杖くんと七歳の魔法使い ~深淵から帰還した少年は、今日もみんなの笑顔を守る~ 作:redhot
イギリスの空港から王宮へと向かう黒塗りの高級車内は、雪混じりの冷たい風が窓を叩く音だけが静かに響いていた。
革張りのシートは柔らかく、車内は暖かく、しかし外の厳しい冬の気配が微かに忍び込んでくる。
トオルは、九歳の小さな体をシートに沈め、杖くんを抱きしめたまま、窓の外に流れるロンドンの街並みを静かに眺めていた。
コッコロが隣で優しく手を握り、杖くん(人の姿で)はトオルの肩に寄り添っていた。
アーカードは、向かいのシートに長身を預け、赤い瞳を細めてトオルを見つめていた。
その視線は、いつもの愉しげな好奇心に満ち、しかしどこか深い探求の色を帯びていた。
インテグラルは、葉巻をくわえたまま、静かに二人のやり取りを見守っている。
アーカードが、ゆっくりと口を開いた。
声は低く、しかし車内に響くほど澄んでいた。
「トオル……君には、私がどんな存在に見える?
人か、それとも化け物か?」
車内に、一瞬の静寂が落ちた。
トオルは、窓から目を離し、アーカードの赤い瞳をまっすぐに見つめた。
九歳の少年の瞳は、驚くほど澄んでいて、迷いも恐れもなかった。
即座に、優しい声で答えた。
「アーカードさんは、少し特殊な能力が使える人間です」
アーカードの赤い瞳が、わずかに見開かれた。
普段、どんな相手にも動じない吸血鬼の顔に、初めて本物の驚きが浮かんだ。
インテグラルも、葉巻をくわえた口元をわずかに緩めた。
トオルは、静かに言葉を続けた。
声は穏やかで、しかし確かな重みがあった。
「僕の……というか、無限の図書館で吸収した知識の中には、色々な存在の記録がありました。
色々な世界でも、化け物と呼ばれる存在は多くいます。
姿形や性格は千差万別でしたが、共通点があります。
化け物と呼ばれる存在は、自身を疑いません。
泣きません。
弱いとは思っていません。
色々な定義はあると思いますが、僕は化け物とは、世界の枠組みから外れた存在だと思います。
力が強いとか、姿が醜悪とかではなく、存在そのものが世界のルールから外れた規格外なのでしょう。
僕も半分そうなっているかもしれませんが……」
トオルは、少し寂しそうに微笑みながら、続けた。
「もしアーカードさんが自分を化け物だと思っているなら、化け物という存在を甘く見ています。
本当に化け物と呼ばれる存在の記録を読みましたが、一つの銀河を食い尽くした存在……ネオ。
自己愛の極致で他者を認識できない唯我独尊の存在……第六天波旬・大欲界天狗道。
太陽よりも巨大で、星系を滅ぼす道具を無限に生み出す魔王……破滅工房の魔王クワルナフ。
まだたくさんいますが、これぐらいできて初めて化け物なんです。
僕の考えですが」
車内に、再び静寂が落ちた。
アーカードは、赤い瞳を細め、長い沈黙の後、ゆっくりと笑った。
それは、これまで見たどんな笑みよりも、深く、どこか懐かしい響きを帯びていた。
「ふふ……面白い。
少年よ、君は本当に規格外だ。
私のことを、人間だと言うのか。
化け物と呼ばれるものを、そんな風に定義するとは……」
インテグラルが、葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながら、
「アーカード……お前が驚くなんて、珍しいな。
トオル少年の言葉は、確かに重い」
トオルは、優しく首を傾げ、
「アーカードさん……僕は、あなたを化け物だとは思いません。
特殊な能力を持った、人間だと思います。
それでいいんじゃないかな」
アーカードは、再び笑い、赤い瞳に珍しい柔らかな光を浮かべた。
「君のような子供に、そんなことを言われるとは……
面白い。
本当に、面白い少年だ」
コッコロが、トオルの手をそっと握り、
杖くんが、トオルの耳元で優しく囁いた。
『トオルちゃん……あなたは本当に、優しすぎるわ。
化け物と呼ばれる存在を、そんな風に定義するなんて……
アーカードさんも、きっと心に響いたはずよ』
車は、王宮へと向かう道を静かに進んでいた。
窓の外では、ロンドンの街並みが雪に覆われ、遠くから見守る人々の視線が感じられた。
トオルは、静かに微笑みながら、胸の中で思った。
「みんな……笑顔でいられるように。
僕、ちゃんと話してくるよ」
イギリス王宮は、すでにトオルの到着を待ちわびていた。
エクスカリバーの真実を、資源の交渉を、失われた知識の開示を――
世界は、九歳の少年の言葉を、静かに待っていた。
人類史上最大の魔法使いは、九歳の心で、遠き英国の問いを胸に、
ただ、世界を優しく照らし続けていた。
霧の港町は、少年の光と、雪の白さに包まれながら、輝き続けていた。