胸元を叩いて位置を確かめる。

 

 満足。

 

 実に満足。

 

 それだけ確認すると東堂は再び笑った。

 

 眼下では三兄弟が落下しながら体勢を立て直している。脹相は外壁を蹴り、壊相は突き出た鉄骨へ着地し、血塗は瓦礫を足場に空中で姿勢を制御していた。流石は受肉体である。普通なら戦闘不能になっていてもおかしくない一撃だったが、まだ誰一人として戦意を失っていない。

 

 ならば追うだけだ。

 

 「まだまだ!!」

 

 東堂が叫ぶ。

 

 その声には歓喜が混じっていた。

 

 ビルの縁を蹴る。

 

 コンクリートが砕け散る。

 

 巨体が夜空へ躍り出た。重力に身を任せながら一直線に降下する。耳元では暴風が唸り、学ランが激しくはためく。だが東堂の視線は脹相達から一瞬たりとも逸れない。

 

 下方では脹相が血を拭いながら睨み返していた。

 

 壊相が拳を握る。

 

 血塗が叫ぶ。

 

 そして四人の距離が急速に縮まっていく。

 

 夜空の只中。

 

 落下しながらの激突まで、あと僅かだった。

 

 落下する東堂葵へ向け、脹相が両掌を構えた。砕けたビルの外壁を蹴って空中へ身を躍らせながら、掌の中で血液を圧縮する。百斂。赤血操術の基礎にして極致、血液を極限まで加圧し、音速を超える速度で射出する為の準備動作である。

 

 だが今の脹相は、ただ血を固めているわけではない。虎杖悠仁との記憶、如来神掌の理合い、掌の内側へ世界を畳み込むような感覚、その全てを血液操作へ混ぜ込み、落下という不安定な姿勢の中でも寸分違わぬ射線を東堂の胸部へ合わせていた。

 

 「穿血」

 

 脹相の指先から赤い閃光が奔る。空気を貫く鋭い音が夜空へ響き、圧縮された血液が一直線に東堂へ迫った。落下中の東堂は回避しづらい。加えて周囲には壊相と血塗が既に体勢を整えつつあり、三兄弟の視線と呼吸は自然に噛み合っている。普通なら、この一射で動きを止め、続く連携で地上へ叩き落とせるはずだった。

 

 だが攻撃は東堂へ届かない。

 

 乾いた拍手音が鳴る。

 

 落下しながら、東堂が両掌を打ち鳴らしていた。

 

 風圧で学ランが激しく翻り、髪が逆立つように揺れているにも関わらず、その両手の軌道だけは驚くほど正確だった。瞬間、脹相の両掌から伸びていた血の閃光が丸ごと消える。空気を裂いていた赤い線は途中でぷつりと断ち切られ、射線上には何も残らなかった。代わりに、脹相の掌の中へ収まっていたのは一枚の木の葉だった。

 

 「ッ!!!」

 

 脹相の喉奥から短い息が漏れる。動揺だった。単に穿血を避けられたわけではない。撃ち出した血液そのものを、発射後の軌道ごと“別のもの”へ入れ替えられたのである。

 

 しかも東堂は落下中であり、視界も足場も定まっていない状況だった。それでもあの男は脹相の術式発動、血液の圧縮、射出の瞬間、空中に存在する木の葉の位置まで同時に把握し、掌音一つで強引に結果を差し替えた。

 

 常軌を逸している。

 

 脹相は奥歯を噛み締める。東堂葵という男の厄介さは、不義遊戯の奇襲性だけではなかった。あの巨体、あの筋肉、あの戦闘勘、そして万物を術式対象として捉えるという狂気じみた思想。通常の術師なら思いついても成立しない解釈を、東堂葵は己の確信と縛りで無理やり通している。

 

 攻撃には使わない。守る為に使う。その縛りによって術式の精度と範囲を跳ね上げているのなら、中遠距離からの攻撃は悉く消されるだろう。

 

 ならば、やる事は一つ。

 

 脹相は壊相と血塗へ視線を送った。言葉は要らない。長兄の僅かな眼球の動き、肩の沈み、指先の角度、それだけで二人は意図を理解する。存在しない記憶だろうが、血の繋がりだろうが、共に戦う時間が生んだ呼吸だろうが、彼らにとってそれは紛れもない兄弟の証だった。壊相が外壁から蹴り上がり、血塗が瓦礫を足場に低く跳ねる。脹相は更に落下速度を利用し、東堂の真正面へ入る軌道を取った。

 

 東堂は笑っていた。

 

 「そうだ、それでいい!!遠くから撃つだけでは魂は震えんぞブラザー達!!」

 

 その叫びに合わせて、東堂の落下速度が増す。

 

 否、落ちているだけではない。ビル壁面から突き出した鉄骨を踏み砕き、反動で自ら加速している。巨体が空気を押し潰し、下方へ向けて一直線に迫る様は、人間というより落下する岩塊だった。だがその目は熱を帯び、笑みには一点の迷いもない。

 

 脹相が正面から迎え撃つ。血液を腕全体へ纏わせ、拳の表面を赤黒く硬化させた。穿血のように射出すれば消される。ならば肉体へ密着させたまま叩き込む。拳、肘、肩、膝、あらゆる接触面へ血を巡らせ、打撃の瞬間だけ内部へ浸透させる。中距離を捨て、接近戦へ切り替える判断は速かった。

 

 壊相は右側から回り込む。背を反らせるようにして異様な姿勢を取り、腐蝕性の血を指先へ滲ませた。

 

 血塗は反対側から突っ込み、小柄な身体を弾丸のように丸め、東堂の膝裏を狙う。三人の狙いは明確だった。巨体を崩す。足を止める。そこへ脹相が拳を叩き込む。単純だが、三方向から同時に行えば極めて厄介な連携になる。

 

 東堂はそれを見て、なお笑う。

 

 衝突の瞬間、まず血塗が低く潜り込んだ。小さな身体が東堂の死角へ滑り、膝裏へ飛び掛かる。東堂は右脚を僅かに引き、血塗の突進を足首の角度だけで受け流した。直後、壊相の指先が肩口へ迫る。腐蝕の血が触れれば筋肉を侵し、動きを奪うはずだった。だが東堂は肩を大きく回し、触れられる直前に腕の外側で壊相の手首を弾く。攻撃ではない。軌道を逸らしただけだ。

 

 そこへ脹相の拳が来る。

 

 赤黒い血を纏った拳が、東堂の胸板へ真正面から叩き込まれた。衝撃が爆ぜ、空中で四人の身体が一瞬だけ静止したように見える。肉体同士の接触が生んだ圧力は周囲の粉塵を吹き飛ばし、落下途中の瓦礫を粉砕した。脹相の血が東堂の筋肉へ食い込み、内部へ衝撃を通そうとする。だが東堂の胸筋が膨れ上がり、まるで巨大な門が閉じるようにその浸透を押し返した。

 

 「いい一撃だ!!」

 

 東堂が吠える。

 

 その声は夜空へ響き、崩れたビル群の隙間を震わせた。脹相の目が細まる。壊相と血塗が再び軌道を変える。空中戦はまだ終わらない。彼らは落ち続けながら、壁を蹴り、瓦礫を踏み、互いの身体すら足場にしながら、次の衝突へ向けて姿勢を作り直していく。

 

 兄弟の連携が加速する。

 

 東堂の筋肉が唸る。

 

 瓦礫が弾け、四人の姿が消える。

 

 崩壊した高層ビルの中腹。落下するコンクリート塊と捻じ曲がった鉄骨が入り乱れる空間を、東堂葵と脹相達は凄まじい速度で駆け抜けていた。空中戦と呼ぶにはあまりにも荒々しい。誰も空を飛んでいるわけではない。落下する瓦礫を踏み砕き、壁面へ飛び移り、鉄骨を蹴り折りながら無理矢理進路を作っているだけだ。

 

 それでも彼らの軌道は複雑に交差し、常人には四人全員が瞬間移動しているようにしか見えなかった。

 

 東堂は攻撃の際に術式を一切使っていない。

 

 ただ純粋な膂力のみで瓦礫の間を移動しているのである。筋肉の収縮だけで数十メートルを飛び、指先だけで外壁へ掴まり、反動で再加速する姿は、もはや人間という枠組みから大きく逸脱していた。

 

 だが、それは脹相達も同様だった。兄弟達は東堂が術式を使わない以上、自分達も肉体で応じると決めているかのように、血液操作を補助程度に留めながら真正面から食らいついている。

 

 先陣を切ったのは脹相だった。

 

 血液を纏わせた拳が唸る。圧縮された血液によって強化された腕力は岩盤を容易く砕く威力を持ち、その一撃が東堂の顔面目掛けて一直線に放たれた。東堂は笑いながらそれを迎え撃つ。頬を掠める寸前で前腕を差し込み、拳の軌道を外側へ流すと、そのまま身体を回転させながら掌底を叩き込んだ。腰の捻り、背筋の連動、肩の回転、その全てが乗った掌撃は脹相の胸骨を砕きかねない威力を秘めていたが、壊相はそれを予測していた。

 

 横合いから伸びた手が東堂の掌を受け止める。

 

 激突した瞬間、衝撃波が発生した。

 

 周囲を漂っていた瓦礫が吹き飛び、近くを落下していた鉄骨が捻じ曲がる。壊相の腕は悲鳴を上げるように震えていたが、それでも離さない。脹相を守る為に割り込んだその動きは迷いがなく、兄弟だからこそ成立する連携だった。

 

 そして次の瞬間、壊相の背中から血液が噴き出した。

 

 赤黒い羽根。

 

 血液によって形成された翼が大きく広がり、一枚一枚が刃物のような鋭さを帯びる。そのまま壊相は身体ごと回転し、無数の血翼を東堂へ叩き付けようとした。鋭利な羽根が空気を裂き、周囲へ赤い軌跡を描く。その密度は凄まじく、回避経路を全て塞ぐような攻撃だった。

 

 だが東堂はニヤリと笑う。

 

 その笑みには焦りも驚きもない。むしろ楽しんでいるようにすら見えた。

 

 空中でありながら腹筋を収縮させ、肩を沈め、背筋を捻る。その僅かな動作だけで巨大な肉体が滑るように移動し、血翼の隙間を縫うように通過した。数枚の羽根が学ランを裂いたものの、肉体へ届くことはない。落下中という不安定な状況にも関わらず、東堂は地面に立っている時と同じ精度で身体を制御していた。

 

 「何なんだその動きは!?」

 

 壊相が思わず叫ぶ。

 

 東堂は答えない。ただ楽しそうに笑い続けていた。

 

 その時だった。

 

 ビルの外壁へ張り付いていた血塗が動く。

 

 小柄な身体を利用して壁面を駆け上がり、勢いそのままに片腕を切り離した。噴出する血液が後方へ吹き出し、その反動によって腕が加速する。赤い尾を引きながら飛翔するそれは、まるで誘導弾だった。

 

 「ヒャッハァァァァ!!」

 

 血塗が叫ぶ。

 

 回転しながら飛来する腕は東堂の頭部を狙っていた。速度も軌道も申し分ない。普通の術師なら避けられず、そのまま吹き飛ばされていただろう。

 

 しかし東堂に遠距離攻撃は効かない。

 

 乾いた拍手音が夜空へ響いた。

 

 パァン。

 

 たったそれだけだった。

 

 次の瞬間、飛んでいた腕が消える。正確には入れ替わった。血塗の腕が存在していた場所には砕けたコンクリート片が現れ、勢いを失った瓦礫がくるくる回転しながら落下していく。一方で腕そのものは遠く離れた鉄骨の上へ移されており、何事もなかったかのように転がっていた。

 

 「それズルいーー!!」

 

 血塗が本気で文句を言った。

 

 脹相も壊相も思わず頷く。

 

 遠距離攻撃が成立しない。

 

 しかも東堂本人は術式だけに頼らず、肉体だけでも十分過ぎるほど強い。理不尽だった。

 

 だが東堂は胸を張る。

 

 「フハハハハハ!!戦いとは知恵と工夫と筋肉だブラザー達!!」

 

 意味が分からない。

 

 だが本人だけは心底納得している。

 

 そして三兄弟もまた、そんな理不尽を前にして退くつもりはなかった。

 

 脹相が血を纏わせ、壊相が再び翼を広げ、血塗が回収した腕を繋ぎ直す。四人は落下を続けながら再び距離を詰め、次なる激突へ向けて同時に踏み込んだ。瓦礫と粉塵が舞う夜空の中で、人外達の乱戦とは別方向に、奇妙で熱い兄弟喧嘩が更なる激化を見せようとしていた。

 

 

 

 

 

 そんな四人の戦いをよそに、宿儺と頼光、そして万は金時と河童が相撲を行っている結界を見据えながら、ほんの僅かな時間だけ戦いの手を止めていた。戦場そのものは依然として荒れ狂っている。戦いの余波だけで崩壊した市街地が更に削り取られていた。だが、それほどの異常事態の最中にあっても、河童が生み出した結界だけは別世界のような静けさを保っている。

 

 宿儺は四本の腕を組みながら、その結界を眺めていた。

 

 結界の外から内部は見えない。

 

 しかし分かる。

 

 術式の構造も、流れる理も、結界を支える思想も。

 

 宿儺ほどの領域へ至れば、それだけで十分だった。

 

 (あの男が展開したもの——そうか。ただ戦うという一点のみに条件を絞り、あらゆる要素を削ぎ落とした舞台だけの結界か。必中もない。押し付けもない。ただ双方が了承し、全力でぶつかり合う為だけに存在する空間……内と外では流れる時間すら違うな)

 

 宿儺の口元が歪む。

 

 愉快だった。

 

 心の底から。

 

 かつて虎杖悠仁の肉体に宿っていた頃、宿儺は常に檻の中にいた。自由はない。肉体も己のものではない。だが、その代わりに最高の素材があった。異常な成長性を持つ肉体。何より、闘争を重ねる度に進化し続ける魂。その可能性だけは認めていた。

 

 だからこそ惜しかった。

 

 だからこそ捨てた。

 

 十三度の闘争機会。

 

 未来に待つ無数の成長。

 

 それらを全て手放してでも、宿儺は生の肉体を選んだのである。

 

 禪院直哉の肉体。

 

 九陽神功によって開花した不壊の肉体は凄まじかった。骨は鋼を超え、内臓は焼かれても再生し、全身を巡る“流れ”は絶え間なく肉体を活性化させる。投射呪法も獲得しているが、宿儺は殆ど使用していない。必要がないからだ。

 

 肉体そのものが強い。

 

 ただそれだけで十分だった。

 

 (そして小僧もまた成長する。あの結界があれば……いつまでも戦えるな)

 

 想像するだけで愉快だった。

 

 虎杖悠仁との再戦。

 

 互いに限界を超え続け、終わりなく殺し合う未来。

 

 その光景を思い浮かべた瞬間、宿儺の口角は更に吊り上がる。

 

 「宿儺!!まずは私よ!!」

 

 黒い雷が迸った。

 

 源頼光である。

 

 腕を組みながら立つ宿儺へ向け、膨大な呪力が殺気と共に放たれる。その瞳は獲物を狙う猛禽のように鋭く、僅かたりとも油断は存在しなかった。

 

 「ちょっと頼光!?アンタはもういいでしょ!!次は私よ!!」

 

 万が割って入る。

 

 虫の甲殻鎧を軋ませながら地団駄を踏み、その視線は宿儺へ釘付けになっていた。恋慕と狂気と執着を全て煮詰めたような感情が剥き出しになっており、見ているだけで疲れそうな熱量だった。

 

 頼光の額に青筋が浮かぶ。

 

 万も睨み返す。

 

 今にも再び掴み合いが始まりそうだった。

 

 だが、その間へ氷が走る。

 

 地面を白く染めながら伸びた氷柱が二人の足元を遮断し、冷気が周囲の熱気を押し退けた。

 

 「それ以上宿儺様に近づくな、痴女共……!」

 

 裏梅だった。

 

 つい先程まで禪院真希と激しく斬り結んでいたはずだが、主人の周囲が騒がしくなったと察知した瞬間、戦場を離脱して一直線に駆け付けていたのである。

 

 万が眉を吊り上げる。

 

 頼光も拳を握る。

 

 だが宿儺は興味を示さなかった。

 

 「……裏梅、任せた」

 

 「御意」

 

 短いやり取りだった。

 

 それだけで十分だった。

 

 宿儺は再び河童の結界へ視線を向ける。結界の向こうでは今も金時と河童が延々と相撲を続けているのだろう。時間効率の異常さを考えれば、既に何百番、何千番と取り組んでいても不思議ではない。

 

 だが、その時だった。

 

 「お前が宿儺だな!」

 

 声が響く。

 

 宿儺の背後から。

 

 気配には気付いていた。

 

 ただ結界の方が面白かったので放置していただけである。

 

 四つの瞳が振り返る。

 

 そこには一人の男が立っていた。

 

 全身から青白い雷光を迸らせながら、不敵な笑みを浮かべている。

 

 「俺は鹿紫雲一……さぁやろうぜ!至高の闘争を!」

 

 雷が弾けた。

 

 頼光の黒雷とは違う。

 

 一つ一つが鋭利な刃のような攻撃性を持ち、空気そのものを刺し貫くような荒々しさを帯びている。

 

 宿儺は笑った。

 

 静かに。

 

 だが心の底から愉快そうに。

 

 「ほぉ……ククッ……」

 

 そして思う。

 

 やはり正解だった。

 

 態々小僧の肉体から出た甲斐があった、と。

 

 「羂索の言ってた事は間違ってなかった。宿儺!俺を満足させてくれるか?」

 

 鹿紫雲一は笑みを浮かべながら言った。その全身から迸る青白い雷光は夜の京都を照らし、崩壊した街並みへ不規則な影を落としている。電流は皮膚の表面を走るだけではなく筋肉や神経そのものへ浸透し、肉体機能を極限まで高めていた。砕けた道路には焦げ跡が残り、周囲に散乱する鉄骨からは焼けた金属の臭いが立ち上る。数百年前から抱き続けてきた渇望が、今ようやく形を得ようとしていた。

 

 「満足?ククッ……興を削ぐような真似はするなよ。俺は今機嫌が良い」

 

 宿儺は嗤う。

 

 四本の腕を組み、まるで退屈な宴の余興を眺める王のように立ちながら、その瞳だけは鹿紫雲を正確に捉えていた。宿儺の後方で、頼光と万は裏梅を挟んで再び睨み合いを始めている。それでも宿儺の意識は目の前の男へ向けられていた。強者特有の匂いがある。幾度も死線を越え、自らを削りながら高みに到達した者だけが纏う気配だ。

 

 鹿紫雲は棍を構える。

 

 長年使い続けた得物は手足の延長だった。握った瞬間に重さは消え、呼吸と同じ自然さで肉体へ馴染む。

 

 「……お前は最強に成ったのか?それとも生まれながらに最強だったのか?」

 

 問いは静かだった。

 

 だが、その奥には執念があった。

 

 鹿紫雲は生涯を通して答えを探していたのである。強さとは何なのか。人を超えた先に何があるのか。誰よりも強くなった先で待っているものは祝福なのか、それとも別の何かなのか。

 

 宿儺は少しだけ首を傾けた。

 

 「どうかな。少なくとも忌み子ではあっただろうな」

 

 短い返答だった。

 

 しかし鹿紫雲は目を細める。

 

 忌み子。

 

 その言葉の重みだけは理解できた。生まれながら周囲と隔絶され、理解されず、恐れられる存在。自分も似たようなものだった。強過ぎるというだけで人は離れていく。敬意も友情も愛情も、やがて恐怖へ変わる。

 

 だから鹿紫雲は続ける。

 

 「弱さを知らずにどうやって他人と関わる。どう他者を慈しむ。俺にはできなかった。自分以外の人間は脆い土塊でしかなかった。教えてくれ宿儺……強さとは孤独なのか?際限なく力の発露を求め彷徨い続ける事が強者に課せられた罰なのか?」

 

 風が吹いた。

 

 粉塵が舞い上がる。

 

 崩壊した京都の夜景が二人の間に広がる。鹿紫雲は本気で知りたかった。数百年抱え続けた疑問だった。もし答えを持つ者がいるなら、それは目の前の怪物しかいないと思っていた。

 

 宿儺は沈黙する。

 

 少しだけ。

 

 ほんの僅かに。

 

 そして嗤った。

 

 呆れたように。

 

 心底理解できないというように。

 

 「何を考える必要がある?」

 

 宿儺の言葉に迷いはなかった。

 

 「己が強者であると信じているのだろう?ならばやる事は一つしかない」

 

 組んでいた腕が解かれる。

 

 筋肉が動く。

 

 それだけで周囲の空気が重く沈んだ。瓦礫が震え、地面へ走る亀裂が広がる。宿儺は答えなど求めていない。意味も理由も不要だった。ただ己の欲望に従い、喰らい、壊し、戦う。それだけで十分だったのである。

 

 四つの瞳が鹿紫雲を射抜く。

 

 獲物を見る肉食獣の眼光。

 

 あるいは王が挑戦者を見下ろす視線。

 

 「かかってこい、亡霊。至高の闘争を味わわせてやろう」

 

 その言葉を聞いた瞬間、鹿紫雲の全身から雷が爆発した。青白い電光が夜空を駆け抜け、周囲の瓦礫を浮かび上がらせる。胸の奥で燃え続けていた渇望が歓喜へ変わる。

 

 答えはまだ分からない。

 

 強さが孤独なのかも知らない。

 

 だが一つだけ確かな事があった。

 

 今この瞬間、自分は最高に満たされている。

 

 鹿紫雲は笑う。

 

 宿儺も笑う。

 

 そして二人は同時に踏み込んだ。次の瞬間、雷光と斬撃にも似た衝撃が正面から激突し、京都の夜空を再び揺るがした。




髙羽「えっ?バタフライしながら京都行け?私バタフライはできません!」
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