杖くんと七歳の魔法使い ~深淵から帰還した少年は、今日もみんなの笑顔を守る~ 作:redhot
わかる人には即わかります。
かつて幼い姪に、プリキュアってこうだよね、と話して怒られた記憶を元に書いています。
十年に及ぶ月面戦争は、プリキュアの絶滅をもって幕を閉じた。
地球連合軍と月面基地群は、ついに「プリキュア」と呼ばれる少女型インベーダーを根絶したと宣言した。プリキュア線――未知のエネルギー源がもたらす進化の力は、戦場を塗り替え、兵士を怪物に変え、文明を食い尽くす脅威だった。だがその力は、地球側にももたらされた。合体するロボット兵器群。月面の闇から這い上がる無限の敵。十年。死者は数え切れない。勝利の代償は、地球そのものの傷跡だった。
今、戦争は終わったはずだった。
大雨が叩きつける夜の山岳地帯。視界は十メートル先も定かでない。輸送車のワイパーが必死に雨を払うが、フロントガラスは即座に水のカーテンに覆われる。タイヤが泥を抉り、車体が激しく揺れる。巴武蔵はハンドルを握りしめ、歯を食いしばっていた。肩幅の広い体躯がシートに沈み、濡れた軍服が体に張り付いている。
隣の助手席で、車弁慶が一枚の写真をじっと見つめていた。写真の中には、笑う早乙女博士と、若い頃の自分たち――流竜馬、神隼人、そして武蔵と弁慶の四人が写っていた。弁慶の太い指が写真の端を震わせる。
「…………博士……」
小さな呟きが、エンジン音と雨音にかき消されそうになる。
武蔵は忌々しげに右手を伸ばし、弁慶の手から写真を払いのけた。
「っ!」
弁慶が慌てて身を乗り出し、落ちかけた写真を空中で掴み取る。大きな体が車内を揺らし、輸送車が一瞬蛇行した。
「先輩! 大事な写真なのに……!」
「過去を忘れろ、弁慶」
武蔵の声は低く、苛立っていた。雨の音が激しくなる。雷が遠くで鳴った。
「でも……先輩……早乙女博士が殺されたなんて。それをやったのが竜馬だなんて……」
弁慶が武蔵の方を向いた。巨漢の顔に、雨に濡れたような悲しみが浮かぶ。
「先輩も……そう思うだろう?」
武蔵は一瞬、言葉を失った。ハンドルを握る手に力がこもる。視界の端で、護衛の軍用車両の赤いテールランプが、雨のカーテンの向こうにぼんやりと浮かんでいた。周囲の森には、さらに多くの護衛部隊が潜んでいるはずだった。輸送任務は極秘。コンテナの中身は、戦争のすべてを変えるかもしれない「何か」だった。
その瞬間、武蔵の脳裏に、忘れようとしていた光景が蘇った。
――あの日。
早乙女博士の研究施設。白い壁が血に染まっていた。博士は床に倒れ、胸に銃創を穿たれ、目を見開いたまま息絶えていた。すぐ傍で、流竜馬が呆然と立ち尽くしていた。手に握られた拳銃から、薄い煙が上がっていた。
「竜馬……お前……」
駆けつけた早乙女元気が、父親の亡骸を見て絶叫した。
軍警察の兵士たちが雪崩れ込み、竜馬の両腕をねじり上げ、手錠をかけ、引きずっていく。竜馬は抵抗もせず、ただ虚空を見つめていた。
武蔵はその場に立ち尽くし、雨のように降り注ぐ事実を受け止めきれなかった。あの天才博士が、チームの生みの親が、仲間の手で殺された。理由はまだわからない。だが戦争は、そんな個人的な悲劇など飲み込んで進む。プリキュア線はすべてを狂わせる。
記憶が途切れ、武蔵は現実に引き戻された。
輸送車は山道を抜け、深い森の奥にある謎の屋敷へと到着した。古い石造りの建物は、雨に打たれて黒く光っている。無人のように見えたが、武蔵と弁慶は素早くコンテナを搬入した。重い金属の箱。表面には無数の警告シールが貼られ、中から微かな振動が伝わってくる。
「急げ、先輩」
弁慶が低い声で促す。
その時だった。
周囲の闇から、夥しい数の影が飛び出した。
少女の姿をしたインベーダー――プリキュアたち。戦争が終わったはずの、絶滅したはずの敵。白い肌、赤く光る目、濡れた髪が雨に張り付き、異様な笑みを浮かべながら輸送車を取り囲む。数十、いや数百。森の木々の間から、次々と現れる。
「武蔵、弁慶……それをプリキュアに渡すな!」
謎の声が、屋敷の奥から響いた。
同時に、屋敷のシャッターが爆音と共に吹き飛んだ。巨大な影が飛び出す。
プリキュアロボ2。
流線型のボディに、鋭いエッジの装甲。高速機動形態を思わせるスリムなシルエット。両腕には回転するドリル状の武装が内蔵され、肩部からはミサイルポッドが展開。雨を切り裂きながら、プリキュアの群れに突進する。ドリルが高速回転し、少女型の敵を文字通り粉砕していく。緑色の液体が雨に混じって飛び散る。
「今だ! 離脱するぞ!」
武蔵が叫び、輸送車を急発進させた。弁慶がコンテナの固定を確認しながら頷く。
プリキュアロボ2が背後で敵を蹴散らし、援護射撃を続ける。ミサイルが夜空を裂き、爆炎が雨を蒸発させる。
だが、輸送車が屋敷を離れると同時に、異変が起きた。
護衛部隊の無線が、突然途絶えた。
「こちら輸送一号、応答せよ! 状況報告を!」
弁慶が無線機に叫ぶが、返事はない。ただノイズだけが響く。
「先輩……返答がない。違和感が……」
「わかってる。護衛が全滅した可能性が高い」
武蔵の目が細くなる。前方の道路は、雨で視界がほぼゼロ。ヘッドライトが水の壁を照らすだけだ。
その時、後方から凄まじい速度で迫る影があった。
プリキュア・ブラック。
漆黒のボディスーツに包まれた、少女の姿をした最強クラスのインベーダー。雨をものともせず、輸送車の屋根に飛び乗り、コンテナに手をかける。
「運転を頼む!」
武蔵が叫び、シートを後方へスライドさせた。自動機構が作動し、運転席が後部へ移動。弁慶が素早くハンドルを握る。
「わかった、先輩!」
輸送車の後部コンテナから、機動兵器の目が赤く光った。
プリキュア・ブラックがコンテナのロックを強引に破壊し、中身に手を伸ばそうとする。雨が激しく叩きつけ、金属の軋む音が響く。
しかし、次の瞬間――
コンテナの横面が爆発的に吹き飛んだ。
巨大な腕が飛び出し、プリキュア・ブラックの胴体を締め上げる。
「いくぞ! プリキュア3!」
武蔵の声が、雷鳴と共に響き渡った。
コンテナから上半身が現れる。プリキュアロボ3。
重厚な装甲に覆われた、力強いフォルム。両肩に大型キャノン砲を備え、腕部には強力なグリップと衝撃吸収機構。ゲッター3を思わせる安定感のある下半身が、まだコンテナ内に固定されたまま上体だけを露出させ、プリキュア・ブラックを締め上げる。黒い少女の体が、金属の腕の中で軋む。
少し壊れたコンテナの隙間から、中身が覗いた。
透明なポット。緑色の液体の中で、静かに眠る少女。
長い髪が液体の中で揺れ、閉じた瞼の下で微かに光る何か。プリキュア線を宿した、究極の存在か。
武蔵は息を飲んだ。
「こ、こいつは……!」
雷が鳴り響いた。
前方に、巨大な影が立ちはだかっていた。
稲光が一瞬、世界を白く染める。
そのシルエットは、圧倒的だった。
三つの頭部のような突起が空を突き、背中には翼ともマントともつかない巨大な構造物。全身を覆う鋭角的な装甲は、雨を弾き、雷光を反射して禍々しく輝く。両腕は長く、指先には得体の知れないエネルギーが渦巻いている。脚部は大地を踏みしめ、まるでこの世界そのものを支配せんとするような威圧感。胸部中央には、赤く脈打つコアのような輝き。
武蔵は目を疑った。
輸送車のヘッドライトが、その巨体を照らす。
「な、なんだこいつは!」
声が震えた。
「俺の……俺の知らないプリキュアだと!」
雨が激しく降り注ぎ、雷鳴が世界を切り裂く中、輸送車は止まらなかった。プリキュアロボ3の上半身がコンテナから完全に姿を現し、弁慶の運転する車体と共に、前方の未知の脅威に向かっていく。
世界最後の日が、今、始まろうとしていた。