杖くんと七歳の魔法使い ~深淵から帰還した少年は、今日もみんなの笑顔を守る~ 作:redhot
イタリア、シチリア島の古い石造りの邸宅。夜の闇に包まれた中庭に、長いテーブルが置かれていた。蝋燭の炎が揺れ、赤ワインのグラスが並ぶ。普段は決して同じ部屋に集まらない男たちが、今夜は静かに座っていた。黒いスーツに身を包み、指には金の指輪。煙草の煙が天井に向かってゆっくりと昇る。
ここはマフィアの「話し合いの席」。コーザ・ノストラの五つのファミリーの代表、そしてシチリアの古い血統を継ぐゴッドファーザーたちが、一堂に会していた。敵対する者同士が、互いの首を狙うことなく、同じテーブルに着くのは、戦後初めてのことだった。
テーブル中央に座る、最も古い血筋の男――ドン・ヴィトー・コルレオーネの甥にあたるドン・サルヴァトーレ・グレコ――が、ゆっくりと口を開いた。声は低く、しかし重い。
「諸君……我々が今、最大の敵に直面している」
周囲の男たちが、グラスを置く音だけが響いた。
「レストランが使うトマト、オリーブオイル、肉……すべて、我々が指定してきた。仕入れ先を握り、価格を決め、忠誠を強いる。それが我々の掟だった。だが、今、日本から来る『ネオトマト』が、すべてを変えた」
一人が煙草を灰皿に押しつぶした。苛立ちが、煙のように漂う。
「旨い。確かに旨い。俺の甥が、ミラノの店で食ったと言っていた。『普通のトマトとは別物だ』と。客が狂ったように注文する。シェフが『これなしでは料理ができない』と泣きついてくる」
別の男が、苦々しく笑った。
「うちのファミリーが握っていたレストランが、次々と日本産に切り替えた。暴力で脅せば済む話だったが……相手は日本政府だ。しかも、あのダンジョンの食材は、自衛隊が守っている。軍隊だぞ」
ドン・グレコが、ゆっくりとワインを一口飲んだ。グラスをテーブルに置き、静かに続ける。
「私は一度だけ、身分を偽って日本へ行った。岩内という小さな港町。あの基地の近くで、ネオトマトを味わった。あれは……まさしく極上の味だった。酸味と甘みが、舌の上で踊る。まるで、神が作った果実のようだ」
男たちの目が、わずかに揺れた。誰もが知っている。ドン・グレコが自ら日本へ足を運ぶなど、尋常ではない。
「部下と話し合った。どうにか輸入ルートを独占できないか、と。だが、世界中から同類が集まっていた。フランス人、イギリス人、アメリカ人……誰もがあの食材を欲しがっている。独占など、夢物語だ」
一人の若いドンが、拳をテーブルに軽く叩いた。
「なら、暴力で……」
「馬鹿を言うな」
ドン・グレコの声が、鋭く響いた。
「相手は経済大国になりつつある日本だ。軍隊に守られ、それをも凌駕する存在がいる。七歳の少年だという。魔法使いだと。銃弾が通じない怪物どもを、毎日倒して食材を持ち帰っている。暴力で解決できる相手ではない」
沈黙が落ちた。蝋燭の炎が、男たちの顔を赤く照らす。
別の古株のドンが、ゆっくりと煙草をくわえた。
「国そのものに喧嘩を売るのは、デメリットが大きすぎる。イタリア政府ですら、向こうの圧力に屈している。輸出を増やせと、向こうから圧力がかかっているらしい。我々が動けば、国際的な制裁が来る可能性すらある」
「では、どうする?」
若いドンが、苛立った声で問うた。
ドン・グレコは、ワイングラスを回しながら、静かに答えた。
「暴力以外の手段を考えるしかない。まずは、情報を集める。日本側のルートを握る。岩内のシェフたちに近づく。あるいは、向こうの少年に接触する……だが、無理は禁物だ。あの少年は、優しいらしい。だが、その優しさを逆手に取れば、危険だ」
テーブルを囲む男たちが、互いに視線を交わした。敵対していた者同士が、今は同じ危機感を共有している。
「我々は、共闘するのか?」
一人が、静かに問うた。
ドン・グレコは頷いた。
「そうだ。少なくとも、この問題に関しては。ネオトマトが、我々の支配を崩す前に、何か手を打つ。だが、急ぐな。相手は軍隊と、魔法使いだ。慎重に、慎重に……」
蝋燭の炎が、風もないのに揺れた。男たちはグラスを掲げ、静かに乾杯した。ワインの赤が、血のように見えた。
遠く北海道の岩内では、トオルが杖くんと共に、ネオトマトを一つ手に持っていた。食堂のテーブルで、シェフたちが興奮して囲む中、トオルは優しく微笑む。
「みんな、喜んでくれてるみたい……よかった」
杖くんが、耳元で囁く。
『トオルちゃん……あなたの優しさが、世界を動かしてるわ。でも、時には、誰かがそれを妬むかもしれない。でも大丈夫。私がついてる』
イタリアの古い邸宅では、マフィアの男たちが、静かに次の手を考え続けていた。
深淵の恵みは、食卓を変え、経済を変え、そして――闇の掟さえ、揺るがし始めていた。
人類史上最大の魔法使いの物語は、霧の向こうで、静かに広がっていく。