『
それが彼女の名前らしい。
わざわざ懇切丁寧にルビまで振ってくれているが、字面で見ると厳めしいというか、なかなか物騒な名前ではあった。
さて、事後報告——決してやらしい意味ではない——をしておこう。
結局あれから説得力のある言い訳を思い浮かばなかった俺は、もはや拝み倒す勢いで頸野に謝った。
彼女は分かったのか分からなかったのか断言こそしてくれなかったもののとりあえずこくこく(名前が哭なだけに)頷いてくれたので、一応理解を示してくれたのだと信じたい。
出ないと俺は強◯魔という最低最悪なレッテルを貼られることになってしまうがそれだけは避けたい。
ほうら見るがいい。
誤解を招くのは簡単で、解くのは大変だとさっき言ったばかりだろう。
伏線回収は果たしたぞ、ふはははは。
そうそう、「……ちなみに特技は吐血」だそうだ。ねーよ。
どうやら頸野は突発的に吐血をしてしまう体質であるらしく、部室の血溜まりもそれによるものなんだと。
人騒がせな。
いつもはもう少し血の量が少ないそうだが、稀にさっきみたいな量の血を吐き出してしまうらしい。
恒常的に吐血する彼女だが、流石にこの時ばかりは気絶してしまうのだとか。
元々そんなに身体も強くないようだし、なんというか、庇護欲が刺激される話ではある。
「俺は綾村圭。今日からこの部に通うことになった新入部員だ。(仮)だけどな。なもんで、一つよろしくしてくれ」
「……新入部員さん? そんな話、聞いていない」
「していないしする必要もないからよ。どちらかと言えば侵入部外者だもの」
後ろからねめつくような視線が一つ。
無視しようかとも思ったが、それはそれで面倒なことになりそうなので、やれやれ誠に億劫だが相手をしてやることにしよう、と数秒の間に字数にして七十五字もの文章群を脳内に並べた俺は、錆び付いたブリキの玩具よろしく諦念を持って背後の人物——棚町へと向き直った。顔を逸らされた。
彼女の登場は今から少し遡る。
そう、傍目には俺が頸野を押し倒しているように見える時の話だ。
それとも顔面に鮮血をぶっかけられた時だったかな? まあいいか、大した些事じゃない。
で、だ。
ただでさえ他人に見られようものなら社会的立場の損失甚だしい光景を、明らかに一番見せてはいけない人物に目撃されてしまった。そう、悪鬼羅刹こと棚町季節にである。
棚町はすたすたと、まるで何事もないかのように入室して来たのはいいのだが、俺の近くを通り過ぎる際にぽつりともらした、
「発情した猿が部室に放し飼いされているようね。嫌だわ早くすりつぶさないと。鈍器はどこにあったかしら……」
これには底冷えするかのような、聞く者全てを震えあがらせる魂の響きが込められていた。
ちょっと目が、マジで
「ところで綾村くん、目障りだから消えてくれない、——この世から」
……え、酷くね?
なんかナチュラルに今の言葉に引いたんですけど。
だいたい目障りも何も、まずこっちを視界に入れてないよね。
それなのにこの世から消えろとか俺の存在全否定ですか。
うん、話はそこからだ。
それとも棚町さんにはエア綾村くんが見えているのかな?
だとしたら大変だ、すぐに治療薬を処方してもらわないと。あーりーまーせーん。
「……全く、少しは私のように空気を読んでほしいものだわ。だからいつまで経っても貴方はひとりぼっちなのよ」
「なんかリアル空気さんにダメ出しされた!? 流石、空気を読むことに関しては右に出る者がいないだけのことはあるな!」
「ありがとう。いい賛辞だわ」
「なんでありがたがってんの?」
神経ずぶてぇ。
もしかして皮肉が通じないのだろうか。
スターを手にしたマ○オかこいつ。
俺と棚町が他人も憐れむような和気藹々とした雰囲気で会話に勤しんでいると、突如として鮮血が宙を舞う。
何か火山の噴火みたいだな。
「……こぷっ」
そしてまたしても俺にかかった。
あーもう、このワイシャツはもう駄目だな。
すっかり頸野の臭いも血も染みついちまった。
「だ、大丈夫か頸野! 例の、ええと特技の吐血か!?」
「……今のは趣味の吐血」
「そうか、違いが分からん!」
心配して損した。趣味で吐血するってどうなのよ。同好の士が集まらなそうだな。
あと俺に血をぶっかけるのは止めてくれないかな。綺麗な赤色だなってつい観察しちまったよ。
しかも故意に出来るとかもうね、そりゃ確かに趣味であり特技だわな。
見ているこっちがびっくりするので勘弁願いたいが。寿命が一万年と二千年くらい縮んだっての。
「つーかなんで今のタイミングで吐血したんだ?」
「……なんとなくノリで?」
「俺に聞かれても」
「可哀想に、きっと綾村くんの不景気フェイスのせいね」
「どさくさに紛れて人を悪意百%のあだ名で呼ぶんじゃねえよ。俺の残り少ない魂がオーバーソウルすんぞ」
「このように彼が喜んでくれるから是非頸野さんもそう呼ぶといいわ」
「どのように俺を見てるんだよ」
「……ん」
頷いちゃった! 悪意を伝播させるのは上手いなあ棚町さんは。
くそっ、覚えとけ。
◆
そんなこんなで本日の総括的なものを。
部活動に初参加して死体を発見したと思ったら、それは魔法使えない部のメンバーである頸野哭で、更に目を覚ました彼女に鮮血をぶっかけられてワイシャツがおじゃん。
そして強○魔と間違われたり棚町に冷遇されたり面罵されたりといった工程を経て、ようやっと解散へと至るのであった(現在ここ)。
よくよく振り返ってみれば部活動らしいことを何一つしていなかった気もするが、というか確実にしていないが、まあそこは初日だからと思いたい。
これが日常風景ならばそれはそれで問題だからな。
きっと今日は新キャラ登場回だったんだ、なら大したこと出来なくても仕方がないよな。
うん、そういうことにしておこう。
自分を無理やり納得させるとか情けないことこの上ないだろうが、しかし部内における俺の地位はロリ先輩の紅茶にすら劣るもので。
つまり発言権がないに等しい。これについては追い追い直願する所存だ。どうせ却下されるけども。
◆
「部室の鍵を閉めるから早く荷物を持って先に帰ってくれないかしら?」
「そんなに追い立てなくたっていいだろうが。少しは待ってくれよ」
「どーん」
「ああっ、適当なかけ声と一緒に俺の鞄を外に投げるんじゃねぇ!」
しかも無駄に飛距離を伸ばすし。
くっ、内容量の少なさが仇となったか。
息を切らせながら鞄をなんとか回収し、部室前まで戻ってくると既に棚町は姿を消していた。
なんとなく予想はついているが、一応傍らに立つ頸野に聞いてみる。
「棚町はどうした?」
「……部室の施錠が終わったから先に帰るって」
やっぱり思っていた通りだ。本当にあいつはテンプレートに添った行動をするなあ。
「あいつ、他には何か言ってなかったか?」
「……不景気フェイスは変態で節操がないから、襲われないように気をつけなさいって」
「どんだけ俺に恨みがあんの?」
なんでそんなに俺の心証を悪くしようと躍起になってんだよ。
と、頸野に血まみれワイシャツの裾をくいくい引っ張られた。
「どうした頸野?」
「……わたしはいつでも準備出来てる。ばっちこい」
「いやばっちいかないし! つーかなんで俺がお前を襲う流れになってんだよ!」
ええい頬を赤くするんじゃない! 分かったぞ、頸野はマゾだ!
「……しないの?」
「しねーよ!」
「……面と向かって死ねって言われた」
「しねのニュアンスがちげぇ! 日本語の受け取り方の多様さが今は憎らしいっ!」
「……言語能力を全否定された。もうわたしは生きていけない。こぷっ、こぷっ」
「って唾を飛ばすな! さてはお前分かっててやってるな!」
「……なんのことやら」
「だったらせめて俺の目を見て言え!」
「……瞳が腐ってそう」
「お前に言われたくねーよ!」
「……人が気にしていることを」
「すまん悪かった!」
「……許す」
なんだこの会話。
「……なんだかどっと疲れたよ。俺達も帰るか」
部室を前にして二人でいつまでもだらだらと駄辯(だべん)を重ねている訳にもいくまい。
流石に実のない会話ばかりでは飽きてしまうしな。会話主体のライトノベルならそれでもいいのだろうが現実は違うのさ。
丁度いいし、ここいらで会話を区切ってお暇するとしよう。
「……待って」
「なんだよ、まだ話があるのか?」
「……こぷっ」
おおっと! そう何度も同じ過ちをする俺ではないぞ。
見ろ、鮮血を鞄で防いでやったわ。
……やっちまった。
「今のは特技と趣味、どっちの吐血だ?」
なんて尋ねると頸野は小さく首を左右に振り、「……どちらでもない」とのこと。
「じゃあ何の吐血なんだ?」
と質問を変えると彼女は、
「……圭の仮入部歓迎の吐血」
そう答えた。間髪置かずに継ぎ足して、
「……いつか(仮)が取れるといいね」
え、あっと、う、うん。
なんだ頸野さん、嬉しいこと言ってくれるじゃないの……。
「とりあえず歓迎してもらえてよかった。ほら俺って棚町に毛嫌いされてるから肩身狭くて」
俺に対しては悪の権化だからね彼女。根本的にデレがないもん。
「……そんなことはないと思う」
「ん、何が?」
「……圭と会話してる時の季節、楽しそう」
ええー、それは無いだろう普通に考えて。
思わず倒置法を使ってしまうほどにその言葉には面食らったぞ。
だいだいだな、仮に棚町が俺と話すことにいくばくかの楽しみを感じているとしよう。
だけど俺はこれっぽっちも楽しくないっての。
辛辣な物言いに結構打ちひしがれてるんだからな。
むしろ憤りを隠せないくらいだ。
だから、
「ありえん」
俺の本音はこれである。変わる予定は今の所ない。
しかし俺の述懐(じゅっかい)を聞いたというのに頸野は「分かっていないなぁ」みたいな表情を浮かべている。
ならお前はどうなんだよ。
「……わたしも割と面白い」
読解力を問われかねん発言だな。
その言い回しでは綾村圭に対してなのかそれとも頸野哭に対してなのか分かりづらいと思うぞ。
まあ俺のことを指してるんだろうけどな。
話を聞く限りでは、どうやら嫌われてはいないらしい。どころか好かれてるんじゃないか、これは。
おい、誰かラブスコープをくれないか。
あれって確か好感度を目視出来たはず。
……なんだって?
一度作ったキャラを転生させるか、周回ボーナスで手に入るポイントがないと無理なの?
◆
「……ばいばい。また明日」
「おう、じゃあな」
校門まで頸野と二人で向かい、その先で別れる。
手を振る彼女の顔が蒼白になっているのが気になったが、多分貧血のせいだろう。
だってあいつ、俺が玄関で下履きに爪先を通している時にも「……わたしはあと二回吐血を残している」とかなんとか言ってその場で本当に二回血を吐き出しやがったし。
今日だけでも何回吐血したのか分からないくらいだ。
アレでよく身体が持つものだ。
常人なら普通とっくに死んでる量だったぞ。
実は身体が強靭なんじゃないか?
ともあれこうしてまた一人、頸野哭という少女の知り合いが増えた。
後はこれが死り遭いにならないことを祈るばかりである。縁起でもない。
余談だが、この話には情けないオチがあったりする。俺が帰路についた矢先のことだ。
「——待ちたまえ君、その服はどうしたのかね!」
警官に止められた。へ、服? 慌てて身なりを確認すると、
「あ、やばっ、忘れてた!」
俺のワイシャツにはべったりと頸野の血が付着していたことのだった。
今までなんとも思わなかったが、そりゃあ道行く人とすれ違うたびに目を背けられるはずである。
「ちょっと署まで同行願おうか」
後悔しても遅かった。
なされるがまま俺は連れられ、事情聴取を受けるハメになった。
警察署で身の潔白を散々訴えたが警官は難色を示すばかりだったので、仕方なく頼みこんでなんとかかんとか頸野を呼んでもらい、直接本人の口から事実釈明とついでにこの場で吐血をしてもらう運びとなった。
一応誤解は解かれ事件性はなしとのことで釈放されたのはよかったのだが、このことで頸野に笑われたのは理不尽だなあと思いました。
頸野……恐ろしい子! まる。
今後の更新の励みになりますので、感想や評価をいただけますと幸いです。