杖くんと七歳の魔法使い ~深淵から帰還した少年は、今日もみんなの笑顔を守る~ 作:redhot
基地の外れ、ポポの囲いの近くに設けられた簡易休憩所。木製のベンチと、石油ストーブが一つ。霧が薄く立ち込める中、トオルは杖くんを抱えて座っていた。隣には竈門炭治郎が腰を下ろし、64式小銃を膝に置いて、穏やかな目でポポの親子を眺めている。
炭治郎は二十代半ばの二尉。いつも静かで、優しい声。家族の話になると、目が少し柔らかくなる。
「トオルくん……今日も探索、お疲れ様」
「ううん、炭治郎さんこそ。いつも見守ってくれてありがとう」
二人はしばらく、ポポが草をむしゃむしゃ食べる音を聞いていた。子ポポが親の陰から顔を出し、炭治郎に鼻を近づけてくる。炭治郎はそっと手を差し伸べ、子ポポの鼻先を撫でた。
「……僕の家、兄弟が多いんだ。弟と妹が五人いる。みんな、いつもお腹を空かせててね」
炭治郎の声は、どこか懐かしげだった。
「だから、食べ物のことになると、どうしても……。ダンジョンサーモン、あの脂の乗った身を見ると、みんなで囲んで食べたら、どんなに喜ぶかなって思うよ。弟たちは特に、魚が大好きで」
トオルは目を丸くした。
「炭治郎さんのおうち、にぎやかそう……いいなあ」
「うん。にぎやかすぎて、朝から晩まで騒がしいけどね。でも、それが幸せなんだ」
炭治郎は小さく笑った。優しい、温かな笑顔。
トオルは少し考えて、杖くんをぎゅっと握った。杖くんは人の姿で、トオルの肩に寄り添い、くすくすと笑う。
『ふふ、トオルちゃん。優しい子ね』
トオルは立ち上がり、両手を広げた。
「炭治郎さん……僕、いつもお世話になってるから」
掌の中心に、青白い光が渦を巻く。空間がわずかに歪み、裂け目が開く。そこから、巨大なダンジョンサーモンが三匹、ゆっくりと浮かび上がってきた。体長二メートルを超え、虹色の鱗が夕陽に輝く。身は脂がたっぷり乗り、切り身にしてもよさそうな厚み。
「え……っ?」
炭治郎が目を大きく見開いた。
「これ、持って帰って。炭治郎さんが笑顔になるなら、僕、嬉しいよ」
トオルはサーモンをそっと炭治郎の前に浮かせた。魔力の結界で新鮮さを保ち、滴る水滴すら凍らずに保たれている。
「炭治郎さんのおうちの人たちに、食べてほしいな。僕の家族にも、いつか……食べさせてあげたいけど、今はまだ会えないから。代わりに、炭治郎さんの家族に」
炭治郎はサーモンを見つめ、しばらく言葉を失っていた。やがて、ゆっくりと立ち上がり、トオルの頭を優しく撫でた。
「……ありがとう、トオルくん。本当に、ありがとう」
声が少し震えていた。いつも落ち着いた炭治郎の目が、うっすらと潤んでいる。
「僕、家族に話すよ。『トオルくんがくれたんだ』って。みんな、きっと喜ぶ。……そして、僕も、すごく嬉しい」
炭治郎はサーモンを丁寧に受け取り、魔力の結界をそのまま保ったまま、両腕で抱えた。巨大な魚が三匹。だが、炭治郎の腕はしっかりと支えていた。
「これで、弟たちに『今日は特別だぞ!』って言える。妹たちも、目を輝かせるだろうな」
トオルは照れくさそうに笑った。
「えへへ……よかった」
杖くんがトオルの耳元で囁く。
『トオルちゃんの優しさ、ちゃんと届いてるわよ』
炭治郎はサーモンを抱えたまま、深く頭を下げた。
「トオルくん。君はもう、ただの子供じゃない。僕たちみんなの……希望だよ」
トオルは首を振った。
「僕、まだまだだよ。でも、炭治郎さんみたいな人がいてくれるから、がんばれる」
二人はしばらく、ポポの囲いを見ながら立っていた。子ポポが炭治郎に鼻を寄せ、親ポポが低く唸るように感謝の声を上げる。
炭治郎はサーモンを抱きしめ、もう一度笑った。家族の笑顔を思い浮かべた、温かな笑顔。
「じゃあ、持って帰るよ。トオルくん、また明日ね」
「うん! またね、炭治郎さん」
炭治郎の背中が、霧の中に消えていく。サーモンの鱗が、最後にきらりと光った。
トオルは杖くんを抱きしめ、静かに呟いた。
「僕も、いつか……家族に、こんな風に渡したいな」
杖くんは優しく頷く。
『きっとよ、トオルちゃん。あなたなら、絶対に』
深淵の恵みは、ただの食材ではなかった。
それは、家族への想い。笑顔への贈り物。
少年の心は、また少し、広がった。