杖くんと七歳の魔法使い ~深淵から帰還した少年は、今日もみんなの笑顔を守る~ 作:redhot
基地の地下医療棟は、いつもの鉄の匂いに消毒薬の香りが混じり、蛍光灯の冷たい光が白く照らしていた。厚い防音扉の向こうでは、機密保持の誓約書にサインした三人の精神科医が待っていた。東京の大学病院から招かれた、児童精神医学の専門家たち。白衣の胸には名札すらなく、ただ「医師A」「医師B」「医師C」と記されているだけだった。
トオルは杖くんを握り、胡蝶カナエ二尉に手を引かれて部屋に入った。七歳の少年らしい小さな体。黒髪を短く刈り、ネギ・スプリングフィールドを日本人にしたようなすっとした目鼻立ち。いつも優しげな笑みを浮かべている。
「こんにちは、トオルくん。今日はお話だけだよ。怖くないからね」
医師Aが穏やかに微笑んだ。医師Bは絵本とクレヨンを、医師Cは簡単な心理テストのカードを準備している。杖くんは人の姿でトオルの隣に座り、銀髪を優しく揺らして見守っていた。探索以外では、こうしてトオルの側にいるのが決まりだった。
診察は三時間に及んだ。言葉のテスト、描画テスト、記憶の確認、感情の聞き取り。医師たちは慎重に、しかし徹底的に調べた。150階の落下、怪物との戦い、即死の魔法で命を奪ったこと――すべてを、間接的に探るように。
結果が出たのは、翌日の午後。会議室に杏寿郎三佐、胡蝶しのぶ一尉、カナエ二尉、そして竈門炭治郎二尉が集められた。医師たちは深刻な顔で報告書を広げた。
医師Aが、静かに口を開いた。
「異常がありません。それが、異常です」
医師Bが頷く。
「何度検査しても、すべて平均値。トラウマ反応ゼロ。再体験症状なし、回避症状なし、過覚醒なし。解離の兆候も、感情の麻痺も、悪夢の報告もない。七歳児が、死の淵から生還し、毎日怪物と対峙しているのに……まるで日常の一ページのように受け止めている」
医師Cが、ため息をついた。
「子供なら、何かしら出るはずです。頭痛、腹痛、イライラ、夜泣き、学校拒否……少なくとも一つの兆候が。ところがトオルくんは、完璧に『普通』。これが最も危うい。心が、150階の深淵を『日常』として処理してしまっている」
杏寿郎が拳を握った。
「うむ……それで?」
医師Aが真剣に続ける。
「精神年齢が、見た目よりも……いや、高すぎます。成人男性と同程度。判断力、共感力、倫理観。七歳の子供がですよ? 怪物に即死魔法をかけ、祈りを捧げ、無駄にしない……その成熟した思考は、普通の大人以上です」
医師Bが、声を低くした。
「自衛隊の皆さんにお願いします。彼の行動を、必ず観察してください。突然何かが起きる可能性があります。一人にするのは危険です。ダンジョン探索以外では、誰かしら一緒にいることを強くおすすめします」
医師Cが、最後に付け加えた。
「月一回の精神科医による診察を義務化してください。複数人による合同診察も推奨します。ダンジョン探索以外の行動記録も、詳細につけてください。心の平穏が、いつ崩れるかわかりません」
会議室は、重い沈黙に包まれた。
しのぶが、蝶のような微笑みを浮かべながらも、目が鋭くなった。
「ふふ……トオルくんは、優しすぎるんですわね。だからこそ、心配です」
カナエが、穏やかに頷く。
「あらあら……私たちで、ちゃんと守ってあげましょう」
炭治郎は静かに拳を握った。
「トオルくん……僕が、いつも側にいます」
その夜、トオルは基地の休憩室で杖くんと二人きりになった。窓の外には霧が濃く、港町の新しいレストランの明かりがぼんやり光っている。
「杖くん……僕、変かな? お医者さんたち、みんな心配してたよ」
トオルは少し寂しげに、杖くんの手に自分の手を重ねた。泣きそうな顔ではない。ただ、いつも通りの優しい目で。
杖くんは、優しくトオルの頰を撫でた。いたずらっぽい微笑みは少し抑え、ただ大人の女性の温かさで包み込む。
『トオルちゃん……あなたは、異常なんかじゃないわ。ただ、強すぎるだけ。150階の闇を、優しさで飲み込んだのよ。だから、心が平穏でいられるの。私がついてる。みんながついてる。心配しなくていい』
トオルは小さく頷いた。
「うん……僕、みんなと一緒にいるよ。家族にも、いつか会えるように」
仮面ライダー1号が、部屋の隅で静かに立っていた。デスナイトは無言で頷き、エルダーリッチが低く語る。
「主よ。汝の心は、真実だ」
外では、杏寿郎が部下に指示を出していた。
「トオルは、決して一人にさせるな。探索以外は、必ず誰かが……」
小さな港町は、食と鉱と科学の街へと変わり続けている。
だが、七歳の少年の心だけは、誰にも測れない深淵を抱えながら、静かに微笑んでいた。
人類史上最大の魔法使いの物語は、平穏という名の異常の中で、さらに深く続いていく。